ようこそ享楽至上主義の教室へ【特殊タグ無し版】 作:アネモネ
「何も、無かった」
京楽菊理はそう、鏡の前で呟いた。
「むー。告白なんて初体験、もっとドキドキすると思ってたんだけどな〜」
にこにこといつも通りの笑みを
「わからないなあ。うん、わからない」
楽しそうに、愉しそうに。歌うように囁く。
「OKしてみるべきだったのかな? そのほうが楽しかった?」
鏡よ鏡、と問いかけても鏡はうんともすんとも言わない。
ただの男子生徒一人程度、好意を利用すれば手駒にすることも容易だ。しかし使えるように育てるのは手間がかかる。あるいは。彼が『愛』を教えてくれるのかもしれない。それはきっと楽しいことなのだろう。それはきっと尊い想いなのだろう。今は、てんでわからないが。
まあいいか、と全てを自己で完結させる。
「母を亡くし。兄弟は、知らない。父は……うーん。恋人がどうのより、そっちを片付けるほうが先かね」
ほんの少し、手がかりはあった。とはいえいつもの勘頼りなのだが。
そっと鏡を撫でる。
「壊したいなあ……」
積み上げてきたものを崩す快感は、何にも代え難いだろう。
「全部全部、壊しちゃうのが一番楽なんだけどなあ」
必要なものなど一つもない。自らの生死すらどうでもいい。ドロドロとした想いが
ちょっと力を入れるだけで鏡は砕け散るに違いない。壊せ、と頭の中でナニカが呪詛のごとく訴えかけてくる。怒りに任せ暴れ尽くすのはどれほど気持ちの良いことか。
力があるから破壊したくなるのか、破壊したくなるから力があるのか。精神と肉体、どちらが引きずられているのだろうか。
「まったくもって、業が深い」
まるで仮面が剥がれ落ちるかのように。表情という表情が抜け落ちていく。
ゆうら、ゆうらと明かりが揺れた。ぴしりと鏡面にヒビが走る。
そこで。音が、鳴った。
「……端末か」
また壊すのは面倒だから御免だと、頭を切り替えて表情を取り繕う。朗らかな笑みを浮かべつつ。見れば、生徒会の招集の連絡だ。
3月24日、今日は卒業式が執り行われる。送辞は2年生の3月時点でのAクラス代表が。答辞はAクラスとして卒業したクラスの代表者が。それぞれ読み上げることになっているのだ。今のところ基本的に生徒会長と、元生徒会長がこの役目を果たすものとなっていて、今回もそれは変わらなかった。南雲雅が送辞を、堀北学が答辞を担当する。つまり南雲雅が堀北学をAクラスから転落させることはかなわなかったというわけだ。
しかし彼はさして気にしていない様子だった。こうして今日も平然と生徒会を招集し、会長業務をこなそうとしている。
「強メンタルというか。見習うべきなのかしら」
首を傾げるも、そこに至る感情の答えを探し出すことはできない。他者への共感を得意としないのだ。自身の野生の勘を最も信用するものだから、なおさら。
そっと鏡を撫でる。割れた部分に指を力強く押し付けると、ポツポツと血の玉が浮き出てきた。白い指先が赤く染まる。痛みは、ない。口元に手を近づけぺろりと舐める。それだけですぐに元通りになった。
カシャンと音を立てながら鏡を片付け、厚手の紙で包む。寮ではゴミ出しの日や時間は決まっている。午後8時以降のため、今は玄関先に放置しておくほかない。
「んー、よし! 学校行くか!!」
明るい声を出して、しっかりと鞄を持って。行ってきます、と一人
§§§
遠く、遠く空は青く。
見上げた景色にはちらちらと桜色が見える。そのうち桜も満開になるんだろうなと思うとお花見がしたくなってきた……お団子食べたいなあ。お腹空いてきた。残念ながら今の私はおやつなんかは持っておらず、花束くらいしか手元にない。
体育館では全校生徒と全教師が、あとはケヤキモールの人とか学生寮の管理人さんたちとかの関係者たちも集結しての卒業式が行われ。そして、何事もなく終了した。
私たち在校生が体育館を追い出されてる今、中では謝恩会が開かれている。卒業生とその保護者が先生方を
この謝恩会には本校の全教師が強制参加ということで、生徒会は彼らの代わりに体育館付近で見張り役をやることになっている。卒業生の出待ちをする在校生も多いんだけど、たまに羽目を外し過ぎちゃう人がいるらしいのだ。
「桐山副会長。あの雲、センザンコウみたいな形だと思いませんか?」
「なぜ松かさ状の
2人組でのお仕事ということで今日の私のペアは桐山副会長。鬼龍院先輩と同じBクラスの人だ。奇人変人が多いクラスと自クラスのことを評しており、その筆頭が鬼龍院先輩らしい。うん、まあ否定はできない。彼いわくそれ故元々AクラスだったのにBクラスに落とされてしまったのだとか。南雲会長との争いに鬼龍院先輩は一切手を貸さなかったとのことで、両者の溝はだいぶ大きい。ともかく真面目で南雲会長の失脚を狙ってる人だ。
冬休みに堀北先輩がカピバラ麻呂と彼との間を取り持ったそうだけど、2人とも南雲会長になにかしてる様子はない。実は堀北先輩の言ってた協力者って別の人を指してたんだろうかって思うレベルだ。いや、桐山副会長でたぶん合ってるはず……!
生徒会の主要メンバーとしては桐山副会長の他に書記の
3月時点で南雲会長の在籍するAクラスのクラスポイントは1491ポイント。桐山副会長の在籍するBクラスが889、Cクラスが280、Dクラスは76ポイントとなっていて、今回の特別試験でAクラスとそれ以外の差はさらに開いたらしい。完全にAクラスの独走状態だ。南雲会長が学年全体を支配してる以上、仕方ないことなのか。
あ、ちなみにその南雲会長は現在一之瀬さんと生徒会室で待機している。私情を仕事に挟んでるよう思われるのだけど気の所為だろうか。
一之瀬さんたちのクラスと私たちのクラスは特別試験で戦ったばかりだから、気まずいだろうとそこを切り離す配慮を見せてくれてるのかも……いや、私情ありありな気がするなあ。
「学年末の特別試験で勝利を収めたと聞いた。ひとまずはおめでとう、と言っておこう」
「ありがとうございます」
桐山副会長よ、褒めてくれるならもうちょい明るい表情で言ってほしい。あともっと盛大に褒め称えてほしい。
「一之瀬たちとは接戦だったようだな」
「ええ、4勝3敗ですからね。もっとも、ADクラスの戦いのほうも勝敗数は同じ結果に落ち着いたらしいですけど」
「AD……か。堀北先輩と体育祭のリレーで争った綾小路という男と、坂柳理事長の娘との戦いだったと耳にした」
「はい。下馬評通り坂柳さんの勝ちで終わりましたから、結局Aクラスとのクラスポイントの差は詰まりませんでした」
キャロルvsカピバラ麻呂の勝負はキャロルが勝利。3勝3敗で途中まで拮抗してたものの、最後の種目『チェス』でリンリン+カピバラ麻呂はバットジャスティス+キャロルのクイーンサクリファイスからのチェックメイトに敗れたとのこと。きっとすごいハイレベルな頭脳戦だったんでしょうな(小並感)。
キャロルもチェスでカピバラ麻呂と白黒つけられて満足そうだった。だからかはわからないけど勝ったときの条件は履行しないと言っていた。つまりたっつーとカピバラ麻呂の恋愛関係についての噂が流布されることはないというわけだ。命拾いしたな、2人とも。
キャロルの次なる目標は打倒!月城理事長代理らしくメラメラと燃えていた。どうやって倒すつもりなんだろう……? 謎だ。
理事長や理事長代理が学校関係者と連絡を取るときに使う電話番号とメルアドは先生たちみんな知ってるし、関係者への配布資料等にも載っている。生徒会役員である私も当然知ってるから、前に坂柳理事長のを、最近月城理事長代理のをキャロルに教えたのだが……大丈夫かな。月城理事長代理に迷惑メール送りまくったり嫌がらせしてないかちょっと心配になる。
しかし月城理事長代理にはプロテクトポイント保持者へは勲章バッジをあげようぜ計画とかに関してメールを送ったのに、未だに返信が来てないんだよね。やはり忙しいのだろうか。
謝恩会には月城理事長代理も参加していることだし、体育館から出たところを捕まえようかと私が考えていると、桐山副会長は悔しさを目に浮かべつつ口を開いた。
「どちらの試験も4勝3敗に終わったということは1年生の実力差が軽微だということだろう。プロテクトポイントにより退学者も出なかったとは、羨ましい限りだ」
2年は南雲会長の一強だからね。うちの学年はどのクラスにもリーダーがいて、その下に実力者も揃ってる。今年度の
しかしこの口ぶりだと2年では退学者出たっぽいな。うーむ、ご愁傷様です。まあ1年でもたっつーが負けてりゃ退学だったけどさ。よかったよ、普通に祝賀会が開けて。ただ、毎年内容は違うだろうけど試験の規模感は大体同じものになるでしょうし、来年度私たちも受けると思うとちょっと気が重いや。
「Dクラスには堀北先輩の妹がいるが、今回は陣頭に立たなかったようだな……もし彼女が綾小路の代わりとなっていれば、Aクラスに勝てていたと思うか?」
「運も絡んできますから難しいところですけど、今回綾小路君の『司令塔』としての采配には特に問題は見受けられなかったと思います」
「ならばいずれにせよ坂柳が勝つ、か」
桐山副会長はリンリンとカピバラ麻呂の実力を気にしているようだ。南雲会長への対抗馬として、という感じなのかな。
うーん、ぶっちゃけ南雲会長みたいな色々と総合力が高いタイプはうちの学年にはいないと思うんだよね。キャロルは運動、体力面が駄目だし一之瀬さんは甘すぎるのが玉にキズ。たっつーは人望と信用力がないしリンリンはリーダーとしてまだまだ未熟。葛城君も真っ直ぐすぎるしロックは唯我独尊、カピバラ麻呂は自称事なかれ主義だからなあ。
南雲会長に総合力で匹敵するのはやっぱ堀北先輩くらいだろう。桐山副会長も優秀だけど、南雲会長にははっきり言って劣る。鬼龍院先輩は本人も言ってたけど統率力に欠ける。
南雲会長、
「学年を超えての争いについてお考えなのですか?」
「それもある……のかもな。おまえたち下級生の実力は決して無視できるものではない」
しかし南雲会長に届くものではない。そんな諦観の声が聞こえた気がした。
桐山副会長は遠く遠くを見つめる。
「身の振り方を考えるべき時か……」
小さく呟く彼の目に映っているのは、堀北先輩の信念を受け継ぐ道なのか。南雲会長に完全に屈服する道なのか。
鬼龍院先輩曰く後者っぽいし、南雲会長にも察されているどころか情報をすっぱ抜かれてすらいそうだけど、まあ頑張るなら頑張って欲しい所存。
応援してますよーとにっこり微笑んだら顔を背けられた。私、この人に微妙に鬼龍院先輩枠の扱いを受けている気がするんだよな。何故じゃ。今もつけている生徒会の腕章を作ったのがいけなかったんだろうか……でも格好いいじゃないっすか!
それから。3年生の担任以外の先生は時々席を外しているようで、何度も出入りがあった。2年Aクラス担任の
体育館
3年生は最大4月5日までの滞在を認められている。すぐに学校を出る人もいるが、数日留まって
危険行為をする悪い子はいねが〜と周囲を軽く警戒しつつ、私は卒業生の1人、お団子頭の可愛らしい先輩に話しかけに行った。
手に持つ花束を渡す。
「橘先輩、ご卒業おめでとうございます」
「あ、ありがとうございますっ」
同じ生徒会役員だったとはいえ、ほぼ入れ違いでの就任だったためあんまり接点のない私を橘先輩は笑顔で迎えてくれた。優しい。
私が彼女を祝うことになったのは消去法である。林間学校で橘先輩は南雲会長の奸計によって危うく退学にさせられそうになったのだから、2年生メンバーが祝うのは流石にアレだ。一之瀬さんも生徒会の中では南雲会長側だったし……というわけで私に白羽の矢が立った。ちょっと申し訳ないな、うん。
「堀北先輩の答辞、素晴らしかったですね」
「はい! 本当に感無量でした」
花が咲くような、弾けるような笑顔だった。堀北先輩とは3年間、クラスでも生徒会でもずっと行動を共にしてきたのだから喜びもひとしおなのだろう。
橘先輩と楽しくお話ししているうちに、少し離れた場所から独特の空気感が漂ってきた。目を向けるとそこには2人の男子生徒の姿が。細身の身体にさらりとした黒髪、シャープなメガネをかけた生徒──堀北先輩と、金髪でチャラそうな外見に胡散臭くも爽やかな笑顔を浮かべた生徒──南雲会長である。周りには桐山副会長、
元生徒会長と現生徒会長、対立していた2人が仲良く握手しているのを不思議な気分で眺める。
「仲直りの握手?」
「喧嘩していたわけではないと思います……」
橘先輩は苦笑しつつ言った。
「たぶん、あの2人にしか分からないものがあって。『男の子』だけのノリって言うんでしょうか。ちょっと妬けちゃいますね」
彼女のその横顔からは、南雲会長への恨みは見受けられなかった。どうして、と疑問に思う私に気づいた橘先輩は説明を加えてくれる。
「堀北くんはずっと、ずっと。一人で戦ってきました。同級生とも、2年生とも。一人で周りのすべてを相手にしてくれていたんです」
だからAクラスとして卒業できた。それは誇らしいものの、申し訳なくもあるようで。先輩は複雑な表情を浮かべる。
「私たちAクラスの生徒が足を引っ張ってしまって。だから失わなくていいクラスポイントも、プライベートポイントもたくさん失って。いつも自分を犠牲にして仲間を守ってきてくれたんです。林間学校の時だって、私がもっとしっかりしていたら……」
言っているうちに、連帯責任として退学宣告を出されたあの瞬間を思い出してきたのだろう。じわりとにじみ出た涙を橘先輩は慌てて袖で拭った。
「南雲くんのことは正直許せませんし、本人も私に許してもらおうとは思ってないと思います。でも、堀北くんに認めてほしいっていう彼の気持ちはすごくよく分かるんです」
私だって、と呟く橘先輩は完全に恋する乙女の顔をしていた。あ、甘酸っぱい……。
「この3年間、堀北くんはずっと学校のことを考えてきていました。これからどうするのか、ということは京楽さんに言うことができないんですけど、私は堀北くんと一緒の道を進みます。どうも南雲くんも進路を合わせてくるつもりみたいで……ただ、学校の外でなら今度は堀北くんと南雲くんが手を取り合うなんてことがあるかもしれませんし、そうなったら嬉しいです。南雲くんの力はきっと堀北くんの助けになりますから」
なるほど、橘先輩は本当に堀北先輩のことが好きなんだなあ。思わず顔が緩んでしまう。ちょっと意地悪めいた気持ちで口を開いた。
「この学校って、Aクラスで卒業すれば何でも希望の就職先に進めるって話ですけど……」
「はい」
「就職先:お嫁さんとかできるんですか?」
「そうですね────」
先輩は一瞬考え込む素振りを見せたあと、一気に赤面した。可愛い。
「ち、ちちち、違いますからね! 私の希望はそれではなく……べ、別に嫌ってわけじゃないですけど、あ、あの、その!」
慌てふためく先輩。うーむ、可愛い。たぶん今の私はすっごくニヤニヤしてる。
「年上をからかわないでくださいっ」
「すみません、つい」
だってこんなにも愛らしい。うん、橘先輩のキュートさが罪だと思うの。
「コホン。京楽さんなら告白の一つや二つ、いえ四つ五つはされたことがありそうですし、『お嫁さん』を選べるかはご自分で確かめてください」
少しすねた感じで橘先輩が話題を振ってくる。すごくタイムリーな話だ。
「残念ながら一回だけです。それにどうも私はそういったことに
「……龍園くん、とかですか?」
何ということを言うのか。私はぶんぶんと勢いよく首を横に振った。全力で否定する。
「あれは、あれだけはないです」
「世の中、フラグというものがありますよ。絶対に付き合わないと思っていた2人が付き合うのは、往々にしてよくある話です」
「う……それは、まあ確かに」
手痛い反撃を食らってしまった。うん、少女漫画とかによくあるパターンよな。でもそれならリンリンとたっつーのほうが近いような……そう思ってふと辺りを見渡すと、リンリンと南雲会長、それにカピバラ麻呂と朝比奈先輩の4人が何やら話し込んでいる姿が目に入った。たぶんリンリンは兄である堀北先輩に会いに来ていたんだろう。
「そういえば彼と、堀北くんの妹さんの間にもフラグが立っているんでした」
私に合わせて彼らに視線を移した橘先輩がぼそっと呟く。ほほう。そいつは聞き捨てならねえ。
「彼って綾小路君ですか?」
「は、はい」
しまった、という顔で橘先輩が肯定する。ふっふーん、聞いちゃったもんね!
「内緒ですよ。堀北くんが以前少し話題にしていたんです。私にはあまりそうとは見えなかったですけど……彼には、堀北くんに認められるだけの力があるようです」
しーっと人差し指を唇にあてて橘先輩は話した。ふむふむ、やはり堀北先輩はカピバラ麻呂とリンリンの交際を認めていた……? カピバラ麻呂周りの人間関係がまた複雑になってきたぞ。
うーむと唸る私に、橘先輩は綺麗なお辞儀を見せる。
「生徒会の先輩として私が何か残せたかはわかりませんが、これからの京楽さんの学校生活がより良いものであることを祈っています」
「ありがとうございます。橘先輩もどうかお元気で」
嬉しそうに破顔した先輩は想い人のもとへと駆けていく。うんうん、やっぱり堀北先輩の側には橘先輩がいないとむしろ違和感があるよね。
後輩からのたくさんの花束に囲まれる先輩たちの光景は幸せそのものといった様子で。
「あれが『愛』かなあ」
ぼやきつつ、私は他の先輩のところへ向かうことにした。