ようこそ享楽至上主義の教室へ【特殊タグ無し版】   作:アネモネ

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普通の人々は時間をつぶすことに心を用い、才能ある人間は時を利用することに心を用いる。

 3月26日。春休みも初日である。

 

 この休暇の大半を部屋でのんびりと過ごすつもりの綾小路清隆だったが、どうも他の生徒たちの過ごし方は異なるようだ。チャットを見る限りでは綾小路グループの面々も活発に遊ぶ様子に見える。しかし綾小路はあまり顔を出す気はなかった。今回の春休みにおける優先順位において、彼らとの交流というものをそう高い位置には置いていないためだ。

 

 綾小路が第一に目指すものとは、軽井沢恵への告白を成功させること。時期は春休み終盤となる予定だ。

 

 軽井沢を通じて恋愛を学習する。彼女を異性という名の教科書にすると言ってもいい。これだけだとその対象が軽井沢でなくともいいように聞こえるが、この恋愛はもう1つ重要な意味を持つ。

 

 今の軽井沢は綾小路に寄生して生きている。しかしこのままでは遠からずダメになる。彼女を成長させることでそれを阻止するためには、恋愛というステップが必要になってくるのだ。

 

 今日、軽井沢を呼び出し、綾小路がククリと仲睦まじくおしゃべりしているところを見つけさせるのもその布石。「ちょっと嫉妬するかどうか試したかった」と、後の告白の際にはそう言って綾小路が恋に不器用であるとアピールすることになるだろう。

 

 考えつつケヤキモールに向かい、中のカフェに入ると待ち人は既に到着していた。

 

「ハロハロ麻呂君」

 

 店内はかなり混雑しており、テーブル席は全て埋まっているのだが、ククリはその一つを上手く確保出来ていたようだ。ソファに座ってのんびりと雑誌を読んでいる。綾小路は彼女に礼を伝えてから、その向かいの椅子に腰を下ろした。

 

「早く着いたのか」

 

「うん。先輩のお別れ会が思いの外はやくお開きになってさ」

 

「何かトラブルでも?」

 

 卒業生による問題、といえば林間学校の時の高円寺と南雲のやり取りがまず頭に浮かぶ。卒業生からのポイント譲渡の話でも出たのだろうか。考えを巡らせる綾小路であったが、事実はかなり異なっていた。

 

「ええと、そうだなあ。『裸踊り』というワードだけ告げておくよ」

 

「……ああ」

 

 はしゃいだ卒業生(在校生とは思いたくない)が羽目を外し過ぎたようだ。大方、教師に見咎められてしょっぴかれることにでもなったのだろう。綾小路は即座にこの記憶を抹消することにした。無駄なことに割く脳の容量が勿体ない。

 

 幸い、ククリのほうもすぐに話題を変えてくれた。

 

「時間つぶしに雑誌見てたんだけどね。占いとかも載ってて面白かったよ。麻呂君は10月20日だから……天秤(てんびん)座か」

 

 彼女は目を伏せ、ページをめくると、該当する占い結果を謎のハイテンションで読み上げ始めた。

 

「天秤座のアナタはバランス感覚に優れた人です。自由を求める一方で、自分の本心を隠すちょっとミステリアスな一面も? 総合運は良好◎ 金運は低めです。恋愛に発展の兆しアリ? 仕事・勉強運は最高潮! どんな願いでも叶いそうな予感!! でもちゃんと努力は欠かさないようにね☆ ……だって」

 

「なるほど。しかし大抵の物事は努力すれば叶うんじゃないだろうか。この場合、叶わなかったとしても努力が欠けていたということになりそうなものだ」

 

「うーん、そこらへんはなあ。バーナム効果ってやつだよ。誰にでも当てはまりそうなことを思わせぶりに言うことで、自分にだけ当たってるって信じさせるヤツ」

 

 意外とシビアに捉えているらしい。確かに例えば「あなたは今、人間関係で悩みを抱えていますね」という問いかけをされれば誰でも大なり小なり心当たりがあるように、占いにはバーナム効果が用いられることも多い。占い師はその豊富な経験や注意深い観察力を使って、何気ない会話から相手の情報を引き出し「私はあなたよりもあなたのことをわかっている」と思い込ませる話術であるコールドリーディングも併用して的中率を上げていることだろう。

 

「ククリの誕生日は9月9日、乙女座だよな。どんな内容だったんだ」

 

「んー、乙女座のアナタは完璧主義者のロマンチスト? 献身的で、非凡な美的センスの持ち主です。総合運は普通○ 金運はそこそこ、だけど恋愛については運命の人が現れるかも? 仕事・勉強運はイマイチ。結果が出なくてもめげないで! ……いや結果が出なけりゃめげますよそこは」

 

 ククリは果たして献身的なのか。まあ所詮占いは占い、と綾小路は思考を片付けた。というのも馴染みのある声が背後から聞こえてきたのだ。

 

「クッソー、やっぱ混んでるなー。テーブル席空いてないのかよ」

 

 綾小路の正面にいるククリが「およ」と顔を上げる。

 

「池君と篠原(しのはら)さんか」

 

 明るく元気なお調子者である池寛治と、軽井沢や佐藤、松下たちと仲の良い女子である篠原さつき。2人とも綾小路のクラスメイトだ。無人島試験では対立しているようだったが、冬休みに上級生に絡まれた篠原を池が機転を利かせ助けたことで彼らの距離は縮まっていた。

 

「ここでいいよな?」

 

「うん、いいけど」

 

 カウンター席に座る2人は昔の険悪さからは考えられないほど親しげな様子だ。しかし何故かククリは少し困ったような表情を浮かべていた。

 

 綾小路がその理由を問う前に、彼女は笑顔に戻ると元気よく彼らへと話しかけた。

 

「こんにちは、池君、篠原さん。奇遇だね」

 

 呼ばれた2人がパッとこちらを向く。

 

「あ、綾小路!?」

 

 池が綾小路の存在にばかり驚いているのは、憶測になってしまうがこの場で篠原に告白しようと考えていたからなのかもしれない。同じクラスの男子にその様子を目撃されるのは何よりも辛いことだろう。はじめから選択肢に入れてはいなかったものの、告白の時は公共の場を絶対に避けようと綾小路は誓った。

 

「……え、もしかしてククリさんと綾小路くんって付き合ってるの?」

 

「あはは、残念ながら違うよ。そちらのお二方は?」

 

「こっちもよ。池とは別にそんなんじゃないし」

 

 ククリはその答えを聞いてわずかだが笑みを深めていた。どうやらこの2人に声をかけたのはその仲を邪魔しようという意図があったようだ。相変わらず理由は読めないが。

 

「そ、そうだぜ。いいか、勘違いすんなよ綾小路! 別にこんなブス、俺だって何とも思ってねーし!!」

 

「はあ? 誰がブスよ誰が!」

 

「おまえしかいねーだろ!」

 

 両名は席についたばかりにもかかわらず、それはもう勢いよく立ち上がった。周囲からの「何だ何だ?」という視線にも気づいていない様子だ。

 

「あー、気分悪くなっちまったなぁ」

 

「私のほうがよっぽど気分害したんですけど。せっかく時間を作ってやったっていうのに」

 

「は? こっちは春休みも暇そうなおまえに仕方なーく声をかけてやったんだよ」

 

「なにそれ。最っ低!」

 

 いがみ合いながらどこかへ去っていく2人に、ククリが「ごめん……やりすぎた……」と小さく呟いていた。ちょっと話しかけただけでここまで効果てきめんなのは予想外だったらしい。その気持ちは分かる。

 

 どうした、と綾小路が目で問うと彼女は苦笑して口を開いた。

 

「うちのクラスの小宮君て覚えてるかい?」

 

「もちろん。須藤の暴力事件の時に石崎と一緒にいた、バスケ部の生徒だよな」

 

 付け加えるなら一時期は綾小路グループの尾行もしていた。

 

「そ、そ。彼がね、篠原さんのこと気になってるらしいんだよ」

 

「ほう」

 

 正直なところ綾小路は彼らの恋路に興味はない。ただ、篠原と池が仲違いしたままではクラスの雰囲気が悪くなるので困るという程度の認識だ。

 

「ほら、本校の部活って半ば趣味ってか、やっぱ特別試験が優先ってとこあるでしょ? 小宮君もたっつーにこき使われてるせいで練習に出れないことも多かったんだけど……そのぶん、遅くまで体育館に残って練習したりすることが多いらしいの。んで、偶然通りかかった篠原さんが彼の頑張ってる姿を見て自分が料理部で作ったお菓子あげたりして、それで仲良くなったんだってさ」

 

「よくそこまで知ってるな」

 

「うちのクラスにゃ気軽に相談できるような人あんまいないからね。私んとこ来るんよ」

 

 なるほど、と綾小路は龍園クラスのメンバーを思い浮かべてみる。龍園は何かを相談できる相手ではないだろう。むしろ皆龍園についての相談をしたいはずだ。伊吹は相手として悪くはないが、そもそも相談に乗ってくれるか怪しい。ひよりは……浮世離れしたところがあるので特にこういった恋愛沙汰では的確な答えが返ってくるのか微妙だ。アルベルトは日本語で話してくれないからダメ。石崎は何か不安だ。葛城がクラスに馴染めば相談役にぴったりだろうが、加入したばかりの今はまだ厳しいに違いない。金田、近藤あたりはあまり情報がないため判断しかねるものの、まぁククリのほうが相談しやすそうではある。

 

 龍園君に関しての苦情なんかも来るんだ、と中間管理職のような哀愁を漂わせるククリを精一杯励ましていると、彼女はポンと手を叩いて別の恋愛話に水を向けた。

 

「ああ、そういや他にも野村君が佐藤さんのことちょっと気になってるとか言ってたっけ。いいの〜?」

 

 ククリたちのクラスメイトである野村について綾小路はあまり知らないが……他の生徒と同じで龍園に従う男子ではあるものの、特別素行や成績が悪いとは聞かない。外見も至って普通。性格や能力、容姿に問題はないとなれば、あとはフィーリングだろう。

 

「オレがどうこう口出しする話でも無いさ」

 

 佐藤のしてくれた告白を、こちらは断った。新しい恋を見つけるも見つけないも彼女の自由だ。

 

「逃した魚は大きかったってなるかもじゃない?」

 

「かもな」

 

 人並みの学校生活を送る、という点ではバカな選択だろう。しかし。自らを守るため、万が一の保険として、汎用性の高い軽井沢を使いこなすためには。佐藤を振り、軽井沢のメンタルを安定させる必要があった。

 

 結局。誰かを好きになってみたいと、思いはすれどもその瞬間は訪れないままだ。

 

「いや、釣った魚に餌をやらないってことのほうが懸念されるのか……?」

 

 ぶつぶつと独り言をひとしきり続けて満足したのか、ククリは居住まいを正した。

 

「んーと、話が二転三転しちゃったけど、ま、そういうわけで私は小宮君のこと応援してるのだよ。池君のほうはぶっちゃけあんま知らないしね」

 

「そこは自由にしていいと思うが、オレとしては同じ理屈でどちらかと言うと池の味方になるぞ」

 

「うーん、麻呂君は恋愛事情では敵にならなそうだけど……」

 

 ひどい言い草である。綾小路は一応反論しておくことにした。

 

「ククリだってあまり変わらないだろ。おまえが『好感度が高い』としているのはオレにというよりオレに付随するものについてだ。違うか?」

 

「違わないよ。うん、そうだね」

 

 ククリはさらっと認めた。あどけない笑顔だ。そこに色恋めいたものは全く(うかが)えない。

 

「麻呂君はすごいなあ。よし、ククリちゃんポイントを5点あげよう」

 

「貯めると何が起きるんだ?」

 

「なんとバッグがもらえます!」

 

 意外と即物的だった。謎のポイントシステムである。

 

「何点で交換かは知らないが龍園なら結構貯まってそうだな」

 

「あの人、昔バッグあげたのにゴミ箱行きにしたんだよね。『呪具だと思った』とか供述してた」

 

 ちなみにこのバッグにはククリの描いたイラストがプリントされている。今は家に保管されているけどもしポイント貯まったら卒業後に渡してあげるよ、と説明された綾小路は自身が学校を去れば二度とククリに会えることはないだろうと思いつつも首を縦に振った。

 

 綾小路はククリのある意味突出した絵の才能を知らなかった。もし知っていれば龍園に賛同し、念のため受け取りは断固拒否していたこと間違いなしである。

 

「ところで、一つ尋ねたいことがあるんだ」

 

「うむ、苦しゅうないぞ」

 

 綾小路が顔を近づけると、その意図を察したらしくククリも顔を寄せてきた。2人で内緒話をする体勢になる。

 

「昨日、ひよりと話した際にオレがXであるという指摘を受けたんだが、何か知っているか?」

 

「え? いや、そっちは知らないな」

 

「そっち“は”?」

 

「むー、間違えた。そっちも!」

 

 ククリはXの正体が綾小路であることをひよりではないものの誰かに話したらしい。平田か堀北あたりである線が濃厚か。

 

 どのみち、目立つ動きをしてしまった時点で綾小路のことを知る生徒が少しづつ増えていくのは避けられないのだ。気にする必要はないだろうと結論づけた。

 

 しかしそうなるとひよりは自力で綾小路と見抜いたことになる。少し彼女の評価を変えなければいけないらしい。

 

「えーっと、うん、そうだ! 実は私も気になってたことあるんだよね。どうせだし1年の振り返りみたいなのしない?」

 

 ククリは失言を誤魔化したいらしく、別の話題を提供してきた。特に断る理由もない。

 

「構わないが」

 

「ありがと。そんじゃ最初は……中間試験か。ね、過去問手に入れたのって桔梗ちゃんじゃなくて麻呂君じゃない?」

 

 綾小路は小さく頷く。

 

「やっぱか〜。何ポイント使った?」

 

「1万5千ポイント、だったな」

 

「おー。お買い物上手ですな」

 

 元々上級生からは3万ポイントを提示されていたのを綾小路は言葉巧みに値切った。故にククリの反応も間違ってはいないものの、どこかズレてるように感じる。

 

「そっちは……ククリか? 龍園か?」

 

「私だよ。何となく4月の小テスト前に入手しといたんだよねえ。それからクラス全体に共有したのはたっつーだけど」

 

 『何となく』の精度が無駄に高い。しかし入手は本当に龍園ではなくククリの功績だったか。綾小路は彼女への評価をまた一段階引き上げた。

 

「それで、そのあと須藤(なにがし)の点数買って赤点回避させたでしょ」

 

「驚いたな。そこまで調べているとは」

 

「龍園君がX捜索の前に桔梗ちゃんからDクラスの情報をいっぱい聞き出してたからね。そのなかにあったんだよ。中間試験で須藤某の英語の点数が1点足りなくて退学処分になったはずなのに、茶柱先生の意地悪だったのかリンリンが何か魔法でも使ったのか有耶無耶になったって。そっから龍園君はXの関与という推測をしたみたい。ちなみにいくらだったの?」

 

 茶柱の話からすれば、試験の点数の金額は常に変動している。いや、もしかするとあれ以降は一律で購入不可となっている可能性すらあるのだ。別に隠しておく必要もなかった。

 

「1点10万ポイントだ」

 

「へえ。Dクラスは5月のクラスポイント0だったのに払えたってことはちゃんとポイント節約してたんだね。偉いなあ」

 

 堀北と綾小路は毎月10万ポイントが配布されるというのを早くから疑い、そのため結構なポイントを残していたのだ。2人とも友達がいなくて浪費の機会がなかったということも大きかったであろうが……悲しい事実である。

 

「須藤某の裁判ではリンリンも麻呂君も頑張ってたっけ。懐かしいや。あ、佐倉さんのストーカーを片付けたのももしかして麻呂君の仕業かな?」

 

 綾小路が首肯すると、ククリは「うむうむ」と納得した様子だった。

 

「お次の無人島試験! リンリンの陰で麻呂君、大活躍だったよねえ」

 

 あのあたりの時期から綾小路は担任教師に脅されていた。Aクラスに上がる協力をしなければ、茶柱は綾小路の父の要求に従い自分を退学させると。12月に綾小路の父が来校したためその嘘は露見し無事に解放されたが、それまで綾小路は茶柱を満足させるべくあえて協力姿勢を見せ、細々ながらクラスに貢献する努力をしAクラスに上がるための手を幾つか打ってきたのである。

 

「運の要素も大きかった。島内で龍園と橋本の2人が会っている場面に遭遇していなければAクラスとCクラスのリーダーを当てる確証はなかったな」

 

 龍園が無人島に残っていることは、浜辺で遭遇した際に彼の近くにあったタオルの不自然な膨らみ、そして伊吹が無線機を持っていたこととそれが結びつき見当をつけていた。よって綾小路が龍園の所在などをそれとなく探っていると、橋本が彼にAクラスのリーダーが戸塚であることを明かしているのが耳に届いたのだ。当時は葛城派と坂柳派が争っていたのが原因だろう。龍園がリーダーという証拠は無かったが、島に残っている以上は彼自身がリーダーである可能性が最も高かったし、2人がしていたリーダーに関する会話もその推測を後押しした。

 

「うえっ!? そんな決定的な瞬間を目撃してたんだ……やっぱカピバラ麻呂って逆に強運なのかなあ」

 

 それは違う、と綾小路は考える。

 

 綾小路の運が良ければ茶柱が担任になることも、例年とDクラスの状況が異なり性格に難はあれど能力の高い生徒が揃っていることもなかったはずだ。坂柳理事長が綾小路の入学希望を受け入れてくれたことには感謝するが、Dクラス所属としたのは悪手だった。茶柱は一見、クラス間抗争に興味もなければクラスへの愛情もない無気力な教師に見える。しかしその実誰よりもAクラスを──下剋上を狙っているのだ。

 

 一昨日の謝恩会の時間、監視カメラのない応接室にて綾小路は茶柱、真嶋、そして好奇心からか同席してきた坂柳とある話をした。月城の特別試験への不正な介入によって綾小路は坂柳に敗北してしまったのだという真実。月城は綾小路を退学させようと目論んでおり、担任教師2人にはその抑止力となってほしいという要求は、概ね聞き入れてもらうことができた。

 

 Aクラスの2人が入室する前、茶柱と綾小路は少しだけ言葉を交わした。4月からは本気でAクラスを目指すつもりだ、という宣言はあくまでも彼女が月城側につくなんてことにならないための、綾小路という存在はDクラスにとってプラスであることのアピール。ある程度の効果は見込めるに違いない。堀北の成長にも目を見張るものがあることだし、と思考した綾小路はふと無人島試験での疑問を思い出した。

 

「そういえばリーダー当ての際、堀北の名前を龍園は書かなかったな」

 

「リタイアを確認した私が船から無線機で、ね」

 

 なるほど、予想していた回答のうちの一つだった。他にも手段は思いつくとはいえ面白い策だ。防ぐのも困難であり、称賛に値する。保険をかけるような慎重なやり方は龍園らしくなかったが、ある意味ククリがいるからこそ採用したのだろう。

 

「無人島では龍園がAクラスと取引していたな。試験専用のポイントで購入した物資の代わりにプライベートポイントを得た。合ってるか?」

 

「キャロルに聞いたわけでもなさそうなのにその推理力、流石だねえ。うん、たっつーは契約でAクラスから毎月プライベートポイントを徴収してたよ。もう破棄しちゃったけどね」

 

「葛城の移籍のため、か」

 

「ご明察!」

 

 容易く正答を出す綾小路の洞察力と推理力にククリはしきりに頷いて感心していた。

 

「干支試験では龍園の一人勝ちだったな」

 

「よく言うよ。兎さんグループの優待者だったKちゃんは、Aクラスが裏切りミスったおかげでプライベートポイントゲットしたでしょ」

 

「おまえたちのクラスの得た報酬に比べれば微々たるものだ。しかし自信をなくすな、あの時は一之瀬にも優待者は軽井沢と見抜かれていた」

 

「いやー、みんな頑張ってたと思うよ? あれだね、まさに狐と狸の()かし合いって感じだったね」

 

 狐と狸の化かし合い、つまり悪賢い者が互いに騙し合うこと。どうやらククリは人を動物に例えるのが好きなようだ。

 

「ロックは狐でも狸でもなさそうだけど……ともかく、彼に優待者の情報聞けたのも大きかったかも」

 

「よくあの高円寺を制御できたものだな」

 

「ちゃうちゃう、気まぐれだって。ま、賞賛票で借りは返したけど……もしかしたらそういうのを計算しての手助けだったのかもなあ」

 

 後の特別試験にて他クラスの助力を得ようという算段があった、というのも高円寺のことだから否定はできない。つくづく予測不可能な男だ。綾小路にも高円寺を制御できるイメージは全く湧かない。坂柳や龍園も同じだろう。

 

「学校に戻ってから、ケヤキモールでの占いの一件の時。ククリはオレを探っていただろ? おそらくは伊吹をも利用して」

 

「ありゃ、バレてたんだ」

 

 ククリがテヘ、という感じの可愛らしい仕草を見せる。

 

「あの時既に真鍋さんから脅迫者の話は聞いていたからさ。麻呂君の占い結果も気になったし、丁度いい機会だと思ったんだ」

 

「エレベーターに閉じ込められている間は特に顕著だったな」

 

「麻呂君、暑いの苦手でしょ? あの灼熱のエレベーターでならボロを出すかと思ったけど、そうも甘くもなかったね〜」

 

 伊吹からどう見えていたかはわからないが、綾小路とククリは当時腹の探り合いをしていた。写真の話やDクラスのリーダーの話など、心当たりがあれば反応してしまいそうな語句をククリはそれとなく会話に織り交ぜていたものだ。

 

「体育祭は……体育祭だったよね、うん」

 

 龍園の策略と綾小路の策略がぶつかり合う行事だった。綾小路にとって唯一予想外だったものとしては、やはり体育祭終了後の特別棟での出来事が挙げられる。

 

「この目で見るまでは坂柳とククリの繋がりは考えていなかった」

 

「それ言うならキャロルと麻呂君が幼なじみってことのほうがびっくり仰天だったよ」

 

「おまえと龍園の付き合いの長さには負ける」

 

 実際、綾小路側に坂柳と幼なじみという実感はない。小学校が同じだった2人へ贈るほうがよほどふさわしい称号と言えるだろう。

 

 ククリはそんなことはない、とでも主張するようにゆるゆると首を左右に振った。

 

「ペーパーシャッフルでは退学を条件に桔梗ちゃんと勝負するなんて思い切ったことしてたっけ。あれもびっくりしたなあ」

 

「その節は助かった」

 

「うむ、どういたしまして。また退学を懸けるなんてことにならないように気をつけなよ?」

 

「気をつけるが、保証は出来ないな……」

 

 何せ理事長代理という権力者にロックオンされている身である。綾小路は今この学校で一番退学に近い生徒と言っても過言ではない。

 

「退学と言えば終業式の日、屋上での龍園君たち対麻呂君の戦いも熱かったね。ハブとマングースの戦いを彷彿(ほうふつ)とさせたよ」

 

「ここは東京都なんだが」

 

 ククリにとってはこの学校の屋上は沖縄なのだろうか。謎である。あと堀北も無人島で「平田の補佐をやるならマングースと芸をしたほうがマシ」とか失礼極まりない冗談を口にしていたが、そうなると平田と綾小路はマングース仲間ということになるんだろうか。実際のところマングースはハブの天敵というわけでもないし、希少種を食い荒らす外来種として駆除対象にすらなっていることを踏まえると、何かの皮肉にも感じてしまう。

 

 3学期の混合合宿やクラス内投票、つい先日行われた最終試験の話などもしているうちに、時間はあっという間に過ぎていった。

 

 端末の画面をつけてみると時刻は15時55分を示している。頃合いだろう。綾小路はさり気なく店内をさっと見渡してから、わざとらしく壁にかけられた時計を見つめた。

 

「んー、結構長居したね」

 

 その視線に気づいたククリは綾小路が望んでいた動きを見せる。帰り支度を始めた彼女を前にして、綾小路は改めてこの1年間に思いを巡らせた。

 

 春が訪れ、天然石を連結加工した造りの正門をくぐり抜け。夏は過ぎ、秋を迎え、冬も終わり。また春がやって来た。

 

 この学校で四季の全てを経験し、暑くなる季節を心待ちにする綾小路は夏が1番好きなのだろう。そのせいなのか、夏の青空が最も綺麗に輝いていたように思えるのだ。

 

 窓から見える春の空を眺める。空の青さはどこでも共通だと言う。この景色は在学中でも、卒業して敷地外で見上げるものも変わらないのだろうか。いずれは白い、どこまでも白い部屋に戻る綾小路には一生わからないことだ。

 

 この学校に入って、綾小路は普通の学生生活を送りたかった。紆余曲折あって真面目にやらなければいけない時もあったが、どこにでもいる一般生徒として過ごそうと決めてきた。

 

『清隆。よく覚えておけ。力を持っていながら、それを使わないのは愚か者のすることだ』

 

 必要な記憶を取捨選択し保存しており幼児期健忘すら無縁な綾小路は、真実か否かはともかく一つの興味としてこの言葉も覚えている。あの男を好きではないと感じ始めた瞬間の出来事は、あまり思い出したくもないが。

 

「愚か者……なんだろうなぁ、オレはやっぱり」

 

 独りごちた自分に、ククリはふわりと微笑みかけた。どうやら聞こえていたらしい。

 

「それだったら。私のほうが、享楽にふける愚者だよ」

 

 バーナム効果のようなものだ。誰だって自らのことを愚かしいと考えることくらいあるだろう。けれども、その言葉は妙に頭に残った。彼女自身が綾小路とはまた違った『力』を隠しているからなのかもしれない。

 

「最後にワンポイントアドバ~イス!」

 

 席を立ったククリは明るく告げる。

 

「女の子を怒らせちゃったときは誠心誠意、土下座すれば許してもらえると思うよ? ハグでもまあOKかな」

 

 彼女の瞳は店内にいる軽井沢の姿を捉えていた。どのタイミングからなのかは不明なものの、綾小路が自分を利用していることをククリはしっかり理解しているのだろう。

 

 にこにこと屈託なく笑う彼女は確かにクラスの相談役にふさわしい、頼もしい様子に見えて。綾小路はとりあえず「ありがとう」と軽く頭を下げた。

 

 

 

 

 §

 

 

 

 

 

 軽井沢恵は戸惑っていた。午後4時にカフェ、と言われたからちょっと早めに来てやったのに、呼び出した張本人である綾小路は何故か他クラスの女子とイチャイチャしていたのだ。

 

 京楽菊理。思えば綾小路と彼女は干支試験の時から親しげだった。ククリ、と下の名前で呼ぶのはもちろん、一緒に遊んだりよく話したりと2人の距離はかなり近い。

 

 綾小路は軽井沢のことも「恵」と呼ぶし、仲良くしてるグループのメンバーは男女問わず長谷部や佐倉のことも波瑠加、愛里と呼んでいる。それに、誰と親しくしてようが綾小路の勝手。まだ約束の時間でもないのだから軽井沢が文句を言う筋合いはない。理屈としては、そうだ。

 

 ククリは自分とは全く異なるタイプの子である。ああいう子が好きなのかな、と考えると苛つくような、チクチクと胸が痛むような。もやもやした、とても変な気分になる。

 

 何となくすぐ行く気にはなれなくて。軽井沢はククリが去ってしばらくしてから、綾小路のもとへと足を進めた。

 

「……で、何の用なわけ?」

 

 どうしてもぶっきらぼうに話してしまう。そんな軽井沢のことを気にしていない様子で、綾小路はソファ席のほうを指し示した。

 

「ひとまず座らないか」

 

 ────そこ、さっきまで別の女が座ってた席でしょうが! 

 

 どうしてかひどく不快になって、思わず席を睨んだ軽井沢は慌てて視線を外した。綾小路と話しているように見えるのは危険だ。

 

「あたしとお茶してるとこなんて見られてみなさい。絶対変な噂立つから」

 

「何か問題が?」

 

「ありもあり、大ありよ。あんたは全っ然わかってないみたいだけど、この狭い学校で不用意に異性と接触したらすぐに噂になるもの」

 

 綾小路についてはともかく、ククリのことを注視する人は一定数いる。あながち嘘というわけでもない。軽井沢が感情のまま言葉を吐き出してることもまた、否定はできないが。

 

「結局さ、用件は?」

 

「忘れた。申し訳ないが思い出してからまた連絡する」

 

 ────昨日から準備させといてそれ? 

 

 キレそうになるのを必死に抑える。これはアレだ、何らかの事情で言えなくなったとかそんなことなんだと軽井沢は自分に言い聞かせた。というかそれ以外にないだろう。普段から必要なことを最小限かつ的確に話す綾小路みたいな人間が用件を忘れるはずがない。たぶん、きっとそうに違いないのだ。

 

「何それ。滅茶苦茶すぎるし……じゃ、帰るから」

 

 ため息を吐いて、その場をあとにした軽井沢はいつもよりゆっくりめで歩いていく。綾小路から何か言葉が発せられることもない。呼び止められるかな、という淡い期待はあっさりと打ち砕かれた。

 

「……ほんっと。何なのよ、あいつは」

 

 腹が立つ。自分を振り回してくる綾小路に。そしてそんな彼の一挙一動に振り回される、自分自身に。

 

 

 

 ──このときの軽井沢は予想だにしていなかった。春休み終了間近になってから、綾小路が自分を部屋に呼び、そこで告白されるなんて甘い未来が待ち受けていることを。さらにそのずっとあと。自分を変える、大きな出来事が訪れることを。

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