ようこそ享楽至上主義の教室へ【特殊タグ無し版】   作:アネモネ

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Quit while you're ahead. All the best gamblers do.

「まだ眠いな……」

 

 3月28日、朝。そこまで早い時間というわけでもないが、春休みである今はついつい夜ふかししてしまいがちだ。橋本(はしもと)正義(まさよし)欠伸(あくび)を噛み殺しつつ寮の外へと足を踏み出した。

 

 寮では部屋やロビーは勿論、廊下にまで冷暖房が完備されている。故に敷地内では外との寒暖差というものを感じやすい。少し冷たい風を肌に浴びながら考えるのは、今日呼び出してきた『お姫様』のこと。

 

 坂柳有栖。幼くも美しい外見、杖をついているという特徴、何手も先を読む頭脳は人々の耳目を集めてやまない。Aクラスを指揮する彼女の側近というポジションを橋本は確保済みだ。だが、そこに信頼関係があるかと問われればもちろん違う。坂柳は橋本や神室といった側近にも隠して行動することだって多い。最近のことで言えば、橋本は葛城の移籍については寝耳に水だった。試験当日は突然教室から机と椅子が一組消えており、ひどく驚かされたものだ。

 

 だからといって橋本を信用しきっていない坂柳側ばかりに問題があるわけでもない。むしろ橋本に信を置いていないということは彼女の優秀さを表している。何故かといえば単純な話、橋本は二重スパイの真似事もしているのだ。果たして坂柳がそれをどこまで掴んでいるのかは不明だが。

 

 Aクラスは盤石である。はじめは坂柳と葛城のリーダー争いが起きていたものの、1年間きちんとAクラスをキープしてきた。しかし坂柳の能力と気まぐれに()るところが大きく、坂柳が落ちればAクラスが崩れるのは自明の理。

 

 橋本にとって重要なことは、最終的にどのクラスが勝ち上がろうと自らがAクラスで卒業できること。そのために各クラスとパイプを繋ぎ、坂柳の傘下としての諜報活動にも励んできた。葛城、龍園、神崎、時には一之瀬など何人かの生徒を尾行してきたし、会話することもあった。

 

 今のところ橋本はAクラスに被害が及ぶような情報はまだ流していない。だが、必要となればクラスを、坂柳を裏切ることも躊躇わない。自分が勝ち馬に乗ること以上に優先すべきことなどないのだから。

 

「坂柳を倒せるヤツ、となると。やっぱあいつか」

 

 龍園翔。Bクラスの頂点に立つ男であり、橋本にとっては乗り換え先の第一候補である。早い段階から台頭してきた、不気味な強さを持った人間。坂柳を凌駕(りょうが)する可能性すらある存在だ。

 

 橋本は入学当初から龍園に目をつけ、関係性を構築してきた。無人島試験や体育祭の時などは坂柳の指示でAクラスの情報を渡したし、それ以外でも林間学校など橋本の独断で龍園と何度か接触している。

 

 実際、龍園クラスのクラスポイントはAクラスに迫ってきているのだから、橋本の考えは正解と言えるだろう。龍園との関係を保つのが最も大切であり、他のクラスは一歩も二歩も劣る。そう思って橋本はこれまで、鞍替えする相手としては龍園のクラスにしか興味を持っていなかった。しかし今は事情が異なる。葛城の移籍によって視野を広げる必要が出てきたのだ。

 

 葛城に対し、橋本は坂柳からの命令によって何度も攻撃を仕掛けた。当然、心証は悪い。葛城と龍園が打倒坂柳を目標として共闘するに至ったのならば、橋本が入り込める余地は少なくなったとみるべきだ。もちろん葛城も自らの感情よりも坂柳に勝つことを優先させるだろうが、そこを踏まえても橋本を歓迎するとは考えづらい。

 

 可能性が(つい)えたわけではないので龍園との関係は維持したままにしているものの、橋本は他クラスにも手を伸ばすことにした。神崎隆二(りゅうじ)。寡黙で控えめな性格、頭もよく仲間思いな男であり、一之瀬の参謀かつ右腕な彼と利害関係の一致によっては手を組める状況にしたのである。

 

 2日後、3月30日には神崎のオーダーにより橋本は彼と龍園と3人での密談を行う予定だ。どう転ぶかはさておき、面白い話になることだけは間違いないだろう。

 

 B・CクラスはそうとしてDクラスはというと、正直なところ橋本はあまり魅力を感じていなかった。もちろん平田、櫛田といった人気者とはある程度の関わりを持っているものの、0ポイントを脱却してもなお彼らのクラスポイントはAクラスに遠く及ばないのだ。それでも、全クラスと繋がることで確実にAクラス行きの切符を手にするべく、種は()いておくつもりだが──────

 

「どうも気になるンだよなぁ」

 

 綾小路清隆。特別良い噂も悪い噂も聞かない、平凡な男子生徒である。しかしDクラスの中でも名の知れた平田や櫛田、堀北といった生徒たちより、何故か橋本は彼のことが気にかかるのだ。

 

 一応、理由はいくつか存在する。とはいえ確信にまでは至らない。綾小路の情報を持っているであろう人たちが、どいつもこいつも簡単に口を滑らせるような生徒ではないためだ。

 

 体育祭の時に綾小路は堀北元生徒会長とリレーでの直接対決をしていた。あれは、彼が綾小路のことを買っているから行われたのではないか。現生徒会長の南雲はそう考えていると、林間学校の夜に偶然出会った際発言していた。冗談だったのか、本気だったのかは分からない。堀北元生徒会長の否定する様子も自然だった。しかし橋本の第六感は囁いた。綾小路を調べてみるべきだ、と。

 

 よって橋本は林間学校の後、綾小路を付け回し探りを入れた。それにより分かったことは2つ。

 

 1つ目は、綾小路はおそらく見舞いのため一之瀬の部屋のある階へと足を運んでいたということ。龍園の流した噂によって彼女は登校しない日が続いていた。綾小路の交友範囲は狭いものの、一之瀬は学年でも屈指の人気を誇る生徒。しかも船上試験の時には2人とも同じグループだった──京楽、あとは裏切りミスを出した森重もメンバーにいた──と記憶している。さらに一之瀬は文句なしの美少女だ、下心を持って訪れていたとしてもおかしくはない。

 

 だがこれはあくまでも推測に過ぎない。寮のエレベーター内にはカメラが設置されており、ロビーにあるモニターでその映像を見ることができる。橋本がじっと眺め入ったところ綾小路は一之瀬のいる階で降りていったため彼女の部屋に行こうとしたと思われるだけで、確証はないのだ。

 

 2つ目はバレンタインに軽井沢が綾小路へチョコをあげたということ。当人たちは「綾小路は仲介役であり、軽井沢が本命に渡してもらうために託しただけ」と主張していたが、真相は不明だ。ともかく綾小路と軽井沢に繋がりがあることはクラス内投票の時に情報が漏れていたことからしても間違いない。

 

「それに……」

 

 坂柳の一連の行動にも綾小路の影がちらついていた。

 

 クラス内投票ではAクラスの賞賛票を綾小路へと投じさせたし、最終試験での種目『チェス』の勝負は高レベル過ぎてもはや異次元の対決と言うべきものだった。

 

 坂柳はチェス好きであり、橋本も前々から何度も彼女の遊びに付き合わされている。特別試験のための特訓の時には短期間に集中して対局を繰り返した。故に、橋本は坂柳のチェスの腕については他の誰よりも詳しいだろう。そんな彼の出した結論。

 

 ──坂柳とチェスで拮抗する綾小路は、異常だ。

 

 最終的には敗れたとはいえ、綾小路が非凡な才を有していることは迷いなく断言できる。もちろん、チェスというゲームの一分野において優れているからといって、坂柳と張り合える頭脳を持ち合わせているとは限らない。それは重々承知している。

 

 だが。司令塔として綾小路がインカムで指示を出し、堀北がそれに応え駒を動かす姿は。橋本のある推測と重なるものだった。

 

「無人島試験から、綾小路は裏で暗躍していた」

 

 堀北を陰から支え、操り。Dクラスを導いていた存在かつ、龍園が12月頃躍起(やっき)になって探し回っていた相手。高円寺との一件では龍園に容赦なく蹴り飛ばされたこともあり、橋本はその痛みとともに当時の状況をよく覚えている。

 

 冬休み以降、あんなにしつこかった龍園のDクラスへの攻撃はぱったりと止んだ。それすらも綾小路の仕業だったとしたら? 

 

 今思えば林間学校の男子風呂で綾小路──『キング』をあの勝負の場に引きずり出したのも龍園だった。2人の間に何らかの関係性が構築されているとしてもおかしくはない。

 

 坂柳と龍園が色濃く漂わせる勝者の匂いとでも言うべきナニカを、橋本は綾小路からも時折感じるようになった。

 

 しかし綾小路はなかなか尻尾を掴ませない。元生徒会長も生徒会長も、坂柳も龍園も、軽井沢もそして綾小路自身も情報を落とすことはなかった。チェスで戦った際には堀北へ揺さぶりをかけたものの、これも失敗に終わっている。

 

 ならば別の生徒に尋ねてみよう。そう考えた橋本は今、ある人物を待ち伏せていた。彼女の行き先は橋本と同じなのだ。適当に偶然を装えばいい。

 

 いくらか時間が経ってから、待ち望んでいた足音が聞こえてきた。

 

 物陰から覗くと、春らしいコートに牧歌的な雰囲気を漂わせ歩く少女の姿が確認できる。

 

「よ、京楽ちゃん。おはようさん」

 

「わ〜、びっくりした! おはよ、橋本君」

 

 声をかけられた彼女は特に不信感は抱いていないようだ。良く言えば天真爛漫な、悪く言えばアホっぽいククリは何も考えてなさそうに見える。しかし橋本は知っていた。坂柳が話していた彼女の中学時代のエピソードからすれば、ククリは間違いなく曲者(くせもの)だ。楽しければそれでいい、という享楽主義な一面を持ってるらしい。

 

 どのクラスが勝っても自分が救済されればいいとする橋本と同じで、ひどく利己的な性格。だからこそ橋本は彼女を自分の駒に、あるいは情報提供者に仕立て上げられるかと思い船上試験では告白の真似事をして試してみたところ、さらりと断られた。これでも橋本は女子から好感を得られるよう振る舞っているし、実際バレンタインには本命チョコをいくつかもらったりもしたのだが。やはり一筋縄では行かない相手だ。

 

 ちなみに橋本はクラスメイトの神室を結構気に入っており度々アピールしているものの、これもまたスルーされている。

 

 今日も坂柳がわざわざ側近を同席させた上で会おうとしていることからして、ククリがこの学年でも重要な生徒の一人であるのは疑いようもないだろう。

 

「まだ待ち合わせまで結構時間あるのに、偉いね」

 

「俺の他はレディーばかりだからな。待たせるのは悪いと思ったんだ」

 

「あれ、ファルコンもいなかったっけ」

 

 ──ファルコン? 

 

 橋本は珍しく言葉に詰まった。そんなアメコミヒーローか何かのコードネームみたいな呼ばれ方をされている人物には心当たりがなかったのである。

 

 しかし彼女は坂柳のこともキャロルと呼ぶようなヤツだ。高円寺のリトルガール呼びとは異なり坂柳から受け入れられてはいるからいいものの、祝歌、賛美歌や小鳥の(さえず)りといった意味を持つ「キャロル」を一体どんな趣旨があって選んだのかは謎に包まれている。

 

 とりあえず、あだ名ではあるのだろう。橋本はその優秀な頭を働かせた。ファルコン、日本語だと(ハヤブサ)。つまり、おそらく彼女が言っているのは……

 

鬼頭(きとう)、か」

 

「? うん」

 

 鬼頭(はやと)。男子にしてはやや長めの髪である橋本や龍園よりも長い彼の癖のある髪と、独特な顔つきはどこか不気味な雰囲気を放っている。坂柳の護衛や荒事担当としての役割の都合などで普段鬼頭とは一緒にいることが多い橋本だが、親しいわけではない。むしろ、坂柳に忠実な彼のことを橋本は常に警戒している。そんな間柄だ。

 

「でも今日のメンバーはほら、女子が姫さんに真澄(ますみ)ちゃんに京楽の3人、対して男子は俺と鬼頭の2人。となると女子のが多いだろ」

 

 まあそれもそうだね、とククリは頷いた。

 

 集合場所であるカフェはそこまで遠くはない。橋本は雑談を切り上げて本題に入る。

 

「京楽は綾小路のこと、知ってるか?」

 

「カピバラ麻呂なら仲良しさんだよ」

 

 ──カピバラ麻呂? 

 

 何故カピバラなのか、とか麻呂がつくのか、とかツッコみたい気持ちを橋本は抑えた。いちいちそこで止まっていては話が進まないのだ。

 

「いや、最終試験でのチェスの腕前が見事でさ。つい気になってんだよ」

 

「そっか。うーん、でも私もそんな詳しくはないけど……最終試験といえば、ピアノ弾けるって言ってたな。『エリーゼのために』の演奏は出来るらしいよ。あとバイオリン、それに書道や茶道の経験もあるって」

 

 Dクラスの提出した種目には『ピアノ』があった。橋本は平田がピアノを弾けることは知っているためそれが理由で種目に入ったのだとばかり思っていたが、綾小路のことも要因だったのかもしれない。とはいえ「エリーゼのために」はそこまで難易度の高い曲ではない以上、綾小路のピアノの力量は不明瞭だ。

 

「意外と多才なんだな」

 

「何かお稽古ごとでもいっぱいやってたのかねえ」

 

 確かに綾小路の新情報は得られたが、求めているような類いのものではなかった。橋本は気を取り直して別の問いを投げかける。

 

「龍園と綾小路の関係を、俺は怪しんでるんだが……」

 

「え、な、何で?」

 

 分かりやすすぎるくらい分かりやすく動揺したククリに、橋本はこれ幸いと畳み掛けていく。

 

「林間学校の男風呂での行動が引っかかってな」

 

「石崎君もTレックスがどうのとか言ってたけど、結局そこで何が起きたの!?」

 

「悪い、知らなかったのか」

 

「逆にどうして私が男風呂での出来事を知ってると橋本君は思ったのかを聞きたいよ……」

 

 龍園から聞いていると思ったのだ。ちなみに橋本は坂柳に多少言葉をぼかした上できちんと報告した。坂柳はしれっとしていたものの、神室は「セクハラだ」と言って顔を赤くしておりとても可愛かったことをしっかり記憶している。

 

「と、ともかく、カピバラ麻呂とたっつーはそんな仲じゃないから。たぶん。あれだよ、最終試験の時なんて一之瀬さんの前で龍園君、南雲会長とカピバラ麻呂のBL本音読してたくらいだから!」

 

 謎の情報だった。今すぐゴミ箱にぶちこみたい程度にはいらない情報だった。

 

「待て待て待て。ひどい認識の齟齬を感じる」

 

「……橋本君は龍園君とカピバラ麻呂が付き合ってるんじゃあないかと思ってるんだよね?」

 

「ああ、そうだな。もちろん違う!!」

 

 そんな意味で言ったのではない、と説明するのにはかなりの労力を要した。加えて、横恋慕しているのではという疑念を晴らす必要まで生じてしまい、橋本の精神にとてつもない苦痛が与えられる。

 

 彼にとって不幸なことは、以前坂柳が「私が勝った場合は『龍園くんが探していたのは綾小路くんでありその理由は恋い慕っているから』という噂を流す予定です」とククリに告げていたことだった。故にククリは橋本が坂柳から何か吹き込まれたのではないかと考えたのだ。あと、男風呂というワードも良くなかった。

 

 ともかく、橋本は悟った。諦めた、とも言う。

 

 ──こいつから俺が望む情報を引き出すのは、無理だ。

 

 非常に賢明な判断である。

 

 

 

 

 

 

 ケヤキモールの北口に着いてしばらくすると、時間より早くに5人全員が集まった。Aクラスの生徒たちは坂柳から突然呼び出されることも多いため、こういった待ち合わせには慣れている。遅れるなどという醜態を晒すことはない。

 

 普段の休日であればケヤキモールは10時にオープンするが、長期休暇中はその一部が1時間前から営業している。9時ちょうど、固く閉ざされていた自動ドアが開放されると、一行は目的地である2階へ向かった。

 

 階段を上り入ったそこは規模の小さなカフェであるものの、開店したばかりなせいか客はまばらだ。1階のカフェのほうが人が集まりやすいという理由もあるのかもしれない。女性陣は悠々と席を決め、いつもより数段明るい声でスイーツを注文していく。朝食代わりにするらしい。

 

「最終試験はお互い、勝ててよかったねー」

 

 パンケーキにメープルシロップをたっぷりとかけながらの発言であった。一応、付き合いでシュークリームを頼んだだけの橋本は「女子ってのは甘いもん好きだよなぁ」とぼんやり眺める。

 

 会話の中心は坂柳とククリ。それ以外の3人、橋本・神室・鬼頭は話を振られた時に答えるくらいで、出しゃばるようなことはしなかった。鬼頭は元々口数が少ないし、神室もお喋りをあまり得意としない。橋本は話術に長けているほうだが、ここは空気を読んで黙っておく。情報を仕入れるのに集中したい、ということもあった。

 

 橋本が見る限りでは、坂柳は普通に会話を楽しんでいるようだ。しかし彼女の演技力は一級品。その腹の内を推し量ることは難しい。

 

「こちらは自らの選んだ種目で勝利しただけのこと。むしろ勝っていなければおかしい、と言えるものでしょう。相手の種目で勝ちを拾ったククリさんたちのほうが素晴らしいですよ」

 

「えへへ、そうかな。ありがとう!」

 

 何故坂柳がこの場を設けたのか。橋本は考察する。

 

 ただ話したいだけなら、寮の固定電話を使うなり端末を使うなりすればいい。会って話したかったにしろ、橋本たちまで呼ぶ必要はないはずだ。そうなると。

 

 ──2人の仲のアピール、か? 

 

 ククリは坂柳が側近を引き連れて会合するような存在であることを、ククリ自身に、周りの生徒に、そして側近である橋本たちに強調する。

 

 本来であればククリはAクラスの敵だ。彼女のクラスは最終試験でAクラスと同数の勝ちを収めたため、2クラスのクラスポイントの差はそのままになっているが、いつ逆転されるか分からないくらいの数値である。

 

「ククリさんのお世話する花壇は見てみたいですね」

 

「いつでもどーぞ。最近は植木鉢を置いて野菜なんか育てたいとも思ってるんだよねえ」

 

 好戦的な坂柳は龍園を間違いなく敵とみなしているだろう。では、ククリのことはどうか。

 

 あの山内の時のように単なる利用対象としているのか。それとも敵と思っている上でこうして友好的に振る舞っているのか……あるいは。

 

 ──味方に引き込む。龍園が葛城を移籍させたように。

 

 クラス内投票の際、坂柳は葛城に対して「Aクラスのポイントを全て足しても2000万ポイントには届かない」という旨の発言をした。しかしこれは偽り、もしくはとある取引を隠しているためだと橋本は知っている。この時、坂柳はクラスメイトの中でも自らに忠実な者たちからポイントを集め、およそ400万ポイントほどを一之瀬に貸し出していた。この取引によってAクラスの総プライベートポイント数が2000万ポイントを下回っている可能性があるものの、あれが無ければ余裕で超えることが出来たはずなのだ。

 

 Aクラスのクラスポイントは高い水準を保っている。今はもう破棄された龍園との契約により月に2万プライベートポイントを送らなければいけなかったが、そこは優等生タイプの多いクラス。我慢しすぎることがないよう趣味などにポイントを消費することはあれど、皆きちんと貯蓄もしている。クラスメイト全員からポイントを回収すれば2000万は固いだろう。

 

「絵といえば、応接室にある絵画は確かルーベンスだっけ?」

 

「ええ、『東方三博士の礼拝』のレプリカです」

 

 他クラスから優秀な生徒を引き抜く。葛城の場合が例外なだけであって、普通は『A』の地位にあるクラスしか成功させるのは厳しい。その点、坂柳が率いているのはAクラス。交渉が上手くいく可能性は高い。

 

 あくまでも橋本の推理。だが、坂柳は神室と同じくらいにはククリを気に入っているような様子であるのだから、そう的外れではないはずだ。龍園への牽制や嫌がらせにもなることだろうし。

 

 向かい側に座る女子たちのトークに耳は傾けつつ頭では別の考え事をしていた橋本の横を、一人の女生徒が通っていった。

 

 隣のテーブルの席へ腰掛けた彼女のその優れた容姿も、風変わりとすら言える独特の雰囲気も異彩を放っている。すらりと長い足は黒タイツに包まれており、ゆったりと組み替える仕草にはつい目が奪われてしまう。凛とした、威風堂々としたオーラは誰かを連想させるものだった。

 

「楽しそうにしているな」

 

 どこか()ねたような、面白がっているような声に反応したククリがそちらへ顔を向ける。

 

「メープル先輩!」

 

 にぱっと笑ったククリの呼びかけに彼女は満足そうに頷いた。しかしそれに反比例して逆側、坂柳が御機嫌斜めとなっていくのが橋本には手に取るように分かった。

 

「鬼龍院楓花さん、でしたか。会話に割り込むのは無粋な行為だとは思いませんか?」

 

 坂柳の口元は弧を描いているが、目は笑っていない。氷のような微笑を、しかし鬼龍院は意にも介さなかった。

 

「君こそ、先輩は敬うべきだ。だろう?」

 

「時と場合に応じた振る舞いは身につけています。あなたが敬われていないと感じるのでしたら、それはあなたに欠けているものがある、ということに他なりません」

 

 バッチバチの攻防である。どうやら彼女たちはあまり相性がよろしくないようだった。あるいは、鬼龍院が声をかけたタイミングが悪かったのかもしれない。

 

「ふむ。まあいい。さて、京楽。ここのミルフィーユは一見一食の価値があるぞ」

 

 そう言って鬼龍院は器用にもフォークを差し出していた。今にも崩れそうなミルフィーユを救出すべくククリは急いでそれを(くわ)える。

 

「あ、ほんとだ。とっても美味しいですね」

 

 もきゅもきゅと食べる様子は微笑ましいものだったが、隣のブリザードは恐ろしいものだった。坂柳の機嫌が急降下している。

 

「ショートケーキとフルーツタルトのほうが美味しいですよ」

 

 ショートケーキは坂柳の注文した品だが、フルーツタルトは神室の皿を奪っていた。今日のお姫様は普段よりちょっぴり横暴らしい。

 

「ククリさん、『あーん』してください、『あーん』」

 

「フフ、(ひな)に餌を与える親鳥の気持ちが分かるな。ほら、いい子だ。口を開けて」

 

 美少女2人に挟まれ、奪い合われるという光景が目の前に広がっている。それなのにちっとも羨ましく感じないのはククリの表情が「こうなると自分で食べたほうが楽だし早いような……」と訴えているからかもしれないし、彼女が「とってもフォアグラな気分……」と呟いていたからかもしれない。フォアグラは特別に肥らせたガチョウの肝臓なので、ガチョウな気分とするほうが正しくはあるだろうが。

 

 やがて皿が空になっても、2人の勝負は終わらないようだった。メニューを眺め次なる得物(スイーツ)を選んでいる。昼食前にもかかわらずククリの胃は甘味で満たされそうだ。

 

「ククリさんは何か、食べたいものはありますか」

 

 その坂柳の問いは、何てことないものだった。そのはずだった。しかし、

 

「んー、橋本君の食べてるシュー・ア・ラ・クレームが美味しそうだな〜とは思ってた」

 

「はい?」

 

「ほほう」

 

「なるほど」

 

 流れ弾が飛んできた。視線が自分に集まっているのが分かった橋本は、たらりと冷や汗をかく。抜け目なく新たに注文したガトーショコラを堪能中の神室は肩を震わせていた。自分も他人事だったら一緒に笑えたのに、と羨ましく思う。鬼頭は気遣わしげな視線を送ってくれていたが、助け船を出すつもりはないようだ。いや、出したくとも出せないのだろう。どうやらここは自分で対処するしかないらしい。

 

 橋本はすっと手を挙げた。降参(リザイン)、という意味ではない。彼女たちは橋本が投降しようが気にせず攻撃を加えてくるに違いないのだから。

 

「すみません、シュークリームを追加で2つ……え? あ、3つお願いします! 出来る限り早くしてもらえるとありがたいっす。いやマジで、本当に」

 

 必死な橋本の願いを、店員はきっちりと聞き届けてくれた。

 

 その後、どんな事態が引き起こされたのかは語るべきではないだろう。いや、思い出したくもない。ただ。

 

 ──3人とも、綺麗に切り分けるなぁ。

 

 フォーク・ナイフ遣いが巧みだ、と橋本が現実逃避気味に考えたことだけは、確かだった。

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