ようこそ享楽至上主義の教室へ【特殊タグ無し版】   作:アネモネ

75 / 89
時はよく用いるものには親切である。

「あんた、それ何?」

 

 ど直球な伊吹の問いかけに、ククリはきょとんとした顔を見せた。

 

「うーん……名前?」

 

 ボウリングではモニターに表示される名前を自由に設定できる。伊吹は普通に本名でやろうとしていたのだが、ククリは【孟徳斯鳩】という読むことすら出来ない漢字にしようとしていた。

 

 孟、徳と来るあたり中国語の単語か何かだろうか。首を傾げる伊吹に対し、椎名は迷う様子もなくさらっと告げた。

 

「三権分立、ですか」

 

「『法の精神』だねえ」

 

 うんうんと頷き合う2人。その言葉は伊吹も授業で習った記憶があった。

 

「モンテスキュー?」

 

「うん、せいか〜い!」

 

 なるほど、と伊吹はようやく理解した。どうやら【孟徳斯鳩】と書いてモンテスキューと読むらしい。誰が読めるかこんなの。何故椎名は知っているんだ、と伊吹は戦慄した。

 

「ちなみにモンテスキューとよくごっちゃになるジャン=ジャック・ルソー……と、似た名字のマルティン・ルターが今のボウリングの基本的なルールを統一したんだよ」

 

「それは他人って言うの。覚えときなさい」

 

 そもそもモンテスキューとルソーはフランス、ルターはドイツの人物だ。あとルターはこの2人より200年ほど前に産まれている。つまるところ、孟徳斯鳩(モンテスキュー)とボウリングには何の関係もなかった。

 

「とりあえず名前、変えない?」

 

 モンテスキューはジョン・ロックの影響を受けた人だし、と適当に話すと、名前でも何でも高円寺関連のものを避ける傾向にあるククリは「確かに」と納得したようだった。

 

「じゃあ田中(たなか)にするね」

 

「どうしてそう本名を避けるのよ」

 

 伊吹は思わずツッコミを入れた。

 

「個人情報保護の観点、かな」

 

「ここは学校内だし、そもそも生徒会役員のあんたの名前はかなりの生徒に知れ渡ってるから」

 

 むぐ、とククリは唸った。反論できないらしい。

 

「まあまあ。いいじゃありませんか、伊吹さん。ククリちゃんも『田中』を名乗りたい時があるんですよ。それが今だったんです、きっと」

 

「そんな時は永遠に来ないでしょ」

 

 それそれ、という感じでククリがブンブンと首を縦に振っていた。この2人のノリはどうもいまいち分からないことが多い。伊吹はため息を吐きつつも「まあいいや」と終わらせようとして────

 

「では私は田口(たぐち)にしますね」

 

 出来なかった。椎名までもが偽名を使うらしい。

 

「田中から一本棒を抜いただけじゃない……」

 

 こうなると、何故か伊吹だけが浮いてしまうことになる。本当に何故だか分からないが。

 

 椎名とククリは何かを期待するような、キラキラと輝く瞳でこちらを見つめてくる。うぐ、と今度は伊吹が唸る番になった。

 

 こういう打算も何もない、純粋な視線に伊吹はめっぽう弱い。ましてやこの2人は伊吹の数少ない友達であるのだから尚更だった。

 

「はいはい、日中(ひなか)にするから。これでいいんでしょ」

 

 伊吹は呆れつつも、自分が折れることにした。手を取り合いはしゃぐ椎名とククリを見ているとクスリと笑いが(こぼ)れる。頭は悪くないはずなのにこうも子どもっぽいのは天然だからだろうか。世話の焼ける妹でも2人、出来た気分だった。

 

「しっかし澪も(つう)だね〜。日中(ひなか)を選ぶとは」

 

「その通ってどんな判断基準なわけ?」

 

 ククリにしか分からない世界観が広がっているようだ。やっぱり世話が焼ける、と伊吹は再びため息を吐いた。

 

 ようやく名前を決めたところで、ククリが「そうだ!」と弾んだ声を上げる。嫌な予感がした。

 

「英語禁止ボウリングにしようか、どうせだし。いやあ、実は前に真嶋先生とかキャロルとかと英語禁止でトランプやって楽しかったんだよねえ」

 

「よくもまあ英語教師に喧嘩売る真似できたわね」

 

 Aクラス担任、真嶋智也(ともや)。担当教科は英語である。堅物(かたぶつ)と有名でありプロレスラーのような体格からも少々とっつきにくい教師なのだが、頭が良く担当教科以外の質問にも快く答えてくれるらしい。トランプで一緒に遊んでくれたということは、意外にも生徒との距離が近いのだろうか。

 

 というかまずキャロルは英語では、と伊吹が聞くと「名前はセーフ」との返答だった。まあ確かにそうでないとアルベルトあたりは参加しづらい。

 

「ボウリング用語なんて英語のオンパレードじゃないの」

 

「うむうむ。そこらへんはちゃんと考えてあるよ」

 

 ふっふーん、とククリがふんぞり返る。伊吹は口には出さなかったものの「こういう偉そうなとことか調子に乗りやすいとこ、龍園に似てる気がする……」と心の中で呟いた。本人が聞いたら憤慨間違いなしである。

 

「もともとボウリングは悪魔(ばら)いの宗教的儀式だったんだ。そんなわけでボウリングは悪魔祓い、ストライクは殲滅(せんめつ)、スペアは半殺し、ガターは深淵(しんえん)への(いざな)いにしよう!」

 

「このレーンだけオカルティックってか中学2年生の雰囲気になるんだけど」

 

 もう高校2年生になるというのに。非常にいたたまれない気持ちになる。

 

「あ、レーンは儀式の場って呼ぼうか」

 

「おい、私の話を聞けやコラ」

 

「そうですよククリちゃん」

 

「椎名……!」

 

 伊吹は救われた気持ちになった。椎名が自分を援護してくれるものだと思ったのだ。しかし、

 

「スペアは結局2投目でピンを倒しきっていますから、半殺しより2回攻撃のほうがいいかと」

 

「椎名……」

 

 わりとあっさりと裏切られた。彼女は伊吹の味方ではなかったようだ。あとスペア以外でも2回攻撃はしている気がする。

 

「ん、じゃあスペアは『苦難を乗り越え2連撃をした末での殲滅』でピンは『討ち滅ぼすべき悪魔』ということで」

 

「ということで、じゃないっ。まずもって長すぎるでしょ!」

 

 中二病とか言う以前の問題だった。伊吹は(たま)らずツッコんだ。

 

 結局、伊吹が押し切られる形で英語禁止ボウリングが始まる。2対1には勝てなかったのだ。

 

「英語を言ったときの罰ゲ……罰則はどうするの?」

 

「カラオケにさ、6つのたこ焼きの中に1個だけ激辛が入ってるやつがあるでしょ? 発言回数ぶんそれを注文、代金はもちろんその人持ちにしようか」

 

 カラオケは「空のオーケストラ」の略語だがほぼ日本語と化しているのでセーフ判定らしい。歌う部屋、とか言われても通じづらいという理由もありそうだが。

 

「……ま、分かった」

 

 ロシアンたこ焼きのハズレを誰が引き当てるかまでは分からないにしろ、口にも財布にも優しくはない。伊吹は気合いを入れて臨むことにした。

 

 投げる順番はククリが一番最初。彼女とボウリングに来るのは初めてな伊吹としてはその腕前が気になるところである。

 

「頑張ってください、クク……田中さん!」

 

「ありがとう、ひよ……田口さん。田中の名にこの一投を懸けるよ……!」

 

「全国の田中さんに謝りなさい。あと、そんな呼びづらいなら潔く諦めろ」

 

 椎名の言い方だと龍園のあの独特の笑いが頭に過ぎって嫌なのだ。変に言い直すくらいなら諦めてククリと呼んでほしいと伊吹は思う。その願いが届いたのか届いていないのか。椎名はにっこりと笑った。おそらく、残念ながら届いていないということだろう。

 

 そんな2人のやり取りはさておき。ククリは深呼吸するとボールを右手に取り、しずしずと前へ歩いていく。その双眸(そうぼう)は熱く燃えていた。

 

「トップをとってみせる……!」

 

「ククリちゃん、アウトです……って、あら」

 

「椎名も英語、使っちゃったか」

 

 2コンボが華麗に決まる。どうやら2人とも油断してしまったようだ。

 

「ところで」

 

 ついに投げるか、と伊吹が思ったところでククリはこちらを振り向く。

 

「私、悪魔祓い初めてなんだけど。玉の持ち方とかこれで合ってるかな?」

 

「あんた、ボウリングやったことなかったの!?」

 

 伊吹はずっこけた。堂々としているから経験者だとばかり思っていたのである。

 

「いぶ……日中さんも罰点1つですね。みんなお揃いです」

 

 さらに1アウトも喰らってしまった。不覚であった。

 

 聞いてみると椎名も本で読んだ知識しかないということで、伊吹が軽くレクチャーする。ちょっと、いやかなり不安になってきた心を伊吹は無視した。きっと大丈夫と自分に言い聞かせる。

 

 気を取り直して第1投。ポーズを取るククリを伊吹はハラハラしながら見守る。気分はもう保護者に近い。

 

「えいや〜」

 

 案の定、と言うべきか。ククリがよろけて踏鞴(たたら)を踏んだ。放たれたボールは当然のごとくあらぬ方向へ進んでいく。そのままレーンの脇の溝に落ちると、予定調和のように奈落へと吸い込まれていった。

 

 ガターだった。見事なまでのガターだった。モニターのスコア表にGの文字が刻まれる。

 

 初回であるし仕方のないことだ。そう、伊吹と椎名に慰められたククリは「力の制御が難しい……」とこれまた中二病な発言をしつつ、先ほどより重いボールを今度は左手で持った。繊細なコントロールにはこちらのほうが向いているらしい。

 

 ふんす、とやる気を見せたククリはファールラインに近づくと立ち止まり。そして、投げた。その結果は────

 

「クク……田中さんはまさしく『苦難を乗り越え2連撃をした末での殲滅』を果たされましたね」

 

「うん、そうだけどさ。その呼び方は諦めなさいって」

 

 ククリは2投目でピンを全て倒したものの、勝手に田中の名を懸けた1投目はガターだったのだ。田中の面汚しと言っていいだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ボールの重量選びがネックだったな……」

 

 カラオケで英語を禁止にしてしまうと何も歌えない。やっと英語が解禁された場にて、ククリはしょんぼりしていた。伊吹にスコアで負けたのがちょっと悔しいようだ。結果としては伊吹(日中)がトップ、ククリ(田中)が2位で椎名(田口)が最下位である。しかし伊吹は声高に主張したかった。

 

「あのね、あんたらのほうがよっぽどすごいから」

 

 フードメニューのロシアンたこ焼き。6個中1個が激辛のそれを皆で食べたのだが、伊吹以外は毎回ハズレがどれかを察していたのだ。もはやロシアンルーレットの意味が無い。椎名はその洞察力で、ククリは勘で当てていたらしい。伊吹は二度とこの2人とこうした賭け事めいたことはしないようにしようと誓った。単純に相手が悪すぎる。

 

「えへへ。たこ焼き、良かったね。たこパとかしても楽しそう。関西出身の人とかいないのかなあ。いたら絶対たこ焼き器持ってると思うんだけど」

 

「別に関西人みんながみんな、たこ焼き好きってわけじゃないでしょ」

 

「そんなことないもん。関西の人は絶対4月にたこ焼き器買ってたって。間違いないよ!」

 

 確かにこの学校には全国各地から生徒が集められるので関西出身の生徒もいるはいるだろうが、ククリの要望を満たせるかは怪しいだろう。少なくとも伊吹はそう感じた。

 

「たこ焼き器にチーズや苺にチョコ、お餅、わさびなどを入れても良さそうですね」

 

「いいねえ。イカとか海老、ソーセージに辛子なんかもぜひぜひ」

 

 不穏な具材も交ざっていた。伊吹はじとっとした目つきで2人を見やる。

 

「あんたたち、自分がハズレを引かない自信があるから言ってる?」

 

「ソンナコトナイヨー」

 

「ええ、もちろん違いますよ」

 

 露骨に明後日の方向を見る2人。どうやら図星らしい。

 

 これはまずいと思ったのか、ククリがちょっぴり話の方向転換をした。

 

「うちにもたこ焼き器あったな〜。あと、わたあめメーカーにソフトクリームマシンに流しそうめん機なんかも」

 

「祭りの出店でもやれそうなラインナップね」

 

「すごく楽しそうです」

 

「あはは、でも数回使ったっきりであとはしまいっぱなしなんだよねえ」

 

 残念なことによくあるパターンだ。買ったはいいが、それでわりと満足してしまう。買い物とは購入までの道のりが一番楽しいのかもしれない。ともあれ、便利なマシンたちは悲しい末路を辿ってしまったようだ。

 

 ククリは夏、羽なし扇風機にもはしゃいでいた。何となくワクワクできる家電が好きなのだろう。

 

「そういう類いのものですと、カフェにお邪魔した際はコーヒーメーカーなども目に付きますよね」

 

「格好いいよね、ああいうの。私はドリップバッグとかでしか淹れないから憧れるなあ」

 

 女子高生らしくカフェの新作ドリンクやらスイーツがどうの、といった話が繰り広げられた後。そういえば、と伊吹はあることを思い出した。

 

「何日か前に坂柳たちとカフェに行ったんだって? 龍園が写真を何枚か持ってたけど」

 

「盗撮じゃん。なにそれ、私のプライベートは何処(いずこ)へ」

 

 ククリ側には写真を撮った覚えも撮られた記憶もないらしい。なるほど、間違いなく盗撮である。とはいえ盗撮や盗み聞きなんかは龍園の常套(じょうとう)手段だ。このクラスの生徒にとってはそこまで驚くほどのことでもない。感覚が麻痺している、とも言う。

 

「両手に花だったと聞きました」

 

「メープ、鬼龍院先輩は後輩の私たちをからかって遊んでただけだよ。キャロルも売られた喧嘩は高値で買い付けるタイプだからさ。私は2人のおもちゃになってたんだ……」

 

 ふっ、とククリがニヒルに笑う。いつもは人を振り回す側の彼女が振り回されるとは珍しいものだ、と伊吹はその2人の所業に感心した。

 

「まあ先輩の場合、ケーキをくれたのは前の取引の礼も兼ねてたのかな。結構ポイント渡したから」

 

「過去問を譲っていただいた件ですか」

 

 そうそう、とククリが頷く。最終試験の筆記テスト対策の一つとして行われた取引だった。

 

「あれはありがたかったけど」

 

「はい、範囲の絞り込みに大助かりでした」

 

 筆記テストがあるならばその作成者が誰かということを突き止めれば有利になる、と思いついた龍園の発想力は素直にすごいと感じる。伊吹はあの男を心底嫌っているが、リーダーとしての素質は疑いようもない。

 

 ククリたちの盗撮も情報収集の一環ではあるのだろう。春休みにまで手下のクラスメイトを動かすのはご苦労と言えばいいのか、少しは休ませてやれと訴えるべきなのか。しかしその前に、伊吹はククリへ話しておきたいことがあった。

 

「坂柳に……何か、変なこと言われたりされたりはしてないわよね?」

 

 坂柳に龍園、綾小路を似た手合いと伊吹は認識している。非道とされるような手段も、平気で用いてくる。そんな連中だ。

 

 龍園が盗撮を命じたり現場を見張らせていたのだってククリの心配をしてのことだろう。心配、と言っても伊吹と龍園ではその内容が全く異なるに違いないけれども。

 

「大丈夫だよ」

 

 にこにことククリが微笑む。伊吹の心のうちを察したらしい。人を安心させるような笑みだった。

 

 だって、と彼女は言葉を続ける。

 

「本当の意味で私を傷つけられる人なんて、どこにもいないもん」

 

 その台詞は。ククリのいつもの冗談と片付けるには、どこか悲しげな響きを含んでいた。

 

 思わず彼女の手を取ると、椎名もそれに合わせて反対側の手を握る。

 

「実際はどうであっても、ククリちゃんが傷つくように見える事態になるだけで私たちは悲しいですよ」

 

 伊吹は椎名に同意するように大きく頷いた。少しの間、静寂が訪れる。

 

「そっか……」

 

 (おぼろ)げな、ふわふわした声。

 

 顔を背けたククリの、その表情は読めない。ただ。繋がれた手は、じんわりとした温かさを確かに伝えていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。