ようこそ享楽至上主義の教室へ【特殊タグ無し版】   作:アネモネ

76 / 89
金銭は人間の抽象的な幸福であるから、もはや具体的に幸福を享楽する能力のなくなった人はその心を全部金銭にかけるのだ。

 長かった……いやわりと短かったな。ともかく、春休みも今日で終わりを迎える。

 

 明日は始業式、そして明後日が入学式だ。つまり私たちが入学して丸一年が経とうとしているわけだ。時が過ぎるのは早いねえ。

 

 春休み最終日の今日、私たち生徒会役員は生徒会室に集合とのご通達をいただいている。

 

 と、いうことで。簡単に身支度を済ませ制服に身を包んだ私は校舎に着くと、1階にある職員室へ向かう。長期休暇中なだけあって校内は閑散としているものの、先生たちは何かとやることがあるようで忙しくしているみたいだ。いいことなのか悪いことなのか、教師の寮とここ(職場)は近いからね。生徒会室の鍵を取ろうと思ったところで一之瀬さんの姿が見えた。むー、先を越されたぽいっすね。くるっと軽やかにとんぼ返りを決めて退室する。

 

 そのまま少し待てば、すぐに扉が開いた。

 

「グッモーニン、一之瀬さん。鍵ありがとうね」

 

 私に続くように出てきた彼女に声をかけると、「どういたしまして」と辺り1キロくらいまでなら浄化されそうな天使の微笑みが返ってくる。ま、まぶしい。邪智暴虐の王・たっつーでもこの笑顔を見れば1ミクロンくらいは改心しようと考えるに違いない。

 

「おはよ、ククリちゃん来るの早いんだね。ちょっと驚いちゃった」

 

「えへへ、1年だからね。下っ端はさっさと行って待っとくほうがいいかなあって思ったのだよ」

 

「私もそんな感じだなー」

 

 おしゃべりをしながら4階まで上がり、【生徒会室】とスタイリッシュなネームプレートのある部屋へと入る。

 

 さっそく電気をつけた私は、南雲会長が大量に持ち込んでいる小物の一つである鏡を拝借した。部屋にある私物はちょっとくらいなら好きに使用していいと言われてるのだ。とっても便利。

 

 雑に()かしただけだった髪に、鏡を見つつ丁寧に櫛を入れてると。背後に気配が……! 

 

「よかったら私が結ぼうか?」

 

「いいの? わーい、お願いします」

 

 大天使ホナミエルは、もう皆がわかりきっていることとはいえ優しかった。妹さんがいるからか、一之瀬さん自身も綺麗な長い髪を持っているからか。慣れた手つきで髪を()ってくれる。

 

 茶柱先生とかKちゃんみたいなポニーテールを所望すると快く承諾してくれたので、ついでに手持ちのちょうちょのバレッタもつけてもらった。うむうむ、余は満足じゃ。ありがとうございますっ! 

 

 いやあ、この学校ヘアアクセの類いの校則はゆるっゆるだからね。髪型や私物の持ち込みなんかが自由なんだよな。キャロルは愛用の帽子をいつも被ってるし、リンリンやひよりんはリボンを使ってるし、カチューシャとか髪飾りをつけてる女子も多い。私もたまにはやってみたかったのだ。

 

 アクセサリーといえば……先日南雲会長と会った時はピアスっぽいのつけてたな。流石のあの人も耳に穴はあけてなかったはずなので、ノンホールピアスということなんだろう。ノンホールピアスとイヤリングの差とは何なのか。うーん、謎である。

 

 ま、それはさておき。春休み中は南雲会長だけでなく、他の生徒会の先輩たちとも顔を合わせる機会が何度かあった。3年Aクラス以外の人たちは堀北先輩を倒す手助けをしてもらったこともあってか、お別れ会に南雲会長たち2年生を呼ぶ卒業生も少なくはなかったのである。

 

 キャロルや平田君、桔梗ちゃんに柴田君とか同級生とももちろん遭遇したものの、こういうのに一番呼ばれてそうな一之瀬さんとはほぼ全く出くわすことがなかった。理由はわかっている。彼女自身が誘われても断っていたのだ。

 

 お別れ会のみならずクラスメイトからの遊びの誘いであっても申し訳無さそうに拒む一之瀬さんは、たまに顔を見かけても前より沈んだ雰囲気になっているように思えた。最終試験でうちのクラスに負けたことが尾を引いているのだろう。なんせ上位クラスとのクラスポイントの差を詰めるまたとないチャンスを逃してしまったのである。入学時はBクラスだったのをCクラスに落としたまま、というのもダメージが大きいに違いない。加えてクラス内投票の時のAクラスへの借金の返済も重くのしかかる。

 

 一之瀬さんのメンタルは強いほうだと思う。人に親身になるというのはそれだけ自分も悩みを抱えることになるはずだし、彼女の性格からして人に裏切られることもあったはずである。それでも人を助け、信じ続けるのは本当にすごい。だが、たっつーとかキャロルとかカピバラ麻呂みたいな化け物メンタルの領域にはないからだろう。心労が降り積もって、心が折れちゃう時は折れちゃうのだ。中学時代の万引きの時とか、ちょうど今とか。

 

 うーむ、でも今日のこの様子からするとどうもだいぶ回復してるみたいなのよな。よし、試しに聞いてみるか。

 

「綾小路君と何かあった?」

 

「え、ええっ! い、いや、あの、いきなり何かな!?」

 

 窓の外を見てちょっとぼーっとしてた一之瀬さんは、途端に顔を赤くしてあたふたした。これ以上ないってくらいに図星を突かれた様子。

 

 ふむ。やはりカピバラ麻呂と何やらあったらしい。なんかこう、すごーく甘酸っぱい雰囲気を感じる。

 

 実は、何日か前にカフェでカピバラ麻呂とリンリンと一之瀬さんが最終試験の反省会みたいな感じで話してたとチャットで連絡が来ていたのだ。試験で司令塔たちのいた多目的室での出来事は、それ以外の生徒には全然わからないからね。お互いに情報共有したかったんだろう。

 

 しっかし他人の会話を盗み聞きするとは、たっつーはどこまで外道なんでしょうな。私とキャロルたちとが集まってる時も諜報されてたらしいしさあ。ヤツはプライバシーって言葉をその脳味噌に叩き込んだほうがいいと思うの。

 

 ともあれ、そのあと一之瀬さんはカピバラ麻呂と話したりして、恋のパワーで元気になったってとこかな。カピバラ麻呂って女扱いが上手いというか、ジゴロの才能あるよね。いや、たっつーや平田君のことを思うと男女両方とも陥落させてるか。つまり魔性の男だな、うん! 

 

 ごめんごめんと謝りつつ一之瀬さんにお茶を淹れると、「にゃぶー」と悔しそうに唸りながらも飲んでいた。可愛い。和むわ〜。

 

「ククリちゃんは……」

 

「ん?」

 

 2人ともカップを空にしたあたりで、一之瀬さんが口を開いた。かなり真剣な表情だ。

 

「龍園くんのこと、どんな風に思ってるのかな?」

 

 ……まさか、恋?

 

 …………いや、違う、絶対ぜーったい違う。

 

「お、おん?」

 

 予想外の発言に一瞬、脳が思考を放棄した。よかった、お茶飲んだ後で。口にしてる最中だったら噴き出してたかもしれん。淑女に(あら)ざる行為である。

 

 そんな私を見て一之瀬さんは慌てて言葉を紡いだ。

 

「私、ね。ここに入学して、クラスメイトたちと出会って。とても良いクラスだなって思ったの。5月になって他クラスと争うんだって知らされても、自惚(うぬぼ)れって言われるかもしれないけれど勝ちを確信してた。だってとても良い仲間に恵まれてるから。その気持ちは、みんなへの信頼は今も同じ」

 

 だけど、と軽く俯く。

 

「リーダーの私がダメダメだったの。全然上手く立ち回れてないし、成長もできてない。こんな私でいいのかなって。この先、どうなっちゃうのかなって」

 

 綾小路くんにしたのもこんな感じの相談だったの、と彼女は静かに告げた。

 

「なるほど」

 

 要するにたっつーのことをリーダーとしてどう思ってるか、という問いだったわけだ。それなら答えられる。

 

「龍園君は極悪非道だし、羊很狼貪(ようこんろうどう)だし、幸災楽禍(こうさいらくか)だし、無法千万(むほうせんばん)だし……とにかくそんなんだから、結果を出さなきゃクラスメイトにはそっぽを向かれちゃうような人だよ。ただ、何とかしてくれそうって感じだけはあるね」

 

 人間性としては一之瀬さんの大勝利だ。月とスッポンである。比ぶべくもない。

 

「他は気にせず、一之瀬さんは一之瀬さんのままでいいと思うよ。まだ学校生活の3分の1しか終わってないもん。あと2年後、Aクラスにいるのは誰になるか。どのクラスが正しかったのかはそこで決まるんじゃあないかな」

 

 前にカピバラ麻呂が似たようなことを平田君に言ってたけど、私も同意見だなあ。クラスメイトを誰一人欠かさないで、正攻法を貫いて勝ち上がる。それが実行できれば最も素晴らしい高校3年間となるに違いない。あと単純に私は見たいのだ、これから一之瀬さんたちが理想と現実の狭間でどう足掻くのかを。

 

 友情・努力・勝利ってめちゃめちゃ王道だしね。一之瀬さんたちのクラスがこれから逆襲を始めるのは展開としてすごくアリだと思うし、応援しちゃう。つか、たっつーとは筆記試験の数学での点数勝負があるからな。負けたら何でも一つお願い聞かなきゃいかんのは怖い。どうにか一之瀬さんと協力してたっつーの妨害でもしようかな。

 

「2年後、か……そうだね。ありがとうククリちゃん。こんなにも励ましてもらったんだし、うん、頑張らなくちゃだな」

 

 むぅ、と気合いを入れる仕草を見せる一之瀬さんは優しい人だ。でもそれは、甘さと紙一重でもあるだろう。また誰かに騙されそうで他人事ながら心配。

 

 これからさらなる実力主義が幕を開ける。南雲会長が発案し学校側が容認したために導入されるOAAで個人の出来不出来は常に把握されるし、前のデータと比較すればどれくらい成長しているかということまで分析可能だ。おそらく一之瀬さんの落ち込みの一因なはず。

 

 カピバラ麻呂は何と言って彼女を励ましたんだか、と私はちょっと気になってしまった。「そのままの君でいて」とか「オレがおまえを守る」とか少女漫画ばりの歯の浮くような台詞を吐いたんだろうか……? うーむ、想像しづらいな。

 

 

 

 

 

 先輩たちも続々と入室して、部屋が賑やかになる。南雲会長はいつも通り生徒会長の椅子に座っているけど、誰か教員でも来るのか上座は空けられていた。ちなみに私と一之瀬さんは下座、つまり一番扉に近い席を選んでいる。下級生だからなあ。

 

 全員が揃うと、会長は仰々しく言い放った。

 

「集まったな」

 

 桐山副会長がパソコンを操作し、スクリーンに【over all ability】の文字が表示される。新たなアプリケーション、OAAの正式名称だ。

 

「生徒会の尽力もありこの度めでたくOAAが完成した。全校生徒への導入は入学式から数日後を予定してるが、俺たち生徒会役員はテストも兼ねて先にインストールする。ま、以前から言ってた通りだな」

 

 さっさとやれ、との指示が出された。雑だ。いや、いいんだけどね、現代っ子の我々には手慣れた作業だし。

 

 指定されたサイトにアクセスして端末にアプリをダウンロードすると、無事にアイコンが追加された。学校のイラストにOAAの名前を表示というスタンダードな見た目だ。

 

 アイコンをタップ、カメラを起動。学生証を写すと顔写真や学籍番号などが読み取られあっという間に初期セットアップが終了した。あれだね、かがくのちからってすげー! 

 

 1生徒につきアカウントは1つずつ。これで端末に紐づけされたことになったので、以後ログインする必要性はない。んー、楽だけどもし端末壊したら面倒くさそうだよなあ。

 

「終わったやつから自分の個人データを見て、何か不具合があれば報告しろ」

 

 1年Aクラスから3年Dクラスまで全学年の項目が並んでいる。つまるところ端末さえあればこのOAAでいつでもどこでも全生徒の成績が確認できるというわけだ。全生徒に向けたオープンチャット機能もあるものの、こちらは今のところは生徒会役員専用ということになるのだろう。他の生徒は未インストールだからね。

 

 2年Bクラスのところを押すと五十音順に40名ぶんの顔写真と氏名が表示される。ソート機能で総合力順にしたりもできるけど、今はとりあえず自分の名前をタップした。

 

【2−B 京楽 菊理(きょうらく くくり)

 1年次成績

学力 B-(63)

身体能力C(54)

機転思考力B(69)

社会貢献性A(93)

総合力B(66)】 

 

 むー、まあこんなもんか。

 

 学力は筆記試験の点数から、身体能力は体育や部活、特別試験などから。機転思考力は友達の数とかのコミュ力と臨機応変な対応力なんかから、社会貢献性は授業態度や遅刻欠席、問題行動の有無、生徒会所属による学校への貢献等々から算出されるそうだ。

 

 総合力の求め方は、(学力+身体能力+機転思考力+社会貢献性×0.5)÷350×100で四捨五入した数字になってるらしい。社会貢献性だけ値を半分で計算するのは他に比べこれが当たり前に持ってる必要のある能力であること、すぐに改善しやすいものであることが理由。むー、せっかく生徒会パワーで社会貢献性高いのに残念ね。

 

 しょんぼりしていると、南雲会長が話を続けた。スクリーンにはOAAの説明が投影される。

 

「問題無いみたいだな。分かってるとは思うが念のため説明する。OAAはクラスの上下は一切関係なく平等に査定される、まさに個人の能力で評価されるシステム。実力のある生徒はとことん上に、実力のない生徒はとことん下にってことだ」

 

 面白いだろ、と会長はおもちゃを手にした子どもみたいに笑う。実際、彼にとってOAAは楽しいゲームみたいなものなんだろうな。

 

「当然、生徒会役員として恥にならない程度の成績は残してくれ。学校側も万能ではない以上、そこまで高くを要求する気はないけどな」

 

 そんなことを言う南雲会長のOAAは学力A、身体能力A、機転思考力A+、社会貢献性A+。うん、説得力ゼロだよゼロ。まあ生徒会にOAA目的で入る人が出てもいいって話してたりしたし、本当に来る者拒まずなんだろうけどさ。ちなみに他の先輩を見てみると、例えば桐山副会長は全体がB+以上と会長ほどではないにしろ好成績。すごいなあ、みんな。

 

 さて。私たち明日から2年生になる生徒のデータの場合、1年終了時までの成績を基に学校側が作ったものになっている。つまり先生の見えないところで何かやってもOAAには反映されていない。特に身体能力では部活をしている生徒としていない生徒で評価に差が出てしまうとのこと。いかに学校側にアピールできるかという点でもちょっとは違ってくるだろう。こういうの南雲会長得意そうだよね。

 

 んで、この1年次成績以外にも2年次成績、3年次成績の項目もあるけどまだ真っ白。これから新学期が始まると、1年次成績は無視して新たにこっちの2年次成績がつけられていくことになる。年度ごとに成績は別扱い、というわけだ。

 

 ただ、年間の成績は常に記録として残る。新年度から2年次成績は毎月更新──数値はクラスポイントとおんなじで月の初めに出る──されるのだ。仮に4月、筆記試験で満点を獲得し学力A+を取って、次の試験で0点を叩き出したらその時の査定はたぶんその中間のCくらいになる。そんな具合で1年を過ごして、トータルした平均が最後に算出されるんだね。

 

 あと、新入生のデータは中学3年生の時の情報と入試成績を基に作られてるらしいから、在校生と比べると精度に少し不安があるのかも。特に機転思考力あたりとか。普通の学校は生徒の友達の数なんか見ちゃいないだろうし。ってか、この学校もどうやって数えてんだか。謎い。坂上先生から(推測)たっつーのお友達認定されてる人は何人いるんだろ……? 

 

 首を傾げつつ、私はお隣に座る一之瀬さんのお袖をクイクイと引っ張った。

 

「どうしたの?」

 

 包容力のある温かい笑みが向けられる。どんな悪意でも溶かしちゃいそうな笑顔だ。ちらっと南雲会長を見ると、他の先輩たちと雑談してた。よく一緒にいるのに彼にはちっとも効いてなさそうなのが残念で仕方ない。

 

「一之瀬さんのOAAはどんなんだった?」

 

 別に見ようと思えば普通に私の端末で見れるのだが、なとなく見せ合いっこしたかったのだ。私の言葉に、一之瀬さんは「これだよ」と端末を傾けてくれた。

 

【2−C 一之瀬 帆波(いちのせ ほなみ)

 1年次成績

学力A(86)

身体能力C(54)

機転思考力B(70)

社会貢献性A+(96)

総合力B(74)】 

 

 うーむ、どの数値も私以上。流石としか言えない。「つまらないものですが……」と私は自分の個人成績を表示した端末を彼女の前に置いた。い、いいんだ。ククリちゃん、うちのクラスの中では総合力高いほうだもん! ま、トップは葛城君なんだけどね。

 

 一之瀬さんとおしゃべりしながら、他の同級生のデータも閲覧していく。特に気になったのはキャロルのやつかな。

 

【2−A 坂柳 有栖(さかやなぎ ありす)

 1年次成績

学力A(93)

身体能力D-(25)

機転思考力B+(80)

社会貢献性B- (65)

総合力B(66)】

 

 新2年生では例外的措置として、キャロルの身体能力評価だけは学年最下位の生徒と同じ数値となることに決まっているらしい。んー、これってキャロルのOAAを下げたきゃわざと身体能力落とせばいいって話だよね。そこまでやる必要あるかって言うと微妙だけど。あとは逆に、学年全体の身体能力が上がればキャロルの数値も上がるという面白い現象が起きる。でも実行は難しそうかなあ。

 

 そんなこんなでOAAの話をしていると、ふいに扉をノックする音が響いた。誰だろう、と私たちは顔を見合わせる。

 

 南雲会長のほうを向いてみたら、目で開けろと伝えてきた。気の利く一之瀬さんはそれに応じてさっと立ち上がり迅速に動いてくれる。

 

 開かれたドアから現れたのは、仕立ての良さそうなスリーピーススーツを着た男性。ネクタイはもちろん、ちらりと見えるポケットチーフもおしゃれだ。

 

「生徒会の皆さん、お久しぶりですね。以前挨拶に来たきりでしたか」

 

 月城理事長代理はそう、大人の余裕を漂わせる笑顔で言った。南雲会長の想定していた来客は彼のことだったらしい。

 

 席についた理事長代理にペコリと礼をすれば、頭の後ろでポニーテールが揺れたのがわかった。最近はずっと髪を下ろしているので懐かしい感覚だ。顔を上げると軽く、視線を感じる。うーむ。

 

 みんなからアプリの使い心地なんかについていくらか意見を聞いたあと、彼は話を切り出した。

 

「この学校は政府からの期待を多く受け、実験的試みが行われている新設校。まだまだ歴史は浅い。だからこそ、様々なことを試していくべきでしょう」

 

 プロテクトポイント(しか)り、と月城理事長代理は呟く。

 

「例年とは異なるOAAの導入。学年に関係なく名前と顔、成績まで判明するこれを利用して、新たな1・2年生には合同での特別試験を受けてもらおうと考えています」

 

 4月から早くも特別試験が始まるようだ。2学年でペアを作っての筆記試験、という感じとのこと。しかしこの時期の新入生はクラスポイントの存在などこの学校の仕組みを理解していない。あまり上級生と接触させるのはまずいんじゃ? 

 

 疑問に思う私だったが、すぐにその説明は行われた。

 

「今年度の新入生たちに対しては、Sシステムについて隠すことはしません。遅刻や欠席、授業中の私語等がクラスポイントに影響を与えることも最初から開示します。その代わり、全クラスのクラスポイントが800からのスタートになりますね」

 

 なるほど。去年の4月に私たちは学校側から無言で査定され、おかげで1000あったクラスポイントは5月になると490にまで減ったのだ。あの特別試験っぽいのが今年はないらしい。いいな、羨ましい……。

 

 ま、OAAの社会貢献性の評価項目には授業態度なんかも含まれている。どのみち新入生たちも気をつけるだろうし、意味がないって判断かな。

 

「つまり、昨年と違い4月に新入生へクラスポイント等の話をしてもペナルティはない、ということでしょうか」

 

「はい。その通りです」

 

 溝脇先輩が出した質問への回答に、みんなホッとした雰囲気になった。隠し事って面倒だもんね。特にクラスポイント関連はポロッと言っちゃいそうで怖いし。

 

 思い返せば、去年の今頃の私はデスゲームへの期待を胸にウキウキしていて……あっけなく夢は散り……しかし諦めきれず上級生を探ったものの言葉の端々からはSシステムの情報くらいしか得られなかったっけ。残酷な現実だったよ、あれは。

 

 前年の2,3年生はポイントにも種類あるとか監視カメラで生徒の様子がチェックされてるとか、そんなことをはっきり言うのは禁止。聞かれても答えたらアウト、って感じだったのかな。

 

 ふむふむと頷いていると、月城理事長代理は南雲会長に視線を向けた。

 

「そうそう、南雲くんが提案してくれた1・2・3年生が一緒に行う特別試験ですが、夏休みに無人島試験を実施する方向で進めています。残念ながら予算の都合で少々揉めているためまだはっきりとしたことは言えません。理事長代行、という役職の辛いところですね」

 

 この学校の理事長は指導方針を決め学校を導く役割を持っているけど、政府の擁立した法人に雇われているという立場でもあるらしい。お偉方(えらがた)の利権が複雑に絡んでいるんだろう、きっと。あと、理事長代理の提唱する厳しいルールは学校側から反発を受けてもいるそうだ。でも──

 

「無人島試験を経験するのは一学年に1回のはずでは?」

 

 私と同じ疑問を殿河先輩が投げかけてくれる。うん、もう1回無人島行くのはちょっと遠慮したいっすよ。

 

「既存の観念は捨て去るべきだと私は思っています。この学校がより国から認められる学校になるためには、必要に応じて様々なことを変えなくてはなりません。例えば当校では一般開放に関連したものは原則として見送られていますが、招待客を政界などこの学校に関してよくご存知の人々に厳選しての文化祭を秋頃に開催できるよう検討しています」

 

「文化祭、ですか」

 

 戸惑いの声が上がる。今までやってなかったからね。特別試験になるのかは分からないけど、本当に例年とは違ったスケジュールになりそう。

 

 文化祭ってすごい楽しそうだよね。模擬店とか、催し物とか考えただけでワクワクするもん。無人島サバイバルはやめてほしいけど、月城理事長代理はいいことも提案するなあ。

 

 しかし政界の人間、か。一体どんな人が来校するのやら。

 

 うむむと唸る私の瞳を月城理事長代理がじっと見てきた。一瞬で逸らされたものの、実はさっきから何度も目が合ってるのだ。この思わせぶりな仕草からして間違いなく私に用があるとみていいだろう。メールして以来ずっと音沙汰がなく、シカトされてるんじゃと感じてきていたのだがそんなことはなかったらしい。疑ってごめんなさい、理事長代理。

 

「それでは話はこれくらいにして、私はこれで……と言いたいところなのですが。すみません、南雲くん。応接室まで来てもらえますか?」

 

 学校の権力者からの要請に、南雲会長は速やかに応じる。彼が立ち上がったタイミングで月城理事長代理は一言付け加えた。

 

「1年、いえ明日から2年生ですか。ともかく、下級生も1人欲しいですね」

 

「私、行きたいです!」

 

 はいはい、と威勢良く手を挙げる。突然の私の行動に一之瀬さんが驚いていた。すまぬ、許してくれ。

 

 たぶん理事長代理はさり気なく私を呼び出しているのだろう。ここはこちらもさり気なく応えるべきだ。

 

 さり気なく熱視線を送る私に、月城理事長代理は「ではお願いします」と首肯した。よしよし、やったぜ。退室する彼に合わせて私と南雲会長もついていく。

 

 みんなが「こいつ、またはしゃいでるな……」という呆れたような心配するような目を向けていた気がするけど、気の所為に違いない。

 

 

 

「ご足労いただき、ありがとうございます。どうぞ楽にしてください」

 

 応接室のふかふかソファに腰を下ろすと、熱々のコーヒーが出された。何となく格好つけたい気分の私はそのままブラックでちびちび飲む。うーむ、高級感溢れるお味。何の豆だろう。まさかコピ・ルアクじゃないよな……ちょっぴりスケアリー。

 

「お二人にはある、非常に特殊な特別試験にご協力してもらいたいのです」

 

 月城理事長代理はゆっくりと説明を開始した。

 

「この4月。新入生たちが入学して数日後、彼らに各クラスから代表者1名もしくは2名を決め生徒会室へ内密に集まるよう連絡していただきます。具体的な日時としては全校生徒が一斉にOAAをダウンロードする日、その昼休みあたりが望ましいでしょうか。この日は1時間目の授業でOAA、2時間目に特別試験の告知が行われることになりますから丁度いいでしょう」

 

 2限に知らされる特別試験、というのは生徒会室でも言ってた1・2年生合同でのペアを作っての筆記試験を指すとのこと。OAAでパートナーの申請なんかもするから、1限と2限で時間を置かずにさらっとお話ししちゃうらしい。

 

 それで、肝心要の『非常に特殊な特別試験』はどんなものなんだろうか。

 

「実施にご協力してもらいたい特別試験の内容は単純明快です。2年生の中から完全なランダムで選ばれた不運な生徒、綾小路清隆を手段は問わずに退学させること。報酬は2000万ポイント、期限は2学期が始まるまで」

 

「2000万ポイント!?」

 

 あまりの額にびっくりしてしまった。え、だってあれじゃん、クラス移動までできるポイント数じゃん。干支試験でも結構なプライベートポイントとかクラスポイントが動いてたけど、あれは学年全体で参加する大掛かりなものだった。生徒1人を退学させるだけでポンと2000万もくれるのは破格すぎる気がする。

 

 南雲会長も私ほど大きなリアクションはないにしろ目をまん丸くさせていた。そうだよね、こんな大金が動く特別試験、しかも学年全体じゃなくて一部の新入生だけが参加するなんてものたぶん滅多にないよね。

 

 むか〜しの体育、初回のプールの授業で東山先生は1位になった生徒には5000ポイントを支給すると言っていた。それに似た感じで理事長代理の力を使って付与するのかな。うーん、やっぱし大量のポイントを貯めるには教師を抱き込むべき説が私の中で再浮上したよ。

 

「ええ、達成者には2000万ポイントを振り込みます。額が額ですし、この特別試験の内容はその場にいた人物以外には口外を禁じるべきでしょうね。特にペナルティを設けるつもりはありませんが」

 

 私たちも同じ生徒会役員にすらお口チャックで、と言われる。まあ一生徒を退学させる試験とかめっちゃ外聞悪いもんね。いや、この学校においては今更か? 

 

 ん、退学。そう、『綾小路清隆』を退学させる試験で────

 

 ……んん? 

 

 ………………退学。綾小路清隆、つまりカピバラ麻呂だカピバラ麻呂。2年Dクラス、自称事なかれ主義の男子生徒。誕生日は10月20日、学籍番号は確かS01T004651だっけ? うん、そんな感じ。

 

 って、え、た、退学ぅ!? 退学ってあの退学? 学校を途中でやめる、ってかやめさせられる退学!? 

 

 ちょ、ま、待ってくださいよ。2000万ポイントに気を取られて完全に聞き流してたけど、カピバラ麻呂を退学って、え? 

 

 不運な人とは思ってましたけれども、ここまでとは予想外ですよ。学年の生徒157名から選ばれし1人でしょ? ほ、ほわ、えーっと、この試験のターゲットを変えることとかってできませんかね……? 

 

「生徒会室では立会人として私も同席しますが、新入生たちに対しては南雲くん個人が始めた特別試験ということにしていただきたいのです。君でしたら2000万ポイント以上をお持ちですので彼らへの証明も容易でしょうし、信憑性(しんぴょうせい)も十二分にありますから」

 

「つまり私が生徒会長としての名前を貸す、と」

 

「話が早くて助かります」

 

 聡明な2人はあわあわとする私を置いてけぼりにしてどんどん会話を進めていく。やめて、待って、一時停止してほしいっす。

 

「綾小路清隆退学の手助けをする必要はあるんですか?」

 

「一切の援助は不要です。あくまでもこれは1年生へ課す試験。あなたたちにお願いしたいのは説明役のみになります。介入は厳禁としましょう。私とともに、特別試験の公平性を保つための立ち会いを行うわけですからね。無論、事の成否を問わずお二人への報酬は用意しておきます」

 

「ありがたいことですね。しかし世間ではうまい話には裏がある、とよく言われます。どうにも理事長代理がわざわざ私たちを巻き込む理由が分かりかねまして。何かご事情でも?」

 

「事情、と言えるほどのものはありませんよ。生徒との関わりの少ない理事長代理が突然特別試験を宣告するより、優秀と評判の生徒会長が出した試練とするほうが受け入れられやすいでしょう。もちろん強制するつもりはありませんので、断りたければ断ってください」

 

「私が拒んだ際の代わりが京楽ですか」

 

「それだけではないですし、彼女にも選択権がありますよ。こちらの想定としては南雲くんが体調を崩した場合等も考慮して、色々とサポートしていただこうかと。何事にも保険は大切ですから」

 

 う、うー、自分のことが話題になってるのに全く口を挟む隙がない。この人ら頭の回転が早すぎるんだよ。もうちょいスローペースにしてほしいんだけど。

 

「納得出来ましたか?」

 

「一応は」

 

「それは良かった。では、どうします? 返事は後日でも、と言ってあげたいのは山々ですが予定も詰まっていますので。ここで決断していただけると嬉しいですね」

 

 南雲会長はどうするか悩んでいるらしく会話がようやく途切れる。よし、参戦しよう……と、したところで会長が先に口を開いた。むー、出遅れたっ。

 

「受けましょう。もし綾小路以外の生徒が標的であればお断りしていたかもしれませんが、彼は堀北先輩に唯一買われていた男。正直、この顛末はとても興味があります」

 

「わ、私も頑張ります!」

 

 何を頑張る、とは明言しないところがポイント。こうなるともう、どうせ私が断ろうとカピバラ麻呂への攻撃は行われるでしょうしな。とりま情報を得られる立ち位置をゲットしておこう。もし退学しちゃったらその時はその時。頑張れカピバラ麻呂、君ならたぶん大丈夫だ。

 

 しかしカピバラ麻呂にいつの間にか『堀北先輩に唯一買われていた男』という称号が増えていたこととか、南雲会長の行動原理が堀北先輩になってることとかツッコミどころ満載な件について。うぅ、どうして卒業しちゃったんですか堀北先輩……南雲会長の精神状態がたぶんわりとまずいことになってますよ。

 

 カムバックしてくれたりしないかなあ。うん、まあ無理とはわかってるけどさ。元気にしてるのかな、卒業生の方々は。

 

「お二人ともありがとうございます。いや、心強いですねぇ」

 

 そう話す月城理事長代理だったが、本当に喜んでるのかは不明だ。ずっと鉄壁の笑顔を崩さないので感情の起伏が全く読めないのである。何考えてんだろこの人。

 

 用件は以上です、という言葉で話が締めくくられると、南雲会長はこの応接室を出るベく私を促した。

 

 紳士的にエスコートしようとしてくれるものの、はっきり言ってありがた迷惑なんだよね。私、理事長代理、まだ用あるの。悪いが一人で帰ってほしい。

 

 そんな私に呼応するように、月城理事長代理は「ああ」と手を叩いた。

 

「君は残ってもらえますか? メールでプロテクトポイントについてのご意見をいただいたにもかかわらず、申し訳ないことに返信ができていませんでしたからね」

 

 理事長代理からのナイスパスを受け、コクリと頷く。不自然な態度には見えなかったはずだ。実際、南雲会長が違和感を抱いている様子はない。日頃の行いの賜物かな。

 

 一人で大丈夫か、としつこく確認してから南雲会長は去っていった。会長は私の年齢を勘違いしてるのではなかろうか。16歳っすよ? 普通に問題ないもん。いや、変なこと口走らないか不安だったのかもしれないけどさあ。

 

 2人きりになった部屋の中を静寂が満たす。手持ち無沙汰になった私は月城理事長代理の目を見て、確信した。

 

 この人は、やはり“私を知っている”。

 

 前に彼が生徒会室を訪問した時にも感じたことだ。

 

 でも、どうしてか私のほうは会った記憶が無いのである。忘れてるだけかもと思ってたっつーにも聞いてみたけど、ヤツも覚えはないらしい。つまり小学校の関係者じゃない。

 

 中学時代、でもない。となると残る可能性としては、私が幼い頃に出会っている。あるいは、あっちが一方的に知っているということになるだろう。

 

 そして、私の勘は告げていた。月城理事長代理は私の血縁上の父親の情報を持っている、と。だからメールを送ったのだ。プロテクトポイント保持者への勲章付与案以外にも、私の父を知っているかと問う旨のメールを。

 

 沈黙を破るようにカチャリと音を立てながらカップを手に取り、喉を潤す。ソーサーに戻されるのを待ってから、彼は口火を切った。

 

「お待たせしました、繝?す繧ャ繝ッ繝ゥ繧ュ繧ッ繝ェさん」

 

 靄がかったような、浮ついた声が頭に届く。随分と懐かしい響きは脳内で処理するのにも時間がかかった。

 

 古い、昔の。記憶の底にある、音だ。

 

「……なかなかどうして、ご挨拶ですね」

 

「これは失礼を。今は京楽(キョウラク)菊理(ククリ)さん、でしたね。昔のあなたはそのような髪型だったので、つい思い出してしまいました」

 

 理事長代理の口元がゆるやかに弧を描く。浮かんだ笑みは、どこか三日月を連想させるものだった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。