ようこそ享楽至上主義の教室へ【特殊タグ無し版】   作:アネモネ

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Sovereign's Soliloquy

 

(好奇心は希望の別名にほかならない by Julius Charles Hare)

 

 

 

 

 誰かに必要とされたいと。ここにいていい、と認められたいと。

 

 平凡な日常に飽き飽きして、刺激的な毎日を求めている。

 

 

 神室(かむろ)真澄(ますみ)にとっての万引きとは、その罪の意識とスリルを味わうためのものだった。今までも散々繰り返してきた行為。それが出来なくなったのは、入学して1週間後のこと。コンビニでビール缶を盗み出したところを坂柳に見(とが)められ、この秘密を守る代わりに協力しろと、「私の二人目のお友達」になれと命令されたのだ。

 

 神室としては教員に申告されようと、自分が停学になろうとどうでもよかった。だが坂柳が指摘したように、学校側から要注意人物として認識されてしまえば今後また万引きをしたくとも難しくなってしまうというのは確かだ。それでとりあえず承諾すると、万引きをする暇もないくらい容赦なく働かされた。今も葛城などの見張りであったり、先天性疾患を持ち足が悪い坂柳の介助であったり、神室の仕事は多い。

 

 こうして坂柳の部屋にいるのも彼女に『お願い』されたからだ。もはや自室と同じくらい入り浸っている、慣れた場所。そこでは筆記具の動く音のみが響いていた。

 

「あんた、何書いてるの?」

 

 声に反応した坂柳がそのお人形のように整った顔をこちらに向ける。

 

「指示書のようなものでしょうか。いつ、私が大きく体調を崩してしまうかは予測の出来ないことですから」

 

「そんなに症状が悪いわけ?」

 

「いいえ。ですが、他者に比べ私の身体が弱いことは事実。備えというものも必要でしょう」

 

 夏休みに入った現在も神室たちAクラスは葛城派と坂柳派に二分されており、その勢力は危うい均衡を保っている。もしここで坂柳が指揮を()れないことにでもなれば、葛城派が勢いづくのは間違いない。よって対抗策を用意しておくというのは神室にも納得のいくものであった。しかし、疑問もある。

 

「パソコンとかで作ればいいのに」

 

「知っていますか、真澄さん。紙でしたら100年200年と持ちますが、電子媒体ですと数十年程度の寿命なんですよ。それに、筆跡が残るというメリットもあります」

 

 ふふ、と笑みを浮かべる坂柳が果たして何をどこまで想定しているのか、神室にはさっぱり分からない。そもそもこの少女は絶対にろくな死に方をしないような、いい性格の持ち主だ。理解できるほうがおかしい。

 

「そんなに長くはありませんし、書き物はいい気分転換になりますから。きちんと分類して棚へ入れておきますので、必要になったときはお願いしますね?」

 

「それがいつなのかあんたには分かってるの?」

 

 気になった神室が問いかけると、坂柳は愉快そうに微笑んだ。

 

「もしかすると、そう遠くないのかも知れません」

 

 

 

 

 §§§

 

 

 

 

 白い、真っ白な診察室。8月も目前のある日、ケヤキモールの病院にて健診を終えた有栖は、ここで見かけるのは珍しい男の姿に目を(またた)かせた。

 

「坂柳、お前に話さなければいけないことがある」

 

 そう、低い声で告げたのは担任の真嶋。目配せしていることからして、医師も承知済みのことらしい。

 

 なるほど、と有栖は薄く笑う。

 

「それはこれから学校が課すであろう、ポイントを懸けて他クラスと争う試験について、ということでよろしいでしょうか」

 

 沈黙が部屋を満たす。真嶋の表情は先程までと変わっていないものの、彼の動揺が有栖には手にとるように分かった。

 

「いくら上級生の口を封じたところでこぼれ落ちる情報をつなぎ合わせればこの程度、どなたでも思いつくものでしょう。私に明かすということは、身体的なハンデが問題となるのですね?」

 

 その通りだ、と真嶋は重く頷く。ここからが本題だ。

 

「お前たちには2週間のクルーズ旅行と告知しているが、実際に行うのは『特別試験』。1週間の無人島サバイバル、それが1年生の取り組む課題だ」

 

「サバイバルですか。動き回ることの出来ない私への負担は大きくなりそうですね」

 

「学校側もその点を懸念している。無論リタイアという選択肢もあらかじめ用意してあるが、最初からリタイアの可能性が高い生徒の場合、不参加にすべきではという意見も少なくはなかった」

 

「格別のご配慮、痛み入ります」

 

 有栖の事情を考慮して、彼らなりの公平を期すため学校側も特別試験の前にもかかわらずここまで話してくれたのだろう。その気遣いに礼を述べながらも考える。自分は何をなすべきか。駒をどう動かすべきか。ククリは、龍園は、葛城は、どのように動くだろうか。

 

「参加を希望するのであれば、学校側からいくつかの条件をつける。まず常に特別試験委員の監視下にいること。そして他生徒のリタイアの場合は緊急性が認められるものを除きその自主性に委ねられるが、坂柳のみこちらで試験の続行が不可能と判断し次第即刻リタイアとする。さらに今回の特別試験で各クラスが使用することになる試験専用のポイントについて、一部のポイントの用途をあらかじめ指定させてもらう。この必要ポイント数は、生徒一人がリタイアする時のマイナスより大きくなると予想される」

 

「すると、特別試験専用のポイントのためには最初からリタイア、不参加としていたほうが減少が抑えられるのですか」

 

 教員による監視。有栖の安全のためと、無理な運動を防ぐための措置だろう。学校側によるリタイアの強制も同じだ。

 

 試験専用のポイントの消費は有栖の生活環境を整えるために必要なものなのだと思われる。クラス全体に負担がかかることは避けられないが、クラスメイトも恩恵を受けられるのは間違いない。それを裏付けるように、真嶋が言葉を続ける。

 

「ああ。だが、我々も不公平な試験にならないよう最大限の努力はする。ポイントの強制使用も、Aクラスにとって不利益とならないことは約束しよう」

 

 しかし。そうであっても、有栖が参加した後にリタイアするという事態に陥れば不満が噴出するのは確実。

 

 ならば、とあらゆる可能性を想定し自らが楽しめる最善手を導き出す。

 

「そうですね……」

 

 一度瞑目してから、有栖はゆっくりと話し始めた。

 

「この度の旅行、私は不参加を選ばせていただきます」

 

「いいのか? 旅行には同行した上で試験中のみ船で待機することも可能だが」

 

「他の方が厳しい環境で耐え抜いているのに、一人だけ安穏とするわけにはいきません。でしたら最初から検査により入院を言い渡された、といった形で乗船をも見送ることにしたいと思います」

 

 葛城派はどうせ失敗する。だったら学校で報告を待てばいい。葛城で直接遊べないのは残念なものの、2学期にも特別試験が待ち受けている以上は機会なら後でも作れることだろう。

 

「その程度は造作もない。坂柳は病欠で参加できなかったと皆には伝達しよう」

 

「ありがとうございます。加えて、私が特別試験について同級生へ情報を漏らさないかどうか、監視の必要もありますよね?」

 

 少し間を置いて、真嶋は首肯した。

 

「携帯端末をお預けします。また、皆さんがご出発されるまでは病室での生活で構いません。そのほうが手間が省けてお互いに好都合かと」

 

「こちらとしてはありがたい申し出だ」

 

「代わりに、図書館から本を届けていただけますか?」

 

 何の本を、と問われた有栖はふわりと微笑んで答える。

 

「ひとまずはヘルマン・ヘッセとスタンダール、ドストエフスキーの著作を何冊か。それと、真澄さんへの伝言は可能でしょうか」

 

「伝言?」

 

「ええ。いくら教員の方でも自室に立ち入られるのは少し、抵抗がありまして。替えの衣類などを運んでもらうようお願いしたいのです」

 

「分かった、神室に話しておこう。受け取りは病院の者へ頼んでおく」

 

 さっそく手配しようとする真嶋に、有栖は花が綻ぶような笑顔で告げた。

 

「棚の二番目の引き出しから取り出すように、と真澄さんにはお伝えください」

 

 

 

 

 

 §§§

 

 

 

 

 

 8月1日、高度育成高等学校第一学年が受けることになった特別試験。無人島でサバイバル生活を送るというそれを、彼らCクラスの支配者──龍園翔は実に破天荒(はてんこう)なやり方でクリアしようとしていた。

 

 自分と、他クラスへ送り込んだスパイ2人以外の全員リタイア。しかもリタイアするまでの数日は無人島でいくらでも遊んでいいというおまけ付きだった。

 

 今やCクラスのほとんどが無人島生活を終え、船での優雅なバカンスを堪能していた。椎名ひよりも、その一人。

 

「イルカのぬいぐるみですか」

 

 ショップにあるそれを手に取ったひよりは、手触りや値段を確認していく。この豪華客船では食事などのサービスにポイントを支払う必要はないが、物品の購入までは流石に無料とはいかないのである。

 

 ククリや、今は無人島でDクラスに潜入中の伊吹とおそろいで買うべきか。迷う彼女の耳に届いたのは、場違いに大きな声だった。

 

「うお、国旗売ってんじゃん!」

 

 そう言いながら店内に突入してきたのはよく知っている男子生徒。ひよりは微笑みながら話しかけた。

 

「こんにちは石崎くん。国旗、お好きなんですか?」

 

「ん? あ、椎名か。いやさ、好きってほどでもないんだけどよ。アルベルトの部屋に国旗のコレクションがあるせいかさ、こういうの見かけるとつい目で追っちまうんだ」

 

 確かに、とひよりは無数の国旗が飾られているアルベルトの部屋を思い浮かべる。龍園がクラスでも重用している者──側近、と言えば良いのだろうか。ひよりや石崎などが呼び出される時はたいていカラオケボックスが指定されるのだが、寮での呼び出しの場合はよくアルベルトの部屋が使われている。故に、ひよりも何度か訪れたことがあった。

 

「入学したての頃は色々ぶつかったこともあったけどよ、今は同じ龍園さんに従う仲間だからな。共通の話題でもありゃ少しはしゃべれるんじゃねえかと」

 

「アルベルトくんは物静かな方ですからね……」

 

 指示は龍園が出しているし、アルベルトは寡黙ながらも彼に忠実に動く。結果、クラスメイトとの交流は極端に少なかった。勿論アルベルトの風貌やその高い身体能力も大きな要因であろう。彼に積極的に話しかける生徒というと、ククリくらいしかいないのではないだろうか。まあ彼女が一方的に話しているのが基本なので、交流かと問われると疑問符がついてしまうが。

 

 しかしこうして無人島試験をリタイアして船に戻ってからはあの2人の組み合わせを目にする機会が増えましたね、と考えたひよりは「そうでした」とその理由を口にした。

 

「今はククリちゃん、アルベルトくんとも一緒に無人島サバイバル頑張ったねお疲れ様ソングを作成中ですから、それに加わってみてはどうですか?」

 

「む、無人島サバイバルお疲れ様ソング?」

 

「はい、無人島サバイバル頑張ったねお疲れ様ソングです。ククリちゃん曰く、伊吹さんと金田くん、龍園くんの3人が帰ってきたら皆で歌って(ねぎら)いたいんだとか」

 

 作詞はクラスメイトと一緒に、作曲はこの船にいる生徒たちの監視に来る音楽の教師に手伝ってもらっているらしい。

 

「俺たち全員歌うのか……?」

 

「分かりません。でもククリちゃん自身はトライアングルをやると言ってましたよ」

 

「それでいいのか発案者!」

 

 別にトライアングルが悪いと言いたいわけではないが、ピアノとかギターとかの選択肢はなかったのか。ククリの話は冗談なのか本気なのか判別が難しい。

 

「5番のサビには自信がある、とも言っていましたね」

 

「もう5番までいったのかよ!? ってか何番まで作る気なんだ」

 

「『出来るだけやろう、感謝の気持ちを歌に込めるんだ……あとどうせ暇だし』とのことです」

 

「絶対それヒマってのが本音だろ……」

 

 全部冗談だよな、と(すが)るような目を向けてくる石崎に、ひよりは笑顔で首を振った。無論、横に。

 

 ガクリと石崎がうなだれる。船に龍園が戻ってきた際、謎の歌で(しかもすごく長い)迎えられたらどうなるか────誰よりも龍園からの仕置きを受けている石崎には簡単に想像できてしまった。

 

 

 

 

 §

 

 

 

 

「それでは私からも一つ。あのね、これは昔の話なんだけどね……」

 

「はい」

「うんうん」

 

 夜。豪華客船の客室では西野(にしの)武子(たけこ)、ひより、ククリの3人が自分のベッドに座っての会話に興じていた。

 

「ある男が『紅茶が切れた』と言うから買ってきたんだけど、購入したそれを飲んだとき、怖ろしいことに気づいてしまったの」

 

 身振り手振りを交えて話すククリに、2人は首を傾げる。

 

「怖ろしいこと、ですか」

 

「そう。私が買ってきたのはオレンジペコだったのに、オレンジの味が全くしなかったんだ……味覚に異常が出たのかと思ったよあの時は」

 

「お、オレンジ?」

 

「ああ、なるほど。オレンジペコは茶葉の大きさなどに基づく等級を指す言葉であり、オレンジの味や匂いはしませんからね」

 

「そうなんだよ。知らなかったから本当に驚いたなあ」

 

 語り終えて満足げなククリに対し、西野は拍子抜けした気分だった。

 

「…………で、それが怖い話? こう言っちゃなんだけど全く怖くなかったわね」

 

「うぐ、だって特に心霊現象を経験したこともなくて。住んでたとこもちょっと血の気の多い人がたくさんいる以外は普通の地域だったし」

 

 ウチの馬鹿兄貴も不良やってたな、と西野は内心ため息をつく。今は地元の建設会社で必死に働いている彼だが、バカなノリで高校を中退したせいでかなり苦労していた。龍園や石崎についても兄と似たタイプだからこそ先が思いやられるというものだ。

 

 同時に、血の気の多い人とやらに囲まれていたおかげでククリは豪胆というか鈍いというか、そんな感じなのだろうという納得があった。思ったことは迷わず口にするタイプの西野ですら真剣な時の龍園にはあまり強くモノを言えないのだが、あのヤバい感じを察していないのかククリは平然と噛みつくこともある。雰囲気だとか言い方の問題でそうは見えないだけで、龍園へ反抗的な態度を取る回数としては伊吹などよりむしろ彼女のほうが多くなってきたのかもしれない。それでいて制裁を受けることがないのは運が良いのか、クラスで流れている噂が真実なのか。

 

 椎名も歯にきぬ着せぬ物言いをすることはあるものの、彼女の場合運動も出来ないし、暴力行為を嫌うその性格から龍園も相手にしないだけなのだろう。あるいは方針に逆らって行動するといった積極性がないためだろうか。

 

 龍園と近い位置にいるこの2人と伊吹はクラスでも少し恐れられるというか遠巻きにされることがあるが、西野としては全く気にしたことがない。石崎とか、普段の龍園についても同じだ。私も身内のせいでちょっと耐性があるのかも、と考えつつ西野は「友達から聞いた話なんだけど──」と正当な怪談を語り始めることにした。

 

 尚、余談ではあるが。いつものほほんとしている椎名は意外と怖がりだったということが、これにより判明した。

 

 

 

 

 §

 

 

 

 

「んん……」

 

 深夜。この豪華客船にふさわしく最上級の寝心地を提供してくれるベッドで、ひよりはふと目を覚ました。何となく身を起こしてみると、部屋の様子が少し変わっていることに気づく。

 

 ここは4人部屋。しかし今は伊吹がいないので、使用しているのはひよりも含め3人。であるならばベッドのふくらみはあと2つ無ければおかしい。だが、西野の姿はあれどククリのベッドはもぬけの殻だった。

 

 今は真夜中だ。船内の施設も24時間営業のラウンジくらいしか開いていないはず。ではそこへ行ったのか。

 

 ひよりは好奇心のままにそっとベッドから抜け出す。規則上、生徒はジャージ着用での睡眠が義務付けられているため、このまま移動しても問題ない。1人行動は少し不安だが、船内は明るいし大丈夫だろう。幸いにも西野が起きる気配はなかった。

 

 

 

 ラウンジには誰もいないことを確認したひよりは、デッキへと向かっていた。ククリが行きそうな場所というともうここくらいしか思いつかない。

 

 デッキに足を踏み入れた瞬間、ひよりは己の推測が正しかったことを知った。

 

 ──Wer reitet so spät durch Nacht und Wind(夜闇の中、風の中を駆け抜けるのはだあれ)?──

 

 ひどく上手い、というわけではない。だが伸びやかで情緒豊かな歌声はどこか吸い込まれるような魅力を放っていた。

 

 普段はおちゃらけている彼女の闇夜に(たたず)む姿は、どこか神秘的で清冽な、それでいて退廃的なオーラを感じさせる。ククリはおしゃべりしている時よりもぼんやりしている時のほうが断然利発に見える、というのが周囲の共通認識としてあるが、その例にもれない様子だった。

 

「シューベルトの『魔王』ですね」

 

 歌の終わりに拍手を送ると、彼女は照れたようにパタパタと手で顔を(あお)いだ。

 

「うん。なかなか寝つけなくてね、ちょっとした気晴らしに。そろーっと出たつもりだったんだけどもしかして起こしちゃったかな」

 

「いいえ、私もふとお散歩したくなっただけですから。ところで、『歌』といえば作っていた曲は完成したんですか?」

 

 ふわりと笑みを浮かべたククリは、芝居がかった仕草でフェンスに体重を預けた。

 

「してると言えばしてるし、してないと言えばしてないね。まあ澪と金田くんの労に少しでも報いたいという気持ちを伝えるのが出来ればいいのさ。曲の出来自体は問題ではないよ。どうせ帰ってきてオラオラしてるたっつーの前では歌うなんてできっこないだろうけど、あいつはクラスメイトからの感謝なんて必要としていないだろうしね」

 

「報いる、ですか。……ククリちゃんは優しいですね」

 

「そうかな? ありがとう」

 

 京楽菊理という少女は、自分勝手な面があることは否定できないものの、誰に対しても基本的に親切なように見えるというのもまた事実だ。

 

 優しい人、というのにもいくつかパターンがあるだろう。一つ、純粋に優しい、悪く言えばお人好しの場合。一つ、何か打算があって優しく接している場合。そして。誰に対しても興味がないから、優しく見えるという場合。

 

 おそらく、ククリは三つ目。特定の人を嫌うほど、関心を持ったことがないのだ。

 

 いつも物事の渦中にいるようで、ただそれらを眺めているだけのような、達観した雰囲気を(にじ)ませている。

 

 それはとても悲しいことだとひよりは思う。しっかりとこっちを見てほしいのだと、わがままな願いを抱いてしまう。

 

「特別試験について、ククリちゃんはどう思いますか?」

 

「んー、そうだな。面白いと思うよ」

 

 キラキラと、この夜空の降ってきそうな星のように瞳に光をたたえてククリは語る。

 

「ガチンコの学力勝負じゃあ私がひよりんに勝つのは正直無理でしょうな。逆に、タイマンだったら私が勝つ。でもこうして学校のルール上で平等に競わせるのであれば、その勝負がどうなるかはわからない」

 

「ルールに則った公平な争い。抜け道もあれど、確かに学校側もそれを意識していると思います」

 

「うん。古今東西、最たる例は生死を懸けたものだと思うけど……ま、ともかく、これはこれで楽しいと感じているんだ。そりゃあびっくりはしたけどね」

 

 確かにひよりも、この高校に入学してからは驚きの連続だった。クラスポイントのことだったり、赤点での退学のことだったり。

 

 それでも、屈託のない彼女の声にある種の歪みを感じるのは何故なのか。考えても、答えは見つからなかった。

 

 

 

 

 §§§

 

 

 

 

 

「────鼠グループのヤツからの報告はこんな感じ」

 

 無人島試験終了から3日後。1年生たちには新たな特別試験の説明がなされていた。

 

『夏季グループ別特別試験、ですか。十二支のグループですから十二支試験、は言いづらいですね。船上試験とでも呼称しておきましょうか』

 

「呼び方なんてどうでもいいでしょ。それよりさっさと指示を出して頂戴」

 

 神室は呆れたようにため息を吐き、電話口の向こうの坂柳を急かした。

 

 無人島サバイバルでは坂柳の棚から神室が入手した指示書により、彼女がいなくとも坂柳派の動きに問題は無かった。

 

 表向きは葛城に従い、しかし裏では龍園にAクラスのリーダー情報を流す。確実に葛城へダメージを与える行為だ。

 

『各グループに必ず1人ずつ存在する優待者を探す。その配属のルールを探るにしろ、あまり気乗りはしませんね』

 

「試験放棄するの?」

 

『基礎に忠実すぎるほど忠実な葛城くんのことです。先の試験で失敗してしまった以上、基本に立ち返り守りを固めるでしょう。そこを龍園くんが突く。でしたら好きに暴れてもらったほうが好都合というもの。静観しているだけで葛城派は勝手に崩れていきます』

 

 コツン、と硬いものが倒れる音が聞こえる。坂柳のことだ、またチェスで遊んででもいるのだろう。豪華客船で過ごしている神室たちとは異なり、坂柳は主にがらんとした寮と図書館との往復で過ごしているのだそうだ。食事は学校側が用意する上に寮の管理人たちからは下にも置かない扱いを受けているらしいし、彼女も快適な暮らしを楽しんでいるとみて間違いない。

 

『優待者の情報を龍園くんに渡す程度のことはしてもいいかも知れませんが、派手に動く必要性は感じられません』

 

「じゃあ、今度も葛城の指示を聞いとけばいいわけね」

 

『はい、お利口さんにしていてください』

 

 馬鹿にしているような口調にイラッとするも、神室は努めて冷静に言葉を紡いだ。

 

「用件がないなら切るけど」

 

『ふふっ、もう少しお付き合いいただきましょう。一つお話ししていなかったことがあります』

 

「何よ」

 

『真澄さんが私の部屋から持っていった書類の中に、手紙も混じっていましたね?』

 

 確かに指示書だけでなく、「開封禁止」と書かれた保存袋に入っている手紙もあった。神室も何だろうとは思っていたが、どうやらその意図が明かされるようだ。

 

『ククリさんにそれを手渡して欲しいんです。この試験で彼女と同じグループになった生徒へ任せるのが丁度いいでしょう』

 

「メンバーに葛城派しかいなかった時は?」

 

『その場合は真澄さんにお願いします。そうでなくとも、封を開けずにきちんと配達できるか見ておいてあげてください』

 

「なら最初から私の仕事にすればいいじゃない」

 

 フフ、と涼やかな笑い声が響く。

 

『より面白くなるほうが好ましいですから』

 

「答えになってないんだけど」

 

『では真澄さん。頑張ってくださいね』

 

 プツリと通話が切れる。このまま端末を投げ壊そうか、と神室は物に八つ当たりでもしたい気分になった。

 

 

 

 

 

 §

 

 

 

 

 Aクラス、森重(もりしげ)卓郎(たくろう)は坂柳派の一員である。それはもうバリバリに坂柳有栖を慕っている。

 

 彼には自分が恵まれている、という自覚があった。まずAクラスという将来の約束されたクラスへ配属されたこと。その学力の高いAクラスの中でも上位の成績を誇ること。何より坂柳という図抜けている指導者がいること。

 

 無人島試験においても、彼は葛城なんかではなく坂柳のために働いた。他クラスに対し、キーカードを受け取ったリーダーが誰か話せば報酬を渡すと、必要なら念書も書くと囁きかけたのだ。成功しなかったことは残念であるものの、試験自体葛城の株を急落させる結果に終わったので気にしてはいない。

 

 そんな森重がグループ別クラス別の説明を聞き終え、207から退出するとそこには坂柳の側近である神室の姿があった。彼女の言うがまま、廊下の隅のほうへと移動する。同じ兎グループになってしまった町田がごちゃごちゃ何か言おうとしていたが、奴は葛城派。もちろん森重は彼を無視した。

 

 神室からの話は単純明快。あまり人目につかぬようにしてCクラスの女子生徒に手紙を渡す、ただそれだけだ。

 

 彼女たちも早めに集合していたのだろう。206から目的の人物、京楽菊理が出て来たのはそれからすぐのことだった。クラスへ連絡をしているのか、熱心に端末を操作している彼女たちに近づく。

 

「少しいいか、京楽」

 

「んー、ちょっと待って」

 

 ぶつぶつ呟きながら文字を打つ彼女は、やがて顔を上げた。

 

「ごめんね、さっさと送んなきゃいけないことがあって。ええと……それで、何の用かな?」

 

 森重が京楽と会話するのはこれが初めて。それでも彼女は全く気にしていない様子で応対しているが、傍らに立つ伊吹の視線はどことなく厳しい。

 

「試験で同じ兎グループになった森重だ。京楽と話したい事柄がある。出来れば人の少ない……5階あたりに移動してもらえるのが望ましいんだが」

 

 この豪華客船の3-5階は客室があるフロアであり、3階を男子、4階を女子が使用、5階は未使用となっている。これまでであればこの2階も人通りは少なかったのだが、今はひっきりなしに人が訪れる状態。配電盤室などがあるらしい地下4階も人気(ひとけ)はないであろうものの、流石に警戒されるだろう。

 

「りょーかい。んで、今からってことでいいのかね」

 

「ああ」

 

 伊吹は咎めるような目つきで京楽を見やるが、彼女はにこにこと「大丈夫、すぐ戻るから先にお部屋に帰ってて」と告げる。

 

 そして、共にエレベーターへと乗り込み。降りた先で周囲に人影がないことを確認すると、森重は手早く用件を済ませることにした。

 

「坂柳から届け物だそうだ」

 

 言いながら、手渡す。これにて任務完了。そう考えた森重の頭に、「違うのでは?」という思考が舞い降りる。確かに神室から伝えられた仕事は、京楽にこの手紙を渡すことだった。しかしそれは彼女が読むことで初めて意味をなす。

 

 別に手紙の内容が気になるからとかそんな俗な理由ではないが、今自分の目の前で読んでもらわねばいけないのではなかろうか。そうだ、とふつふつと同意の声が湧いてくるような気がした。

 

 持った感じでは大した厚みではなかったし、時間もかからないだろう。言い訳のように心のなかで呟くと、森重は改めて京楽のほうへと向き直った。

 

「不備があれば、また返事などがあれば先に聞いておきたい。今ざっと目を通してもらえるとありがたいんだが」

 

「そ? ならそうするね」

 

 何故かポケットを漁り出した京楽は、ミニチュアの剣のようなものを取り出すと、封の隙間に差し込んでスライドさせた。封筒の上部がぱっくりと綺麗に開く。ペーパーナイフか、と森重はあまり見かけることのない道具に驚かされた。どうやら彼女は普段からこれを持ち歩いているらしい。

 

 残念なことに京楽は森重から見えない角度で読んでいたので、手紙の内容を知ることは(かな)わなかった。しかしクスリと笑いをこぼしているあたり、悪いものではないのだろう。

 

 ややあって、丁寧に便箋をしまった彼女が口を開く。

 

「ちゃんと坂柳さんの書いたものだったし、特に問題はなかったよ。返信も必要ない感じだった。持ってきてくれてありがとうね」

 

「あ、ああ。どういたしまして」

 

 そう返すしかなかった。心残りはあるが、長居しても仕方がない。森重は大人しくその場を後にした。

 

 

 

 

 

 §

 

 

 

 

 

 ──なんだ、何もないじゃない。

 

 この5階でどんなことが起きるのやらと少し警戒していた神室だったが、森重は普通に配達したし京楽も普通に受け取って、両者は普通に解散した。森重が階段に、京楽がエレベーターへと向かうのを確認した神室は自身もタイミングをずらして自室に帰ろうと思い…………そして、小さく悲鳴を上げた。

 

「おこんばんは、神室さん。一対一で話すのはなにげにお初だね」

 

 いつの間にか背後にいたのは自分が見張っていたはずの少女。ちょっと目を離した隙に、気配を殺して近づいて来ていたようだ。まさか気づかれていたとは。だが、単にたまたま通りがかったと言えば誤魔化せるだろう。神室はいつも通りの、冷ややかな表情を浮かべる。

 

「今日も坂柳さ、じゃなかった。んんっ、キャロルから言われて私のことを観察してた的な感じかな」

 

 ツッコミどころの多い台詞だったが、神室にとってはある一点が特に重要だった。

 

「今日“も”って、何?」

 

「前から何度か私の近くをうろちょろしてたよね? すごーくたまーにって具合だったけど」

 

 のんびりとした口調。しかしその言葉は確信めいた響きを含んでいた。

 

 坂柳から他生徒の監視を命令される際、対象として最も多く選ばれたのは葛城だったが、京楽を相手取る時もあった。それすらも気づかれていたのか。困惑する神室に構わず、彼女はペラペラと喋り続ける。

 

「私はちょっと慣れてるからってのが大きいし、そんな気にしなくていいと思うよ。たぶんキャロルも織り込み済みでやってるだろうしね。今こうして私たちが話してるのも彼女の想定内なんじゃあないかな」

 

 坂柳がわざわざ神室以外に配達を任せ、その上で現場を見張らせた理由。なるほど、こうして神室が肝を冷やすのを楽しむためというのは納得がいく。本当に性根が腐っている、と神室はその胸のうちで坂柳への悪態をついた。

 

「そういえばなんだけど、神室さんはたぶん坂柳派のみんなを把握してるよね? 中でも優秀な男子について教えてくれたり……いや、いいか。ごめん忘れて」

 

 京楽がAクラスのことについて言及するのは珍しい。坂柳と話している時は、お互いのクラスの詳しい情報はほとんど出していなかった。葛城と龍園、その話題が多少あったくらいだ。その彼女がこう言った、となると。

 

「手紙の内容について?」

 

「うん。でもまあ聞かないほうが楽しい気がしてきたから、いっかなって」

 

 にこりと温かく笑う京楽が、腹の中で何を考えてるのか。神室にはさっぱり分からない。人は打算的な生き物、大抵の人間は上辺だけの態度をとる。そう考えている神室だが、坂柳と京楽なんかはなおさらその傾向が強いと思う。ついでに橋本あたりも。

 

 京楽のことをそこまで知っているわけではないものの、あの坂柳と仲良くおしゃべりできるという一点のみで「異常」と「腹黒」のレッテルを貼るには十分だ。

 

「あんたは坂柳がどうして手紙を寄越(よこ)したのか分かってるわけ?」

 

「インパクト重視の演出だろうね。この船には乗っていない彼女からの手紙となると、確実に1週間以上前に書かれたものということになる。それほど前から状況を見通していたとは────」

 

 なかなかどうして面白い、と。低いトーンに変わる京楽に対し神室が違和感を持つ前に、元のふわふわと甘ったるい声が続く。

 

「あとは文通とかしたかったのかも! 交換日記なんてのもいいよねえ」

 

「私が配送係をやらされそうだから嫌」

 

 坂柳のことだ、どうせまたこき使ってくるに決まっている。眉をひそめる神室に苦笑しつつ、京楽は手紙の内容に少し触れた。

 

「無人島試験で葛城君がうちのクラスと取引するのを読んでいたのは本当に凄かったな。そういやあの契約、彼女だけサインしてないけどどうするの?」

 

「払うって言ってたわよ。『毎月2万ポイントもの支払いを(不参加の私にも多大な支出を強いるとは)自分だけ免れるなんてことは出来ません(葛城くんはなんて非道な人なんでしょう)』って」

 

「うーむ、なんかすごい副音声が聞こえた気がした……」

 

 まあ坂柳が何を考えていようと、龍園たちCクラスにはメリットしかない。喜んでポイントを受け取るだろう。

 

「でも葛城が取引に応じたからいいものの、じゃなけりゃあんたらはどうしてたの?」

 

「ま、神室さんも当然知ってることだろうけど、元々この旅行の前から龍園君と葛城君は接触してたらしいからね。この時のためになにかしら根回しはしてたんでしょう」

 

 確かに、葛城を見張っていた神室は学校で彼と龍園が密会している場面を目撃したことがあった。

 

「んー、それでも葛城君からお断りされちゃった場合、か。たっつーはどう考えてたんだろうね。きっとだけど、200ポイントとの交換で一人毎月2万プライベートポイントを徴収ってのが高すぎることが原因でしょうから、レートを引き下げて再交渉とかかな。うちのクラスはBとDには敵対視されてて、絶対龍園君の話には乗ってくれないんだよねえ」

 

 Dクラスの須藤とかいう男子生徒の暴力事件はAクラスでも話題になった。一之瀬たちもCクラスから嫌がらせを度々受けていたそうだし、Aクラスとしか協力関係を築けなかったという推測はまず間違っていないだろう。

 

「なら葛城は突っぱねるべきだったってわけね」

 

「そしたらそれはそれで損したぶん、龍園君のことだから虫をいっぱい集めて他クラスのベースキャンプ近くに放出とかめっちゃ嫌がらせしてきそうだけど」

 

「そんなの洞窟でやられてたら(たま)ったもんじゃないでしょ」

 

「うむ、私もそう思う。虫の大群が迫ってきた時にはすぐさまリタイアする自信があるよ。ま、交渉決裂してたらあのあとAクラスに洞窟スポットを譲ったかは微妙なとこだろうけどさ」

 

 そういう交渉の制限時間を設けて焦らせたりとか、葛城君の視野を狭めるような思考誘導をしたりしてたんだろうね、と京楽はさらりと告げた。

 

 

 

 

 

 

 §§§

 

 

 

 

 

 夏季グループ別特別試験、その2回目のグループディスカッションが終わった、夜。

 

 Cクラス担任──坂上数馬は自室で一人、パソコンを操作していた。今は特別試験の真っ最中。教師の仕事ならいくらでもある。

 

 彼ら教職員はプールや映画館などの施設を利用することは許されていない。せいぜいバーやラウンジを、それも生徒たちが寝ているであろう夜に使うくらいしかできないのだ。

 

 今夜、1年の担任で飲みに行こうと坂上も誘われてはいたものの、申し訳ないですがと断っていた。坂上以外の3人は同期。そこに交じるのは気まずいし、単純に真嶋をあまり快く思っていないということもある。

 

 どんな話をするのか、おおよその見当はつく。今回の試験のこと、それも竜グループについてだろう。

 

 通例では竜グループにはクラスの代表を集める方針だ。より正確に言えば、成績や生活態度から判断される「クラスを代表する優秀な生徒」が集められる。

 

 その観点からすれば龍園翔という生徒は竜グループには不適格だ。なにせ成績も生活態度も悪い。

 

 本来ならば、成績からすれば金田や椎名を。生活態度からすれば京楽を入れるべき場面。しかし坂上は竜グループに龍園を投入し、さらに金田たちをわざと外した。それが龍園にとって最も益になると理解しているからだ。

 

 クラスをまとめ上げる統率力。Aクラスとの取引を成立させた交渉力。1人だけ島に残り潜伏し続けた体力と精神力。龍園という生徒は全てが並外れている。坂上が賭けるには十分な存在だ。

 

 龍園の手足となる生徒は、むしろ竜グループにいないほうがいい。彼は一人でも他クラスの代表たちと渡り合えるし、他グループの情報収集こそを必要とする。そう考えた坂上は竜グループを通例とは異なる変則的な組み方にした。

 

 これが吉と出るか凶と出るか。それはまだわからない。猿グループからはつい先ほど裏切りのメールが送信されたが、送ったのはDクラスの生徒であり優待者はBクラスの生徒。Cクラスにはあまり関係のないことだ。何故正解できているかは気になるが、今は試験中。どのみち坂上たち教師は生徒たちの手助けをすることはできない以上、どうしようもないだろう。

 

 カタカタと無心になってタイピングを続ける。やがて区切りのいいところまで終わらせた坂上は少しばかり部屋から出ようと立ち上がった。座ってばかりだと肩がこるし、健康に悪い。散歩がてらフロアにあるトイレへと足を向ける。

 

 夜も更けて、0時に近い。廊下にはまばらに生徒がいるのみだった。特に就寝時間が定められているわけでもなく完全に自己責任となっているため坂上としては注意するも何もないのだが、生徒たちはみな気まずそうに顔をそらしている。

 

 そんな中、堂々と歩く姿があった。

 

「よ、坂上」

 

「こんばんは、坂上先生」

 

 太々(ふてぶて)しい態度と礼儀正しい態度。対照的な反応を見せるこの2人だが……坂上が驚いたのはこの礼儀正しい女生徒、京楽菊理の存在のほうだった。

 

「京楽さん……どうして3階に?」

 

 この3階にある客室は男子が、4階の客室は女子が使用することになっており、教師も含めきっちりと分けられている。男子は女子のエリアに0時以降の立ち入りと滞在が禁止されているものの逆は無いので問題ないといえばないのだが、担任としては口出ししたいところだった。

 

「龍園君にノートを返してもらおうと、受け取りに」

 

 それがどうかしましたか、と首を傾げる京楽は何の危機感も持っていないようだ。

 

 坂上はもちろん2人が親しくしている理由を──同じ小学校にいたという事実を──知っているが、他の生徒からは要らぬ誤解を招くだろう。

 

「明日以降でも問題ないのでしたら、部屋にはやく戻るべきかと」

 

「そう……ですかね?」

 

「ええ。エレベーターまで送りますから、さあ」

 

 京楽が龍園のほうを見上げると、彼は「勝手にしろ」とぶっきらぼうに告げた。少し逡巡してから、それじゃあまた明日、と京楽がにこやかに手を振る。

 

 龍園はそれには応えずにすたすたと去っていった。一応じっとその後ろ姿を見ていると、普通に部屋に戻ったようだ。バタンと乱暴に閉められたドアが再び開く様子もない。

 

 宣言通りエレベーターの前まで京楽に付き添って歩いた坂上はボタンを押す。降りて来るのを待つ間、京楽はポツポツと話し出した。

 

「さっきまでデッキで星空を眺めていたんですが、とっても綺麗で……航海しているからでしょうか、無人島で見上げたものとはまた違った風に感じられました」

 

「船上と地上という違いもあるのかもしれませんね。京楽さんが船上生活を楽しめているようなら何よりです」

 

 話を聞いていると、どうやらデッキから戻る際に貸していたノートのことを思い出した京楽が忘れないうちにと返してもらうことにしたらしい。この特別試験に関するものなのか、それとも勉強に使うノートなのかはわからないが、京楽としては軽い気持ちで言い出したのだろう。

 

「あまり……夜遅くに異性の部屋を訪ねるのは、邪推されることもあります。気をつけたほうがいいでしょう」

 

 口うるさい、と顔をしかめられるかと坂上は思ったが、むしろ彼女はにこにこと微笑んでいる。不思議に感じた坂上の気持ちを察したのだろう、彼女は少し慌てて口を開いた。

 

「いえ、何か『お父さん』みたいだな、と。ご気分を害してしまったのなら申し訳ありません」

 

 神妙な面持ちの彼女に坂上はしばし言葉を失った。担任である以上、受け持つ生徒の家庭環境も把握している。彼女の言った意味が普通とは異なるのは明白だった。

 

 と同時に──この学校の生徒は家族との連絡すら一切できない。教職員は彼らの親の代わりも務める必要がある。それを再確認させられた気持ちになった。

 

 努めて優しい雰囲気を出そうとする坂上に、ククリは笑顔で問いかける。

 

「すごく話は変わりますが、そういえばスポットライトを兎部屋で用いようかと考えていまして。可能でしょうか」

 

「よほど危険なものでなければ持ち込みに制限はありません。問題はないでしょう」

 

「では……部屋の電気を消す行為は?」

 

 何気ない質問だ。しかし。彼女が部屋に設置されている監視カメラに気づいているとしたら、その意味はかなり異なってくる。

 

 監視カメラから見えなくなってもいいのか、と。そんな問い。

 

「少しの間であれば特に。ただ長時間になってしまうと、点灯してほしいとの放送が部屋に入るかもしれませんね」

 

 ゆっくりと慎重に坂上は答える。何を考えているのかは不明だが、京楽は静かに頷いていた。

 

 エレベーターの中に消えていく彼女へと、坂上は少し迷いながらも声をかける。

 

「よい夢を、京楽さん」

 

「はい。おやすみなさい、坂上先生」

 

 

 

 

 §

 

 

 

 一方その頃。昼間とは異なり酒類のみの提供であり、大人だけが利用できることになっている夜のバーでは。やはりと言うべきか、竜グループの話題になっていた。

 

「──おまえは私の思考を上回りたいがために一之瀬を竜グループではなく兎グループに入れた。そうだろう?」

 

 非難するような色を含んだ茶柱の言葉に星之宮はウイスキーをぐいっと(あお)る。

 

「10年前の恨み、な〜んてサエちゃんが気にしすぎなだけよ。私は担任として一之瀬さんには試練が必要って思ったの。ま、島の試験の最終的なリーダーである綾小路くん、彼とサエちゃんの関係が気になるのは認めるけどね。ただの偶然よ偶然」

 

 関係、と言っても生徒と教師の禁断の恋とかではなく利害関係やらを気にしているのだろう。担任とクラスは一蓮托生。容易に切り離せるものではない。

 

 そういうことか、と真嶋は頷き納得する。

 

「あまり私情を挟み過ぎるなよ。上に報告しなきゃならんのは俺だ」

 

「はいはい、分かってるって。でも坂上先生のほうがアレじゃない? 竜グループには男女を入れとけってことなんだし、Cクラスも京楽さんあたりが来るはずのところをあの龍園くんよ龍園くん」

 

「その点は否定が難しいな。どうも今年は例年とは違い、生徒の質が特殊なようだ」

 

 真嶋たち3人は教師になってまだ数年。教師としての経験は浅い。しかし在籍していたこともあるのだから、この学校についてはよく知っていた。

 

 真嶋の言葉に星之宮はブンブンと首を横に振る。

 

「うーん、そういうのじゃなくて、龍園くんを入れて京楽さんを外したのはもっと俗な理由じゃないかしら」

 

「どういう理由だ、チエ」

 

「簡単なことよー。龍園くんってほら、手が早そうだもん。きっと2人を同じグループにしてイチャイチャされると困るとか思ったんじゃない?」

 

「龍園もおまえにだけは言われたくないだろうよ」

 

 やることやったらポイーとか言うおまえには、と茶柱は嘆息した。天然な言動を見せつけるこの同期がふざけているのか煙に巻こうとしているのか、実は酔っているのか。それとも暗に自分を責めているのか。茶柱にはわからない。

 

 高校時代終盤に課された満場一致特別試験。その遺恨は根深く、過去の選択への後悔は果てしなく大きい。茶柱佐枝の心はあの時に囚われたままだ。

 

 

 

 

 

 §§§

 

 

 

 

 

 

「ともかく、優待者は綾小路くんって判明したわけだ。町田くん、これは結果1を勝ち取るためにやったんだってこと、ちゃんと覚えてるよね?」

 

「そっちこそ忘れたのか? 俺たちは葛城さんからの指令に無いことはしないさ。葛城さんの性格は知ってるだろ? じゃあな」

 

 夏季グループ別特別試験最終日、午後9時。森重、町田、竹本のAクラス3人は兎部屋から意気揚々と退出した。

 

 自分たちのグループの優待者はDクラス綾小路清隆と暴かれたのだ。ならば30分後に学校側へメール送信すればいい。そうするだけで結果1、つまりグループ全員が50万ポイントを手に入れられる。

 

 この綾小路という生徒と森重は以前話したことがあった。無人島試験の際、クラスを裏切らせるための提案をしたうちの一人だ。ただの気弱な下っ端という感じの彼はなかなか首を縦に振らなかったので諦めたが、こいつが優待者とは。森重は嘲笑する。

 

 小芝居をしていたものの所詮Dクラス(不良品)Dクラス(不良品)。あっけなく一之瀬に敗れてしまっていたのは傑作だった。

 

 そう、上機嫌でいる森重の気分を害するように、町田が話しかけてくる。

 

「おい森重。分かってるな? 優待者の名前を送るのは9時半からの30分間。でないとリスクが高い。9時半以降ならたとえ不正解でも結果2、優待者に50万は渡るが俺たちのクラスポイントが失われることはないんだ」

 

 言われずともそんくらい理解してるぞ、と吐き捨てた森重はエレベーターを利用する町田たちを避け階段へと向かう。イラつきのあまり注意散漫になっていたのか、途中で誰かと軽くぶつかった。

 

「悪い」

 

「こちらこそ、ごめん」

 

 相手はサッカー部の平田。爽やかに微笑む彼との衝突は女子生徒であればロマンスの予感にでもなったのかも知れないが、森重には関係ない。さっさと立ち去ろうとして、目の前に落ちている物に気づいた。白い紙切れ。拾うと、書いてある文字が目に入った。

 

【YNKJ.K:会話】

 

「これ──」

 

 差し出した紙を受け取る動作は、いつも物腰柔らかな平田にしてはやや乱暴な気がした。

 

「あ、ありがとう」

 

 隠そうとしても隠しきれない動揺が、声に現れているように聞こえる。廊下を歩き去っていく平田の背中もどこか頼りなく見えた。

 

 では何故、平田は慌てているのか。それは火を見るより明らかだ。この試験において重大な手がかりとなってしまうものを、森重が視認してしまったから。

 

 優待者の名前。綾小路清隆……AYANOKOJI KIYOTAKA、子音のみを抜き出せば YNKJ.KYTK となる。

 

 万が一見られても問題ないよう分かりづらく書いたのだろうが、優秀な森重は一目でこれが綾小路を指すものと見抜くことが出来た。

 

 Dクラスのまとめ役である平田と下っ端の綾小路にそう接点があるとも思えない。綾小路が優待者であるからこそ、話したいことがあったのだろう。

 

 ──やはり、“兎グループの優待者は綾小路で確定だ”。

 

 視野狭窄に陥った森重は、自分の思考が正しいものと信じて疑わない。とても証拠とは呼べないものですら判断材料に加えてしまう。

 

 こうなると裏切りメールを送るべきではないか。森重は考えを巡らせる。

 

 結果1だと町田たちまでプライベートポイントを得てしまう。しかし綾小路の名を今送信して結果3にすれば、クラスポイントを50獲得し“森重にのみ”50万プライベートポイントが支給される。さらにおまけとしてDクラスのクラスポイントを減らすことも出来る。

 

 何より、Aクラスの代表は坂柳なのだ。葛城などではない。話し合いの際はどうにか我慢して、「ずっと黙っていろ」という葛城の馬鹿らしい指示に従っていたが、もう限界だ。

 

 森重の決意を後押しするかのように、次々とメールが届く。

 

 

【鼠グループの試験が終了いたしました。結果発表をお待ちください。】

【馬グループの試験が終了いたしました。結果発表をお待ちください。】

【鳥グループの試験が終了いたしました。結果発表をお待ちください。】

【猪グループの試験が終了いたしました。結果発表をお待ちください。】

 

 

 4つものグループから裏切り者が出たらしい。はやくしないと、兎グループでも裏切るメンバーが出るだろう。この試験では誰が学校側へメールを送るか分からないし、結果として誰がポイントを得たのかも分からないのだから。

 

 森重は【綾小路清隆】と、迷いのない手付きで入力した。

 

 

 残念ながら────兎グループの本当の優待者が軽井沢恵と知る者は、Aクラスには存在しない。森重の裏切りを誘導したのが綾小路その人であることを知る者も、まだいないのであった。

 

 

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