ようこそ享楽至上主義の教室へ【特殊タグ無し版】 作:アネモネ
(SS︰男風呂)
春休み初日の朝、ククリとカフェで会う約束の時刻よりずっと前。綾小路はある場所へ向かっていた。
寮から少し距離があるその施設には、竹の湯という文字が見える。そう、銭湯。複数人で大きな風呂に、という公衆浴場へ綾小路は足を踏み入れた。
ここでの入浴は無料だがタオル等は購入しなくてはいけない。しかしそんなことは綾小路にとってどうでも良かった。男湯と女湯は1週間で入れ替わるのだが、片方にしか露天風呂がついておらず、今日は男湯に露天風呂がある日なのだ。
時間のせいもあるのか利用する人は少ないようで、風呂場に入っても客は一人しか見当たらなかった。椅子に座りシャンプーで頭を洗う姿は、前の林間学校を思わせる。彼も綾小路と同じであの謎の勝負に巻き込まれた生徒だった。
「む……」
あっちもこちらに気づいたらしい。避ける必要もないのでその隣に行くことにする。
「綾小路か」
「ああ」
「卒業式の後、龍園からお前について知っていることを全て聞かせてもらった」
「ククリではないんだな」
一人で考え込む性格の葛城とは、彼女もまだ距離を縮められていないのだろうか。
「まずは龍園に、と判断したまでだ。本人の与り知らぬところで尋ねたことは申し訳なく思っている」
「葛城が他言しないのであれば、オレは構わない」
「それは勿論だ」
義理堅い男の言葉だ、嘘ではないだろう。
「しかし坂柳とは前から知り合いらしいと聞かされた時は驚いた」
「そこまでの関係でもないけどな」
いかにもお嬢様っぽい坂柳と庶民派な綾小路の接点を葛城が不思議がるのも無理はない。実際、昔の2人はある意味住む世界が違った。
「同時に腑に落ちる点もあった。クラス内投票で坂柳がクラスへ指図したこと。あの賞賛票の呼びかけは、お前のことを知っているからこそのものだったんだな」
「らしいな」
お互い口数が多い方ではない。それから無言で身体を洗い終え、露天風呂を堪能しようかと考えるも、葛城がサウナへ向かったのが気になったのでついていくことに。
扉を開くとむわりと熱気が伝わってくる。
──すごい組み合わせだな。
そう思わずにはいられなかった。堀北学と龍園翔。その2人が中にいた先客だった。まもなく学校を去る堀北学はその前に様々な施設へ立ち寄りたかったのだろうと想像できるが、龍園の方は何故。疑問に感じていると、あることを思い出す。林間学校で龍園は『お前に敗北を味わわせてやるよ』とでも言うように笑い、周囲を焚きつけ綾小路にあの勝負をけしかけてきた。そういえばあの時ジェットバスという安全圏で身体を温めていたあたり、風呂はそう嫌いでもないのかもしれない。
一方、堀北学も眼鏡をかけたままという点では異質だった。金田のように眼鏡無しでは視界が悪すぎて歩けないのか、サングラスに曇り止めジェルまで使ってたっぽいアルベルトのように何かこだわりでもあるのか。聞く前に、声が響いた。
「龍園のクラスに移籍したそうだな、葛城」
「はい」
真っ直ぐに視線をぶつけてくる堀北学に、葛城が臆することは無かった。
「お前に伝えておかなければならなかったことがある」
静かに彼は語った。以前生徒会の面接を受けた葛城を落としたのは、南雲の影響下に入ることを危ぶんでいたのだと。葛城の優秀さは認めていたと。真摯な言葉を並べる。
「すまなかった、と告げて終わる話ではないだろう。伝えておきたかったのは、あくまで俺の満足に過ぎない。だが俺は──何か後継者育成において他に出来ることは無かったかと。南雲についてはもっと周囲に相談すべきだったと。そして、心から信頼する友を作るべきだったと後悔している」
そうすれば南雲を止められていたかもしれない。そんな、ifの話だ。
上に立つ者は、人の望みを叶えられる者は孤独と隣合わせになる。周囲は自分の地位や財力しか見ていないなんて権力者が嘆くのは物語の定番でもあるだろう。
あるいは。自分が死ねば他は皆助かるなら、その道を選ぶ。王にはそんな孤高のイメージがある。
「確かに生徒会に入れなかったことによる焦りが、Aクラスでの地位を失った一因となった。そんな部分はあります。しかし自分は一之瀬や京楽と異なり何度も挑戦することはしませんでした。本当に希望していれば、南雲会長の面接を受けたでしょう。生徒会への熱意が欠けていたのはひとえに私の責任です」
「おいおい葛城、そんないい子ぶってねえでポイントか情報でもむしり取りやがれ」
「少し黙ってくれ龍園、これは俺の問題だ。……ですから堀北先輩が気に病む必要はありません」
「クク。一発くらいぶん殴りゃいいだけの話だろ」
しかし龍園は葛城の制止を聞き入れるつもりはないらしい。ここで、綾小路もちょっと口を挟むことにした。
「龍園、元生徒会長は空手や合気道も嗜んでいるぞ」
「手強いのか」
頷くと、龍園は視線を強める。
「まぁこのサウナでも顔色一つ変えないことだしな。少しは評価してやるよ、堀北先輩。だがそれなら南雲を殴れば済んだ話じゃねえのか?」
「暴力行為で南雲が止まることはないだろう」
不意打ちで殴っても南雲は訴えないだろうが、暴走はさらに進む。何故だか綾小路にもそんな予感がした。
「ククッ。葛城といい、堀北先輩様といいお優しいことで」
「葛城のためにつっかかる龍園も十分そうだと思うが」
「あ? ふざけたこと抜かすな」
そうだったのかと問うような葛城の目から逃げるように、もしくは単純にサウナの熱に耐えきれなくなったのか。気分が悪くなったと告げて龍園は去っていく。
「本気で言ったのか?」
「冗談だ」
葛城は意外なものを見たようなリアクションをした。
「龍園も同じ気持ちのようだが……いつの日か、本当のお前と戦える時を楽しみにしている」
後輩たちの会話に堀北学が微笑む。しかし綾小路と葛城はそろそろここから退出したい気持ちになっていた。
少なくともこのサウナでの耐久勝負では、彼が圧倒的に先輩の貫禄を見せていた。
(SS︰英語禁止トランプ)
ESS部。それは、「English Speaking Society」の略。
その部長が開くお別れ会に、坂柳有栖は参加していた。交友関係があまり広いとは言えない彼女だが、林間学校のグループ分けにて一緒になった上級生とはある程度の関係性を築いていたのである。
ESSの顧問として自らの担任の真嶋も後から登場するとのことで、有栖とククリの会話は彼に関するものになっていた。
「そういや真嶋先生が選抜種目試験のことで減給処分になっちゃったとか耳にしたけど」
「ええ、ルール違反と月城理事長代行に判断されたそうで」
有栖は卒業式の日、応接室にて茶柱からこの件について聞かされている。そのため他クラスの司令塔のことでもすらすらと答えられた。
「ククリさんたちの種目の柔道で山田くんが選手となった際、一之瀬さんは彼と戦わせる生徒を選択できなかった。誰を選ぼうと勝てる望みなどないと分かっていたのでしょう」
「あー、うん。確かに生徒選択の時間切れでうちのクラスの不戦勝になってたね、あの時は」
「本来のルールであればその場合、まだ種目に参加していない生徒から男女を問わず誰かがランダムに選出されます。あっさり降参するなら良いですが、あちらは仲間想いのクラスですからね。一之瀬さんのためにと全力で立ち向かい諦めようとしなければ、山田くんは容赦なく叩きのめすことでしょう。そうなると目も当てられない事態になりかねません」
「だから真嶋先生は不戦敗のジャッジをした、と。なるほどなるほど」
頷くククリに有栖は微笑んだ。
1年間、真嶋が担任を務めるクラスに在籍してきた有栖は理解している。彼はああ見えて誰よりも生徒のことを考えており、また子どもたちのことを一番に優先する人物だということを。
月城に処分を下されてしまったのは、権力に屈さず信念を貫き通すその性分が気に入られなかった故だろうか。実際、綾小路と有栖から月城の試験への不正な介入を聞いた真嶋は協力と監視役を引き受けているのだから、間違った判断とも言えないだろう。
正義感が強すぎるのは彼の美点であるがやや気がかりな点でもある。真嶋が綾小路と月城の問題にあまりにも深入りしてしまえば、その首があっさり飛ばされるのは想像に難くない。まぁ引き際を誤るような無能な人物なのであればどのみち同じことだ。有栖は真嶋にそこまでの思い入れもなかった。
「うーん、何かこう、我々のせいでお給料減らされちゃった感があって申し訳ないなあ。菓子折りでも持っていくべきなのかしら」
「必要ないでしょう。むしろ真嶋先生は困ってしまうことになるかと。生徒と適切な距離を保ちたがるタイプの方ですから」
月城の排除についてはあくまでも例外。多少とはいえ事情を知ってしまった以上、綾小路を見捨てるような真似を真嶋は出来ないというだけだ。
綾小路との勝負を邪魔した月城を有栖は許さない。『惨めでも勝利は勝利』と、『たかだか高校1年生の子どもが』と挑発されたことを生涯忘れることはないだろう。理事長代行という強権に胡座をかき、油断しているとみていい。さっさと片付けるべきだ。
綾小路がこの学校にいると分かった時点から、有栖はあることを予見していた。それは彼の父による攻撃。あのホワイトルームを少しでも知る者なら当然の発想に違いない。自分の父に汚職疑惑が浮上した際も、来るべき時が来たという納得があった。高度育成高等学校は理事長である彼のフィールドであり、綾小路の父も圧力をかけることは出来ないだろうが、謹慎中の今は違う。何らかの工作も容易になってしまっているのだ。
月城が退いてもその次の刺客が来る、いや、もう既に送り込まれている可能性すらある。手を組まれ事態が悪化する前に、排除しなければならない。
有栖がそう考えているうちに、噂の真嶋が現れた。途端に場が盛り上がりを見せる。
卒業生たちに囲まれる真嶋に目をやりながら、ククリが口を開いた。
「わお、めっちゃ慕われてるねえ。んー、どうせならこの機会にお話ししてみたかったけど難しそうかな。何かすぐ帰っちゃいそうな雰囲気だし」
「でしたら全員参加のゲームを提案するのはいかがでしょう。この会終了後早々に学校を離れる生徒も中にはいますし、いい思い出作りになると皆さん喜ばれると思いますよ」
生徒想いの彼ならばまず断ることはしないでしょうし、と有栖は心のなかで呟く。
「おー、それいいね! ありがとうキャロル、先輩たちのとこ行って話してみるよ」
そして。有栖の予想通りククリの発言は受け入れられ、真嶋も含めお別れ会参加者がトランプで遊ぶことになったものの、誤算もあった。
ESSでは英語しか喋ってはいけないルールを設けることもあったというのを聞いたククリが、「ならたまには英語禁止のルールにしませんか?」と言って、一風変わったゲームが開催される。それとなく卒業生たちに花を持たせつつも、有栖は考えた。
──やはりククリさんは、奇想天外な発想をしますね。
思い通りにならない駒は腹立たしいと感じるか面白いと楽しめるかという、基本的にはその二択。有栖にとってのククリは、後者だった。
(SS:後悔先に立たず)
恋人がいた────24時間にすら満たない期間だけの。
親友がいた────
叫ぶ私はクラスメイトから責められ、そして彼に庇われる。繰り返す。繰り返す。
視点が変わる。詳細が変わる。でも、結末は変わらない。
崩壊するクラス。地獄絵図と化した教室。かけがけのないモノは、全て掌からこぼれ落ちた。
私の
私の人生は、既に後悔だらけだ。
§
ジリリと、音が鳴った。この目覚まし時計とも十年来の付き合い。いつも繰り返し見る悪夢から離脱させてくれる。少々みすぼらしくとも、茶柱にとって頼れる相棒を叩くべく、ミニテーブルの上に手を伸ばす。
ずっと悩まされている、されど誰にも話せない悪夢。あるいは。綾小路にすべてを打ち明けていれば、何か変わっただろうか。そう、考えた茶柱はふっと自嘲する。
もう手遅れだ。茶柱は賭けに敗れた。綾小路清隆は支配下から外れ、当然強く反発している。それに、もし泣き落とししようとしたとして、彼が同情心など抱くかどうか。どう説得しようと無駄だったような気がしてしまう。
彼の入学前から、茶柱は坂柳理事長より聞いていた。綾小路清隆の父親は非常に権威のある人物であり、本校に息子が在籍することを望んではいなかったが、坂柳理事長が少々強引に入学を許したと。綾小路は特殊で優秀な生徒であり、およそ愛とは程遠い環境で育ってきた、守らなければならない生徒であると。
そして茶柱と理事長は話し合いにより、綾小路にこの学校への愛着を持たせ、ここに居続けたいと思わせようと結論した。だから彼の父親が退学させるべく接触してきたのだと嘘を吹き込むことになった。
そして。理事長からは、担任として綾小路に不都合があれば報告するように頼まれていた。
だが、だが。茶柱は、その信頼を裏切った。
きっかけは、まず今年のDクラスには綾小路を含めいい手札が揃っているという事実。期待して、すぐに落とされた。5月、クラスポイントは0という前代未聞の愚行。見切りをつけるべきか否か。Aクラスを目指して良いのか。茶柱は中間試験を試金石にした。
過去問という手段を思いつくのは、はっきり言ってそう難しいことではない。しかしそれを共有するかは別問題だ。ちゃんと勉強するか、ということも。特にDクラスへ配属される生徒は個人主義であったり自己中心的な者が多く、赤点退学者を切り捨てる傾向にあった。
よって茶柱は。少しでも答えにたどり着ける人が増えるよう、試験範囲変更の告知をわざとしなかった。本来であればクラスごとの差が生まれてしまうであろうこの状況がなぜ許容されるのか。考えれば、分かる生徒もいるだろう。ただ試験範囲を勉強する以外の手段があるのだと、認められているのだと。過去問そのままの問題が使用されるのだ、と。
それでも赤点を取った須藤が綾小路と堀北によって救済され。その後暴力事件を起こした彼を再び2人は──主に綾小路が救った。ここで茶柱は決意した。
前に受け持ったクラスとは、3年前とは違い、熱意を持とうと。精力的にAクラスを目指そうと。
しかし綾小路は自発的に動く気配の欠片もなかった。このまま無人島試験を迎え他クラスとのポイント差が開けば、Aクラスへ上がるなど本当に不可能となってしまう。重要な分岐点だった。悩んだ。他の対処法を模索した。悩み、悩み、結論した。
脅迫するしかない、と。
どうしようもない大人だと、教師としてあるまじき行為だと分かっていても。賭けるしかなかった。それだけ追い込まれていた。
保護者の許可なしに入学を認められたという弱みにつけこんで、綾小路を利用しようとした。Aクラスを目指さなければ教員としての力を使って退学させると彼を脅した。
しかし。嘘というのは、案外あっけなくバレるものだ。
綾小路の父親が来校し、全ての虚偽は暴かれた。Aクラスへ上がるという望みは、希望はまだ消えてはいない。だがぼんやりとした小さな光になってしまった。
「2年の終わりには、Bクラスは手堅く取るつもりでいます」
卒業式の後、謝恩会の時間。応接室にて綾小路から告げられた胡散臭い台詞。
彼が司令塔を務めたにもかかわらず、学年末試験でAクラスに敗北を喫したのは理事長代行である月城の妨害があったためということ。月城は綾小路を退学させるために送り込まれた存在ということ。これらの話は真実だろうが、綾小路がAクラスを目指す気になったというのはどうにも信用しづらい。
はぁ、とため息をつく。
「散歩でもするか」
朝の日差しを浴びるのは、さぞかし気持ちいいだろう。愛犬と一緒なら、余計に。
学校の中というのは広いようでいて狭い。人と遭遇するのは、往々にしてあることだ。春休みという長期休暇中であれば、尚更。
「わあ、ラッキー……です、茶柱先生とお犬様にお会いできるなんて!」
首輪をつけた可愛い子犬を見て『お犬様』なんて呼び方をする者はなかなかいないのだが、京楽菊理はそのマイノリティ側に所属する人間らしい。あるいは、日本史教師である茶柱の姿から生類憐れみの令を連想した可能性もあるものの、まあそのへんは瑣末事だろう。
「ワンちゃん、お名前なんて言うんですか?」
「ポチだ」
そのポチはといえば、京楽に対して伏せのポーズを取っていた。珍しく人見知りでもしているのだろうか。
意外と花が好きな茶柱は、花壇にもよく足を運ぶので彼女と顔を合わせる機会も多い。自分の持ち場でホースでの水やりをしていた際手伝われたこともある。
愛想よく分け隔てなく友好的な態度は星之宮にも似ているか、と考えた茶柱はすぐに思い直した。酒癖も悪く、「自分は同年代でも可愛い」やら「でも学生のツヤには勝てない」やらくだを巻く彼女と並べ称すというのは失礼な話だろう。
「バナナとかって食べます?」
言いつつ買い物袋から取り出した京楽に、少し間を置いてから茶柱は答えた。
「皮を取り、量にも気をつければ構わないが」
バナナの両端が引っ張られ、綺麗に半分に割られる。ご飯の量で調整するにしても、4分の1くらいにすべきか。伝えれば、京楽は筋も取り軽く潰した上でポチの口元へと差し出した。
「どうぞ〜」
嬉しそうに食べるポチの様子を温かい目で見守る彼女は、動物が好きなようだ。ぺろぺろと掌を舐められ
「バナナと言えば……見えないゴリラ現象って、ありますよね」
「アメリカの心理学の実験か」
白と黒の服を着た者たちがバスケットボールをパスし合っている映像を見て、白シャツ同士のパス回数を数えろと指示された場合。その動画内でゴリラの着ぐるみが堂々と
他のことに気を取られていると、どんなに目立つ物でも見逃してしまうことがある。そんな選択的注意の例として有名な実験。視覚でなく聴覚の話でいえば、ざわめきの中でも自分の名前が出てくれば鮮明に聞き取れるというカクテルパーティー効果なども選択的注意に当たる。
「はい。人間の脳って不思議だな〜って思ったんですけど」
手を拭った京楽はこちらへ微笑を向けた。
「体育祭で堀北元会長と争った走力。選抜種目試験で坂柳さんと争った棋力」
「綾小路君って、見えないゴリラみたいじゃありません?」
「……両方とも綾小路は敗北している。そう目立つ結果でも無いと思うがな」
無気力で無頓着かつ無愛想気味な、印象の薄い普通の生徒。一見すればそうで、他クラスの担任教師や生徒も同様の評価を下しているはずだ。
しかし、全てを見透かすあの目。どこまでも動じず、
綾小路の実力を、茶柱は未だ測りきれていない。
「そうですね。まあ、『ジャングルの中で踊るクジャクのダンス、誰が見た?』なんてのも言いますし」
サンバサンバ〜と口ずさみながら京楽はふわふわと微笑んだ。よく分からないが誤魔化せはしたらしい。綾小路への疑念が確信に変化することを恐れていた茶柱は内心胸を撫で下ろした。
「ですです、サンバ衣装で思い出しましたけど、卒業式で教師の方々が着飾ったりはしないんですね。着物姿が見れると思ったのにと、ちょっぴり残念でした」
「教師個人の裁量に任されているため、何とも言い難いな」
「そうなんですか。でしたら、茶柱先生や星之宮先生の着物姿が将来見れるかもなんですね! 楽しみです」
「……ああ」
ここまで邪気なく接されると、どうにもむず痒くて困る。
「
昔はともかく現在は和装での婚礼の際に被るのが角隠しであるものの、ただのたとえであるのだろう。
こうした生徒がいるのであれば、坂上先生が受け持ちの生徒を可愛がるのも多少は理解できるかと思った茶柱は、しかし────
「そういえば、不純異性交遊がルールでNGなら、すごくすごく純粋なものはOKだと考えてるんですけれども。婚姻届って貰うことは出来るんでしょうか」
前言撤回。面倒な質問への応対で大変そうだな、と八の字を寄せる。
キュンキュンと鳴くポチも、心做しか自分と同じ顔で。似たような気持ちのように、茶柱は感じた。
(SS:3学期期末試験振り返り)
春休みの、とある日。
龍園はカラオケルームの一室で金田と共にいた。
「この学校で、プライベートポイントで買えないモノはない」
入学早々に担任教師から告げられた言葉。実際、プライベートポイントはただ金銭の代わりになるというだけでなく様々な可能性を秘めている。だから龍園はプライベートポイントに固執しているのだ。
「点数購入の話について、覚えてるよな」
「勿論ですよ龍園氏」
金田は迷いなく頷く。
櫛田から話を聞くことにより、Dクラスが1学期中間で須藤の英語の点数を購入したという推測を立てた後。龍園はペーパーシャッフルにもこのルールを用いることが出来るかどうか、坂上に確認していた。
保有するプライベートポイントで比べれば、Dクラスは龍園たちに全く及ばない。故に、もし点数購入が出来ればペーパーシャッフルを絶対に勝てる勝負へと作り変えることが出来るのだ。
しかし坂上の返答はというと、「不可能」との断言。たとえどの教師に聞いても同じ答えが返ってくる、とも話していた。
そして、次の3学期期末試験の際。龍園は同じ問い、つまり「試験で1点買うにはいくら必要か」と尋ねた。すると坂上は笑みをこぼしつつも、「答えられない」と告げたのだ。そして別の教師に聞いても変わらないぞ、と付け加えていた。
ここから分かることはいくつかある。
「龍園氏は仮説を立てていましたね。特別試験の結果に直接関わる場面ではプライベートポイントを用いることが出来ない、と」
「ああ」
1学期中間、ペーパーシャッフル、3学期期末の違いを考えると、一番大きなものとしてはペーパーシャッフルのみが特別試験であったという点が挙げられるだろう。1学期中間も過去問と同一の問題を出すという特別試験じみたものだったが、学校側が特別試験と明言していたわけではないし、クラス間の点数争いというわけでもなかった。
坂上の発言を振り返ると、ペーパーシャッフルでは「不可能」、3学期期末では「答えられない」とのこと。どうしてこんな言葉の差異が生まれたのか。
普通の定期試験においては、1科目でも赤点を取れば退学であり、点数購入によってこれを免れることが出来る。だがそれ以上の意味はほとんどない。定期試験のクラス平均を上げることが出来たところで、クラスポイントの上昇はあまり見込めないのである。
ならばペーパーシャッフルではどうか。点数購入によって平均点を上げることが出来れば、特別試験の勝敗に関わる。プライベートポイントを持っていれば持っているほどそのクラスが有利になるのだ。つまり、クラスポイントの多いAクラスが圧倒的優位に立つ。
「この学校は実力主義ではあるが、下位クラスが勝てるだけの余地は残してやがる。特別試験でもただプライベートポイントを払えば勝てるなんて抜け道は潰してるってことだ。ま、間接的にポイントを使うことまでは制限してねぇだろうがな」
例えば。他クラスの生徒にプライベートポイントを払って買収するだとか、そういった行為はむしろ推奨されているとみるべきだろう。
「僕もその推測は正しいと思います。しかし────」
「前もした話を何故また、って質問だろ?」
はい、と金田が首肯する。
「新しい情報が入ってな。須藤の点数を買った時の話だ」
「それは願ってもない情報ですね」
龍園はククリから話を聞いていた。
綾小路が堀北とともに10万ポイントを支払い英語の点数1点を売らせた、ということ。
ククリにその情報をあっさりと与えたのは、綾小路も彼女のことをよく理解しているからだろう。たとえ何か秘密にしたい事柄があっても、ククリは勘で当ててくる可能性がある。隠したところであまり意味がないのだ。
「茶柱の独断で点数の価格が決められるとも思えねぇからな。この学校が設定しているマニュアル、そこに点数売買に関しては1点10万ポイントと明記されてんだろ」
「ええ、僕も同意見です。そうなりますと、果たして毎回10万ポイントで1点を売っていただけるのかという疑問が生じますね。もしかすれば1点目は10万ポイントでも2点目、3点目となれば15万ポイント、20万ポイントといった具合に値上げされることも考えられます」
「入学から一定期間のお試し価格だったのか、点数を買う度に値上がりしていくシステムか。平均点によって価格が変動する可能性もある。最初の1点しか点数を売れねえ仕組み、実際に赤点を取り不足してる点数分のみの売却という可能性……考えたら切りが無い」
さらにククリは堀北学から『プライベートポイントの特殊な用途に関するルールは、その使用条件を満たしていなければ教師は回答を許されていない』と教えられたらしい。
1学期中間での須藤の点数購入はその条件に当てはまり、しかし3学期期末における龍園の質問は当てはまらないからこそ坂上は答えられなかった。あの時の坂上の笑みは、龍園が学校のルールに足を突っ込んだことへの嬉しさから来たものに違いない。
「おそらく学校側としてはどういったケースで、どんな値段で点数を売るのかを細かく定めてはいるのでしょう。ただ、生徒に教えればそれ込みで計算されてしまう恐れがあります。これもプライベートポイントの格差による不平等を生まないためのシステム、ということでしょうか」
「さぁな。単に性格が悪いだけかもしれねぇぞ。価格がいくらかは教えないで後から『この場合は1点1000万ポイントだ』っつって詰んだ生徒の絶望した顔を拝む、とかな」
結局のところ、明確な正解は教師たちしか把握していない。理事長のみが知るルールなんてのも存在する可能性が高いだろう。ここは、そういう学校だ。
「とりあえず、石崎氏など成績下位層の学力向上はこれまで通りの課題となりそうですね」
「そういうことだ」
流石の龍園も赤点をプライベートポイントで確実に回避できるなんて幻想は抱かない。須藤のケースは運が良かっただけと捉えている。
後に判明することであるが、OAAにおける1年次成績にて石崎の学力はなんとD-(23)。Dクラスの須藤や池のE+(20)と大差ないのである。
一方龍園はC+(56)と意外にも高く、彼に劣るC(53)であったため落ち込む伊吹をひよりやククリ、口数が少なく普段は無口なアルベルトまでもが慰めることになるのだが────それはまた、新年度になってからの話である。
(SS︰四月馬鹿)
4月1日、といえばエイプリルフール。その起源は様々な説がありはっきりとしていないが、とりあえず皆がジョークで楽しむ日だということは各国で共通している。
そんなエイプリルフールの朝。自室で机に向かった後、石崎大地はケヤキモールへと足を運んでいた。ゲームセンターにでも行こうと考えたのである。
寮からは5分ほどの距離。石崎の運動能力は平均よりやや上程度のレベルであるものの、体力は人よりあるほうだ。軽く走って難なく辿り着く。
入口のあたりで、校舎側から歩いてくる人影に気づいた石崎はパッと顔を輝かせた。それに合わせあちらも自分のことを認識したようだ。
「おはよう、石崎君」
とろけるような、それでいて綺麗な響きを持った声が耳に届く。負けじと元気よく挨拶を返す石崎に、ククリはにこにこと笑みを浮かべていた。
「校舎に何か用でもあったのか?」
「うむ、花壇の様子を見たくてさ。流石に毎日ではないけど、出来るだけ行くようにはしてるんだ〜」
これから伊吹と椎名と遊ぶ予定らしいククリは、いつも通り楽しそうだ。
チェスボクシングをするの、とファイティングポーズを取りながら話す彼女に石崎はツッコミを入れた。
「いやそれ、エイプリルフールだよな?」
椎名がチェスを、伊吹がボクシングをやる場面は簡単にイメージできてもその組み合わせとなると無理だろうと思われる。
「あはは、よくわかったね。うん、実はエクストリーム・アイロニングで競うんだ」
「何を言ってるのかは分かんねぇけど、また嘘言ったってのは俺にも分かったぜ」
「むー、ノータイムで看破されるとは。ま、ひよりんと澪とやるのは普通にボウリングとカラオケだよ」
ちぇ、という感じで唇を尖らせるククリに、意趣返しというわけではないが石崎は笑顔で言い放った。
「そういう冗談とかは龍園さんにやってくれよ。一緒に寄り添ってる2人を見るのが俺の楽しみなんだ」
「寄り添う……2人……?」
ククリはチベットスナギツネのような、なんとも言えない顔になっていた。しかし彼女が万華鏡のようにくるくると表情を変えるのはいつものことなので、石崎は気にせずに言葉を続ける。
「おう。あれだろ、次のテストで点数勝負とかもするんだろ? ほんっと仲良いよな」
ククリの顔はハシビロコウのような険しいものになったが、やはり石崎は気に留めなかった。
誰に聞いたのそれ、とこてんと首を傾げる彼女に「金田から勉強を教えてもらう際に耳にした」と告げようとしたところで、鈴を転がすような声がククリの名を呼んだ。
「あ、ひよりんだ」
それじゃね、と疑問の追求より遊びを優先したククリに、石崎も手を振って返した。
春休みだからということだろう。盛況ぶりを見せるゲームセンターに足を踏み入れた石崎は、偶然にも知人の姿を目にした。このような場所に彼が一人でいるのは珍しいとは思いつつも、とりあえず話しかける。
「よー平田」
「やあ石崎くん」
爽やかなイケメンスマイルに周囲の女性陣の心がノックアウトされる音が聞こえた気がした。この友人は面も良ければ頭も運動神経も良く、さらには性格もべらぼうに良いことを知っている石崎としては嫉妬すら湧いてこない。
彼と敵対する龍園に従う生徒であり、評判もよろしくない石崎に対してでも普通の友達として振る舞ってくれるだけでその優しさはよく分かるというものだろう。
「今日は一人なのか?」
「うん、部活も午後からでこの時間は特に予定も無いんだ。たまにはちょっと遊んでみようかと思って」
以前であれば彼女である軽井沢を誘っていたのかもしれないが、今の平田はフリーな状態だ。一人でふらっと出掛けたくなる時もあるに違いない。
ゲーセンには慣れている石崎がコツなんかを喋りながらクレーンゲームの台を見て回っていると、後ろから声がかかる。今日はよく知り合いに遭遇する日らしい。
「よう平田、石崎。あんま見ない組み合わせだな」
「そんなことないよ橋本くん。石崎くんとは前から親しくさせてもらってるからね」
「平田……!」
どちらかといえば橋本の感覚のほうが正常であるにもかかわらず、さらりと否定してくれる平田に石崎は感動した。モテる男はやはり違う。
「そうか。すまん、悪い意味で言ったわけじゃないんだが」
「分かってるから大丈夫だよ。ところで、橋本くんはどうしてここに?」
「鬼頭の誕生日が4日でな。クレーンゲームの景品もいいかと思ってさ、確認したくなったんだ」
その言葉を聞いた石崎はAクラスの彼に親近感を持った。
「へえ。鬼頭も4月なのか」
「というと、石崎も?」
「ああ、俺は14日だ。4月ってのは何かとバタバタしてて祝ってもらえねぇことも多いからな。鬼頭のプレゼントを用意するなら同じ誕生月のよしみだ、俺も手伝うぜ。クレーンゲームなら得意だ」
力強く発言する石崎に、橋本は謝辞を述べつつも目を細めて笑う。
「それには共感する。実は俺の誕生日、24日なんだよ。4月4日、14日、24日ってなんか合わせたみたいで面白いな」
「確かに面白い偶然だね」
そう言って微笑む平田の誕生日は9月1日。仲間外れのようだが、石崎の認識としては違った。
「誕生日といえば平田はククリと近いよな」
「京楽ちゃん、9日だっけか。いいな、覚えやすい感じで」
石崎は深く深く頷いた。9月9日と10月20日。この大切な日を石崎が忘れることは有り得ないと断言できる。今年はあの2人をどうやって祝福しようかと考えると口元の緩みが抑えきれない。
その様子を見た橋本が苦笑して呟く。
「石崎はマジで京楽と龍園のこと好きなんだな」
「当然だろ!」
龍園と出会っていなければ、彼に敗北を刻み込まれていなければ、今の石崎は存在していなかった。こうして橋本や平田と雑談することもなかっただろうし、金田みたいなタイプから大人しく勉強を教わったり、毎日コツコツ机に向かうことなんて絶対になかったに違いない。
石崎は中学では少々有名な不良生徒だった。喧嘩の腕にも覚えがある。入学当初の石崎は今よりもだいぶ暗く
粗暴な面もある石崎が周囲と打ち解け始めたのは龍園の力によるものが大きい。彼の配下と周知されていることで人から避けられる部分もあるが、それでもクラスメイトとは中学時代より断然いい関係を築けている。
「龍園さんはすげー人だし、その隣にはやっぱ……」
キラキラと目を輝かせる石崎に、橋本と平田は顔を見合わせる。視線を交わした彼らは「この件についてはこれ以上触れないようにしよう」と静かに同意した。触らぬ神に祟りなし、である。