ひ、引っ越しって、めちゃめちゃいそがしいね……
「ここにおかけください」
暗くなり始めた時刻は夕方6時ごろ。私が窓から外の様子を眺めていると、先導してくれた生徒がそう言った。
「はい、ありがとうございます」
慣れない土地だ。そこかしこから銃声や爆発音が聞こえる。ブラックマーケットほどじゃないが、治安はあまりよろしくないようだ。
「風紀委員長が参るまで、もうしばらくお待ちください」
失礼しますと言い、風紀委員の人が部屋から出て行った。私はトリニティのそれに勝るとも劣らない、果てしなく豪勢な部屋にポツンと取り残されてしまう。
そう、ここはトリニティと対を成すマンモス校、ゲヘナ学園である。
そう、私がここにいるのは他でもない。あろうことか、ティーパーティーはおろかトリニティを代表して外交に来ているからだ。
相手はあの風紀委員長、空崎ヒナさんである。
過去に面識があるとはいえ、ここは厳粛な場。加えて私の付き添いなどは一人としておらず(ティーパーティー生徒に頼んでみたが全員に拒否されてしまった)、もしこの会談で何かしらの無礼があれば私を守るものは何もない。
加えて、ハナコ先輩のおかげで少しは寝ることができたとはいえ、今の私は圧倒的な寝不足だ。頭痛や眩暈は絶えないし、この前カイザーのクズ野郎にやられたお腹もまだ痛む。コンディションは絶不調と言って差し支えない。
……しかし、ハナコ先輩の鎖骨の絆創膏は何だったんだろうか。本人に聞いても何にも言ってくれないし、火傷でもしたのかと不安になる。
「ふーっ……」
まあ、そんな言い訳を並べたところで何かが好転するわけでもない。差し出された
粗相があってはならない。その緊張感から、私は掌に人の字を三回書いて飲み込んだ。
その時だった。
「ごめんなさい、待たせたわね」
そう言いながら、空崎さんが扉を開けた。私は急いでコーヒーカップを置き、立ち上がる。
「いえ! お忙しい中、お時間をいただき感謝申し上げます」
そのまま私は深く頭を下げた。相変わらずの存在感に尻込みをする。
「久しぶりね、イト」
私は頭を上げ、空崎さんの顔を見た。
あの時……美食研究会の引き渡しについていった時よりもさらにやつれているように見える。今もここに来る前に不良生徒の鎮圧をしていたのだろうな。さっきまで聞こえてた銃声が止んだし、会談に少し遅れたのもそのせいだろう。
いくらめちゃめちゃ強いとはいえ、こんな小さくて細い少女に背負わすには重すぎる労働だと思う。
何かあってからでは遅いのだ。しっかり休んで、よく寝て、よく遊んでこその女子生徒である。空崎さんはもっと自分を大切にすべきだと、部外者なりに思う。
「はい、お久しぶりです、空崎さん」
そうして空崎さんと顔を合わせる。私よりも小さいこの人が頑張っている以上、泣き言も言ってられない。私ももう一回気合を入れなおそう。
……と、思っていたのだが。
「キキキッ! お前がティーパーティーの聖園ミカ、だな?」
まさか、万魔殿の議長までいらっしゃるとは……聞いてないっ!!
この会議の出席者は私と空崎さんだけだったはずだ。ここに羽沼さんがいるってだけでまあまあ政治的な意味を持ってしまうんだけどなぁ……?
切れ長の目に、銀色の髪とロングコートをなびかせるその人は、空崎さんの前に割って入り腕を組んだ。背が高くてちょっと怖い。
「……申し遅れました。お初にお目にかかります。私はティーパーティー代理、糸巻イトと申します」
この人は、まあいわゆるゲヘナのトップだ。色んな記事にあった内容では随分……その、ちょっと……ゆ、愉快な方という印象がある。
しかしトップはトップ。私がトリニティ代表としてきている以上、細心の注意を払う必要がある。
「キキキッ、このマコト様に早速ひれ伏すとはいい判断だ! さすがはティーパーティーだい……だ、代理?」
羽沼さんがわなわなしだした。
うん? これは「風紀委員会」と「ティーパーティー」ではなく、「ゲヘナ」と「トリニティ」の会議なんだから、羽沼さんにも資料くらい行ってるはずなんだけど……まさか伝わってないのか?
「くっ、なめられたものだ。まさかこのマコト様に代理などをよこすとは……!」
「えっと……」
そもそもあなたはお呼びじゃないのに。
「なるほど……これはトリニティの陰謀だ! このマコト様と秘密裏に取引するつもりだろうが、そう上手くいくものか!」
「あー……」
なるほど、話が通じない……というよりは、成り立たない人か。
「しかし……キキッ! こんな貧弱なやつが代理とは、ティーパーティーのレベルがうかがい知れるな! やはり我々ゲヘナの方が圧倒的に上だ!」
エデン条約を控えたこんな時に……大胆不敵が過ぎるぞ。ゲヘナのトップが仮にもティーパーティー代理にそんなこと言っちゃうの? 怖いんだけど??
「好都合! この場にいる空崎ヒナと共に、私が直接……」
「マコト」
羽沼さんがそのコートをはためかせ、高らかに声を上げた、その時だった。
「……少し、黙って」
空崎さんの纏う空気が、一瞬で変わった。
その場に漂うあまりに高密度な殺気に、私の身体が意志とは無関係に震えだした。喉が締まって、うまく呼吸ができなくなる。
……こわい。漏らしそう。
羽沼さんも感じたようで、額に冷や汗を浮かべている。
「……こ、今回は見逃してやる。次はないぞ! 空崎ヒナ! 糸巻イト!」
そう言って羽沼さんはそそくさと出て行ってしまった。何しに来たんだ、あの人。
「ごめんなさい、イト。邪魔が入ったわね」
「あ、いえ……」
「勝手についてきたみたい。大方、トリニティの重鎮にちょっかいをかけたかったんだろうけど」
か、勝手にって……。
「羽沼さんはいつもそう、なのですか?」
「うん」
空崎さんはそう言うと、心の底からあふれ出したようなため息をついた。
「羽沼さんは、トリニティのことがお嫌いなのでしょうか……?」
「まあ、そうね」
「えっと、過去に何か……?」
「多分なにもないと思う。嫌いな理由はなんとなく。特に何も考えてないんじゃないかしら」
「わぁ……」
なるほど、系統でいえばミカちゃんと同じか。
……そのアナロジーで考えれば羽沼さんもエデン条約に関して何かしらの妨害を行っている可能性はあるな。
そもそもゲヘナ側でエデン条約を進めてきたのは空崎さんだと本人から聞いた覚えがある。空崎さんは、羽沼さんが何も考えていないのだろうと言っていたけれど、本当にそうだろうか。
何かを嫌うのはすごいエネルギーを生む。ゲヘナに対するミカちゃんしかり、私に対するティーパーティー生徒しかり。その行動力は決して侮っていいものではない。
警戒するに越したことはないだろう。
「それより、本題に入ろう」
私がそう考えに耽っていると、空崎さんから声がかかった。まあ、エデン条約はもう目前だ。今更なにかできるわけでもあるまい。
……と、思うことにする。
「そうですね、失礼しました」
「……エデン条約調印式当日の予定について、だったわね」
そうだ。そもそも私がここに来た目的を忘れちゃだめだ。
「はい。調印式当日の予定では、私と空崎さんは一緒に会場入りをし、開会式の挨拶を行うことになっています」
そう、私にはティーパーティー代表として空崎さんをお出迎えし、格式ばった挨拶をする役割を与えられてしまった。
これはティーパーティー生徒たちからの推薦である。一見名誉なことだけど、曰く『ゲヘナ……それも空崎ヒナにへりくだって下手に出るなんて、あなたのようなプライドもへったくれもない目先の権力に溺れた卑しい魔女にしか務まりませんわ』とのことだ。ひどい。私が泣いちゃったらどうするんだ。
「私の当日の予定は、早朝に会場の設営、その後来賓の受付と接待があります。空崎さんと合流できるのはその後なのですが……当日のご予定はいかがですか?」
「……私は車で向かうことになってる。会場につくのは比較的遅くなると思うから……」
「それなら、ちょうどよく合流できそうですね」
よかった。このために仕事を早めに切り上げようものなら、他のみんなからどんな暴言が飛んでくるか分かったものじゃない。一安心である。
「それにしても……あなた、ティーパーティー代理なのに、そんな雑用までやるの?」
「え?」
雑用って……設営や接待のことを言っているのだろうか?
「会場の設営なんて、部下にやらせれば……」
それ、空崎さんが言うか。自分だって風紀委員の仕事を一人でやっちゃうくせに。
「あ、あはは……そう、ですよね……」
そうはいっても、私の部下(笑)はやってくれない。一応、正実やシスターフッドのみんなとも協力するけど、ティーパーティーからは私しか参加できないみたい。そんな事情もあって、私はボランティア扱いだ。
「……あなた、苦労してるのね」
空崎さんはそう言った。労われるのなんてそうないから、ちょっと嬉しい。
「空崎さんこそ……」
「イトほどじゃない。あなた、何日も寝てないでしょう?」
「……」
「隈、すごいわよ」
「あー……」
メイクで何とか隠してたつもりだったけれど、だめだったみたい。
「すみません、お見苦しい姿で……」
「そういうことじゃない。それに、この前の指だってまだ完治してないでしょう? それに、そのお腹はどうしたの?」
「な、何でそれを……?」
「動きが変だった」
ありゃ……そこまでお見通しだとは。空崎さんの戦闘経験で培われた観察眼だろうか?
「ちゃんと寝なさい」
「ぜ、善処しますね」
私は、困ったようにそう笑うしかなかった。
***
……とは、いったものの。
「イト……」
ほとんど休めないまま私は調印式当日を迎えた。
「は、はい? なんですか?」
早朝……朝6時から会場の設営があり、8時からは来賓の接客をし……。
そして迎えた午前10時。
私と言えば、もう満身創痍である。
「全く……糸巻イトさん、そんな状態で開会の挨拶ができるのですか?」
そう言うのは、空崎さんの隣で私を見下ろす……ゲヘナ風紀委員会の行政官。実質のNo.2である、天雨アコさんだ。
セイア様と同じ……失礼だが、明らかにおかしい構造の服を着ている。
「問題ありません」
「ならいいのですが……」
眩暈が眩むし、頭痛が痛いけれどパフォーマンスに問題はない。イトちゃんがこの程度で倒れるものか。
「……イト、式の様子は?」
空崎さんが口を開いた。
「今のところ順調です。ティーパーティーやシスターフッドなど、トリニティ側の出席者はすでにそろっています」
「そう。なら私たちも行こう」
空崎さんには挨拶の最終確認のため、と銘打って少し早めに来てもらった。けれど、私の狙いはそこにはない。
常に、私の頭にあるもの。
エデン条約は……崩壊する。
本当なのかもわからない。しかし無視するには、あまりに大きすぎる懸念。
……結局、私には分からなかった。
どのように崩壊するのか? なぜ? 誰が? どうやって?
分からないものには対処のしようがない。
私は漠然とした不安を抱え続けていた。
けれど、こうして当日を迎えられた以上一つだけわかることがある。
事前に調印式自体が崩壊したわけではないのだから……崩壊するとしたら、それはきっと政治的な背景によるものではない。
……武力行使だ。
会場は夜通しチェックしたから爆発物はない。暗殺か、はたまた正面切ってこの場に乗り込んでくるのかもしれない。
いずれにしても、私がどうこうできるものではないだろう。
しかし、空崎さんは違う。
もしも黒幕が武力行使を企むのであれば、それ以上の武力をぶつけるまで。
風紀委員会の武力、その半分を担うと言われる空崎さんなら、対処ができるのかもしれないと思った。
空崎さんには申し訳ないけれど……私にはそんな目的があったのだ。
「それはそうと空崎さん」
「なに?」
「調印式には、シャーレの先生も出席するそうですね」
「え、えぇ」
「まだ少しなら時間もありますし、せっかくなら会いに行きますか?」
「……!」
ふぇへへ。顔赤くして、かぁいいねぇっ!
疲れ切った頭に、美少女の赤面が染みる。
「先生も『ヒナを吸いたい』って言ってましたよ」
「っ!?」
「な、なんですかそれは!?」
まあ普通に気持ち悪すぎる。これ本当に言ってたからね。
いくら大人だろうと、先生が本当に吸うわけないからさすがに冗談だろうけど……冗談にしても趣味が悪い。
本当に吸っていようものなら、くたばってもらって構わない。
「ひ、ヒナ委員長を吸う!? あの人は何を言ってるんですか!? 委員長にそんなこと、私が絶対にさせませんよ!?」
ほら、天雨さんもこうして怒ってて———
「委員長を吸う前に! 私を吸わせてやります!!!」
「……」
「あ、アコ?」
う、嘘だよな? 風紀は一体どこへ……??
「先生はどこですか!? 私がとっちめてやりますよ!」
「アコ、落ち着いて」
「これが落ち着いていられますかっ!!」
「アコ、うるさい」
「くぅん……」
天雨さんはそう鳴くと、すっかりおとなしくなってしまった。なんだこれ。天雨さんはかわいいわんちゃんなのか?
「ご、ごめんなさい、イト」
「あ、あはは……」
びっくりした。風紀委員会はこういうものなのか。
そんな一幕がありつつ、私は空崎さんらと共に歩き始めた。
「そういえば、空崎さん」
「なに?」
「ずっと気になっていたんですけど……万魔殿の方々とは一緒ではないのですか?」
私はてっきり、万魔殿の人たちも一緒なのかと思っていた。その情報収集のために、あの場に羽沼さんがいらっしゃったのかと考えていたし。
私がそう言うと、空崎さんは遠くを見る目で空を見上げた。
「万魔殿は飛行船で来るらしい。風紀委員は地を這ってこい、だとか言っていたそうよ」
「……え?」
その瞬間、私の頭から雑音が消える。
万魔殿のリーダー、羽沼マコトはミカちゃんと同様の思想……なんとなくでトリニティへの嫌悪感を持っている。
そんな人が、こんな条約をすんなりと受け入れるはずもない。
改めて考えれば、至極当然のことだ。
「い、イト? どうしたの……?」
それに、風紀委員会と万魔殿は不仲と聞いた。
そこまで踏まえたうえで、空崎さんに陸路を強いた?
万魔殿は、わざわざ飛行船で来ている?
……なぜ?
陸。空。その違い。
そんなの、考えなくても分かる。
「……っ!!」
裏にいるのが何者なのかは分からない。
もしも
……確実に、大人の関与がある。
「!? イト、どうしたの!?」
「空崎さんっ! 来てっ!!!」
私は、空崎さんの腕を強くつかむ。
「イトさん? どうしたのですか?」
そこに、天雨さんの困惑の声が届いた。私はそれに歯噛みをする。
……だめだ。私の身体では、一人が限界。
「……っ、ごめんなさいっ!!!」
私は天雨さんを振り切り、空崎さんを連れて走りだした。
「ちょっと!? どういうことですか!?」
走りながら周囲を見回す。
どこか、なけなしだろうと壁になるようなものは……。
「イト、本当にどうし———」
そこで、空崎さんの声が途切れた。
なぜか?
……聞こえたからだ。
ヒュオオオオオオオオオ———!!!!
耳をつんざく、空を切るような何かの音。
「あ、あれは……!?」
見つけた。あそこなら、何とか爆風を少しは防げるはず。
「空崎さんっ!!!!」
私は空崎さんを抱きかかえ、建物の窓を突き破った。
そして。
ドォオオオオオオオオオン!!!!!!!!
けたたましい爆発音とともに、私の意識は闇に沈んだ。
これは確実にGlitch Street流れてる