古聖堂を抜けた先、トリニティ自治区への道の最中。そこには、破竹の勢いで敵をなぎ倒すヒナとそれに護衛される先生がいた。
「はぁ…はぁ…」
「ぐっ…空崎ヒナ……!!」
二人を取り囲むのはアリウススクワッドと、彼女らが率いる無数のユスティナ聖徒会。両者の頭数には圧倒的な差があった。
しかし、戦況は二人に軍配が上がる。
ヒヨリとミサキはすでに戦闘不能、アツコも負傷し後方へ。ユスティナ聖徒会では足止めにすらならない。つまり、アリウス側の戦力はほとんどサオリ一人と言える。そのサオリもすでに満身創痍、満足に戦える状態じゃない。
当初、アリウスはミサイルの爆発およびヒヨリの奇襲でヒナを戦闘不能にする算段だったのだ。しかし息切れこそあるものの、現にヒナの状態は若干のかすり傷程度。
ヒナの驚異的な戦闘力や先生の卓越した指揮能力もさることながら、これは身を挺してヒナを守ったイトの戦果とも言えるだろう。これがなければ結果は大きく異なっていたはずだ。
「これで…おわり……!!」
ヒナがサオリに引き金を引く。
まさにその時だった。
「……あはっ☆ なーんだ、もうボロボロじゃん!」
底抜けに明るく、能天気。しかし確かな怒りを孕んだ声がその場に響き渡った。
「……!?」
「な……」
ヒナはその声に心当たりがなかった。しかし、先生とサオリは違う。
「ミカ……!」
「やっほー! 久しぶり、先生!」
ミカは軽やかな足取りで二人の間に割り込む。その様子を待つように、その場の誰しもが動きを止めた。
そしてミカは歩みを止め、ゆっくりと首を捻る。
「それと……久しぶり、サオリ」
その瞬間、全員の時が止まる。
そこで感じ取ったもの。
そこでミカが放ったもの。
それは、明確な殺意だった。
「くっ、ミカ……!」
「あははっ! 元気そうで何よりだよー!」
そしてミカはその引き金に殺意を込め、銃口をサオリの額へと押し当てた。
「ねぇ、早速質問なんだけどさ!」
「……!」
「イトちゃん、どこか分かる?」
その名を聞いた瞬間、ヒナの肩が跳ねた。
「イトちゃんだよ、イトちゃん! 背が小っちゃくて童顔で、身体も力もすっごく弱くて、でも誰よりも優しくて…お耳とふさふさしっぽの超かわいい子! 分かるでしょ?」
「……」
「あの爆発に巻き込まれちゃったんだー。それから何度電話をかけても、一回も繋がらないの」
「……」
「私の大事な人なんだけどね! サオリ、知ってる?」
サオリは黙ったままだ。それが何よりの答えだろう。
「あっそう。じゃあいいよ」
イトの情報を持たない者に興味はない。
「ミカ!!!」
そう言わんばかりのどこまでも冷淡な声を放ち、ミカは引き金を下ろした。
「ぐうぅ……っ!」
「あはは☆ 守れなかったね、先生!」
地に伏せるサオリを見もせずに、ミカは先生の方を振り返った。
「ミカ……!!!」
「わーお、怖い顔」
いつまでも魔女のような笑みをやめないミカに、生徒に対しては初めてともいえる敵視の目線を先生は向けた。
「でも、先生はちょっと黙っててね! 今は先生に興味ないの!」
ミカはその笑みのまま、ゆっくりと歩く。
向かう先はただ一つ。
「今はあなたに興味があるんだ! ねぇ……空崎ヒナ?」
そこには、先ほどまでの威厳などどこにもない、かたかたと震えるヒナがいた。
それは恐怖心故の震えではない。
「あなたさぁ? 調印式の開会式で、イトちゃんと一緒に開会の挨拶をするはずだったよね?」
「っ、ぁ……」
ひとえに、罪悪感故だった。
「ってことはさ、あの爆発の時、イトちゃんと一緒にいたはずだよね?」
イトを見殺しにした。
彼女を大事に想うミカを前に、その重さを痛感してしまったからだ。
小鳥遊ホシノの件でその痛みは知っていたはずなのに。
「ねえ、聞かせて? 何であなたはそんな軽傷なの? 何でここにイトちゃんがいないの? イトちゃんは今どんな状態なの?」
「ミカ! それ以上は———」
「黙っててって言ったよね?」
先生の静止も意味を成さない。向けられた銃口を前に、先生は押し黙るしかなかった。
「次喋ったら本当に撃つよ? 大丈夫! 致命傷は避けてあげるからね!」
「……っ!」
「せ、せんせい……」
ミカは先生を一瞥してから、改めてヒナの方を向き直った。
「ってことで! 答えてくれる? あなたは爆発の後、何をしていたの?」
「わ、私は……」
先生に向けられた銃口を眺めながら、ヒナはしてもしきれない後悔を抱いていた。
なぜあの時、イトよりも先にミサイルに気づけなかったのだろう。
なぜイトの手を離してしまったのだろう。
なぜ先生を頼らずに、イトを見殺しにしてしまったのだろう。
全て避けられたはずだ。自分ならイトを救えたはずだ。
なのに、どうして。
気づけばヒナは。
「ごめんなさい…ごめんなさい……!」
涙を流していた。
「……なにそれ」
ヒナはたどたどしく言葉を続ける。
「イトが、爆発から、まもってくれて…」
「……」
「それで、イトは…重症、で……」
「……」
ミカの顔からみるみるうちに笑顔が消えていった。
「そのあと、イトがどこかに行ってしまって…探しても、見つからなくて……!!」
「……で?」
「ぇ……?」
ミカは先生に向けた銃口を下げた。
そして、ヒナへと照準を合わせる。
「いやいや、え? じゃないよ。それで? 何でここにいるのがイトちゃんじゃなくて先生なの?」
「あぁ…ああぁぁ……」
「泣いてちゃ分かんないよ。はっきり言って? 角が生えると喋ることもできなくなっちゃうの?」
いつしかヒナは立つこともままならなくなっていた。
「わたしは……」
「……?」
「イトを、見殺しにした……! 先生を選んで…イトを置き去りにしてしまった……!!」
「……」
「ごめんなさい…! ごめんなさい……!!」
「ヒナ……」
それは先生も初耳だった。つまりヒナは、先生の安全を優先して一刻も早くあの場から逃がす選択をしたのだ。
それは、自らへの信頼が足りていなかった証拠だろう。先生は己の不甲斐なさに苛立ちを覚えた。
そして、ミカは……。
「……もういいよ」
「え……?」
「もうあなたのことなんてどうでもいい」
ヒナが顔を上げると、そこには一切の感情が抜け落ちたミカの表情があった。
「先生もトリニティもゲヘナもアリウスも、エデン条約も…このキヴォトスだって、全部どうでもいい!」
ヒナへ向けられた銃口が力なく下げられてゆく。
「もう私だけでいい。私がイトちゃんを守る」
そう言ってミカは二人に背を向けた。
「あっ…どこへ……?」
「決まってるでしょ? 古聖堂だよ。私はイトちゃんを探す。何日かかったって絶対に見つけ出す」
「ミカ……」
「あなたはそこで蹲ってなよ。蹲って、一生後悔してれば?」
「あぁぁ……」
「じゃあね」
そう言い残して、ミカはその場から姿を消した。
そこには項垂れるヒナと寄り添う先生が残るだけだった。
***
……嫌な夢を見た。
懐かしい夢。だからこそ嫌な夢。
「うぅ……」
私はどうなったのだろう。私が殺したおねえちゃんの様に死んでしまったのだろうか? 実は私が気づいていないだけで今は土の中、とか?
「おねえ…ちゃん……」
なんだろう。
ぱきぱきと、木の焼ける音がする。それに何だか温かい。私に掛けられているこれは…黒いスーツ?
それに頭に巻かれている包帯も気になる。左腕は…縫合までされているようだ。依然として肘から先の感覚はないけど、血は止まってる。
おかしい。私は確か死にかけの状態でアリウス自治区で倒れたはずだ。こんな治療、アリウスの子たちがしてくれるはずもない。
一体だれが……?
「おや、目が覚めましたか?」
「うわぁ!?」
突如として降りかかる声に私の身体が跳ねた。
声のした方を見やると、そこには大きめの丸太に腰かけながら焚火をしている人がいた。上着を脱いだ黒いスーツ姿で、顔は…異形と言わざるを得ない。辛うじて口と目の位置が分かる程度。
正装に、異形の顔。調印式の場で見かけた人形の姿が想起される。
ならばこいつも…大人?
「い゛っ……!」
対抗手段を持たなければ。そう思い腰に取り付けたホルスターに手を伸ばした私に、全身を電流のような痛みが走る。
「クックックッ……まだ動かない方がいい。傷口が開きますよ」
そいつはそう言い、不気味に笑って見せた。
「っ……あなたは?」
「申し遅れました、私のことは黒服とお呼びください」
……大人のくせに、随分と礼儀正しいじゃないか。
「その…助けてくれたんですよね……? ありがとうございました……」
「クックックッ……」
黒服と名乗ったその人に頭を下げ、周りを見渡す。
辺りは真っ暗だ。黒服が起こしてくれた焚火以外に明かりが見つからない。
……ということは、今は夜なのか? ミサイルの着弾が午前だったから、ほぼ半日は意識を失っていたとみていいのだろうか? ……ってことは、黒服は半日も私を看病していたのか……?
「道の中央で倒れているイトさんを見つけ保護しました。一通りの治療を施しましたが、如何せん重傷だったもので……未だ完治とは程遠い状態です。ああそれと、その左腕はもう二度と動かないものと考えてください」
「……なぜ私の名を?」
「クックックッ……私が何も知らないとでも?」
なるほどな。こいつもやっぱり大人だ。
腕がどうとかは正直どうでもいい。そんなことよりも黒服が大人である以上、対価が発生することは確実だろう。
「……それで、私に何を求めるんですか?」
「……話が早くて助かります」
黒服の目が細まった。
「私は、あなたに興味を持ちました」
興味……?
「なぜなのか。一体なぜ、その狂気的なまでの自己犠牲を成すのか。そのモチベ―ションはどこから来るのか、とね」
「……」
黒服の言葉に、私は押し黙るしかなかった。
確かに今まで考えたこともなかったけれど、いざ考えてみれば答えは簡単だった。
黒服は『自己犠牲』と言ったけれど、実際はそんな綺麗なものじゃない。
どこまでも利己的で、醜悪で、意地汚い。それは、私という人間の醜さが詰まったもの。
「義姉の……罪滅ぼし、ですか?」
「……っ!!」
その時、私の身体は反射的に動き、気づけば黒服に銃を向けていた。
「…‥傷口が開くと言ったはずですが?」
「黙れ!! そんなのはどうでもいい!!」
声を張り上げ、引き金に力を込める。
「なんで、それをお前が知っている!?」
黒服は黙ったままだ。急に動いたせいか、私の頭からは血が流れ始めていた。
「いや…カイザーなんかと組んで、何をするつもりだ!! 答えろ!!!」
「……」
「もしも、このキヴォトスに害をなすつもりなら……ここでお前を殺すぞ!!」
そのことを理解した瞬間、私はもう冷静ではいられなかった。幸い私は殺人を経験している身だ。引き金は軽い。
「それは、過去の話です」
「……過去?」
「ええ。あの時は『キヴォトス最高の神秘』を求めていたのですが……
……神秘? あの者?
「……分かるように言ってください」
「クックックッ……あなたは分からなくて良いことです」
……大人のこういうところが嫌いだ。
「とにかく落ち着いてください。身体に負担ですし、何より私の話はまだ終わっていません」
「……まだ何か?」
「はい。あなたに興味を持った理由、これだけではありません」
客観的に見て、私という存在に価値はないだろう。まして大人がわざわざ労力を払ってまで、私を治療する意味は見当たらない。仮に死にかけの私を見つけたとして、そのまま見殺しにする方が合理的で正しい行動だと思う。
こんな人殺しを助ける理由は、私には分からなかった。
「あの時は『キヴォトス最高の神秘』に惹かれましたが……今回は逆。あなたの持つ、『キヴォトス最低の神秘』に興味を惹かれたのです」
「キヴォトス…最低……?」
思わず力が抜け、銃口を下げてしまった。
何を言っているんだろうか。そもそも神秘ってのも私には曖昧なままなのに……。
「それだけじゃありません」
それだけじゃないらしい。私の疑問はあっさり置いていかれてしまった。
「あなたは、あの者……先生の持つ役割を阻害するようです」
「何を……」
「以前までの先生ならば、生徒にこんな取り返しのつかない傷を負わせることはなかった」
なんだこいつ、先生の狂信者か?
確かに先生の持つ力は大きい。けれどそれは買い被りすぎってもんだろう。いくら何でも一人でキヴォトス全体を守ることは難しいはずだ。
「私の同僚の表現を借りるとすれば……イトさんは先生の『テクスト』を奪う」
テクスト……? 『文脈』と解釈すればいいのか?
「つまり……本来、この一件は先生が見事に解決するはずだったのに、私が邪魔をしている……とでも言いたいんですか?」
「クックックッ、それは私の専門外です。私の同僚に聞いてください。あなたならば、彼らも喜んで受け入れてくれることでしょう」
「……遠慮したいですね。碌なことがなさそうです」
なんとも荒唐無稽な話に聞こえる。まるで『こうなるべき未来』があったような言い草だ。
「クックックッ……我々からすれば、あなたはそれほどに興味深いのです。もしも先生すら手に負えないほどの存在であるならば、これ以上ない発見と言えるでしょう」
しかし、この話をでたらめとして切り捨てるのは良くない気もする。現に私は『
……となれば。
もしもそんなでたらめが、あり得るのだとしたら。
私が存在したせいで、こんな悲惨なことが起きてるとでもいうのか……?
「……っ、それで、外の様子はどうなってるんですか?」
私はそんな考えを振り払うように黒服に問いかけた。
そうだ。まやかしに決まってる。
そんな……私ひとりの存在で未来がどうこうなるだなんてあり得ない。
私はそんなに大きな存在ではない。
「さぁ? 私には分かりません」
嘘吐きめ。
まあ、はなから答えは期待していなかったからよしとする。
「……で、結局。私は何をすればいいんですか?」
「それはイトさんの自由です。ここから出る道を模索するも良し、アリウス自治区を探索するも良し」
何を言ってやがるんだ。こうして貸しを作った以上私を観察やら実験やらに使うつもりだろうに、何の障害も無しにここから出してくれるはずもあるまい。
「クックックッ……ここからは私の独り言ですが……」
そらきた。
「もしもあなたにその気があるのなら…アリウス分校の旧校舎、そこにある地下回廊を抜けると良いでしょう」
「……そこに、何が?」
「それは言えません。しかし、このキヴォトス…そしてあなたの大きな脅威となる存在、とだけ伝えておきましょう」
このタイミングでそんな存在。もう答えを言ってるようなもんじゃないか。
「……お優しいんですね」
「クックックッ……なんのことやら」
なんだ、いいやつじゃないか黒服!
いいぞ、目的が立った。出口を探すといっても遭難して野垂れ死ぬのがオチだ。どうせ最初から黒服の目的はその『大きな脅威となる存在』とやらと私を対面させることなんだろう。いいだろう、その話、乗ってやるぜ。
「さて、私はこれで失礼します。どうかお気をつけて……」
そう言って黒服は立ち上がった。
「あ、ありがとうございました……」
いろいろと嫌な大人ではあったが、命の恩人であることは確かなのでお礼はしておく。ほんとありがとう、半日も看病してくれて。
これでもっと、かっこよく死ねる。
「お気になさらず……ああ、それと」
立ち上がった黒服は私の方を振り返り、私の左手を指さした。
「その左手の指輪ですが……」
「わぁ!? なんですかこれ!?」
私の左手を見ると、そこには銀色に輝く一つの指輪が嵌っていた。感覚を失っていたせいで気づけなかった。
「それは私と同僚の合作でして。くれぐれも外さないようにお願いします」
「合作……?」
「ええ。それには二つの効果が付与されています。一つはここアリウス自治区における『彼女』の監視から逃れることのできる効果です」
彼女、というのはアリウス生徒たちが口にしていた『マダム』のことだろうか。
であれば、さっき黒服が言っていた『大きな脅威となる存在』もこいつのこととみていいだろう。
「……もう一つは?」
「あなたの持つ神秘を、別のテクストに書き換えて顕現させる能力です」
うわぁ……固有名詞多い。
「えぇと……私の一部を犠牲に、特異現象を起こす…ってことですか?」
「流石……理解が早くて助かります」
なるほど……これは……。
……これは、あまりに危険すぎる。
これは、黒服が私にくれた『彼女』への対抗手段なのだろう。裏を返せば、キヴォトス最低とまで言われた私の神秘でも『キヴォトスの脅威』への対抗手段足りうるということだ。
つまりだ。例えばさっき話に出た『キヴォトス最高の神秘』を持つ人の手に渡って、その人が悪意を持ってこの指輪を使ってしまったとしたら……。
……考えるのはよそう。とにかくこの指輪は誰にも渡さなければいいんだ。
「我々の中でも自信作でしてね、それはあなたに差し上げますが…壊されるとこちらとしても物悲しいのです」
「だからって、なんでわざわざ左手の薬指につけるんですか……」
「クックックッ……その指が最も『契約』の効果が高まるのですよ」
なんだそれ。
「それでは、私は失礼しますね」
クックックッ。
おなじみの笑い声を上げながら、黒服はどこかへと去ってしまった。
ゲマトリア便利すぎる!