分かってた。
こんなことがあって何もかもうまくいくなんて、そんなことあり得ないことくらい。
そんな楽園なんて存在しないことくらい。
だけど。
「こんなのって……」
認めたくなかった。脳がそれを拒んでいた。
「これ、もしかして……全部イトの……?」
空崎ヒナが声を上げる。震えた声で。
イトちゃんの身体は弱い。キヴォトスで普通に生きることすら困難なくらい。
銃弾を受ければ出血するし、爆発を食らえば骨が折れる。そんなイトちゃんだから、本当は一人で外に出歩いてほしくないくらいだった。
そんなのをこんな危険な場所に放置すればどうなるかってくらい、分かってたはず。
そう、目の前に残された凄惨な血痕を見ながら考えてしまう。
「いやだ…いやだぁ……」
そして私は見つけてしまった。
眼前の光景のなかでも一際異質。とても現実とは思えない血だまりの中。
そこに萎れる、お揃いの花の髪飾りを。
「この血痕、洞窟の奥まで続いているね…これを追えば……」
「むりだよ……」
先生の冷静な言葉に、私はすかさず否定した。
「この先のカタコンベはアリウス自治区に繋がってて……その中は入るたびに変わっちゃうの……」
「……!」
これは私にとって悲劇に他ならなかった。
血痕の向かう先はアリウス自治区だ。つまり今のイトちゃんは、これ程の血痕の原因でありながら敵の本拠地にいるということ。
捕まって、利用され、拷問され……。そんな彼女の今がありありと目に浮かんでしまう。
「だから…イトちゃんのところには……もう……」
その事実に耐えられない。嘘だと思いたい。
だから私は目を瞑った。
「ごめんなさい……」
この期に及んで、私は逃げる気だったのだ。
イトちゃんを巻き込んだ。彼女はただ、優秀なだけの生徒だったのに。
そんな彼女を巻き込んでしまった。
セイアちゃんの代わりとして、私の傷を埋めてもらうために、イトちゃんを付き人に任命した。
自分の弱さを、彼女に押し付けた。
私の罪は消えてないのに、勝手に許された気になってしまった。
その結果が、これ。
「ごめんなさい……!」
だからこれは、私のせい。
私の甘えが、イトちゃんを殺した。
私は……
もう、私は……。
……いや、多分初めから。
何をしても、許されるはずがなかったんだ。
『先生!』
先生のタブレットから声が響く。
その声には聞き覚えがあった。
「ハナコ……!?」
『小関さんがやってくれました!』
『へあっ!? どこ触ってるんですか!?』
そして私は、
『古書館に眠っていたカタコンベのマップデータ、送ります!』
一筋の希望を見出すこととなった。
***
「うぅ、重た……」
閑散としたアリウス自治区を抜けた先。
そこには
「黒服が言ってたのは、ここだよね……?」
そう、私はついにたどり着いたのだ。
大量の手榴弾をぶっこみまくったバッグを抱え、ひどく装飾されたそこを私は遠目に見やる。
『彼女』がいるという、アリウスの至聖所。
聖に至る場所、なんて、大層な名前である。
覚悟を決めるほかあるまい。
確かに、私なんかが一人で戦ったところで勝てる見込みはまずないだろう。彼女はキヴォトスの脅威とまで言われているのだ。一度見つかったら逃げることもままならないはず。
だが私が死ぬことはノーリスク。もーまんたいである。
この現状だと私がいなくなれば多少ティーパーティーは滞るかもしれないが、ナギサ様は優秀な人だ。すぐにティーパーティーをうまく回せるようになるはず。
ハナコ先輩やミカちゃんはちょっとくらい悲しんでくれるのだろうか。残してしまうのは申し訳ないが、彼女らにとって私はそれほど重要ではないはずだ。
彼女らには友達がいる。私のことは使ってた家電が壊れたくらいに思ってくれればいい。
だから私がするのは死ぬ覚悟じゃない。そんなのは必要ない。
私に必要なのは…殺す覚悟。
どこまでも悪辣に、相手の隙を見逃さず。
私の命でどれだけの損害を出せるのか、そのことだけに頭を使うべきなのだ。
「ふぅ……」
震える手を胸に押し当てる。
思い浮かべるのは、あの時の感触。
「もうすぐ行くからね、おねえちゃん」
その時だった。
「……っ!」
私の大きくて優秀な耳が捉えた、わずかな足音。
私は大急ぎで近くにある大きな柱に身を隠す。
「あれは……?」
柱の裏からちょこんと顔を出してみれば、遠くに数人の影が見えた。
ユスティナ聖徒会とアリウス生徒が陣形を組みながら行軍している。大勢の観客がいれば、それはまるでパレードの様相を成していただろう。
『彼女』にも会わずに死んじゃったら笑いものだ。ここは大人しく身を隠し、やり過ごすとしよう。
そう思っていたのだが、私はその集団の中に見覚えのある人物を見つけてしまった。
あの人は…そう、私がカタコンベの入り口で死にかけたとき、助けてくれた人だ。比較的軽装備にサブマシンガンを携え、薄紫の艶やかな髪を二つのおさげにまとめた彼女の顔には、その花のような印象に似つかわしくない不気味な仮面がついている。
彼女は陣形に守られるよう、中心に位置していた。アリウスの生徒として、一兵士として見れば明らかに異常な対応だ。
それに、どうやら進行方向は私と同じ、至聖所らしい。
これは、何かある。
「……」
そう思わずにはいられなかった私は、意を決して尾行を開始することにした。
そうして尾行を続けること数十分。
黒服の言っていた指輪の効果、『監視から逃れる』というのは本物のようで、慣れていない私でもバレることなく尾行を続けることができた。
そしてやはり、彼女らの向かう先は至聖所だったらしい。
確かに見てくれは教会のそれだが、ステンドグラスは割れ瓦礫は崩壊し、まさしく『廃墟』という言葉が似合う様相だ。
紫髪の人は上着を脱ぎ、ユスティナ聖徒会のようなレオタード姿になっている。護衛と思しき兵士たちはどこかへ行ってしまったようで、今ここにいるのは私を含めて3人。
(あれが……)
紫髪の人が向き合う人物。赤黒い肌に貴婦人のような真っ白のドレスを身に纏っている、見るだけでも吐き気を催すような……一目見ただけでも分かる『
あれが…『彼女』なのだろう。
「さあ、いよいよですよアツコ。ようやく崇高へ至る時が来たのです」
「その前にもう一度約束して」
アツコと呼ばれた少女は、息の臭そうな『彼女』の気持ち悪い戯言に、冷静な言葉を被せた。
「サッちゃん達には手を出さないって」
「はぁ……くどいですね」
「大事なことだから」
サッちゃん……とは、友達のことなんだろう。
その一言にはアツコさんの心根がよく表れていたと思う。
自らを犠牲に友達を救う。そんなことは誰もができることじゃない。
アツコさんの精神は、まさしく崇高に輝いていた。
そんな少女の想いを。
「……えぇ、彼女らには手を出しません。ベアトリーチェの名にかけて。これでよろしいですか?」
「……うん」
この大人は、踏みにじったのだ。
「それでは、儀式を始めますよ」
いくら言葉を紡ごうとも、いくら態度を取り繕うとも。
私には分かる。
だって何度も見てきたから。
「さあアツコ、私の崇高への贄となりなさい」
大人って、そういうものだから。
「あああああああぁぁぁぁあああぁあっ!!!!」
それは、叫びだった。
ベアトリーチェの言葉と共に、祭壇へ上がったアツコさんの足元から植物のようなものが生え上がり、彼女を締め上げていく。
その苦痛に満ちた叫びに、友を想った健気な少女の叫びに、私は一気に冷静を欠いた。
……けれど、私がここで出て行ったところで、できることはない。
私の唯一のアドバンテージは、『彼女』に存在がバレていないところ。
それをかなぐり捨てれば、待っているのは無駄死にだけだ。
「ええ———アリウスの『バシリカ』と呼ばれるところです」
その時、突如としてベアトリーチェが言葉を吐いた。
「覗き見をしているネズミがいると思ったら、やはりあなたでしたか———まさかこの至聖所まで追いかけて来るなんて」
その言葉に、私の心臓は大きく跳ねる。
まさか、見つかった……?
……でも、こいつに『やはりあなたでしたか』と呼ばれる覚えはない。大丈夫だ、これは私に向けた言葉ではない。
冷静さを取り戻さないと。それを無くせば、待っているのは残酷な未来だけ。
「夢の中だと思って油断していたのですか?」
でもそうなれば、分からないことがある。
もし話し相手が私ではないのなら。
この女は、いったい誰に……?
「予言の大天使……いえ、百合園セイア」
「……っ、あああああああっ!!!!」
迷ってる場合じゃない。
犬死とかどうでもいい。ここで動かねば、セイア様が死ぬ。
「!? 誰ですか!?」
私は自分の荷物の中から手榴弾を掴み、大きく投擲した。
ヤケになったわけじゃない。冷静さを欠いたわけでもない。
無謀とも思える行動に出たのは、自信があったからだ。
そう、私の中で唯一誇れる特技。
私のスローインは、世界一。
「なっ、バカな!」
私の投げた手榴弾は綺麗な放物線を描く。
狙ったのは、アツコさんの足元。今なお成長を続ける緑色の幹。
「ぐえっ」
爆発で植物は崩れ、宙に放り出されたアツコさんを受け止める。
まあ受け止めきれなかったが、私の身体をクッションにすることはできたのでいい。
「……っ、きみは」
「走れっ、ますか……!?」
爆風でアツコさんの仮面が外れて、その素顔が私の目の前にあった。
理解が追い付かないといった顔だが、さすがはアリウスの兵士。状況判断が早いようで、すぐに頷いてくれた。
私も即座に起き上がり、アツコさんの手を引いて逃げ道へと走り出す。
そして、私は自分の指輪をアツコさんへと預けた。
「これ、絶対外さないでください!」
「わ、わかった」
この指輪には『監視から逃れる』効果がある。もう一つ大事な効果があった気もするが、今はアツコさんにこの効果を被せるのが先決だ。
とにかく、走ればいいんだ。碌に運動もしない大人と比べればさすがに私の方が足は速い。
とにかく走る。そして逃げ切る。すでに出口は目の前だ。
「このまま、逃がすはずがないでしょう……!?」
しかし、現実はそう上手くいかないようで。
「来なさい! バルバラ!!!」
瞬間、背中に底冷えするような殺気を覚える。
「……!」
私たちに脅威が迫っている。
そのことが振り返らないでも分かった私は、アツコさんを守るために身をひねり、彼女を前へ思いきり投げた。
そして。
「うぐっ」
ミカちゃんに勝るとも劣らない万力に私の左腕は大きな音を上げて拉げて。
「か、はっ!」
そのままぶん投げられ、私は瓦礫と激しく衝突した。
……折れた。肋骨だろうか。でも、内臓は平気っぽい。
なら問題ない!
「走ってっ!!!」
私は衝撃もそのままに、かすれる声で精いっぱい大きな声を上げた。土埃で前が見えない。
アツコさんは優しいから、一瞬踏みとどまるはずだ。
でも優しいからこそ、私の覚悟を無駄にしないために逃げてくれる。
脳内でイメージしろ。アツコさんはどんなタイミングで走り出すのか。バルバラとかいう奴は何を考えて行動しているのか。
……何か、頭がすごいクリアだ。
土煙で視界を奪われた今でさえ、万に一つも失敗はないと自信を持って言える。
爆風で、バルバラはこっち側に。アツコさんは出口の向こう側に吹っ飛ばす。かつ、ちょうどよく瓦礫が崩れて時間をうまく稼げるタイミング。
……それは、今。
「な、なんですか!?」
手元のスイッチを押すのと同時に、大きな爆発が起こった。それに狼狽えたベアトリーチェが声を上げる。
やっぱりうまくいったようだ。瓦礫は出口を塞ぎ、この空間を一時的な密室にできた。
「……ははっ、こんなもんかよ」
私はよろよろと立ち上がり、ベアトリーチェを睨みつける。
「は?」
「黒服や先生と同じ、大人って言うから……警戒して損した」
左腕から突き出た骨をそのままに、私は笑みを浮かべる。
「あんなのより、私の友達の方が百倍つえーんだよクソババア!!」
ああ。
セイア様。
あなた、いつか私に聞きましたよね?
「勘違いされちゃ困るから言っとくけど」
『君なら、どうやってエデン条約を成す?』って。
その答え、今なら分かる気がします。
「私、ここで死ぬつもりなんか毛頭ねーから」
こいつぶっ殺せばいいんですよね?