窓から太陽の光が差し込む早朝。ハナコ先輩の家改め私と私の女の家で、純白の制服に袖を通すのは、ホームレス改めティーパーティー所属の糸巻イトである。先輩のおさがり制服をティーパーティー用に改造してもらった。なお、ハナコ先輩の強い希望で制服の丈はそのまま、ぶかぶかである。
「……よく、似合っていますよ」
……最近のハナコ先輩は、なんだかずっと落ち込んでいるような気がする。
ハナコ先輩は基本的に私の意見を尊重してくれる。だから私は、そこに付け込んでティーパーティーへの所属を強行した。実を言えば、ハナコ先輩はティーパーティーをも黙らせる切り札をいくつも持っているので、たとえ彼女らが私の過去を調べ上げようとも対して問題にはならなかったのだ。
ではなぜ私はティーパーティーに入ったのか。
……ハナコ先輩が、政治に関わらないでほしいと思ったから。トリニティ所属を手伝えと言っておきながらどの面下げてって感じだが、私がティーパーティーに所属して済むならそれでいいと思ったのだ。何がハナコ先輩にとって最善かはわからないけれど。
「えへへ。ありがとうございます」
「……」
……うーん、ハナコ先輩の顔が晴れない。ずっと眉が八の字を書いている。そんな先輩も非常にびっぐらぶなのだが、やっぱりハナコ先輩には笑顔が似合うかな。
「……っ!イトちゃん……?」
だから私は、私が今までにされて一番嬉しかったことをする。
……すなわち、ハグである。
「……充電です。今日一日がんばるための」
「……っ」
ハナコ先輩は黙ったまま動かない。我が意を得たりと、私は先輩の胸に耳を当てた。
「…………ドクンドクンってしてる……えへへ、心臓の鼓動、結構速めなんですね?」
私は先輩を煽るようにジト目で見上げた。いまだに先輩は動かない。ふっ、照れていらっしゃるのですか?お可愛いこと……。
……うん、もう充電はばっちりかな。私は先輩から手を放す。
……その場に沈黙が流れる。
…………今更だけどなんか恥ずかしくなってきたな……。思わずじっとりとした汗をかいてしまう。
……あれ、ハナコ先輩なんでそんな、無言でこっち来て……。
「……イトちゃん?どうしてイトちゃんが赤くなっているんですか♡」
「えっ、あっ」
私は自分の頬を慌てて触る。
「……私のこと煽るだけ煽って、自分だけ逃げるなんて許されませんよ♡」
「ご、ごめんなさ———」
「ふふ……♡急に抱き着くなんて……イトちゃん、それって———」
「———私に何をされてもいいということですよね……♡」
「……ぁ」
壁に追い詰められた私は、耳元にかかる先輩の吐息に腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
「………………やさしくお願いします」
そう言うと、頭上のハナコ先輩がニッコリと笑った。
「ふふふ……♡そうしたいのは山々なのですが……そろそろ時間が迫っているのでは?」
「……えっ、あっ……あっ!!」
まずい、呆けている場合じゃない。急いで鞄を持ち、靴を履き、ドアノブに手をかけた。
「それじゃ、行ってきます!」
「はい、お仕事、頑張ってくださいね♡」
私は体の熱をそのままに、トリニティへと向かった。
***
さて、記念すべきティーパーティー初仕事。私は気合を込めて仕事場へと向かった。まあ、ティーパーティーの仕事といっても下っ端のやることなんて書類作業くらいなもので、別に難しいことはない。むしろ暇な生徒たちは集まって談笑しているくらいだ。
……そう、暇な生徒たちは。
「えーっと、糸巻さん、でしたっけ?こちら、追加の書類です。よろしくお願いしますね?」
「また……ですか……」
「……何か?」
「…………いいえ」
……まぁ、こういうことである。このお嬢様方、私が来る前はどうしていたのかと思うほど、全く仕事をしないのだ。私の机にはどっさりと積みあがった書類の山。他の机には飲みかけのティーカップとお菓子の山。この仕事は本来五人でやるものなんだけどなぁ?おかしいなぁ?
でも断ればよくね?と思うかもしれない。しかしこのお嬢様方、私が歯向かうとなんと銃を向けてくるのだ。誇張なしにヤクザである。ヘイローを持っていて、銃弾程度では死なないのにそんなのにびびってしまう私も私なのだが、このお嬢様方の頭バイオレンス加減には度肝を抜かれる。
まあ、単調な作業でストレスを溜めたお嬢様の前にちょうど良い弱者を置いたら、捌け口にしたくなるのが人間の性なのだろう。……そんな人間はこれまでに何人も見てきた。
「……ふぅ」
しかし、ハナコ先輩の反対を押し切ってまでティーパーティーに入ったのだ。これくらいでへこたれるわけにはいかないだろう。イトちゃん、ちょっと本気出しちゃうぞ。
「……では、私は先に上がらせていただきますね」
私は席を立ち、楽しそうに話すお嬢様方に声をかけた。
「はぁ?仕事を放棄するおつもりですか!?」
彼女らの内の一人が声を張り上げる。ずいぶんと自分を棚に上げるじゃないか。お菓子とお紅茶を嗜みながら雑談とか、まさしく「ティーパーティー」しやがって。
「仕事なら既に終えています。それでは」
しかし本気を出した私にかかれば、本来の五倍の仕事量であろうとも余裕なのだ。
「なっ……!そんなはずは……」
「ふっ……」
お顔真っ赤でくそわろたですわー!あなた方の嫌がらせなど、このハイスペイトちゃんにかかれば無害なんだ!わかったかばーーーーか!!!!
……なーんて言いたくなってしまうな。
「ぐぬぬ……」
下唇を噛むお嬢様方を勝ち誇った笑顔で見下す。実際には身長のせいで見下せていないのだが、そんなの関係ない。要は心の持ちよう。気持ちいいものは気持ちいいのだ。
***
お嬢様方との激闘を終え、私は満面の笑みでトリニティを闊歩する。いいや最高の気分だね。お嬢様負かすのはね……。まああの人たちは結局仕事をしてないわけだから私の一人負けかもしれないが、そんなのはいいのだ。今日は仕事を頑張ったしな。達成感が何よりものご褒美である。
いや、にやにやを抑えないと。こんな顔でいたら単純にやばいやつだし、何よりこのままであのお方に会うわけにはいかない。
「よし」
私はほっぺたを叩き、気合を入れて目の前の大きな扉をノックする。
「……セイア様、糸巻です」
「入ってくれ」
扉の向こうから落ち着いた声が聞こえた。私は息を吐き、扉を開ける。
「失礼いたします」
「ああ。急に呼び出してすまない、イト。掛けてくれ」
私が呼び出されたのは、ハナコ先輩を介して知ったセイア様の秘密の部屋である。広い部屋、高級な家具、全体的に高貴な印象な部屋。そしてそれに見合わない、扉や窓にかかる鉄格子。そして椅子にちょこんと座るセイア様。かわいい。
私が書類仕事ごときに全力でかかった理由。それはこの予定が入っていたためだ。というのも……ティーパーティーのホスト、サンクトゥス分派代表、百合園セイア様。このお方との対談である。
「さて、早速だが」
セイア様が鋭い目つきで私を見抜く。本当に早速である。アイスブレイクがほしい。かなり緊張しているからもうちょっとほぐれてからにしたいよセイア様……。
「……キヴォトスの、「七つの古則」、その五つ目。君は識っているか?」
「楽園に辿り着きし者の真実を、証明することはできるのか……?」
「ああ。今日来てもらったのは君の意見を聞きたかったからだ」
私の……?なぜ……?
「君は……この問いに、どう答える?」
……第五の古則。それは「楽園の存在証明に対するパラドックス」。まず「楽園」を「真の悦楽を得られる場所」と定義する。そこに辿り着いた者は、そこが「楽園」である故に楽園の外で観測することはできない。もし観測できたとするならば、そこは「楽園」ではなかったということになる。つまり、この古則自体は「不可解な問い」なのだ。
……しかし、わざわざ呼び出してまで私にそんなことを聞くとは。こういうのはハナコ先輩の得意分野なのに、私なんかに聞くなんて。私のことを過大評価しているのか?猫の手も借りたいのか?切羽詰まっているのか?
……ん?切羽詰まっている……?
私はその時、ふと浮かんだ仮説に息を飲んだ。
もし、本当に切羽詰まっているのだとしたら……。そんなタイミングで、よりにもよって「楽園」に関する古則……。
……連邦生徒会長の失踪により実際に執り行われることが叶わなかった……「エデン条約」が動き出すのか……?
そして、今のセイア様から感じる、楽園の証明に対する諦観。もしそれが、セイア様の「未来視」から来るものなのだとしたら……。もしかして、楽園を名に冠するその条約は……。
エデン条約は……崩壊するのか……?
「私には……わかりません……」
声が震える。もしもエデン条約が崩壊するのであれば、その結果トリニティと同等の規模を持つゲヘナの間に埋まることのない溝ができてしまうのであれば、それはキヴォトス崩壊の種とすらなり得る。それほどまでに重大な問題。
……つまり、セイア様が聞いているのは……
君なら「エデン条約」を、どのように為す?
「そ、そんなの……私には、無理です……」
私は細く、震えた声を出す。セイア様ですら、ひいては「未来視」持ちですら解決できない問題を、ハナコ先輩でもない私が分かるはずもない。
「……君は本当に聡いな。だが、どの様な物でも構わない。君の意見を聞かせてほしいのだよ、イト」
「私は……」
セイア様は、どれだけ荒唐無稽でも、どれだけ脈絡のない乱雑な思考でもいいと言ってくれた。ならば私は、自分の意見を思うままに話すことにする。
「……私、楽園はすでに誰もが知っているものなんじゃないかと思うんです」
……ただ、虚しい。そんな理想論を。
「……ほう」
「本当に大事なのは楽園の存在を証明することじゃなくて、楽園があることに気付けるかってことなんじゃないかなって……」
「……なるほど。それが君の考えか……」
そして、セイア様は冷たく言い放つ。
「では、この世にそもそも楽園が存在しないとしたら? この世の悉くが虚しいものだとしたら? 君も聞いたことはあるだろう? vanitas vanitatum, et omnia vanitas……」
古代の言葉、
……私の、大嫌いな言葉。
「そこはもう、信じるしかないかなって……。身も蓋もない答えで申し訳ないです……」
「……!」
セイア様は目を見開く。そして、目を伏せた。
「……そうか。君は…………いや……」
……すまない。と、言った気がした。
「……話は、以上だ。時間を取ってしまってすまない。ありがとう、イト」
「……あ、いえ!では、私はこれで」
私は席を立つ。喉奥に何かが引っ掛かっているような感覚を覚えながら。
「それと、最後にもう一つだけいいか?」
そしてセイア様は、苦虫を噛み潰したような顔でこう言った。
「……ミカを、頼む」
前半のハナコのシーン、書いててえぐい楽しかった……。