あなたの好きなニケはレッド──   作:オス゛ワルト

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あなたで無くなった日

"あなたの好きなニケは?"

 

 突然そんな事を問われた"あなた"は目を向けていた携帯端末から顔を上げようとして日食でも起きたかのような真っ暗闇に放り出された。

 突然のことに慌てて携帯端末のライトをつけようとしたが、その手にはもう端末はない。それどころか光の一切ないこの場では自分の右腕がそこにあるのかさえ怪しくなってくるほどだった。

 "あなた"は恐る恐る自分の顔を触ってみようとしたが、顔に接触するほど手を動かしたつもりでも顔に触感は無い。そこで気づいてしまう、暗闇ではない、自分の体が存在しないのだと。

 気づいてしまったからには大変だ。体を動かせば無意識のうちに感じ処理していた外界を感じる肌、その内で躍動する筋肉とそれを支える骨の一切から応答が消えたと気付いた脳がパニックを起こす。

 死の危機に瀕していると判断した無意識としての脳機能は自意識の"あなた"へ解決を要求してくるがどうしようもないだろう。無意識は自意識に記憶に基づく対処を要求しているが、どんな人生を送ってきたとしても突然脳みそ一つになった経験を持つ人間などいないだろう。

 死を迎える人間ならば栄養や酸素供給の低下と共に終わりを迎えるそんな脳のやり取りは無意識側が眠りについたかのように安らいだことで終わりを告げた。

 体の感覚は相変わらず、しかし謎の安らぎと共に暗黒に浮かぶ脳の気分を味わう"あなた"は改めてこの事態になる前に聞いた声を思い出す。

 

"あなたの好きなニケは?"

 

 その問いに対する答えを考えていると、視界が開けた。体感時間でどれほどか、苦痛の度合いだけで言えば数年は経っていそうな暗闇からの脱出に感動を覚えるが体が動かせない、そう、動かないとはいえ視界と共に体の感覚が帰ってきたのである。

 肌から伝わる感覚は水の中だろうか。視覚が戻ってもまだ眼球すら動かすことができない"あなた"は自分が水槽のような物の中にいることだけを察せられた。水槽の前に誰かが立っている。二人組だ。

 白い服と黒い服の二人、どういう視力をしているのかあなたの視界はその顔までくっきりと見えた。どこかで見覚えのある顔だ。

 

「これをどう見る、ラピ」

「……どう見るも何も、私にはレッドフードに見えます教官」

 

 聴覚も、水の中にいるのに聞こえる鋭敏さを持っていた。こちらを見つめる二人のことも思い出した"あなた"はレッドフードという単語に疑問を覚える。疑問に答えるように視界はより鮮明に、見つめてくる2人の瞳に反射する自分の姿を視認する。燃えるような赤い髪に引き締まり均衡の取れた見事な肢体。

 "あなた"の体は"あなた"ではなかった。暗闇に放り出され体が無くなった事に対する一度目の衝撃に匹敵する衝撃を受けた脳は、しかし今度はパニックを起こさなかった。脳にはもうすでにNIMPHが行き渡りニューロン制御を行っていたからだ。起きるのはパニックではなく、思考転換である。

 衝撃に対する脳内物質制御によるパニック抑制、原因となる記憶消去、人格矯正、そういうものである。という認識の上書き、植え付け。

 幸か不幸か、姿の元となったレッドフードが侵食に強い耐性を持っていたように、NIMPHの強制力に脳はある程度抗うことができた。

 "あなた"はあなたそのものでは無くなったが、その顛末そのものを知る者はこの世界のどこにもいなかった。

 

 

 『量産型ニケの製造工場で異常が発生しました』

 

 少し遡り、エリシオンCEOのイングリッドがその一報を受け取ったのは昼食の為休憩を取ろうとしている時だった。休憩を邪魔された僅かばかりの不快感に少し顔を顰めて担当者と通話を繋げる。

 エリシオンも会社である以上現場や担当者に裁量権を持たせており多少の異常が発生したところで担当者が対処する。CEOのイングリッドに直通で報告が登ってくるという事はかなりの大事である。

 

『この映像を』

「……これが量産型ニケか?」

『稀に起きる志願者の脳を用いた適性の誤差から発生するものではありません。クローン脳を用いた量産型ニケです。更に使用されている筈の第八世代型ボディは……ボディスキャン結果から言えば全くの別物に変化しています』

 

 話を聞きながら頭痛をこらえるようにイングリッドが頭に手を当てた。見た目が変わる事もあるだろう、ボディが変化する事も……許容できた。だがその姿だけは看過できない。

 

「……この件を認知しているのはお前だけか?」

『はい、この事態のカバーの必要もあると思いCEOに直接』

「上出来だ。この件は私が全て預かる。お前は目撃した可能性のある警備のニケの記憶消去を行え。口外すればニケ化も視野に入る、注意しろ」

 

 少し脅し気味に通話を切りイングリッドはラピを呼び出した。ラピはアブソルート分隊を離脱した後多くの新人指揮官に属し、傭兵かのように練り歩いている。企業トップの呼出にすぐにやってきたラピと合流し、問題の工場へと二人は入った。

 個体差のある人間の脳や適性の高い脳からニケを製造する工場と違い、クローン脳を用いた量産型専用の工場は工程がほぼ自動化され、警備のニケも現在はいない為、複数人の足音だけが響き渡っていた。付いてくる量産型ニケ達はこの任務が終われば記憶消去され、任務があった事実そのものを忘れる。

 

「これをどう見る、ラピ」

「……どう見るも何も、私にはレッドフードに見えます教官」

 

 目の前の水槽の姿に思いを馳せる。今はラピの中にいる、あの赤髪の姿と変わらない。

 

「お前の中のレッドフードは、何か言っているか?」

「何も……」

「そうか……これをどうするか考えねばなら────」

 

 イングリッドの持っていた端末が警告音を発する。ラピが銃を構えながらイングリッドを庇い、さらにその前に量産型ニケ達が壁のように立ち塞がった。

 

「脳波の異常活性化……? NIMPHの抑制命令が効いていないのか?」

 

 目の前の製造機の水槽の中に浮く体がガクンと仰け反った。動けない筈のボディは接続されていたコードやチューブを引きちぎり計測していたデータも断絶する。液体に浸けられていると思えないほど機敏に、しかし頭をもがれた虫のような不規則な大暴れは、拳の端が水槽に接触した事で終わりを告げる。

 

「ひっ……!」

 

 火器でも使用しなければニケでも破壊困難な硬質素材を容易く粉砕し、内容物が量産型ニケ達の前に溢れ流れた。

 先ほどまでの暴れっぷりはどこへやら。糸が切れた人形のように床に投げ出されたレッドフードの異様な光景にその中の誰かが小さく悲鳴を上げたものの、量産型ニケ達はブレることなく銃口を向けられる。彼らはどれもアブソルートのウンファが訓練を行った個体たちだった。

 ラピもイングリッドをさらに下がらせ、切り札を使う準備をする。

 一人がゆっくりと近づき、つま先で赤髪の頭を小突いた瞬間、右腕が動いた。発砲しようとした火器を掴み上げて立ち上がったレッドフードが赤い残影を残して姿を消す。倒れた量産型ニケは銃を持っていた右腕がへし折れ銃を奪われていた。

 

「警戒しろ! CEOを中心に!」

 

 姿を消したレッドフードを警戒し先ほどとは逆にイングリッドを中心に防御陣形を作る。

 その前方に床を砕きながらレッドフードが着地した。奪った銃が形を変えている。

 

「待った! 待った待った悪かった!」

 

 その銃を床に放り捨てて両手を上げ降参といったそぶりを見せたが向けられた銃口が降ろされることはない。

 

「……あなたはレッドフード?」

「いいや違う、それだけは絶対に違う。分からないことはいっぱいあるけど、アタシはレッドフードじゃない」

「レッドフードを知っているの?」

「……さあ?」

 

 ラピからの問いを否定したレッドフードではない人はとぼける様に口笛を吹いた。

 

「ならあなたを何と呼べばいい?」

「好きに呼べばいいよ。どうせ廃棄処分で消されるんだろう?」

「ならレッドキャップと、廃棄されるかを決めるのは────」

「私だ。レッドキャップ、お前の体は興味深い。我々に委ねる気はあるか? 見返りは保証しよう」

「決まるの早くないか? あと名前安直じゃないか? でもレッドキャップ……レッドキャップか……まぁいいよ。アタシはレッドキャップ……だ。アタシの体を見るのも好きにしていい。だけど先に見返りが欲しい」

「要望にはタクティカルに応えよう」

「いつまで全裸晒してればいいんだアタシは、服くれ」

 

 服を着たいという要望に、全員が顔を見合わせた。量産型ニケの着てる服もラピの着てる服も装備の一部であり、さっきみたいに暴れたら困る為渡せない。

 その長い髪で隠しておけとも言えないのでイングリッドはコートをラピを経由して渡すこととなった。

 工場からCEOのコートに隠されレッドキャップは移動する事となった。

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