バイタルチェック:グリーン
ブラックボックス温度:適正
エネルギー残量チェック:100%
システムチェック完了
起動シークエンスを終え、ヨルハ部隊9Sは目を覚ます。
「う……、く」
目蓋を開けた彼がまず感じたのは、全身を襲う激痛だった。それもそうだ。彼は意識を失う直前まで、人類の天敵である機械生命体との決戦にたった一人で挑んでいたのだから。偵察モデルである9Sが今も生きているのは、奇跡的としか言いようがない。
9Sが辺りを眼球だけ動かして探索する。
ここは、廃棄都市の一室か? 長く日の光に照らされていない部屋は、暗く冷たいだけでなく、カビ臭い匂いが立ち込めている。
「ポッド、現在位置の確認を…………ポッド?」
ヨルハ部隊の標準装備である随伴支援ユニット、ポッドの名を呼ぶが、返事は帰ってこない。例え意識が無くともその側を離れないポッドが、いない。9Sは更に混乱する。
「僕、は……どう、なって……?」
確か《塔》を登り切った末に、脱走した元ヨルハ部隊、A2と戦闘になった。アタッカーモデルのA2に白兵戦で勝てず、左手を斬り落とされ、そして……。
「ハッキングされた……でも、何も異常はない。彼女は僕に、何をしたんだ……?」
スキャナーモデルではないA2が行ったと考えれば、そこまで難しいハッキングは不可能だ。
以前の状態と今の状態を比べる。
そういえば、と9Sは思う。《塔》を登っていた頃と今では、思考がクリアになった気がする。
あの時は情念が思考を埋め尽くして、それに命じるままに戦っていた。
「……2B」
名を呼ぶ。脳裏に浮かぶのは、一人の少女の姿。
製造されてからずっと、任務を共にしていた少女。無口で、近寄りがたい印象を受ける彼女との日々は大変で、けれど楽しかった。例えそれが自分を監視するためだったとしても、一人ではなかったから。共に戦えた時間は誇らしく、美しいものだった。
そんな存在を目の前で奪ったのが機械生命体であり、A2だった。
9Sが己を顧みることなく、機械生命体を殺し尽くせたのは、その情念のおかげだ。
だが今は、不思議と感情は穏やかだった。
あるいは燃え尽きて、灰になってしまったのか。
「……彼女のハッキングのせいか……?」
復讐は果たしていない。彼女の無念は何も晴らしておらず、機械生命体は未だにこの地球にいる。
けれど。
斬り落とされた左腕を見て、9Sは思う。
ヨルハ部隊も、バンカーすらも壊滅した今……もう9Sに戦う意味がない。
ただ滅びを待つだけの迷い子。
それが、今の少年の現状だった。
動けるようになるまで二日。そしてレジスタンスで現状を把握するまで、更に一日は必要だった。
レジスタンスのリーダーであるアネモネによれば、《塔》がこの地から空へ飛び立とうとして、何故か崩壊したらしい。A2の仕業だろう。彼女が何のために戦っていたのか未だに分からない。でも。
──2Bはいつも、苦しんでいたよ。
《塔》の上でそう諭してきた彼女は、一体2Bの何を知っていたのか。
それを知る機会があるかは分からないけれど、知りたくはあった。
あとは機械生命体は相変わらず存在しているということ。9S以外のヨルハ部隊をレジスタンスは見ていない。そんなところだ。
ポッドは結局今も9Sの元には帰ってきていなかった。何処ぞで機能停止したのだと考えたが、ただのユニットでもいつも側についていた存在がいないのは、一抹の寂しさを覚える。
「そういえば9S、腕は直さないのか?」
レジスタンスを出る前に、アネモネがそう問いかけた。
「パーツならある。お前は進まないだろうが、同じヨルハ部隊のものが沢山あるんだ」
「その厚意は嬉しいんですけど、お断りします」
「……お前はスキャナーモデルだろう? 戦闘向きの設計はされていない。ポッドだっていない。その上に片腕を失ったまま外を出歩くなんて、自殺行為も良いところだ」
「……そうですね。でも、多分それをしたら、僕は僕で無くなってしまう気があるんです」
壊れたら部品を入れ替える。機械ならではの特権だ。
でも、9Sは知っている。
あの《塔》で、2Bのコピーの腕を移植したとき。自分の中で何かが変わっていった。それがウィルスによるものか。それともコピーでも彼女の体を移植したからかは定かではない。
でも、9Sという個が変質していったのは確かなのだ。
それが、今はとても恐ろしかった。
今度同じことをしたら、どうなるのか。
自分が自分で無くなってはいけない。そう考えたのだ。
「僕は僕でありたい。それにこの腕は、罰だと思うんです」
「罰? 一体何の?」
「……さぁ。沢山ありすぎて分かりませんよ、そんなの」
9Sは苦笑する。
彼女に沢山殺され、彼女の偽物を沢山殺し、彼女の腕を奪った。
この左腕は直さなくていい。
そのせいで死んでも、それは仕方ない。当然の報いだとすら思った。
「これで遺体を見つけたら、目も当てられないんだが」
「死ぬつもりはありません。長く生きようとも、思っていませんけど」
「縁起でもないことを言うな、全く。……行くなら行け、止めはしない」
「はい。ありがとうございました」
慣れ親しんだレジスタンスを出て。9Sは漠然と、もうここに戻ることはないんだろうな、と思った。
戻ろうと思えばいつでも戻れるだろう。ただ燃え尽きた灰が風に吹かれて、消えていくように。今の9Sに、ここに残る理由はなかった。
そうして、9Sのあてのない旅が始まった。
機械生命体になるべく出会わないルートを探し、歩き続ける。夜はエネルギー回復のためにスリープモードに移行し、日が昇ればまた歩き出す。それの繰り返し。同じ場所をぐるぐる回っても良かった。行き先があるわけでもないのだから。
では何のために歩いているのか。
自分を見つめ直すだとか、世界を見たいとか、そういうことですらない。
曖昧な感情がふわふわと心を満たしてはいるが、それでも一番心を埋め尽くすものは分かる。
(何故、僕は生き残ったのだろう)
あの《塔》で。9Sは死んでも機械生命体を絶滅させ、A2を殺すつもりだった。しかし機械生命体は未だに蔓延り、A2は消息不明。そして自分は無様に生き延びている。
全くの無意味。全くの無価値。
命もないのに命を懸けたつもりで戦うだなんて笑わせる。
……だからこそ、思ったのだ。
意味がないのなら、何故自分は生きているのか。
仮に生きるのであれば、理由が必要だ。全てが終わった後だとしても。
「これで見つかるなら、苦労はしないよな」
それでも、それ以外にやりたいことが無いのだから仕方ない。
だから9Sは歩き続ける。
その果てで尽き果てようとも。
歩き続ければ何かに近づけると信じて、少年は今日も一歩踏み出す。
放浪の旅を始めて、三か月が経った。
行った場所は多岐に渡る。砂漠や水没都市、エイリアンの母船、森の城、遊園地。凡そ行ったことのある場所には行った。
しかし9Sの心には何も響かない。思い起こさせるのは、2Bと共にいた記憶、過去。それも当然、9Sが起動してから、2Bと過ごした時間がほとんどだった。何処に行こうとも、彼女の面影を重ねてしまうのも当たり前。
それは9Sが求めるものではない。前ならその回想だけで泣きたくなったものだが、今はそれすらない。感情まで鉄になってしまったかのよう。
一歩進むほどに、あの日々は過去になっていく。風に晒される体は、大事なものまで削ぎ落とされてしまいそうで。この世界は9Sが生きていくには、あまりに息苦しい。
「……、」
覚束ない足取りで歩くことも随分増えた。メンテナンスを長くされてないボディは、既にエラーをいくつも吐いている。
何も掴めないまま終わるのはいい。でも何もしないまま終わるのも違う。早急に修理しなければいけないが……。
(……、どこに?)
レジスタンスに戻れば、アネモネ達は9Sを必ず拠点に留めようとするだろう。そして今の9Sに、彼らの拘束を振り切るほどの力はない。そして修理なんて真似はしないだろう。
だが破損部位のパーツを探し回るのは、機械生命体と接敵するリスクが高まる。となれば、やはりレジスタンスに戻るしか……。
「……いや」
一人だけ。
アンドロイドの部品を持っているかもしれない人物は、いる。
正確には、アンドロイドですらないが。
ここに来たのはいつぶりだっただろう、と9Sは土を踏みしめながら思う。
都市部から離れた森林地帯。遠くの遊園地の喧騒とは真逆に、静けさが支配する森は、旅に出て初めて訪れる場所だった。
それも当然。ここにはレジスタンスと繋がりのある者がいる。
パスカル。アンドロイドに協力する、和平を求めてきた機械生命体。
彼はこの森で同じ意志を持つアンドロイド達を集めて、村を作っていた。その過程でレジスタンスと協力関係を築き、9Sとも交流があったのだ。
思えば彼とも2Bが死んでからは会っていない。余計な詮索をされぬように、身なりは綺麗にしてきたつもりだが、彼はとても賢い。恐らく9Sの変化に気付いても、咎めはしないだろう。
9Sの知るパスカルは、そういう人物だ。
「……?」
村に続く木の足場が見えてきた辺りで、9Sは異変に気付く。
森が、焼けているのだ。新しく育ってきている枝葉を見ると昨日今日の話ではないだろうが、以前の緑豊かな森には程遠い、黒い焦げ跡があちこちに残っている。
胸の奥がきゅう、と締め付けられるような圧迫感。これはそう、2Bが死んだときと同じだ。もう間に合わないと分かってしまったが故の。
ゆっくりと足場を歩く。景色は村に近づけば近づくほど、黒が多くなっていく。そして、村全体が見えた。
村そのものは変わっていない。変わったのは住民だ。
足場に転がっているのは、住民の機械生命体達。その全てが機能を停止していた。
最早これは村ではない。
「……廃棄場」
機械生命体に弔いの習慣はない。放置された機械生命体達は雨風に打たれて錆びている様は、肉体が腐るのと似ている。村に誰か住んでいるのであれば、この死骸を片付けるはずだ。それすらないのはもう誰もここには住んでいないということになる。
パスカルも、恐らくはここに……。
「ああ、こんにちは。ここは静かで邪魔が入らない、いいところですよ」
声が、飛んできた。
「、……」
9Sは言葉を失った。
足場の縁に立っていたのは、機械生命体だ。人型のそれは、流暢な言葉遣いでこちらに手を振っている。
9Sは彼を知っている。この村の長であるパスカルその人だ。彼は足元で転がる機械生命体達と違って、記憶の中のまま。けれどこちらを観察する姿は、まるで初対面の相手を見るようだった。
「沢山落ちているガラクタさえなければいいのですが、拾っても拾ってもなくならないんですよね……」
彼は穏やかだった。
村はこんな寂れてしまったというのに。
そのガラクタこそが、彼を支えていたもののはずだったのに。
パスカルはそれらに一瞥すらくれない。
「……パスカル、それは」
「パスカル、何だか聞き覚えがあるような……」
その問答で9Sは分かった。
パスカルの記憶は、消えたのだ。
話を聞いたところ、今のパスカルになってから、既に三か月以上経っているらしい。
丁度2Bが死んだときと同じ時期だ。偶然ではないだろう。パスカルは機械生命体達にとっては裏切者だ。村が襲われる理由なら幾らでも考えられた。
再起動したパスカルは自分の名前も分からぬまま、この三か月を孤独に過ごした。
以前の彼なら耐えられるものではない。村で何かあればすぐ泣きついてきた彼を知っている9Sからすれば、信じられないことだった。
しかし、
「辛くないですよ、別に」
パスカルは言い切る。
「ここはあのガラクタに襲われることもないですし、本やアーカイブが沢山ある。居心地がいいから、誰かと会う必要性も感じない。今は、そう思うんです」
まぁ、それがいいことかは知りませんが、と微笑むような声。
それだけ聞くと、前よりも幸せそうに思える。
けれど。
「それにお店をやってますから、出会いはあるんですよ。ほら、村中に落ちているガラクタ」
こんこん、とパスカルが腕で叩いたのは小型の機械生命体だ。9Sの記憶では、それは下の広場で遊んでいた子供の機械生命体の一体だった。
「これが欲しいという方がいたので、レジスタンスを通じて売り出してるんです。これがまた結構好評でして。何やら武器にしている方もいるみたいですが……なんなんでしょうね、これ」
どう使われているのか説明するパスカルに、罪はない。彼にとってこれはただの売り物であり、セールスポイントを紹介する程度のことなのだろう。
それでも9Sには、到底受け入れがたい。
忘れてしまったんだろう。今のパスカルにはこれがガラクタでしかなく、恐らく9Sが同じ立場なら、彼と同じことをするのだろう。
それでも、こんなのは、あんまりだ。
沢山の同族に慕われていた彼が、今は何食わぬ顔でかつての同族を売り捌く。
そんなの、余りに報われない。
「あなたがここに来たのは、これが目当てだと思ったんですが……違いました?」
「……ああ。ちょっと色々あって、旅をしてるんだ。それで前みたいに物資を分けてもらおうと思ったんだけど」
「ああ、すみません。今はこれしかなくて……」
「いいんだ。それよりもごめん、助けてあげられなくて」
頭を下げる9S。パスカルは首を傾げる。
「……? 何故頭を下げる必要が? 私は
「……そう、だね」
9Sは口ごもる。
今もパスカルはここにいて、元気に知識をつけている。
でも、死んだのだ。
この村の長、アンドロイドとの共存を夢見たパスカルは、もういない。
ある意味ただ死ぬよりもよっぽど残酷だ。
こんなことなら、その時に死ぬべきだったとすら思える。
……ただ。
(……そもそも、なんでパスカルは壊されず、記憶の初期化だけで済んだんだ?)
他の村人は結局見つかっていない。つまり彼だけが生き残ったということだ。
しかし、機械生命体にそんな器用な真似が出来るだろうか? 確かにあの《塔》で会った赤い少女、機械生命体の統括人格ならば可能だろう。しかしこんなに迂遠ではなかった。直に苦しめられた9Sだから分かる。あれはもっと直接的な手を好んで反応を楽しむ。少なくとも、パスカル個人を狙う意味はない。
とすれば……パスカルの記憶を消したのは、他の誰かのせいなのだろうか。
そして仮にその誰かが機械生命体側の存在なら……。
(なら、どうするっていうんだ?)
仇討ちでもするか? よくもパスカルを、と剣を突き付けて、その首を貫けばそれで満足か?
相棒の仇すら取れなかった奴が、今度は記憶を失った知り合いの復讐を代行するのか?
……なんて、滑稽極まりない。今更誰を殺したって、もう現実は変わらない。美しい思い出が色づくことは、ない。
かつて駆られた激情の炎がすぐに消えていく。その燃え滓を吐き出すように、9Sは口を開いた。
「……もう、どうだっていいんだ、それは」
「? 何がどうだっていいんです?」
「っ、ああ。ここにいると、時間がゆっくり流れる気がして、どうだってよくなるなぁって」
「ふふ、そうですよねぇ。私も当初ここに来たときは同じ気持ちでした。朝から夜まで鳥の鳴き声を聞きながら、森を眺めたものです」
それはそれは……と9Sは誤魔化す。
すると。
「……9Sさん。もしよろしければ、ここに住みませんか?」
「え? ここに、君と?」
パスカルが頷く。これはまた、不思議な提案だ。9Sも不意を突かれて、黒い目隠し型のバイザーの下で、目を瞬かせる。
「どうして? 君にとって、僕は初対面のアンドロイドでしかないはずだけど……」
「はい、その通り。ああ、別に私と一緒に村を復興しようだとか、店をやってくれとか、そういうんじゃないんです。ただ……」
少しの躊躇いの後、パスカルはこう言った。
「9Sさんが、少し疲れているように見えたので……放っておけなかったんですよ」
「僕が?」
「はい。9Sさん、ここにはご自身の体を修理するために来たと言ってましたが……あなたみたいに知的な方が、そんなことになるまで放置しているとは思えなくて。それに表情も硬いですし、何かあったんだろうなって察しますよ」
「……そう、だね。うん」
ここまでがむしゃらだった。目的も、ルートすらない強行軍の中、自分が何処に進んでいるのかも分からない。時間だけが無慈悲に進み続けても、何一つ得たものはない。
ひたすら反芻したのは、彼女の最期。彼女の血。彼女が呼んでくれた名前。果てのない残響に、感情は凍っていく。
そんな、三か月だった。
「何があなたをそうさせているのかは、分かりません。でも、このままだとあなたは壊れてしまう。だから」
「ここに、残ってほしいと?」
少しだけ。
ほんの少し、それもいいか、と考える自分がいたことに、9Sは苦笑する。
でも、と首を振る。
「ごめん、それは出来ない。僕は、行かないと」
「行くって、どこへ?」
「分からない。それが形あるものなのか、それとも概念なのか。どっちだっていいんだ。ただ僕は、自分が生きていく指標が欲しい。そのために生き残ったっていう理由が、欲しいんだ」
余りに抽象的な言葉。己の命を懸けるには不確かな動機。
でも、パスカルは何かを感じ取ったらしい。
「……神は死んだ、という奴なんですかね、これも」
「は? 神?」
「お気になさらず。ただの哲学ですので。分かりました、ならば止めません。ですが片腕では不便でしょう?」
パスカルは続ける。
「最近新しい品を仕入れまして。それならその腕の代わりになるかもしれません。それだけでも受け取ってくれませんか?」
「腕の代わりっていうと……もしかして、機械生命体の腕、とか?」
パスカルは人型だが、その四肢はどっちかというとショベルとか、スコップに近い造形をしている。もしそれを移植したら……9Sはぶるりと体を震わせる。
「まぁ、似たようなものですが……とにかくこちらへ。ご心配なく、結構アンドロイドの皆さんに好評なんですよ?」
がしゃんがしゃんとその品がある倉庫へ走っていくパスカル。
強引なところは少し前の彼に似ていて。
懐かしく思いながら、9Sは慌てて後を追いかける。
それ、パスカルは目的地に向かいながら、さっきの話を思い出す。
今日出会った9Sというアンドロイド。彼によれば自分はこの村の長だったらしい。
機械生命体が生まれるのはアンドロイド、人類の絶滅のためである。この村に武器らしいものも、機械生命体を生み出す工場もない。つまりこの村は単なる住居の集まりでしかない。機械生命体にとってこれほど意味のないものもない。
今のパスカルは何らかの不具合で、機械生命体の原則、人類の絶滅を無視していると思っていた。まさか元々自分がそうだったとは、つくづく何のために製造されたのか不明だ。
けれど。
──ただ僕は、自分が生きていく指標が欲しい。
同じだ。
何のために生まれ、何のために生きるか。
別にパスカルは、それがないと生きていけないわけじゃない。
ただ、知りたくはあった。
──そのために生き残ったっていう理由が、欲しいんだ。
片腕を失い、それでもなお欲するもの。
記憶を失い、だからこそ知りたいもの。
どうしても重なってしまう。
……パスカルは9Sほどそれが欲しいわけではないが。あの己の身を省みない姿は、執念じみたものを感じる。機械生命体のパスカルにあんな情熱はない。
(とはいえ、手助けくらいはしてあげたい)
そう思うのは、余計なお世話なのかもしれない。
でも、ここで見送るほど、冷たくはなれないのが、パスカルという機械生命体だった。
パスカルが止まったのは、村の逆側。廃棄都市の方角にある倉庫だった。
わざわざこっちに倉庫を作っているところからして、例の物はそんなに沢山あるのだろうか。
「こちらです。ちょっと待ってくださいね」
廃材で作られた倉庫の扉を、パスカルが開ける。
「ぅ、……」
中から漂ってきた異臭に、9Sが鼻をつまむ。
死んだ野生動物が腐っても、ここまでの匂いにはならない。硫黄と鉄が混ざった悪臭は、仄かな暑苦しさすら感じさせた。
まともなものが保管されているわけがない。一体何をプレゼントされるのか、不安が芽生えるほどだ。
「パスカル、ここには何を?」
「ここにはアンドロイドの部品を保管してるんです。三か月前にこの辺りに空から落ちてきたものなんですが、これが村にあるガラクタみたいに多くて。捨てるのも面倒ですし、どうせなら売ってしまおうと思ったんです」
「……ならなんでこんな臭いんだ? 君達に掃除の概念が無いのは分かるけど、これじゃ機械生命体相手はともかく、アンドロイドには売り物にならないよ」
「私にアンドロイドを直す技術はありません。どうにかしようとも思ったんですが、弄りすぎて商品を駄目にしてしまったこともあって……」
「それで拾ったものを片っ端から倉庫に入れたらこの有り様なわけか」
真っ暗な倉庫をじっと9Sは見つめる。
パスカルが粗悪品を掴ませるとは思わない。そんな手口を思い付くほど知能は発達していないだろう。
しかし、こんな衛生管理のえの字もない場所で保管されたものを、移植する気は9Sにはない。
さっさと断ろう。そう決めたときだった。
9Sは、それを聞いた。
「ん……?」
こーん、と。
暗闇の中で反響する、音。入り口近くに置かれた何かから落ちたのだろう。暗闇から転がってきたそれは、9Sの靴にぶつかって止まった。
ほとんど反射的に、9Sはそれを拾って。
目を見開いた。
白い球体だ。元は埋め込まれたものだったのだろう。背部にはコードが伸びていて、引き千切れた跡がある。しかしそれの可笑しいところは、正面に位置する場所に、青い色がついていること。
それだけならばヨルハ部隊に所属していた9Sは驚かない。彼には、その目の色に覚えがあったからだ。
青い、瞳。この絶望的な世界で、黒いバイザーの下で、星のように見えたその瞳は。
「……2、B……?」
覚えている。
目の前でその光が失われたから、よく、覚えている。
この手で何体も何体も殺したから、よく、覚えている。
この瞳が、今のように転がっていった様を。
9Sは堪え切れず、膝をついた。
息が出来ない。手の中で輝きを失った目玉が、カラカラと玩具のような音を鳴らす。
「9Sさん? ど、どうしました?」
9Sはその声を無視して、倉庫へ入る。この目が転がってきた方向へ二歩進んだだけで、9Sはそれを見つけた。
首だ。木で作られたおざなりな棚に、首が四つ並んでいる。そのどれもが同じ可憐な顔で、同じ白髪で、同じ青い瞳だった。
違う箇所があるとすれば、それは壊れ方と、表情。苦しんで死んだものもあれば、無表情で死んだものも、笑いながら死んだものもあった。
2Bだった。
その棚に陳列しているのは、全て2Bの首だった。
「……、…………、……、………………」
言葉が出ない。手の中にあった目玉が落ちて、また部屋を転がっていく。
思考が全部目の前の首に吸い寄せられる。知能が現実に溶けて、無くなってしまいそう。
「それじゃよく見えないでしょう。ちょっと待ってくださいね」
かち、とパスカルが倉庫の真ん中の紐を引っ張る。何度かの点滅。そして、倉庫の全容が明らかになった。
そこにあったのは、とあるアンドロイドの部品。
五体満足なものはない。上半身と下半身、それぞれ手足がまともに接続しているものすらなかった。手や足は箒入れに突っ込む形でまとめて隅に置かれ、首は壁の棚に。胴体はまとめて服を剥がされ、各部位から主要なパーツを摘出、分解している。
そして中央。
ガラスのケースの中に、上半身だけの2Bが展示されていた。
保管されている彼女に目立った損傷はない。上半身だけということを除けば、そこには生前と変わらぬ彼女がそのままある。
故に、悍ましかった。
「いい感じでしょう? 特にこの上半身が揃った個体はもうその一点しかなくて、他は売れちゃったんですよ」
「……売れ、た? これが、ここにある全部、売り物だと?」
「はい。さっきも言いましたけど、三か月前にほら、あの《塔》が崩れたときに、すぐ側にこれが落ちてきて」
《塔》には2Bのコピーが山程いた。9Sが倒したのもその一部だろう。それが《塔》の崩壊であちこちに落下していたとすれば、この大量の2Bも辻褄が合う。
ああ、問題はそこじゃない。
「……これを、誰に、売ってるんだ?」
「それは勿論アンドロイドの皆さんですよ。このアンドロイド、こんなにいっぱいいるのに、大変珍しいみたいで……なんでも最新式だとか。なんでそんなものが落ちてきたのかは知りませんけど、村のガラクタよりは人気でして、特にぶらっくぼっくくす?、とかいうパーツは特に売れてですね……」
ぺらぺら、ぺらぺらと。感情の起伏が無いまま早口でまくしたてるパスカル。
さぞ、嬉しかったのだろう。きっと大勢のアンドロイドが彼の店に通ったのだ。貴重な最新式のヨルハ部隊の部品。それが手に入る店など、この地球ではここしかない。
……パスカルは悪くない。
例え村民やかつての知り合いを分解して売ったとしても、今の彼には何の罪もない。
誰かの命を奪ったわけではなく、再活用するのに少し資源を分けてもらうだけ。この展示だって売りやすくするためであって、2Bを辱めるためではないのだから。
だけど。
ならば何故、この胸の奥に、激しい炎が灯るのか。
内を焦がす激情の炎が、また燃え盛ろうとしているのか。
「ねぇ、パスカル」
「あ、はい? なんでしょう、9Sさん」
2Bを指差して、9Sは問う。
「君は、これを見て、どう思う?」
「は、はい? どう、とは?」
「例えば、このアンドロイドが君の知り合いだったら……君はどう思う?」
「知り合い、ですか。……ふむ。そうですね、死んだのか、とは思いますが、
「……そうか」
炎が猛る。
揺れ動いて、人工皮膚の下から炙っている。沸々と煮え滾っていく感情。
きっと。
何も知らないパスカルに、この怒りを押し付けるのは間違っていて。
けれど。
この景色を作ったパスカルに、何の罪もないとは思えなくて。
「…………そう、か」
だからこそ。
これ以上何も知らないまま、誰かの尊厳を踏み躙らせることだけは、させてはいけないと思った。
こいつは、
9Sは、そう、決めた。
「ごめん、パスカル。君を助けてやれなくて」
「9Sさん? それはどういう、」
9Sがパスカルの腕に手の平を当てる。
「ハッキング開始」
瞬間、9Sの視界は現実から剝がされた。
平面な世界。それは電脳、機械生命体パスカルの世界だ。
9Sはスキャナーモデル。その真骨頂は情報処理能力であり、特にハッキングなどはお手の物。彼の手にかかれば、どんな機械生命体であろうとも意のままに操り、その気になれば
9Sが行っているのはまさにその自爆。この倉庫ごとパスカルを吹っ飛ばそうとしているのだ。
パスカルの防衛プログラムは余りに脆かった。瞬く間に9Sはそれを突破し、あっという間にパスカルの全機能五十パーセントを掌握する。
これならあと一分もかからずに自爆命令を出せるだろう。
そう9Sは思っていた。
その声が、聞こえるまでは。
──、ぁ■、■ん■いう……。
ノイズが混じった声が電脳空間に響く。非常に聞き取りづらいが、今の悲痛な声は、
「……パスカル……?」
一体何が起きたのだろう。
パスカルは真っ白な空間で一人立ち尽くし、きょろきょろと辺りを見回す。
現実ではない。何というか、空間そのものがたまにブレて見える。蜃気楼で形成されているような世界。
娯楽小説で読んだことがある。物語の主人公が、精神世界、あるいは深層心理と呼ばれるものに引きずり込まれているところを。
だが、機械生命体に精神世界も深層心理も存在しない。となれば、ここは。
「……私の記憶領域? 9Sさんにハッキングされたことで、私自身が記憶領域にアクセスしている、とか……?」
ならば納得だ。ここが曖昧なのは、そもそも蓄積されているものが余りに少ないからだ。だからニュートラルのままなのだろう。
実働時間にして三か月と七日。短くもなければ長くもないこの時間は、この機械生命体に何の変化も与えなかった、この世界がその証拠だ。
そう、何も。
「……え?」
何か、いる。
パスカルの目の前。
小さな、黒いモヤが
──パ■■■■■■■ん。
なのに、手は無意識にその子供へと近づいていく。
そして触れた瞬間、黒いモヤが消える。
露わになったのは、己の足を引き抜いた、子供の機械生命体だった。
「だめ、っ」
──パスカルおじちゃん!
制止の言葉は届かない。
子供は、己の足を腹に突き刺した。
緑の瞳は光を失い、倒れる。だらんと力を失った手と、深々と刺さった足が余りに不釣り合いで。
パスカルは後ずさる。
知っている。
見たことがある。
これは、これは……!
──ぁぁ、何という、ぁぁ……!
世界が変貌する。
赤い、錆びた世界。
《私》が生まれた世界。
黒いモヤは、何処にもない。
あるのは、自らの腹に凶器を刺した子供の機械生命体達と。
それを馬鹿みたいに突っ立って見ている、二人組。
一人は、パスカルが売っている商品によく似たアンドロイド。
そしてもう一人は、
「わた、し……」
人間のように、目の前の惨状に頭を抱えるパスカル。
重なっていく。
私と、パスカルの境界が錆びて、綻んでいく。
消したはずの記憶が、熱を帯びて意識を溶かしていく。
ああ、そうだ。
村の子供達が危険を犯さぬように、恐怖という感情を教えた。
そうすれば、子供達は立ち向かうのではなく、逃げようとするはず。
しかし、それが間違いだった。
死ぬかもしれない恐怖に、子供達は耐えられなかった。
これから先もそんなものが襲い掛かるかもしれない、その根源的な恐怖に耐え切れなかった。
だから、全員で、自殺した。
そうすれば、死からも、世界からも逃げられるから。
そして、もう一人、逃げようとしている。
──この……苦痛に……私は、耐えられません……。
やめろ。
──私の、私の
やめろ……!!
「さもなくば……私を、殺してください……」
「やめろぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!」
パスカルの叫びが、錆びた地獄で響く。
膝をついて、誤作動を起こした瞳がチカチカと瞬く。
だが、もう遅い。
消去した記憶が蘇っていく。
村を作ったこと。
そこに住む住民を探したこと。
住民達に人間の知識を与え、日々を共に過ごしたこと。
村を他の機械生命体に焼かれたこと。
子供達を守ったようで、全て殺したこと。
全てを刹那の間に体験し、現実に戻ったパスカルの目に入ったのは。
知り合いのアンドロイドの変わり果てた姿。
「あ、ぁ、……!」
例え機械であっても。
どれだけ記録領域を綺麗に掃除しても。
過去は、決して、消えたりしない。
それを機械は、今更思い知った。