[P]ost [S]9ript   作:388859

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「……うぁ!?」

 

 バチン、と指先から火花が飛び散り、9Sは現実に帰還した。

 今の映像は……パスカルの消された記憶か。

 自分が教えた知識によって自殺に追いやられた子供達。その事実にパスカルは耐え切れず、記憶を消した。

 そしてその記憶を消したのは……。

 

「A2」

 

 全て腑に落ちた。A2には2Bのポッドがついていた。ポッドの補助があればアタッカータイプのA2でも記憶の消去は可能である。逆に言えば、完璧な記憶の処理が行われていたとは考えにくい。9Sのハッキングがその記憶を復元してしまったのだ。

 パスカルは立ったまま、項垂れている。それは機能不全を起こしたからではなく、全てを思い出したから。

 

「……、わたしは……なんて、愚かなのでしょう……」

 

 機械音声は、震えていた。

 そこにさっきまでの無情な機械はいない。

 

「……今までを要らないと断じて、村のみんなを、2Bさんを売り物にして……こんな、何の権利があってこんなことを……」

 

 パスカルは戻ってきた。

 どうしようもない罪を押し付けられて。

 忘れたまま死ねたならば、一体どれだけ良かっただろう。

 彼にはもう何も残ってはいない。

 大切にしたかったものも、するべきだったものも、自分で手放したから。

 9Sにはその気持ちが痛いほどよく分かった。

 

「……パスカル」

 

「9Sさん、どうして私の記憶を復元したんですか……?」

 

 パスカルが問う。

 電子音声にも関わらず、その声色は悲痛だった。

 

「……不慮の事故だよ。そんなつもりは、一切なかった」

 

「嘘です。私を自爆させるだけなら、わざわざ記憶領域にアクセスする必要はなかった。あなたは、こうすることで私が一番苦しむと、知っている。私がそういう性格だと」

 

「パスカル、本当だ。本当にそんなつもりはなかったんだよ。僕はこれ以上、君が大事にしていたものを壊してほしくなくて」

 

「だったら私を最初に壊して(・・・・・・)くださいよ!!!」

 

 パスカルの怒号が倉庫に響く。

 もしも彼がアンドロイドだったなら、涙を流していた。そう思えるほどの悲嘆。

 

「私は、あの時、死にたかった。こんな苦痛に耐えられないと。私のままではいられないと。だからA2さんに頼んだんです。終わらせてほしいと。死んだ子供達を、彼らを殺した罪深い私を。続く物がないように終わりにしたかった」

 

「……でも、A2はそうはしなかった」

 

「A2さんは悪くありません。私が同じ立場なら同じことをしていたはずです。愚かだったのは私。死にたいなら他人にその選択肢を突き付けるべきではなかった。私自身が、あの場で死ねば良かったんです。けれど、そうはならなかった。ならなかったから、あなたのことを傷つけてしまった」

 

 パスカルは己の腕をぎゅっと握りしめる。

 

「……ごめんなさい、9Sさん。私に、あなたを糾弾する資格なんてないのに。私がしたことは、許されないことです。むしろあなたには私を殺す権利がある」

 

「……、」

 

「お願いがあります、9Sさん。私を(・・)殺してください(・・・・・・・)

 

 9Sの中で、ぞわ、と疼く。

 それは過去に身を投じた業火。

 一度燃え上がった炎は消えない。

 9Sの中でそれはあっという間に燃え広がっていく。

 こいつは、死んだ2Bを弄んだ。あの機械生命体達と一緒だ。そんな奴は一人でも多く死んだ方がいい。

 それにさっきも言ったじゃないか。

 

──僕はこれ以上、君が大事にしていたものを壊してほしくなくて。

 

 君を、殺そうとした。

 最初からそのつもりだった。

 確かに酷いことをしてしまった。でも、善意で殺そうとしたことに代わりはない。

 理由ならずっとある。

 だから壊していいんだ。

 こいつは、もうこんなにも、死にたがっているんだから。

 

「……、…………」

 

 9Sが手の平に純白の光を灯す。それをパスカルに放てば、ハッキングは再開されるだろう。

 躊躇うことはない。

 だってこの先、彼が生きてどうする?

 この胸に空いた喪失感に、心ある者は耐えられない。

 復讐も自殺も、それを紛らわすか、断ち切るかの違いでしかない。

 9Sは前者で、パスカルは後者だった。

 でも、結局その穴は埋まらないのだ。

 逃げようが立ち向かおうが、冷たい風がその穴を通り抜けて、内から心が錆びていく。

 安易な救いは何処にも転がっていないが。

 安易な死だけは、誰の前にも平等にあるのだから。

 だから、躊躇うことは、何もないはずだった。

 

「…………一つだけ、僕の質問に答えてほしい」

 

「……質問、ですか?」

 

「うん。一つだけ。それが済んだら、殺してあげる」

 

 9Sはそう言うと、あくまで軽い口ぶりでこう問いかけた。

 

「どうして、A2は君の記憶を消したと思う?」

 

 

 

 

 質問と言われて、何だろうとパスカルは思っていた。

 こんなことになって、今更聞くこともないと。そんな価値のあるものなどないと。

 だから、その質問の意図を図りかねた。

 

「……どうしてって……」

 

「うん。だってほら、別に君を生かしておく理由ないだろ。情が移ったから命を取るのを躊躇った……にしては薄情だ。あんなことがあっても、まだ君に彼女は生きろと言った。その理由が、分からなくて」

 

「分からなくてと言われても……それが本当に大事なことですか? 分かったところで、私が死にたいことには変わらない」

 

「だろうね。僕も、君はもう死んだ方がいいと考えてる」

 

 9Sが光を飛ばす。ハッキングだ。しかしパスカルの意識は消えていないし、自爆も作動していない。

 

「君のプログラムは意図的に制限がかけられている。特に機械生命体に関しては、認識することすら出来ないようロックがかけられていた。多分さっきまでの君には、機械生命体が黒いモヤくらいにしか見えなかった。違う?」

 

「……はい。今は、もうそれも解除されましたが」

 

「多分、それは自身がかけたものだね。あのA2にそんな小細工が出来るはずがない」

 

「そうでしょうけど……あの、それが?」

 

「言っておくけど、君が死んでもその後悔は消えないよ」

 

 電気を浴びせられたかのような衝撃が、パスカルに走る。

 消えない?

 この苦痛も、この記憶も。

 死してなお残るというのか。

 

「そ、そんなはずは……!」

 

「ないよ。終わるさ、ここで」

 

 意味が分からない。

 ここで終わるのに消えない。それこそ哲学的だ。記憶を取り戻したパスカルでもそんなことは分からない。

 

「君は子供達のことがトラウマだ。だから記憶を消されても思い出さないように機械生命体への認識を阻害した。だからこそ、その後悔は消えない」

 

「ど、どういう意味ですか?」

 

「仮に、今死ぬとして。君なら最期に何を思い浮かべる?」

 

 パスカルは答えられない。

 それも予想していたのだろう、9Sは語りかける。

 

「みんなで暮らしていた幸せだったとき? いいや違う。住民を、知り合いを売って、そうやってぬくぬく生き永らえたことを悔やんで死にたがっている時点で決まってる。最期に思い浮かぶのは、後悔だけだ」

 

 ああそうか、とパスカルは理解する。

 

「子供達に謝って、住民達に謝って、2Bに謝って、僕に謝って。そのまま死んだら、君はそのまま後悔したままだ。だから消えないんだ。例え終わったとしても、君はそのまま後悔し続ける。後悔した君だけが残る」

 

 断ち切ったら、それ以上もそれ以下もない。

 つまり。

 

「それは救いじゃない。逃げですらない。ただ残るんだよ。君は、後悔のまま消えるんだ(・・・・・・・・・・)

 

 耐えられないから、死のうと思っていた。

 けれど……逃げられないのか?

 終わった瞬間が後悔なら、私はそれに溺れていくだけなのか?

 余りに恐ろしい結論だった。

 楽になれると思っていた手段が、最悪を固定するだけのものでしかないだなんて。

 

「……どこにも、逃げ場は、ない……?」

 

 だからなのか? A2がパスカルの記憶を消したのは、それが分かっていたから……。

 

「……このまま死んでも、私は……この地獄から解放されない……それでは……」

 

 意味が無い。

 死んでも逃げられない、なら。

 残るは一つしかない。

 

「9Sさん、もう一度私の記憶を……!」

 

消さないよ(・・・・・)

 

「何故……!?」

 

「君、自分が何をしでかしたか、分かってる? それを僕が許すわけないだろ?」

 

 9Sの目は、バイザーに囲われて見えない。だがその下の瞳は、恐らく憎悪に近いものを秘めているに違いない。

 そう。どんな事情があろうとも、9Sはパスカルは許さない。パスカルがまだ起動していられるのは、9Sの慈悲なのだ。

……もしかしたら、これこそが9Sの復讐なのかもしれない。

 終わることを許さない。

 そうすれば、パスカルは未来永劫この地獄で苦しむのだから。 

 パスカルはもう、蹲るしかない。

 現実から逃避するその様は、かつて自殺した子供達とよく似ていたのかもしれない。

 

「……いや、だ……こんな、こんなことが、ずっと、続くなんて……」

 

 終わりたい。

 終われない。

 あらゆる道は閉ざされて、残ったのはただ、耐える道だけ。それすらも現状維持でしかないのなら、果たして何の意味があるか。

……いや。

 

「そう、だ」

 

 道ならあるじゃないか。

 目の前の少年が許さないのなら。

 その少年を殺してでも、私は全てを忘れるのだ。

 

「9Sさんに、許してもらう必要なんて、ないんだ」

 

 全部忘れるのなら。

 この罪も、きっと消えてしまうから。

 赤い殺意が、パスカルの目に宿った。

 

 

 

 

 その異変に9Sが気付いたのは、パスカルの瞳が赤く光った時だった。

 それは、機械生命体が殺戮者となる合図。あのパスカルがなるはずがない、危険な色だった。

 故に、初撃はかわせなかった。

 

「わぁあああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 情けないほど必死な声と共に放たれた拳は、9Sの顔に突き刺さった。

 その威力たるや、食らった9Sの体が倉庫から外へ吹き飛ばされるほどだ。

 受け身を取る間もなく、9Sは一気に地面まで落下する。

 

「が、ぐ……!!」

 

 ごしゃ、と体内からひしゃげる音がした。無くした左腕の先から、パーツの破片が散っていく。

 地面にのたうち回る9S。突然のことで防御すらまともにしていなかった。いくらパスカルが戦闘用の機械生命体でなくとも、その膂力は侮れない。

 一体、何があった?

 何故パスカルが自分を殴ってきた?

 疑問を踏み潰すように、ドン、とそれは9Sの前に着地する。

 パスカル。

 やはり、瞳が赤い。それは9Sが倒してきた機械生命体達と同じ、暴走状態にあることを意味している。

 

「……9Sさん。私の記憶を、消してください」

 

「さっきも言った、それは出来ない」

 

「お願いでスかラ、消シてクダサイ」

 

 流暢だった言語が機械的になっていく。

 知っているパスカルとはかけ離れていく。

 それでも9Sは頷かない。

 

「……ダメだ。君の言う通り、記憶を消しても。いつかまた同じことが起きたら、また記憶を消すのか? そんなことを繰り返したら、君は本当にパスカルでなくなってしまう」

 

「ケセ、トイッタ、ワタシハ」

 

 パスカルが背中へ手を回して、その手を振り抜いた。

 それは、白い太刀だった。大柄なパスカルのボディでようやく振り回せるほど大きい。

 白の約定。2Bが好んで使ったヨルハ部隊の装備……の複製品。

 パスカルはそれを両手で構え、振り上げる。

 

「ケセ、ケス、9Sゥ……!!」

 

 型もなければ力任せな袈裟斬り。

 しかし9Sがそれを飛び退いて回避すると、その後ろにあった木に深々と太刀が刺さった。

 9Sであってもひとたまりもない。

 その姿を目の当たりにして、普通のアンドロイドは動揺するだろう。しかし9Sは違う。

 彼はスキャナーモデル。いついかなる時も冷静に、状況を見極める力に長けていた。

 

(……精神的負荷がキャパオーバーして、暴走状態になったと見て間違いない。基本的にこの状態の機械生命体を通常の状態に戻すのは、不可能。僕に対して敵意を持っている認識から変えないと、パスカルは二度と自分に戻れない。ただの機械生命体に堕ちる)

 

 考えろ。

 

(ハッキングで強制的にシャットダウンして再起動……は彼にどんな影響を与えるか。だとすればやはり記憶を消すしかないのか……?)

 

「9S……!!」

 

 バキン、とパスカルは木に刺さった太刀を引き抜いて、またも大上段に掲げた。

 

「全く、人の気も知らないで……!!」

 

 右腕に装備したのは、パスカルとは真逆の漆黒の刀。少し小振りのそれは、片手で振るうように設計されたもの。黒の誓約、9Sが愛用する刀だ。

 パスカルの大上段を真っ向から受け止めるため、9Sは己の身を守るように切っ先を下に向ける。

 白と黒の激突。

 甲高い金切り音と火花を撒き散らしながらの鍔迫り合い。しかしその主導権は、パスカルにあった。

 

「ケス、ケセ、ケスケセケセケスケスケセケセケセ!!」

 

「ぐっ……!!」

 

 白兵戦は片腕のハンデ、メンテナンス不足を鑑みても、得策じゃない。加えて相手は暴走状態。ボディへの負荷など考えないその力は、脅威的だった。

 パスカルは押し切れないと踏んだか、白の約定をもう一度振り下ろす。無論9Sはそれを弾くが、パスカルは構わずに大上段から連撃を放ち続ける。防御している場所にもう一度攻撃するなど、一見意味不明だが、9Sは舌打ちするしかない。

 一撃受ける度に、刀を握る右手が軋む。

 刀から走る衝撃が、9Sの肉体を隅々まで揺さぶり、粉微塵にされるような感覚。 

 

(……ギリギリ耐えられるけど、反撃する余裕がない……!)

 

 ポッドさえいたら、射撃で気を逸らしたり、ポッドプログラムで叩き潰すことは容易だ。

 しかし負傷した9Sのみではこの体たらく。防御すらままならない。

 

「……パスカル! 聞こえてるんだろ、パスカル!」 

 

 9Sは呼びかける。

 望み薄だとしても、それこそが突破口になると信じるしかない。

 

「確かに、僕は言った。死んだって何も変わらない。後悔したまま死ぬんだと。あれは脅しなんかじゃない。それでも死にたいなら殺してあげる、そういう話だったんだよ」

 

 パスカルの力は弱まらない。

 太刀が9Sのバイザーを掠って、弾き飛ばす。

 裸眼で見るパスカルは、最早ただの殺戮マシーンと化していた。

 それでも、9Sは語り続ける。

 

「ごめん、パスカル。君にこんなこと教えなければ、そこまで追い詰めることは無かった。何も知らずに殺していれば、それで終わった話だった。でも……!」

 

 何度目かの衝突で、黒の誓約が手からこぼれ落ちた。

 右手の指が完全に折れ曲がっている。中の部品が人工皮膚が突き破るほどの損傷では、剣を握れないのも当然。

 9Sはすかさず次の武器を召喚する。金色の羽をあしらった大剣、不死鳥の大剣。それをパスカルへ投げつけた。

 

「君にもう、間違えてほしくなかった。後悔はあっても、後悔のない選択をしてほしかった。村の人達の為にも、君が……!!」

 

「シネェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!」

 

 パスカルの背部ブースターが点火する。

 爆発的な加速と共に、パスカルが白の約定を突き出した。

 不死鳥の大剣ですら足止めにならない。その鬼気迫る攻撃に、9Sが出来たのは体を逸らすことだけだった。

 赤いオイルが、地面に大量に流れ落ちる。9Sの腹部、その右半分が消し飛んでいた。

 

「が、ぁあ、あああああああああが、っ……!!」

 

 膝を折って、激痛を堪える9S。だが駄目だ。こみ上げたオイルを口から吐き出した頃には、パスカルが背後で白の約定を振り下ろしていた。

 右手が、ぼとりと地面へ落ちる。

 平衡感覚が消失する。

 視界が急速に歪んで立っていることもままならない。

 赤いオイルの海に、9Sは沈んでいた。

 

「ご、ぶ……ッ」

 

 アラートが視界の隅で乱立し、あらゆる機能が停止していく。

 背後から影が差し込んだ。

 パスカルだ。

 余程無理をしたのだろう。ボディの節々から火花が散って、部位によっては既に半壊寸前まで消耗している。しかし赤い目は、未だに激しく輝いている。

 それはかつて、9Sが宿していた光。

 あの《塔》で燃え尽きたもの。

 そこで9Sは気付いた。

 パスカルは止まらない。

 どんな言葉を重ねても。

 どんな理由を並べても。

 

(君が、苦しいんだ。後悔も、村の人達も関係ない。君が、もう、耐えられないんだ)

 

 言葉では止まらない。

 何処かでそれは分かっていたはず。

 でも、なら。

 どうして僕は、パスカルの願いを、こんな形で否定しているのか。

 

「……、」

 

 パスカルが太刀を構える。切っ先はブラックボックスがある胸部。

……これは、賭けだ。

 止まらなくてもいい。

 死んでも構わない。

 それでも、伝えなければならないから。

 9Sは、ほとんど動かない口を、最期の力を振り絞って動かした。

 

「、……ハッ、キ、ング、か、い、し……」

 

 瞬間。

 純白の光が、9Sとパスカルを包み込んだ。

 

 

 

 

 赤い地獄が、今の彼の世界だった。

 空も、大地も。赤、赤、赤。そこには未来も現在もない。あるのは、過去だけ。最悪の過去が、ただひたすらリフレインする。

 子供が生まれて、知識を蓄えて、死んでいく。

 自ら命を散らしていく。

 何体もの子供が、同じように。

 それを、私は蹲って、一度も見ない。

 でも、聞こえるのだ。 

 私の名前を呼ぶ声が。

 命を絶つ音が。

 永遠にそれは続いて、過去を思い出させる。

 みんな死んだ。

 みんな私のせいで死んだ。

 罪悪感で溶けていく。

 後悔で凝り固まった意識が、世界を更に赤く染めていく。

 

「……、……」

 

 もう何も見たくない。

 何も聞きたくない。

 忘れたい。

 こんな世界もこんな過去も、無かったことにしたい。

 私を、無かったことにしたい。

 だから。

 もう。

 おわりたくて。

 

 

「……2B(・・)

 

 

 それは。

 それは、私の声ではなかった。

 その声を認識した瞬間、世界が変貌する。

 赤い地獄ではなく、ちゃんと色づいた世界へ。

 見覚えがある場所だった。

 森林地帯へ続く橋。それを、少年が息を切らして走っていく。

 しかし、何故か少年、9Sは橋の途中で止まってしまう。

 その視線の先にあったのは。

 最愛の少女が、刀に貫かれた瞬間。

 少女、2Bは背後の9Sに気付いて、微笑む。

 

「ああ……9S(ナインズ)……」

 

 それは、少年が提案した渾名だった。

 恥ずかしがった彼女は、その時初めて、そう呼んでくれた。

 そして、それが最期だった。

 9Sは、目の前で少女が切り捨てられるところを、見ていることしか出来なかった。

 そこから、9Sの孤独な戦いは始まった。

 来る日も来る日も、敵と戦って、戦った分だけ奪われた。

 友人も。

 記憶も。

 存在理由も。

 何もかも汚濁に塗れて、そこから抜け出すために刀を振るった。 

 

「もうどうだっていいんだよ」

 

 《塔》の頂上で、少年は吐き捨てるように言った。

 そう。きっと彼女を失った時点で、()はどうだって良かった。

 人類とか、エイリアンとか、機械生命体とか。そんなものが何をしようが知ったことじゃない。

 ただ、彼女と共にいる時間が何よりも大事だった。

 それを壊したもの全てを、ただ壊したかった。それだけ。

 けれどその果てで、僕は何を得ただろうか。

 何かを取り返したわけでもなく。

 何かを守ったわけでもなく。

 誰もかもを傷つけて、僕は生き残った。

 たった一人、この埋まらない絶望を抱えて。

 

「……、」

 

 同じだと、私は思った。

 あの時、子供達が。彼女が死んだときに、一緒に死んでしまえばよかった。

 そうしたら終わっていた話。

 そう、私は思っていたんです。

 

死ぬつもりはありません(・・・・・・・・・・・)。長く生きようとも、思っていませんけど」

 

 何故、と思った。

 生きる意味がないのに。

 私と同じ痛みを持っているのに。

 乖離する。

 同調していた意識が、分かれていく。

 そして、彼は歩き始める。

 

「何故、僕は生き残ったのだろう」

 

 その答えを探すために。

 一人、世界を放浪する。

 その道筋は、途方もなかった。

 何せ答えを持つ者はいない。

 道は無数にあって、その実何処にもないのと一緒。

 同じ場所へ何度も行った。

 敵に出会っても逃げるばかり。

 日々は命懸けで、さりとて収穫はごく僅か。

 全てが寝静まる時には、彼女を思い出した。

 その度に、胸は引き裂かれるようで。

 

「……2B」

 

 月光の下、焚火の前で僕は毎日思っていた。

 今死ねば、君に会えるのだろうか。

 全て忘れてしまえば、幸せだったときに、戻れるのだろうか。

 

「……、……」

 

 炎を見つめて、何度も考えた。

 時には刀を首に突き立てたこともあった。

 記憶を消して別人として生まれようかと考えた。

 それでも。

 それでも、最後には、言い聞かせるように。

 

 

君は(・・)()()()()()()()()()()()

 

 

 光が一切ない、深い闇の中で。

 少年は僅かな炎を持って、歩き出していく。

 パスカルは、それを見届ける。

 灰が風に吹かれて、消えていく。

 残ったのは、彼の小さな足跡だけ。 

 いつかそれすら雨に消えたとしても。

 彼の背中を、パスカルは覚えている。

 気付けば。

 世界は白一色になっていた。

 パスカルの記憶領域。

 そして目の前には、黒い目隠し型のバイザーを外した9Sが、いた。

 

「……9Sさん、あなたは」

 

「僕は、2Bに会いたい。死んで会えるなら、記憶を消して会えるなら、会いに行きたい。でも、ダメなんだよ」

 

 いつもなら。

 パスカルは意味が分からないと思っただろう。機械生命体の自分には、難しすぎる心理だと。

 けれど、9Sのハッキングで意識が繋がっているからか。今のパスカルには、何となく分かる気がした。

 

「僕が死んだら、2Bは悲しむから。僕と同じように、苦しむから。だから行けないよ、あっちには」

 

 結局はこれも自己満足。

 終わったものが何かを感じるわけもないのだから。

……だとしても。

 勝手な思い込みであろうと。

 私の知る子供達も、きっと。

 

「それで、見つかったんですか? あなたが、生き残った理由。その答えは」

 

 9Sはそのために旅をした。

 その答えを見つけることこそ、自分に残された最期のやるべきことだと。

 

「うん。君と再会して、分かった。たまたま(・・・・)だ」

 

「……え?」

 

「僕は、たまたま生き残っただけだよ。誰が死のうと、生き残ろうと、何も特別な理由はないし、意味もない」

 

 すっぱり言う9S。

 確かに、その通りだ。でも。

 

「あの……それは答えや理由ではなく、事実なのでは?」

 

「そうとも言うね。2Bが死んだのだってそう。たまたまなんだよ、全部」

 

 だけど。

 

「生き残って、胸に抱えた絶望は、彼女がいた証だ」

 

「……!」

 

 パスカルはハッとする。

 9Sは目を閉じる。

 

「きっとこの痛みは、死んでも忘れられない。生きていたって、癒えるわけでもない。これは、無くしちゃいけないんだ。この絶望だけは……どんなものでも上書き出来ない、彼女が、あの子供達が遺してくれたものだから」

 

「……それが、耐え難い痛みを永久に与えても?」

 

「でも、2B達は苦しまない。苦しいのが僕だけなら、それでいいんだ」

 

 少年の目尻から、一筋の雫が流れ落ちる。

 嬉しいわけではない。それは悲しさから来たもの。

 でも、答えを得た。

 それだけで、整理がついたのだ。

 見つけてみればなんてことのないもの。

 だからこそ納得した。

……そういえば。

 パスカルは聞きたかったことがあった。

 

「9Sさん。どうして、暴走した私を壊さなかったんですか?」

 

 記憶を失った私の所業を、彼はその目で見たはずだ。

 だからこそ9Sも一度は壊そうとした。

 

「確かに、君を殺そうと思ってたよ。でも、思ったんだ。君は生きたいんだなって」

 

「私が……生きたい?」

 

「うん。だって死にたいなら、子供達のように自分で命を絶てたはずだ。でも、君はそうしなかった。忘れたいだけだった。それって、まだ生きたいってことだろ」

 

 パスカルは結局自分で自分を殺そうとはしなかった。

 そのことに9Sは気付いたのか。

……つくづく、

 

「私も往生際が悪いようで」

 

「お互い様だよ。僕だって、自分のことをそう思ってるんだから」

 

 9Sは朗らかに微笑んだ。

 初めてだった。彼のそんな風に笑ったところを見たのは。

 2Bにしか見せなかった、彼本来の笑顔だった。

 

 

 

 

 バキン、という音が木霊する。それは現実世界で壊れていく自分の命の音。

 ああどうか、目の前の機械には聞こえないで欲しいな、と9Sは願った。

 意識が薄弱になっていく。明確な終わりはすぐそこにある。

 なのに、少年は笑っていた。

 後悔はある。

 もっと生きたかった無念もある。

 終わる瞬間に思い浮かべたことは、決して幸せな思い出ばかりじゃないけれど。

 それでも、そこには彼女がいる。

 

「……君も、同じだったのかな……」

 

 そうだといいな。

 2B。

 

 

 

 

「じゃあね、パスカル。元気で」

 

「?……9Sさん?」

 

 聞き返す暇すらなかった。

 パスカルの意識は記憶領域から引き戻される。

 視界が真っ白な空間から、グレーの世界へと切り替わっていた。

 森の中だ。しかし空はいつの間にか曇天で、いつもの青々とした自然は見る影もない。確か暴走する直前までパスカルはあの倉庫にいたはずだが……頭上にあった倉庫は半壊していた。

 そして。

 パスカルは白い刀で、9Sのコアを貫いていた。

 

「……ああ、……」

 

 全て悟った。

 9Sが何をしてくれたか、自分が何をしたのか。

 刀を引き抜いて、パスカルは安否を確認した。

 けれど、少年はもう、起動していない。

 きっと去ってしまったのだ。

 昨日までのように、一歩一歩、踏みしめて。

 

「……9Sさん……」

 

 胸の穴が、また大きくなるのがパスカルには分かった。

 けれど、それを耐えられないとは思わなかった。

 9Sの亡骸を、優しくパスカルは持ち上げて、抱き締めた。

 人間のアーカイブを見て、いいな、と思った行為。

 よくパスカルは、子供達にこれをしてあげた。そうすることが、一種のコミュニケーションらしいから。

 久しぶりにしてみたけれど、抱き締め返されることはない。

 それでも良かった。

 私が奪ったもの、私に与えてくれたもの。

 その重みを感じていたかった。

 

「ごめんなさい……そしてありがとう、9Sさん」

 

 ぽつ、ぽつ、と。木々の隙間から小雨がパスカルに降り注ぐ。

 緑の瞳へ落ちた雫は、首へ垂れて、やがて地面へ落ちていく。

 機械は涙を流さないけれども。

 その雨は、パスカルの心を表したようで。

 小雨でかき消されるほどの小さな声が、いつまでも響いていた。

 鉄の慟哭が、響いていた。

 

 

 

 

 翌日。

 

「……よいしょ」

 

 手作りのスコップでパスカルは土を掘り続ける。深さが二メートルになった辺りでパスカルは掘るのを止めて、穴から這い出た。

 そこは村の下にある広場だった。かつて村民達が集まって親交を深めた場所。その角に、パスカルは穴を掘っていたのだ。

 そしてパスカルは傍らにあったそれを、優しく抱き上げた。

 9Sの亡骸だ。それを穴の中に置くと、またスコップで土を穴へ戻していく。徐々に土で見えなくなる9Sに、パスカルは不思議な感覚に陥った。

 それは土葬と呼ばれるものだ。かつてまだ人類が地上に存在していた頃、彼らは死んだ仲間を土に埋めていた。死者を土に還すと言うが……正直、パスカルにはよく分からない。

 でも、ただスクラップにして処分するよりは遥かに心が傷まなかった。

 パスカルは完全に埋まった土に、一本の刀を刺した。

 役目を終えた武器も、主の元で眠るべきだろう。

 

「……9Sさん」

 

 土の下に眠る少年を思い浮かべる。

 彼は今、何処にいるだろう。

 

「まだ色んなことが起こりすぎて、何も考えられません。でもあなたのように、世界を見ていけるほどの力はないから。だから、一つ一つしていこうと思います」

 

 この世界を離れたものが何処へ行き、何処へ向かうのか。

 哲学的なことは、やっぱり分からないけれど。

 

「だから、あなたも……ずっと、歩き続けてください」

 

 それでも絶望(希望)は、この胸にあるから。

 

「さようなら、9Sさん。いってらっしゃい」

 

 チチチ、と小鳥が鳴いて、パスカルの肩に留まる。

 それの嘴を指で小突きながら、機械生命体は空を見上げた。

 何もかも終わった(エンディング)後の世界で、奇跡が起きることはない。

 傷跡は深々と残り、それを広げるような残酷なことは何度だって起こる。

 それでも後書きじみた余生(ポストスクリプト)は、続いていく。

 そんなものは嫌だと、死を選ぶのも一つの選択だろう。

 けれど、まだ生きたいと願うのなら。

 せめてこの傷を、愛せるように。

 私は今日から答えを探したい。

 

「……私はもう少し、この世界で生きてみますから」

 

 

 

 

 

NieR:Automata

[P]ost [S]9ript

 

 

 





ニーアを最近プレイして悶々とした思いを書いてみました
雑に言うとPSエンドみたいなとこです
やっぱ二次創作ってええな!と思いながら書きました
また何か書くのでよろしゃす
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