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ブローカーからハウンズたちを買い上げた日のことは、忘れもしない。
はじめて621を見た時のときも、むろん同様に。
冷凍睡眠状態で保管されていた彼女は、再起動用の機械装置に囲まれ、目を覚ました。
ケーブルのひしめく堅いベッドの上で、再起動した彼女はすらりとした手足を丸め、まるで胎児のように小さく縮こまっていた。
諸元表に書かれていた、高めの身長が嘘のようであった。
身体に巻きつけられていた何重もの断熱フィルムを外すと、例によって頭髪は剃り上げられていた。
背中には幾多の手術痕と共に、インプラントされた神経接続用のピンが、素肌から何本も伸びていた。
再起動用機器の電源を落とすと、調整室は静寂に包まれる。
すると微かに、規則正しい寝息が聞こえてきた。
621は、静かな寝顔をしていた。
それはとても、とても静かな。
『きっと、強化人間でなければ』
俺はいつも、そう思ってしまうのだ。
だがきっと、思ってはならないことだ。
自分も他人も顧みない、無責任な思い込みに違いないのだ。
ひどくもどかしい。
これが、俺の甘さだ。
俺は新たな猟犬を、これまでの者たちと同じように目覚めさせた。
そして、つとめて同じように接した。
特定の誰かに入れ込むようなことは、あってはならないと思ったからだ。
それが、下劣にも他人の命を使う者としての、最低限の敬意であると思ったからだ。
そして、そうであるからこそ、等しく願うのだ。
その生きざまに意味があるように、と。
彼らが、彼女らが、"生きるべき者"になれるように、と。
コーラルが絡むと死人が増える。
過去から未来まで、変わらない事実だ。
この星では、人が理不尽に死にすぎた。
人命が、あまりに蔑ろにされすぎた。
そして、俺はそれに無関係だ、などとは思えなかった。
…であるなら、俺のすべきことは決まっていた。
「621」
俺は、これまでの者たちにしたのと同じように、彼女に呼びかけた。
眠る彼女は何も応えない。
だが、聞こえていなくともいい。
「お前に意味を与えてやる」
それは、俺自身への誓いだった。
※※※
奇妙な状況だった。
仮にもこの男を許したつもりはない。
腹積りが分からない以上、無闇に情報を伝えるわけにもいかない。
だが分からない。奴が俺の思考を読み取れたとしたら?
そもそも、奴は本当に俺の知っているあの男なのか?
「…スッラ、貴様には聞きたいことが山のようにある。どこから手をつけたものか」
その返答は驚くほどスムーズに出た。
《構わん。私にも答えられないことはあるが》
HALのコクピット内は、セーフモード時に起動する、最低限のモニタ類だけが点灯していた。
そして、赤い火花のようなものが視界に浮かんでは、パチパチと弾けて消えていく。
励起した活性コーラルの、発光現象である。
「…これが、貴様なのか」
《そうだ、とも言える。だがこれは、おそらく射影のようなものだ》
「Cパルス変異波形…と言ったな」
《ああ。今の私に肉体は無い。空間に満ちるコーラルに生じた定在波…それが私自身、というわけだ》
「コーラルは、人間の個体意識を取り込むのか」
《結果論だが、起きうる現象だ》
つまり、詳細までは知らないのか。
あるいは、ハッタリをかけているのか。
いずれにせよ、この男のことだ。このまま聞き進めても、躱されるだろう。
「そうか。…では、貴様が俺に接触した理由は何だ?」
《お前を"再起動"させる為だ》
「…理由は、あるのだろうな」
一瞬、沈黙する。
《お前には、まだやるべき仕事が残っているからだ。そしてそれが、俺の思惑に重なった》
「いつ調べたのか知らないが、俺の素性まで知っているらしいな」
《ああ。この"身体"は情報収集に適していてな。お前の組織は調べさせてもらった。
「…それ以上はやめろ」
この不可解な状況を前にしてか…不思議と少し、感傷的になっていた。
仇のような男に、吐露すべき言葉ではないのはわかっていたが。
それでも言葉は自然と出ていた。
「…それでも俺の友人達だった」
《…ほう》
「だがコーラルを焼けば、貴様も無事では済むまい。
《今のお前に、コーラル焼滅を成せるだけの力があるとは思えんがな。ザイレムは墜ちた。バスキュラープラントは、未だアーキバスの手にある。それに…》
「…」
確かに、この男の言うことは正しい。
今の俺にはこの身体以外、何もない。
もはや計画は破綻した。
しかし、そうだとしたら。
奴は、俺の仕事と言っていた。
俺を利用し、何かを為すつもりでいるのか。
そう単純であれば良いのだが。
《他に聞きたいことは、無いのか?》
この男の力を借りることに、抵抗がないといえば嘘になる。
一度殺し、清算したとはいえ、仇のような男だ。
だが、利用価値は存分にある。
奴が俺を使うつもりならば、今の俺にとって、
「…俺の"仕事"を果たすのに、お前の存在が鍵になると考えている」
《つまり、何が望みだ?》
「俺が眠りこけていた年月を教えてくれ」
《あの植民船が墜ちてから、2年半が経った》
「…俺はその2年半の出来事を知らない。今のルビコンについての知識が欠けている。この星で立ち回る為の、知識が」
《……》
「お前の情報収集能力を借りたい、スッラ」
《…ふむ。ではここで、調べ物でも始めるか》
「いや。ここに留まるつもりはない。だから足と、身分が必要だ」
《戻るつもりか?ハンドラーに》
「生憎そのつもりはない」
《ならば》
「…独立傭兵は、この星を見て回るのに適している」
というのは、621に学んだことだ。
《…くくく、はははは……!そうか、そのつもりでいるんだな。全く、馬鹿な男だ》
独立傭兵、か。
突拍子のない選択だろうか?
だが不思議と、その言葉に意外性は無かった。
俺も、自分を見極めなければならない。
621が、戦いの中で選んだように。
…そうか。
俺は、きっと。