オタク文化の創造神と呼ばれた俺がVtuberになった訳 作:ユリガスキー
「テセウスの船」
老朽化したテセウスの船を改修し、腐った部品を新しい部品に入れ替える。それを何度も繰り返し、船は少しずつ新しい部品に入れ替わっていく。いつしか元のテセウスの船の部品は一つもなくなり、全てが新しい部品になっていた。果たしてそれはテセウスの船と言えるのだろうか。
ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられたとき、過去のそれと現在のそれは「同じモノ」だと言えるのか否かというギリシャ伝説を由来とする心理実験の一つだ。
メンバーが全員入れ替わったアイドルグループ、つぎ足しをずっと続けている秘伝のタレ、過去に全焼し復元された歴史的建築物……それらは過去のものと今のものを「同じモノ」としていいのだろうか?
日々入れ替わる人間の細胞だってそうだ。
人間の細胞は新陳代謝によって常に入れ替わる。10年経てば細胞の全ては入れ替わるため、10年前の己と今の己は違うモノだと言えるのかもしれない。
話しついでに別の実験について紹介を。
突然雷に打たれて死んだ「私」の横で、偶然泥が「私」の形を造った。新たな「私」は元の「私」と分子レベルで寸分違わず、人格・記憶も全く同じだ。しかしその「泥」を「私」と呼んで良いのだろうか。
これは「スワンプマン」といわれる、自分と他人を分けているものは何かと問いかけているアイデンティティの思想実験だ。
その人がその人たらしめているモノは何か。
肉体か、記憶か、人格か、思想か、
それはきっと簡単な問いのようで難しい問いなのかもしれない。
だからこそ、色んな心理実験や思想実験が生まれ、今でも盛んに議論が行われているのであろう。
最後に1つ、私が作ったくだらない思想実験を。
ある男が死後女神によって転生して女になった。
転生した際に女神に願ったことで女は「全能」を手に入れた。
さて、この「男」と「女」は同一人物だと言えるのだろうか。
女神という超常現象により、肉体は全くの別人になった。
「全能」により女の認知は変化を起こし、両者は異なる思想を持つ。
それらの影響を受けて人格も大きく変化した。
私は皆に問いかけたい。
果たして今の「彼女」は以前の「彼」と「同じモノ」と言えるのだろうか。
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雨が降っていた。土砂降りの雨が。
男が車に乗り込んだ時にはまだぽつぽつと降り注ぐ程度だったはずだが、いつの間にか土砂降りの雨になっていた。
「チッ、雨かよ。めんどくせぇな」
「そういうな。お陰で目立たずに動けるだろ」
同僚の1人にそう言われ、男は言い換えそうと口を開きかけたが、その気も失せたと言葉を飲み込んだ。
「……さっさと行ってこい。ガキ1人攫うなんぞお前らだけで十分だ」
「ハハハ、違いない。おい、お前らさっさと準備しろ。5分で戻ってくるからそれまで寝るんじゃないぞ」
反射的に出た舌打ちを飄々と受け流し3人の部下を連れて車を出て行った同僚に対し、男はわざとらしく舌打ちして目を閉じた。
男達は卯月家が誇る精鋭部隊の1つだ。
卯月家。
その歴史は古く、常に皇家の側にあるといわれる名門である。
日の本では昔から12の家が皇家を支えていた。時代により勢力圏は塗り変わり隆盛と衰退を繰り返していたが、その顔ぶれは変わらずに今日まで至っている。
そんな12の家の1つが卯月家だ。
かの家は武士の時代が終わる時代の節目に、他の家と比べ抜きん出た成果を上げたことで一際力を得て、140年という長い年月12の家の頂点として君臨していた。
そんな日本のトップの中の上澄みともいえる家が持つ部隊は、すなわち日本で1番強い部隊と言っても過言ではないだろう。
男はそんな部隊と、そこに所属している自分を誇らしく感じていた。
それがどうだ。今男に課せられた任務は幼い子どもを1人攫うという誰にだって出来ること。
そんなどうでもいい任務を任した上司、苛立ちを茶化す同僚、そして雨。男の怒りは最高潮に達していた。
しかしそんな男の苛立ちも、眠気が襲ったことで意識とともに消えていった。
「────ぁあ、寝てたのか。
おい、俺はどのくらい寝てた?」
「は、はい10分ほどです」
「……何だと?」
男はすぐに車内を確認したが仲間はまだ帰っていなかった。
「連絡は」
「い、いえ、それもまだ……」
男は訝しんだ。
子どもを攫いに行った同僚は、いい加減な性格をしているが実務は完璧にこなす。5分で戻ると言えばきちんと5分で戻ってくるような奴だ。
それが何の連絡もなしに既に5分も経過している。
「俺も出る。10分経って戻らなければ本部に連絡しろ」
男は返事も待たずに車を飛び出した。
元々近くに車を停めていたこともあって、目的の子どもが住む家には十数秒でたどり着いた。
ここにくるまでの間、あいつに限ってそんなはずはないと、どうせくだらないミスでもして無駄に長引いてるんだろうなどと考えていたのだが、開けっぱなしにされたまま誰もいない扉を見て、その考えは粉々に打ち砕かれた。
横やりの介入を防ぐ、目撃者を出さない、連絡要因の確保など理由は様々だが、扉の前に誰か1人を立たせておくのが通例となっている。しかし男の目の前の扉には誰も待機していなかった。
やはり何らかのアクシデントがあったに違いない。男は警戒心を最大限に高めた。
開いている扉からそっと中の様子を伺うが、人の気配は感じない。気配はないが、一定以上の実力を持つ者なら気配を消すことなど容易にできる。男や先に突入した者もそうだ。それを撃退しているかもしれない敵の可能性を考慮するなら、気配がないから敵がいないと考えるのは浅はかだろう。
しかしこのまま扉の前で佇むだけでは埒があかない。男は懐から拳銃を取り出して家の中へと侵入した。
やはり気配は感じない。音も一切ない。争った跡もない。
家の中の様子を見る分には異常がどこにも見当たらない。異常がない、という異常が起きている。
慎重に一歩一歩足を進める。
そうしてリビングの扉を開け──
──時が止まった。
男は芸術なんてものに興味はない。生まれてこの方触れてきたことも、今後触れようとすら思わない。
そんな男でも、部屋の中心に座り込む少女に目を奪われた。この少女と、少女が空間は決して穢してはならない芸術だと魂で理解した。
もしここで自分が身じろぎしてしまったら。
少女は作業の手を止めてこちらに振り返るかもしれない。それが男には許せなかった。本来完璧であったはずの芸術に男という異物が入ることが許せないと思ってしまったのだ。
だから男は動けなかった。
だが男は動くべきだ。
男が見惚れていた少女の足元には先に潜入した仲間達が倒れている。先程言葉を交わした同僚は、今まさに少女の手によって頭に電極らしきものを付けられている。
それは異様な光景だった。先程までの異常がない異常から一転、異常すぎる異常事態となっている。
遅れてそれを認識した男は、しかしそれでも動くことができなかった。それほどまでに少女に目を奪われていたのだ。
そのまま十数秒の時が過ぎた。少女は一段落ついたのか、持ち抱えていた同僚の頭を雑に落とすと男の方を向いた。
──再び時が止まる。
ただし、今までのそれとは意味が異なる。
先程までは少女に見惚れていたからこそ動けなかったが、今は恐怖によって固まってしまった。
少女が意識を向けただけ。たったそれだけのことで男は理解してしまった。この少女には……いや、この少女の皮を被った化け物には絶対に勝てないと。
男は知った。一目見るだけで絶対に勝てないと思わせる存在がいることを。本当に恐怖した時、人は動けなくなることを。この世には化け物がいることを。
そして男は──意識を失った。
何もできず、何をされたのかもわからないまま。
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雨はまだ降っていた。
今朝方から降り始めた雨は夜になってもまだ降り続けていた。
そんな雨を窓越しに見ながら、1人の老人がため息を吐いた。
老人は卯月家の秘書として40年仕えてきた。
かつて卯月家のナンバー2として長く手腕を振るってきたが、当代になってその地位を降ろされ、今では自ら望んで閑職についている。
老人は何か嫌なことがあると旧館の執務室に訪れるという変わった癖がある。
今日もその癖が出てしまい、もう何年も使われることのなくなった執務室を訪ねていた。
わざわざ執務室に持ち込んだ仕事を無心でこなし、一段落ついてコーヒーを淹れようと席を立ったところで窓の外が視界に入り、ここに来るに至った経緯を思い出してため息を吐いていたのだ。
皇家を除くと最高の位である華族、その中でも最高位に位置する12の家に属し、更にその中で1番権力を有しているのが卯月家────しかしこれはもはや過去の話だ。
140年前に他家と力の差をつけた卯月家はその後の改革や
これまで蓄えてきた財産を散財し、事業を展開・拡大すればことごとく失敗し、家中は汚職に塗れている。
老人の親友でもある3代前の当主の時に僅かに持ち直したのだが、彼はこれからという時に40という早さで他界してしまった。
親友の手により一時堰き止められた崩壊の波も、親友の死によって決壊してしまった。
今はまだ他家を抑えているが、そう遠くない未来に卯月家は失墜するだろう。
そんな卯月家の未来を憂いてこの部屋に訪れた──訳ではない。
確かに卯月家の未来も憂いてはいる。親友が残した忘れ形見のような物だ。憂いを抱かないわけがない。
しかし今回この部屋に訪れるに至ったのはもう一つの忘れ形見、親友の孫娘のことだ。
親友は公式の記録では妻が2人いるが、実は表には出ていない第3夫人がいた。このことを知っているのは老人を含め僅か数名。
彼女の身分が庶民であったこと、政略結婚先の関係を悪化させないため、などと理由は様々だが、その存在は今日まで秘匿されてきた。
しかし、先日に当代が逝去したゴタゴタで極一部の者に露見してしまった。
庶子とはいえ卯月家の血を引く者、当然継承権はある。たとえ本人に力はなくとも「あの優秀な3代前の当主の血を引く」というネームバリューだけで神輿となりうる。その存在を危険視した他の継承権を持つ者が刺客を放ってしまった。
老人がそのことを知った時にはもう手遅れだった。
親友が大切にしていたモノを何一つとして守ることができなかった。
そんな思いが老人を執務室まで足を運ばせたのだ。
「諸行無常の響きあり……か。次に台頭してくるのはどの家になるのか。水無月か、霜月か、睦月か」
「水無月だろうな」
老人は驚き固まってしまった。
扉や窓には全て鍵がかかっていたはずだ。老人に武術の心得がないとはいえ、内部の人間に悟られることなく鍵がかかった部屋に侵入することなど不可能だということぐらい知っている。
慌てて振り返り、また固まってしまった。
「現状では霜月が筆頭といえるが、その力は現当主の力あってこそのもの。卯月が失墜するまで10年、そこから権力闘争に10年と考えれば、まずその前に寿命が尽きるだろうな」
「睦月は……論外だろう。他二家と比べる意味がわからない。体裁こそ整えてはいるがその中身は卯月と対して変わらない。水無月、霜月両雄にやられるがオチだ」
侵入者がこの場に似つかわない少女であること、その少女が絶世の美少女であること、幼い外見と合わない知性を持ち得ていること。
戸惑いは幾つもあった。だが何より、少女のその雰囲気は──
「……では水無月が台頭すると」
少女は不敵に微笑むだけで、それ以上口を開こうとしなかった。
やはり似ている。
少女の雰囲気は今は亡き親友のものとそっくりだ。
佇まいだとか、風格だとか、そういう類いではない。それら全ては親友と異なる。
しかし、人の上に立つ者特有のオーラは、"王者の資質"とでも言うべきそれは、あの頃の親友と同じものだった。
「──あ、貴方は」
老人は身体の震えを抑えながら、少女の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「
「
老人は歓喜の波に呑み込まれる。
この少女が、このお方がいれば卯月家は再興するに違いないと。
雨はいつのまにかやんでいた。
春風凪────後の卯月凪。この時わずか8歳である。