妖精の尻尾のリュウさん   作:ただの馬鹿

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休日の醍醐味

ロキの結末については既に聞いた。

 

彼女は、自分のしたことが正しかったのか疑っていた。ロキの助力になることもできず、ただ苦しみを深めてしまったのではないかと自問自答していた。

 

しかし、ルーシィが救いの手を差し伸べ、消滅という末路を辿らずに済んだと聞いて、ほっと安堵の溜息を漏らした。

 

これからは、ルーシィの使役星霊、獅子宮のレオとしてルーシィを助け、償いの道を歩み続けることになるだろう。

 

 

 

鳳仙花村の初日から、ロキの時間のなさを聞いたため、ここ数日間心休まらなかったが、その結末を知って以降は心穏やかに過ごせている。二週間という休暇もまだ残っているので、ギルドに帰るまでは気兼ねなく旅行を続けさせてもらうことにした。

 

そう、やはりまとまった休暇をもらったのなら旅行に出かけるのが醍醐味というもの。

 

鳳仙花村で数日間滞在した後は、休暇の終わりにマグノリアに到着できるように各地を巡ることにした。牧歌的な農村や絢爛たる首都クロッカスなど、その場でしか味わえない風景を目に焼きつけて、郷土料理や名物料理を味わいに向かう。

 

久しぶりの旅行だ。前回訪れた所も三年も経てば大きく変化していることが多い。特に人口が多く、訪問する人も数多い首都クロッカスなどでは、その変わりようは目まぐるしいものがある。

 

技術の進歩も文化の成長も、三年もあれば大きく変わるものだ。最近では、魔水晶(ラクリマ)の小型化や情報の魔力化といった技術もあり、昔にはない技術のブレイクスルーが、人々の生活様式も変化させる。

 

その変わりようは、彼女にとっても目新しく面白いものであるが、同時に置いてかれるかのような寂しさも感じるのだ。

 

「っと、いけないいけない。ジェネレーションギャップを感じるにはまだ早いよ、私」

 

時代の変化に感傷的になってる自分をしかりつける。

 

 

 

 

 

首都クロッカスは花咲く都とも呼ばれ、街の至る所に花が咲いていて観光地としても高名だ。居住人口も観光客も多いため、街道を歩く人の数はとても多く、人々は行き交う相手の顔を逐一気にしたりなどは普通しない。

 

ただ、この世のものではない美貌をした美少女が歩いていれば、普段は赤の他人を認識しないクロッカスの人でも、目を惹かれて凝視してしまうことはある。

 

衆目を集めると同時に、その神秘性から自然と人が道を空けるなか、彼女は売店で購入したクレープやドーナッツなど立ち食いする。

 

「うんうん。流石は首都クロッカス。美食の街でもあるねぇ」

 

首都ということは先進地でもある。それは料理文化という面でも他の街より一歩も二歩も進んでいるということだ。多種多様な瑞々しい果実を柔らかく甘いクリームで包んだクレープ、モチっとしか触感とコーティングされた砂糖の甘さがやみつきになるドーナッツといった、マグノリアでは未だに販売されていない新作デザートはここでしか味わえないので、早速実食することにした。

 

神秘的な美少女が一人デザートを柔らかな笑顔で堪能する姿。

 

その侵しがたい光景に周囲は一歩離れて眺めるしかできないが、しかし、ここは様々な人間が集まる首都クロッカスの大通り。容姿が良ければお近づきになりたいと考える不埒な輩もなかには存在する。

 

「なあなあ、可愛い子ちゃん。どうだい、俺たちを一緒に遊ばない?」

 

「ここの子? それとも観光にきたのかな?」

 

「それなら、俺らここでいいとこ知ってっからさ! 案内するよ!」

 

近寄りがたい容姿ではあるが、相手は年若くて背丈も低い女一人。勝算はあるとして、下卑た本心を笑顔の表情で隠した男たちが親近感がわくような雰囲気を演出しながら彼女に話しかけた。

 

ちょうど食べ終えたところだった彼女が話しかけられたことに気づく。

 

「おや、もしかして私のことかい? こんな老骨をナンパするなんて見る目ないねぇ」

 

話しぶりが見かけに不相応だったため、一瞬面を食らった男たちだったが、気を取り直して話を続けた。同時に成功率を上げるためのとある手段を行使する。

 

「へ~可愛い口調じゃん! 俺、そういうのすごく気に入ったよ!」

 

「そうそう、俺もそういう子大好きさ!」

 

「安くて楽しい穴場スポットとかあるよ! どう? 楽しませる自信があるよ、付いてきなよ!」

 

軽薄な文句の裏で、彼女に纏わる魔法の力。彼女はその力を的確に分析した。

 

それは女性を捕獲するための巧妙な手口だった。警戒心を下げる精神作用、行動を制限する身体呪縛作用、自分たちへ惹かれるようにする魅了作用。どれもが使用禁止されている魔法だった。

 

つまりは全員犯罪者だ。おそらく今までも何人もの女性が泣きを見ていることだろう。

 

そもそもナンパに応じる気なんてさらさらないが、そうとなれば容赦することもしない。

 

「そうだねぇ。余計な小細工なしで男らしく正々堂々とやってれば、考えないこともないのにねぇ」

 

そういって彼女は力を行使した。

 

彼女に使われていた魔法は霧散し、気持ちの悪い魔力の纏わりが消滅する。

 

一方、下手人たる男たちは魔法が通用しなかったことに驚愕することもなく、呆然とした表情を浮かべ心ここにあらずといったまま、ゆっくりとその場を立ち去った。

 

彼女の力をまともに受けた彼らは、やがて官憲の下へと自白に向かうことになる。

 

「お天道様に顔向けできないことすんじゃないよ、まったく」

 

ふと彼女が周りを見渡すと、衆目を集めているのは変わっていなかったが、ざわめきが大きくなっているように見えた。

 

どうやら、あの男たちはそこかしこに迷惑をかけてて有名だったみたいで、彼女がその毒牙にかけられたかと思ったら、唐突にその場を離れてしまったことを怪訝に思っている様子だった。

 

「おっと。私も退散退散っと」

 

彼女が何かしら行動を起こしたように見えないため、逮捕されるようなことはないだろうが、事情聴取のために連行される可能性はあった。

 

折角の休暇をそんなことで時間を潰されたくないので、その場から足早に立ち去った。

 

 

 

 

 

 

首都クロッカスは、名所も多くて観光するには一日じゃ足りないが、彼女は半日もしたらクロッカスを後にしていた。

 

ちょっとしたトラブルもあったことも要因だが、やはり群衆からジロジロと見られながら散策するつもりはそもそもなかった。ざっと街並みを見渡して、雑誌で気になったスイーツを味わうことが出来れば、もうクロッカスに用はなかったので、次なる目的地へと出発した。

 

人の営みの発展を見るのは楽しいが、同時に見られることの煩わしさが気になってしまう。やはり、視線を気にすることなく楽しむことができる辺境地や鄙びた穴場の方が彼女の性に合っている。

 

 

 

新しい目的地へ向けて歩いていると、また厄介ごとに遭遇してしまった。

 

「へい、嬢ちゃん。わりぃんだけど攫われてくれや! 抵抗はすんなよ!」

 

首都から遠く離れた、周りに他の街も見えない道路で、彼女は人攫いに絡まれていた。

 

フィオーレ王国の治安は悪くないが、それは街や集落といった共同体においての話だ。国中には盗賊や闇ギルドなどの反社会的勢力が多く存在しているし、こういった人里離れた場所はやはり危険が多い。だから、商団の護衛任務や配送業などが魔導士ギルドに依頼として出されることがある。

 

そんな危険に彼女も巻き込まれた。

 

「まったく。やんちゃ坊主たちが多いこと」

 

 

 

そして瞬殺した。

 

 

 

「つ、強ぇ。なんだ、この、小娘ぇ……」

 

「実力差が分からないようじゃ、その稼業長続きしないねぇ。ほれ、案内してあげるから、立った立った」

 

クロッカスで絡まれた男たちにした力を再び行使する。

 

痛みに呻きながら彼女を睨んでいた人攫いたちは、急に沈黙すると呆けた表所でその場に立ち上がる。そしてフラフラとした足並みで一斉に同じ方向へと歩みだした。行先は軍の駐屯地で、そこでまた同様に自首することになるだろう。

 

「人の世というのは、いつの日も変わらないねぇ」

 

 

 

 

 

 

各地を巡りながら、彼女は最後の目的地に到着した。

 

ここは街から遠く離れた僻地に存在する集落。ワース樹海という王国でも一際広大な大密林が近くに広がっていて、大自然と共存する原住民といった出で立ちの人々が形成している共同体だ。茅葺屋根の民家や掘っ立て小屋が並ぶなか、集落の中心には猫の頭を模した大きなテントが建っている。

 

ここには、ニルビット族の末裔だという集団が居住しており、ここを本拠地とする化猫の宿(ケットシェルター)という魔導士ギルドが存在している。

 

「どうも、邪魔するよー」

 

「あ、リュウさん!」

 

「あら」

 

彼女が猫頭のテントに入ると、機織りの手伝いをしていた幼い少女が喜色満面な笑顔で出迎えてくれた。傍らには2頭身の猫が二足歩行していて、彼女の来訪に気付いたみたいだ。

 

その少女が近くにいた人に許可を取ると、一度手を止めて、小走りで彼女の下へと近寄った。隣にいた猫も置いてかれないように付いてきた。会えて嬉しいという気持ちを前面に出して笑いかけてくる少女とどこか斜に構えた様子の猫に、彼女もまた屈託ない微笑みを浮かべた。

 

「お久しぶりです! リュウさん!」

 

「やあウェンディ嬢。久しぶりだねぇ。うん、また一段と成長したみたいだ」

 

「本当ですか! えへへ~」

 

「ちょっと! そんなにウェンディを甘やかさないで!」

 

「いやいや、ただの素直な感想だよ。シャルル嬢も、久しぶりに会えて嬉しいよ」

 

「……ふん! 私はそんなに嬉しくないわ!」

 

「おや、悲しいねぇ……」

 

「そ、そんな顔したって答えは変わらないから!」

 

彼女から褒められて嬉しくなる少女とつんけんとした態度の喋る猫。

 

少女はウェンディといい、青色と黄色のタンクトップワンピースに羽の意匠を施した服装をした可愛らしい出で立ちをしている。猫はシャルルといい、妖精の尻尾(フェアリーテイル)のハッピーと同じように、2本の足で立って喋っている。

 

二人は化猫の宿(ケットシェルター)に所属している魔導士で、彼女とはそれなりに長い関係を築いている。

 

その関係は良好だ。ウェンディは彼女の来訪を素直に喜んでおり、シャルルは一見喜んでいないように顔を背けているがウェンディ曰く見せかけに過ぎないという。

 

彼女が二人を助けてからの付き合いで、定期的に此処に足を運んでは、彼女の経験談や妖精の尻尾(フェアリーテイル)の出来事を語って聞かせたり、魔法の指導を行ったりしており、二人からの信頼は厚い。

 

対照的な表情を浮かべる二人の背後へと歩み寄ってきた一人の老爺が彼女に声をかけてきた。

 

「おお、リュウ様。なぶら、なぶら久しぶりじゃのう」

 

「はいはい、なぶらなぶら。リュウさんと呼んでくれないかい? それに、そろそろなぶらってどう意味かいい加減教えてくれないかい?」

 

「なぶら、会えて嬉しいのう。さあ、歓迎の宴じゃ」

 

「結局教えてくれないのかい」

 

老爺の名はローバウル。立派な白髭をたくわえ、羽飾りの頭巾をした民族衣装を纏っており、この集落の村長で化猫の宿(ケットシェルター)のギルドマスターだ。

 

 

 

 

 

 

そして開かれた歓迎の宴。突然の来訪だったおかげか、盛大なものではなく、いくつかの郷土料理を中心において、彼女、ウェンディ、シャルル、ローバウル、そして数人の村人が料理を囲うように円を組んでいるという慎ましいものだった。

 

彼女は申し訳なさそうにするが、ローバウルは鷹揚に頷くだけでむしろ機嫌が良さそうだった。

 

「ごめんねぇ。突然訪れたのに、こんな立派な宴させちゃって」

 

「なんの。ぜひ楽しんでいってもらいたいのう。なあ、ウェンディや」

 

「はい! リュウさん、お注ぎしますよ」

 

「おお、悪いねぇ」

 

「ちょっと! ウェンディをこき使わないでよ!」

 

彼女の隣にいたウェンディがお酌すると、ウェンディの膝に座っていたシャルルが文句を言った。彼女としては好意を無下にできなかった訳だが、ウェンディを大切に思うシャルルには小間使いのように見えてしまったらしい。

 

「も~、シャルル。好きでやっただけだよ」

 

「そんな風に誰にでも優しくするといつか食い物にされちゃうって言ってるのよ! あんたも! ウェンディが優しいからって甘えてないでお酒くらい自分で注ぎなさい!」

 

「おっと、まあ確かにシャルル嬢の言う通りだ。次からはちゃんと自分でやるからさ。最初の一杯だけ、許して頂戴な」

 

「もう……分かったわよ。次から気をつけなさいよ」

 

「あ、マスターの分もお注ぎしますね」

 

「なぶら、ありがとう」

 

ウェンディがお酌して回ったこともあり、全員に酒杯が行き渡った。なお、ウェンディ自身は彼女が注いだココナッツミルクを手に持ち、シャルルも同じものを持っている。

 

「「「乾杯!」」」

 

開幕の掛け声で宴が始まった。

 

彼女はウェンディに注いでもらったにごり酒を口につける。鳳仙花村で味わった透き通った透明感のある清酒とは異なり、この村で醸造された酒は製造技術が未発達なため白く濁っている。だが、それは清酒と比べて味が劣るということを決して意味しない。濃厚で腰の据わった飲み口は素材本来の芳醇な香りと味わいがあってとても美味しい。

 

ここを訪れたのは、ウェンディの様子を見ることが目的だったが、この酒を味わおうと思ったからということもある。それは心の内に秘めておくが。

 

にごり酒を飲み干して、新しい酒を自分で注ぎなおすと、次は卓上の料理に手をつける。

 

採取した野草やキノコ類、香草に香辛料。渓流で漁獲した川魚。狩猟したジビエ類。全てはワース樹海から得られたものだ。大自然の恵みをふんだん使用したエスニック料理の数々。ハーブやスパイス、魚醬によって味付けがされたスープや焼き物、炒飯は他の街では味わえない独特の旨さが楽しめた。

 

美味しい料理を堪能しながら談笑が続く。

 

 

 

「リュウさん、これとこれ、あとこれも私が作ったんですよ!」

 

「おう、そうかいそうかい。では、失礼して…………うーん、美味いねぇ。ウェンディ嬢は良いお嫁さんになりそうだ」

 

「そ、そうですか?」

 

「気が早すぎるんじゃない? まだ12歳よ、この子」

 

「いやいや、花嫁修業は早いに越したことはないさ。ねえ、そう思わないかい?」

 

「ふむ。儂が若い頃だと既に適齢期じゃのう」

 

「大昔じゃないの! 今はもっと大人になってからよ! ていうか私が認めないからね!」

 

「もう~シャルル、何言ってるの」

 

 

 

「…………ってことがあってね。ずっと因縁があった相手だったけど、遂に全面対決が勃発した訳よ」

 

「そんなことが……その、レヴィさんって人たちは大丈夫だったんですか?」

 

「うん。特に傷も残らなかったしね。今ではもう元気に依頼こなしてるんじゃないかな」

 

「ほっ」

 

「ふむ。幽鬼の支配者(ファントムロード)と言えばイシュガルで代表されるほどのギルドなんじゃがのう」

 

「野蛮なのね、そのファントムっていうやつら。ウェンディには会わせられないわ」

 

「それなら大丈夫さ。私がこら~ってお仕置きしといたからね。今は大人しいもんさ」

 

「でもやっぱり怖いです。強くはなりたいけど、戦いは嫌です」

 

「それでいいのさ。前に言ってた通り、守るために強くなるってのがウェンディ嬢には合ってるよ」

 

「私はそもそも、そんな危ない目には会ってほしくないんだけど」

 

 

 

「その、やっぱりナツさんって凄いんですね」

 

「ナツ坊の成長速度や爆発力には目を見張るものがあるよ。肝心な時はきっちり勝つし、格上狩り(ジャイアントキリング)も多いからね。多分次のS級昇格試験には出られるんじゃないかな」

 

「凄いなぁ。私なんて足元にも及ばないや……」

 

「アナタは自分を卑下しすぎ! この前なんてちゃんと攻撃魔法が使えるようになったじゃない!」

 

「ほう? やっぱり若人の成長ってのは早いねぇ。もう習得したのかい」

 

「あ……」

 

「もう、内緒にしてって言ったよね。驚かせたいからって」

 

「ご、ごめん、ウェンディ」

 

「はっはっは。シャルルの方が怒られるとは、なぶら珍しいものが見れたわ」

 

 

 

他愛ない会話が続き、日が落ちて暗くなるほどの時間が経つと、用意された料理も空皿となっている。酒飲みばかりの宴会なら、これからも酒を浴びるほど飲み、夜が更けるまで馬鹿騒ぎするものだが、ここにはウェンディがいるため早めのお開きとなった。

 

彼女は、片付けを手伝った後、ローバウルに許可をもらって宿泊することにした。客人用のテントがあるが、ウェンディからの提案で家に泊めさせてもらうことになった。

 

「いいのかい? いきなり来たのに邪魔しちゃうなんて」

 

「はい! リュウさんに泊まってもらえて嬉しいです!」

 

「シャルル嬢は気にならないかい?」

 

「ふん。普通なら嫌だけど、あんたは特別よ」

 

「そうかい。ならお言葉に甘えさせてもらおうかな」

 

ウェンディとシャルルの家は、数ある民家の中でも一番しっかりした佇まいの茅葺屋根の木造建築だ。屋内はきちんと整理清掃されていて綺麗であり、珍しい柄の刺繍がされた絨毯やカーテンで彩られていてお洒落だ。ウェンディとシャルルのセンスが光っている。

 

リビングには裁縫道具や民芸品などが置かれていて、彼女の時間の潰し方が見て取れる。一際目を引くのはたくさんの本が敷き詰められている本棚だった。

 

本棚には、冒険譚や伝記物、図鑑や辞典、絵本といった書物が並べられている。村の外に出る機会がほとんどないウェンディを思って、彼女がこの村を訪れた時に持参して贈っているものだ。ウェンディは始めは遠慮したが、やはり好奇心旺盛な少女なので有難く頂くようになった。

 

今日も新しい一冊を持ってきたので、ウェンディに渡した。

 

「はいこれ。喜んでくれると嬉しいんだけどねぇ」

 

「わー! ありがとうございます!」

 

「今回はどんなのなの?」

 

「『竜巫女ソーニャとアニムスの涙』ってタイトルの叙事詩だよ。分かり合うことの難しさ、分かり合えることの尊さを描いていてね。示唆に富んでいて面白かったからお勧めかな」

 

「面白そうですね! 早速読んでみたいです!」

 

「ふうん? つまらなかったら許さないからね」

 

ウェンディは本を受け取ると素直に嬉しさを表現してくれるため、彼女としても贈る甲斐があって楽しいものだった。シャルルの方も、悪くはなかったわ、と素直に褒めることはないにせよ必ず読破してくれるので、いつも本の選出に時間をかけてしまうのだった。

 

 

それからは、今までに渡してきた本の感想を交わしたり、新しい本を読んだり、家の中でできる魔法の指導をしたりしながら時間を潰すと、やがて眠る時間になった。夜も更けて、村中が静寂に包まれる。聞こえてくるのは鈴虫の鳴き声だけで、村もまた眠りに落ちていることが分かった。

 

ウトウトしだしたウェンディやシャルル。こくんこくんと頭が傾く様子を見て彼女が声をかける。

 

「眠いかい?」

 

「は、い……だいじょー、でしゅ」

 

「…………」

 

「眠いみたいだねぇ」

 

ウェンディの声は途切れ途切れで睡魔に侵されている。シャルルに至っては既に眠っていた。

 

彼女はまだ眠くはないが客人の癖に一人だけ起き続けることもない。もう今日は寝ることにする。

 

二人を寝室へと連れていき、寝間着に着替えさせると寝床に入れて布団をかけた。シャルルはウェンディの腕の中で丸くなって眠り、ウェンディももう既に半分夢の中だ。

 

そして、自分は退室して、別の部屋で寝ようとした。

 

しかしその時、去りかけた彼女の服の袖を、寝落ちしかけているウェンディが掴んだ。

 

「おか、さん。いっちゃ、やぁ」

 

ウェンディの擦れ声には、泣き声のようなものが混ざっていた。

 

「…………」

 

彼女は立ち去る足を止めて、その場で身を屈める。袖を掴んだ手を握り返し、ウェンディの頭を柔らかく撫でた。

 

「大丈夫。おかあさんはどこにもいかないわ。おやすみ、ウェンディ」

 

彼女は、ウェンディの母親のような声を真似しながら、寝かしつける。

 

その暖かいぬくもりと、母の愛を感じ取って、安心感に包まれたウェンディはゆっくりと夢の中へと落ちていった。

 

そして彼女もその場を立ち去ることもなく、二人の横に腰を下ろして眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ、始めるとするかねぇ」

 

翌日、日が昇ると、彼女によるウェンディの魔法の鍛錬が始まった。

 

 

ちなみに、彼女はウェンディよりも早く起きたので、ウェンディの寝室で夜を明かしたことはばれていない。もしばれていたら、シャルルから白い目で見られていたかもしれなかった。

 

「はい、よろしくお願いします!」

 

ウェンディが元気よく返事する。少し離れたところでシャルルが岩に腰掛けて見守っていた。

 

集落から少し離れたところの、開けた空き地に三人はいる。昨日の夜のような指導とは違い、これからのものはより実戦的な魔法を扱うため、広い空間へと移動してきたのだ。

 

「それじゃあ、まずは付加魔法(エンチャント)の連続発動から。バーニア、アームズ、アーマーの順で連続で掛けてみて」

 

「はい! バーニア!」

 

移動速度を上昇させる付加魔法(エンチャント)

 

「アームズ!」

 

攻撃力を強化する付加魔法(エンチャント)

 

「、アーマー! っふう……」

 

防御力を強化する付加魔法(エンチャント)

 

三種類の魔法を受けて彼女は効果を分析する。彼女にとっては、移動したり、攻撃したり攻撃を受けたりしなくても、その強化率を解析することができる。

 

その結果が分かると彼女は笑顔で頷いた。

 

「うん。素晴らしいね、三回連続でありながら効果は減衰していないよ。ただ、アーマーの発動が少し遅れたかな」

 

「う、はい」

 

彼女の笑顔に、ウェンディもまた笑顔になりかけたが自覚していたところを突かれてぎくりとした。

 

彼女は次の指示を行った。

 

「じゃあ次、重複発動ね。さっきの3つを合わせて掛けてみて。時間がかかってもいいから」

 

「分かりました」

 

それは付加魔法(エンチャント)の重ね掛け。付加魔導士(エンチャンター)でも行えるものはそういないが、ウェンディの才能を見抜いている彼女は可能だと推測している。そして、ウェンディはその期待に応えてみせた。

 

「…………バーニア×アームズ×アーマー!!」

 

三重付加魔法(エンチャント)。それをその身に受け、効果に問題がないことを確認して、彼女は合格点を出した。少し疲れ気味のウェンディに力を使い、逆に魔力を回復させながら講評する。

 

「うん。素晴らしい才能だね。12歳でここまでできるのは末恐ろしいよ。効果はきちんと発揮しているし、それぞれの強化率も偏りがなくてバランスがいい。後は実戦で活用できるかだね」

 

「実戦、ですか」

 

「そ。実際に戦ってみると相手は待っちゃくれないから、準備もなしに発動できたり、目まぐるしい攻防の中で的確に付加できるようにならないといけない。色々あるけど、実戦で求められるのはやっぱりスピードよ。時間をかけて良いとは言ったけど、実戦で発動までにタイムラグがあるのは致命的だから。これは実戦のなかでコツを掴んでいくものだから、実戦経験が少ないウェンディ嬢はまだ足りないところかな」

 

「ちょっと。まさかウェンディに戦わせるつもりなんじゃないでしょうね?」

 

横からシャルルの疑う声が届く。彼女は首を横に振って否定した。

 

「私はそんなことするつもりはないよ。ただこれからも魔導士としてやっていくなら、必ずどこかで戦いに巻き込まれる。一応それに向けた心構えだけはしておいた方が良いよ。それに、今やってることも、実戦で役に立たないという訳じゃないから」

 

「どういうことですか?」

 

「連続発動も重複発動も高等技術ではあるけど、あらかじめ発動する感覚を知っておけば、戦いのなかで使用するタイミングやスピードといったコツを掴みやすいってこと。実戦ってのは、極度の集中力と生存本能で、反射神経や思考速度、魔力感覚が大きく磨かれる。そのときに準備していた感覚をスムーズに引き出せるようになる訳だよ」

 

「なるほど……」

 

「まあ、偉そうに言っちゃったけど、魔法に限らず全ての基本だよ、反復練習ってのはね。それに単発で発動する分には、十分に実戦投入可能な域に達してるからね。ウェンディ嬢は付加魔導士の中でももう上澄みだから、そんな気に病まなくてもいいよ」

 

ウェンディが顎に手をやりながら、ふむふむと頷いている。一方で、シャルルは少し疑っている様子だった。

 

シャルルはそもそもウェンディが危険な目に会うこと自体を避けたいと思っているし、ウェンディが戦う力を求めていることに前向きになれない。しかし、ウェンディと一緒に命の危険にさらされたところを、彼女に助けられた経験から、抵抗するための力が必要だということは理解している。

 

だからこそ、彼女の言葉が有益だと頭で分かっても、心では彼女が戦場へ導いているように見えて納得しきれないのだ。彼女が親切心でやっていることは長い付き合いからも分かるが、どうしても言葉の裏を読もうとしてしまう。

 

そんなシャルルの目線を感じ、彼女は苦笑した。

 

「まあ、今の内はそんな深く考えなくていいよ。そういう危険がありそうな依頼は化猫の宿(ケットシェルター)では取らない方針みたいだしねぇ。やっといて損はない、程度に考えてくれていいよ」

 

 

 

 

「それじゃあ、次は治癒魔法(ヒーリング)だね」

 

その言葉にウェンディが僅かに硬直した。

 

その様子に気づかずに、彼女は片腕の袖を捲り上げて前腕を露にする。そして、もう片方の手で人差し指と中指を立てて、その前腕に沿わせた。

 

すると、指の軌道に合わせて縦一本の裂傷が彼女の素肌に刻まれていく。肘窩から手首までぱっくりと開いた裂け目から、真っ赤な血が滴り落ちる。

 

「はい」

 

彼女はその傷をウェンディに向けた。白い素肌に刻まれた一筋の赤。中身まで露わになった生々しい傷跡。

 

「…………」

 

ウェンディは特に怯むこともなく無言で治癒魔法を行使した。

 

発動と同時に傷跡は閉じていき、やがて何事もなかったかのように元通りになった。

 

彼女が、魔力の流れを思い起こしながら、前腕を持ち上げて白い素肌を眺める。

 

「うん。外傷の治療は問題ないね。速度も申し分ないし、魔力の過剰投与による自壊反応も起きていない。ウェンディ嬢、やるじゃないか」

 

「…………」

 

「……?」

 

いつもなら彼女の誉め言葉で素直に喜びをみせるウェンディが沈黙していることに頭を傾げたが、次の実践に移ることにした。

 

「次は解毒かな。ちょっと待ってね」

 

そう言って彼女は口に手をやって、顔の下半分を隠す。すると、彼女の全身に毒性物質が巡り始めた。衣服で隠れていない露出した白い素肌が青紫色に変色し、隠した口端からは赤黒い血が零れている。彼女は掌で零れた血を拭って、ウェンディに解毒を促した。

 

「…………」

 

ウェンディが解毒を行うと、みるみるうちに肌の色が戻り、白さを取り戻していく。彼女も全身に巡る毒の痛苦と倦怠感が引くのを感じて、ウェンディの力量が生半可なものではないことを実感した。

 

「解毒も合格。凄いねぇ、失われた魔法(ロストマジック)だから使用者がウェンディ嬢しかいないとしても、イシュガル一の癒し手であるのは間違いないよ。それじゃあ……」

 

そう言って、彼女が次の症状を用意しようとした時だった。

 

「もう、やめてください」

 

ウェンディの消えるような小さい声で、彼女は動きを止めた。彼女がウェンディに目を遣るが、俯いていてその表情は見えなかった。

 

「どうしたんだい?」

 

ウェンディの発言の意図が分からずに、彼女が声をかけるとウェンディが顔を上げた。その瞳は涙に潤んでいて、悲し気に眉を歪ませていた。

 

思わぬ事態に面を食らっていた彼女へ、ウェンディがぽつりぽつりと語りだす。

 

「本当に、本当に感謝してるんです。でも、もう、この修業だけはやりたくありません」

 

「……それは、どうしてだい?」

 

「だって!」

 

ウェンディの嘆き声。

 

「リュウさんが自分を傷つけるのがもう嫌だから! ずっと嫌だって思ってて、でもいつも熱心に教えてくれて、ダメな所を指摘してくるから、早く上達しないとって思ってたから、だから、言い出せなくて」

 

ウェンディが乱暴に目を擦って涙を拭い、毅然とした表情で彼女を真っ直ぐ見つめた。

 

失われた魔法(ロストマジック)だからとか知りません! 私はもう治癒魔法を完璧にこなせます!  どんな傷も、どんな毒も私なら治せます! だから、お願いです……自分を傷つけるのは、もうやめてください」

 

それはウェンディがずっと抱えていた悲痛な思いだった。

 

ウェンディが彼女に助けられてから始まった魔法の鍛錬。強くなりたいと願い、自分から申し出た修業は、扱う魔法の多彩さから、指導内容が多岐に渡っている。

 

その中でも、治癒魔法の指導内容として、彼女が選んだのが自傷行為による実践だった。外傷治癒のために自分で傷を作り、解毒のために全身に毒を巡らせ、解熱のために体温を上昇させる。それは確かに効果的で、ウェンディの治癒魔法は急激に上達した。

 

しかし、それは同時にウェンディの心も傷つけていた。

 

「まったく。あんたはずっと気づいていないみたいだけどね、ずっとウェンディは悩んでいたのよ。自分から言い出したことだから初めは止められず、早く上達しないと傷つけたままになっちゃうって自分を責めてたのよ。まあ、確かにウェンディもずっと言い出せなかったのは悪いとは思うけど。でも、やっぱりこんな方法をとったあんたが悪いわ」

 

シャルルの指摘を受けて、彼女はようやく意識の差に気づいた。彼女としては素早く上達するためには実践が一番だと考えて、手っ取り早い方法をとっただけだ。たとえ失敗しても、彼女ならすぐに元に戻せるので特に何も感じていなかった。

 

しかし、目の前の少女にとっては、恩人が自分のために自傷行為をしていることになる。それを何も思わないような冷徹な心の持ち主でないことは、彼女も長い付き合いだから知っているはずだった。

 

自分の至らなさを思い知って、バツの悪い顔をしながら、彼女はウェンディの頭を撫でた。

 

「……不甲斐ない先生でごめんね。君が思いやりのある心優しい女の子であることは分かってたはずなのにねぇ。ごめんね、ウェンディ嬢」

 

「……いえ、リュウさんはいい先生です。これからもずっと。でも、もう傷つけるのはやめてほしいです」

 

「うん。わかったよ……これからも私が先生でもいいのかい?」

 

「もちろんです!」

 

満面の笑顔で、ウェンディは即答した。

 

 

 

 

仕切り直すように、彼女が咳ばらいをしてから話し出した。

 

「それじゃあ、最後は習得したっていう攻撃魔法を見せてほしいねぇ」

 

「……本当は驚かせたかったんですけど、シャルルがばらしちゃったから」

 

「う、ごめんなさい。って、何回言うのよ! 謝ってるじゃない!」

 

ウェンディがじとーっとした半目でシャルルを見る。シャルルが後ろめたそうに謝るが、この口撃は昨日から何回もウェンディが言うので、遂に逆上してしまった。

 

シャルルの憤慨を見てクスクスと笑うウェンディ。どうやらわざとシャルルをからかって雰囲気を変えようとしたみたいだ。彼女もまた、真っ赤になってウェンディを指差す姿を見て微笑んでいる。

 

「実際にどれくらいの威力か体感したいから、私に向けて撃ってみてよ」

 

「だ、大丈夫ですか? まだ未熟ですけど、私の使う魔法は……」

 

「なーに、心配しなくても大丈夫だよ。ナツ坊の攻撃でも傷つかないからね。まあ、年季だけは入ってるから信じて頂戴な」

 

「……あんたそれ何回も言ってるけど、一体いくつなのよ?」

 

「……分かりました! リュウさん、気をつけてくださいね!」

 

そう言って覚悟を決めたウェンディが空を仰ぐように大きく深呼吸を繰り返す。数回繰り返した後、最後にのけぞりながら肺一杯に空気を取り込むと、勢いよく前傾して溜め込んだ空気を一気に吐き出した。

 

「天竜の……咆哮!!!」

 

ウェンディの口から繰り出される渦状の暴風。螺旋を描きながら直進する風の流れは竜巻そのものだった。

 

ウェンディは妖精の尻尾(フェアリーテイル)のナツと同じ、滅竜魔導士(ドラゴンスレイヤー)だ。天竜グランディーネから贈られた滅竜魔法は天空を司り、この世に遍在する空気を魔力の源とする。

 

故に天空の巫女。天空の滅竜魔導士(ドラゴンスレイヤー)

 

今までは治癒魔法(ヒーリング)付加魔法(エンチャント)を使用していて、支援・補助を主体とした魔導士だった。実戦経験の少なさと本人の気質故に、ウェンディの戦闘能力は低いと言っていい。しかし、本来の滅竜魔法は竜迎撃用の攻撃特化魔法だ。彼女の意識が変わり、鍛錬を重ねることで、その潜在能力は引き出すことができる。

 

そして今、その力が開花した。

 

竜の肺をもって溜めに溜められたことにより、吐き出された空気には人を吹き飛ばすほどの質量が伴う。周囲の空気を押しのけながら進む竜巻は遠く離れた木々すらも揺らす。

 

竜巻が彼女のもとまで接近する。このままでは直撃して彼女の体躯を吹き飛ばすだろう。

 

「絶圏奈落」

 

だが、直撃寸前で彼女が力を行使すると、彼女周囲の魔力が消されて、風が凪いでいく。暴風は彼女を当たらずに逸れ、長髪と衣服をなびかせるだけにとどまり、標的を見失った風の流れは四方八方に散っていって、やがておさまった。

 

肩で息をするウェンディが見たのは、変わらぬ態勢のままその場に立ち続ける彼女の姿だった。

 

「……すごい」

 

間違いなくウェンディにとって渾身の一撃だった。練習ではワース樹海の大木をなぎ倒したこともあり、その威力の高さは並大抵のものではないはずだった。

 

しかし、彼女にはまったく通用してない。

 

「うんうん。本当に成長したねぇ。先生として誇らしいよ」

 

機嫌が良さそうに笑う姿に尊敬の念が湧き起こってくる。そしてそんな彼女のもとで学べる自分は幸福だと思い、ウェンディもまた拳を握って笑った。

 

「これからも、もっともっと成長しますから! 見ていてくださいね!」

 

 

 

 

 

 

指導が終わったら、彼女はもう帰るだけだ。

 

この集落はマグノリアから遠く離れている。休暇は今日までなので、今日中にマグノリアへ到着するようにここを出発しないといけなかった。

 

ローバウルに別れの挨拶を伝えに、猫頭のテントに訪れる。

 

「なぶら、寂しいのう」

 

「うん。突然訪れたのにもてなしてくれてありがとうねぇ」

 

「なんの。リュウ様なら、深夜に来ても大丈夫じゃ」

 

「流石にそんな非常識じゃないよ。それじゃ」

 

そして、彼女は荷物を抱えてこの場を離れようとする。見送る村人の中にはウェンディとシャルルもいた。シャルルを片手で抱えながら、寂しそうに手を振っている。

 

彼女がテントは離れる前に、ウェンディの下へ足を運び、最後に声をかける。

 

「それじゃあ、ウェンディ嬢。またねぇ」

 

「はい。次に会えるときには、リュウさんを驚かせるほど成長した姿を見せますから、楽しみにしてくださいね!」

 

「うん、楽しみにしてるよ。シャルル嬢も、またねぇ」

 

「はいはい。今度ウェンディを泣かしたらただじゃおかないから」

 

「ちょ、泣いてなんか」

 

「あはは。それじゃあねぇ」

 

彼女は訪れた時と同じような気楽な口調で別れを告げた。彼女にとって、ここは美味しい酒と美味しい料理。そして健気に頑張るウェンディと気高いシャルル、明るい村人たちがいる居心地のいいところだった。他人の視線も気にならない気楽に寛げるお気に入りの場所。

 

だが、彼女がここを訪れるのはこれで最後になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

列車に乗って帰っていた時のことだった。

 

「これは…………」

 

彼女の鋭敏な感覚が、大きな魔力の高まりを感じていた。その発生源は遥か上空からだ。列車の車窓から上空へと視線を向ける。肉眼では特に何も見えず、夜空が広がるだけで、他の乗客も彼女が感じ取った異変に誰も気づいていない。

 

しかし確かに、今この時大きな異変が起きていた。

 

「……これは、評議院もただではすまないねぇ」

 

それは、評議院が保有する魔導兵器、エーテリオンが作動したということ。大気圏に浮かぶ衛星魔法陣(サテライトスクエア)を砲台として、膨大な魔力と複数の属性からなるエネルギーを収束して、地上の標的へと照射する戦略兵器だ。その威力は一国をも破壊しつくし、爆心地ではあらゆる物質と生きとし生けるもの全てを滅ぼすという終末を招く悪魔そのものである。

 

その危険性故に、評議院といえど簡単に扱って良いものではない。エーテリオンの使用にはこの上なく慎重な手続きを必要とする。評議員過半数の承認の上、上級職員10名の解除コードを入力することでエーテリオンは発射される。

 

彼女はこの条件を知ったときには、エーテリオンが使用されることはないだろうと予測していた。今の評議員にこれを使用する度胸があるとは思わなかったからだ。

 

議長のクロフォードは評議院の首席たる人物だが、彼女はその俗物性と小心たる器の持ち主であることを見抜いている。実は、議会を欠席していて、今回の決定には携わっていないことを彼女は知らなかったが、いたとしても賛成することはないと思っている。

 

二ノ席オーグは思慮分別のある人物で、厳格かつ慎重深い性格をしているため、このような決定に関わるとは思えない。

 

三ノ席ミケロは自己中心的な考えの持ち主で、必要であれば下々の民の犠牲を許容する冷酷さをもっているが、同時に臆病でもあるので採決に際してはともかく、自ら提案することはないだろう。

 

その他の面々も、自らの首をかけて大地と生命を滅殺する気概を持っているとは思えない。

 

いや、ベルノなら国を守るためなら自分の命を差し出す意思の強さがあるだろうが、それはもうよほど逼迫した状況だろう。それこそ世界を揺るがすほどの事態だろうが、特に人々に情報も回っていない現在、ベルノが決意するほどの事態とはいったい何なのか。

 

ヤジマなら人々の命を無にするような暴挙には、梃子でも動かぬ反対の意思を示すはずだ。

 

だが、今、遥か上空で膨大な魔力が収束されていて、エーテリオンの起動を彼女は確信している。

 

それはいったい誰の手引きによるものか。彼女の脳裏に二人の若い評議員が浮かんだ。

 

「……何か企んでそうとは思っていたけどねぇ」

 

ジークレインとウルティア。

 

若くして評議員に昇りつめた二人は、そうなるに足る実力と実績の持ち主だ。評議員の中でも高い魔力と強力な魔法を有しており、若手でありながら発言力は高い方だった。

 

どういった目的でエーテリオンを投下するのか。他の評議員を頷かせるほどの理由とはなんなのか。

 

心を読むような力は有していない彼女には推測することもできない。いま水面下で行われている戦いや黒幕の存在を彼女は知らないからだ。

 

彼女が分かるのは最早確定した未来だけだ。

 

評議院はその責任を問われることになるし、提案者である二人は評議員ではなくなるだろう。結末次第では評議院解体や投獄なんてこともあるだろう。

 

そして、彼女もまた事情聴取のため連行される可能性が高かった。

 

「うーん。こりゃ、私も利用されたってことかな?」

 

実は彼女はジークレインと繋がりがあった。いや、ジークレインの企みや悪事の片棒を担いでいる訳ではない。

 

それは、ジークレインが評議院入りすることができた実績に彼女が関わっていたということだ。

 

評議院が重宝する魔道具、魔法契約書(コントラクトスクロール)は、ジークレインが彼女に協力を願い出て、評議院へと持ち込んだものだった。

 

当時、自身の《契約》の力を魔道具に落とし込んだものを小遣い稼ぎ程度に売っていた時がある。もちろん悪事に使われることのないように調整して、マグノリアの街だけで販売していた。

 

あくまで噂程度にしか広まってなかったその魔道具を目ざとく見つけ出して、評議院へと持ち込んだのがジークレインだ。彼女に頭を下げて協力を依頼し、評議院が使用するためにアップグレードした魔法契約書《コントラクトスクロール》の有用性を認めさせて、ジークレインは評議院に名を連ねることとなった。彼女が受けている評議院の依頼も、ジークレインが依頼主だった。

 

つまり、彼女はジークレインが評議員として権力を握るようになった立役者である。

 

彼女がジークレインに協力する気になったのは、別に魔法界の健全なる秩序のためという嘯きを鵜呑みにしたからじゃない。三顧の礼よろしく何度も訪れて頭を下げ続ける姿に仕方なく折れたからだ。

 

だが、結局はうわべでしかなかったということだろう。エーテリオンを落とすなんて録な目論見ではない筈だ。

 

しかし、利用するだけ利用して、ただで済ませようなんてことは、あまりにも身の程をわきまえない考えだ。

 

「思念体ごときで謀ろうなんて、八千年早いよ。若造」

 

ジークレインは勘違いしている。彼女は決して意のままに操れるような愚鈍ではない。

 

ジークレインに協力する際に彼女はジークレインと魔法契約書(コントラクトスクロール)を用いて、《契約》を書面で交わしている。魔法契約書(コントラクトスクロール)の悪用を禁止し、濫用を抑制することに尽力するという縛りだ。

 

ジークレインにとって、魔法契約書(コントラクトスクロール)はあくまで評議員入りするための手段であり、評議員入り後は既に用済みとなるため、警戒することなくその《契約》に署名している。

 

だが、彼女の《契約》の力は、口頭でも可能だった。

 

彼女はジークレインとこのような言葉を交わしている。

 

 

「うん。この署名で悪用や濫用がされなくなるよ。これなら、私も君に協力しようじゃないか。いいかい、ジーク坊。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「はい。大丈夫ですよ。決して悪いことはしませんから」

 

 

彼女の力を甘くみていたジークレインは浅はかにも了承してしまった。

 

思念体だとしても、彼女の《契約》は魂を縛る。

 

そして《契約》を反故にした者には、相応の罰が下されるものだ。

 

 

 

「悪いようにならなければいいけどねぇ」

 

彼女は、黒幕の陰謀とそれに立ち向かう者たちがいることを未だ知らない。

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