妖精の尻尾のリュウさん   作:ただの馬鹿

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心の弱さと仲間の強さ

強いとはいったいどういうことなんだろうか。

 

ギルドのみんなは私を最強の女などと囃し立てる。リュウさんがファントムとの戦いで見せた実力から、意見が二分するようになったが、それでも私を持ち上げる人が後を絶たない。

 

確かに、強い、のだろうな。

 

王国一の魔導士ギルド、妖精の尻尾(フェアリーテイル)の数多くいる魔導士の中でも、数限りないS級魔導士だ。数多くの魔物を倒してきた。数多くの闇ギルドを壊滅させてきた。その功績の上で頂いた立場だ。その評価を否定しては、ギルドのみんな、ひいてはリュウさんやマスターに対してかえって失礼だ。

 

だが、心の奥底で、否定する私がいる。

 

本当の私は、仲間たちの思いに一線を引いて、鎧で隠して一人泣いているような、そんなか弱い女でしかない。

 

 

 

 

 

 

 

私は奴隷だった。

 

生まれ育ったローズマリー村を人攫いに襲撃され、私は連れ去られた先で強制労働をさせられていた。

 

黒魔導士ゼレフを崇拝する黒魔術教団が建設する楽園の塔、そのための奴隷だ。

 

政府も評議員も非公認の建設で、教団自体も犯罪集団だったため、その労働力として無辜の民が各地から徴収されて、非人道的な扱いのもと酷使されていた。

 

教団に歯向かったもの、脱走を企てたもの、あるいはちょっとでも気に食わないと感じられただけで、壮絶な私刑に処されていた。昨日まで隣にいた子供が、次の日にはいなくなる。

 

従順にしていても、教団の憂さ晴らしに暴力を振るわれる。鞭で叩かれ、骨を折られ、爪を剥がされ、指をもがれ、歯を抜かれ。容赦のない拷問が身近にあった。そこにいたみんなで傷のないものなんていなかった。

 

明日をも知れぬ身。次の瞬間にも誰かが死ぬ。あるいはそれは自分なのかもしれない。

 

悲惨で残酷な日々。その中で幸福があるとすれば、同じ境遇の仲間たちだった。

 

みんな私と同じように各地から誘拐されてきた者たちで、心が安らぐことのない環境で苦しみを共有できた者たちだった。

 

ショウ、ミリアーナ、シモン、ウォーリー、ロブおじいちゃん。

 

そして、仲間たちの中でも、強い意志と正義感があり、リーダーの立ち位置にいたのが、ジェラールだった。壮絶な環境の中でも屈することも怯えることもなく、陽気に振る舞う姿が、みんなの絶望に歯止めをかけていた。

 

私にとっては、憧れだった。気弱で臆病だった私にはジェラールの存在が眩しくて、心の支えだったんだ。

 

 

 

運命の日。

 

ショウ発案の脱走計画が見つかって、立案者が懲罰房へ連行されることになってしまった。その時、ショウを守るため声を上げようとした私の声を遮って、自ら名乗り出てくれたジェラール。だが、教団員が酷薄な笑みで私刑に選んだのは、私だった。ジェラールたちは阻止しようとしてくれたが、結局私は連れて行かれて…………。

 

 

…………その後のことは思い出したくない。

 

 

時間が経って教団員がいなくなった懲罰房にジェラールが一人で助けにきてくれた。私の惨状に悔し涙を流す彼が意を決するように発した言葉が、私の運命を変えた。

 

『戦うしかない』

 

私を助けに来てくれたことが見つかって、次にジェラールが囚われの身になってしまい、私自身はみんなの待つ牢屋に戻された。

 

以前の私だったらまた苦痛に身を屈めて、奇跡がいつか起こるはずだと目を背け続けるだけだっただろう。

 

ジェラールのその言葉が、私に決心させた。

 

このままでは身も心も使い潰されて死ぬだけだ。自由とは手に入れるもの、そして奇跡とは自分で掴み取るものだ。私はジェラールに助け出されて、そのことを教えられたんだ。

 

教団員が憂さ晴らしでみんなを傷つけるために持ってきていた武器を奪い取って、自由を手にするための反乱を起こした。みんなに決起を呼びかけて、みんなを鼓舞し、みんなを主導して教団に逆らった。

 

反乱自体は成功した。悲しい犠牲もあった。ロブおじいちゃんは身を挺して私を庇い、命を落とした。

 

教団員は魔法を使う。非魔導士でしかない私たちでは勝ち目はなかった。だが、ロブおじいちゃんの死を目の当たりにして、私は魔法を発現した。決してその犠牲を許容することなんてできないが、その悲しみが私に力を与えたことは否定できない。魔法に目覚めたことで戦況を逆転することができ、私たちは勝利することができた。

 

 

だが、それは本当の自由を意味していなかった。

 

 

何があったのかは分からない。だが、囚われのジェラールを救出したときには、既に以前のジェラールじゃなかった。

 

ジェラールは狂気に染まった目をしながら、私たちが掴み取った自由を仮初の自由だと貶し、ゼレフの世界こそが本当の自由だと笑っていた。笑いながら教団員を皆殺しにしていた。

 

呆然としながらも外の世界へ一緒に出ようと説得した私をジェラールは突き放した。私の言葉はジェラールに届かなかった。

 

私はみんなから引き離され、一人で追い出された。みんなを人質にして、楽園の塔が外部に漏れたときには、仲間たちを殺すという呪縛を刻んで、私を海へと追放した。

 

私が手にした自由は、仲間たちの命を背負い、ただ一人だけで生きていくということだった。

 

海を漂い、海岸に打ち上げられた私は、ただただ哭いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロキの計らいでアカネビーチにバカンスに来ていた私たちは、かつて仲間だったはずのショウたちの襲撃を受けた。私は単身、楽園の塔へと連れ戻され、生贄とするために独房へ監禁された。その時、ショウが憎悪と狂気に満ちた哄笑を上げたことで、ジェラールが8年間ショウたち施した仕打ちを悟ったんだ。

 

ジェラールを野放しにしてはいけない。

 

その思いで脱獄を果たし、ジェラールのもとへと向かおうとした私を追いかけてきたナツたちと合流した。ナツはハッピーを取り返すためにすぐ奥へと進んでしまったが。

 

その時、グレイとルーシィ、ジュビアに、ずっと隠してきた過去を打ち明けた。ルーシィもグレイも私のことを擁護してくれたが、8年間も放置していたことにはかわらない。恨まれて当然だ。

 

だが、ショウたちがジェラールに騙され変わり果てていたなか、シモンだけが変わらずに私を信頼していてくれた。

 

それがどんなに心強いことか。

 

そんな喜びも束の間、ジェラールの声が塔中に響き渡る。

 

楽園ゲームという悪趣味な催しと、評議院によるエーテリオンの投下。

 

私を標的とするジェラールとジェラールを止める私との戦い。どちらが勝つのか。あるいは楽園の塔ごと全てがエーテリオンによって消されるのか。

 

紆余曲折ありながらも、私はようやくジェラールの元へと辿り着いた。

 

 

 

楽園の塔、本当の名前はRシステム。

 

生贄と引き替えに死者を蘇らせるという禁忌の魔法。ジェラールはショウたちを利用して、8年をかけて完成させていた。

 

いや、実際には完成してはいなかった。

 

Rシステムを完成させるために必要な27億イデアもの魔力。それはずっと私たちの頭上にあったのだ。

 

エーテリオン。

 

膨大な魔力を照射させる評議院の魔導兵器。

 

その魔力を受けて、楽園の塔が変貌する。

 

私の目の前で、豪勢な彫刻や装飾で見栄えを良くしただけの悪趣味な建造物が崩れ落ちて、巨大な魔水晶の結晶体へと変わっていた。

 

悪趣味な楽園ゲームも、過去を想起させ罪悪感を駆り立てる演技も、全て時間稼ぎに過ぎなかった。

 

Rシステムは今この瞬間に完成した。

 

 

 

「だ……騙したのか…………」

 

ジェラールにまんまと騙された私は呆然とするしかなかった。さっきまで、彼を救えなかった償いに一緒に死のうと考えていた私を嘲笑うかのような現実。

 

ジェラールは別に正気に戻った訳でも、罪悪感を持っている訳でもなかった。

 

「かわいかったぞ、エルザ」

 

誰もいなかった筈の背後から、ジェラールと同じ声がした。

 

振り返るとそこには、ジェラールと同じ姿形をした男、評議員のジークレインがいる。

 

「ジェラールは本来の力を出せなかったんだよ。本気でやばかったから騙すしかなかった」

 

「ジークレイン! なぜ貴様がここに!?」

 

ここにいるはずのない男が馬鹿にするかのような笑みを浮かべながらジェラールの横へと歩んでいく。そして二人が並び立った時、私は今までの確信が正しかったことを知った。

 

「やはり……おまえたちは結託していたのだな…………」

 

ジークレインは、ジェラールと間違えて襲い掛かった私を止めるために事情を説明したことがある。それは、ジークレインとジェラールは双子の兄弟だという事。それなのに、ジークレインはジェラールを止めようとせずに黙認していた。それどころか私のことを監視して行動を制限していた。二人は共犯でこの絵図を描いていたということだったのだ。

 

だが、小馬鹿にするように小さく息を吐いた二人が異口同音に私の確信を否定した。

 

「「結託? それは少し違うぞ、エルザ」」

 

そう言うとジークレインの姿がブレる。そして二人の体が重なって、ジークレインの姿が消失した。

 

「俺たちは一人の人間だ。最初からな」

 

そ、そんな、まさか。この現象に答えは一つだ。

 

「思念体!?」

 

そう、それで全てに説明がつく。ジークレインがジェラールと同じ姿形をしているのも、評議院がエーテリオンを投下したのも、そして今目の前でジェラールの身体に戻ったのも。

 

この男が全てを欺き、操っていたことが目の前で明かされた。

 

「貴様はいったいどれだけのものを欺いて生きているんだぁ!!!!」

 

「全てはゼレフを復活させるため。これで、力が…………?」

 

ジェラールが拳を握って構え始めたが、やがて困惑するように握り拳を開いて掌を見つめた。

 

「バカな……!? 足りん! 戻るはずの魔力が足りないぞ!!」

 

ジェラールが吠える。どうやら予想外のことが起きたみたいで、さっきまでの余裕綽々な態度が崩れている。

 

良く分からないが、その隙を突いて、換装した剣で斬りかかる。

 

「ジェラァァアアル!!」

 

「くっ!」

 

流石に無防備なまま攻撃をくらうことなく回避されたが、その動きは精彩を欠いている。だからといって、その身のこなしは素早く、いくら斬りかかっても当たらない。

 

私と同等の実力を持つ三羽鴉(トリニティレイヴン)の斑鳩との激闘と不完全体とはいえジェラールとの連闘で予想以上に消耗していたのだろう。私の動きもいつもの冴えがなくなってしまっていた。

 

そして突然、私の身体が動かなくなった。

 

「っ!? な……何だこれは!? 体が、動かん!!」

 

全身に巻き付く蛇のような模様。力を込めても、指一本すらも動かせなかった。

 

「……拘束の蛇(バインドスネーク)。さっき抱き合ったときに付けておいたのさ」

 

くそ! 気づかなかった! なんて無様なんだ私は!!!

 

自分の甘さを後悔しながら無理矢理にでも動かそうとする。それでも激痛が走るだけで体が言うことを聞いてくれなかった。

 

「正直予想外の事態ではあったが……それでも計画に狂いはない。魔力が手に入ってRシステムは完成した。あとは生贄があればゼレフが復活する」

 

ジェラールがゆっくりと近づき、私に向けて手をかざす。

 

「この27億イデアの魔力を蓄積した魔水晶(ラクリマ)にお前の体を融合する。そしてお前の体は分解され、ゼレフの体へと再構築されるのだ」

 

そうして私を背後の魔水晶(ラクリマ)へと突き飛ばした。魔水晶(ラクリマ)の中に半身が沈みゆく私に向けてジェラールがこう言った。

 

「お前のことは愛していたよ。エルザ」

 

この期に及んで…………!

 

それは欺瞞だ。ただの勝利宣言だった。

 

自分の無様さが悔しくて、絶叫するしかできなかった。

 

「ああああああああああああああ!!!」

 

「偉大なるゼレフよ! 今ここに!! この女の肉体を捧げる!!!」

 

「ジェラール!! ジェラール!!!!!!」

 

 

 

「おっと」

 

魔水晶(ラクリマ)に取り込まれていく私を救い上げた者がいた。

 

ナツだった。

 

いつの間にかここに辿り着いたナツが不敵な笑みを浮かべていた。

 

「エルザは妖精の尻尾(フェアリーテイル)の魔導士だ。渡さねーぞ」

 

「ナツ…………」

 

「なーにしてんだよ。早く帰って仕事行かねぇと今月の家賃払えねーぞ、ルーシィが」

 

ナツが軽口を叩く。元凶であるジェラールを前に、まるでいつものギルドにいる時のように平静な声色だった。

 

「す、すまん。体が……動かなくて」

 

思わず私も、ナツに現状を伝えてジェラールを警戒するよう言うべきだったところを、ただ言い訳のように答えるだけだった。

 

その言葉に、いい事聞いた、みたいな悪戯な顔を浮かべて、私の脇に手をやった。

 

「ほ~う。ふだんヒデェめにあってるからな! これでもくらえっ!」

 

「や、やめっ」

 

「かっかっかーーーっ!!」

 

動かない私をくすぐって笑うナツ。思わず日常的なやりとりに安心感を覚えてしまったが、ここは死地。我に返ってナツに命令する。

 

「ナツ。今すぐここと離れるんだ」

 

ナツが即答する

 

「やだね。オマエが無理なら代わりにオレがやってやっからさ」

 

「よせ……相手が悪い」

 

ナツならそう答えるだろうと思っていたが、案の定動けない私の代わり戦うつもりらしい。

 

だが、相手はジェラールだ。評議院に送り込んだジークレインと同化した完全体だ。ジークレインという思念体だけでも聖十大魔導に昇りつめた男なんだ。

 

ただ、ジークレインと同化したことでその分の魔力を取り戻している筈だが、感じる魔力量は以前会った時のジークレイン程のものではなかった。同化直後の困惑を見るに、ジェラールも想定外の事態みたいだ。

 

それでも、ナツ以上の魔力量と実力がある。戦っても勝ち目はない。

 

そう思って、念を押した。

 

「おまえはあいつを知らなさすぎる……頼む、言う事をきいてくれ…………」

 

涙ながらに懇願する私を、ナツは抱き起こした。

 

「な、何を……」

 

ナツの意図が読めずにいる私に、ナツが言った。

 

「エルザ。オレもオマエをぜんぜん知らねえ」

 

そして握り拳を握り、私の腹を殴打した。

 

それを受けて、消耗してギリギリだった体が限界を迎えた。意識が落ちていくなか、ナツの声が聞こえてきた。

 

「けど、勝てる!!!」

 

 

 

 

 

 

意識が覚醒した時には、ナツとジェラールが未だに戦っていた。どうやら戦闘音で目を覚ましたらしい。

 

一度気絶して体が休まったことで、さっきよりも体が軽い。拘束の蛇(バインドスネーク)も解除されて、戦うことはできずとも動くことだけなら出来そうだった。

 

そして、目の前で戦う二人の姿を見て驚いた。

 

二人とも満身創痍だった。ナツだけじゃない。ジェラールもまたナツと同程度の傷を負っていた。私の予想を覆すような光景に目を見開く。

 

やはり今のジェラールは、ジークレインだった頃よりも弱体化している。ナツは爆発力があり、格上に対して普段以上の実力を発揮する性質(たち)とはいえ、聖十大魔導のジークレインと渡りあうことは難しいのは確かな筈だ。

 

しかし、ナツはジェラールと互角の勝負を繰り広げていたのか。

 

「火竜の煌炎!!」

 

ナツが両手に炎をためて、ジェラールではなく地面に叩きつけた。

 

燃え盛る火焔が地面を粉砕し、巻き上げられた魔水晶(ラクリマ)が粉々になっていく。

 

「あいつ、塔を……」

 

ジェラールの目的であるこの塔自体を破壊するつもりらしい。

 

そのナツの行動に、ジェラールは憤怒の表情を浮かべて、怒りに震えている。

 

「俺が……8年もかけて築き上げてきたものを……! 貴様ァ!!」

 

ただ、塔を全て破壊するのはどだい不可能な話だ。現に今、ナツはそれ以上動けずに、膝に手をやって息を荒げている。もう立っているのもやっとな様子だった。

 

そんなナツに止めを刺すため、ジェラールが魔法の構えをとった。

 

「許さんぞぉ!!」

 

頭上に両手を上げて交差させ、邪悪な魔力が集中していく。魔力の波動で吹き飛ばされそうになりながら、その場にしがみついて耐えていく。

 

そして光源とは逆に影が伸びていく光景に、私はこの魔法に心当たりがあった。

 

「無限の闇に堕ちろぉ! ドラゴンの魔導士!!!」

 

この魔法を受けてはナツが死んでしまう!

 

私は動くようになった体に命令して、ナツを庇うように前に立った。

 

「貴様に私が殺せるか!? ゼレフ復活に必要な肉体なのだろう!!?」

 

そうジェラールはゼレフ復活という大願がある。そのため生贄が私だ。

 

なら、私が庇うことでジェラールはその魔法を放つことができないはずだ。

 

だが、その考えは甘かったみたいだ。

 

「ああ……おおよその条件は強靭な魔導士の肉体が必要だ。しかし、今となっては別にお前でなくともよい。二人揃って砕け散れ!!」

 

ああ、やはり私は甘くて浅はかで愚かだった。

 

だが、そのせいでナツを犠牲にする訳にはいかない。

 

ジェラールが魔法を発動し続けるなか、私はナツの前に立って動かなかった。

 

「エルザ!! どけっ!!!」

 

ナツが叫ぶが聞くつもりはない。

 

「お前は何も心配するな。私が守ってやる」

 

「やめろおおおおおおおおお!!!」

 

ナツの絶叫が響く中、その魔法が解き放たれた。

 

「天体魔法、暗黒の楽園(アルテアリス)!!!」

 

 

 

星の魔力が圧縮された黒い球体には、銀河が内包されている。

 

その魔法は人の命など奪い去って、なお余りある威力があるものだ。直撃したらただじゃ済まない。

 

私は目をつぶって、来るその瞬間を待っていた。

 

だだ、私に直撃するはずの魔法は、突然割って入った影に庇われて、私に到達することはなかった。

 

濛々と立ち込める煙が晴れたとき、そこに立っていた男に声が出なかった。

 

「エ、ルザ」

 

それは、シモンだった。

 

8年間ずっと私の事を信じ続けてくれていた男がそこにいた。

 

強大な魔法をその身に受けて、背中から地面に倒れた。

 

「シモン!!」

 

倒れたシモンのもとへと駆け寄り、その状態を急いで確認する。

 

「まだうろうろしてやがったのか。虫けらが」

 

ジェラールの侮辱もこの耳には届かない。ただ、シモンの状態が心配だった。

 

「なんで、おまえが・・・!!逃げなかったのか!?」

 

シモンは既にショウたちと同じく楽園の塔を出ているとばかり思っていた。

 

だが、シモンはこの楽園の塔に残り、ずっと私を助ける機会を伺っていてらしかった。

 

「シモン!!」

 

私は必至に呼びかける。すると、シモンがこちらに視線をやった。

 

その目は、はっきりと私を見つめてくれていた。私はすぐに心臓に耳を置いて、その鼓動を聞き取る。

 

その鼓動は、しっかりと命を刻んでいた。

 

「よかった。いつか、お前の、役に立ちたかったんだ」

 

息も絶え絶えではあるが、呼吸は規則的で、死の直前の特徴的な呼吸音も聞こえていない。

 

シモンは、生きている。

 

「俺は、役に、立てたか?」

 

私はシモンの手を強く握りしめて、叫んだ。

 

「ああ!! おまえのおかげで!! 私は生きている!!!」

 

私はシモンを安心させるように笑顔を向けた。

 

「そうか…………」

 

安心したのかシモンが目を閉じる。念のためもう一度鼓動を確かめた。大丈夫だ、動いている。

 

気絶しただけだ。死んではいない。安堵のあまり力が抜けそうだった。

 

だが、なぜだ? 暗黒の楽園(アルテアリス)は人一人の命など容易に奪うほどの威力があるはずだ。

 

その疑問は、ジェラール自身の独り言で解消される。

 

「ふん。まだ生きてやがるのか。虫けらごときが邪魔をしやがって。やはり、魔力が失われているせいか。運が良い奴め」

 

ジェラールがつまらなさそうに鼻を鳴らす。ジェラールは本来の力を失って、弱体化していることが原因だった。

 

予想外の出来事にジェラールも苛立っているが、私たちにとって幸運であることは間違いない。もし、全てがジェラールの思惑通りだったなら、シモンはこの攻撃で死んでいた。

 

「だが、大局は変わらん! 虫けらが生きてようが、どの道誰もこの塔から出られんのだからなぁ!! もう一度だ!!! 次こそ、その命を奪い去ってよるよぉおおおお!!!」

 

ジェラールが再び、構えを取る。

 

まずい。今度また同じ魔法を使われたら、今度こそ誰かが確実に死ぬ! 止めなくては!

 

「させねぇえええ!!」

 

だが、私よりも先にナツが飛び出して、ジェラールを張り倒した。

 

「ごはぁ!」

 

吹き飛ばされたジェラールが魔水晶(ラクリマ)の壁に叩きつけられた。

 

ジェラールを睨みつけていながらも、肩で息を荒げながら、立っているのもやっとの様子だ。

 

まだ、ここまで動けたのか。だが、もう限界ではないか……。

 

 

ナツはそこで信じられない行動に走った。

 

ナツが地面に拳を叩きこんで、魔水晶(ラクリマ)の床を崩す。そうして手に持った魔水晶(ラクリマ)を、食べ始めた。

 

まさか……エーテリオンを食うつもりなのか!?

 

魔水晶(ラクリマ)を飲み込んだナツが白目を向いて、胃液を嘔吐した。その場に蹲って、悶え苦しみだした。

 

「何てバカな事を!! エーテルナノには炎以外の属性が融合しているんだぞ!!!」

 

これではただの自殺行為だ。

 

確かにナツは炎を食らい、己が力と変えることができる。だが、エーテリオンは複数の属性の膨大な魔力を内包する劇物だ。炎以外の属性をナツは食らうことはできないはずだ。

 

短絡的な行動にジェラールもまた馬鹿にしたような表情を浮かべている。

 

だが、ナツは自滅しなかった。

 

「ああああああああああああ!!!」

 

劇物であるはずのエーテリオンを吸収して、ナツの身体を炎が包む。炎はやがて竜の形を象り、皮膚に鱗のようなものが浮き出ると、ナツの目に光が戻る。荒れ狂う魔力に意識を奪われることなく、ジェラールを真っ直ぐ睨みつけている。

 

エーテリオンという莫大な力を、制御できたというのか!

 

その場を跳び出したかと思ったら、一瞬の内にジェラールの元にたどり着いて膝蹴りを見舞う。刹那の攻撃に、天体魔法による高速移動を誇るジェラールも反応できずに顔面に食らっていた。

 

「おまえに、エルザもシモンも、殺らせねぇえええええ!!!!」

 

素早く身を翻して天井に張り付いたナツが、天井を足場として吹き飛ばされている途中のジェラールの首を掴み、魔水晶(ラクリマ)を粉砕しながらジェラール諸共落ちていった。

 

「こざかしい!! 流星(ミーティア)!」

 

ナツの拘束を振り切ったジェラールが空中で逃れる。魔法による立体的な高速移動で落下から逃れて空へ飛んで行った。

 

「この速さにはついてこれまい!!」

 

ジェラールが自賛するように、ハイスピードで無軌道な飛行能力は動きを捕捉するのは困難だ。

 

だが、エーテリオンを食らったナツの爆発的な跳躍力がそれを可能にしていた。崩れ落ちていく魔水晶(ラクリマ)を足場にして跳び移りながらジェラールの元へと辿り着き、その腹部に拳を叩き込んだ。

 

「がはぁっ!! ば、ばかなぁ!!!」

 

ジェラールは強烈な一撃を食らって、空高く打ち上げられた。空中でナツを蹴り飛ばし、姿勢を整える。ナツもまた蹴り飛ばされて魔水晶(ラクリマ)に叩きつけられたが、すぐに態勢を整えた。

 

空中での攻防。その戦いの中で、ジェラールの独りよがりの叫び声が聞こえた。

 

「俺は負けられない!! 自由の国をつくるのだ!!! 痛みと恐怖の中でゼレフはオレに囁いた! 真の自由が欲しいかと呟いた!! そうさ……ゼレフは俺にしか感じる事が出来ない! オレは選ばれしものだ! 俺がゼレフと共に真の自由国家を作るのだぁぁああああああ!!!!」

 

ジェラール…………。お前にどんな苦しみがあって、ゼレフに魅入られたのかは分からない。

 

だが、それは間違っているんだ。どんな苦しみがあろうとも、それは他人を侵していい理由にはならない。

 

「それはぁ!! 人の自由を奪って作るものなのかああああ!!!」

 

私の心と、ナツの叫びが共鳴する。

 

「世界を変えようとする意志だけが、歴史を動かすことができる!! 貴様等にはなぜそれが分からんのだぁぁ!!!」

 

ジェラールが空中で腕を振るい、魔法陣を描いた。それは、忌々しきファントムが妖精の尻尾(フェアリーテイル)を消滅させようとして手を出した禁忌魔法。その思惑は明らかだった。

 

煉獄砕波(アビスブレイク)!? 貴様! 塔ごと消滅させるつもりか!!?」

 

あれほどまで執着していた楽園の塔を放棄し、ジェラールは卑怯にもその場から離脱しようとする。

 

「また8年……いや、今度は5年で完成させてみせる。ゼレフ、待っていろ」

 

私の叫びにも意を介さずに逃走をはかろうとしていたが、不意にその体が硬直した。

 

腹部を痛がる様子とともに展開していた魔法陣が消える。そして、その隙が決定打となった。

 

「おまえは自由になんかなれねぇ!!!」

 

炎を噴射しながら接近したナツが、ジェラールに止めを刺して、私の因縁を終わらせてくれた。

 

「亡霊に縛られてる奴に自由なんかねえんだよ!!! 自分を解放しろぉぉおおお!!! ジェラアァァアァァル!!!!」

 

滅竜の拳がジェラールごと楽園の塔を打ち砕いた。

 

「――――――――あああああああああああああああ!!!!!」

 

ジェラールの絶叫が響く。ゼレフに囚われた男の末期の声であり、ゼレフの亡霊の断末魔だった。

 

 

 

私は呆然として、目の前の光景を見ていた。

 

忌々しく輝いていた魔水晶(ラクリマ)が破砕されて、地響きのような音を轟かせる。

 

楽園の塔が崩壊していく。

 

8年間私たちを支配していた、いや、もっとずっと長い間に渡ってたくさんの人を苦しませ続けてきた偽りの楽園が消えてていく。

 

それを為した一人の魔導士が私の目の前で着地した。

 

これが…………ナツの真の力。

 

これが滅竜魔導士(ドラゴンスレイヤー)!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8年間に及ぶ私の戦いは終わった。

 

だが、全てが無事に終わった訳じゃなかった。

 

楽園の塔が蓄積していた膨大な魔力、エーテリオンが生贄という行き場を失い、暴走を始めた。元々、27億イデアという大魔力を一か所に留めておく事自体が不安定な状態だった。暴走する魔力の渦は、やがて弾けて大爆発を引き起こす。

 

魔力の暴走により塔が引き起こす地響きに、気絶していたシモンが目を覚ました。

 

ジェラールとの決着がついたことを説明すると、シモンは複雑な表情を浮かべていた。8年間の支配が終わったことに対する安堵か、8年間の支配していたジェラールに対する憎しみか、あるいは……。

 

だが、悠長にしていられる時間はなかった。

 

すぐに私たちも避難を始めた。ジェラールとの死闘で気絶したナツをシモンが背負い、崩れ落ちていく残骸を避け、地の底まで続く地割れを跳んで共に出口を探す。

 

だが、一向に出口は見つからず、地面が吹き出る魔力に私は吹き飛ばされてしまった。

 

「エルザ! 大丈夫か!?」

 

「ああ、だが、このままでは……!」

 

吹き飛ばされた先で見つけた魔水晶(ラクリマ)。それは本来その名が示す通り水晶のように固い筈だが、膨大な魔力を帯びたその魔水晶はスライムのように流動的で粘性を持っていた。

 

器をも変形させるほどの魔力量に、暴走した場合の破壊規模を悟る。

 

これでは、外に出たとしても暴発に巻き込まれてしまう。いや、私たちだけじゃない。外に退避しているショウたちをも巻き込んで、ここら一帯が消滅してしまうことだろう。

 

くそっ! ここまでか!!

 

そんな諦観に心が折れかける。だが、目の前で気遣わし気に見てくるシモンとその背にいる私たちを救ってくれたナツの姿を見て、心を奮い立たせた。

 

私も救ってくれたナツとシモン。そして外で待っている仲間たち。そんな彼らが死んでしまうなんて、認めてたまるものか。

 

そんな時、ふと思い出した。

 

この楽園の塔に溜められた魔力は何のためにあるのか。それはRシステムで生贄を使って、死者を蘇らせるためのもの。つまり、魔力を生贄と融合させて、肉体を再構築させるというものだったはずだ。他でもないジェラールが言っていたことだ。

 

それなら、生贄足る私が、エーテリオンと融合できれば、この魔力を操り暴発を止められるのではないか。それは、みんなが救ってくれたその思いを無下にしてしまう行為だ。だが、私にはもう、これしか思い浮かばなかった。

 

私はシモンに向けて微笑んだ。覚悟の決まった顔を見たシモンが一瞬呆然とするが、私の意思を悟って青ざめた。

 

「エルザ! まさか!!」

 

「すまない、シモン」

 

「やめろ!! 俺はそのために助けた訳じゃない!!!」

 

シモンが私を止めようと近づいた。だが、ナツを背負い、両手が塞がっている状態では一歩遅かった。シモンが自分の背からナツを落として、手を伸ばした時には、私は既に融合するため目の前の魔水晶(ラクリマ)に腕を突っ込んで半身が沈み始めていた。全身に走る激痛に耐えながら、更に奥へと沈みこもうとする。

 

私はまだ生贄の資格を認められているみたいで、魔水晶(ラクリマ)は私を受け入れる。

 

シモンがまだ飲み込まれていない片腕を掴み、引っ張ろうとするが戻ることはなく、むしろ徐々に魔水晶(ラクリマ)へと沈んでいく。暴走する魔力と私の意思が、シモンの抵抗を凌駕する引力を生み出していた。

 

地面に落とされたナツがその衝撃で目を覚ます。そして私の状態に啞然としていた。

 

「エルザ……? な、なにしてんだ? おまえ、体が魔水晶(ラクリマ)に……」

 

「ナツ! 早く引っ張り上げろ! 早く!!」

 

「もういい、シモン。ナツ、エーテリオンを止めるにはこれしかない」

 

シモンが私を救出しようとナツを一喝するが、現状を把握しきれていないナツは呆然としていた。だが、大きく塔が地響きを起こしたことでナツが我に返ると、シモンが更に大声を出した。

 

「ナツ! エーテリオンが暴走している! その大爆発を止めるためにエルザが命を投げようとしてるんだ!!」

 

「これしかないんだ。私がエーテリオンと融合して抑えることができれば……」

 

「な、何言ってんだバカヤロウ!! そんなことさせてたまるか!!!」

 

事態を把握してすぐに駆け寄り、シモンと共に私の手を引っ張るナツ。

 

だが、既に私の身体のほとんどが魔水晶(ラクリマ)へと飲み込まれていて、後は顔と片腕を残すのみだった。二人とも力の限り、引き寄せようとするが、もう止まらなかった。

 

悲痛に顔を歪ませるナツ、そしてシモンへと、私は最後に微笑んだ。

 

「私は、妖精の尻尾(フェアリーテイル)なしでは生きていけない。仲間のいない世界など考える事もできない。私にとってお前たちは、それほど大きな存在なのだ」

 

ありがとう、ナツ。私を救ってくれて。今度は私がお前たちを救おう。

 

「私が皆を救えるのなら、何も迷う事はない。この体など……」

 

そして、繋いでいた手が離れた。

 

「くれてやる!!!」

 

全身が魔水晶(ラクリマ)に沈み、ナツたちの世界と隔絶された。もうその境界を越えることはできない。

 

「エルザ!!! 出てこいエルザ!!!!!」

 

ナツが何度も何度も魔水晶(ラクリマ)を叩く。だが、壊すことも入ることもできない。

 

シモンは魔水晶(ラクリマ)に手を置きながら、顔を背けていた。

 

二人の表情が遠ざかっていき、やがて、見えなくなった。

 

ナツ……皆の事は頼んだぞ。私はいつでもおまえたちのそばにいるから。

 

シモン……助けに来てくれてありがとう。ショウたちのこと、よろしくな。

 

…………

 

…………………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジェラールから追い出された私は、反乱の時に助けてくれたロブおじいちゃんの言葉を頼ることにした。

 

生まれ育ったローズマリー村は襲撃によって壊滅し、それ以降ずっと奴隷として強制労働していた私には縋れるような(よすが)がなかった。だから、魔法に目覚めた私はロブおじいちゃんが所属していたというギルド、妖精の尻尾(フェアリーテイル)を探し求めた。

 

ロブおじいちゃんは既に魔力がなくなったと自分を卑下していたが、牢獄のなか魔法の存在やギルドでの体験を語ってくれる時間は、夢中になって耳を傾けたひと時の安らぎだった。ロブおじいちゃんの話と、目に焼きついたロブおじいちゃんの最後、私を庇ってくれたときの背中に見えた紋章を頼りに各地を放浪した。

 

そして私は、マグノリアにある妖精の尻尾(フェアリーテイル)に辿り着いた。

 

「ここが……ロブおじいちゃんのいたところ」

 

門扉を開けて中に入った時に、奴隷時代の、血や泥で汚れきった襤褸のみを纏った様子に誰もが怪訝そうな顔で遠巻きにしていたのを覚えている。服装だけではない、風呂や水浴びもしていない体は異臭が漂っていただろうし、ジェラールが褒めてくれた髪もフケや虱だらけだった。だから、誰も近寄ろうとしなかったのも納得だった。

 

だけど、そんな私に眉を顰めることもなく躊躇いもなく、ただただ優しい声音で話しかけてくれた人がいた。

 

「おや、見ない顔だねぇ。ギルドに何か用かい?」

 

それがリュウさんだった。ローズマリー村と楽園の塔だけしか知らない、狭い世界で生きていた私でも、この世で最も美しいと断言してしまうような人から話しかけられたことに、息を呑んで咄嗟に反応できなかった。

 

そんな私に気分を害した様子もなく、むしろ身を屈めて視線を合わせてもう一度質問してくれた。

 

「お嬢さん。お名前は?」

 

「…………え、エルザ。エルザ・スカーレット」

 

「うん、良い名前だねぇ。エルザ嬢って呼ぶよ。私のことはリュウさんってよんでねぇ」

 

「……リュウさん……」

 

私がそう呼ぶと、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

「それで、エルザ嬢は妖精の尻尾(フェアリーテイル)に用があってきたのかな?」

 

「……その、ロブおじいちゃんが昔いたところだって……」

 

「ほう、懐かしい名前だねぇ。彼は元気にしてるかい?」

 

「……………………」

 

「……そうかい」

 

私の沈黙から悟ったのか、彼女は瞑目して軽く空を仰いだ。

 

ジェラールから口止めされていて、楽園の塔のことも、ロブおじいちゃんのことも、何も喋ることができなかったから、察してくれたことが有難かった。

 

そして、その時に思い出した。ロブおじいちゃんの話の中でよく出てきた魔導士の名前。それは、リュウさんって呼ばれていて、ロブおじいちゃんが自慢げに話していた。ということは、ロブおじいちゃんが現役の頃には妖精の尻尾(フェアリーテイル)にいたことになる。

 

だけど、目の前の彼女は私より少し年上のようにしか見えない。一体いくつなんだろう、と失礼なことを考えてしまった。

 

「エルザ嬢。それで君は妖精の尻尾(フェアリーテイル)に入りにきたってことかい?」

 

「……はい。もう、私にはここしか頼れるところがなくて…………」

 

「うん、分かった。歓迎するよ、こっちにおいで」

 

そう言って、私はカウンターにいたマスターの元へと案内された。

 

 

 

マスターもまた、ロブおじいちゃんの最期に悲痛な顔を浮かべたが、私のことは笑顔で快く受け入れてくれた。

 

左の二の腕に紋章を入れてもらい、妖精の尻尾(フェアリーテイル)の魔導士になった。

 

だが、すぐに魔導士として身を立てられる訳ではない。私は子供で、しかもずっと奴隷だった。魔法も発現したばかりで、右も左も分からなかった。今でこそ私はS級魔導士で第一線を張っていて、ギルドの女子寮に住んで生計を立てられているが、初めはお金の稼ぎ方も分からない無知そのものだった。

 

そんな私を独り立ちできるまで、支えてくれたのがリュウさんだった。

 

「それじゃ、まずは身綺麗にしないとね。お金も持ってないなら、お風呂も服もままならないだろうし、私の家に泊まろうか」

 

「えっ、いや、自分で稼いで何とかしますから……」

 

「そんな様子の女の子を放っておけないよ。それに、身嗜みをきちんとしないと、依頼人から拒否されちゃうこともあるし、ギルドの女子寮も賃料は馬鹿にできないから。まあ数日ぐらいだから我慢して頂戴な」

 

「そんな我慢なんて……」

 

連れてこられたリュウさんの家は、そこまで大きな家ではなかった。人一人が住むには少しばかり広いが、当時S級魔導士として稼いでいたにしてはこじんまりとした慎ましい外観だった。

 

度々誰かが遊びに来たり、私のように初めは身の立て方も分からない子供を独り立ちできるまで泊まらせたりするために、自分用以外の服や雑貨品を揃えているみたいで、突如私が邪魔しても問題はなかったらしい。

 

それでも、全身が汚れた状態の私が中に入るには躊躇われてしまうほどに内観は整えられていて、玄関の前で立ち止まってしまった。だが、そんな躊躇う私の手を握って、リュウさんは中へと私を招いた。

 

「子供が遠慮なんかしなくていいの。汚れたらすぐ拭けばいいだけだからねぇ」

 

そう言われた私は廊下に土の足跡を残しながらも、風呂場へと連れて来られた。汚れを落とすために、来ていた襤褸を脱いで、骨だらけの裸体を晒す。奴隷時代の労働環境に慣れていたため、初対面であっても羞恥心なんてのは湧かなかったが、リュウさんが眼帯も外そうとした時には思わず叫んでしまった。

 

「だ、ダメ!!」

 

「どうしてだい?」

 

「だって、見せられたものじゃないから! これは…………」

 

理由を聞かれても答えられなかった。懲罰房での凄惨な拷問を思い出して胃の奥からせり上がるものを耐えるようにその場に蹲る。もう痛みが治まったはずの右眼が強く痛み出す。

 

するとリュウさんが私を抱き留めて、背中を優しくさすった。私は暖かい温度に包まれながらも、我慢できずに嘔吐してしまう。何度もえずきながら胃液をまき散らす。嘔吐の反射と辛い記憶、そして優しくしてくれたのに彼女を汚してしまうことの申し訳なさで左目から涙が溢れて止まらなかった。

 

けれど、吐瀉物を浴びながらも、リュウさんは変わらずに抱きしめて背中を撫で続けてくれた。

 

「だいじょうぶ、だいじょうぶよ」

 

「ゥ……オェ…………ゥゥ……」

 

「だいじょうぶ。こわいものなんてここにはないよ。こわい人なんてだれもいないから」

 

「ご、ごめ、なさい」

 

リュウさんの暖かさと背中に感じる優しい手つきに段々と落ち着きを取り戻した。落ち着いた私の目には、吐瀉物で汚れたリュウさんの姿が映り、慌てて離れて必死に謝った。

 

「す、すいませんでした!」

 

「ううん。むしろ辛い事を思い出させてしまった私が悪いんだから。大体は察していたのに、もっと配慮すべきだったね。ごめんねぇ……」

 

リュウさんは汚されたことに気にした様子もなく、むしろ自分が悪いという風に謝ってきた。そんな姿を見せられて、私の方こそ恐縮しきってしまう。

 

「その……この目は……」

 

「言わなくていいよ。ただ、これからちょっと処置するから外してくれないかい?」

 

「処置……? は、はいわかりました」

 

リュウさんが何をしようとしたのか分からずに、私は眼帯を外した。

 

誰にも見られたくなかった拷問の傷。あるはずの眼球が失われた落ち窪んだ空洞。支えを失った眼窩が醜く歪んでいて、私でさえ鏡を直視できなかった。

 

その傷をリュウさんは眉一つ動かすことなく、真剣な表情で直視していた。

 

「ちょっと痒くなるけど、我慢してね」

 

そう言ってリュウさんは片手を私の右目に添えた。

 

すると右目に暖かい力の流れが感じられた。同時に右目が蠢くような感覚に痒みを覚える。掻痒感に思わず右手を動かしかけるが、リュウさんの言葉を思い出してぐっと握って耐えた。

 

そして、リュウさんが手を離した時には、それまでずっと失明した筈の右目が視覚を取り戻していた。絶句しながら右手を沿わせると、無くなっていた筈の眼球の感覚が指先に伝わってきた。

 

「はい、これ」

 

リュウさんから渡された手鏡を受け取って覗くと、私の右目がそこにはあった。

 

落ち窪み歪んでいた顔が、元通りになっていた。

 

現実に付いてこれず呆然としていたが、徐々に我に返ると理解が追いついてきた。二度と取り戻せないと思っていた視界と表情。私は喜びから涙を流した。

 

ただし、左目から。右目は元に戻ったが、涙を流せないのは変わりなかった。

 

それを見たリュウさんが困惑したように首を傾げた。

 

「あれ。おかしいね。間違いなく《復元》したはずなんだけど…………」

 

どこか申し訳なさそうに眉を歪ませる表情に、私は笑顔を浮かべて言った。

 

「いいんです。これ以上望んだらバチが当たります。それに、私はもう半分の涙は流しきっちゃったから」

 

 

 

それからはリュウさんと一緒に風呂に入って、汚れた体を洗い流した。

 

高価な石鹸やシャンプーを惜しみなく使い、隅々まで綺麗にする。髪もリュウさんが手ずから洗ってくれて、くすんだ髪も艶やかな緋色になっていた。

 

ジェラールが褒めてくれて、名前をつけてくれた緋色(スカーレット)の髪。リュウさんもまた、この髪色を褒めてくれた。

 

一緒に浴槽に入り、様々な話を交わした。楽園の塔の出来事は話せなかったから、私は幼少期を過ごしたローズマリー村の話しかできなかった。だから、主にリュウさんから話を聞くことが多かった。

 

その中でも気になったのが先ほどの出来事だ。私の失われた右目を元通りにしてくれた力。私は安直に治癒魔法を使ったのかと思って確かめたが、それをリュウさんは拒否した。

 

「いや、治癒魔法は失われた魔法(ロストマジック)と言ってねぇ。今現在で使い手は一人もいないんだよ。私の使ったのは《復元》の力で、治すんじゃなくて元通りにしただけさ」

 

魔法を発現したばかりの私にはその説明は良く分からなかった。主に使用している魔法は特になく、どんな魔導士かと聞かれても的確に表せないとも言っていた。そういうものかと納得して、それ以降リュウさんの使う魔法について深堀りする機会もなかった。

 

 

 

リュウさんの家で数日過ごしながらも、ギルドの魔導士としての生活が始まった。

 

衣服と鎧ももらい、少しばかりの金銭を用意してもらった。それだけでも有難いのに右目も治してくれた。両目の視界を取り戻し、不具合もなかったため、問題なく依頼をこなすことができた。

 

リュウさんは責任を感じて、ポーリュシカさんというギルドの顧問薬剤師を紹介してもらったが、結局右目が涙を流せるようにはならなかった。それでも日常生活には影響もなかったので、そのままクエストに出かけていた。

 

ただ、ギルドにすぐ馴染むことはできなかった。

 

依頼も一人で食事も一人。時折リュウさんが気にかけてくれたが、リュウさんもS級魔導士として忙しく、頻繫に一緒にいた訳じゃない。

 

私は孤立していた。むしろそれを望んでいた。

 

ジェラールを救えず、みんなを救えず。私には誰も救えない。いや、私がいるから不幸になる。そう思って、自分を責めて一人泣いていた。

 

だが、ギルドのみんなが手を差し伸べてくれたんだ。

 

特にグレイがきっかけになってくれた。加入直後はグレイは良くちょっかいを出してきて、喧嘩を吹っ掛けてくるようなヤツだった。どうやらグレイはリュウさんを慕っていて、浮浪人のようで怪しげだった私が目をかけられていることが気に食わなかったらしい。私の方もそんなグレイに対して煩わしいと思っていた。

 

きっかけは、夕方に河川敷で私がただ一人泣いていた時のことだ。

 

いつも通り勝負に臨んだグレイが私の涙を見て言葉に詰まる。勝負に承諾した私に挑むことなく、私がいつも一人でいることに言及してきた。

 

私は本当の気持ちを隠して、孤独が好きだと答えた。他人といるのは不安だと言った。

 

「じゃあ、なんで一人で泣いてんだよ!」

 

グレイにそんな建前は通用しなかった。グレイもまた、傷を背負った者で、私の事情は知らないまでも、苦しみに喘いでいることは分かったみたいだった。

 

その日は戦うこともなく、二人並んでずっと夕日を眺めていた。

 

 

 

それ以降、私は妖精の尻尾(フェアリーテイル)のメンバーと会話することも増えてきた。

 

既に加入していたグレイとカナとは同年代で良く話したし、後に加入してきたナツやロキには絡まれた時はボコってやった。ミラとはお互いに好敵手(ライバル)で競い合い、彼女の家族であるエルフマンやリサーナとも仲良くやっていた。

 

私はそうして本当に妖精の尻尾(フェアリーテイル)の一員になった。マスターもリュウさんもその様子を見て安心していたみたいだった。

 

だが、それでも私は仲間たちと一線を引いていたのだろう。仲間たちの思いを知りながらも、内心には踏み込ませず。私がギルドのみんなを大切に思うのと同じくらいに、ギルドのみんなが私のことを大切に思っているということを、私は真の意味で理解していなかった。

 

その光景が、私の眼前に広がっていた。

 

 

 

 

 

 

エーテリオンと融合したはずの私は空中に浮かんでいて、眼下で行われているものを見ていた。

 

雨が降りしきるなか、妖精の尻尾(フェアリーテイル)のみんなが喪服を身に纏って一様に沈痛な面持ちで、中には涙を流している者もいる。

 

みんなが視線を向ける先にある、墓標に刻まれたその名前。

 

私は悟った。

 

 

 

そうか…………私は…………死んだのか…………

 

 

 

開かれていたのは私の葬式だった。

 

先頭に立っているマスターが弔辞を述べていた。

 

「エルザ・スカーレット。神に愛され、神を愛し、そして我々友人を愛しておった。その心は悠久なる空より広く、その剣は愛するもののために気高く煌めき、妖精のごとく舞うその姿は山紫水明にも勝る美しさだった」

 

マスターの言葉に込められた強い悲しみが、私の心に突き刺さる。

 

「愛は人を強くする。そしてまた人を弱くするのも、愛である」

 

マスターの言葉が途切れ途切れになって、涙で声が潰れかけていた。

 

「彼女を本当の家族のように…………彼女が……安らかなることを祈る…………」

 

マスターの傍らで控えていたリュウさんが手に持っている花束を献花台に置こうとして前に進んだ。

 

「まったく…………親不孝者め…………」

 

いつも笑顔で見守ってくれていたはずのリュウさんが見たこともない悲痛な表情で呟いていた。母親のように慕っていた彼女をここまで悲しませてしまったということに心が押し潰されそうになる。

 

そうか。私はもう、リュウさんの笑顔が見れないし、他愛ない話で盛り上がることもできないし、その手で撫でてくれることもないのか。

 

「ふざけんなァっ!!!!! なんなんだよみんなしてよぉ!!!!!」

 

そこに乱入してきたナツ。喪服を着ることもなく、肩を怒らせてリュウさんの下に駆け付けて、その手から花を奪い取り、地面に投げ捨てては足蹴にして花を散らした。

 

「よさんかぁ!! ナツゥ!!!」

 

その暴挙にみんなして制止の声を上げた。

 

「ナツ……やめて……」

 

「てめえっ」

 

だが、それでもナツは叫んだ。現実を認められずに、喉が潰れることも厭わないほどの大声を上げた。

 

「エルザは死んでねぇ!!!」

 

「お願いナツ……やめて…………」

 

「死ぬ訳ねえだろぉおおおおお!!!!!」

 

「現実をみなさいよぉおおおっ!!!!」

 

ルーシィが金切り声を上げて泣く。

 

ナツが暴れる。

 

みんながナツを取り押さえる。

 

みんなが悲しんでいる。

 

みんなが苦しんでいる。

 

私が死んだせいで。

 

「放せええええぇぇぇぇぇっ!!!!! エルザは生きてんだぁあああ!!!!!」

 

 

 

ああ……結局私は愚かな女でしかなかった。

 

ナツの、みんなの未来のために、自分を犠牲にした。

 

なのに、これが私が選んだ未来。みんなが迎えた未来。残された者たちの未来。

 

涙と怒号しかない結末。

 

私は……こんな未来が見たかったのではない。私はただ、みんなの笑顔のために……。

 

やめてくれ……私は…………こんなの…………

 

…………………………………………

 

…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは……?」

 

ふと気がついた私の視界には満月が光っていた。

 

エーテリオンと融合して私は消えてなくなったはずなのに、私には意識があり、体の感覚があった。

 

「エルザーーーーー!!」

 

「よかったぁ! 無事だった!!」

 

「どんだけ心配したと思ってんだよ!!」

 

「姉さーーーん!!!」

 

ルーシィ、グレイ、ショウたちが駆け寄ってくる。みんなが私を見て安堵していた。

 

「ど、どうなってるんだ? 生きているのか……私は…………」

 

両手を眺める。確かな実体があり、生の実感があった。さっきのは夢、だったのか?

 

ふと、抱きかかえられている感覚に気づき、視線を向けた。

 

そこにはナツがいた。ナツが私を抱きかかえていた。

 

隣にはシモンもいる。涙を流しながら、私の無事を喜んでいた。

 

「ナツ……お前が私を? いや、シモンもか?」

 

「いや……俺は何もできなかった。ナツのおかげだ。ナツがお前を見つけてくれたんだ」

 

シモンが首を振るのを見て、ナツが私を救ってくれたことを知った。

 

まさか、エーテリオンの魔力の渦のなかから私を見つけ出したということなのか?

 

そんなことができるのか? なんという男だ。

 

ただ限界が来たのか、ナツが私を抱えたまま崩れ落ちる。勢いよく海面に叩きつけられ、その冷たさに現実感が戻ってきた私に、ナツが思いの丈をぶつけてきた。

 

「同じだ……オレたちだって同じなんだ」

 

――私は、妖精の尻尾(フェアリーテイル)なしでは生きていけない。仲間のいない世界など考える事もできない――

 

思い起こされる私が放った呪いの言葉。

 

身勝手極まりない遺言が、ナツを苦しませてしまっていたんだ。

 

「二度とこんな事するな……」

 

「ナツ…………」

 

海に膝をついて啜り泣くナツの名を呼ぶことしかできなかった。

 

「するな!!!」

 

「うん」

 

私は素直に返事した。

 

今の私なら本当に分かる大切なこと。仲間がいるということの心強さを。仲間がいるということの有難さを。仲間がいるということの誇りを。

 

隣にいたシモンが手を差し伸べてきた。

 

「エルザ、無事で良かった。エルザがいなくなるとみんながどう思うか、分かっただろ」

 

「ああ。シモン……ありがとう」

 

シモンの手を掴み、その場に立ち上がる。ナツの頬に手をやって、私もまた、この思いを伝えた。

 

「ナツ……ありがとう……」

 

枯れきったはずの涙が右目からも溢れ、頬を伝う。

 

そうだ……。

 

仲間のために死ぬのではない。仲間のために生きるのだ。

 

それが幸せな未来につながることだから。

 

 

 

 

 

 

全てが終わった後、アカネビーチのリゾートホテルで数日間宿泊した。

 

全員が疲労困憊で、ナツに至ってはエーテリオンを食らった副作用か三日間の寝たきりだった。とはいっても、大きないびきをかいて寝ているものだから命に別状はなさそうだった。

 

後一日ほど休んでからギルドに戻る予定だった。

 

その際、楽園の塔で8年間も支配され続けていたショウたちを妖精の尻尾(フェアリーテイル)へと誘った。いざ自由の身となっても、ずっと外の世界と関わりがなかったため、途方に暮れていたから提案した。

 

彼らが求めていたような自由とは少し違うのかもしれないが、妖精の尻尾(フェアリーテイル)も十分自由な場所だ。それに私も8年間も放置していたこともあり、これからも一緒にいられればと思ったからだ。

 

その提案をして、ホテルでの最後の一日を過ごすために戻ろうとした時だった。

 

シモンに、二人きりで話せないか、と言われ、ショウたちを先に帰らせて、私はシモンと向き合った。

 

「エルザ、今回の件は本当にありがとう」

 

「いや、こちらこそだ。ずっと苦しませてすまなかった」

 

「エルザのせいではないさ。もう、終わったことだからな」

 

シモンは少しばかり沈黙したが、意を決したように再び口を開いた。

 

「エルザ。お前にずっと伝えたかったことがある」

 

「伝えたかったこと?」

 

何だろうか?

 

今更、楽園の塔のことを蒸し返すようなことはしないだろうし、見当もつかない。

 

「俺はお前のことが好きだ」

 

真っ直ぐとした視線と思いがけない告白に、思わず呆然としてしまった。

 

頭が真っ白になりながらも、無言で待っているシモンを見て、なんとか答えなくは、と思って辛うじて口を開いた。

 

「な、え? そう、なのか」

 

「そうだ」

 

しどろもどろになりながら、答えられたのはただの確認だった。シモンはただ頷くだけで、私のちゃんとした答えを待っている。

 

シモンは良い男だ。それは何よりもこの私が知っている。8年間も彼らを放置し続けた中で、ずっと私のことを信じ続けてきた男だ。私の危機には命を張ってまで守ろうとし、エーテリオンと融合しようとした私を最期まで見放そうとしなかった。

 

こんな素晴らしい男は他にいない、と私も思う。

 

「わ、たしは……」

 

なのに、目を閉じた時に浮かんだのは、憎むべきはずの青髪の男だった。

 

その私の様子に何かを察したのか、シモンが肩を竦めた。

 

「忘れられないのか?」

 

内心を見透かされたようで、ばつが悪そうにするしかなかった。

 

自分自身呆れかえってしまう。シモンが8年間も信じ続けてずっと味方でいてくれるのに対して、あの男は私を裏切り傷つけ、シモンたちをずっと支配し続けた敵だった。

 

そしてあいつはもう死んだ。エーテリオンの魔力の渦に飲まれて、いなくなった。

 

もう幼い恋心には終止符を打たなければならないんだ。脳裏によぎったのはただの気の迷いなんだ。

 

「…………もう、終わったんだ。だから、シモン。妖精の尻尾(フェアリーテイル)に来ないか。今はまだ混乱していてちゃんと思いに応えられないから、一緒に過ごす中で考えさせてくれ」

 

選んだのは、保留だった。

 

逃げるつもりはない、はずだ。楽園の塔の事件は終わったばかりで、一息ついたばかりだ。8年間放置し続けた負い目と、信じ続けてくれたことへの感謝と、命を救ってくれたことの恩義が合わさって、自分の感情を整理できていなかった。だから、シモンの想いもきちんと心を落ち着かせてから誠実に答えたかった。

 

だが、シモンは首を横に振った。私の姑息な手段を許してはくれなかった。

 

「ショウたちはどうか知らんが、俺は妖精の尻尾(フェアリーテイル)に行く気はない」

 

「な、なぜだ!?」

 

「俺はずっと楽園の塔に支配されてきた。だから、本当の自由ってのを知らない。エルザが言うからには、確かに妖精の尻尾(フェアリーテイル)は自由なところなんだろうが、俺にとって憧れてきた自由ってのは、やりたいことを自分で見つけて、自分の力で生きていく、そういう人生だ。だから、俺は妖精の尻尾(フェアリーテイル)には行かない」

 

シモンの言葉に、混乱していた頭も冷静になっていく。

 

シモンは想いを告げながらも、自分の人生というものをきちんと思い描いている。そこには恋心というものに左右されない、未来への舵取りを自分で握るという意思があった。

 

ああ、本当に強い男だ。私なんかよりもずっと。

 

「それに妹も探さないといけないしな」

 

「妹! いや、確かにいた、いるな。名前は……」

 

「カグラだ。兄想いの可愛い子でな」

 

思い出した。ローズマリー村が襲撃された際、人攫いから小箱に匿った小さな女の子がいた。名前は知らなかったが、シモンの妹だったことは知っていた。私は直後、捕まってしまったが、シモンと一緒に連行された楽園の塔に、彼女はいなかったから攫われてはいないはずだ。

 

そのことを伝えるとシモンは安心したように顔を綻ばせる。

 

「そうか……。エルザ、お前にはいつも助けられてるな」

 

「よせ。お互い様だろう」

 

「なら、やはり俺は妹を探すためにも、お前の思いには答えられないな」

 

「そうなのか…………ん? これじゃ、私が振られてないか?」

 

「そうか?」

 

「そうだろう」

 

そして、何か可笑しくなって二人して笑った。

 

子供の頃、何の憂いもなくローズマリー村で笑い合った時のような、そんな清々しい笑いだった。

 

 

 

その夜、シモンだけじゃなく、ショウやミリアーナ、ウォーリーもまた自分たちだけで外の世界を生き抜く覚悟を見せた。

 

妖精の尻尾(フェアリーテイル)では、彼らの憧れには狭すぎるということなんだろうな。

 

私には、彼らの無事と未来を祈って見送るしかない。

 

妖精の尻尾(フェアリーテイル)として、送別式を開き、夜空彩る魔法の輝きをもって、彼らの行く末を祝福した。

 

みんなして、泣いて、そして笑って再会を誓い合った。

 

元気でな、みんな。

 

 

 

 

 

 

私の宿命は決着を迎えた。

 

後は、ギルドへと帰り、いつもの日常に戻るだけだ。

 

私の脳裏には、あの絶望に包まれた未来が映っている。みんなが私の死を悲しみ、苦しんでいる世界だ。

 

ただの夢に過ぎないとしても、早くその光景を拭い去ってしまいたかった。

 

いま、無性にギルドに帰って、みんなの顔が見たい。そう、思った。

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