イシュガル大陸西端に位置する永世中立国フィオーレ王国。王国東方にある商業都市マグノリアでは、古くより魔法が盛んで生活と密接に結びついており、数多くの魔導士たちが居住している。
その魔導士たちが組織化し、多種多様な依頼をこなしている拠点が魔導士ギルドだ。
そんなギルドに舞い込むクエストは、数も種類も相応なものになる。毎日貼り出される依頼書は
しかし、膨大な数であるため、全ての依頼が達成される訳ではない。たくさんの魔導士が所属している
魔導士の花形は魔法を使って活躍することだ。
故に人気のあるクエストというものは大体決まっている。討伐クエストや警護任務、魔法研究や秘境探索など。一般人では到底達成困難なものであり、危険で、しかし魔導士の本懐を満たせる魅力的なクエストを、
そうした争奪戦から誰も見向きもしなかった依頼書がポツンと
ナツとルーシィがチームを組んで乗り込みに行った、エバルー公爵屋敷からの本の奪取もその一つだ。女好きでスケベの変態という注意書きが倦厭されてか、内容と依頼料との不釣り合いを警戒してか、依頼料の吊り上げが行われるまで放置されていた依頼である。
ただ、こちらは依頼料としては悪くなく、その内に別の誰かが依頼を受けていたことだろう。
つまり、残される本当に人気のないクエストというものは、依頼料も安く、魔導士である必要性がないものが多い。それこそ、非魔導士でも十分達成可能な代物のことだ。
そういった依頼も魔導士ギルドにやってくる。結局のところ、魔導士ギルドは何でも屋の側面が強い。失せ物探しや街の清掃活動、家事代行や子守り、挙句には浮気調査なんてものもある。
それらは、金欠や能力不足といった消極的な理由から受注するのが普通である。
しかし、
夜が明けて朝日が昇り、マグノリアの街が俄かに活気を帯び始める時間に、
ギルドの門扉が開くと、魔導士たちが眠たげな目を擦りながら中に入る。行先はそれぞれだ。朝食を取ろうと考えていた者は食堂の椅子に座ってメニューを眺め、早速クエストに行こうとしていた者は
時間が経つにつれて、依頼書が次々に剥がされていき、昼前ぐらいになると
ミラジェーンは
S級魔導士として第一線で活躍していた時から一転して、引退後はギルドの受付嬢や給仕として裏方を支える立場になってから、現役時代には気付かなかったことがたくさんある。
その中でも、残される依頼書というものは存外頭が痛い問題だった。
依頼主が抱える問題をギルドに提示し、ギルドは所属する魔導士たちに依頼を斡旋する。
つまりは仕事の仲介業である。そして、仕事が達成できないということは、そのままギルドに対しての評価に繋がるのだ。
魔導士として依頼に向かっていた時代には知らなかった、ギルドの裏事情や事務作業を知るにつれて裏方の苦悩が骨身に染みる。
ミラジェーンは
『迷い猫を探して! 依頼主:三丁目のオーバ 内容:ちょっと前からウチの可愛い子猫ちゃんが行方不明なんです。生まれた時から家の内で飼っていたので、危険な外に出ていってるなんて心配で夜も寝られません! 早く見つけて私の下に連れてきて! 猫の詳細は下記のとおり~』
魔導士ギルドではなく探偵事務所に頼むような内容だった。しかし
魔導士ギルドに頼み込むような内容じゃないため、断ったり、別のギルドに流したりすることは簡単で、十分こちら側に理がある。
ただ、そうした場合、住民たちからの評判は良くないものになってしまう。これが意外と軽視できない。
今はクエストに出かけていていないが、ギルド最強の男と目されるギルダーツという魔導士が帰還する際に、その魔法の被害に合わないように街を改造し、住宅街が左右に分かれて通り道となる「ギルダーツシフト」を作っていることにもその信頼が窺える。普通であれば除名勧告が出されてもおかしくない。それでもわざわざ街を改造するという手段を取っている事からも、マグノリアからの
世論というものは決して馬鹿にできたものじゃない。
ミラジェーンも魔導士としての活動の経験から、マカロフの言葉に同意しているし、仲間たちの騒動は好ましくも思える。同時に、
ミラジェーンは手に持っていた依頼書を
確かに悩ましい問題でもあるがそこまで重大なものでもないと、ミラジェーンは楽観的に考えている。
なぜなら、
「おはようさん、みんな」
昼食のため食堂が俄かに込み始めた頃に彼女はやってきた。
「お! リュウさんが来たぞ。おはようってもう昼じゃねえか」
「リュウさん! こっちの席に来て一緒に食べませんか?」
「いや、相変わらず美しいね、リュウさん。今度俺とデートに行こうよ~」
ギルドメンバーが彼女を一目見ると口々に出迎える。
浮世離れした美貌を持ちながら決して隔意はなく、親近感をもって接してくれる彼女の人気は男女問わず頗る高い。
「ごめんねぇ。奥さんの目を盗んでデートに行けるほど器用じゃないんだよ、私は。それと、ご飯ももう食べてきちゃったからさ。また別の機会に誘ってくれないかい?」
彼女はギルドメンバーに笑って手を振りながら、
そして軽く見渡した後、
「ミラ嬢。受付お願いできるかい? おっと、接客の方で忙しいかな?」
「はーい、大丈夫ですよ、リュウさん」
ミラジェーンは差し出された依頼書を受け取り、依頼帳簿と照合して必要事項を書き込む。そして承認のサインをしてから依頼書を返した。
依頼の中には、ミラジェーンが先ほど確認した子猫探しの依頼も含まれている。
「子猫探しに草刈り依頼、貯水槽掃除に街の外壁修繕ですね。結構な依頼数ですけど、大丈夫ですか?」
「これぐらいならね。それにいつもやってる内容だから慣れてるよ」
「そうですか。いつもありがとうございます」
ミラジェーンが深く頭を下げて感謝を伝えると、彼女は気恥ずかしそうにしながら頭を軽く掻く。
「なに、そんなに畏まられると痒くなるじゃないの。いいのいいの。むしろこういうのばっかでこっちこそ申し訳なくなってくるじゃない」
「そんな。リュウさんにずっと支えられてたんだと、今の私なら分かりますから」
そう、彼女は選り好みされて残された依頼書を積極的に片づけてくれる。それがどれほど有難いことか、事務に携わって実感できるようになった。
もとよりミラジェーンにとっての恩人であるが、その感謝の念はより一層深まっている。
「また今度遊びに来てくださいね。歓迎しますから」
「お、嬉しいねぇ。好意に甘えて、もてなされようじゃないの。それじゃ、ちょっくら頑張ってくるとするかねぇ」
彼女は受け取った依頼書を懐にしまいこむと手を振りながらギルドを去っていった。早速これから仕事をしに行くのだろう。わざわざ魔導士が行くほどのものでもない雑用働きのような依頼をこなしに向かったのだ。
そんな働きぶりから、彼女はこう呼ばれている。マグノリアの便利屋さん、と。
マグノリアの街の外壁工事の現場に到着した彼女を迎えたのは、そのマグノリアでも有数の土建屋を営み、若い衆に檄を飛ばしていた年配の棟梁だ。
「お、便利屋さんか。来てくれたのは!」
「はいはい便利屋さんだよ。本当は魔導士なんだけどねぇ」
「はっはっは。まあ、今回の場所は魔法を使ってくれたほうが助かるから確かに魔導士の仕事なんだが、リュウさんは魔導士というより便利屋さんって感じなんだよ。大体、こういう仕事ばかりじゃねぇか」
「見えないところでは私も切った張ったやってんの。まあ、いいさ。それで、今回はどこだい?」
「ああ、ついてきてくれ」
棟梁に連れられて、修繕箇所へと案内される。ここの棟梁はその道何十年のベテランで、土木建築工事や左官工事などに熟練しているが、安上がりで時間短縮できる場合は、迷いなく魔法に頼る臨機応変さも兼ねている人物だ。しばしば依頼も出しているため、彼女との付き合いもそれなりに長い。
「それじゃ、頼んまぁ。俺が指示出しするからよ」
「うん、よろしくねぇ」
外壁工事の後は貯水槽掃除に赴いた。マグノリアの住宅街の一角にある大きな貯水槽の前で待っていた管理者は若い青年で、彼女に気付くと深々とお辞儀をして彼女を迎えた。
「掃除屋さん。お越しくださいましてありがとうっす!」
「魔導士ね。まあいいけど。それで説明をお願いできるかい?」
「はいっす。ここの貯水槽は上水道に使われるものなんすけど、実は頼んでいた清掃業者がトんでしまいまして。定期検査報告も間近に迫ってるんで急いで依頼を出したっていう経緯っす。結構大きな貯水槽なんで恐縮なんすけど、できれば今日中ってできるっすかね?」
「うんうん、お安い御用だよ。それじゃ、私も中に入っていいかい?」
「あ、はいっす! マジありがとうっす!」
若い青年は何度も頭を下げながら、彼女を関係者以外立ち入り禁止と書いてある区域内に招き入れた。
草刈りはマグノリアの街でもあまり見られない、庭付きの大きな邸宅からの依頼だった。彼女を招いたのは、夫に先立たれた老婆である。一人で住んでいるが、足腰が不自由になってしまい、十分な管理ができなくなってしまったために今回依頼を出したということらしい。
「すまんねぇ、便利屋さん」
「な~に。これぐらいなら任せなさいな。それと魔導士さんね」
「昔っから便利屋さんには世話になってばかりで……いつお迎えがくるか分からないし、何もお返しができないままでもう……」
「ちゃんと依頼料はもらってるからさ。そんな老人特有の反応に困るような事言ってないで、ほら、どこまでやるかちゃんと教えてほしいねぇ。それと魔導士さんね」
「すまんねぇ、便利屋さん」
「はいはい。ここもやっちゃっていいのかい? それと魔導士さんね」
老婆の恐縮しきりな言葉を聞き流しながら、鬱陶しいほどに無造作に生い茂る雑草を処理し、繫茂している樹木を剪定する作業に取り掛かる。
「あたしの猫ちゃ~ん! どこ行ってたのもう~! 心配してたのよ~!」
「フシャー!!」
迷い猫を見つけ出して依頼主に連れていくと、年嵩の女性が興奮したように子猫に頬擦りをする。子猫は嫌がるように声を荒げているが、構わず頬擦りを続ける姿に彼女は苦笑する。
「何事もなく見つけられて良かったよ。それじゃあ、ここに依頼達成の署名を頂いてもいいかい?」
「うんうん、分かったわ。いつも助かってるわ~。ありがとうね、便利屋さん」
「魔導士なんだけどねぇ」
彼女は署名をもらった依頼書を懐にしまった。
これで今日の依頼は全て達成となる。既に太陽は地平線に沈みかけており、空模様は黄昏色に染まる夕暮れ時だ。ギルドに戻る頃には日没していることだろう。
予想通り、ギルドに到着した頃には既に日が落ち、真っ暗な夜を迎えていたが、仕事から戻って夕飯や酒にありつく魔導士たちによって、ギルドロビーは最も活気に溢れる時間を迎えていた。
いつも通りの騒がしい様子に、目を細めて微笑む彼女を、ミラジェーンは迎え入れた。
彼女はギルド内に響く喧騒を横目に、カウンター席に座ると依頼達成の証明がされた依頼書をミラジェーンに手渡した。
「はいこれ。無事に終わったよ」
「はい、お預かりしますね」
「ふう、今日もまた一段と疲れたよ。ミラ嬢、いつものいいかい?」
「はーい」
今日もまた、彼女は魔導士らしからぬ依頼を終えて、仕事終わりの一杯を楽しむ。
マグノリアの便利屋さん。彼女はそのあり方を気に入っていた。