「やったぞ、我が綾部家の宿願を果たす待望の御子の誕生だ」
綾部命はごく普通で平凡なそれでいて真っ当な夫婦のもとに生まれたわけではなかった。
綾部命の誕生に父親は狂気乱舞という言葉に相応しい程度には浮かれまくっていた。それというのも、綾部家の嫡子として生を受けた命が膨大な呪力を宿して生まれたことに起因していた。
「これで、我が家は呪術界を牽引する大家に返り咲けるぞ」
などと父親ははしゃいでいたが、別段にして名家の血筋というわけでもなく傍系の傍系。そのまた傍系であり、もはや、もとを辿ることが不可能な程度には、定かでない血筋であった。
それにもかかわらず、この父親がこのようなふざけた発言と妄想に耽ってしまっているのかを紐解いていくと、父親の祖父が原因であった。
綾部命からすると曽祖父にあたる人物になる。この曾祖父であるが、自らが都合の良いように作り上げた家系図を持ち出しては、それを自慢げに幼き日の父親に語っていたのだ。
もちろん、綾部命の父親とてそんな世迷いごとを信じてなどいなかった。ただ、元すら定かではない傍系の家系といえども、呪術界の血筋の流れをもっていたことで、父親は自然と呪術界と関わりのある仕事にこそついていたのだが、今回それが仇となった形である。
そう、とても残念なことに、膨大な呪力を保持したまま器におさまった命の誕生よって家系図にリアリティがうまれてしまったのだ。
「もしや、あの曽祖父の話はーーー」と。
だがしかし、それも長くは続かなかった。
「命に確かに宿っていたあの膨大な力の塊は、いったいどこに行ってしまったというんだッ」
綾部命が生誕と同時に手にしていた膨大な量の呪力は、生誕から日を跨ぐごとに溢れて漏れ続けていき、ついには、常人が持ち得る程度の呪力量へと落ち着くに至ったからである。
最初こそ、そのことに綾部命の父親は落胆の色を強くみせていたが、一旦その熱が冷めてしまえば、浮かれに浮かれていた自身の痴態に悶えるのことになった。
「はは。全く信じちゃいなかった爺さんの言葉が熱をもつなんて思いしなかったんだ。身のほどを超えた力なんてなくたっていいのにな。なのに、いざ目の前にあると信じちまうものなんだなァ」
綾部命は、晩年晩酌が進むたびにそう語った父親の姿をふとした拍子にたびたび思い出していた。
「まったく、困ったものです。私はただの保険渉外担当なのですけどね」
そう言葉を発した綾部命の足元には、呪術師が策定する呪霊の格付けにして一級相当の呪霊が複数横たわっていた。
その様子を、木々に寄りかかりながら笑みを浮かべて眺めていたのは呼び出した張本人旧姓禪院甚爾であった。
「ククッ あんたは変わってねえな。馬鹿みたいな力を持っていながら、ごく普通に社会のなかで生きてやがる」
「そうですかね。そういうあなたは、随分と殺伐としましたね。あの頃、まだ持ち得ていたひとへの関心がなくなってしまったように見受けられる。奥さーーー」
「黙れ」
「……恵君はもうすぐ二歳になりますよ。自我の芽生えも見られます。父親として、家に帰られてはどうですか。甚爾君」
「それはもう捨てたものだ。どうなろうがしったこっちゃないぜ。あぁ……そうだな、せいぜい生まれ持ったもの次第では、俺の金蔓になるだろうよ」
「私は、頼まれたのですけどね。あなたのことを」
「ハッ。 俺の喧嘩仲間としてか。いいぜ、久しぶりにぶちのめしてやる」
「野蛮さに磨きが掛かってますよ。まあいいでしょう。たまには語り合いましょうか」
日本本土の片隅。人が容易に立ち入ることのできない山の奥。曰く付きの集落跡地に激しい戦闘痕が刻まれることになった。
そして、戦いの勝者となったは……。
「あなた……本当に化け物ですね」
禪院甚爾であった。
「ぉお痛ぇ。あんたにだけは言われたくねえな。俺とまともにやり合えるだけで、もう異常な化け物なんだよ。馬鹿が」
「私から借りておいて勝てもしない賭け事にお金を費やすひとに言われたくありませんね」
「ッチ」ひとつ舌打ちをして禪院甚爾は、踵を返した。
「もう行くのか」
「……あんたといると昔をおもいだす。じゃあな。次に会うときは仕事の依頼ンときぐらいだろよ」
そうして禪院甚爾は片腕をあげるとスーッと暗い夜の森のなかへと消えていった。
「ふう……。行ってしまいましたか」
綾部命は野に背中を預けたままあの日の出会いを思い出していた。
懐かしいですね。
あの頃は、私もまだ青かった。
それ故に、持て余していた力の使い先を探していた。
「ふふ。本当に懐かしい。単純な殴り合いなら私のほうが強かったのですけどね」
天与呪縛。
フィジカルギフテッド。
「天与の暴君とは、よく言ったものです」
時は遡り、1996年夏。
綾部命がたびたび体調を崩しては休む躰の弱いタイプの人間としての生活を過ごしながら人知れず呪霊と戯れていた頃のこと。
「一級相当の呪霊とはいえ、強さはまちまち。力を試すにはいまひとつ、か」
綾部命は、常人並みの呪力量しか持っていないはずであった。
「呪力操作による身体能力の向上にも限界はある。というか躰が保たない」
しかしそれは、綾部命という外殻から漏れ出ている量から算出される数値であって本質は異なっていた。
「呪力を極限まで圧縮して廻しつづけなれば、自身の呪力に器が耐え切れずに腐り落ちるなんて、どんな冗談なんだろう」
そう本来、綾部命は死ぬ運命にあった。
膨大な呪力量を保持した魂が、普通の器に備わったがために起こった悲劇になるはずであった。しかし、すぐにでも腐り落ちるはずであった器に適合するように魂は躍動した。器が許容できる限界まで呪力の圧縮を試みたのだ。
ちなみに、この過程を父親は知る故もない。そのため、単純に息子にあった膨大な呪力がなくなったものと認識することになった。
そしてこの試みの成否は、いまも綾部命が現存していることが示していた。
「人を超える力の代償が節制とはね」
そこから綾部命の魂は、躰の成長に合わせた段階的な呪力制限の解放を図るのだが、ここでも問題が生じることになった。
本来、魂はその総量に応じた器に収まるケースが大半である。もちろん、全てがそうとは限らない。器と魂。そのどちらかに不備が生じることも往々にして起こり得ている。
綾部命は、その典型的なケースであった。
「そのために躰を造り変えた。いや、適応させたというのに、試せるほどの呪霊を探すのはホネな上に、呪術師にみられて面倒ごとに巻き込まれたくもない。これ以上は、強欲ですね」
天与呪縛である。膨大に過ぎる呪力を与えられた代償は、人の生、命の時間そのもの。
「生きているというだけで、ありがたいことに変わりはないのだから、それでよしとしましょうか」
それに綾部命の魂は抗い、命を勝ち取ったのだ。それは、まさしく生への渇望であった。そして、綾部命が内に秘める膨大な呪力を自覚したとき初めに思考に齎されたものは、この力を使ってみたいという純粋な欲求であった。
しかし、魂はそれを拒否する。魂は認知していたのだ。これは器を滅ぼす出過ぎた力であると。
「ハハっ 何かいると興味本位で着いてみれば、呪霊を屠るおかしな眼鏡野郎がいるんだからなァ。地方の散歩も悪かねェ」
そこから綾部命は魂との融和を進めることになった。
「ッ、……どこから見ていた」
具体的には、器に呪力量を適応させるための鍛錬である。
「あん。何言ってやがる、俺は最初からここにいたぜ。お前が一人語りしている最中もなァ」
それは昼夜絶えず器の許容できる呪力量の限界値を超えた状態で呪力を廻し維持することで、後天的に呪いと呪力総量の耐性を得る訓練であった。
「周囲は警戒していたつもりでしたが、見た所普通の人間に、いや呪力がまったくない人間でしたか。……なるほど、呪力なしで生まれた眼付きの悪い名家の落ちこぼれがいると耳にしたことがあります。あなたのことですね」
当然、負荷に耐え切れず体調を崩すことも多く表向きは躰の弱い子というイメージが定着するほどであった。
「ッチ。てめえ喧嘩売ってんのか。言っとくが、このかた俺をそう煽った連中は残さずブチノメシテきたぜ。人を超えた力だあ? 気持ちよく妄想してしてんじゃねえよ。クソ眼鏡野郎」
その絶え間ない鍛錬の末に綾部命は、常人を超えた力を有した肉体を獲得するに至っていた。
「あなたこそ、落ちこぼれの凡凡が粋がっているようにしかみえませんよ、禪院甚爾君」
それは当時、すでに頭角を現していた天与呪縛のフィジカルギフテットを陵駕できるほどの躰を。
「ブッ殺す」
綾部命は所持していた。
「できるのならやってみたまえ」
こうして行われた二人の初対決であったが激しい物理戦闘肉弾戦の末に、綾部命の勝利で幕を下ろすことになる。
「ッチ。バケモンが……」
そこには野に大の字に寝そべる禪院甚爾の姿があった。
「おい。あんた、俺に殴り合いで勝つなんて、一体どんな手品を使った」
その禪院甚爾のそばで傷んだ衣服のことを愚痴る綾部命。
「甚爾君。君は手加減という言葉をしらないのか。私の服がぼろぼろになってしまったぞ」
「知るかよ。おい、実際どうなんだ。あるんだろう、なにか種が」
「はァ。……べつに手品というほどの種はない。ただ生きるために必要だったことを己の欲に変換して鍛えただけのこと」
「ハハッ。意味がわからん。鍛えたからって俺が真っ向からのぶつかり合いで負けるわけねえだろうがよ」
そして、禪院甚爾は大の字に寝そべった状態のまま大きく息をフウと吐き出してから続けた。
「ァあ。でも、案外、すっきりするもんだな。この躰に拘っていたのが馬鹿みたいだぜ」
そうして片腕を額に当てると言った。
「……殺せよ。呪力もねえ天与呪縛で生まれた俺に、もう生きる価値はねえ」
それは呪力術式の如何で自身を否定した生家を、呪術界を、この躰で一つで否定してやるという禪院甚爾が密かに抱いていた目的の放棄であり、諦めでもあった。
「野蛮な発想は嫌いですね。あなたの境遇など興味はありません。が、ここは、ひとつ勝者としてあなたにお願いしたいことがあります」
「なんだ、俺はもう死んだつもりだ。なんでも聞いてやるぜ」
「なんでもはいりません。あなたたちは、ひとつの枠にこだわり過ぎなのですよ。べつに呪術界も一つのコミュニティにすぎないでしょうに。甚爾君には力がある。いやなら家を出ればいい。とはいえ、私も大きくみればそのコミュニティの末端に所属している身。主に両親が、ですけどね」
「なにがいいたい。さっさと言えよ、クソ眼鏡」
「もう一度ぶちのめしますよ。……まあいいでしょう。幸いにして、あなたは呪術界の名家中の名家の生まれ。ですので、落ちこぼれという部分にはこの際目を瞑りましょう」
「てめえッ」
「なので、私に呪術について教えてくれませんか」
「はァ? 何言ってんだ、あんた。その力があれりゃ大抵のことは、ごり押しで十分だろ」
「甚爾君。君こそ何を言っている。呪力、ましてや術式にもなれば奥深いモノですよ。あなたは、知は力なりという言葉を知らないのですか」
「あん。それくらい知ってる。そいつは言っちまえば帰納法のことだろうが」
「そうです、理解しているのなら話は早い。私は呪術界に深い関りがありませんので、なるべくあなたから知の部分を補いたい」
「ぁあそういことか、俺の知識やら経験やらを語って聞かせろってことか。……やなこった。めんどくせぇ」
「ほう。やはり落ちこぼれ。当然そのようなモノは持ち合わせていませんでしたか。いやいや、甚爾君には荷が重すぎたようだ」
「ッチ。いちいち癪に障る野郎だ。わかった。負けた分ぐらいは教えてやる」
「ならば持ち得るものすべてになるのでは」
「今回、だけだ。次はブチノメスから覚えとけ。……そうだ。あんた名前は」
禪院甚爾は名をきいて「綾部命、か」と反芻すると言った。
「男の名前を覚えるのは趣味じゃねえ。あんたに勝って名前もすぐに忘れてやる」
「好きにするといい。威勢のいい負け犬の遠吠えはよく響くからね」
「クソがッ……。はァ もういい。それで、俺に何が訊きたい」
こうして、二人はことあるごとに殴り合うことになる。そしてそれによって自然と友情にも似た絆のような、細く繊細な繋がりが生まれることになった。
第三話でした。