バーテックスの初襲撃を撃退した当日、四国中は勇者の勝利の話題で持ちきりとなった。
その他にも、壁の外でバーテックスに対抗している人々がいると言う情報が世間に発表され、四国の住民に希望と力を与えた。
しかし、その報道の中では諏訪との連絡が途絶えたことは何一つと触れられることはなかった。諏訪は壊滅した。この情報を知っているのは、大社と私たち勇者だけ。
その日の夜、若葉ちゃんはその報道を見ながら蕎麦を食べていた。
私は偶然その姿を見かけたのだが、若葉ちゃんの背中は少し寂しげに見えた。私は声をかけることが出来ず、その背中を見つめることしかできなかった。
「……白鳥さん。やはり蕎麦よりもうどんの方が美味しいと思うぞ。私には…蕎麦は少し辛すぎる…」
私にも聞こえるかどうかの声量で、ポツリと漏らされたその一言。その中には多くの感情が渦巻いていた。
きっと、通信越しであったとしても白鳥さんと沢山の話をする事は若葉ちゃんにとって大切な時間だったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
次の日も世間は私たち勇者の勝利に沸いている。食堂に置いてあった新聞の一面はデカデカと私たちの写真が載せられていた。
大々的にアピールするのは良いけど、そのデメリットを大社の人たちは考えているのだろうか。
最初の勝利でいいように持ち上げられると、いざ失敗した時が怖い。あの梅田の地下街で私が味わった人の怖さを、私は生涯忘れることはない。
「そういや私、魔女とか言われてたっけ」
私を魔女だとか抜かしていた人は今も四国のどこかで、その事を忘れて平然と過ごしているだろう。
人というのは不思議だ。された側は覚えているものだが、した側は都合の良いように記憶を改竄していく。
私はそうはなりたくないものだ。
「どうしたんですか?そんなに難しい顔をして」
その声に反応して新聞を下ろすと、目の前にひなたちゃんの顔があった。
「……近くない?」
「もう少し驚いてくれると思ったのですが」
「なんかごめんね?」
以前も希望と似たようなことがあったような、なかったような。
ひなたちゃんの隣に希望が並ぶと、私の顔を見るなりにくくっ。と小さく笑った。
「ひなたさん。琴音はその程度だと驚かないよ。もっとこう、ドカン!と爆弾の一つでも爆発しないと」
「驚く以前にそれだと琴音が死んでしまわないか?」
「真面目に…考えすぎ…よ。乃木さん」
私を除いた皆は一緒に食堂に来たらしい。時計を見るといつの間にかお昼時となっていた。
私はここで一時間近くも新聞と睨めっこしていたと言うのか。
「皆お昼は何を食べるか決めた?」
私が聞くと、愚問だな。と言わんばかりに皆口を揃えた。
「「「「「「「うどん(よ、です)」」」」」」」
うーん。この有無を言わさずうどんを食べる姿勢。立派な香川県民すぎる。
希望なんか、前に一度だけおすすめのお店に連れて行ったら一時そこに入り浸っていた。うどん恐るべし。白い粉から作られてるのは伊達ではない。
「それなら私もうどんにしよ〜」
結局私もうどんを食べる事にした。カウンターで注文し、秒で出てきたうどんを持って先に戻る。
この時、面白いのはそれぞれ頼むうどんで個性が見て取れることだ。案外、この時間が好きだったりする。
「相変わらず琴音は普通のなんだ」
「希望は逆にどんだけ好きなのさ。明太釜玉。あなた、大阪出身でしょうが」
「大阪出身者が明太子好きになっちゃいけない理由なんてないですよ〜」
ニコニコとこれまたはち切れんばかりの笑顔。本当にどんだけ好きやねん。明太釜玉。
その後も各々うどんを手に席に戻ってきた。やっぱり選ぶのは十人十色。私、一生タマちゃんのチョイスだけは理解することはできないだろう。肉ぶっかけうどんはちょっと脂ギッシュすぎやしないか。
食事を行い始めて数分。タマちゃんが言い出した。
「なあ若葉。みんなで話し合ったんだけどさ」
「なんだ?」
若葉ちゃんはうどんを啜りながら、怪訝そうな顔をする。
「やっぱりお前がリーダーやってた方がいいよ。今まで大社に言われてきたから、その通りにしてたけど昨日の戦いでよくわかった」
「どうしたんだ急に」
「いやさ、この前の戦い、お前が戦闘に立ってくれたから、タマ達も戦うことが出来た。そうでなかったら、誰か大怪我してたか……もしかしたら全滅もしてたかもしれない」
実際にタマちゃんの言う通り、バーテックスの三分の一を若葉ちゃんが1人で相手していた。
「……私は戦うことはできる。リーダーとしてなら、友奈か琴音の方が……」
「ごふっ!」
私は若葉ちゃんのリーダーに最初から賛成だったので、この会話には静観を決め込んでいた。だと言うのに、唐突に若葉ちゃんの口から私の名前が出てきたせいでむせこんだ。
友奈ちゃんは私とは違い、何も考えていなさそうにぽけーっとしている。うどん美味しい。くらいの気持ちではなかろうか。
「な、なして私」
「琴音ならわかるだろう?私はあまり、士気を上げたりすることは向いていない。伊予島が戦えるようになったのも、郡さんが戦えるようになったのも2人のおかげだ」
「らしいけどユウちゃん」
「みたいだね。琴ちゃん」
私と友奈ちゃんは顔を見合わせる。同時に頷き、2人の考えは一緒だと言うことを再確認した。
「私はパス。大阪の一件でリーダーには向いてないってはっきりしたし」
「私もリーダーは若葉ちゃんがいいと思う!」
私と友奈ちゃんの言葉に、杏ちゃんも身を乗り出すようにして言う。
「私も、若葉さんがリーダーをやるのがいいと思います!」
「……私も反論はないわ…。あなたの活躍は確かだった…。それに、高嶋さんも、あなたがリーダーに適格って言うから」
千景さんも若葉ちゃんの方を見ずに、ボソボソとそう言った。昨日の今日で恥ずかしいのかな?なんて思ってみたりする。
若葉ちゃんは一度私たちを見渡すと、静かに頭を下げた。
「……ありがとう」
自分がリーダーでいいのか。そんな疑問がなければ、私と友奈ちゃんに先程のようなことは言うまい。
けれど、今回のことで確信が持てただろう。皆、若葉ちゃんを信じようと決めた。それが少しでも伝わればいいと思う。
「良かったですね。若葉ちゃん」
ひなたちゃんと希望は微笑ましげに若葉ちゃんを見つめていた。
「ところで…そう決まれば若葉。一つ言いたいことがタマはあったんだ」
タマちゃんはジト目を若葉ちゃんへと向ける。
「どーして、お前はタマのことを名字で呼ぶんだ?友奈は友奈って呼ぶし、琴音は琴音って呼ぶのに」
「私は前に名前で呼んで言ったからね!」
タマちゃんの疑問に、友奈ちゃんは元気よく答えた。
「私も若葉ちゃんとは幼馴染だし」
言われてみればだが、確かに最初会った時から私が名前で呼んで。と言うまではずっと『秋山』だった気がする。
「確かに、私も名前で呼ばれたことないかも。時折、忘れられてるんじゃないかって心配になるよ」
タマちゃんに便乗するように希望は言う。
逆に私はあなたの名字を忘れそうですよ。なんだっけ。綺麗な名字してますよね。
「のぞみっ!だよなっ!せめて私も球子とか、親しみを込めてタマッチでいいのに」
自分の同じ気持ちの人間を見つけたからか、タマちゃんは希望の方を見て、うんうんと頷いている。
「実はタマッチ先輩、若葉さんに一度も名前で呼ばれたことないの気にしてるんですよ」
「はあっ!?そっ、そんなことないし!別に気にしてないしっ!」
からかうような杏ちゃんの言葉に、タマちゃんはムキになって否定する。
「あと、私のことも名前で呼んでください」
「あんず!お前、よくタマの言葉に乗っかったな!」
「私も名前がいいな〜。ほらほら。コールミーのぞみ!」
3人のやり取りを見ながら、千景さんもポツリと言った。
「……私も…名前で呼んでいいわ…」
「「「!?」」」
驚きの表情で若葉ちゃん、タマちゃん、杏ちゃんが千景さんを見る。
「……なに、よ」
「いや、少し意外だったと言いますか…」
若葉ちゃんが言うと、千景さんはそっぽを向いた。
「それと、今度から敬語はやめて…ほしいわ…。1人だけ敬語というのも、むず痒いもの……。秋山さんも…」
「えっ!いいんですかっ!?」
「……どうして、ダメだと思ったの…」
「私、てっきり千景さんには遠ざけられてるのかと」
「………偶然よ」
偶然らしかった。どちらかと言えば、私が千景さんのことをもしかしたら避けていたのかもしれなかった。
「え〜、じゃあ何か呼び方考えるね。郡ちゃん呼びはユウちゃんの特権だから……。チカちゃん?」
あからさまに嫌そうな顔を千景さんはする。斜め前では今にも吹き出しそうな希望の姿が目に入った。
変だろうか。チカちゃん。可愛いと思うのだけど。
「……もう、それでいいわよ…」
私が残念そうな表情をしていたのだろうか。千景さんが折れてくれた。(今後もセリフ以外は千景さん)
私と千景さんのやりとりがひと段落すると、若葉ちゃんは先程のみんなの言葉を受け、頷いた。
「わかった。今後は皆のことを名前で呼ばせてもらう。改めてよろしく頼む。千景。球子。杏。希望」
なんだかこれでようやく、全体が本当の意味で結束できたのではないかと思える。
「それじゃあ、今からみんなで記念撮影しましょう!」
ひなたちゃんがそう言って満面の笑みでスマホを取り出した。
「今日は四国勇者の再出発記念。それと、若葉ちゃんのリーダー着任記念ということで……。ふふっ。若葉ちゃんの秘蔵コレクションが増えます」
「ひなたちゃん。ずっと集めてるもんね。首尾はどう?」
「上々です!」
「ひなた!琴音!お前たちはまだそんなものを集めていたのか!いつか絶対に消してやるからな!」
「くっくっくっ。やれるものならやってみな。私がありとあらゆる場所に保管した写真を見つけ出せるのならね!」
「琴音さんのおかげで私は容量を気にすることなく、無限に写真撮影ができます。あっ、琴音さん。例のあれ、用意しときますね」
「何かとんでもないことをしているなお前たち!?」
私たちが言い合っていると、興味を持ったのか他のみんなも食いついた。
「秘蔵コレクション?なんだそれ」
「私も気になる!私にも見せてっ!ひなたちゃん!」
「球子!友奈!興味を持つな!あ、杏も琴音に耳打ちをするなっ!」
食事中にわいわいと騒ぐ姿を、ひなたちゃんは再び密かにシャッターに納めるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
食事を終え、自室に戻る途中。希望は私に聞く。
「琴音、本当は自分の方がリーダー向いてるって思ったんじゃない?」
「思わないよ。そんなこと」
「本当に?心の底から賛成してるようには見えなかったよ」
その言葉に私の足がぴたりとその場で止まる。少し先を行った希望は振り返って、私の顔を見た。
「私は若葉ちゃん以外には務まらないと思ってる。本当だよ。でも、私は今の若葉ちゃんは少し怖い」
若葉ちゃんは今回の一件で、自分が常に先頭に立つことを念頭に置くようになるだろう。それこそが、若葉ちゃんをリーダーとして皆が認める動きだからだ。
誰よりも率先して前に出る。それは英雄的行動である。しかし、一歩間違えれば蛮勇となる。
「私は自分の経験があるからそう思うだけ」
「左眼?」
「うん。私はあの時、なにかを履き違えてた。その結果がこれ」
左眼の包帯を私は軽くつつく。
「ま、若葉ちゃんは私より強いからこうはならんよ」
「相変わらず楽観的だね。でも、仮にその時が来ちゃったら?」
その意地悪な質問に私はニヤッと笑って答えた。
「全部私が引き受けるよ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
季節は10月になっている。
私たちがバーテックスの進行を退けてから、大社は本格的にマスメディアを通じて、私たち勇者の存在を世に大々的に報じた。
私たち勇者という存在を表舞台に出すことによって、世間を安心させることを選んだのだ。
私たちが年端も行かない少女たちだからか、注目度は一層高まった。誰もが勇者という存在に注目した。
「………くそっ!どうしてこうなった!」
私は悔しさのあまり拳を壁に打ちつけた。
「琴音…。仕方ないよ……」
「どうして…どうして私がよく行っていた骨付鳥の店が……」
「仕方ないよ…。勇者のうちの1人がよく出入りしてるって聞いたら、そりゃ人集まるよ……」
私は思わぬ形でメディア報道の餌食となっていた。一昨日くらいに雑誌で掲載された記事に、私がよくここに出入りしている事が載せられたのだ。
(意味わからん。せめて盗撮じゃなくて私本人の口から聞けよ!)
店主もびっくりだろう。こんなに店の前でウロウロされるのは迷惑ではなかろうか。
私は自分の詰めの甘さを痛感した。メディア、怖い。
「別の場所探す?」
「……諦めるよ。それと、しばらく街中に出るのやめる」
私は大人しく来た道を引き返し、丸亀城へと戻った。
そもそもなぜ私が街中に出てきたのかと言うと、大社から特別休暇をもらえたからだった。
勇者の力は精神面に大きく左右される。それ故、あまり詰め込みすぎて疲れていても意味はない。リフレッシュしていいと言う大社のありがたい配慮である。
「チカちゃんは実家戻ってるんだっけ」
「みたいだよ。昨日の夜、私とゲームしてる時に言ってた」
「高知だっけ。結構遠いのに頑張るね」
「私の実家は大阪だよ」
「張り合わなくていいから」
ほんとたまに子供っぽくなるのだから、困る。
「あっ。待って。寄るところもう一つあった」
私はくるりと方向転換して、馴染みのある通りへと足を運んだ。希望もそれで何かわかったのか、私の後をついてきた。
数分歩くと、この辺りには似合わないくらいに大きな家が見えた。私の生家だ。
洋風の作りなのに、庭には弓道場があると言うこの謎テイスト。後付け感が半端じゃない。
「あたりに誰もいない?」
「私が見つけられるのはバーテックスだけだよ」
「いつか人も感知できるようになってよね」
近くに人がいないことを確認してから、私は門を開いて中に入る。
久しぶりに踏み込んだ家は、無駄に大きく感じた。
玄関の前まで来てインターホンを鳴らすと、『はーい』と言う声が聞こえてくる。
「琴音です」
それだけ言うと、インターホン越しにドタンバタン!と言う慌てたような音が聞こえてきた。
「奏、なにしてんだろ」
「さあ」
プツッ。とインターホンの接続が切れた音がしたと同時に、玄関の扉が開く。
すると中からロケットの如く希望に体当たりする一つの影。
「希望ちゃん!久しぶり!」
「三葉ちゃん!」
元々仲が良かったと言うのは聞いている。お互いに1年ぶりの再開だ。そりゃ嬉しいだろう。
その奥から奏ちゃんが慌てた様子で出てきた。
「希望ちゃん。琴音ちゃん。久しぶり!とりあえず入って入って」
奏ちゃんは私たちに家の中に入るように促した。私と希望はそれに従って中へと入る。
「急に来たからびっくりしちゃった」
「こっちこそごめんね。奏ちゃん、元気そうで良かったよ」
「おかげさまで。琴音ちゃんがこの家を貸してくれなかったら私たち、路頭に迷って。本当にありがとう」
「この家の権利、全部奏ちゃんに預けたい気分」
私がここに戻ることはない気がする。と言うより、ここにいると過去に縛られてしまいそうで嫌だった。
「我が物のように扱うのはまだ抵抗あるかな」
そう言って奏ちゃんは小さく笑った。
「希望ちゃんも身体は大丈夫なの?」
「私はオールオッケー!毎日うどん食べてたら治ったよ」
「三葉も心配してたんだから。でも、本当に元気そうだから安心」
奏ちゃん親みたい。と言おうとしたが、なんと言うことでしょう。ここにいる人達、皆親がいないではないか。
妙な共通点を作り出してしまった。口には出さないでおこう。
「うどんは万病に効くんよ」
「確かに…三葉の体調は最近良いような?」
2人してうどんを神格化しようとしているのはさておき。私はここに来た理由は奏ちゃんに会いに来ただけではない。
必要なものがあって、それを取りに来たのだ。
「少し2人で話してて」
私はそれだけ言い残して、二階の自分の部屋へと向かった。
今は誰も使ってはいない部屋は3年ぶりに入るにしては綺麗すぎる。奏ちゃんが掃除をちゃんとしてくれていたらしい。
「どこだっけ…。確か……。っと、あったあった」
勉強机の中にしまった『それ』を取り出し、私は持ってきていたトートバッグに放り込んだ。
奏ちゃんが見た可能性もあるが、そこは気にしないでおこう。
私が2人のもとに戻ると、かなり会話が弾んでいる様子だ。
「聞いてよ琴音。三葉ちゃんが私の演奏聴いて自分もフルートやりたいって!」
「まあ、今は生活するだけで精一杯だから諦めてもらうしかないけど」
即刻希望の嬉しそうな目を破壊する奏ちゃん。意外にリアリストらしい。
「いーよ。私、払ってあげる」
「「!?」」
2人の視線が一気に私に集中した。
「知り合いから定期的にとんでもない額のお金が振り込まれるんだけど、いつもその半分くらい近くの孤児院に寄付してるの。そのついでという形でいいのなら払うよ?」
ポカーンと口を開け、何を言っているんだ。と言わんばかりの反応だ。その口の中にパンでもちぎって投げ入れたい気分になる。
「自分のために使わないの?」
「自分のためだよ?」
私があっけらかんと答えるものだから、奏ちゃんは一度考え込んだ。それでも、彼女は首を横に振った。
「大丈夫。三葉には我慢してもらう」
「そう?」
「うん。このままだと私、誰かに助けてもらってばかりだから。生活費も琴音ちゃんから貰ってばっかりだし。これ以上は何も望んじゃいけないと思う。三葉には私が働けるようになったら買ってあげる」
奏ちゃんの気持ちを私は尊重することにした。それに、きっと奏ちゃんがこの絶望的な世界で生きていく新しい活力になるだろう。
そうなれば良いと思う。やっぱり、家族の力は偉大と言うべきか。
「で、さっきから私の方をチラチラ見てるけど」
「琴音、どんだけ貰ってるのかなあって」
「えーっと、ざっとこんなもん?」
指でとりあえず七桁を示し、その後に人差し指を立てる。
「じゅっ!?」
「そんなにいらないとは言ったんだけどね」
送り主曰く色々混みでこの額らしい。それでも、中学生には貰うにしてはあまりにも多すぎる額である。
現在、私の後見人はその人とも言える。非常に憎たらしいが。
「本当に必要な額だけ貰って、好きにして良いって言われてるからあとは全部寄付してる」
「私の知らないところで凄まじいことしてたのね」
「私の成果じゃないけどね。お父さんの苦労が何故か私にフィードバックしてきた感じ」
しみじみと頷いている希望を横目に、私は奏ちゃんを見る。
「他に困ったことはない?」
「私は大丈夫。三葉もなんとか馴染めてるから」
「そっかそっか。なら、私はそろそろお暇しようかな」
私は改めてトートバッグを担ぎ直すと、玄関に足を向けた。希望と奏ちゃんも座っていたソファから立ち上がると私の後を追いかける。
「私、後から戻っても良い?もう少し奏と話したいんだけど」
希望のその言葉に頷くと、希望は嬉しそうにガッツポーズした。私は「ちゃんと帰ってきてよ」とだけ伝え、玄関で靴を履くと、奏ちゃんに別れを告げた。
「またいつ来れるかわからないけど、困ったことがあったら前みたいに教えてね」
「うん。本当にいつもありがとう」
「それじゃあね」
手を振って、私は奏ちゃんに背を向けた。いつか来る。そうは言ったが、この家に戻ることはこの先ないだろう。
休暇が終わればバーテックスの侵攻は激しさを増す。こんな呑気に旧交を暖める余裕もない。
この家を本格的に手放すのは私なりの覚悟の現れとも言える。思い出を捨て、現在だけに執着する。現実を直視するための第一歩。
「過去は捨てる。そうすれば痛みもなくなるから」
私は自分の勉強机の中から抜き出した一冊の日記帳を取り出す。
そこに刻まれた下手なひらがな。小学一年生から二年生の途中まで他者からの悪意に晒され、やり場に困った感情を学んだばかりの文字を使って書き殴った。
これは希望に見せるわけには行かない。こんなもの、どうして今まで残していたのかと我ながら不思議でならない。
「今更…私にお金なんて渡して……。どう言うつもりなんだか……」
その日記に度々登場する名前。父を捨て、またお金目当てで金持ちと再婚した挙句、私が勇者に選ばれたと知るやいなや突然後見人に躍り出た女性。
「お母さん…。私、あなたのことは一生わからないよ」
私に痛みを与えるだけ与え、都合の良い時には寄り付いてくる謎の存在。私にはそれがとても奇妙で、不愉快だった。
私はその日記を1人の信頼できる人に渡し、焼却してもらう事にしてある。その手配をひなたちゃんがしてくれた。
指定された場所に行くと、1人の青年がいる。私はその人に近づくと、日記を手渡した。
「お願いします。箕輪さん」
「かしこまりました」
「中身見ないでよ」
「み、見ませんよ」
箕輪さんは苦笑いを浮かべ、それをしまう。彼は任務は遂行したとばかりに足早に去っていった。
「箕輪さんって漢字読みづらいよね。三ノ輪とかにしてくれたら、誰でも読みやすい気がするのに」
適当にぼやいてから私は丸亀城へと戻った。なんだか、あれを捨てることができたおかげで肩に乗っかっていた大きな荷物が二つ取り除かれた気分だ。
明日も確かまだ休暇は残っている。何をしようか考えている間に、私は丸亀城についたのだった。