「お、怒ってる?」
私の過去を聴き終えた所を見計らって襲撃したのだが、思いのほか効果覿面だった。希望の狼狽えようは見ていた正直面白かった。
「いや、全然。私は私でさっき自分のことが解決できたからここに来たんだけど…。まさか若葉ちゃんの口から私の話を希望にされるとは思ってなかった」
怒っていない。それは事実でもあり嘘でもある。それに正確な答えを出さず、私は希望の横を無視してベッドに横たわる若葉ちゃんを見下ろした。
「私、若葉ちゃん達に貰ったものが大きずて、大事すぎて、手放せなかった。だから、これまでの若葉ちゃんがとんでもない失敗をしても私は何も言えなかった。けど、今回は別」
そう言って私は右手を振り上げた。次の瞬間、パァンと言う乾いた音が部屋内に響き渡る。平手打ちされたと言う事実に若葉ちゃんも希望も突然のことで唖然とし、反応が鈍った。
「どうして1人で突っ込んだの?」
私はあくまで冷静に。そして冷徹な態度を持ってして若葉ちゃんに詰め寄った。若葉ちゃんも「それは…」と言い淀んだ。当然だろう。なぜなら今の若葉ちゃんはその答えにどう足掻いても辿り着けないのだから。
「琴音、それは今若ちゃんも考えてーーー」
「ごめん。今だけは希望は黙ってて。もう一度聞く。どうして若葉ちゃんは1人で突っ込んだの?」
間に取り入ろうとした希望だが、私の静止で話すのを止める。その目は大阪の時の私を見ていた時の目にそっくりだ。
私はそんな希望の視線を振り解き、若葉ちゃんに再度視線を向けた。
「……私の力不足だ」
「答えになってない。私が求めてるのは反省じゃない。どうしてその行動に至ったかの理由を聞いてる」
「琴音。今はその辺にしておいて。若ちゃんも今必死になって答えを出そうとしてる」
再度止めに入った希望の顔を見て、私はこれ以上追求するのをやめた。
「………わかったよ。これ以上は何も言わないでおく」
「ありがとう」
「希望の頼みとあれば断れないのが私だよ。んーじゃあ、怒るだけでも良いんだけど過去の決別もこめて私からアドバイス返し」
私は若葉ちゃんたちのあのアドバイスがあったからこそ、今日までやって来れた。だけどそれは同時に私への呪縛となっていた。若葉ちゃんたちから貰ったものを大切にしすぎるが故に、誰かを危険に晒した行為をしたとして怒れない。それがあの戦いで気づいた私の弱点。
だからここで捨てるべきだと思った。一見優しさに見える、その悪意を。
「私のように捨てられるといいね」
「……捨てる?」
「そだね。ま、退院してからでも考えるのは遅くないと思うよ。それに退院した時に考えた方が私はいいと思うな」
私は言いたいことだけを言い終えると、若葉ちゃんに何も言わずに足早に部屋を出た。後ろで希望が若葉ちゃんに「ごめん、行くね」と言ってバタバタと慌てた様子でかけてくる。希望が追いかけてくるのも計算の内だ。
「琴音。どうしちゃったの」
「どうしたもこうしたも、私の中の踏ん切りをつけただけだよ」
そうしないと行けなかった。今回のことは必ず起こるべき出来事だった。そんな私の説明に希望は何やら口をもごもごとさせた後、何故か唐突に笑い出した。
「え、怖いよ」
「あははは。琴音は難しいなあ」
「そりゃ私の人生はハードモードだけど?」
希望はケラケラと笑いながら、私の軽口を聞き流した。
「ちなみになんで叩いたの?」
「あー、なんと言うか。私の怪我した分。後は、若葉ちゃんに目を覚まして欲しかったからかな。本当は叩くつもりなんかなかったんだけどね……。なんか勝手に人の過去話すし、諸々込みで私の中で何かが暴れて手が出てた。退院したら謝らないと」
私が早口で捲し立て、足早に病院を出ようとする姿を見ながら「意外に不器用だよね〜」などと宣う希望。本当に厄介である。
「けど、初めて若葉ちゃんにイラついちゃったのは事実……」
「そっか」
「私の中で若葉ちゃんは『希望』なの。そんな人があんな行動して、クヨクヨしてる姿を見るのは嫌」
「あまりにも独りよがりで私びっくり」
「私の過去を勝手に探ってる人が何を言ってるんだか」
私の呆れ混じりのため息をすら希望は嬉しそうだ。やっぱり思う。どうしてこうも笑いかたと言うか。その辺りの表情が私に似てきたと。
私なんかより希望の方がよっぽど可愛らしい。それが私色になってしまって行っているのは少しなりとも残念である。
「ま、私は信じてるよ。若葉ちゃんは、自分でこの困難を乗り越えるはず。しばらくはみんなからの視線は痛いだろうけどね」
もれなく千景さんは最も若葉ちゃんに対してキツくあたるだろう。本当に思うのは友奈ちゃんが大きな怪我をしなかったことだ。怪我でもしてみろ。きっとこの世の終わりに人類は一歩近づく。
「で、琴音はこれからどっちで生きてくの?」
「なんの話?」
「悲壮的で冷静沈着。そんでもって冷酷な東郷琴音か。それとも楽天家でお気楽を地で行くような秋山琴音か」
そんな話もしてたなと希望に聞かれてから思い出した。私の中では既にその程度の問題なのだ。答えなどもうさっき出ている。
「希望。この世にはハイブリッドと言う言葉があるのをご存じかい?」
「待って。ずるくない?」
「冗談冗談。私は結局、昔の自分は好きになれないみたいだよ」
「けど、さっき捨てたって……」
「うん。ぶん投げたよ。けどさブーメランって知ってる?」
「………ここまで自分に都合が良い人間見たことない」
「親友を叩くのが正しい人間のあり方だとするなら私はそれを全力で否定するね!」
今度は冗談じゃなかったか〜。と希望は立ち止まって天を仰いだ。
私、常々思うのだけど希望はもっと物事を柔軟に考えるべきだ。そして屁理屈というものを覚えるべきだと。
(まあ、捨てきれなかったのは私なんですけどね)
結局私は大阪の時も思ったが卑怯者なのだと思う。卑怯者で欲張りだ。今のを茶番だと思うのならそう思えばいい。私はこの複雑な自分自身を少しだけでも整理できたことに意味を感じている。
(けど…今は。若葉ちゃんが己の弱点に気がつくまでは……)
私は『東郷琴音』であるべきなのだ。でないと、また同じことが起きる。絶対にそれだけは避けなければない。
私の目の奥を覗き込んだ希望は今の私がどちらかなのかをすぐに見抜いたようだった。
「琴音らしいと言うか。なんと言うか。その変な責任感はどこから出てくるのやら」
「変なとか言うな」
私が唇を尖らせると、希望は明後日の方を向いて誤魔化す。それからまた希望は振り返って若葉ちゃんの病室の方を見た。
「そう言うことなら、若ちゃんにも早く気づいて貰わないとね。このままだと琴音、そのうち若ちゃんに矢を打っちゃいそう」
「いつの話してるの」
「大阪〜。いや〜。業が深いねえ」
「君もその片棒担いでるんだよ!?」
「いや。だって私。あの時止めたし」
「私、自分を卑怯だとは思ってるけど希望も大概かも知れんね」
希望はそんなことないよ〜。などと供述し、鼻歌を口ずさみながら私の前に出てそのまま先を歩いて行く。
こんな時でも呑気なものだな。と私は希望の背中を追いかけた。
それから1週間もする前に若葉ちゃんは退院した。だが、やはり皆若葉ちゃんとどう接していいのかわからないのだろう。雰囲気はこれまでで1番酷い。
私は1人、丸亀城の庭に備え付けられた簡素な弓道場で弓を引き、的を狙っていた。今の所、今日は全発全中だ。こんな時に限って非常に調子は良い。引き絞った弦を解き放つと矢は真っ直ぐと的に向かっていき、真ん中に命中した。
「ふぅ。とりあえずこんなもんで今日はいいでしょう」
今日の出来栄えに満足して、私はその場に座り込んだ。ぼーっと屋根の隙間から見える青空を仰げば、心持ちは穏やかになる。
しかし、その青空は美少女の顔によって遮られた。
「私にあまり嫉妬させないでおくれ」
「私は可愛いからね。琴音の視界に映るだけで嫉妬させちゃうのは承知の上だよ」
冗談きついよ。と私がわざとらしく顔を歪めて見せると、希望はそれすらを上回るスマイルを持って私を撃退した。
「で、何。用事があるから私のところ来たんじゃないの?」
「用事がなくても私は琴音の隣にいたいな〜」
「私も希望が隣にいないのは寂しいからね」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないの。なら、琴音はしばらく寂しい気持ちを抑えながら生活してね」
突然なんのこっちゃ。と私は無言で希望を見た。
「私これから大社に戻ることになった。ひなたちゃんも一緒」
「おおぅ。これまた突然な。戻ってきてはくれるんだよね?」
「うん。それはもちろん。そうだなあ…3日4日ってところ?」
それを聞いた私はこれまたわざとらしく「3日!?」と目を丸くしてみた。
「あまり寂しそうじゃないね」
「こうやって虚勢張っとかないと泣いちゃいそうだし」
「本当?」
「ほんとほんと」
「どうだか……」
私と希望の軽口の応酬はしばらく続いた。どのくらい続いたかはわからないが、多分10分近くは会話を続けていたように思う。長すぎである。
「ちなみにいつ行くの?今すぐ?」
「んー、内緒」
「内緒なんだ」
理由は聞いても教えてくれないだろう。そんな雰囲気を感じ取り、私はそれ以上は追求しなかった。
ひなたちゃんがいなくなるのは若葉ちゃんにとっても痛いだろう。なんせ、今唯一相談できそうな相手なのに、その人がいなくなってしまうのだ。私も今や味方とは言い切れないだろうし。
「それでひなたちゃんから伝言ね」
「自分で言いにこればいいのに……」
「『若葉ちゃんには何も言わないであげてください』だって」
「私、そろそろ答え出してあげたいよ?見てらんないもん」
「そこを我慢してってことでしょ」
もれなくひなたちゃんの言いたいことはそう言うことなので私は仕方なく受け入れることにした。
「何をそんなに迷うことがあるって顔してるね」
「うわっ。バレた?」
「そんな気がした。言っとくと、自分のかなーり深い悩みをそうポンポンと解決してく琴音の方がおかしいんだからね?」
希望の言い分に、私はそんなことないと否定しておいた。けど、希望からすると私はやはり変態の部類らしい。本当に女の子に言っていい言葉ではない。
「今回のことはそれだけ若ちゃんには大きいってことだよ」
「私の悩みが大きくないみたいな」
「だから。その大きい悩みをすぐに解決しちゃうのが変態ちっくって言うてるんです」
埒が明かなさそうなので私は諦めた。もういいよ。私は変態で。
「えー、なら私は変態だから」
私はニヤッと笑うと隣に座っている希望に突如抱きつく。だが、希望の反応は私が想像したものとは全くと言っていいほど異なっていた。
「もっと嫌がって欲しかったんだけど。あと無表情で私を見るのやめて」
「琴音に抱きつかれてもねえ。待って。嫌がって欲しいの?」
「うん」
「私はまだ琴音のことを全然知らなかったらしいね」
希望はそう言うと私を優しく押しのけた。そのあと、立ち上がって身体を伸ばす。その姿は時間はここまでと言っているようだった。
「充電も済んだし、準備してくるよ」
「私との会話を充電と言ってくれるの嬉しいね。惚れそう」
私の冗談に希望は既に私が琴音に惚れてるよ。などと言う冗談なのか本気なのかわからない言葉を残して弓道場を立ち去った。
「嬉しいもんだね」
私はその背中を見送りながらも、赤くなってしまった顔を希望に見られまいと必死に顔を背けたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
次の日、本当にひなたちゃんと希望は丸亀城から姿を消した。とは言っても私は窓から2人が出ていく姿を見ていた訳だけども。
早朝、まだ日も昇らない薄明のうちに2人は大社の使者に連れられて寮を出て行った。巫女に大社からの召集に拒否する権利はない。
何度もひなたちゃんは丸亀城を振り返っては前を向いてを繰り返す。今の若葉ちゃんの状態を考えたら痛いほどにその気持ちはわかった。
2人を見送った後、私は欠伸を噛み殺しながら部屋を出ると廊下で意外な人物に出会した。
「おはよう。杏ちゃん早いね」
「おはようございます。琴音さんも人のこと言えませんよ」
小さく可愛らしく笑う杏ちゃん。タマちゃんも可愛がる理由はよくわかる。
「琴音さん。少し外、歩きませんか?」
「杏ちゃんから誘ってくれるなんて珍しいね。是非とも行くよ」
誘いに乗った私と杏ちゃんは寮を出て、久しぶりに丸亀城の敷地内から外に出た。
まだ外は暗く、冬場ということもあって死ぬほど寒い。ただ、寝ぼけていた頭はスッキリと冴え渡った。
「琴音さんの戦う理由はなんですか?」
商店街に差し掛かったところで杏ちゃんは藪から棒に私に問いかけた。なんでも千景さんとひなたちゃんが2人で話しているところを目撃したらしく、若葉ちゃんの戦う理由が問題だと千景さんは言っていたらしい。皆着目点は同じと言ったところか。
「私の理由ねえ……。私はみんなを守りたいから?」
「どうして疑問形なんですか」
「私もその理由ってやつに関しては自信がないからね」
若葉ちゃんに対して問うばかりだが、私は私で理由なんて聞かれたら本当に怪しい。
私は目についた自販機で温かい飲み物を買うと、杏ちゃんに投げ渡す。杏ちゃんは渡された飲み物が思っていた以上に熱かったのか、手でお手玉しながら受け取った。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
私も自分の飲み物の蓋を開けて一気に身体に流し込む。冷えていた身体があったかくなってきて調子は更に上がった。
「話戻そっか。杏ちゃんは若葉ちゃんにどうなって欲しいの?」
「私はもっと『今』を見ていて欲しいと思ってます」
「私も一緒」
私も若葉ちゃんもそう。過去に囚われすぎたから今との気持ちにズレが生じて訳がわからなくなるのだ。その点、千景さんは私に近い何かありそうなのにあまり囚われてはいなさそうに見えた。
「何かから解き放たれる要因ってなんだろ」
私は千景さんのことを思い出して、杏ちゃんに聞いてみる。千景さんは初戦を除けばかなり前向きな気持ちで戦っていると思う。それも、歪んでそうに見えて案外純粋な気持ちでだ。
地元に戻った時に何かあったのかは知らないが、人は案外簡単に変われるのだと私はその時思った記憶がある。
「私はどちらかと言うとこれまで後ろ向きな気持ちで生きてきました。病気がちだったのもあるかもしれません」
「聞いたよ。入院してる時もあったって」
「そうですね。だから、私はずっと本の中に閉じこもってればそれで良かったんです。本の中は理想の世界で私も想像すればその世界で元気に走れ回れましたから」
照れ笑いしながら過去の自分を思い返す杏ちゃんは私にはどうしてか綺麗に映った。きっとその過去を良いものだと今なら思えるからかもしれない。杏ちゃんがそう思っているからさておきだけど。
「でも私はあの日から全てが変わりました。良い意味でも悪い意味でも私は現実の世界に引っ張り出されたんです」
「バーテックスとタマちゃん?」
杏ちゃんは頷いた。
「タマッチ先輩はバーテックスが来た日に私を守ってくれました。私にはその時のタマッチ先輩が王子様に見えたんです。けど、やっぱり現実は突きつけられました」
そこからは私が知らない杏ちゃんとタマちゃんの話だった。最初に避難した小学校にバーテックスが来たこと。それが本当の初戦で、その避難所にいた人が全滅してしまうほどの惨敗だったこと。
「私はタマッチ先輩のおかげで生きながらえたみたいなものでした。だから、私はそれに少しでも報いたかった。けど…力が私にはなかった…」
タマちゃんと言う絶対的なヒーローのようになりたいと言う思い。だが、そうはなれないという葛藤。なりたいと思うと同時に突きつけられる「自分は弱い」と言う現実。それを突きつけられるのはとても辛かっただろう。そんな気持ちが杏ちゃんの中で渦巻いていたとは思いもよらなかった。
「あっ。ごめんなさい。長々と」
「いいよ。気にしないで。で、そんな葛藤に突然終止符を打ったのが」
「はい。琴音さんです」
「その役目、私がしても良かったのかなあ……」
それだけタマちゃんに憧れがあったのなら私じゃなくてタマちゃんがすべきだったのではないかと思った。私の考えを察したのか杏ちゃんは首を横に振った。
「私は琴音さんで良かったと思います。断言します」
「……そっか」
「長々と話してしまいましたけど、結論としては予期してない意外で身近な人からの助けの言葉や行動ってのは結構大きいってことですね」
一理あるなと思った。私が解放されたのも身近な人の行動だった。私の中で改めて今の若葉ちゃんに必要なものが固まる。
必要なものは二つ。『今』を見る目と意外な身近な人の存在。
(その役目は私ではないな……)
条件に私は含まれない。他の誰かに任せなければならないとは非常にもどかしいものだ。
それから杏ちゃんは何やら決心したのか力強く頷いた。そして真っ直ぐ私を見る。
「若葉さんのことは私に任せておいてください!」
なんだかものすごいやる気だった。どうしてそこまでやる気なのかと私が聞こうとする前に杏ちゃんはニコリと笑った。
「琴音さんに全て背負わせるわけにはいきませんから」
それはいつぞや私が杏ちゃんに言ったことだった。あの言葉は同時に『東郷琴音』としての決意を意味していたと今の私ならわかる。
杏ちゃんがそれに気がついたのか、それとも勘なのか。希望と若葉ちゃん。そしてひなたちゃん意外に『東郷琴音』のあり方を知るものはいない。何の情報もなしに辿り着いたと言うのなら、私は杏ちゃんを侮っていたと言ってもいい。だとしても私は意外な形で行おうとしていたことを否定された。何故だかそれが今は無性に嬉しく感じた。
「ほんと、誰かに言った言葉がよく返ってくる人生だよ」
私はこれまでの人生を簡潔に振り返って、思わず口の端が緩んだ。
それから私と杏ちゃんは他愛のない話をしながら市内を散歩したあと、丸亀城へと戻ったのだった。
その日の授業終わりだったと思う。杏ちゃんが若葉ちゃんを連れて街へと消えていったのは。
私とタマちゃんは教室でその背中を見送ったあと、2人でその場に残って会話に勤しんだ。
「なんで杏のやつ突然若葉を連れてたったんだ?」
「さあね。私もよくわかんない」
本当は知ってるが、私は敢えて知らないふりをした。その方が良いような気がしたからだ。
「食えない人ね。あなたも」
同じく教室に残った千景さんは小さく笑う。大体事情はこの人もお察しなのだろう。
「でしょ。私を食うなら相当の覚悟をしてきてもらわないとね」
「ふふっ。そうね…」
「おっ!千景が笑ったぞっ!こりゃ明日は雨でも降るか?」
「土居さん…。あなたは…もう少し、言葉を選んだ方が…いいと…思うわ」
「そもそもチカちゃんがこうしてここに残ってること自体が珍しいよね。私もタマちゃんに一票」
「…本当…失礼極まりない…わね…」
そうは言うが千景さんの表情は暗くはない。千景さんは本当に初戦の頃に比べたら相当丸くなった。そうなった理由は知らないが、あの頃のように特に突き詰められた感情に突き動かされてるようには到底思えない。
ただ、なんだか私に対する対抗心とか言うのは日に日に高まってるようでならない。寝首をかかれぬようにせねばと言う決意を今ここに表明しておこうと思う。
「私だって…笑う時は…笑うわよ……」
その後の話は聞きたくないと言わんばかりに千景さんはヘッドホンを装着した。しかし、その場を離れる気は無さそうだ。
「チカちゃん、可愛い〜」
「……やっぱり…私はあなたのこと…苦手かも知れないわ……」
「苦手になっては困るよ。と言うわけで私にゲーム教えてよ〜」
「…仕方ないわね……」
「琴音ばかりずるいっ!タマもだっ!今度こそ千景を倒せるようになりたいからなっ」
暑苦しい。と文句を垂れながらも千景さんは私たちに色々と教えてくれた。ワイワイと3人で盛り上がり、久しぶりにこの教室を覆っていた重苦しい空気が無くなったように思う。
ただ、私はこの時なぜ気づかなかったのかと数日後になって自分の目を疑うことになる。
いつもいるであろう。高嶋友奈というもう1人の存在のことを私は失念していたーーーーーー。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
高嶋友奈はとある人物と接触していた。いや、接触させられたと言うのが正しい。1人教室を密かに抜け出したのもこれが理由だった。
なぜ友奈がこうしてここに呼ばれたのかは本人が1番聞きたいところだった。偶然、以前街で困ってそうなのを見かけ助けたのが全ての始まりではあるのだがーーーー。
「お待たせ、高嶋さん」
待ち合わせに指定されていた路地裏のカフェにその人は来た。
「あ、どうも……」
何事もにも物怖じしない友奈ではあったが、目の前の女性は2回目で既に苦手だった。友奈自身が毛嫌いする。それがどれほど異常なことか本人が1番わかっていた。
「改めて自己紹介させてもらうわね。私は東郷…あー、今は勝手に秋山とか名乗ってたわね。秋山琴音の母親。弓弦(ゆずる)です」
そう言って琴音の母親。京極弓弦は仮面に絵の具を塗りたくったような出鱈目な、そして全くもって信用ならない笑みを浮かべたのだった。