戦装束を纏った勇者達の一度に進める距離は常人の比ではない。その一飛びで100メートル進むことなど造作もなかった。
ただ、まあ巫女はそう言うわけにもいかず、ひなたちゃんは若葉ちゃんが。希望は私が背負って行くと言うことになったのだがーーーーーー。
「……どうして若葉も琴音もお姫様抱っこをすることに抵抗がないんだっ!?」
「改めて考えると、なんだか見てるこっちが照れてきます!」
ある地点で休憩しようと、立ち止まった時の会話だ。私と若葉ちゃんは同時に首を傾げた。
「「普通じゃない?(ではないのか?)」」
周りの反応がどうしてそんなにこの行為に過敏に反応しているのかわからなかった。何度も言われたことを反芻してみたが、生憎どこも変ではないと言う結論は変わらなかった。
「…まあ、…あなた達が、変だと思わないなら…良いと思うわよ…」
若干呆れた口調で、千景さんは言う。
「でもなんだか、王子様とお姫様みたいだね!」
千景さんとは対照的に友奈ちゃんは目を輝かせた。ひなたちゃんと希望は何故だか、少し照れている。
そこでふと、気づいたのか千景さんが私と若葉ちゃんが背負ったままの荷物を指差した。
「……重くない、の?」
「私はなんとも。若葉ちゃんは?」
「私も特に考えてはなかったな」
確かに何か背負っていると言う感覚はあれど、邪魔とはいかない。この不思議な境界線に名前をつけたいのは私だけではあるまい。
「じゃあ、はい!」
突然伸ばされた友奈ちゃんの手の意図がわからず、私は友奈ちゃんの手を軽く握った。拳で戦っている割には柔らかいなあ。という感覚が脳を支配する。思わず二度、三度と手のひらの感触を確かめてしまう。千景さんの視線だけがどことなく痛かった。
そんな私に呆れ気味な言葉をかける声がまた一つ増えてしまった。
「琴音。多分、違うぞっ」
タマちゃんに言われ、私は再び、はて?と首を傾げた。
「どう見たって荷物持つよ。だろっ!!」
「あぁ、そういうこと。本当に良いの?」
「うん!みんなで運べば平等だしね。あっ、若葉ちゃんも!」
と言うわけでなんだか自然と役割分担が決まっていき、気づけば私たちは神戸に到着していたのでした。と言う余談です。
神戸に到着するまでに目立った戦闘は起きていない。大社のバーテックスの動きが沈静化していると言う話は本当だったようだ。
大社は今回の調査を行う前に実験を行い、2つの結果を得た。1つ。勇者の力は結界外でも問題なく使える。2つ。結界外の環境の変化は特にはなく、むしろ浄化傾向にある。
そして私たちの目的を再確認しておこう。私たちの目的は2つ。1つ。他の人類生存地域の確認。2つ、地質や水質調査のためのサンプル回収。
「意外にやること多いなあ」
私がボソッと呟いたのを千景さんに聞かれていたらしい。
「……まさか貴女…旅行気分で来たわけではない…わよね?」
「あ、あはは〜。半分くらい?」
久しぶりに病室以外の空気に触れられているのだから、ちょっとは浮かれさせて欲しいと言うのが私の願いだ。
能天気な人ね。と言うつぶやきを聞き逃しはしなかったが、器の大きい私はすんなり見逃した。
私は手でスッと足元に広がる砂を触る。本州の土だ……。なんてカッコつけて呟いてみても四国との違いなど全くもってわからん。
「格好つけても恥ずかしいだけだよ」
「の、希望までそんな目しなくても」
涙目になりそうなのを堪えながら、私は触れた砂をサンプル入れに保管する。私が腰を上げたところで、若葉ちゃんが皆に声をかけた。
「今からそれぞれ別れて調査しよう。Aは私とひなた、杏、千景。Bは琴音、希望、球子、友奈で行こう。異論はあるか?」
若葉ちゃんが聞くと、皆異論は無いと首を横に振る。それから私たちは近場のフェリー乗り場を集合場所に据え、それぞれ別の方向へと向かったのだった。
改めて神戸の中心地区を見てみると、それはもう酷い有様だった。建物は崩れ、瓦礫まみれの道路。更に進行を妨げるように並ぶ車の数々。
歩き回るのも困難なほどの状況に、もはや生存者はいないのでは?と思わされた。
コツン。と足に何か当たったと思えば、風化した『何か』の骨だった。生きている私をじっと見つめてくるような気がして、私はその骨をせめてもの弔いになればと近くの花壇の中に供養した。
「にしてもこれ、全部あいつらがやったんだよな」
供養が終わったところで、他の場所を見終わったのかタマちゃんが戻ってきた。その表情から生存者は発見できなかったのだと暗に伝えられ、私は何も聞かなかった。それはタマちゃんも同じだった。
「そうとしか考えられないよ。……仮に今、目の前にバーテックスが来たら私、自分を忘れちゃいそう」
口にはしてないが、神戸の一つ前の調査場所。倉敷の現状を目の当たりにしたくらいから、私の中に不思議な苛立ちが募っている。
罪のない人々がどれだけ殺されたのか。それを想像するだけで私はどんなことにも手を染められる気もした。
「コトちゃん。こっちも何もなかった」
「唯一あったのはこれだけ……」
私が自分の手のひらをじっと見つめていると、近くを捜索していた友奈ちゃんと希望も戻ってきた。希望は手に一枚の紙切れを持っている。
「何それ」
「手紙、かなあ?」
そう言って希望が見せたのは、推測通りどこの誰に宛たかわからない手紙。最後まで書ききれずに残されたその手紙は無常感を放っていた。
どうしたものか。と4人で一緒に顔を見合わせて考える。
「ん?待って、その手紙になんて書いてある?」
どの部分を読み取ったのか、友奈ちゃんが見せて。と希望から手紙を受け取った。それに釣られるようにして、私と希望、タマちゃんは同時に手紙を覗き込んだ。
「誰かにってのは擦り切れてるからわかんないけど……。名前?があるね」
「めい…くかけ………千………。まさかねえ」
声に出して読んでみたが…まあ、普通に考えたらあり得ない。それにいくらでもこの世に似た名前の人はいるだろう。
ある種の可能性を考えては見るが、その可能性はとことん私の中で否定されていった。
(仮にそうだとしても、あまり本人に見せるものでもないよね)
とりあえずその手紙は希望が保管することに決定した。捨てよう、という結論に誰も至らなかったのは私の感じた『もしかしたら』を感じたからかもしれなかった。
その時、希望が顔を上げると声を響かせた。
「みんな、あれ……!」
瓦礫の陰に数体の白い化け物。ーーーーバーテックスが蠢いている。
私は希望を後ろに下げさせると、即座に【生弓矢】の鶴を引いた。友奈ちゃんもタマちゃんも同時に武器を構える。
「タマちゃん、ユウちゃん、頼める?」
「任せて!」
「おうっ!琴音は希望を!」
友奈ちゃんとタマちゃんは同時に地面を蹴った。2人の連携は見事なもので、一瞬にしてバーテックス達を撃破した。
私が放った矢は牽制の一本のみ。バーテックスを見た瞬間に飛び出そうとさせるほどの激情。それを抑え込めたのは、まだ自分の心が正常だと言うことを痛感させる。
「ありがとう2人とも」
「このくらいはなんてことはないっ!な、友奈っ!」
頷いて手を合わせる友奈ちゃんとタマちゃんはとても頼もしく見えた。これならば私がそう前に出る必要もないだろう。
なんだか遠くからもの凄い音が聞こえてくるが、一旦無視をすることにした。
「もう少し捜索しよっか」
私の提案に、3人とも頷いたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
瓦礫をどかしながら「あーでもない。こーでもない」と何やら呟く琴音の後ろ姿をわたしは眺める。
先程の戦闘時、琴音の手は震えていた。恐怖といえば恐怖だろう。それも、別ベクトルの恐怖。
琴音は賢いから、わたしが先日出したヒントから答えには辿り着いているはずだ。切り札のデメリットを知れば、琴音も切り札の安易な使用を辞める事だろう。
けど本来ならばーーーーーー。
(自分の心が精霊に毒されてるとは…気づかない方が平和だよ、ね)
そう。平和ではあるのだ。でも、琴音が感じていた恐怖。それを感じてしまってる以上は琴音の思考のどこかには何かしらの影響。というものがあってもおかしくはない。
(わけがわからなくなるだろうに…。顔に出さずによく頑張ってるよ)
わたしの視線に気がついたのか、琴音は顔を上げるとニコッ。と笑顔を見せる。良かった。いつもの琴音だ。そんな感想が湧き上がり、自然とわたしは安心してしまう。
「琴音。ちょっと休まない?」
わたしがそう声をかけると、琴音は頷いて友奈ちゃんと球子ちゃんを呼呼ぶ。声をかけた琴音は足元の瓦礫をどかしながら、わたしと会話できるところまで距離を詰めた。
わたしはそんな琴音になんと無く問う。
「ねえ、琴音」
「うん?」
「あ、いや。身体は大丈夫?」
何を聞くべきなのか。自ら琴音に聞いておいて、わたしはその内容を思わず言い淀んだ。
しかし、琴音はわたしのそんな所など気にした様子を見せずにケラケラと笑う。
「私は大丈夫だよ。見ての通り!」
「それなら良かった。まだ病み上がりなんだから無理しないでね」
「任せときい。私ほど自己管理を徹底してる人もそういないから」
自慢げに胸を張る琴音に、わたしは思わず「誰が言ってるんだか」と鼻で笑ってしまった。
「笑うなんて酷い」
「笑わせるような事を琴音が言うから悪い」
それを聞いた琴音はふふっ。と小さく笑うとわたしの腕にコツン。と軽く拳をぶつけた。
「なに?今の」
「せめてもの抵抗」
なんて可愛らしい抵抗なんだ。とは声に出さなかったが、琴音にしては珍しく年相応の反応をみれた気がした。
こんなやりとりをしている間にも球子ちゃんと友奈ちゃんは戻ってきていた。
「なんだか楽しそうだったけど、どんな話してたの?」
友奈ちゃんにそう聞かれ、琴音はなんてことないよ。と首を横に振った。教えてあげれば良いのに。と思わなくもないわたしです。
と、ここまで楽しげに会話していたのは良い。わたしは琴音ばかりをこうして心配しているわけなのだが、琴音同様の切り札使用回数を誇る人物がもう1人いるではないか。と言うことに鈍足な思考がようやく追いつく。
(え、大丈夫だよね。今の所、何一つその気配は大社もわたしも感じてないけど……)
郡千景。琴音に次ぐ2回の切り札使用。若葉ちゃん、杏ちゃんは0回。その他は各々1回ずつ。冷静に考えれば、千景ちゃんの切り札使用に関する影響も調べるべきではなかったのか。
それに気づいたのは後の祭り。こうして調査に出てきてしまった以上、四国に戻るまでは現状維持をしてもらう必要が出てきてしまった。
(……千景ちゃんも、琴音同様にそこそこ無理するからなあ……)
先程の戦闘時に聞こえてきたとんでもない破砕音。琴音も僅かに反応を示していたが、もれなく千景ちゃんのもので間違いないだろう。
わたしは困ったことにならなければいいなあ。と言う漠然とした不安を抱え込みながら、楽しい会話に花を咲かせるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
郡千景は自分たちを取り囲んでいたバーテックス達を倒し、肩で息をしている。
元来、千景は自分を苛ませた過去によって他者を信用しない。それでも、この丸亀城に来てからは少しは仲間を信じてみよう。と言う気になったのは紛れもない事実である。
その話は今、ひとまず置いておこう。千景は思う。自分はここまで他者に向けられた理不尽というものに怒りを覚えるほど、敏感だったろうか、と。
「……千景さん」
ひなたからかけられた声に千景は反応を示さなかった。今、ひなたと若葉の方を見て仕舞えば先程から胸の内に巣食う魔物が牙を剥いてしまいそうになる気がしたからだ。
苛立ち。苛立ち、苛立ち……。本州から来てからこんな感情ばかりが胸を満たす。
「千景、少し落ち着け。どうしたんだ、一体……」
そんな千景に伸ばされた若葉の手を、千景はーーーーー。
パァン。と言う乾いた音共に拒絶した。
だが、若葉の手を弾いたと言う行動に、千景自身が目を見張っていた。
(どうして?私はなぜ乃木さんの手を?)
何も叩くことはなかったはずだ。それは少し考えればわかる。だと言うのに、千景は反射的に若葉の手を拒絶した。それはどんなバグか。
どうにも、このバグは一筋縄でアップデートされるようなものではないと見た。それに勘づいた千景は、若葉から視線を逸らし言葉だけで謝意を伝えた。
素直に頭を下げれば良いのに、恥ずかしくてそれが叶わない。いつの日か、琴音は千景を素直ではない。と評した。まさにいう通りではないか。と千景は思わず鼻で笑いそうになる。
「ごめんなさい……。生き残りを、探すのでしょう?」
ふう。と小さく息を吐けば心持ちは少しは楽になる。心配して声をかけてくれたひなたと若葉に謝り、千景は2人に背を向けて先に進んでいった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そんな千景を冷静に分析する視線が一つ。杏が俯きながら先を行く、千景の背中を見つめていた。
分析、と言うにはあまりにも大袈裟である。言ってしまえば、通学路にある日一輪の野花を発見した時のような、そんな軽い発見である。
(……今までの千景さんとは、何か違う)
何が違うのか。そのあまりにも抽象的な問いに明確な答えを杏はもう少しすれば用意できるような気がした。
杏の分析力、視野の広さ。思考の柔軟さ。そのどれらも琴音に気付かされ、若葉に褒められた杏の才能だ。その元より持ち合わせた天賦の才は、あと一つのピースさえ収まれば、一つの危険な結論にたどり着くだろう。
そしてそれを知ってしまった時。自分自身はその秘密を隠さねばならないのだろうか。
(もう一度、ちゃんと調べないと)
ひなたと希望が言っていた、琴音が倒れる前に放った一言。
その他者に対する憎悪。それは杏が知っている琴音とはあまりにも掛け離れたもの。そんな一言が出る理由が必ずあるはずだ。
そこには、いつからか協調性を重視し始めた千景とは思えない、今回のように激情をぶつけるかのような行動と何か繋がりがあるに違いない。
次々に脳の別々の回路と回路が、接続されたような感覚を杏は感じた。そして流された直流電流。回路と回路は激しく脳というエンジンを過剰活動させた。
(今はこれで良い……。四国に戻る前に答えを出しておかないと)
何か、取り返しなつかないようなことが起きるような焦燥感に全身を包まれる。
誰でも良い。この事はきっと、誰か1人が気づいた瞬間に解決ーーーーーーー。
「あ、れ?」
過剰に稼働したエンジンに、第三者がひとまず止まれ。そう言わんばかりに冷水をかけてきたような感覚。
「杏!危ないからあまり離れるな!」
それまで後ろに追随していた杏が突然立ち止まったことに気がついた若葉は、杏に声をかけた。その声で杏は意識を引き戻される。
「すみません!すぐ行きます!」
若葉に返事をして、杏は小走りに3人のもとへと向かった。
ふと、走りながら杏の耳にこびりついた一つの笑い声が杏のことを小馬鹿にするように、聞こえてくる。
(……琴音さん。あなたは、どちらが本性なんですか?)
きっとこの問いにもそのうち答えは見つかるだろう。と言うより、二つの問題は同時に解決されそうであった。
杏も1人、もう戻ることの許されない問いに足を踏み入れたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
集合時間になり、若葉たちがフェリー乗り場に向かうと既に琴音達のグループは到着していた。
何か見つかったかーーーー。そう聞こうとしたのを、若葉は途中でやめた。対面にいる4人は喜びとも、悔しさだと言う感情のどれ一つと浮かべていなかった。ただ、目だけで「何も見つからなかった」と伝えている。
「そうか。こちらも同じだ」
若葉も首を横に振り、この神戸では一つとして成果がなかったことを告げた。
太陽は既に傾いている。これ以上の調査は無駄足であるとこうも突きつけられるとかける言葉を見当たらない。
「琴音、いや。球子の方が適任だな。野営をするならどこが市内はやめた方がいいか?」
若葉は神戸市に踏ん切りをつけ、野営の準備に取り掛かろうと球子に問いかける。楽しいキャンプ…とは意地でもならないが、それでも野営するなればアウトドア知識のある球子に聞くのが順当な選択肢と言えた。
「野営するなら綺麗な水がないところでないとダメだ。タマたちはあまり水を持ってきてないしな。それに、ご飯を作ろうと思ったら火もいる。木も集めやすいところがいい」
球子は若葉の問いに間髪入れずに答える。その自分の出す答えには何一つ間違いはないという経験から来た、明確な自信による早さと言えた。だからこそ、若葉はその言葉を信ずることができる。
それに球子のいう通り、若葉達は飲料水を荷物が多くなる。という理由で多くを持ってきてはいない。飲料水は現地調達すべし。と言うのが今回の調査の方針の一つでもある。
「となると……場所はーーーーーー」
それから若葉達は球子を先頭に場所を変えた。そう。六甲山の麓にあるキャンプ場だ。着いた頃には完全に陽は落ちていた。
「……タマっち先輩がキャンプしたかっただけでは?」
ジト目で球子を見つめる杏。球子はその視線にぎくっと肩を震わせるも、正論を持ってしてその場の皆を納得させる。
「ほ、ほら。見ろ、杏。ここには薪もあるし、そこに川もある!何から何まであるんだぞっ!」
あまりにも球子の必死な説得に、逆に杏は引いてしまった。そんな杏を琴音がまあまあ。と嗜める。
琴音の目は一緒にキャンプしよ。と語りかけてくる。もはやキャンプと言ってしまってるではないか。とは死んでも口にはしない若葉だった。
「でも、確かにタマちゃんのいう通り動画はたくさんある。私はここなら野営できると思う!」
この友奈の一言が後押しとなったのか、各々野営。もといキャンプの準備を始めた。
一応、調査をしつつ、若葉は火を起こすための薪を集める。木々を拾いながら、若葉は先程から暗い現実ばかりを突き付けられているこの状況で、少しは楽しめることがあっても良いのではないか。と思った。
若葉自身、この世界の朽ちように気分が落ちていたということもあった。
3年前までは確実にあった人々の生活。それがたったの2日あまりで崩壊する。天変地異という言葉で簡単に片付けるのは容易い。だが、そんな簡単な一言で済ませて仕舞えば、失われた命が浮かばれない。
「今を生きる人のために戦う…とは言ったものの、こうなるとこの決意も揺らぎかねないな」
亡霊に足を取られることはもうない。それは若葉自身が断言できる。その亡霊以上に、若葉を繋ぎ止める存在が近くに7つもあるのだから。
だとしても、見せられたものはそう簡単に頭を離れることはない。
「大丈夫?若ちゃん」
市内の様子を思い返し、手を止めた若葉に近くにいた希望が心配そうに声をかけた。
「ああ。大丈夫だ」
若葉は希望を安心させるように微笑んだ。
と、ここで次は逆に若葉が首を傾げる番だった。
「琴音はどこに行ったんだ?希望と一緒にいるものだと思っていたが」
琴音と希望は基本ワンセットだと勝手に若葉は思っている。それは今回、ここに至るまで希望の護衛を買ってし続けていたのを見れば明白だった。
若葉の問いに希望は少しバツが悪そうな顔をする。喧嘩でもしたのか?と若葉は再び首をかしげた。
「喧嘩なんてとんでもない。なんか、1人になりたいって言われちゃってさ」
「琴音のやつ、変な草でも食べたか?」
若葉がそんなことを自然に口に出してしまうほどには琴音の行動は不思議だった。
「いくら食い意地の強い琴音と言えどそれは……」
ない。と言いかけたのを希望はやめた。
思い当たる節でもあるのか!?と若葉は内心ワクワクが止まらなかった。特別、そう言った草に興味はない。だが、人の性質を変えてしまうような草があるのだというのならお目にかかりたいと思うのは自然な感情だろう。
「まあ、琴音病み上がりだし、あまり弱ってるところ人に見られるの苦手そうだからさ。1人でゆっくり休みたいんじゃないかな?」
「確かに琴音らしい。さすが、希望は琴音のことをよく知ってる。私やひなたよりも琴音のことを知り尽くしているのではないか?」
それはどうだろ。と照れ笑いに近い、はにかんだ笑みを希望は若葉に向けた。
その可愛らしい笑顔に、若葉は微笑みで返す。
気がつけば手の中は木の枝でいっぱいになっていた。
「危ないし、共に戻ろう。こんなところで希望が傷付いたら、私が琴音に何をされるかわかったものではないからな」
そんな絶妙に冗談に思えなさそうなことを口走る若葉に、希望はまた可愛いらしい笑みを向けたのだった。それはこの荒廃した世界に咲く花に見える。
若葉はなるほど。と納得した。あの琴音がこんな世界で2年間も頑張れた理由。それは間違いなく、この笑顔を守るためだったのだと。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私はキャンプ場の近くにある小川の隣に腰掛けている。暗くて水面に映る自分の顔は見えやしない。それでもわかる。今の自分はとても酷い顔をしていると。
皆が野営の準備をしているというのに、自分はサボっていると言う罪悪感。しかし、その罪悪感すら打ち消してしまうような疲労感。ともすればその疲労感に飲み込まれて目を閉じてしまいそうだ。
「バーテックスが来たらお陀仏か……。それはちょっと嫌だな」
仮に殺されるのなら勇者の誰かに殺されたい。なんていう冗談を口の中だけで呟く。
それにしても本当に昼間から私のことを小馬鹿にするが如く、背後から耳打ちをしてくる影をどうにかしたいところだ。
なんだかもうここまで来たら対話の一つくらいはしてやろうという気になる。……とは言っても、そんな気持ちは等速直線運動もかくや。と言わんばかりの一方通行。
「言い争いの一つでも出来たら、私はあんたに勝率10割の自信はあるよ」
それはある種の宣戦布告。影はその宣戦布告を素直に受け取ると、口の端を持ち上げる。
その影はまさしく自分。それは既に認知している。そして一度、影という名の自分自身を【生弓矢】で殺しているということも。
(ったく……。今日は店じまいだよ。私の宣戦布告を買ってくれたなら、今は家に一度戻れってんだ)
心の内で悪態をつく。
そしてせめて一本でも何か枝の一つでも持って帰ろう。おもむろにそう思った私は、足元に落ちていたとんでもなくデカい枝を一本拾うとその場を後にしたのだった。
私が戻る頃にはどこで見つけたのか、テントが張られ、すでにご飯の用意は終わっていた。他の人から見れば、私はご飯の匂いにつられて山から降りてきた獣の類とそう変わりはないのではなかろうか。
「琴音さん、遅かったですね」
ひなたちゃんはそんな私を咎めることなく、早く輪に入ってください。と手招きした。
私はその優しさに今は甘え、みんなの輪の中に入る。和の中心には焚き火があり、それぞれの顔を明るく照らしていた。
「バーテックスに食べられてると思ったよ」
希望は私が隣に腰を下ろすなり、そんな物騒なことを言う。むしろ私が踊り食いしてやるよ。なんて冗談を返せれば良かったのだが、既にそれをした人物が目の前にいる手前、実績解除とはならないのが悔しいところ。
ちなみに先程拾った枝は途中で捨てた。どう見たって使い物にならなさそうだったので当然の処遇だ。
「仮にそうだとしたらもう少しみんな慌ててくれてもよくない?」
「琴音をみんなが信頼している証明になってよかったではないか」
「う、嬉しくない……」
仮に私が貪り食われていたとして、この人たちは手元の持ってきた乾燥麺タイプのうどんを優先するかもしれない。
私の価値は時と場合によってはうどんよりは下らしかった。
「はい、琴音さん」
私が悲しみにくれていると、ひなたちゃんがお皿によそってくれたうどんが差し出された。私はお礼を言ってそれを受け取る。
火を起こすのだったり、調理したりする知識というのは当然必要なわけで。タマちゃんのアウトドアの経験がここで生かされるとは……。感動に似た驚きを感じながら、私は作ってくれたうどんを啜った。
「美味しい……」
「だよね!やっぱりみんなで食べるうどんは最高だよ!」
一口食べ、思わず私の口からこぼれ出た感想に友奈ちゃんが明るく言う。
昼間は酷い光景ばかり見せられていたからだろう。私の荒んでいた心は、少しだけ安らぎと言うものを思い出した。
「ところで、琴音さんはどこで何をしてたんですか?」
しばらく他の子たちの会話に耳を傾けるだけで、うどんに集中していたのだが、ひなたちゃんの声に私の意識は引っ張り戻される。
どこで何をしていたか。という質問に対し、私はどう答えればユーモアチックになるだろうか。と割りかし真面目に考えた。
「いや、焚き火するって聞いたから。野生動物でもいないかなって」
こう。原住民がやるみたいにさ。と言えば、それだけで私が何を言いたかったのか理解してくれた。
私的にはなかなかに良い回答だと思ったのだが、反応は三者三様。予想していた通りの反応とは言え、もう少し笑ってくれれば良いのにとは思う。
まあ、面白くなかったから誰も笑わないわけで……。私は密かにこの感性を鍛える訓練をすることを誓ったのだった。
私が誓いを立て、そう言えば全然話してない人がいるなぁ。と千景さんの方に視線を向ける。
千景さんは、ぼーっと。何か物思いに耽るように空を見上げていたのだった。
夕飯を終えると、みんなで川に入って汗を流すことにした。
とは言っても、季節は初春。冬ではないとは言え、どう考えても冷たくないわけがない。それに加えてバーテックスが来ないとも限らない。後者は見張として千景さんが引き受けてくれたわけなのだがーーーーーー。
「いや、冷たすぎない!?」
前者はどうにもできなかった。私は足を水面に突っ込んだ時点で全てを察する。あ、これ死ぬやつでは?と。
私がこれ以上先に進むのを躊躇っていたその時ーーーー。
「がぼっ!?」
何やらとんでもない量の水を顔で受け取った。おまけに第二波、第三波と避ける間もなく飛来し、顔だけでなく、全身が濡れ鼠。
手で顔の水を払い除けると視界が鮮明になり、その犯人を一望の元に納める。タマちゃんが、それこそどこで拾ったのか桶のようなものを持っていた。凶器所持。現行犯逮捕。
「………………」
私は無言で川の中に入る。先程まで抵抗感を感じていた冷たさは、もはやどうでも良くなっていた。
「こ、ことね。そこまで怒らなくてもよくないか?タマも別に悪気があったわけでは……」
無言のまま私が目の前に来たタマちゃんは、私が本気で怒ってると勘違いしているらしく、結構本気でびびっていた。
身長はもれなく私の方が高いので、どうしても見下ろす形になる。それがどうにもタマちゃんには怖かったらしい。
「仕返しに何かしようと思ってたけど……。掴むほどのものもなかった」
少ししゃがんで、私はタマちゃんの胸元を見た。その後、ハッ。と鼻で笑い飛ばした。
「おおおおおおおい!!それは禁句だろっ!!」
「知らないね!人に水かけて喜んでるような人が善悪を語るのは片腹痛い!!」
それから私とタマちゃんは川の中で取っ組み合いを始めた。そこに何故か途中参戦してくる友奈ちゃん。もはや色々と混沌とした戦場にこの場は変化したのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「げ、元気だね。あの3人」
暴れる琴音とタマちゃん。友奈ちゃんのは対照的に、わたしとひなちゃん。若ちゃん、杏ちゃんは静かにその身を清めていた。
あそこまで元気なのは見ていて楽しいのだが、同時に危なっかしく感じる。
「冷たい水の中で動けば体力を奪われるだけなのにな」
「ええ。まったくです……」
若ちゃんに同意の意を示すひなちゃん。杏ちゃんも首を縦に振っていた。そしてこの穏健派の4人が気にすることはただ一つ。自分たちが巻き込まれる可能性である。
案の定、特大の水の塊が若ちゃんを襲った。
あ、やべ。なんて顔をしてるのは琴音だった。お前が犯人かい。とツッコミを入れたくなる衝動を抑え、今は静観することにした。
だと言うのに、あの馬鹿な相棒は巻き込むなら全員巻き込んでしまえ。などと言うアホな理屈を持ち出し、私たち全員にタマちゃんと一緒に水をかけ始めたのである。当然ながら参戦しないわけにはいかない。正義は勝つ。
「ほらね、言ったでしょタマちゃん。希望はああすれば乗ってくるって、ぶほあっ!!」
「ことねー!?」
「貴様ら。どうしてこう言う時くらいは落ち着いていられないんだ!」
んー、まあ。先に結論だけ言っておこう。枢軸国こと琴音とタマちゃん。友奈ちゃんは若ちゃんというたった1人に敗北した。末恐ろしいことこの上ないとはこの事だ。
そんな楽しい?一幕は一瞬にして過ぎていくもの。わたしはどちらかと言えば、川の縁で1人空を眺める千景さんが気になってならなかった。その背中は酷く悲しそうに見える。
「千景ちゃーーーー」
「ぐんちゃん」
わたしが声をかけようとした矢先、別の方向から千景ちゃんを呼ぶ声。いつのまにか、友奈ちゃんが千景ちゃんの隣に座っていた。
あまりの瞬間移動。これが、愛!?などと言うふざけた感想はともかく、わたしは自分以外の誰かが千景ちゃんに寄り添ってくれているのが不思議と頼もしかった。
いや、元々わたしは千景ちゃんには警戒されていた。唯一気を許したのは友奈ちゃんだけだったはず。わたし以外。と言うのはあまりにもおこがましかった。
(友奈ちゃんがいてくれるなら、なんとかなるかな)
千景ちゃんは最近、比較的精神的に安定していた。それが突然乱れ出した。その一点だけで警戒する理由にはなる。
ただ、友奈ちゃんさえいれば千景さんの心はそう簡単に崩れることはないだろう。
安心しきったわたしは声をかけるのをやめ、体を拭いている琴音の方に足を向けた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
全員が水浴びも終え、それぞれが仮眠をとることになった。テントの中では友奈と千景意外のメンバーが疲れをとっている。
友奈と千景は、見張りをしつつ、か細くなってしまった焚き火の火を2人で囲んでいた。
「ぐんちゃんは、優しいんだよ」
「………」
千景は友奈だけに今の自分の抱えている感情を吐露していた。一通り聴き終えた友奈は優しい声音で、千景に言う。
「けど、私は…そんな事を考えるような……」
人じゃない。そう言おうとしたところで、友奈は千景の唇にそっと人差し指を触れさせた。
それ以上は無し。と友奈が千景に笑いかける。
「私難しいことは何一つ言えないけど。ぐんちゃんは優しくて、強くて。仲間思いの良い人なんだよ!それに、この世界を見て、ぐんちゃんと同じような気持ちになる人はきっと多いと思うんだ」
友奈も昼間目の当たりにしたのだ。無惨に崩れ落ちた建築物。横転し、道を塞ぐ車の数々。地面はひび割れ、荒れた畑や花壇。そして、犠牲になった人の残骸。
常日頃、明るく前向きな友奈でさえ、あの光景にはメンタルがごっそり削られた。それでも……。友奈はまだ1人は生き残っているかもしれない。という希望を一切捨ててはいなかった。
「だから、あまり深く気にしないのが良いと思う!」
結局、友奈が言いたいのは最後の一言だけだったらしい。それでも、千景は心持ちが少しだけ楽になった気がした。
「ありがとう。高嶋さん」
「どういたしまして!あー、明日は大阪かあ。もっと遠くまで行くんだよね。私たち」
大阪の後は岐阜、名古屋。そして諏訪。さらに北上し、北海道まで行ければベスト。そう言った計画だった。
いくら勇者の力で身体が強化されてるとは言え、これほどまでの長距離移動は身体に来るものもある。
「大阪と言えば、確か……」
ふと、自分で言った地名に関して思いあたる人物が2人ほどいたのだろう。友奈は首をかしげた。
「吾妻さんと……、秋山さん、ね」
千景はテントの中で今頃寄り添ってスヤスヤと眠っているであろう2人の姿を想像した。
自分の地元がこんな残酷な現実に陥っていると知ったら、希望はどうなるのだろう。千景は希望の心の強さというものを実は知らなかった。
千景にとって希望は良きゲーム仲間。友奈の次に信頼を置いて話せる人物だった。そんな大切だと思える人が辛い目に合うのを目の当たりにしなければならないと思えば、千景の心も苦しくなる。
「あれ。そう言えば、高嶋さんもーーーー」
「そろそろ時間だからタマちゃんとひなたちゃん起こそっか」
千景が友奈の出身について聞こうと思った矢先、それを遮るように友奈は立ち上がってテントの中へと入って行った。
千景もそうだが、友奈は肝心なところで深いところには入らせないようにしている節がある。しかし、それに千景は気づけそうで気づいてはいなかった。
それ故に、その性質がとんでもない間違いを起こすことになるとはこの時は2人ともわかるはずもなかったーーーーー。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夜明けの冷たい風をその身に受けながら、私たちは神戸から移動して大阪の地に辿り着いた。
段々と希望の表情が固くなって行くのをみながら、私もそれが伝わったのか妙な緊張感が湧き上がる。
「大丈夫?」
「琴音こそ、そんな顔してたら人のこと言えないよ。……本当に戻って来れたんだ。私……」
私の腕の中から、破壊され尽くした大阪の街を見る希望の目は酷く切なげだった。間違いなく、街の破壊のされ方や朽ちかたは2年前の比ではない。
梅田の崩れかけた高架の上に私たちは着地した。
「希望……」
私の腕から下ろされ、破壊され尽くした街を無言で見つめる希望に若葉ちゃんが声をかけた。
希望にとってここは故郷だ。そんな大切な場所が、こうして世界に横たわっているとなると希望の気持ちも理解できる気がした。
「あそこにはさ、本当は公園があったんだよ」
希望が指をさした所は崩壊したビルの残骸で埋め尽くされていた。そこに公園があった。と言われてもにわかには信じがたいことではあった。
「あそこの通りは本当なら人で溢れかえってた」
2年前のあの日も、仲間と食事を楽しむ人がたくさんいたと言う。そこは今では見る影もない。ガスのようなものが大規模に爆発したのか、道の所々にはまさしくクレーター。と呼ぶのに差し支えない穴がいくつも開いている。
「……ごめん。ちょっと感傷に浸ってた。琴音」
「なに?」
「少しだけ、どうしても付き合ってほしいところがあるの」
それは私と希望だけで。と言うことなのか、それともみんなでとなのか。それを考えるにはあまりにも時間がなさすぎた。
私は若葉ちゃんに目配せして、指示を仰いだ。
「さすがに琴音1人では危険だ。そうだな…千景。琴音と希望に同行してやれないか?」
「……私?」
若葉ちゃんに指名された千景さんは、驚いた様子で私と若葉ちゃんを見る。
「千景がいてくれるなら琴音も希望も危険が少なくていいと思ったのだが……。ダメか?」
若葉ちゃんは私たちにも確認するように視線を向けた。希望は首を横に振る。けれど、本当は誰も踏み込ませたくない、希望の唯一の領域がその先にあるのかもしれない。そう、私が気がついた時にはもう遅かった。
「若葉ちゃん、希望はーーーー」
「琴音」
私が振り向くと、希望は大丈夫。と首を再び横に振った。
「琴音は自分の力を過信しすぎだよ。千景ちゃん。お願い」
何気なく言われたその言葉は、私の心を大きく揺さぶった。
自分の力を過信している。誰が?誰が自分の力を過信しているって?
何故だろうか。私は、普段ならば絶対に気にしないところに苛立ちを感じた。おかしい。そう言ってくれる正しい自分と、もう1人の『あの自分』が遂に正面切って拳をぶつけ合い始めた。
「…わかったわ。乃木さん。2人は任せて」
「千景がそう言ってくれると頼もしく感じる」
若葉ちゃんは千景さんに微笑んだ。私は口を閉ざしたまま、次々に決まっていく調査内容を聞き続けた。
その内容をどのくらい理解していたかに関しては未来の自分のみぞ知ると言ったところだ。
「…とね。ことね。琴音!」
「あ、うん。どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ。行くよ」
ぼーっとしていた私に希望は「気、緩みすぎなんじゃないの?」とため息をつく。
私はそれに何か一言でも言い返せば良かったかもしれない。そう思っても後の祭り。後夜祭も終わって、残るのは後悔という名の木の燃えかす。
(あれ?なに。後悔って)
希望と言葉を交わしてから初めての感覚。その感覚は想像を絶するほど気持ちの悪いものだった。
千景さんと希望の背中を追う私の視線の端には、あの影がニンマリとした笑みをたたえ、私をじっと見つめていた。
(………なんだか、辛いなあ…)
唐突に心が漆黒の夜空に変わっていく。瞬く星々は手の届かない遥か彼方から私のことを見下ろして笑っていた。
ズキンッ。と昔付けられた腕の傷が痛む。階段から突き落とされ、消えたはずの痣や捻挫の痛み。それが幻覚となって襲いかかってきた。
(やめろ……やめろやめろやめろやめろ!!)
捨てたはずだ!とうの昔に、東郷琴音の負った傷は捨てた!それもつい先日!!私は秋山琴音だ!!これ以上、邪魔をーーーーーー。
『残念。あなたは私からは逃げられないわよ。だって、私はあなたなんだから。いくら捨てても無駄』
先程まだ遠くにいたそいつは、私の背中を這うようにそっと寄り添ってくる。
その寄り添い方があまりにも優しいものだから、私は抵抗する気がどうにも起こらなかった。数日前、夢で見た不快感などそこにはない。
(希望に…言わないと……。私、おかしいって)
希望は言った。精神的な面に異常を感じたらすぐに言ってね、と。
私は気づく。知らないうちにじっくり、ゆっくり。この影に毒を盛られ続けていたと言うことに。
『あなたは吾妻希望を本当に信用しているの?』
当たり前だ。そんなの疑うわけがない。私が希望を裏切ると言うことが、まずあってはならないのだ。
『逆に吾妻希望はあなたを信用してるのかしら』
『あなたを信用しているなら、今回郡千景は必要なかったはず。あなたがこれまでしてきたことに、不満があるからあなた以外にも助けを求めたのよ』
「違う!!!」
ハッとなった時には遅かった。前を歩いていた千景さんと希望が私の方を不安そうに見ている。
その視線はいつか私に向けられていたものと同じ。それだけで、私の心臓の鼓動はあり得ないくらいに加速していく。
「ごめん、なんでもない……」
無理矢理浮かべた笑顔はきっと不自然だったろう。でも、今はそれを信じてもらうしかない。不自然だろうと、なんだろうと。
こうして無理に笑顔を作るようになったのはいつからだったろうかという疑問がおもむろに私の中に湧き上がった。
(…………さあ、ね)
こうも自分の頭の回転の早さを呪ったことはないかもしれなかった。
今すぐこの結論という名の桶を全てひっくり返し、推論と言う名の水をあてもなくぶち撒けることができたらどれほど良いだろうか。
どれほど願っても、この私の願いは叶わない。
叶えて仕舞えば私は『影』に敗北したことになる。
ここまで来たら正面切って心が擦り切れるまでーーーー。
「琴音」
「うおっ」
目を瞑って、私なりに覚悟を決め、目を開けると顔のすぐそばに希望の顔があった。
私の心の深淵を覗くようなその目は、いつの日か私が魅了されたものと同じもの。
(そうだ。思い出した……私は、誰かをこうやって心配する希望を支えたくて…
それに気づけたのなら、まだ私は耐えられる。
でも、それは私の視点であり希望の視点ではない。
「ちゃんと私との約束、覚えてる?」
「あ、うん。ちゃんと覚えてるよ」
事実そのことを覚えていた。だけど、ここで私が頷いて仕舞えばこの調査は無駄足になる。
そして私はまた、嘘をついたーーーーーーー。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
琴音の様子がおかしくなっていくのを尻目に、わたしは千景さんに守られながら梅田にある自分の自宅を目指していた。
わたしの家があったのは中心街から少し離れたところにあるマンション。そのマンションは梅田スカイビルを近くに望むことができた。
しかし、梅田スカイビルはかつての栄光を既に失っている。ここまで近代的な廃墟が出来上がっているのならば、一部の芸術家はこぞって絵画という形でこの街を収めるだろう。
「吾妻さん…バーテックスは……?」
「大丈夫。今は近くにいないみたい」
わたしのセンサーには今の所バーテックスは引っかかってはいない。ここらの人を殺し尽くし、別の場所に移動したのかもしれない。
そう思ってしまうくらいには2年前とは様子が違っていた。
また再度琴音に視線を向けると、酷く顔色の悪い琴音がなんとかわたし達に付いてきていた。
先程声をかけた時以上にその様子は悪い。
見かねたわたしは、再度その足を止める。
「本当に大丈夫?無理することないから、休もうよ」
わたしがそう提案しても、琴音はまた笑顔を貼り付けて首を横に振る。
千景さんも難しい表情を浮かべ、小さな声で「…気味が悪い、わ」と悪態に近い事をいう。
それに非難の視線を向けると、千景さんはまた小さな声で「ごめんなさい」と言って、周囲に警戒心を向けた。
「ははは。大丈夫って言うてるでしょ。なに、希望は私のこと信用できないの?」
「そんな事を言ってるんじゃない。琴音が心配だから」
「私は希望の願いを今は叶える。家、戻りたいんでしょ?だからそれまでは大丈夫」
「その後は」
「………」
黙って視線を逸らし、琴音は倶利伽羅剣の柄を何度も握っては離し、握っては離しを続けた後琴音はまた私の目を見返して。
「私は……怖い」
「え」
独白のように琴音の口から漏れ出た言葉は、わたしを混乱させた。
「けど、怖いだけ。だから大丈夫」
一体なにが大丈夫なのか。それを聞こうとする前に琴音は歩き始め、わたしと千景さんより先を歩き始める。
その方が顔を見られなくて良い。そう言わんばかりの動き。
「……いきましょう」
千景さんに促され、わたしも後を追うようにして自宅を目指す。
そんなことがあったからか、自宅に着いた時には10分近く予定を遅れていた。
わたしはここに自分が住んでいたという実感がどうにも沸かなかった。 そう思わされるほどに、マンションは朽ち果てており、いつ倒れてもおかしくない。
立て付けの悪くなって開かなくなった自動ドアを琴音が蹴破り、中に入るとその様相は一層強くなった。
「…吾妻さんの部屋は…何階?」
「5階。まあ、低いから階段で行こっか」
それからわたし達は階段で5階まであがる。
そして遂に何年かぶりにわたしは自宅の玄関前と向き合った。
わたしはこれまで誰にも見せてこなかった自宅の鍵をカバンから取り出す。本来はオートロックだが、電気が通ってない以上方法はこれしかない。
鍵穴に鍵を刺すと、久しぶりに回される錆び付いた音と共にガチャン。と主人の帰還を待ち望んでいたかのように声を上げた。
わたしはドアノブに手をかけ、ドアを開ける。
「ただいま」
その一言を言うためにどれほどまでの苦難を乗り越えてきたか。その話を聞いてくれる家族は誰もいない。
出迎えてくれる声は一つもない。
寂しさに溢れたこの部屋にそれでもわたしは、一歩を踏み出したのだった。