「これほどとは思っていなかったよ」
「私の説明が足りなかったね……。ごめん、琴音」
私は一先ず当てがわれた狭い空間にその身を寄せた。先程までの事を思い出し、思わず私は眉間を力強く揉んだ。
希望は申し訳なさにその身を押し潰されないかが心配になる程落ち込んでいる。私が軽く肩を叩いて今一度大丈夫だから気にしないで。そう伝えても希望の肩身の狭さは変わらなさそうだ。
「むしろ希望がこの地下でまだ正常な判断ができてるだけ凄いよ」
「違う。多分、正常な判断ができてなかったから外に飛び出したんだと思う」
「うーん。それ言われると苦しいものがあるね」
「でしょ?」
「ならこんな気が狂いそうな世界を歩き続けて来た私はもっと頭おかしいね」
冗談混じりに私が自虐的に鼻を鳴らすと、希望の表情も和らいだ。
「確かにね。普通ならあり得ないよ」
希望はそう言うと足を放り投げ、外から持ち帰った戦利品の俗に言う10秒チャージを一気に胃の中に投げ込んだ。
私はその豪快な様子に苦笑いしつつ、先程までの出来事を思い出す。
「さてと、改めて現状と行こうか」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私と希望は外から戻り、地下における地獄に目を向けながら希望の友達の下へと移動した。
その子はずっと妹に寄り添っており、妹は苦しそうに玉のような汗をかいている。
希望は彼女の傍に膝をつくと、カバンの中にしまっていた薬とその他諸々を取り出し、手渡した。
「奏、これ薬と栄養剤。これでしばらくはまた持ちそう?」
「希望ちゃん、本当に行って来たの?」
「うん。だってそうしないと三葉ちゃん危ないからさ」
「化け物は?きっとこの辺りには大量の化け物がいるって大人たちが言ってたよ?」
「それは……」
どう説明しようかと言い淀んだ希望は私に目をやる。奏も希望の視線の先に釣られるようにして私を捉えた。見たことがない人物のご登場に混乱なさっている様子だ。それもそのはずだろう。今、外から連れて帰って来た人なんて恐ろしくて疑うのもわけない。
私は軽く咳払いしてから希望にしたように自分の名前を告げた。
「私は秋山琴音。少し前まで島根にいたんだけど、気づいたらここにいてさっき希望を助けてここに案内されたの。よろしくね」
「あ、はい。お願いします。秋山さん」
まだ彼女は私のことを怪しんでいるようだったが、私が背中に携えている【生弓矢】を見て、ある程度は受け入れてくれたようだった。
「私は希望の友達の奏と言います。それとこっちが妹の三葉です。あっ、早くしないとまたあの人たち来ちゃう」
「あの人たち?」
慌てた様子でペットボトルのキャップと薬の箱を開ける奏を見ながら首を傾げると代わりに希望が解説をしてくれた。
「さっき話したここを仕切ってる大人たちのこと。自分たちが生き残るためだけに卑怯な手をたくさん使ってるよ。ただ、ちゃんとルールを敷いてくれて私たちのような弱い立場の人や守ってくれてる人たちのグループもある。けど多分、あの人たちにバレて、外から物を持ち帰って来たと知られたらとんでもないことになる」
「うへぇ……。私、そんな卑怯な人間嫌い」
私が思いっきり顔を顰めると希望と妹に薬を飲み終わらせた奏ちゃんは小さく吹き出した。
「おっ。奏が笑ってるところ久しぶりに見た」
「そうかな」
「そうだよ。ずっと張り詰めた顔してたから」
奏ちゃんは自分の頬を軽く触ると確かに自分の口角が上がっていることに気がついたのだろう。奏ちゃんは気恥ずかしそうにはにかんだ笑みを私たちに向けた。
いくらか言葉を交わした後、私は奏ちゃんの足元に落ちていたノートを指差した。
「それなに?」
「これ?これは日記のような物。鉛筆とノートを地下の文房具屋さんからくすねて書いてるの」
「あの、良かったら見てもいい?」
私はあの日から何日経ったのかを実言うと把握していなかった。見ることを快諾してくれた奏から日記を受け取るとページを何枚かめくってみる。
「えっ、うそ」
「どうしたの?」
右上に書かれた日付を真っ先に見て、私は目を丸くした。希望も一緒にノートを覗き込んでいる。
「あれからもう一週間も経ってるの?」
「私たちからすれば一週間しか経ってないだけどね」
それはそれで結構な皮肉だ。外にいた人間と地下で耐える人々とでは体感速度が違うのは間違いない。
それよりも私は一週間でこの惨状となってしまった地下の現状を憂うしかなかった。これ、1ヶ月後とかとんでもないことになってるんじゃ……。そう思わざるを得ない。
希望も奏も同じことを思っていたのだろう。再び2人の横顔には陰りが見えた。
「ところで、向こうから向かってくるあの強面の大人たちってもしかして」
私の指差す先には懐中電灯の光をこちらに向けながら歩いてくる怖い顔をした大人たちの姿があった。
希望と奏は表情を一変させると広げられていた薬の箱などを無理矢理カバンに押し込んだ。
「琴音!時間稼ぎしといて」
「う、うん!まかせときい!」
だが、私が大人たちの前に立ち塞がる前に彼らは私たちの前に立ちはだかった。遥か高みから降ろされる威圧的な声。
私たちは何もなす術を何一つ得なかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「まあ、でも気持ちもわからなくはないけどさあ。いくらなんでも全部持ってくことある?それに私に今後定期的に外に物資取りに行けって。あんまりじゃない?」
あまりの理不尽さに流石の私もブチギレです。いつでも私はお前らの命を遠距離から刈り取れるんだぞって事で威嚇したい気分だ。
しかし怒っていてばかりいるわけにも行かない。勇者(自称)にあるまじき言動をしそうになったのを溜飲を下げるのと同時に飲み込んだ。
「でも、奏はすごく感謝してたよ。それに私も全部取られるほど頭悪くないさ」
そう言って希望はカバンの奥底から幾つもの三葉ちゃんに必要な物を取りだした。
「おおっ!すごい!」
「ふふっ。まあね」
わー。と手を叩く私と誇らしげに胸を張る希望。なんだかこの瞬間だけ学校のクラスでの一幕みたいで、少し日常の風景を思い出せた気がした。
それと同時に思い出すの若葉ちゃんとひなたちゃんの事。一週間しか離れていないのに胸を締め付けるほどの寂しさが再び私の胸の内に巻き起こる。
「……ごめんね。四国、早く戻りたいよね」
「あはは。本音を言うと、ね。会いたい人たくさんいるし。でも、私は自分で決めてここにいる。それが何よりの証拠だよ」
私は案外顔に出やすいのかもしれない。希望にこれ以上心配かけまいと軽く頬を叩くと気分も前向きなものへと変わった。
「まあ、いざとなれば私は希望と奏ちゃん。三葉ちゃんだけ連れてここを出るよ」
「大丈夫?変な方に前向きになってない?」
「このくらいの心持ちでいた方が多分気楽だよ。私にはここにいる全員の命を背負うほどの力はないし」
きっとそれはお役目放棄にあたるだろうが、私とて今は自分の命最優先だ。希望や奏ちゃん、三葉ちゃんはともかくどこの馬の骨とも知らない人を守る義理はない。
「と言うか、このまま行くと来月には全ての食料が無くなる計算なの相当やばいね」
「そこに私が琴音を連れて来ちゃったばかりにこんなことに……」
「ああっ!だから気にしないでって!」
「うーん。しばらく引きずるかも」
案外希望はこう言った人を巻き込むことは苦手なようだった。確かに私、言ってしまえばただの通行人ですし。ただ、やはり私は思う。こんな状況でありながら他者を気遣える希望は見習うべき人物像の1人だと。
若葉ちゃんとひなたちゃんとは別ベクトルの人としての強さを持っている。そう思えた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
地下に住み始めてから一週間の時が経った。この硬い床で寝ることにも慣れて来たところだ。私としては先週まるまるほとんど寝ていなかったのでこうして寝れるだけでもありがたいことこの上なかった。
今の所、一度も外へ物資をとりに行けと言う命令は下されていない。
しかしこの日の夜、眠りについたはずの私は響き渡る怒号で目が覚めた。一体何事かと眠たい瞼を擦る。
聞こえてくる会話は大人同士のものだとすぐに判別できたが、とてもただ事ではなさそうだった。隣で眠る希望も異変に気がついて身体を起こした。
「大丈夫かな」
「只事ではなさそうだね」
「行ってみる?」
「うん。琴音、一応弓持っていこう」
「打つの!?」
「打たないよ!?ただ、威嚇程度にさ」
「あぁ、そういう」
納得した私は弓を持ち、希望と共に駆け出した。道中、道の脇に丸々人々に目をやると何人かはこの喧嘩に注意を払っているようだった。しかし、半分くらいの人は既に興味を失っているようだ。
それだけでかなりの酷な現実を見せつけられている気がして、私は唇を噛み、前を向くしか乗り越える方法が見つからなかった。
声の元まで辿り着くとそこには赤子を抱えた女性と初日に私たちから物を取り上げたあの強面の男たちがいた。
「どうして渡してくれないんですか!」
「貴重な物資に決まってるからだろ!弱い命を救ったところで意味なんかないからだ!」
「命は命です!この子にだって生きる権利はある!」
女性が気丈に振る舞い、男たちに向かって反論を展開した次の瞬間、女性の頬が弾けた。その音で赤子がワンワンと泣き出す。その声が耳障りだったのか女性を叩いた同じ人物が赤子も凄い剣幕で殴った。何発も、何発も。母親である女性も赤子を庇おうとして一緒に何度も何度も男とその取り巻きによって殴られた。仕舞いには、人が人に振り下ろしてはならない物がその身体に突き刺さる。
来るのが遅かったと気づいた時には私は足の一歩も動かせなかった。ただ恐ろしかった。
(あれは、本当に人、なの?)
私の喉が何度も口の中の唾を飲み込もうと上下するが、唾は一切出ていなかった。目の奥が震えた。
希望も止めようと手を伸ばしたが、今割り込めば自分達も酷い目に遭わされる。そう考えたのか何度も届かないその手を伸ばそうとしてはやめてを繰り返している。
気づけば赤子の悲鳴も消えていた。その足元には赤い色の水たまりができている。母親もそれを見た瞬間、希望は膝から崩れ落ちた。
目の前で人が人を殺した。その事実は私の脳裏に焼きつき、血の匂いが更にそれを強調する。私は口を抑えて空っぽの胃の中のものを全て吐き出した。
理解することをやめられればどれだけ楽なことか。胃液のせいで口の中が焼けたようなヒリヒリとした感覚に歯を食いしばって耐えると目の前に狂気に満ちた目をした男が立っていた。
「汚ねえなクソガキが!てめえも殺されたいのか!?」
浴びせられた罵倒に対抗する力もなく、私は相手の目を睨むことしかできなかった。
ただ、相手が私だと分かったからか男は舌打ちすると仲間に命令して顔を顰めながら死体を引きずって奥へと消えていく。
その姿を最後まで見送ると全身の力が一気に抜けた。
「琴音、大丈夫?」
「これが、ここの普通、なの?」
「……まだマシになった方。本当に最初の2、3日は酷かったよ」
「マシになった!?今の人、本当に殺されないといけなかったの?絶対に意味ないよね?ねえ!希望!」
(あぁ……。そうか……)
「落ち着いて琴音!」
(もうこの世界では私の楽観視なんて性質は役に立たない……持ってはいけない……)
「止めれたよね!?私なら!私が動いてあの人たちを止めれてたら!絶対あの人は死ななくてよかったんだよね!?」
(私が私らしくあるなんて事はきっと出来ないんだ)
「いいから!ちゃんと息をして琴音!それ以上は!」
(だとしたら私も変わらないといけない。これは自分を見失ったわけではなく、ただ方向転換しただけ。これからは計算高く、冷酷にーーーーーーーーーー)
浅い呼吸を続けた私の脳には酸素が回らなくなり、私の意識は一度、ここで途絶えたのだった。