少女は星を追いかける   作:まんじゅう卍

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第19話 和解/拒絶

 お昼過ぎ。差し込む光に照らされながら、私は希望の病室で、彼女の目覚めをジッと待っている。希望は全くといいほど目覚めない。

 四国に帰還してから、そう時間も経っていない。だと言うのに、感覚としては1週間ほど経ったのではないかと思わされる。

 手術は成功した。命に関わると言ったものではなかったので難しいものではなかったみたいだが、その結果は残酷なものだった。

 手術が終わり、医者から告げられた事実。

 

『もう吾妻さんは右手ではものを待てない可能性が高いです』

 

 最善を尽くしましたが。そう言う医者の表情はとても悔しそうだった。なんとかギリギリまで頑張ってくれたことはその疲労感漂う顔付きを見ればわかった。

 

「責められるとしたら、私かな」

 

 希望の落ち着いた寝顔を見つめながら、私はボソリと呟く。

 

(あんなに好きだったのに……。もう吹けないなんて…)

 

 大好きだったフルートを希望はきっと手放さなくてはなるだろう。フルートは何もかもを一度失った彼女の生きがいだった。おまけに、最後に手元に残っていた家族との大事な思い出のカケラの一つではないか。

 仮にまだ出来たとしても、満足にはできまい。

 私だって好きだった。希望の演奏を聞いている時だけは、辛いことも耐えてみせると思えた。演奏している希望を見るのが好きだった。例え右眼にしか映らなくても、その輝きは減ることはなかった。

 

「いや。ショックなのは希望のはず。私は、希望の気持ちを軽くしてあげるしかない」

 

 1人決意を固めるようにぽつり呟いた。誰も私の声には反応せず、病室の白い壁だけが私の言葉を聞いている。

 なんだかそれが嫌で、私はこの場にいるべきなのにおもむろに席を立った。廊下に出て、なんとなくで購買に向かおうとした時。

 

「あれ?タマちゃん?」

 

 予期せぬ人物が、診察室に入っていくところが目に入った。

 こんな状況でも授業はある。時間的にそれを休んでまで、どうしてタマちゃんが病院にいるのか。

 単純に風邪をひいた。と言うのなら納得できるが、どうにもそれは私には納得しきれなかった。

 

「後で聞けばいっか」

 

 聞いてどうするのか。と邪魔なもう1人の私が茶々を入れてくるが、それを希望お得意のデコピンで弾き飛ばす。

 

「……それよりも諏訪、行くべきだったよね」

 

 コミカルな脳内もそこまで長くは続かず、結局私は今回の調査における一つの目標地点であった諏訪に行けなかったことに未練を感じていた。

 白鳥歌野。たった1人で諏訪の地を守り抜いた勇者。生きていても、いなくてもいい。それでも彼女の生きた証の1つや2つ、この目に焼き付けておきたかったのは言うまでもない。

 私たち大阪組が生き残れたのは間違いなく諏訪のおかげだった。当時の大攻勢を一手に引き受けていたのは諏訪だったから。諏訪という防波堤がなければ四国も早々に滅んでいたとまで言われている。

 

(大社も別に見捨ててたわけではないんだよね。実際に私を白鳥さん救出に向かわせようとしたわけだし)

 

 最後まで大社も精一杯足掻いていた。あの時私は自分が犠牲になるのが嫌で断ったが、今だったら躊躇なく頷いていたに違いない。

 

(この歳でこんなおっきな事に答えを見つけろってのも酷な話だ)

 

 なんとなく自分の中で、この事は結論をつけたくはなかった。

 靴の裏がコツコツとリノリウムの床を叩く音だけが今は私の耳に届いている。リズミカルに。されど不規則に。私の歩く速度。歩幅。その全ては今の私を表すかのようにチグハグだ。

 

(若葉ちゃんとの関係性もボロボロになっちゃったし。私、みんなの雰囲気悪くしてるよね)

 

 諏訪という遠い地への思いを一旦打ち切り、私は仲間のことに目を向けた。

 若葉ちゃんに謝ればいい。という話でも今回はなさそうなだけに、少し困っていた。

 

(友奈ちゃんあたりに仲裁に……。いや、あの子に心労をかけさせたくないや)

 

 友奈ちゃんほど喧嘩というものに遠い存在もそういないのではなかろうか。友奈ちゃんは前に言った。争いごとは苦手だと。そんな彼女を私のエゴでこの件に巻き込むのはお門違いだ。

 私だってわかってる。若葉ちゃんが怒る理由も最もだと。昔の若葉ちゃんと私の明確な違いは同じ自殺行為に走ったとしてもその理由が全くもって異なることにある。

 若葉ちゃんはバーテックスへの復讐。という激情によってあのような行為に走った。それに対して私は、誰かの為に自らを殺しに走っている。

 

(変な話だね。自分のために生きてきたはずなのに、気づいたら誰かのために生きようなんて思っちゃったりしてるんだから)

 

 いつからそうなったのか、今はもう思い出せない。自分でも自覚出来ない間に蓋をしていたらしい。

 

(私だって、なんか影響のあるらしい切り札なんて本当は使いたくないんだから)

 

 何度でも言おう。私は、人一倍痛みには強い。だからこそ、周りが負うべき傷を先に引き受けているだけにすぎない。それが私の役目だとも思っている。

 気づけば私は購買の前に立ち尽くしていた。周りの視線は私を不可解なものを見るような目を向けている。私はだいぶ前にこの場に辿り着いていたらしい。

 こんなことに気が付かないなんてよっぽど疲れているのだと思わされた。あの大社の報告書も間違いではないな。と私は鼻で笑いとばした。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 時は流れて同日の放課後。

 

 千景は訓練場で1人、武器である大鎌を振るっている。

 何回かの戦闘で、既にこの大鎌は千景の手に馴染んでおり、思うがままに扱うことができるようになっていた。

 だが、千景の表情は険しいものだった。一振り一振りが丁寧なものではなく、力任せに怒りと焦りをぶつけている。

 

「ぐんちゃーん!」

 

 明るい声に振り向くと、友奈が手を振りながら駆け寄ってきていた。

 友奈でなければ千景は手を止めはしなかっただろう。千景のもう1人の精神的支柱になってきていた希望は、今はいない。

 希望の奏でていたフルートの音色。それはとても不思議なことに千景の暗く霞んでいた心を晴れさせていた。友奈の存在と、希望の存在だけが今の千景をなんとか保たせている。

 

「自主練するなら誘ってくれれば良かったのに」

 

 少しだけ不満だったのか、友奈は唇を尖らせた。

 

「自主練……。私が…1人で勝手にやってるだけ…だから…」

 

「それなら勝手に一緒に練習するね!」

 

 千景も断る理由は無く、「……うん」と小さく頷いた。

 2人で模擬戦の訓練を行い、休暇のために訓練場の端に2人で座り込んだ。

 

「さっき帰ってきたばかりなのに、自主練するなんて凄いね」

 

「……なんだか…こうしてた方が…今は落ち着く……」

 

「そっか」

 

 短く言葉を返してから、友奈はペットボトルの水を一気にあおる。その横顔を千景は無言で見つめていた。

 友奈が飲み終わり、口元を拭ったのを確認してから千景は友奈に問う。

 

「次のバーテックスの襲来は…いつあるのかしら……」

 

「わかんないなあ。ひなちゃんも神託をまだ受けてないみたいだし。それに、私たち帰ってきたの昨日だしね」

 

「……そう思ったら…あまり、本州の方にはいなかった…のね…」

 

 千景は遠い遠い海の果てをジッと見つめた。そして、ボソリと恐ろしいことを口にする。

 

「早く、バーテックス達が…来てくれれば……いいのに…」

 

 その一言は友奈をしてもゾッとさせる怖さがあった。友奈は心配そうに千景を見つめた。

 

「私は……戦って、特別な『勇者』という存在じゃなければ…価値はない…。だから…早く戦って……自分が少なくとも…価値のある人間だって…思われたい……」

 

 今の千景は大勢に認められたいとは思っていない。これも幾度となく言ってきたことだが、今の千景は身内にさえ認められればそれで良いのである。

 だが、その身内に認められるにはバーテックスを倒す他ないという結論に至ってしまっていた。そしてその結論は、自分が今勇者の中で最も活躍してると言って良い若葉と琴音に向けるライバル心の正体だとも錯覚した。

 希望は言った。千景がいてくれるだけで嬉しいと。しかし、千景はその言葉を知らぬ間に綺麗事だと排除してしまったのである。

 身内にさえ認められればそれでいい。と言う考えは逆に千景の首を締めることになったと言っても過言ではないだろう。

 それに千景本人はやはり気づけない。

 

「戦いとかなくても、私はぐんちゃんに隣にいて欲しいな。それに、価値とか難しいこと考えなくても、良いと思うな。私は」

 

 微笑む友奈を見つめながら、千景は一瞬キョトンとして。

 

「……わからない…」

 

 そう、一言呟いたのだった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 またかなりの時間が経った。季節は冬を越え、春に向かって突き進んでいる。長い間、バーテックスは姿を見せていない。

 希望も未だに目を覚さない。私はこの日も面会時間の終了まで病室にいたが、何一つと変化はなかった。

 以前にも希望はこうして長い眠りにつくことがあった。大阪から香川に辿り着いた時である。あの時は単なる栄養不足だとか何とかとは聞いていたが、真相を実は私は知らない。

 

 病院から丸亀城に戻って来た私は、ひとまず若葉ちゃんに声をかけることにした。

 どこにいるのかと思って探してみるが、訓練場にもおらず自室にも若葉ちゃんはいなかった。

 

(どこ行っちゃったんだろ。別に避けてるってわけではないだろうし)

 

 いくら今の私と正面切って話すのが気まずいとしても、あの若葉ちゃんが誰かを避けようとするなど考えられない。

 とは言え、この寮自体もそう大きくないので探すのにも苦労するはずがないと思った矢先にこれである。なんとも運が尽きている。

 

「お城の方かな」

 

 まだ探してない唯一の場所。丸亀城内の教室は一度も見ていなかった。それを思い出した私は、足早に教室へと向かう。

 教室の前にたどり着いた私は扉に手をかける。鍵が開いている感覚。普段のこの時間は閉じている教室の扉が、今日は開いていた。それだけで誰かが中にいることは確定だ。私は躊躇うことなく教室の扉を開け放ち、中に入る。

 中にいたのは若葉ちゃん1人。若葉ちゃんは突然現れた私を見て、驚いたのか目を見開いた。

 

「誰かと思ったら琴音か」

 

「若葉ちゃんこそ、教室にいるなんて珍しいね」

 

「………そうだな」

 

 私としては世間話を振ったつもりだったのだが、若葉ちゃんの答えは妙に歯切れが悪い。

 おまけになんだかバツが悪そうだ。私との関係に関してはもう今更だが、それとは別の隠し事をしてるような気がした。

 

(若葉ちゃん。結構顔に出るしね。わかりやすいよ)

 

 普段なら、それを理解した上で一旦見逃す。と言うのが私のセオリーであった。しかし、今回はそうはいかなかった。

 私の目が見てしまったのは、数枚の紙。その一部の内容だ。それは私に取っては見過ごせない内容だったのだ。

 

「若葉ちゃん、それ」

 

 私は無自覚のうちに語気が強くなっていたらしい。若葉ちゃんはもう隠す必要がなくなったと言わんばかりに私にその紙を差し出した。

 それは報告書と始末書だった。

 

「………許せ。こればかりは私の力不足でもある」

 

「若葉ちゃんを責めてるつもりは全くないよ。そこは勘違いしないでほしい。……希望は…もう私たちと行動は共にしないんだね」

 

 報告書には端的にこう書かれていた。

 

【吾妻希望の巫女としての役割を当分停止する。勇者の巫女は上里ひなたのみで十分その御役目を果たすことは可能である】

 

 大社はどうにも今回の一件に関しては相当ご立腹と見えた。まあ、人類生存への一歩へとなるはずだった調査だ。それがこんな形でおじゃんとなれば責任を取れと言いたい気持ちもわからなくはない。

 だが、私は表向きはその決定に一定の理解を示しはしたが裏では大社の決定は気に食わないものがあった。

 希望は私たちを幾度となく支えてくれた。それをたった一度の失敗で無かったことにするのか。という憤りも同時に湧き出した。だが、今はそれをなんとか押さえ込む。

 

「希望は、この後どうなるの」

 

「大社の人の話によると……。目が覚め次第、事情聴取。その後はしばらく御役目からは降りるそうだ」

 

「………そっか」

 

 どんなに強がっても、私は言葉が出なくなった。どちらにせよ、隣から希望がいなくなる。と言うのは私に取ってはどんなことよりも避けたいことだったらしい。

 

「琴音」

 

 心配そうにこちらに手を伸ばす若葉ちゃんに、私は無理矢理作り出した満面の笑みを浮かべた。

 もうこれも癖になっちゃったな…。なんて冷静に分析する私。なんだか自分でも冷静だったり、悲観的だったり。はたまた楽天的であったりと最早多様性などと言う言葉で片付けられなくなってきていた。

 

「大丈夫だよ。きっと、大社もそのうち希望を戻してくれるよ。それまでの辛抱だね」

 

 そんな多様性に溢れた私に対し、芯が太い若葉ちゃんは相変わらず私の愛想笑いを見て、少しだけ顔を歪ませた。

 なんだか今聞くしかないと思った。若葉ちゃんが嫌がる理由を。

 

「若葉ちゃん、最近私が笑うとずっとそんな表情するよね」

 

「別に普通だ」

 

「嘘ばっかり。顔に出てるって」

 

 そう言われた若葉ちゃんは、一度自分の頬を軽くつねった。それは夢かどうかを判断する方法では?なんて思ったけど今は無視。

 どう言ったものか困った様子の若葉ちゃんだったが、ゆっくりと自分の感情を噛み砕くことができ始めたのか、私を再び真っ直ぐに見据えた。

 

「私は…希望を否定したいわけではないと言うことを先に伝えておきたい」

 

「わかった」

 

「お前は昔に比べて、無理に笑うことが増えた気がしてな。私たちが出会ってから数年は作り笑いが多かった。それでも私は自然な笑顔になった琴音が好きだった。心から友人だと、そう思えた」

 

 若葉ちゃんはこうして本心を打ち明けるのが申し訳ないと言った様子で訥々と言葉を紡ぐ。きっと、若葉ちゃんの中では今言っていることは自分本位なものという扱いらしかった。

 そんな若葉ちゃんの言葉を私は口を挟むことなく、無言で耳を傾けた。

 

「だが、今のお前は作り笑いばかり。せっかく心の底から笑えるようになったのに、琴音は大阪から戻ってきてから元に戻ってしまった。常に誰かの気を伺いながら生きてる。そんな琴音を見るのが、私はとても嫌らしい。……それに、私は琴音のことが大切だ。そばを離れてほしくないと思うほどにはな。だから、自分を蔑ろにするようなこともしてほしくはない」

 

 一通りの話を聞いて、私は確かに否定はできなかった。大阪での数々の出来事は、私という存在を過去と現在が混ぜ合わさった異質な存在にさせた。だからこそ、私は芯がないのである。

 それに私は若葉ちゃんの私に対する思いというのを、何気に初めて聞いたような気がした。単純なもので、私の心を埋め尽くす闇。冷え切っていた気持ちは少しだけ晴れ間をみせる。

 

「そんな風に思ってくれてたんだね。だから、昨日もあそこまで怒ってくれたんだ」

 

 ふふっ。と私の内から笑いが込み上げる。自分でもわかった。ここまで素直に笑いが込み上げてきたのは久しぶりだな、と。

 

「な、なぜ笑う。私は、結構な覚悟を決めて話したと言うのに」

 

「ごめんごめん。あはは、嬉しいな。私、そこまで大切に思われてたんだ」

 

「…当たり前だ。私にとって琴音は、もう何者にも代えが効かないんだからな」

 

「ふふっ。ちょっと重い」

 

「ば、馬鹿にするなら聞かなかったことにしてくれ!」

 

「そんなことないよ。本当に嬉しい」

 

 どんなことがあっても、まだ私は若葉ちゃんを信頼していたらしい。どんなに若葉ちゃんに対する苛立ちが込み上げようとも、悪意を抱いたとしてもだ。きっとそれは、『何か』によって作られたものだ。その『何か』はもう私にはわかっていた。

 

(精霊…しかないよね。希望もあれだけヒントをくれてたんだもん)

 

 そしてその『何か』に私が飲み込まれることも、自分のことだから私にはわかった。

 だから、一つ頼んでおかなければならない。今。自分が保てているこの間に。

 私こそ、本当に自分本位だ。一瞬の軋轢もなくなったと言うのに、私はまた若葉ちゃんに辛い思いをさせようとしている。それはあまりにも酷い話だと思う。

 

「ねえ。若葉ちゃん。一つお願いがあるんだ」

 

「私に聞けることならなんでも聞こう」

 

「必ずその時が来るから頼んでおくね。……私がやってはならないことに手を染めたら、必ず私を止めてほしい。どんな手段を使ってでも」

 

「今の流れで、そう来るか。正直予想外だ」

 

「悪いとは思ってるよ。だけど、大切なことだから。それと謝っておく。多分、私はもうこの先自分の生き方は変えられない。けれど若葉ちゃんの思いはちゃんと伝わってる。出来るだけ、自分を蔑ろにする行為は避けるよ。それが今の私にできる若葉ちゃんへの精一杯の信頼の証」

 

 それが若葉ちゃんにどう伝わったかはわからない。だけど、若葉ちゃんはその凛々しい顔立ちにとても似合う勝気な笑みを持ってして私の願いを呑んだ。

 今の私には、それで十分だった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「いい加減目覚ましなよ。何をそんなに寝ることがあるの」

 

 翌日、病室を訪れても希望は寝たきりだった。目を覚ました後のことを拒んでいるようにも私には見えた。

 希望は目を覚ませば大社からその任を解かれる。それを知った時の希望の反応を想像するのは少し怖い。

 私だって大社に掛け合うべきだろう。だけど、私は心のどこかで希望にはこれ以上、私たちの御役目に深く関わって欲しくないと言う気持ちも生まれつつあった。

 

(希望には少しでも幸せになってほしい。このままでは、希望は不幸になるばかりだ)

 

 これから先、大社の人々から向けられる視線は厳しくなるだろう。それに耐えられるだけの精神的構造を希望は恐らく持ち合わせていない。

 希望は人から向けられる真の悪意というものを知らない。それ故に希望自身も他者に悪意を抱かないのだ。私は、希望にはそのままであって欲しいと思う。

 

(目を覚さないなら、それはそれで幸せかもね)

 

 私は今日も希望は目を覚さないことを確信して席を立った。

 

「そう言えば、昨日タマちゃんは病院に何しにきてたんだろ」

 

 聞こうと思って完全に忘れてしまっていた。よっぽど私は若葉ちゃんとの仲を修復することに躍起になっていたらしかった。

 病院のカウンターで職員に面会終了とお礼を述べてから外に出る。

 昨日と打って変わって、世界は春の陽気に包まれている。春の到来を知らせるように梅の花がここぞとばかりに開花を迎えていた。

 

「桜を見る約束もしてたっけ」

 

 2ヶ月前、タマちゃんとサイクリングに行った時にそんなような話をしたことを漠然と思い出した。

 あの話を私は誰かにしたっけか。そんなことを振り返りながら、私は丸亀城への道を行くのだった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 病院から丸亀城併設の寄宿舎に戻った私は、さっそくタマちゃんに昨日の事を聞くことにした。

 

「おーい。タマちゃーん」

 

 私はボーッと廊下で突っ立っていたタマちゃんに声をかけた。その様子に違和感を感じだが、とりあえずは置いておく。

 タマちゃんは私の声にびっくりしたのか「うおっ」という女の子が出してはいけないような声を出した。

 

「ん?どしたよ琴音。またサイクリング行くか?」

 

「あまりにも話題の飛び方がアグレッシブなことで。行きたいよね〜…じゃなくてさ」

 

 ついつい次どこ行く?なんてことを聞こうとしてしまったが、私が聞きたいのはそう言うことではない。

 なんだか、タマちゃんがわざとはぐらかしたように感じだが、それは深く考えすぎだろう。

 とりあえず単刀直入に聞くことにする。話はそれからだ。

 

「昨日病院にいたよね。何してたの?」

 

「や、やっぱりあれ琴音だったのか。結構、気をつけてはいたんだけどバレるものだなっ」

 

 タマちゃんは最初動揺を見せたものの、ケラケラとそれを笑い飛ばす。

 

「タマは杏と言い、琴音と言いよく人のこと見てるなと思うよ」

 

「どうだろ。見てるのかな」

 

「おう!タマなら絶対気づかないからなっ!」

 

「そんな胸張ることでもないと思うけど。で、何してたの?」

 

「杏にはもう言ったんだけど、精霊の力を使ってから身体が変な感じがしてさ……」

 

 一度杏ちゃんに自らの状態を説明しているからか、言葉を探すために視線をさまよわせることはない。

 調査から帰ってきた後、全員に検査が行われる予定にはなっているのだがそれがあるにも関わらず先に検査に行くとはよっぽどと言えた。

 

「結果はどうだったの?」

 

「健康体だってさ」

 

「そっか。それならよかった」

 

「むっ。琴音、もう若葉とのわだかまりは解けたのか?」

 

「え?なんで?」

 

「目が笑ってる」

 

「私、今まで目笑ってなかったの!?」

 

「気づいてなかったのか。あー、でも。大体そういう時は琴音が無理してる時だな」

 

 タマちゃんの話だけ聞くと、私は相当不気味に映っていたらしい。

 そりゃ若葉ちゃんやひなたちゃんも私にドン引きしますわ。と納得である。

 

「話がそれちゃったけど、タマちゃんこそ無理はしてないんだよね」

 

「うん。今は大丈夫だ。だけど、やっぱり時折なんか不自然なんだよなあ。ストレスが溜まりやすくなったと言うか…。まあ、何かあったら皆には相談するよ」

 

 タマちゃんは私に不安を感じさせないほどにはいつも通りだった。

 今、人類が体験していることは未知のことばかりだ。バーテックスと言う存在の襲来も。神の力を宿して戦う勇者という存在も。神樹による結界も不明瞭なことばかりだ。

 そんな中で私たちは出来ることをやらねばならない。それはきっと、恐ろしいことでもある。

 

「琴音こそ、もう無理するなよな。タマや杏だっているんだ。ちゃんと頼ってくれよ」

 

「うん。ありがとう」

 

 その後、私はついでにタマちゃんの部屋でアウトドアグッズの整理を手伝うことにした。

 こうして日常を装っていても、私たちを覆う雲は日に日にその厚みを増して行っている。私はタマちゃんの一件で、強く思ったのだった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「寝すぎだろ。馬鹿。私、飽きて来なくなるって」

 

 あれから1週間、私はもはや呆れ返っている。

 この1週間の間に一つだけ若葉ちゃん考案のレクリエーションが行われた。あの調査から皆の様子が暗く、気分転換が必要という判断によって行われたのだが、かなり楽しかった記憶だ。

 まあ、この話はいつかまた別の機会にしようと思う。

 

「はあ。バーテックスの侵攻もそろそろ来るかもしれないって言う神託も来たと言うのに……」

 

 ひなたちゃんからそれも昨日伝えられたばかりだ。しかし、これまでと違って、とても期間は曖昧だった。いつ来るかわからない。その為か弛緩した空気もまた緊張感で満たされ始めている。

 

「私、そろそろ希望のいない生活なれてきちゃったよ。早く起きないとその内忘れちゃうかもね」

 

 冗談のつもりだったが、思いのほか冗談にできなくなりつつある。私は薄情なもので、希望と言う存在が日に日に存在感を薄くなってきていた。

 なんとなく希望の体温を久々に感じたいと思ったので、私は希望の手をとった。

 

「ん?なんだか違和感」

 

 普通、人間1週間も栄養を摂取せず、寝たきりならば少しくらい痩せても良いはず。だと言うのに、希望は一切様子に変化がないのである。

 

「…………」

 

 私は気味が悪くなって希望の手をすぐに離してしまった。

 手に残る温もりが、今は少し気持ちが悪い。

 

「ええぇ……。しかも何その痣……。どしちゃったの……」

 

 右腕の包帯の隙間から覗くおどろおどろしい謎の紋章のような痣。少し前まで私のことを厨二病と馬鹿にしていたのが可愛く見えるくらいのレベルである。

 しかもその痣、私が少し見ただけで気分が悪くなってきた。

 

「ごめん希望。今日は帰るわ。目覚ますことがあったら、真っ先に私に連絡入れてよね」

 

 それから私は逃げるようにして希望の病室を飛び出した。

 ただ真っ直ぐに、若葉ちゃんとひなたちゃんの下に私は走る。そこ知れぬ恐怖の連続。私の身に起きている異変と希望の身に起きている異変。

 息が切れるまで走る。走って背後から迫る恐怖からひたすらに逃げる。私がこの恐怖と言う感情に正面から立ち向かわず逃げるのは初めてだった。

 ようやく息が切れて立ち止まった時には既に丸亀城についていた。

 

「はぁ。はぁ。ほんと、なんなの……。怖いって…。なんで大社は、なにも、言わないの…」

 

 私は段々と大社という組織に違和感を覚え始めている。もしかしたら大社が希望を御役目から外したのは、これが本当の理由なのではないのか。

 だとしたら、大社は他にも嘘をついている可能性が高い。私の以前の健康調査も。タマちゃんの時も。他のみんなに出されているものは全て嘘なのではないか。

 元々色んなことがあって気分は最悪だったのに、更にナーバスに。若葉ちゃんの一件で持ち直したと思った私の気分は大暴落である。

 

「そこまでして…神様は、私を黒色にそめ、たいの?」

 

 問いかけたところで答えはもちろん帰ってこない。と、思っていた。

 しかし、神では無いにしろ、私がヤケクソ気味に投げかけた問いに『あの影』が答えた。

 

『神が染めたいわけではないわ。貴女が、自らその道を選んでるのよ』

 

 何か馬鹿な事を言っているが、何も否定はできなかった。なぜなら私はいつかその『影』に追いつかれると自負していたではないか。それ即ち、私がそうなることを許容していたことに他ならない。

 それなら、私はもうこの恐怖を受け入れてしまった方が早いなんて愚かな事を考えてしまったのが最後だった。

 

「あ」

 

 そして、私は私の形を保ったままーーーーー。

 

 自分を見失った。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 同日、夜。

 吾妻希望は大社によって、病院からとある場所へと運ばれた。

 その部屋は、封印部屋と言うが1番表現しやすい。

 その日から吾妻希望は人知れず、人類の『希望』を見つけ出した巫女から、この世の世界から隔絶された存在へと姿を変えたのだった。

 

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