少女は星を追いかける   作:まんじゅう卍

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第20話 琴の音、春には届かず

 杏は自室で深い考え事をしていた。杏はその知識の量の多さから、今回球子や琴音。千景に起きている変化を導き出そうとしている。

 神話。と言うものに人間が最も近づいたのは今を置いて他にはない。しかし、神話と言うものは非常に境界が曖昧である。『切り札』とは、その曖昧な境界線を超え、半身そこに浸かるようなものであると考えられた。

 尚且つ杏にとって、この問題となっている『切り札』という力は一種の降霊術のようなものでもあるとも考えている。

 人の身に人外の存在を宿す。今までに呼び出された精霊は友奈の一目連。千景の七人御先。球子の輪入道。若葉の源義経。どの精霊も悪鬼悪霊としての側面を持ち合わせている。

 ただしかし、やはり例外というものもいるもので琴音の上杉謙信だけは英雄的一面のみ持ち合わせている。だがこれまた話が面倒なもので、上杉謙信は毘沙門天の化身を名乗っていた。毘沙門天は仏道であり、日本神話とは全く関係がない存在である。毘沙門天は地の神。というより天部の神である。琴音は考えようによって、人類の敵になる可能性がにわかに存在した。

 

 杏はノートに『精霊=怨霊? 仏神はどちら側?そもそも神樹との関係性?』などと落書きした。数学の予習をしていたはずだったのに、つい別のことを考えてしまう。先日、球子が体調が悪いと言い出した辺りから気になっていたのだ。いや、それ以前に琴音と千景の様子の変わりようから、もしかしたらを想定していた。

 球子はたった一回の精霊使用から違和感を覚えた。それならば2回以上している琴音や千景は球子の比ではないだろう。

 

(以前から切り札は危険だって言われてたし……)

 

 杏は一息つくと、ノートを閉じて本棚に隠すと一度外の空気を吸いたくなって部屋の外に出た。

 滅多に杏がこうして夜中に自室から出ることはない。寮の外に出て、庭に出ると夜の冷たい空気が鼻を通って肺を満たす。その空気は、本州の空気よりは少し澱んでいた。

 

(人がいなくなって、環境が良くなるってのも結構な皮肉だよね)

 

 ああ言った光景を見ると、人類が何かこの世の絶対的なものから怒りを買ったのではないかと思わされる。そうでなければあのような理不尽な破壊はされない。

 杏が空を見上げていると、人の気配がしてそちらを振り向く。そこにいたのは少し憔悴した様子の琴音だった。琴音も杏の存在に気がついたようで、小さく手を振る。

 

「珍しいね。杏ちゃんがこんな時間に外にいるなんて」

 

「琴音さんこそ、何してたんですか?」

 

「私?私は訓練してただけ。訓練してないと、気が滅入っちゃいそうで」

 

 じっと観察するように琴音を杏は見つめた。琴音の目の下にはクマができており、寝ているのかすら怪しい。

 杏はなぜ琴音がそんな状況になってしまっているのか首を傾げた。

 

「琴音さん、ちゃんと寝てますか?」

 

「うん。寝てるよ。寝てるけど、ちょっと寝つきが悪いんだ。最近」

 

 あはは〜と笑う琴音はどう見ても作り笑い…ではなかった。以前ほどの歪みが、そこにはない。

 

(琴音さんは自分の状態に何も疑問を思ってない?)

 

 杏は一抹の不安を感じずにはいられなかった。唐突に、突然に、人知れずこれまで順調に回っていた歯車が噛み合わなくなり始めている。

 

「本当に大丈夫なんですか」

 

 心配のあまり、語気が強くなってしまう。琴音はそんな杏にまたケラケラと笑った。

 

「心配しすぎだって」

 

「……琴音さんがそう言うなら、信じます」

 

 杏がそう言うと、琴音は頷いてから一言「おやすみ」とだけ言い残して杏の隣を通り過ぎる。

 その背中を見送りながら、ここで杏は一つ、思い当たることが浮かび上がってきた。

 

(あれ?そういえば、希望さんはどうなった?)

 

 杏はここ数日、希望の名前を一切聞いていないことに気がついた。先週までは、琴音は度々希望の下を訪れてはその状況を伝えていた。

 にも関わらず、希望の話をパタリとさも当然かのように聞かなくなった。明らかに関係があると、即座に考えに至る。

 

「あの、琴音さーーー」

 

 何かもう手遅れなのではないかと言う焦燥感も相待って、杏はその背中に声をかけた。

 しかし、杏は喉を詰まらせる。振り向いたその顔が、あまりにも不気味だったから。絶対に聞くなと言う意思が、その目にはあった。殺気すら感じられる鋭い視線。どんなバーテックスよりも、今は琴音の方に恐怖を感じてしまったのである。

 

「ん?何?」

 

「いえ。また明日」

 

「うん。またね」

 

 それから杏は再びその背中を見送った。琴音の寮の部屋は杏が今いる庭から見ることのできる位置にある。

 しばらく杏は琴音の部屋をじっと眺めていた。しかし、どれだけ経っても、琴音の部屋には電気はつかなかったのだった。

 

 杏が部屋に戻ると、机の上に何やら書き置きがしてあった。

 

『どうして部屋にいないんだっ!杏のばーか!』

 

 その子供っぽい文面と文字は明らかに球子のものだった。何か話があったのか、それとも関係のない用事か。

 どちらにせよ杏は苦笑いを浮かべた。

 

(タマッチ先輩らしいと言えば、らしいかな)

 

 そんなことを思いながら、杏は床についた。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 希望が消息を絶ってから1週間。もはや私は希望の消息を追うのを一旦諦めていた。

 希望が消息を絶ったことを知っているのは若葉ちゃんとひなたちゃん。そして私の3人のみ。他の子たちは未だに病室で眠っていると思っている。

 最初のうちは大社に乗り込むなどしていたが、全て徒労に終わり今は新しい方法を模索しながら、どうバーテックスに今後立ち向かうかを悩んでいる。

 昨日の夜、杏ちゃんに寝てないことを指摘されたが、それはまさしくその通りで私はほとんど寝ていない。

 寝たら色々嫌なことを思い出してしまいそうで、起きている方が今の私には楽だった。

 

(かと言って、訓練以外何かしてるってわけでもないんだよね)

 

 勉強にも身が入らず、しかし何かの命を奪う行為に対してはどうにも前向きになれた。

 以前とはきっと真逆な存在になっていると解りながら、私は以前の自分を否定している。それをおかしなことだとも思っていない。

 

(……あ、そういえばまたお花見の話するの忘れてた…)

 

 再び、タマちゃんとの会話をぼんやりと思い出す。

 出来たらいいな。なんて思っていた日が今では遠く、仲間であった希望は人知れず消えてしまった。

 今の私にとってその活動は邪魔以外の何者でもない。だけど、一応話題に出しておこうと思うくらいには、未練というものはあるらしかった。

 

(明日しよ……)

 

 私は横になっていたベッドから起き上がると、深夜であるにも関わらず訓練場へと向かう。

 そこから太陽が登るまでの間、私は取り憑かれたようにその武器たちを振るい続けたのだった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

「と言うことを思い出してさ。どう?やらない?」

 

 私は早速みんなに聞いてみた。相変わらず寝不足なのに脳だけは無限に動き続けている。なんで都合のいい体なんて思っていたりもする。

 そんな私を他所に、友奈ちゃんは目を輝かせた。

 

「いいね!楽しそう!」

 

 希望のことや未だに現れぬバーテックス。そしてその神託の不気味さ。それらが合わさって、未だに私たちの空気はピリついていた。

 千景さんも若葉ちゃんもかなり緊張感を漂わせている。それが少しでも改善すればいい。なんて友奈ちゃんは思ってることだろう。

 生憎私にそんな気はなかった。話を思い出した。ただそれだけの理由である。

 

「…高嶋さんが…言うなら……」

 

 やってもいい。と1番同意が取りずらそうな千景さんから2番目に同意をもらい、他の面々も頷いた。

 

「そう言うことなら、次の戦いが終わったら祝勝会も兼ねた花見だなっ!俄然やる気が出てきたぞっー!!」

 

 タマちゃんはそう言って手を元気よく振り上げる。

 戦う前から祝勝会とは気が早い。と言うのは口に出さないでおいた。と言うより、私たちに敗北は許されない。どちらにせよ祝勝会にしなければならないのである。

 私の視界の端で杏ちゃんは教室の窓から敷地内に咲く桜の樹を眺める。

 

「早くお花見、できたらいいなあ…」

 

 そんな小さな呟きは私だけに届き、窓から吹き込む春の風に乗せられて遥か彼方へと消えていった。

 

 その日の夕方。ついに樹海化のアラートがスマホから鳴り響いた。

 

 勇者の装束を身に纏わせた私たちは、壁の外からくるバーテックスを待ち構える。その姿は既に見えているが、私たちが伝えられていたほどの脅威は感じられなかった。

 ひなたちゃんは度々、私たちに「これまでにない事態が起こる」と警告していたのだが、どうにも拍子抜けだった。

 

「なんだ。大したことないじゃないかっ!これなら一瞬だなっ!」

 

「油断しすぎるのもダメだが…。球子くらい気楽に行くべきなのかもな」

 

 若葉ちゃんは小さく笑うと、刀を抜刀する。それを合図に各々臨戦体制に入った。

 真面目過ぎた若葉ちゃんがあんなことを言うなんて。と私は密かに感動したのも束の間。

 

「あの!皆さん聞いてください!」

 

 勇者たちの注目が杏ちゃんに集まる。

 

「どうしたの…?」

 

 千景さんが訝しげな視線を向ける。それに杏ちゃんは真剣な表情で答える。

 

「今回の戦い、切り札は使わないことにしましょう」

 

 納得のいかない。と言った視線を千景さんは再び向けた。

 

「元々大社から、精霊の力を使うのはできるだけ控えるようにと言われてきました。もしかしたら、本当に危険かもしれません」

 

 杏ちゃんは私をチラッとその視界に捉える。私が使用者筆頭と思われているらしい。

 

「杏ちゃんのお願いなら使わないでおくよ。きっと、ちゃんとした意味があると思うから」

 

 私は頷いて同意を示す。若葉ちゃんもホッと胸を撫で下ろした。よっぽど私は前科がありすぎるらしい。

 

「杏の言う通りに今回はしよう。それよりもう敵が来る。行くぞ」

 

 若葉ちゃんの言葉を合図に、私たちの戦いは幕を開けた。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 私は若葉ちゃんと共に行動しながら、この戦いの趨勢を見極めている。前衛に常に立つ私と若葉ちゃんは、最も戦場の変化に敏感でなくてはならない。

 

(杏ちゃん、タマちゃんは順調。友奈ちゃんも問題無し。千景さんも前より強い。とりあえずは大丈夫か)

 

 私たちはこの程度の通常個体であれば難なく倒せている。もはや敵ではない。

 私と杏ちゃんは示し合わせたように、集合体となろうとしていたバーテックスを撃破していった。

 

(杏ちゃんと目的…と言うより戦術は一致してる。共通見解があるなら、戦線が崩れることもない……)

 

 そんな浅はかな、願望にも近い私の小さな声を、神という存在は絶対的な力を持って冒涜する。

 いくら2人がかりで融合を止めれたとしても、敵の数はこちらの倍。止められるなんて思うこと自体が間違いだった。

 戦術的にも私は何一つと間違った策は立てていない。今度こそ、どんなイレギュラーにも対応できるような陣形も今回杏ちゃんと決めて敷いている。だが、戦略的に負けていたら戦術というものは無効化される。戦術が戦略によって潰されるという想定を戦闘前の杏ちゃんはしていなかった。だから切り札の使用を辞めましょう。なんてことを言うのだ。

 いつから自分たちが戦略においても平等だと勘違いしていたのか。

 私は若葉ちゃんの方に視線を送ると、若葉ちゃんはその目を見開いた。

 

「やめろ琴音!」

 

 若葉ちゃんは自身を取り囲んでいたバーテックスを一瞬のうちに倒すと、私に手を伸ばした。

 若葉ちゃんの必死な様子は、まるで私が遠い場所に行ってしまうのを止めているようにも見えた。

 

(ごめんね。若葉ちゃん。もう遅いんだよ。何もかもーーーー)

 

 黒い衝動は私を何一つ躊躇いなくその力を解放させようとする。

 【倶利伽羅剣】の刀身を顕にしようとさせようとしたのと同時だった。

杏ちゃんが切り札を使用した。

 

(先を越された……。まあ。別に…。っ!?またその手口か!!)

 

 杏ちゃんの攻撃が始まる最中、私の視界は別の存在を捉えた。

 躊躇うことすら私はせず、若葉ちゃんに一言叫んでから戦線を飛び出す。

 

「若葉ちゃん!あとは任せた!!」

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 バーテックスの融合が始まってしまったのを確認した杏が即座に目を向けたのは隣の球子と、遠くで戦っている琴音だった。

 この2人の生き方。と言うのは少し似ていた。2人とも、いざという時の勢いの良さは尋常ではない。良くも悪くも一直線すぎる。

 武器である旋刃盤を器用に扱いながら戦っている球子も、バーテックスの融合が始まったことに気がついた。

 

「仕方ないなっ、切り札を使うぞっ!」

 

「待って!私がやるから!」

 

 杏は叫んで球子を止め、尚且つ同じく切り札を使おうとし始めた琴音への抑止力のために、杏は琴音より早く精霊をその身に宿した。

 仲間同士の中で行われた一瞬の駆け引き。杏は、その駆け引きに勝った。

 

 雪女郎ーーーー。

 杏が宿した精霊はあらゆるものを凍らせる雪と冷気の具現化。死の象徴。

 上空に向かって構えたクロスボウ。そこからは矢ではなく、大量の白い粒子が吹き出す。白いこの粒子は、全て雪である。クロスボウから飛び出した雪は一瞬にして樹海を白銀へと染め上げた。

 

「さ、さみいいいいいいいい!」

 

 吹雪の中で球子の叫びが響く。

 

「アンちゃーん!?何この吹雪〜!?」

 

「完全に視界が遮られて何も見えないぞ!」

 

「……冷たい…わ……」

 

 吹雪の中で、仲間たちの声が響く。しかし、1人の声だけが聞こえない。それに杏は気がついていなかった。

 杏は自らの精霊の力を制御するのに精一杯になっていた。この精霊の力は、無差別に。広範囲にその冷気を世界へと放出する。一歩間違えれば敵共々味方を全滅させかねない。

 冷気に晒された敵たちは、その動きを鈍らせる。そしてそのまま絶命した。融合体も同様にその命を散らしていく。

 残った敵は残りわずかとなっていた。

 

「おお、すごいな……あんず」

 

 その攻撃の凄まじさから、球子は呆然としながらつぶやいた。

 

「やったねアンちゃん!すごいよ!」

 

「あそこまでの力が杏にあるとはな。だが、精霊を使わないでおこうと言ったのに、使って大丈夫だったのか?」

 

 残った敵を相当し終わった友奈と千景、若葉も杏と球子に合流した。全員、もう完全に戦闘が終わったと思い込んでいる。

 

「あれ?そう言えば琴音はどこいったんだ?」

 

 球子の何気ない言葉。その言葉は戦勝ムードだった4人の意識を再び戦場へと向かわせる。

 

「確かに、樹海化が終わってない!?」

 

 敵を全て倒し終わったのに、樹海化が解除されない。おまけに、そこにいなくてはならない人物が1人いないことに杏たちは遅れて気がついた。

 

「…秋山…さんは?」

 

 千景の口から出た人物が何故かこの場にいない。

 次の瞬間。

 凄まじい勢いで何かが飛来して、杏達のいた植物から少し離れた場所に着弾した。着弾した。と言う表現はただしく、その音と速度はミサイルを思わせた。

 

「琴音!!」

 

 真っ先に状況を理解したのは若葉だった。その飛来した『何か』が真っ先に琴音だと理解したのだ。

 若葉が琴音の下に駆けつけ、その状態を見ると酷いものだった。全身血まみれで、皮膚の一部が捲れ上がっている。意識は曖昧なようだが、琴音はその口から大量の血を吐き出した。

 目を背けたくなるような。五体満足なのが不思議なくらいの重症。何が一体そうさせたのか。若葉は琴音が飛来してきた方向に視線を向けた。

 そこにいたのは、これまで敵対してきたどんなバーテックスよりも大きい。不気味な液体と尾。巨大な針を持ったサソリのような形をしている。

 その姿は楽天的な球子ですら顔を青ざめさせた。

 

「なに、あれ」

 

「……サソリ…に近いわね…。あれに、秋山さんは…1人で?」

 

 一体いつ、琴音はあの不気味なバーテックスの存在に気がついたのか。そんな細かい疑問を杏はかなぐり捨て、雪女郎の力を再び纏うと地面を蹴った。

 

(私のせいだ。私がしっかりと最後までやっておけば!)

 

 杏はクロスボウをサソリ型バーテックスへと向ける。

 

「凍れ!!」

 

 全身全霊。敵だけを狙った最大火力の攻撃。いま、杏が出し得る最大の攻撃だった。

 しかし、サソリ型のバーテックスの表面を軽く凍らせる程度にその攻撃は留まった。

 

「うそ」

 

 杏の顔に動揺が走る。

 次の瞬間、杏めがけて巨大な針が襲いかかった。鋭い針が少女を串刺しにしようと突き出される。

 

「わっ!?」

 

 杏は間一髪のところでその針を回避した。後ろへ跳躍し距離を取る。

 

(あの攻撃が効かないなんて…。どうしたら……)

 

 少女たちを絶望が覆い始める。

 杏がこうしている間にも、壁の方からは援軍のバーテックスが次々に現れ始めていた。しかも融合を重ね、進化体へとその姿を変え始めている。それに対処するために、若葉や友奈、千景は立ち向かわねばならなくなった。琴音は言わずもがな戦闘不能。

 今、サソリ型バーテックスと交戦できる残存戦力は杏と球子のみ。

 バーテックスは、一度で一斉にやってくると言う勇者達の固定概念を見抜いていた。

 戦術的にも、勇者達は敗北していたーーーーー。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 私がそのバーテックスに近づいた時、漠然と感じたのは敗北という二文字だった。たった1人で立ち向かうことを正直後悔しているところである。

 サソリと言うのが最も形容しやすく、このサソリ型のバーテックスは壁際でその体を形成していた。

 周りには進化体を護衛するように数十体の通常個体。私は思わず苦笑いを浮かべた。

 

(やるだけやってみますか……)

 

 私は約束を瞬時に破棄し、その身に精霊を降ろした。

 どうせ先程も精霊を降ろすつもりだった。どちらにせよ、こいつはここで殺さなくてはいけない。

 それに、コイツらを殺せば。殺せばーーーー。

 

(どうなるんだ?まあ、いいや)

 

 細かいことを気にするのを辞め、私はその身に精霊。『上杉謙信』を宿す。その強大な力を感じ取ったバーテックスは、一気に私に向かってきた。

 通常個体を一太刀の下に屠り、私はサソリ型バーテックスに向かって跳躍する。私が攻撃を開始したのと同時だった。進化の過程を終えたサソリ型が進撃を開始したのである。

 なんとか振り上げた一撃は、想像以上の硬さの前に敗北した。

 

「くそがっ!!」

 

 私は跳躍して一旦距離を取る。

 

(一撃で倒せないのであればーーー)

 

 着地した地点に私はすぐさま自身を囲むようにして26の名刀、神刀を顕現させた。

 その全てを持ってして、このバーテックスを殺す。それだけの力がこの武器たちにはあった。

 私は一太刀一太刀を神速の如き速さで繰り出した。その攻撃の全ては高火力で、言うなれば一太刀で丸亀城を丸々破壊するなど造作もない。だと言うのに、なぜこの巨体は傷一つ付けずに私を見下ろしているのだろうか。

 

「はははっ。こりゃ」

 

 死ぬなあ。

 

 全てを悟った私は、少しでも自分に与えられるダメージを減らそうと残り余った一太刀を薙ぎ払われる尾にぶつける。

 そんなもので防げるなら文句は誰も言いなどしない。私の身体は、射出された弾丸のように軽々と吹き飛ばされたのだった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 私は既に影に飲まれている。昨日、自分でそれを受け入れたばかりだ。

別に今更それを拒絶する気はない。だけど、こうして飲み込まれたもう1人の私はまだなんとか人格を保っている。

 全身が動かない。痛みとか、そんなものも今更。目を開いて視界に飛び込む光景は絶望的。杏ちゃんとタマちゃんの必死の攻撃にも、あのバーテックスはびくともしない。

 別のところでは千景さんが、友奈ちゃんが、若葉ちゃんが別個体を倒すために切り札を使用している。結局のところ、皆がその力を使わざるを得なかった。

 それは良い。所詮結果論でしかないのだから。

 

(助けないと……。このままだと、杏ちゃんは、タマちゃんは…)

 

 2人の悲痛な叫び声が私の耳に飛び込んでくる。

 間一髪のところで輪入道の力によって、巨大化した旋刃盤に乗ったタマちゃんが杏ちゃんを助けた後、2人の巨大な火力を持ってしてその巨体に対抗した。しかし、それは儚くも無駄だった。

 あの巨大なバーテックスの力は、私たちがもつどんな力よりも強い。それは確信へとかわった。

 杏ちゃんの顔に絶望の色が浮かび上がったのと同時に、タマちゃんと杏ちゃんは私の時と同様、巨大な尾が2人の身体を打ちつけた。

 精霊による強化が解除され、杏ちゃんとタマちゃんは空中から落ちていく。

 

(動けよ、私の身体!おい!聞こえてるんだろ!もう1人の私!!)

 

 動かなかったらきっと後悔する。どんなことよりも、私はあり得ないくらいに自分を責める。

 

(ああ、もういい!私の全部をくれてやる!だから!動けよこのアホ!!)

 

 2人の命を救うためなら、私は悪魔にも魔女にもなろう。それに私がそうなったら止めてくれる信頼できる友達がいる。ならば、それだけで良い。満足すぎる。私には勿体なすぎる友達だ。

 

(まだ隠し持ってるんだろ!?この力の、一歩先を!)

 

 私は私の身体を覆う存在に問う。

 その問いに、身体を覆う力は見事なまでに答えた。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「起きろ!あんず!」

 

 杏は落ちた衝撃で気を失っていた。球子は杏に声をかけるが、目を覚さない。

 

「くそっ!」

 

 サソリ型バーテックスは球子と杏を見逃してはいなかった。球子と杏へと再度狙いを定め、尾を振るう。

 

「くそおおおおおおおお!」

 

 輪入道の力を失い、元の大きさに戻った旋刃盤を楯形状にして、球子は尾の針を防ぐ。

 

「ぐっ、うう……っ!」

 

 サソリ型バーテックスの攻撃は重く、執拗で、おまけに一撃では終わらなかった。何度も何度も針を突き出す。

 

ガン!!

ガン!!

ガン!!

 

「ううううううぅぅ!!」

 

 重たい一撃、一撃を球子は歯を食いしばり、足を踏ん張って耐える。小さな体から生まれるその力は、きっと大事な者を守りたいからこそ生まれている。

 

 ガン!!ガン!!ガン!!

 

 そんな美談もバーテックスには関係ない。バーテックスにとっては、そんな美談も尊厳も、何一つと関係がないのだから。

 一度防ぐたびに骨が軋み、いつ壊れてもおかしくない。足も地面にめり込んでいる。だがそれでも球子は逃げない。彼女の背後には気を失って倒れている杏がいる。球子が防ぐのをやめれば杏が串刺しになる。それは球子にとってそれは許されざる事だった。

 

「……う……タマッチ先輩?」

 

 杏はようやく意識を取り戻し、この光景を見た。ただひたすらに、自分を守るために敵の攻撃を防ぎ続けている球子を。

 

「目、覚ましたか?」

 

「タマッチ先輩?」

 

「早く逃げろ…あんず」

 

「何言ってるの!?タマっち先輩こそ逃げないと!」

 

 しかし、球子は首を横に振る。

 

「タマは無理だ…」

 

「どうして…」

 

「……足が痺れて動かないんだ…。多分、骨が逝っちまってる…」

 

「…………!」

 

 杏が言葉に詰まる。その間にもサソリ型は絶え間なく針を突き出す。

 

「はやく、にげろ、あんずだけでも!!」

 

「ダメだよ!できるわけないよ!」

 

「このままだと…二人とも…死ぬ」

 

「嫌!絶対に嫌!!また、そんなことって、そんなことって!」

 

 杏は球子に手を伸ばす。死ぬなら2人一緒がいい。そんな馬鹿なことを言うほどには、杏は球子と離れたくなかった。

 浅はかな願いだとはわかっている。けれど、願わずにはいられなかった。もう少し一緒にいたい。もっと一緒にいて、たくさんのことをしたい。読書やお花見。球子の趣味のサイクリングやキャンプだって付き合ってみたい。

 

 せめて最後は、2人でーーーー。

 

 杏は体のそばに落ちていたクロスボウを拾い上げ、球子の願いを無視して巨大なバーテックスへと立ち向かう。

 

 球子はそんな杏の姿を見て、心の底から願った。守らせてくれ、と。このなけなしの勇気しか持たなかった少女が、ここまで巨大な敵に勇敢に立ち向かっている。そんな少女を見捨てるのが神だと言うのなら、球子は神樹など信じない。

 球子が欲しいのは勝利でもなんでもない。この背後にいる1人の大好きな少女の命だ。

 

 球子が叫ぶ。

 

「守るんだ!杏をっ!!」

 

 杏が叫ぶ。

 

「守るんだ!タマッチ先輩を!!」

 

 球子の旋刃盤に宿る霊力。【神屋楯比売】と杏のクロスボウに宿る霊力。【金弓剪】。2つの力は言ってしまえば対照的だ。持つものの性格も同様である。

 だからこそ、互いに思い合う気持ちは一層強くなるのだろう。

 守りたい。たった一つの願い。

 だけどその願いは今の2人を持ってしては叶えられない。

 

 そんな2人の、たった1つの願いを叶える彗星が1人の少女の下から放たれた。その一撃は、これまでびくともしなかった巨体をよろめかせる。

 打ち出された針は球子と杏の横をかすめていく。2人はほぼ同時にその攻撃が飛んできた方を振り向いた。

 

「琴音さん!」

 

 助かったわけではない。だと言うのに、杏の眼に不意に涙が浮かぶ。

 それはあまりにも神々しく、絶望を照らす光だった。どんな奇跡よりも奇跡だと言えた。

 

 燃え盛る火焔光輪。手に持つ槍はこの世の全てのものを穿つ。何色にも変わる琴音の勇者装束の色は、白く燃えていた。

 運は天に。鎧は胸に。手柄は足に。決意は目に。毘沙門天の加護ぞ我にあり。

 潰され、閉じられていた琴音の左眼が開かれる。

 

「その願い、私は気に入ったよ!杏ちゃん!タマちゃん!」

 

 琴音は杏と球子の前に立つと、振り返ってニカっ!と力強い笑みを浮かべた。そして最後、一言「ごめんね」と呟く。

 

「さあさあ!遠からん者は音にも聞け!近くばよって目にも見よ!これが、秋山琴音の最後の戦いだ!!」

 

 琴音はにこやかに、晴れやかに口上を宣う。それが何を意味しているのか、今や本人にしかわからない。

 だけれど目の前でこの瞬間を目の当たりにしている杏と球子には、琴音は悲痛な覚悟を持ってして自分たちを助けていると言うことがひしひしと伝わった。

 遠くから、若葉のその少女の名前を叫ぶ声が響く。

 

 戦略という面において、勇者達は敗北した。戦術という面においても、勇者達は敗北した。

 しかし、その敗北をひっくり返すほどの戦略と戦術。戦いの趨勢は一瞬にして変化した。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 サソリ型バーテックスはなぜ自分の身体が真っ二つに引き裂かれているのか。その理解が及ぶ前に、その巨体は姿を消す。

 宙に浮かぶ1人の少女は、どのバーテックスよりも強大なものとなった。

 

「はははは。あははははははははっ!!」

 

 少女は叫ぶ。脆い!この程度か!笑わせてくれる!

 

 痛い。苦しい、辛い、痛い、苦しい、辛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!けど、心地よい!これほどまでの心地よさがあったか!?

 

 少女の身体を蝕むのはかつての痛み。クラスメイト達に付けられた痛み。肉体的に精神的に、東郷琴音は破壊されている。

 そんな東郷琴音を昂らせるのは絶対的力。強者すら倒せる己に心酔した。誰でもない自分が、他者の命に痛みという傷を付けられる。それがどれほどまでに東郷琴音が望んでいたことか。

 笑う。笑う。弱者を嘲るような笑いを響かせる。

 

 東郷琴音は、その存在を世界に轟かせた。

 

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