やっとこさ、更新します!追加ですが途中から秋山琴音はコトネと表記しているのでややこしいですが、ご了承ください。
それではどうぞ!!
迷い、悩むほど人は強さを掴む。人一倍悩んで迷って。手の届かぬはずの星に手を伸ばし続ける。今はまだ雲を掴むことすらできないけれど、いつかは掴むことができると信じている。
と言うのは少なくとも今の私の信念ではない。相変わらずネガティブで他人を羨むばかりの東郷琴音でございます。そんな私も、友奈に背中を押される形で今一度前を向き始めたわけです。手始めに私は若葉のお見舞いに行くことにした。謝罪もして、責任を取らなければどうにもいたたまれない。
若葉の病室の前に来ると自然と緊張した。どんな顔で会えば良いのかわからず仕舞い。しかし、友奈と千景もついて来てくれたのだから引き返すのも野暮と言うもの。
足が止まった私に千景さんが声をかけてくれた。
「……大丈夫?」
「ありがとうございます。千景さん。大丈夫です」
「……なんだかその呼び名、なれないわね…」
少し残念そうに言う千景さんに首を傾げた。それを見た友奈はクスクスと笑う。その反応が尚更わからぬまま、私は病室の扉に手をかけた。
中に入ると、無駄に広い部屋の中にポツンと若葉の眠るベッドが横たわっている。その中に若葉の姿はない。
「あれ?居ないね」
友奈も若葉が居ないのは予想外だったのか、目を瞬かせた。フリーズすること約5秒。
私たちの背後から忍び寄る影。それに私たちは気づかずーーーー。
「あれ?友奈さんに千景さん。琴音さんまで。お見舞いに来てくれたのですか?」
「うひゃあ!?」
と、私は酷く間抜けな声をあげた。
「え、そんなに驚きます?」
私の素っ頓狂な驚き方に、逆にひなたが驚いて目を何度も瞬かせる。その反応を見て、私は「あ」と小さく声が漏れる。
もう1人の私はあまりドッキリや不意打ちと言うものに対して、そこまで驚きの反応を見せたことはないのだ。
「……そうだね。まあ、たまにはびっくりもするよ」
違和感を悟られぬよう私はケラケラと軽く笑う。そんな私にひなたは優しく微笑むばかりでその事には見て見ぬふりをしてみせた。そんな気がした。
「琴音さん」
改まった様子で私と向き合うひなた。私の目に映るひなたは何処となく、私の知っているひなたとは一線を画しているように見えたのは気のせいだろうか。ひなたは私のちょっとした変化を見て見ぬ振りをした。ならば、私もそれに答えるのが正解なのだろう。だから私はとぼけた反応を見せる。
「ん?」
私の演技は三文すら払えないほど酷いものだろうが、ひなたは小さくまた微笑むだけで、余計なことは言わずに伝えたかった一言だけを紡いだ。
「お帰りなさい」
まさかそんな言葉をかけてもらえるなんて思ってもいなかった事もあり、私は面食らった。
私はひなたの大親友の若葉を死の淵に追いやったのだと言うのに、この子はまだ私にこんな暖かい言葉をかけてくれると言うのか。
「……ありがとう。ただいま」
泣いてしまっているのを悟られぬよう、必死に虚勢を張って笑顔を作る。けどやっぱり、私は演技が下手だったーーーーー。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(少しでも笑えているのならそれで良い)
ワタシは白い蛍光灯によって映し出された影の中で誰にもその存在を悟られることなく、満足げに頷いた。
段々とワタシも彼女の影としての意識が根付いて来たのかようやくこうして思考を回せる。未だアクセル全開!とまでは行かないのが苦しいところ。
何度かカノジョのやり方を真似して干渉してやろうと思ったが、ワタシにはその自由は許されていない様子。
理由は……大体のところ察しは付いている。雑多な把握ではあるが、これは当の本人に確認できなければ確定はできない。と言うよりしたくないと言うのが素直な気持ちである。
(でも、まあーーーーー)
過程はともあれ、カノジョはワタシの残したもので少しは報われるだろう。カノジョは苦しみから逃げるためにワタシを生み出した。本人はそれは目を背けたい事実でもあるだろう。だが、ワタシはおかげで数年は表舞台に出ることができた。そのお返しになればこれ幸いである。
(ん?更にややこしくなりそうな話だって?それは今に始まったことではないしね。でも、一応説明はしておかないといけないか)
ワタシは元々彼女の中に巣食っていた『理想』だ。カノジョは言うなれば『現実』。カノジョは『理想』に縋った。どうにもならないと言う『現実』から目を背け、『理想』の更に最奥に自らを封じ込めたのである。
そしてワタシは『理想』の体現者として秋山琴音となった。そこから数年はカノジョは『理想』の自分に満足して全てをワタシに託した。おそらく、この先も表舞台に出る気もなかったのではないだろうか。だが、徐にとある物によって奥深くに眠っていたカノジョは引っ張り上げられた。
事の顛末はこんな具合である。本当に我がことながら現実味のない、酷いファンタジー小説のような内容なだけに頭が痛くなる。
話を戻して、カノジョを引っ張りあげたのは他でもないーーーーー。
(……【倶利伽羅剣】……。希望が渡した古の恐るべき天の兵器)
その剣の燃え盛る炎はカノジョを憎しみの炎で包み、ワタシはその炎に恐怖し焼き殺された。
(今は勇者として戦うこともないから何も影響はないはず……。だけど、またバーテックスが来て戦うことになったら……)
ワタシという侵食を防ぐ盾がいなくなったカノジョには、戦うたびに恐らくとんでもない代償が伴い続けるだろう。
(と言うか希望はこうなる事を知った上で?)
初対面の人間が二重人格(仮)であると見抜いていたと言うのか。それならば希望の観察眼にはお手上げだ。
それに、そうだとしたらワタシは希望を信頼できなくなる。
(唯一わかっているのは【倶利伽羅剣】が土地神由来のものではないと言うことだけ……か)
結局、ワタシは希望の居場所すらわからずじまい。カノジョも希望のことは何故か記憶にはない模様。だけど、もしも。もしもカノジョが真実に辿り着いた時には問題の解決に役立ちたい。その万が一に備えて、ワタシは影としてその趨勢を見守ろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ひなたとの邂逅を果たしたあと、私が連れられたのは土居球子と伊予島杏の病室だった。なんでも若葉もここにいるとのこと。
自分が傷つけておいてなんだが、いくらなんでも傷の治りが早すぎやしないだろうか。相変わらず超人的な能力を見せてくれるものだと感心してしまった。
再び場所を変え、2人の病室。私は入るなり、2人の怪我の重症度合いに思わず目を背けそうになってしまう。それを何とか気合いと根性で乗り越えると、とりあえず何か言わなければと思って必死に選んだ言葉がーーーーー。
「これが土居さんと伊予島さん?」
「久々に顔を合わせたと思ったらタマ(私)たちのこと忘れてる!?」
「あ、いや。初めまして?」
「やっぱり忘れてない(ですか)!?」
「うーん。見事なシンクロ率。さすがの2人だね!」
友奈の見当違いなツッコミが尚更この場の混沌具合を加速させて行った。私は苦笑いをしつつ、恐る恐るもう1人の方に視線を向ける。
「どんな顔して会えば良いかわからないって顔をしているな」
「……まあ、ね」
「杏や球子と話した時みたいに軽口を叩いて欲しいものなのだがな」
若葉はそう言うと、そっと目を細めた。それを見た私は飛び出しかけた言葉を飲み込んだ。これを言うのは野暮な気がしたから。若葉は私が傷つけたことを何とも思っていないのではないかとすら思った。
「若葉ちゃん。私はーーーーー」
「気にしないでくれ。あの時琴音は最善の手を尽くした。その結果、みんなこうして生きてまた会えている。その姿に私も最善を尽くしたまでだ」
「そう言ってくれると私……それと、もう1人も救われるよ」
「あぁ。そうだな」
若葉も私の言いたいことは十分伝わったようだった。それに、本当に若葉は私が傷つけてしまった事を気にかけてはいないようだ。
(それはそれでどうなの……)
口には出さないがそんなことを思ってみたりもする。
「……元気そうね。乃木さん。安心したわ」
私と若葉の会話がひと段落する頃を見計らっていたのだろう。スッ。と私の横に並んで千景さんが若葉に声をかける。
「?昨日もあっただろ?」
「………そこは少しは空気を読みなさいよ…」
「?」
若葉の頭の上にクエスチョンマークがいくつも浮かんでいるのが目に見える。と言うか別に千景さんも何度もお見舞いに来ていることを隠さなくても良くないだろうか。
なんだか面白そうなので少しつついてみようと馬鹿なことを思った。
「千景さん昨日も来てたの?」
私はそう若葉に問う。すると若葉は即座に頷いた。
「昨日どころか毎日来てる。面会時間のギリギリに」
「っ!乃木さん!」
顔を赤らめて声を荒げる千景さん。そんなに照れることなのかと思わなくもないが、何か事情があるのだろう。そこまで深入りする気もないので一旦ここで終幕。
そこでここぞとばかりに手を叩いて皆の注目を集める杏と球子。そんな2人に私たちは「何事?」と首をかしげる。
私たちに求めていた反応であったらしく、杏は球子と目を合わせてから小さく笑った。それからなんと私たちに提案があると言う。
「こうしてみんなで会えたんです。もう桜は散ってしまいましたけど、何か代わりにしませんか?」
なんのことかと一瞬戸惑ったが、以前の私が皆と約束していた花見の件だと言う事にようやく脳の理解が追いつく。
これから先、こうして何度も自分がしたことの覚えがないことを記憶の底から引っ張り出して来ないと行けないと言うのは少し憂鬱だ。
「でもタマちゃんもあんちゃんも、若葉ちゃんもまだ怪我してるよ?外出て大丈夫?」
私も疑問に思っていたことを友奈が皆を代表して聞いてくれた。それに答えたのは杏と球子のどちらでもなく若葉だった。
「怪我人三人衆は車椅子だ。実言うと先程から3人で話していてな。ここからは他力本願にはなるのだが……」
「何か代わりに考えてくれってことだっ!足が粉々になっちまったタマにも出来ることを考えてくれよなっ」
なんだか酷く凄惨な話が聞こえて気がした。気がしたと言うのもまた変な話で目にはしっかりギブスで固定された足が映っている。
「どうしたんだ琴音。タマのこの名誉の負傷が気になるのか?」
「痛そうだなあって」
「感想薄!?」
そう?と疑問に対して疑問で応答する私。球子はじっと私を見つめるとようやく自身の感じている違和感に辿り着いたのだろう。
「なんだか琴音、前よりタマに辛辣になってないか?」
「前の私もこうだったと記憶してるけど。違った?」
「うーん。なんだろう。辛辣さの度合いが違うんだよなあ」
そこから球子は何やら1人ぶつぶつと「ああでもない。こうでもない」と呟き始めてしまったので、今の私になってからは初めて顔を合わせる杏の方に体を向ける。杏も私が何をしようとしているのかをすぐに察したのだろう。柔らかい笑みを浮かべて私を気遣った言葉をかけてくれた。
「事情は聞いてますから大丈夫ですよ」
「…ありがとう。あの、2人に聞きたいんだけどその怪我は私が?」
「違いますよ。これは私たちが勝手に負った傷なのでお構いなく」
「そうだぞ琴音っ。何でもかんでも自分がってのはある意味烏滸がましいんだからなっ」
「………土居さん、烏滸がましいなんて言葉…知ってたのね」
「千景!?それはちょっとタマを馬鹿にしすぎじゃないか!?」
「……やっと、やり返せた…」
「何に対してだっ!?」
杏と球子の怪我は自分のせいではないと言うことがわかり一安心。それと同時に2人の優しさがこれまで他者を隔絶してきた記憶しかない私の心をほんのりと暖かくした。
穏やかで賑やかな日常の風景。なんだかこんか和やかな空気感というのもひどく久しぶりな気がして、ホッと一息つきたくなってしまう。
(それにしては何か足らないような…)
ずっと隣にいて欲しいと望んでいた人が居たと言うのは『彼女』の記憶を辿れば自ずと思い出すのだが、どうにもその人の名前が思い出せない。
むむむ…。と喉を震わせると、そんな私の肩をひなたが軽くトントン。と叩いた。
「どうしましたか?」
「ごめん。私の問題…。まだ記憶の方が混雑しちゃってるみたい」
「仕方ありませんよ。私たちはどちらの琴音さんであっても味方なので困ったら何でも言ってくださいね」
そう言って微笑むひなたの細められた眼の奥には、また別の誰かを心配しているようにも思えた。それに気がつけたのは、私としては奇跡に等しかったと言えるかもしれない。
(…ここでそれを聞いても答えてはくれなさそう……)
私はこの違和感を保留にしようと決意した。考えるのは諸々の問題が解決した後でも良いだろう。
「それで花見の代わり…。どうするの……?」
「おぉ、そうだった!この間に何か良い案が浮かんで奴はいるか?」
脱線した話題を押し戻し、また脱線しては押し戻す。案外球子と千景さんは相性が良いのかもしれない。
2人の様子を見て、思わず頬が緩んだ所で友奈が元気よく手をあげた。
「はいはーい!!私は海行きたい!海水浴とか!!」
記憶を辿ると確か友奈は奈良県出身だったか。それなら確かに海とは縁遠い人生だったことだろう。
(なるほど。良い提案かもしれない。自分で考えるのも面倒だし、この話に乗っかろうーーーーー)
他の人たちも賛成〜。なんて同意しようとしたのだろう。示し合わせたかのように頷こうとしたまさにその時。酷く冷静な杏の声が病室内にじんわりと浸透していった。
「まだ春だけど、季節的には行けるんでしょうか」
それ言っちゃあ終わりですがな。
実際、皆の顔に諦めムードが漂い始める。
けど、一つ見逃していることがある。それはーーーーー。
「3人が退院する頃には夏じゃないかな。それなら行けると、思うよ」
「「「「「「確かに」」」」」」
こうして、若葉、球子、杏の退院後は皆で海水浴に行くことが決定したのだった。
だが1人浮かない顔をしている人物が……。
私はその人の横顔に目を向ける。彼女ーーーーー郡千景は何か言い出したそうにしながら、満面の笑みで手を握る高嶋友奈に対して微笑み返したのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
夕陽は落ち、もうすぐ夜が来ようとしている。病室に差し込む光はか弱く、あと数分もしたら月明かりに取って代わられることだろう。
そんな世界を背景に帰路に着く3人の背を病室の窓から見つめながら、隣に寄り添うように立つひなたは若葉にそっと声をかけた。
「琴音さんのこと、友奈さんに任せて正解でしたね」
「そうだな。私では、きっと部屋の外に連れ出すことすら無理だったろうな」
若葉は友奈の対話能力と言うものには絶大なる信頼感を置いている。誰にも気を許していなかった千景が唯一気を許しているのが友奈と言う実例も相まってと言うのもあった。
「若葉ちゃんは自分の事を過小評価しすぎです。もっと自信を持って良いんですよ」
「ひなたにそう言って貰えると励みになる」
若葉はひなたに微笑み返し、窓から背を向けてベッドの縁に腰掛けた。
「……琴音は希望のことは本当に覚えていないのだな」
「はい。だけど、それならそれで琴音さんにしてみたら幸せかもしれません」
「どう言うことだ?」
若葉は含みのあるひなたの物言いに思わず首を傾げた。
ひなたは、最初こそ言うのを躊躇っていたが、ここまで言って隠すことはできないと判断し、大社で先日決まった希望の処遇についての話を始めた。
「希望さんは、人類に仇なす存在として壁の外に追放される見通しです。大社の中には希望さんがバーテックスを呼び込んでいると疑い始めている人もいます。その疑念や、不安感を無くすための方法として大社は名目上、希望さんを『供物』として天の神に捧げるとしています」
ひなたの口から語られたその衝撃の内容は、若葉をもってしても理解するには十分な時が必要だった。
「待て、それを琴音は……。知っているわけが……ないか」
それもそのはず。若葉が今、ひなたから聞いたのだから心を閉ざし、部屋に引き篭もっていた琴音が知る由もないのである。
「伝えるべきなのだろうか?」
「……知らない以上、そのままにしておくべきだと私は思います。コトネさんはその事を察して入れ替わる時に自分の意識ごと、奥底に希望さんとの記憶を持って行ったんじゃないでしょうか……」
2人を取り巻く空気は静寂に包まれ、遠くから聞こえるリノリウムの床を叩く足音だけが妙に耳に響く。
それは全ての物事へのタイムリミットが刻々と迫ってきているように思えるほどだった。その感覚に若葉の表情が険しくなる。今、若葉は何を考えているのかひなたには容易に想像がついた。
足音は、気がつけば2人とも聞こえなくなっており、聞こえるのは互いの息遣いのみだったーーーー。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私は丸亀城の寮に戻ると、夜にも関わらず弓の稽古を始めた。
(私は臆病者だから、まず一から強くならないと)
私はコトネとは違う。だけど、コトネが私に残してくれた基礎を私なりに発展させることはできる。
何も持たない人生だが、くれたものを大事に育てる権利は私にだってあるはずだ。
(とは言っても、やっぱり的にはすぐ当たらないよね)
身体に刻まれた動きをそのまま模倣したが、どうにも上手く行かない。何が問題なのかとまた一から同じ動作を繰り返すが、再び失敗。
「むむむ……」
【倶利伽羅剣】を起因とする精霊を使用する事に恐怖心を抱いて扱えない以上、私はこの【生弓矢】で勝負するしかないと言うのに、こうも扱えないと戦力外通告待ったなしの状況だ。
「ん?そう言えば皆は武器一つしか無いんだよね。どうして私は2つもあるん?」
ふとそんな事を考えついてしまった。誰かにその説明をされた気がしなくもないが、声と顔にモヤがかかっているせいで思い出せやしない。
私にはこのモヤの原因となっている『誰か』を探し出すと言うこともしなくてはならないだけにやる事が実は多かったりする。
「兎に角今は少しでも戦えるようにならないと」
深呼吸をして、理想の謝形に身体を持っていく。弓を引き、狙うは的の中心。肌を撫でるそよ風が止まった瞬間、私は引き絞っていた弦を解き放った。
「……当たった。隣の的に」
悲しきかな。弓は放つ事すら難しいと言うし、たった数時間でそれが出来ているだけ相当にありがたいと思うべきだろう。他は要努力だと言う事を私はしっかりと痛感したのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
稽古を終え、汗を流すためにシャワーを浴びた後、私は夜風に当たるためにお城の庭に来ていた。
左眼は一時は見えていたが、またすぐに使い物にならなくなった。コトネの記憶を辿るとその傷が付けられた時の痛みが私にもよぎるので、なるべく思い出さないようにしている。
何故一時期は見えていたかは謎だ。私は勝手に精霊のせいだと思う事にした。
「戻ろ……と、その前に」
私はクルリと身体を反転させ、木の陰に隠れた人物に声をかけた。まるで忍者のような行動に、思わず笑いそうになる。
「そんなところで何してるんですか。千景さん」
「バレる、ものね……」
千景さんは素直にその姿を見せた。夜が深まったこの時間に吹く初夏の風が千景さんの綺麗な黒髪をなびかせる。
その姿は妖艶であり、美しくもあった。その為か私はしばらく千景さんに見惚れた。
「どう?体調は。あれから、少し時間経っちゃってるけど」
「あ、はい。大丈夫です。やっと私も、自分のすべき事が定まってきた所です」
ついつい見惚れて反応が遅れてしまったのはご愛嬌として見逃して欲しい。
「そう……。変なことを一つ聞いて良いかしら」
「私なんかに?」
「えぇ。……気を悪くしないでほしいのだけど、貴女は暴走の果てに何を得たの?それが、聞きたくて」
「何を得た……は難しいけど、そうですね。2度と誰も傷つけたくないって思いました。自分の手でもそうだし、他の誰かが誰かを傷つけるのも」
私は右手を強く握りしめる。この手に握られた剣で、私は友達を傷つけた。幾ら精神が不安定で、毘沙門天に乗っ取られかけていたとしても許されることではない。
それからしばらくの沈黙の後、千景さんは今にも消え入りそうな声と同時に頭を下げた。突然の事に私は狼狽えてしまう。それでも千景さんは私のことなど構わず、話を続けた。
「………貴女の過去の話は、聞いたし資料で見たわ。それで、似たような境遇な貴女だからお願いしたい。私は、多分、そのうち貴女と同じような事をしでかす気がする」
「え?」
「最近、胸の奥に黒い霧のようなものがかかるの。それが耳元の当たりまで這い上がってきて、呟くの。『本当に誰も憎いと思わないの?』って」
千景さんは既に精霊の力を2回使っていたと記憶されている。確かに悪影響が出始めてもおかしくない頃合いだった。
「素直なことを言うと……私は、確かに心の何処かで誰かを憎む気持ちもあったかもしれないわ……。子供の頃にされた心の傷、体の傷は…そう簡単に癒えるものでもない、し」
「千景さん。それ以上は千景さんがーーーー」
過去を思い出して辛くなるだけでは。
そう言って千景さんを止めようとしたが、千景さんは首を横に振った。
「私は勇者だから自分に価値があると、思ってた。けど、貴女が、高嶋さんが、皆がそれを否定してくれた……。私は勇者でなくても、皆の側に居ても良いんだって……。初めて、誰かに心から認められた気がして…嬉しかった」
「千景さん……」
「だから、何かあったら私を、止めてほしい。……私を、助けて」
真っ直ぐな千景さんの視線を正面から受け取り、その心の内を私とて読まないわけにはいかない。
私は答えとばかりに真っ直ぐと千景さんを見据えた。
「何かあった時は私だけじゃなくて、皆で協力して千景さんを止めます」
「……ありがとう。それと、もう一つだけ良い、かしら」
「?」
先程までの様子とは打って変わって、何やら千景さんは気まずそうに俯いてしまう。
「どうかしました?」
「高嶋さんには、もう、話したんだけど……。その、さっき、海に行こうって話になったじゃない」
「そういやなりましたね」
「私、あまり、肌を見せたくなくて……」
「なるほど?」
よく分からないがそれなら私から若葉にあの件は取りやめにして他のことをするようにした方が良いような気がしてきた。
「だから。その、一緒に水着……。買いに行って貰えない、かしら……。私、買ったこと、なくて……」
「へ?」
思いがけない提案に私の目は丸くなる。
「だめ、かしら」
「ダメも何も、私なんかで良ければ幾らでもお供します!」
逆に必死になる私に千景さんは小さく笑うと、私に背を向けて寮の方へと戻って行った。しかし、戻る直前千景さんは私の方を振り向く。何事かと首を傾げる私に、千景さんは笑いながらーーーー。
「私は…以前のあなたより……今の方が好ましいわ…」
そんな事を行って今度こそ私には振り向かず、丸亀城の坂を下っていった。
「今の私の方が好きなんて、千景さんも変わってるなあ……」
私は今の衝撃を全て受け止めるために今一度ベンチに腰掛け直した。それから再び何度目かの夜空を見上げる。
若葉たちが退院するまでには私も戦えるようになっておかなくてはならない。欲を言えば、バーテックス達が来ない事を祈るばかりである。
(また精霊の狂気に飲まれても、私は私のままで居てやる。だって、そうじゃないと千景さんを助けられないしね)
遠く遠くの星に手を伸ばす。その明かりを、握りつぶすために。