少女は星を追いかける   作:まんじゅう卍

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第28話 希望を紡ぐ、五月の空に

 数ヶ月ぶりに顔を突き合わせた希望は私の知っている彼女とは何かが違っていた。

 整っていたはずの顔は痩せこけ、髪はまだ中学生なのに白髪混じりになっており、美しかった黒髪は見る影もない。白装束の裾から見える右手には黒い紋様のような痣が首に向かって張っていた。

 私は彼女の状態を俄かには受け入れられず、せっかく会えたのに言葉が出てこない。そんな私とは対照的に、あっけらかんとした様子で希望は私の絶句を「いつもの反応」として楽しみ、けらけらと笑い声をあげた。

 

「いや〜。愉快愉快。琴音のその顔を見れただけでこの容姿になった甲斐があるってものよ」

 

 希望は冗談っぽく、くるりとその場で回って「どう?」なんて聞いてくるが、私にはそれが彼女なりの強がりなのではないかと思うしかなかった。

 以前として言葉を上手く紡げず、黙りこくる私に、希望は目を細めると改めて会話の口火を切った。

 

「あのさ。今って何月?」

 

 質問の意図がわからない。けれど、そんな中身もないような質問は私の胸に刺さっていた棘を取り除いた。

 以前もこうして緊張感をほぐしてもらった事を思い出し、思わず笑みが溢れる。無意識のうちに会えた事の喜びより、希望の現状を目の当たりに

して落ち込んでいた自分がおかしく思えたのだ。希望は辛くても、強がっている。それなら、私もそれに乗ってやろう。

 

「会って早々に聞くのがそれ?」

 

「もちろん。久しぶりに外に出たからね」

 

「それなら初夏の空気はとても美味しいだろうね」

 

「5月かあ……。最後に会ったのが2月とかだから、結構時間経ってるんだね」

 

 希望は「会ってた時の記憶はないけどね」と付け加えて肩をすくめてみせた。こうやって正面切って話すのは実に半年ぶりである。

 5月と聞き、希望は深呼吸をして空気を胸一杯に吸い込む。そして、それを一気に吐き出した。

 

「うん。良い香り。私、この時期が1番好きなんだ」

 

「その話、初めて聞いた」

 

「言ってなかったっけ。ちなみに、秋も冬も好き」

 

「何でも良いってことじゃん」

 

「そゆこと」

 

 そう言って無邪気に笑う彼女を見ていると、見た目こそ変化してしまったが、中身は変わっていないのだと思わされた。

 

「琴音は元気だった?と言うか、今はどっち?」

 

「どちらでもないよ。もうそんなのは関係ないから」

 

「また一段と強くなられたようで」

 

 希望は嬉しそうにまた目を細めた。しかし、元々彼女の表情はコロコロと変わる。喜んでいたかと思えば、次は唇を尖らせて拗ね出した。

 

「薄情にも私のこと忘れてそうな様子だったのに」

 

「……誰かから聞いてたの?」

 

「ひなたちゃんからね。一応、彼女は私と会う権利があったから」

 

「そうなんだ。ごめん」

 

 私とて忘れたくて忘れていたわけではないとだけ言い訳させてもらおう。とは言え、忘れていた事は事実なのでそこはしっかりと謝った。

 

「謝る必要はないって。琴音が生きてて、ちゃんと前を向いて進めているだけで私は嬉しいよ」

 

「親みたいなこと言うね」

 

「私が琴音の親に名乗り出ようかな」

 

「枠は空いてるよ」

 

「冗談のつもりだったけど、そう言えば可能なのか」

 

 希望は顎に手を添え、真面目に検討し出したのでこちらから先手を打っておいた。

 

「勝手に登録しといてあげるよ」

 

 こうしておけば彼女も納得しよう。私が親になれと言ってるのだ。拒否する理由はあるまい。

 希望は次はしっかりと冗談だと伝わる声音で「お願いしようかな」と戯けて見せた。

 何だか希望と話してると、懐かしさに浸ってしまいそうになる。そのまま溺れて沈んでいくのも悪くないとすら思ってしまう。しかし、希美はそれを拒絶し、未来へと進んでいく。

 

「世間話はここまで。私のことも、多分知ってるよね」

 

 希望が供物になり、天の神に捧げられると言う話を指しているのだろう。私は頷き、彼女の本心を知るべく問いかけた。

 

「……本当に供物になるつもりなの?」

 

 希望は迷う事なく頷いた。それだけで彼女が決意を固めてしまっていることは明白となってしまい、私はバレないように唇を噛んだ。

 希望が供物となる事を防ぎたい私とは違い、希望は供物となることを寧ろ喜んでいるようにも見えた。

 

「うん。これでしばらくは四国も安泰だ!私もようやく人様の力になる時が来たってことさ」

 

「悪い冗談だよ」

 

 本当に悪い冗談だ。希望は人様の力に十分なっている。これ以上、彼女は人のためになることをすると言うのだろうか。

 歴史上、人が名を残す時は2つに分けられる。英雄か。蛮勇か。私には彼女のことが後者に思えて仕方がなかった。

 

「私が止めても、その決意は揺るがない?」

 

 彼女は決意を固めていた。それでも、僅かな隙間はあるはず。生きたいと願う気持ちが何処かにあるはずだ。私はその可能性に賭けて、再び希望に問う。

 私の2度目の問いに、先程まではあっけらかんと前向きに物事を捉えていた希望の表情に影が出来たのを私は見逃さなかった。それは間違いではなく、希望は小さくため息を吐くと、まだ迷いのある口調で訥々と言葉を紡ぐ。

 

「…………どうだろう。私、琴音がここに来るとは思ってなかったし、記憶も戻ってるなんて思いもよらなかった」

 

「え、でも。私がここに来るように仕向けてたんじゃないの?」

 

 だからフルートを奏で、大社の人たちを人払いしていたのでは無いか。

 私の心の中での疑問を感じ取り、希望は鼻を鳴らす。

 

「なわけあるかい。昨日、建物の中なら最後に外に出て良いって言われたから出てたんだよ。それで公園の方を見てたら琴音がいるんだもん。しかもこっち走ってくるし」 

 

「私、希望のフルートの方が聞こえたからこっち来たのに?」

 

「何言ってんの。私、もう右手が使い物にならないからフルートなんて吹けるわけないじゃん」

 

「それなら、誰もここに居ないのは?」

 

「私が忌々しき敵だからさ。皆、私にご飯だけ届けると直ぐに退散するんだよ。つまり、ここは私の城ってこと」

 

 希望は吐き捨てるように語る。しかしこれで分かった事もある。入り口にも何処にも守衛のような人影はなかった。てっきり、希望が話を合わせ、私と会えるように画策したのかと思っていたがそうでは無かったらしい。フルートの音色も、希望は手に持っていない。隠した様子も無いから本当に吹けなくなってしまったのだろう。

 色々と思うところはある。しかし、希望が話を元に戻した事で聞く機会を見失った。

 

「話を戻して。琴音にだけは会う事を完全に禁止されてから隠れてたんだ。けど、琴音は私の事を忘れてるって聞いてたから最後に顔だけ見て、誰ですかあなたは。って言われてサヨナラするつもりだったんだよ」

 

「………」

 

 希望の次の言葉を黙って待つ。

 何か言えよと希望は私を一瞥するが、それでも口を噤む私を見て観念したのか、動く左手で頭を掻きむしると肩をガックリと落とす。そして遂に本心を口にした。

 

「なのに、何で思い出してるかな……。そんなの、揺るがないわけないじゃん」

 

 涙を目頭に溜め、無理に作り出した笑い声は掠れていた。まるで砂がこぼれ落ちるように儚く、悲しげな音だった。

 私はその砂を受け取るようにして手を伸ばす。何も希望が人柱になる必要なんてない。ここ数ヶ月の彼女の覚悟を無駄にする気なんてない。私が希望の覚悟を抱いて、バーテックスに挑めば良いだけの話なのだ。

 

「希望。行こう」

 

 ここから抜け出して、また丸亀城で共に過ごそう。大社なんて後から説得すれば良い。

 口に出さずとも通じると思った。通じて、私の手を取ると疑わなかった。だから私は空気を掴み続ける手を引くことはなかった。

 しかし、私の『希望』は簡単に打ち砕かれた。

 

「ごめん。琴音。私は無理」

 

「え?」

 

「琴音が皆を守るために死ぬ気で戦ってるように、これは私ができることなの」

 

「間違ってる。間違ってよ希望。そんなのはーーーー」

 

 固めてはいけない覚悟だ。

 そう言う前に私は希望の手を無理矢理掴もうと、更に手を伸ばした。その伸ばされた手は、やはり希望を掴むことはなかった。

 

「どうして」

 

 希望は諦めの悪い私を前に埒が明かないと思ったのだろう。言うつもりはなかったんだけどなあと呟いてから、希望は供物となる更なる理由を語った。

 

「私の命はそう長くないの。天の神の巫女のくせに神樹様に味方した罰。天の神が私にとんでもない呪いを残したの。そのせいで、日に日に衰弱してる。短い命が大勢の人の命を救うなら、私は喜んで行くよ」

 

 これまで何度も体調を崩していたのもそのせいだと言う。

 

「そんなの、あんまりだよ。まだ助かる手はあるかもしれない。諦めるの?」

 

「……渡したいものがあるんだ」

 

 希望は再三の私の問いには答えず、背を向けて建物の中へと入っていった。それが答えなのだろう。

 その背中を追いかけたら本当に全てが終わってしまいそうで、私は躊躇った。それでも希望の想いを無駄にすることこそ、私は望まなかった。彼女は決めたのだ。残り僅かな己の命の使い道を。それを私は肯定したくない。けれど、否定はもっとしたくなかった。

 私は拳を強く握り締め、希望の背中を追いかけた。

 

「琴音はこの先どうするの?」

 

 希望が背中越しに聞いてくる。その表情は見えない。

 

「戦い続けるよ。戦い続けて、希望の『希望《きぼう》であり続ける」

 

 いつかした決意を今一度口にする。私の声は誰もいない館内ではよく響いた。希望の表情は相変わらず見えない。

 

「そっか。あのさ。琴音。少しだけ思い出話に付き合ってよ」

 

「もちろん。どこの思い出?」

 

 希望は歩きながら顔だけこちらに向けると、ニヤリと嫌な笑みを浮かべた。

 

「やっぱり私たちの出会った大阪でしょ」

 

「私もそう来ると思ってた」

 

「だよね。いや〜。大変だったね。あの1年は」

 

「激動だったよ。私、あれを超えるものにこの先会えないと思う」

 

 冗談めかした言い方をしたが、希望も同じだったからか肩を震わせた。

 

「あまりに濃すぎて1日で話が終わるかわからないくらい」

 

「それならお互い1つずつ1番辛かった話をしよう」

 

「相場は楽しかったことじゃないの!?」

 

「あそこで楽しかったことなんて無かったよ」

 

「嘘ばっかり」

 

 あの絶望の地下街でフルートを奏で、皆の心を励ましていた時の希望はとても楽しそうだった。私と策を立て、秩序を守ろうと奮闘していた時も楽しそうだった。

 

(逆か……)

 

 辛かった中でも、楽しかった思い出しか今の希望は思い出せないのだ。だから、辛かった事を話そうと変な事を言う。

 それならとことん話してやろう。私なんて辛かったことのオンパレードだ。

 

「私は……やっぱり目が潰れたことかな」

 

「琴音はそうだろうね」

 

 あの一件は私も悪かったとは言え、あれ以来、魔女だの何だの言われ続けて困ったものだった。香川に戻ってきてからも、街中を歩いているときに指をさされ、魔女だと罵られるのではないかと言う不安すらあった。

 希望は性格が歪んでしまったのか、当時のことを思い出してけらけらと笑っている。なんて酷いやつだ。

 

「希望はどうなのさ」

 

 仕返しとばかりに聞いてみる。私は性格が悪くないので笑ったりはしないが、余計な一言でも言えれば勝ちだと思っていた。

 希望は既にどの話をしようか決めているだろうに迷ったフリをして、それからわざわざ立ち止まる。

 私も足を止め、希望が振り返るのを待った。しかし、彼女は振り向かず、暗闇の天井を見上げ、思いがけない思い出を語った。

 

「私はね。皆の前で演奏したこと、かな」

 

「え、でも、希望。すごい楽しそうに……」

 

 私はてっきり弟の一件だと思っていた。加えて、フルートを奏でている時が楽しそうだったと当時を振り返ったばかりだ。

 

「最初は良かったよ?皆、褒めてくれるし、役に立ててるって実感もあった」

 

 希望は自嘲気味に鼻を鳴らす。

 

「でも、段々と皆、募る絶望感に抗えず感情を曇らせていったでしょ?その時私は思ったの。あぁ。私の音色は心を動かすには至らなかったんだって。私はそれが辛かった。励まさないとって重しにもなってた。琴音はもっと重い物を1人で背負っていたのにね」

 

 言葉を区切り、ようやく振り返った希望はその苦々しい思い出を奥歯で噛み潰していた。

 

「私は琴音の役に立てなかったことが、何より辛かったよ」

 

 私にはどうして希望がここまで卑下するような事ばかり言うのかわからなかった。私は耐えられず、噛み付くような口調で希望に迫った。

 

「そんなことない。希望がいたから私は耐えられた。希望がいたから、香川に戻ってきてからも戦えたんだよ」

 

「琴音は優しいからそう言ってくれると思ってたよ」

 

「優しさとかじゃない。だって、希望の音色は私の心を動かしたんだ」

 

 空想でも、妄想でも、幻聴でも何でも良い。希望の音色が聞こえたから、私はこうして全てを思い出し、ここにいる。絶望の淵で希望の音色があったから、それを道標にここまでやって来たのだ。その全てを無駄だったなんて。辛かっただなんて私が言わせない。

 私は希望を真っ直ぐに見据えた。希望は何度か目を瞬かせた後、嬉しそうに微笑み、目を伏せた。

 

「ありがとう。そう言ってくれただけで、私は救われる」

 

 そして希望は背を向け、再び歩き出した。目的の部屋はすぐそこ。短い思い出話もここまで。

 この先、2度と大阪での出来事を話すことは無い。その事に寂しさを覚えながら、私と希望は廊下以上にお札や式神のようなもので満たされる気味の悪い寝室へとたどり着いた。

 希望は重そうな足取りで、ベッドの淵に腰掛ける。おばあちゃんみたいと冗談を言うが見た目が見た目なだけにそう見えてしまうのは何とも皮肉なものだった。

 私がベッドの隣に立てかけてあるフルートに目をやった所で、希望は私の腰に帯びている倶利伽羅剣を指差した。

 

「ねえ、琴音。その腰の倶利伽羅剣を渡してくれないかな」

 

「希望がくれたものを手放すと私が思うとでも?」

 

 希望は私が抵抗することも承知だったのか、特に困った表情を浮かべることなく、さも当然かのようにフルートを手に取ると私に差し出した。

 

「それは私が持ってく。代わりにこれあげる」

 

「でも、それは希望の大切なものでしょ」

 

「大切なものだから琴音に渡すの。ほら。交換交換!」

 

「え、ちょっと!」

 

 希望は一向に受け入れようとしない私の腰に手を伸ばし、力ずくで倶利伽羅を奪い去ると、代わりにフルートを押し付けた。

 私はついでに思い出す。希望は勇者の力を纏っていない私なら、素の力だけでねじ伏せることができると。

 

「ふふーん。思い出した?と言うわけで抵抗しても無駄無駄〜」

 

 右手が使えないと言うハンデを抱えながらも力で勝った希望は上機嫌で今にも鼻歌を奏でそうである。

 私と言えばフルートと希望を交互に見返し、不服であることを隠そうともせず唇を尖らせた。

 

「私にこれからどう戦えって言うのさ。フルートでバーテックスを殴れとでも?」

 

「モ○ハンに狩猟笛ってあったよね」

 

「あれはハンマーとして殴れる機能があるから武器として成立するの。こんな細い棒切れでどうしろってんだ」

 

「ひのきの棒って事で」

 

「大事なフルートをあんな最弱武器と一緒にして良いわけないでしょ」

 

 やっぱり、希望と交わす言葉の数々は心地よく、こんなどうでも良いような会話ですら心に深く刻まれる。希望の事を忘れていた身で言うのも説得力はないが、この先忘れようとしても忘れられないだろう。

 顔を見合わせて、いつかのように2人して豪快に笑った。希望は悔いなく天の神へ捧げられるために。私は悲しさを吹き飛ばすように笑った。

 涙は止まらなかった。

 

「私が渡しといてなんだけどさ。この倶利伽羅剣は天の神の物なの。琴音がこの武器の力を使い続ける限り、琴音はまた辛い目にあう。だから、この剣は私と一緒に天の神のもとへバイバイ」

 

 希望が何か言っているが、その内容を全て理解し切ることはできなかった。希望も私が聞いていないものと思って話を進めていく。

 

「そのフルートは私からの餞別。いつか、琴音が奏でる音色を私に聞かせてね」

 

「もちろん。希望の事、超えてやるんだから。だから……」

 

 涙で視界はぐちゃぐちゃだ。希望の顔を見たいのに、ぼやけてしっかり目に焼き付けられない。何度も服の裾で目を擦っても、次から次へと溢れる涙がそれを阻害する。

 涙の一つ一つが希望との思い出で、それが止めどなく溢れて、それを受け止めたくて。でも出来なくて。

 

「嫌だ!希望がいなくなるなんて嫌だよ!私は、希望に看取って貰うって決めてたのに!」

 

 私は泣き叫んだ。慟哭するように何度も、何度も希望の名を叫んだ。これまで我慢して来た事が一気に決壊した。

 そんな私を希望は優しく抱きしめる。痩せ細った彼女の身体は不思議なくらい重さを感じなかった。まるでこの世のものではないみたいで、神の供物になると言う事を余計に助長していた。

 

「勝手に私より先に死のうとしないでよ。琴音は長生きして、皆の『希望』になるの。私はそれを高いところから見守るだけ。ここ数ヶ月と何も変わらないよ」

 

 希望は肺にある酸素をすべて絞り出すような、重く苦しい嗚咽を一身に受け止めながら背中を優しくさする。

 その優しさに甘え、私は自分の気持ちを全て吐き出した。

 

「違う!私はそんなこと望んで無い!私は、希望とやりたい事沢山あるんだよ……。一緒に買い物に行って、料理もして。沢山写真も撮って!それでいつか喧嘩もして……。仲直りして、一緒に美味しいもの食べて、また思い出話もしたいの!私は……。希望に、生きて欲しいよ……」

 

 きっと希望は困った表情を浮かべているに違いない。しかし、私の自分勝手な希望への思いは彼女に届いた。

 

「琴音にそう言ってもらえて、嬉しい。こんなに嬉しいことは無いってくらい嬉しいよ」

 

 希望の声はまた掠れていたが、先程よりも暖かい。彼女なりの意地なのか、涙は決して流さなかった。その代わりに一層強く私を抱きしめる。

 

「最後はあまり長く一緒にいられなくて寂しかった。けど、私の魂はいつでも琴音と一緒だよ。この先もずっと」

 

 そして希望は最後に笑った。

 

「さようなら。琴音」

 

 彼女の私に残した最後の笑みは余りにも満足そうで、後悔も未練もない美しいものだった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 琴音が泣き止むまでにかなりの時を要した。わたしも久々に顔を見れて嬉しかったが、このたった一度の再会が最後なのだと思うと心が締め付けられる。

 会えるとも思ってなかったし、奇跡的に会えたとしても泣かないと決めていた。琴音の前で泣き顔を晒さなかった事はわたしからすれば大勝利だ。

 琴音はフルートの音が聞こえたからと言って、私の居場所を急に導き出したが、わたしは吹けない。きっと神樹様のいらない気遣いだ。渋々受け入れてやろうと思う。

 琴音は目を真っ赤に腫れ上がらせながらも、最後は笑顔で希望にお別れを告げた。彼女のいなくなった部屋は、大きな空洞が出来てしまったようでとても寂しかった。

 

「ふふっ。それにしても良い旅をだって。最後に皮肉を言うなんて、琴音も性格が悪いよ」

 

 別れ際の琴音の言葉を思い出し、思わず笑ってしまった。

 わたしが向かう先は良き旅路となるだろうか。

 

「ま、どちらでも良いかな」

 

 なんだって良い。琴音の旅路を見守る事さえ出来るのであれば、天国でも地獄でもそれは良き旅だったと言える。

 

「さてさて。私も最後の時を迎える準備でもしますかね」

 

 残された時間は残り5日。わたしは神官の置いて行った筆記用具と便箋を手元に寄せると、短くも重厚な時を共に過ごした仲間達に想いを書き連ねていく。

 まず初めに琴音への手紙を書き終えた後、2枚目に手を伸ばした時、その枚数が1枚多いことに気がつく。大阪以来のもう1人の親友である奏の分を含めても多く、せっかくなら誰かに書こうと悩む。

 

「………。大阪にまた戻れる時があれば、琴音に届けてもらおうっと」

 

 わたしは余った1枚に書き記す事を決め、2枚目。ここ数ヶ月で最もお世話になったひなたへの手紙を書き記し始めたのだった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 私は後ろ髪を引かれる思いで記念館を立ち去った。右手には希望の大切にしていたフルートとその他器具一式がまとめられたケースがすっかり馴染んで収まっている。

 帰る途中も泣かないと決めていたのに、ポロポロと涙は溢れた。その度に私は服の袖で乱暴に拭った。

 服の裾に作られた水玉の染みを目に焼き付け、私は前を向く。

 

「進むんだ。希望のために」

 

 私は背中に担いでいた生弓矢に手を添えた。この先、一層激しくなるだろう戦いを乗り越えるために、私はこの弓矢に新たな名前を付けることにした。

 

「これから戦いが終わるまでは希紡(きぼう)って名前にさせて貰うね」

 

 人間のわがままを神の武器たる生弓矢に強いるのもどうかと思ったが、生弓矢は私の気持ちに応えるように、鈴の音のような凛とした音をその弦から奏でたのだった。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 最近、丸亀城に戻ると毎回何かと騒がしい。前回は私が行方不明になった故だが、今回はもっと理由はハッキリとしている。

 混乱する人々の合間を縫って私はテレビの見られる食堂へと向かった。

 食堂に辿り着くと、そこにはテレビの画面を見上げたまま険しい表情を浮かべた若葉と、受けた衝撃を流しきれておらず、目の前の光景をひたすら目に焼き続ける杏の姿があった。

 2人とも足音で私が戻って来たのがわかったのだろう。若葉は振り返って私を見るなり「また何か変わったか?」と眉を顰める。

 

「変な言い方すると、ようやく私が私と一体化した」

 

「難しい物言いは今はわからん」

 

 若葉は苦笑いを浮かべると再びテレビへと視線を移す。だろうねと返し、私は近くの椅子に腰を落ち着かせながら、この場にいない2人の行方を聞いた。

 

「友奈ちゃんと千景さんは?」

 

「友奈さんと千景さんは救助活動に向かってます」

 

 答えたのは杏だった。杏の声音はやはり弱々しく、立ち直ろうとしても時間はかかるだろうと思わされる。

 私も最低限の情報だけ仕入れると、2人が目を向けているテレビへと目を向けた。そこに映し出される光景と情報は、別れを終えたばかりで消沈していた私の魂に怒りの炎を灯らせた。

 

「…………若葉ちゃん」

 

「あぁ。この報いは必ず受けさせる。必ずだ」

 

 若葉の手に一層力が強く入る。浮き出た血管が、彼女の想いをこれでもかと現していた。

 天の神は親友との別れを悲しむ間も与えてはくれないらしい。そして、その天の神に親友の命が奪われる事を私は許せない。

 

「空から引き摺り下ろして、叩き潰してやる」

 

 自分の口から出たとは思えない冷たい声は、空気を震わせる。

 気がついた時には、私の掌からは血が滲んでいた。

 

 

 

 初夏に行われた戦闘において、突如として飛来した太陽は樹海の一部を破壊した。その影響は現実世界に及んだ。

 屋島と呼ばれる地域は絶大な被害を受けた。被害を受けた地域は住人が少なかったことが幸いし、地域の8割が消滅した割に死傷者の数は100人に満たなかった。

 それでもこの被害は大きな渦を巻き起こすことになる。それをこの時、私たちはまだ知らない。

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