「…郡様が……謹慎、剥奪?」
誰かの呟きが、冷え切った食堂の空気にさらに氷を流し込んだ。
テレビの中のニュースキャスターと、大社の広報官。そしてインタビューを受ける人々は、さも正義を行っていると言った顔で、何も知らないくせに1人の少女を切り捨てようとしていた。
「大社は何も調査などせず、その場の感情だけで物事を決めたのか?」
若葉はそう呟くと、音がするほどの奥歯に歯軋りした。
「ふざけてる。千景はここにいろ。友奈、杏。千景のことを頼む。琴音とひなたは私と来い」
静かに怒りを募らせていた若葉は、大社の決定に意を唱えるために生太刀を握りしめて寮の外へと向かった。
私とひなたは顔を見合わせると、直ぐに若葉の背中を追った。
「あ、ごめん。ちょっと行ってて」
1人声をかけないと行けない子を思い出し、若葉とひなたに先に行く事を促すと彼女の下へ駆け寄った。
私は千景の隣で茫然としている詩音の肩に優しく手を乗せて、顔を真っ直ぐ見据えた。
「詩音。直ぐ戻ってくるから千景さんの事お願いね」
「私のせい?私のせいで……」
詩音は怯えていた。わかっていたのだ。自分が原因の一端を担い、再び迷惑をかけてしまったのだと頭を抱える姿は見ていて心が苦しかった。
「違うよ。詩音も、千景さんも、正しくはなかったかもしれないけど、あの時は誰だって同じ事をしたはず。ここまで追い詰めるほどの事を2人はしてない」
だから大丈夫だと最後に念を押して抱きしめると、詩音は僅かにではあるが落ち着いたようだった。
私は身体を離し、詩音の頬を手で挟み込むと優しく叩いた。すると緊張感も解けてきたのか、小さく笑った。詩音に笑顔が戻ったのを確認してから、私は千景にも向き直る。
「千景さんも。堂々と構えていてください。私達が何とかして見せます」
千景は無言で頷くばかりで、その場から動く気配すら見えなかった。
「友奈ちゃん。杏ちゃん。2人のこと任せた」
私は友奈と杏に託し、先に行った若葉とひなたを追いかけた。ついでに部屋に立ち寄ると希紡を手に引っ掴み、飛び出す。
私が追いついたのは大手門の近くであった。既に外は真っ暗で街明かりが無ければ足元すら視界を捉えるのは難しいのではと思わされる。
(この街明かりを守ってるのが誰だと思ってる!)
私も大社に不満を募らせながら若葉に続く。
ようやく隣に並べたところで、私は若葉に聞いていた話と違うと問い詰めた。
「大社はどういうつもり?昨日か一昨日は個人間の問題だから、処分は下さないって」
「私だって聞きたい。その話を取りまとめにいったのは私だからな。裏切られた気分だ」
若葉は生太刀の鍔を鳴らし、怒りを露わにした。頼むから抜くなどと思うなよと冷や冷やしながら視線を送ると、若葉も「そんな事はしない」とムスッと顔を顰める。
ひなたはひなたなりにこの出来事について、立場に焦点を当てて理由を探ろうとしていた。
「体裁を保ちたかったんでしょう。大社はこの国を統治する組織としてトップに立ってます。そこに属する者が例え些細な不祥事を起こしたとして、罰を与えなければ今後の支配体制に傷がつきますから」
大社に属するものは許される。こう言った思想を広めないために、千景は罰せられようとしているのだ。
「その理論はわかる。だが、剥奪まではやりすぎだ。千景は勇者であることを誇りに思ってる。心の危うさも今ではかなり安定してた。それをこんな形で刺激していいわけがないだろう」
私もそれは思っていた。最近の千景は、一時期と比べてかなり穏やかだ。それ故に心の余裕も生まれ、日常生活もバーテックスとの戦いも順調に進めていたのだ。
「でも、どうするの?報道は出ちゃってる。それを今更撤回しろって言いにいくわけにもいかないでしょ」
若葉も「そんな事既にわかってる!」と声を荒げた後、すまないと告げて私から視線を逸らす。何だか若葉らしくない様子に、若葉にとって千景の存在感は日々大きくなっていた事を簡単に私に悟らせた。
「……せめて、勇者の御役目を剥奪するのはやめさせる」
「私も出来てそこまでだと思います」
「明日の戦いにも千景は出撃する。今更、戦力を減らせば勝てない事は目に見えてるだろうに、なぜ……」
若葉は目頭を押さえ、とにかく思考を巡らせる。どう大社を説得すれば良いのかと苦慮しているようだった。
私は逆に大社の今後の方針に疑問を持った。希望が人柱にさせられるのは甘んじて受け入れよう。だがその先だ。
「勝つ気がない?」
私が軽く放った一言は若葉とひなたの足を止めた。
「希望の犠牲で全て終わらせるつもりなのか?」
「そうじゃないとこんな決断しない。戦争を続ける気なら、体裁など気にする暇などないんだから」
講和後も平和が長く続くとは思っていない。私は若葉とその価値観を擦り合わせたわけではないが、もって球子の退院までだと踏んでいる。
天の神にとって、私達は袋の鼠。わざわざ戦いをやめる必要などない。神の気まぐれで叩き潰されなかったとしても、その後の未来はないように完膚なきまでに敗北させるべきだ。
若葉も憶測とは言え、私の言い分に納得した様子を見せる。
「私達は皆を守るため、この世界を取り戻すために戦ってる。勝つためにだ。そこの辺りは問い詰めないとな」
大社と私達では対バーテックスに大きな差が生まれてきているように思えてならない。
私達が足を止めてまで憶測だけのやり取りをしていると、丸亀城の周囲に人が集まり始めているのが見えた。それが報道陣だと気づくまでに時間はかからなかった。
「急ぎましょう。そろそろここも報道陣に囲まれます」
ひなたに促され、私達は再び走り出した。
この一連の騒動。辿り着く結末は私達に委ねられている。走りながら、若葉は誰にも聞こえないくらい小さな声が、風に乗せられ私の耳にだけ届く。
「私達がこうして必死に走り抜けた後、枝分かればっかりの道が少しは真っ直ぐになっているだろうか……」
自分に言い聞かせたのか。はたまた誰かに問いかけたのか。私はその真意を知る事なく、勇者の力を見にまとった。若葉も神樹の力の本流に気づくと、直ぐに力を見にまとう。
「ひなた。乱暴だがすまん。掴まっていてくれ」
言うが早く、若葉は掬い上げるようにしてひなたを抱えると闇夜に紛れて大きく飛び上がった。私も若葉の背中を追いかける。
大社にたどり着いたのは、そこから僅か2分。私達の千景を守るための戦いが火蓋を切って落とされた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
千景は周りから向けられる不躾な視線をその身一つに集めている。仲間のはずの人達も、今では懐疑的な視線を向けてからではないか。
どこで間違えたのかと何もない場所に問いかける。唇は震えて、言葉も口に出す前に全て氷となってつっかえた。
千景は向けられる視線を何処かで感じたことがあった。思い出さないようにしていた記憶は、私と同じ顔をした何者かによって嘲笑に付せられながら開かれた。
「あぁ……、違う…。私は、私はっ……」
千景はやはり、テレビに視線だけは釘付けのまま膝から崩れ落ちた。隣から声をかけられるが、それも遠くの声にしかならない。
視線も。声も。触感も。五感全てを通じて千景に伝わる情報をシャットアウトしようと、千景は蹲った。
「そんな目で見ないで……。ごめんなさい。私が悪かったんです……。ごめんなさい…ごめんなさい……」
ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
呪いのように紡がれた赦しをこう言葉は、口に出していないのに千景の耳にこびりついて剥がれない。
罵倒され、服を破かれ、階段から突き落とされ、耳を裂かれ。かつて受けた傷の全てがジクジクと疼き出し、振り払いたくても映画のお気に入りのシーンを見るように何度も何度も瞼の裏で繰り返される。
テレビからはインタビューを受ける人達が好き放題言っているのが耳には嫌でも飛び込んできた。
『勇者と言っても、税金泥棒ですよね』
『私達の生活は苦しいし、勝ってるようにも見えないし』
『希望なんてないですよね。あの勇者達に』
『だって、人が死んでるのでしょう?』
『役立たずって言われても、仕方ない立場なんじゃないですか?』
『何も守れてないのに、小さな子に手を出すって酷いわよね』
千景の中に青紫の炎が灯される。情熱ではない、復讐の色。
(…何も出来ないのは、アイツらだ……。直ぐに手のひらを返して、私達を侮辱してーーーーーー!!)
怒りに身を任せる千景を惑わすように、同じ顔をした何かが訴えかけてくる。顔を上げろと、そこにあるものを見ろと先程と同じ嘲笑を向けてきた。
千景は恐る恐る顔を上げる。そこには千景と同じ顔をした幻影が、口を三日月に作り物のような笑みを浮かべながら、肩へ手を伸ばそうとしてーーー。
「勇者!パーンチ!!」
一陣の風がその影を、千景の心に宿った復讐の炎すら吹き飛ばす。千景が目を擦ってから改めて顔を上げると、友奈の拳が何もない虚空を切り裂いていたのだった。
千景を取り囲んでいた視線の檻は、全て友奈へと向いている。誰も、今この時だけは千景を見ていなかった。
「高嶋、さん……?」
千景は友奈が一体何をしたのか問いかけようとする。しかし、友奈はそれを許さず、先程琴音が詩音にしたように両頬を手で挟んで、無理矢理視線を友奈自身へと釘付けにした。
「ぐんちゃん!私の顔を見る!」
「え、えぇ」
困惑しながらも千景は友奈の手を、言葉を受け入れて友奈の顔を真正面から見据える。彼女は若葉とは違う、別の凛々しさをその面持ちに携えていた。先程見てしまった幻影とは違う。確かな人としての大切な温もりを、友奈の瞳からは感じられた。
ここでようやく千景は、自分が浅い呼吸を繰り返し、意識が朦朧としていたことに気がついたのだった。
「次はアンちゃん!!」
友奈は千景が落ち着きを取り戻したのを確認すると、勢いよく千景の顔を杏へと向けさせる。その勢いたるや首を捻じ曲げんとするほどだった。
「ゆ、友奈さん!?首!首、取れちゃいますって!」
物騒な杏の忠告も、何だかやけに人間味を纏っている。自分と似た顔をしていた幻影の誘惑とは大違いであった。
杏の顔を見ると、更に落ち着きを取り戻す。苦痛だった記憶の箱は過去の事は忘れるなと千景に伝えながらも、そっと閉じられ、奥底に沈んでいった。
「最後は詩音ちゃん!もとい、しーちゃん!」
杏の忠告もあったからか、詩音の方へと顔を向けさせるときはやけに優しかく、穏やかな手つきだった。
詩音の顔を見ると、自分のしてしまった事を思い出す。しかし、それ以上に周りが何と言おうと、この子は許してくれたのだという実感が湧き出た。千景のことを許していなければ、励ますように震える手を繋ぐことも、胸に飛び込んでくることもないのだから。
「ちかっち、大丈夫?」
千景を案じ、手を繋ぎ続ける彼女の手は、幻影から伸ばされた手よりも真っ先に触れたいと素直に思えた。
「その変な呼び方……どうにかならない?」
「嫌だった?」
「嫌じゃ……ないわ……」
詩音にそっと目を細め、安心させてから千景は目頭を押さえた。
その千景を見つめながら、3人は顔を見合わせると笑い合う。友奈もようやくここで千景の頬から手を離す。
千景は深呼吸をし、気持ちを整える。それから、這い上がれなくなるまで堕ちそうになった千景の手を引っ張り上げてくれた3人の顔を見上げた。
「ありがとう。もう、大丈夫……」
崩れ落ちていた千景も、膝に手をつきながらも立ち上がる。
「悪い事…考えてたわ……」
眉間を揉みながら、自分を見失いかけていた先程の自分を見つめ返す。あの時、友奈がいなければ自分は何をしでかしていただろうか。
想像を巡らせ、身震いする千景に友奈はニコリと笑う。
「仕方ないよ。こんな状況だもん。でも、大丈夫!ね!アンちゃん!」
友奈の言葉に杏は頷いた。千景はこの時、初めて気づく。杏の面持ちにはかつての弱々しさは見る影もない。力強く。されど抱きしめるように柔らかく、杏は千景に語りかける。
「はい。若葉さんと琴音さん。ひなたさんを信じましょう。私達は何があっても、千景さんを1人にはさせませんから」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大社にたどり着いた私達は、門前払いをくらうかと思えば、すんなりと中に通される。こうする事を予め知っていたかのような動きに、私は眉を顰めながら、神官の案内に従って目的の場所へと急ぐ。
その道中、私はひなたに一度だけ耳打ちをして尋ねた。
「ひなたちゃんはこの話、何も聞かなかったの?」
「はい。処分はないと言う話で止まっていました。多分……私は勇者に近づきすぎたんだと思います。私に伝われば、私は皆に話してしまいますから」
内密に事は運ばれていた。だが、どうにかこうして手を伸ばせはしている。まだ間に合う。そう自分に言い聞かせて冷静さを保ち続けた。
しばらくすると案内された部屋の前にたどり着いた。促されるままに中へと入ると、そこにはスーツで身を固めた中年の男性や、青年。神事に用いられる白い装束を見に纏う初老の男性。そして巫女が私達が来る事を知っていたと言わんばかりにこちらを見ていた。
「勇者様。こちらへどうぞ」
上座に座る初老の男性が椅子に座れと勧めてくる。穏やかな笑みを浮かべているが、目は笑っていない。その気味の悪さに私は大社と言う組織の根幹を垣間見た気がした。
だが、そうではない者もいる。ここにおいて、末席に加えられている数人の青年と巫女が向ける視線は身を案じているものが多かった。それだけで、気も楽になる。
私達3人は勧められるままに椅子に座り、正面から向かい合った。この歪な空間で、最も早く口を開いたのは若葉だった。
「郡千景の処遇について改めて説明願おう。聞いていた話と矛盾するようだが」
凛とした声はよく響いた。ここから数回、若葉と神官の押し問答が続いた。
「決定は訴えがあれば覆ることもあろう」
「訴えとは?どなたかが千景から手を出されたと?」
「それを見ていた者達だ。我々は勇者にこの世界の命運を託した。勇者はこの絶望で満ちた世界で希望の象徴とならなくてはならない」
「その希望の象徴に郡千景は相応しくないと」
「そう言う事になる。郡様は希望の象徴であるはずの勇者だ。しかし、一般市民に手を出し、傷をつけた。それが何よりの問題である」
「誰だって間違いはあるとわからない人達ではないでしょ」
私は目の前に座る者達に告げた。私の過ちを。すでに知っている事だろうから改めて突きつけてやろう。お前達の捨て駒が、本当は誰であるべきかを。
「なら言ってあげましょう。私は大阪の地で人を殺めました。見過ごした人の数を入れればその数は2桁です」
私の話を聞き、驚く人もいた。しかし、多くの人はそんなこと知っていると言わんばかりに動揺すら見せない。
動揺してくれるなら1番良かったが、こうも揺さぶれないと私も次の手を考えなくてはならない。とりあえず今は始めたこの言い分を突き通すしかない。
「郡千景が外されるのなら、私も勇者の任から外しましょう。私は象徴にはなり得ないでしょうから。それとも出来ない理由でも?罪の重さは私の方が上です。郡千景など、その足元にも及ばない」
言い終わり、睨みつけるようにして相手の反応を待つ。それに返してきたのは、初老の男性の隣に座る別の神官だった。
「東郷様はそれでも地獄の大阪より多くの人を救い出し、英雄と名高い。汚点を塗りつぶせるほどの名声があるのならば人はそれを受け入れるのです」
その発言に私が返そうとした時、激昂したのは若葉だった。
「っ!!千景にはその価値すらないと言うのか!!」
千景は多くの人を救った。それは人目には映らぬ樹海の出来事であったかもしれない。それでも彼女は失う以上の命をその手で救ってきたはずだ。千景はそれを数の理論と嫌うが、事実でもある。彼女はそれを望んでいるかは不明だが、十分その働きは英雄詩的だ。
大社の言い分はおかしい。目の前で偉ぶっている者達はそのおかしさに気づいてる。気づいていなくては困る。
激昂し、立ち上がった若葉を落ち着かせ、ひなたも優しくではあるが、厳しい言葉を投げかけた。
「歪曲して人々に伝わっている事は私達の耳にも入っています。しかし、大社の皆様がそれを間違いだと否定しなくてどうするのですか」
「………」
ひなたの言い分に大社の人々は無言で聞き入った。少なくとも筋の通った発言であり、大社の人々もそこだけは認めざるを得なかったようである。
ひなたは更に大社が勇者達をどう思っているのかを探るために一歩踏み込んだ。
「勇者の方々は、守られる対象ではないと言うことですか」
その問いに、やはり大社の人々は答えない。初老の神官も、青年達も、巫女も。誰も答えない。
ひなたは小さく息を吐いた後、予想外な事を高らかに宣言した。
「では、吾妻希望はいただいて行きます」
ひなたの突然の宣言に変な声を出したのは他の誰でもない。私だった。
「はぇ?」
思わず、え?正気?と困惑した視線を向けてしまう。しかし、ひなたは最初からこの予定だったでしょ?と言わんばかりに胸を張って堂々と宣言した。
「千景さんを陥れ、自分たちの保身のために蔑ろにするような人たちのために、希望さんは犠牲になる事を選んだわけではありません。彼女は自分の命が少しでも人類のために役立つと思ったから、その身を捧げたんです」
ひなたは一人一人に目を合わせ、必死に説得する。誰か1人にでも自分たちの思いが伝わるようにと。
「希望さんは自らを犠牲に、勝利への道筋を立てようとしてくれました。それを無駄にするような事をするのならば、丸亀城は皆様方に頑固として抗います」
本丸の大社に宣戦布告とも取れる不敵な発言を残し、沈黙が部屋に満ちる。心動かされる者も数人いたのか、ひなたを真っ直ぐに見据えている者もいた。動いた者にも、動かなかった者にもひなたは平等に頭を下げる。
「正しい判断をご再考願いします」
決着がつけば良かった。だが、認められないのかスーツを着用した中年の職員はひなたを指差し、批判した。
「子供のわがままを聞いてられると思うのか」
その言葉にひなたは顔を上げ、悔しそうに顔を歪める。私は遂に耐えきれなくなり、勢いよく立ち上がった。自分でも驚くくらいで、座っていた椅子は後ろに音を立てて転がる。それを無視して、私は声を張った。
「子供のわがままだろうと、それが正しくなかろうと、それが未来へ希望を印す道標になるのなら、いつか誰かがその道標を頼りに星を撃ち落とします。郡千景はその道標になれる!その一つを、あなた達に握りつぶされてはたまったもんじゃない!!」
「綺麗事だけでは世の中動かないんだ。それをまだわかってーーーー」
「私が誰だと?たった数人を生き残らせるために、綺麗事を全て無視した事をお忘れで?」
冗談混じりに、「だから何でも出来ますよ」と意地の悪い笑みを浮かべてやった。
「それは、だ」
脅すつもりはなかったのだが、脅されたと感じた職員は私に侮蔑の視線を送った。子供が癇癪を起こしたと思ったのだろう。残念ながら私は一度たりとも希紡に手をかけてすらいない。私も向こうに対し、意気地のない奴だと嘲笑を向けた。
「琴音。ひなた、もう良い」
もう一つくらい何か言ってやろうかと口を開きかけた所で、若葉は私を制止させた。
それから、彼女はやはり凛と透き通ったよく届く声で高らかに宣言した。
「私達は明日、神託通りに出撃します。それが最後になる事を祈っていてください」
若葉が私とひなたの肩を叩いて退室を促す。私はこの中途半端な決着に納得いかなかったが、若葉の指示に従うことにした。
きっと彼らの決定を覆すことは最初から無理だったのかもしれない。けれどこうして宣言した事に意味があるのだと若葉は思ったのだろう。
背後から向けられる様々な種類の視線を振り切って部屋を出る。ここに来るまでに通った長い廊下を誰の案内も無しに歩く。
「これで良かったの?」
「あぁ。何を言っても無駄だ。私達は千景を守るぞ」
「そのためには、誰にも頼らないと?」
案内も無しに進むこの歩みが、私達の行く末を表しているようで少しだけ不安になる。ここで私は後ろ盾に大人が居たということの安心感を感じたのだった。
しかし、若葉は前を向きながら私の問いに答えた。気づけば目の前には外に出るための扉が迫っている。ここで若葉は一度私とひなたを振り返った。そしてその力強い目に覚悟と決意を宿し、私とひなたを引っ張るように頷いた。
「誰にも頼らなくても、こうして袋小路を出る扉には辿り着くだろう?」
その意味と意図がわからない私とひなたではない。先程、私の抱えた不安は気づけば吹き飛んでいた。この背中についていけば、大丈夫という安心感を覚えた。
「かっこよすぎ。そりゃファンも数多くいるよ」
私は若葉より先に踏み出し、扉を開く。ただの自動ドアだと言うのに、これが私にはダンジョンと外の世界の境界線となる大きな扉に思えた。開かれた扉を乗り越え、私達は暗闇の世界へと再びその身を置く。
丸亀城への道のりを歩みながら、私は考える。若葉が暗闇を切り開く剣となるならば、私の役割は既に決まっていた。
「それなら、私は若葉ちゃん達の行く手を阻む者を払う矢になろうかな」
「そしたら私は若葉ちゃんを守る盾ですね」
誇るように宣言した私とひなたに、若葉は小さく噴き出す。
「頼もしいな」
若葉は私とひなたに信頼しているとこちらに伝わるほどの優しげな視線を向けてくれた。
その事に喜びを感じつつも、心配しなければならない事はもう一つある。丸亀城近辺の商店街の影から、丸亀城方面を覗くと出た時よりも多くの報道陣がいた。迷惑極まりない。
「さて。報道陣もあると思うけどどう帰る?」
私がどうします?と首を傾げると若葉は妙案があるとばかりに、口の端に三日月を作った。
「記者の上を八艘跳びと言うのはどうだ?」
「若葉ちゃん、ちょいとジョーク上手くなった?」
「練習したからな」
「ジョークの練習ってなんぞや」
私が呆れ返って尋ねると、若葉は「何でもいいだろ」と先程まで向けてくれていた信頼は何処へやら。つっけんどんに突っぱねられてしまった。
「まあ、リアルに飛び越えよっか。相手するのめんどくさいし」
「そうしよう。ひなたもそれでいいか?」
「いえ。私が報道陣の相手をしましょう。こんな事もあろうかと変装用の服も着てきたんですよ」
そう言って上に来ていた巫女の正装をひなたは脱ぎ去った。その下から露わになったのは、こんな深夜に歩いているとは思えないほど可憐な服に身を包んだ正真正銘の美少女だった。
ひなたの姿を見て、私の口からは素直な感想が漏れ出た。
「素材が良いってずるいね。罪だよ罪」
「だが、ひなた。巫女の姿の方が報道陣は食い付くのでは?」
私の感想になど目もくれず、若葉は純粋な疑問を口にした。ひなたはそれに小さく頷きながら答えた。
「巫女は大々的にその存在はアピールされてませんからね。と言うわけで、ここからは私は郡千景の友達となります」
「友達なのに?」
「はい。地元由来からというのはどうです?」
「余計ややこしい事にならない?」
高知の人々まで更に出てこられては混沌を極めるだろう。それは避けたほうがいい。
「それならばこちらに来てから助けられた人という事で」
「そっちの方が良いな。ひなた、任せて良いか?」
納得のいく形で収まり、若葉の願いをひなたは笑顔で受け入れた。
「もちろんです。大社だって卑怯な事をしたんですから、私達だってこのくらいはやってやりましょう」
それに、どうせ肯定的な意見はテレビに使われませんからね。と若干捻くれた見方を私と若葉に告げた後、手を振って嬉々として報道陣に突撃していった。
「行こっか」
「そうだな」
ひなたの背中を見送り、私と若葉は裏門ではなく、勇者の力を纏い堀を飛び越えて城内の草むらに転がり込む。
結末として、千景を守れたから私も若葉は自信が無かった。それでも、私達の意思は見せる事ができた。それで良かったのだと言い聞かせ、皆が待つであろう食堂へと走ったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
食堂に着くと、そこには先程の人だかりは無くなっていた。残っていたのは千景と友奈。杏。そして疲れて机の上で伏せって寝ている詩音。
3人は私と若葉に気がつくと、少しだけ表情を緩めた。
「すまない。遅くなった」
「若葉さんも琴音さんもお疲れ様でした。何か変わりそうですか?」
私と若葉は素直に頷けはしなかった。答えとして、悪い方向には向かないだろうとは伝える事にした。
事の顛末もついでに伝えると、千景は複雑そうな心境そうながらも、気持ちは幾分か軽くなったようだった。
「疲れただろう。千景も友奈も杏も先に休んでいてくれ。明日は大事な日だ。体調が良くなければバーテックスには勝てない」
「わかった。若葉ちゃんも、琴音ちゃんも早く寝てね」
自分達も大概疲れているだろうに、気遣いの言葉をくれる友奈。そんな友奈を信頼して、私は一つ友奈に頼み事をした。
「友奈ちゃん。詩音のこと、私の部屋に運んでおいてくれないかな」
「うん。わかった」
友奈は頷くと、詩音を抱き抱えて食堂を出た。その背中を見送り、私は若葉に向き直る。
「若葉ちゃん。明日はどうするの?大社の反応が無くても……」
「千景が居なくては現状勝ち筋が見えない。私と友奈の精霊。『源義経』と『一目連』でも倒せるかは未知数だ」
若葉の言う通り、2人の切り札の威力は相当高い。しかし、サソリ型のバーテックスに杏の切り札の力は歯が立たなかった。それがどうしても不安要素となってしまっているのが現状だ。
私は先日、友奈がとある事を大社から命じられて大変だと唸っていた事を思い出す。
「友奈ちゃんは上位の切り札を使用する挑戦はしてるって聞いたけど」
「私も入院中に元気な時はしていた。だが、まだ私は無理だ。心技体が完全ではないらかな」
「そっか。毘沙門天さえ使えればなあ」
「自分が何をしでかしたのか思い出してみろ」
若葉に鋭い視線と言葉を向けられ、私はぐうの音も出なかった。我ながら思うが、反省しているのかは本当に不明だ。していると思いたい。
「………ごめんなさい本当に」
「気にするな。……だが、あまり何度も琴音の刃を受け止めれるものではないからな。あれは痛い」
「気にしてるじゃん」
そらそうだ。私だって大事な人を突き刺すなど、あの時ぐらいにしておきたい。
「琴音は今使える切り札は誰なんだ?私はてっきり上杉謙信と毘沙門天とばかり思っていたが」
「あれは倶利伽羅剣に附属する切り札で、今は確か真田幸村」
「戦国武将ばかりではないか」
私の使用する切り札の名を聞いて、若葉は苦笑いを浮かべた。
「それは良いでしょ。置いといてよ」
「上位の切り札は指定とかなかったのか?」
「あれって選べるものなの?」
「私は大社から指定された。友奈もだ。千景や杏はわからない」
「選べるならそうだなあ」
若葉と友奈の新しい切り札が何かわからないが、それなりの格は欲しいところである。ただ、知識としてその力を借りる者の事を身につけねばならぬし、受け入れるために身体を鍛えておかねばならない。どちらにせよ、この短い期間では無理だ。
「毘沙門天はどうやって使ってたんだ?」
それは私も知らない。バーテックスに対する怒りとか、その他諸々の感情を全身で体現したら、力が漲ってきてあの惨状である。
「わかんない。勝手になって、勝手に暴走して、周りめちゃくちゃにしてた」
「大社も頼れるか怪しいラインになってきたし。あんな事言った手前、力貸してくれとは言えないよ」
「四国に何か伝わっていれば良いのだがな。……そう言えば、小学生の頃、社会の授業でやったな。覚えてるか?龍神様の話」
「まさかとは思うけど」
「それしかないのではないか?」
「無茶言わないでよ。いくら何でもそれはーーー」
人の手に余るのでは?と続きを言おうとしたところで物音がした。そちらを向くと、ひなたが意気揚々と帰還したところであった。
「ふふん。やってやりました」
「な、何してきたのさ」
「千景さんに何かされた事はないかと聞かれたので、私しか知らないエピソードをたくさん話してあげました」
良くも悪くもひなたは満足そうなので、私と若葉はこの件に関しては口を閉じた。
それにしてもひなたはあの包囲網をどうぬけてきたのだろうか。私は首を傾げる。
「それでどうやってここに?」
「とある人に助けてもらいました。近くにいましたので」
「誰?」
「琴音さんも知ってる人です」
それだけで私は1人の青年を脳裏に描いた。偶然こんな時間に居るとは思えず、あの人なりに私達の動きを予想した上での行動だろう。凄いとは思うが、あの人が私達の肩をそこまで持つ理由も、やはりわからない。
「とにかく助かった。ひなた。例を言う」
「たまには私だって役に立ちますよ」
若葉に礼を言われ、ひなたは目を細める。
「若葉ちゃんも琴音さんも休んでください。あと8時間後には出撃です」
ひなたの言う通り、時計を見ればかなり夜は深まっていた。
「おやすみなさい。若葉ちゃん。琴音さん」
無理矢理送り出さねば私と若葉が動かないと思ったのだろう。ひなたは手を振って私達を見送った。
「おやすみ。ひなた」
「おやすみなさい。ひなたちゃん」
私達はひなたに返事をし、見送られながら、自室へと歩みを進める。今からベッドに入って、寝て仕舞えば戦いだ。
私と若葉は無言だった。何も話さず、部屋に入る前、最後に目と目を合わせる。
決戦まで、残り8時間。