決戦の朝。窓の外は、夜の闇を無理やり引き剥がしたような、冷たく鋭い白に染まっていた。
私は静かに身支度を整え、希紡を手に取る。部屋の隅では、詩音が私の予備の服を握りしめたまま、浅い眠りの中にいた。
しゃがみ込んで、詩音の寝顔を覗き込む。余りにも幼いその寝顔はとても可愛らしく、私の緊張を程よくほぐしてくれた。
「あまり話せなかったな……」
もう少しだけ言葉を交わしてみたかったような気もする。そうすればもっと、血の繋がった姉妹としてお互い心を寄せ合えたかもしれない。
(何私、負ける前提で話進めてるんだろ)
縁起でもないと鼻を鳴らし、私は詩音を起こさぬように外へと歩み出す。
「……行くんだね」
扉に手をかけた瞬間、背後から衣擦れの音と、震える声が聞こえた。
振り返ると、詩音が大きく開いた瞳で私を見ていた。その目には、昨日までのような怯えではなく、私をどこか遠くへ行かせてしまうことへの、純粋な拒絶が浮かんでいる。
「うん。千景さんも、若葉ちゃんも待ってるから」
「死んじゃ、嫌だよ。琴姉がいなくなったら、私……」
詩音が駆け寄ってきて、私の腰にしがみついた。その体温が、これから戦場へ向かおうとする私の心を、脆く、暖かく溶かそうとする。
詩音に私はこの戦いについては詳しく話していない。それでも、家族を失ったばかりだからか、彼女なりに直感がそう語っているのかもしれない。
私は彼女の頭に手を置き、意識的に力を込めて引き剥がした。今の私に、躊躇は毒だ。
「詩音。……帰ってきたら、私のこと、お姉ちゃんとして認めてくれるかな」
「え……?」
「じゃないと、戻ってくる場所がわからなくなっちゃうからさ」
詩音の頬を、今度は少し強めに叩く。彼女は驚いたように目を見開いた後、涙を堪えて、小さく、けれど確かに頷いた。
「約束だよ。……約束だからね、お姉ちゃん!」
その声を背中に浴びながら、私は一度も振り返らずに部屋を出た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
巨大進化体がいるとされるのが、壁の向こう側。直線的に見れば大橋の向こう側だと言う。
今、私達は瀬戸大橋の上を歩いているが、やはり壁の向こう側には何も見えない。サソリ型のバーテックス以上の巨星だと言うのだから見えてもおかしくないと言う疑問は自然と湧き立つ。だが、心のどこかで大したことのない敵の可能性を捨てたくはなかったみたいだった。
「ひとまず千景は来れて良かった。任務は危険だが、それ以上に居てくれる安心感は段違いだな」
「乃木さん、上里さんにもだけど……よくそんな恥ずかしげのある事を…堂々と言えるわね……」
「そこが若葉ちゃんの良いところだからね!」
そんな気の抜けた会話もしつつ、壁が近づくにつれて皆口数も減っていく。そして遂に、壁の外へと出た。
「ーーー!?」
壁のすぐ間際。私達の目に映ったのは、サソリ型バーテックス以上の大きさを誇る巨大なバーテックスだった。まだ完成はしていないのか、次々の通常のバーテックス達が集まっては融合を繰り返している。
(まだ未完成だったのに、あの攻撃を?だとしたら、こいつは)
ここで倒さねば最早手出しが出来なくなる。
千景も、杏も友奈も。目の前の光景に圧倒され、武器は構えはするものの、どこを攻めれば良いのかと体が動かない。
若葉はハッと息を呑むと、瀬戸大橋を戻って再び壁の内側へと戻った。そして戻ってきた若葉の表情を見て、私達は気づく。
「結界によって、隠されてる?」
杏の呟きに若葉が頷く。
それもそのはずだ。考えればすぐにわかる事だった。結界となっているこの壁ではあるが、ここまでに巨大なバーテックスを四国の人が目にすれば平常ではいられない。隠す事は納得できる。神樹様が人々の心を守ろうと目隠しのような効果を壁に付与してるのだから。だが、それはーーー。
「切り札の事といい、隠蔽していることが多すぎる……」
これでは千景の一件もあり、どこまで大社を信じれば良いのかわからなくなる。
「……今は、大社や結界より……あれを倒さないと……。私達は、そのためにここに来たのでしょう?」
若葉は千景の言葉で本来の任務を思い出す。
皆が心の中で思っていた。これをここで倒さなければ、この先、四国への侵攻を止められるのかと。否。今の段階ですら、自らの刃は通るのか。
「千景の言う通りだ。ここからは作戦通りで行く。友奈、準備を」
「出来てるよ!若葉ちゃん!」
友奈の返事を合図に若葉が精霊・義経を。友奈も一目連をその身に宿す。
2人は頷くと同時に巨大バーテックスへと跳躍した。
切り札を使用し、身体能力の向上した2人、自らの何十倍もある巨大なバーテックスにその刃と拳を振るう。
しかし、巨大バーテックスは百以上を超える竜巻の如き拳を喰らっても、八艘飛びにより速度を上げ、威力を上乗せした数百回を超える若葉の全力の斬撃を喰らってもその姿は揺らぎなくそこにいる。
「化け物が!」
「硬い!これじゃあ!」
切り札を使用した2人分の攻撃を受けて倒れないバーテックスは恐らくいないだろう。若葉の願いにも似た予想は容易く打ち砕かれた。
(予想はしてた!けど、ここに千景さんの七人御先の攻撃を加えても、杏ちゃんの雪女郎の吹雪を加えても意味はない!)
それでもやらねばならない。倒さなければ、希望の犠牲も。詩音の下へと帰る約束も何も果たせない。
私は若葉と友奈に向かっていく通常のバーテックスを打ち落とし続ける。切り札を使うなと言う若葉の指令が、ここまでまどろっこしい物になるとは思いもしなかった。
「伊予島さん。私達も」
「はい!」
私と共に通常のバーテックスを相手にしていた2人も、ついにその身に切り札である精霊の力を宿す。
2人の攻撃も大型バーテックスには幾度となく浴びせられる。それでも、異常な耐久力を誇るこのバーテックスはびくともしない。それどころか、勇者達の攻撃が自分には通じないと理解しているからか、攻撃を私達に直接加える事もしないどころか、融合を止めようともしない。
私が相手にし続けている通常個体も、戦闘が始まってから数分経つ頃には既に危害を加えようとする事をやめていた。
「っ!!皆!そいつから離れて!!」
友奈と千景の2人の全力を合わせた一撃を与えられ、一部が欠けた後のことだ。遂に巨大バーテックスが動き出したのである。
私の張り上げた忠告の声が届いた若葉と杏はすぐに離れる事が出来たが、友奈と千景は反応が遅れた。
体の向きを変えた巨大バーテックスは以前、屋島へと放った火炎球を再び発射したのだった。
回避が遅れた友奈と千景は、千景の分身である7人のうち6人を焼き尽くされたが、なんとか友奈を抱えて壁の方へと着地する。
火炎球は本州の陸地へと着弾。激しい轟音と衝撃波が瀬戸大橋に立つ私達にも届いた。その事に、最早呆然とするしか、私達には許されなかった。
「もしもあれが神樹様に向けられてたら……」
「前回の屋島の一件も、奇跡に近かったと言うのか」
目の前の光景に、杏と若葉でさえ絶望の息を吐く。
絶望に満ちた勇者達の中でも、まだ諦めぬ者もいた。
「若葉ちゃん。私、使うよ。酒呑童子の力を」
友奈が決意のこもった目で若葉を射抜く。
「待て友奈!それはまだ」
「四国のみんなを守るにはこれしかない!私が、頑張ればそれでみんなの負ってきた傷は無駄にはならないんだから!」
友奈は若葉の制止を振り切って、再び巨大バーテックスへと跳躍した。
そしてその身に一目連以上の力を纏う。しかし、その力は不完全で、変身は完全には出来ていなかった。
それでも接近してくる巨大な力に通常のバーテックス達も恐れを感じたのか、巨大バーテックスを守るために友奈へと襲いかかる。
友奈は襲いかかってきたバーテックスを砲弾のような拳一つで全て貫いた。たったの一振りで私達の下までその威力は届く。
私の毘沙門天の力がそうであったように、酒呑童子の力は頭一つ抜けていた。その分、私は反動が大きい事も知っている。
「おおおおおおぉおおお!勇者!パーーーーーンチ!!」
友奈の雄叫びと共に拳が巨大バーテックスに届き、打ち砕くーーー。はずであった。
「っ……」
友奈の口の端から血が流れる。腕は酷い火傷を負い、皮膚は爛れた。それに加え、身体中には裂傷を負い、血を吹き出した。
「高嶋さん!!」
「友奈!!」
「友奈さん!!」
打ち砕かれたのは友奈の拳だった。いや、間違いなく巨大バーテックスの外郭の一部は完全に消し去った。それでも内側にまで、そのダメージは届かなかった。
酒呑童子の力を持ってしても、ここまでしか出来ない事に若葉と杏。千景は更なる絶望を与えられる。今も友奈の名を叫ぶ事しかできないでいた。
友奈は空中で力無く、大勢を崩し、そのまま落ちていく。それに食らい付き、ここで危険分子を排除しようと通常個体が追い打ちをかけた。
私は友奈が落ち始めるのと同時に駆け出していた。この状況で若葉の合図を待っている事など出来なかった。
真田幸村の力を纏い、勇者の衣装を赤く染め上げる。そして私の周りには多くの武士の魂が現れた。私自身も火縄銃を手に取り、友奈を追いかけるバーテックスへと照準を合わせる。
「打て!!」
短い命令を合図に一斉に弾丸が放たれる。放たれた弾丸は、一発ごとにバーテックスを粉砕した。
バーテックスの散った証拠である光の粒子の海を落ちる友奈。私は瀬戸大橋の橋脚を蹴って友奈の下へと飛び込んだ。
「友奈ちゃん!!」
落下しながら手を伸ばし、名前を呼ぶと、友奈は僅かに残った意識で私の手を掴んだ。
私はそれを精一杯引き上げると、友奈を抱いたまま海へと衝突した。
「がぼっ……」
深く。深く落ちていく。上へと上がらなければならないのに、落下の衝撃が強すぎて這い上がる事が出来ない。
それでも私は友奈を離さなかった。ようやく水中での落下がおさまると、友奈と共に何とか上り詰め、海面へと顔を出す事が出来た。
「はぁ…はぁ…。友奈ちゃん!しっかり!友奈ちゃん!!」
私は何度も何度も友奈の名を叫ぶ。友奈はこの時、目を覚ます事はなかった。
私と友奈は助けに来た若葉と千景に救出され、すぐに結界内へと退却した。友奈の症状は本来、酒呑童子の力に順応できたはずが、慌てたばかりに不完全なものとなり、肉体が耐えられないために起こったと後日、私達は伝えられた。
若葉と千景、杏の攻撃は一切通らなかった。唯一攻撃を与えられると期待感を感じさせた友奈も戦闘不能。私達は、決戦どころかその舞台にすら立たせて貰えなかったのである。
(勝てなかった……。本当に、希望に全て託すしか、無くなっちゃった)
私達は撤退後、丸亀城で悔しさと悲しさのあまりにも項垂れていた。
行き詰まった現状を打破する方法は、まったく見つからなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
わたしの耳に勇者敗北の報が伝えられたのは、夕食の時だった。それを伝えた巫女は相変わらず足早に立ち去っていったけど、敗北の中でも犠牲者は誰も出ていないと言う事にわたしは安堵する。
「綱渡りだけど皆生きてる。良かった……。皆を守れる」
きっと今、バーテックスが攻めてくれば琴音達勇者は戦えはするだろうが、順調に展開できずに樹海はバーテックスの攻撃で汚染され、四国のあちこちで被害を巻き起こしていた事だろう。
「本当なら多分、わたしの近くにいるあの巨星を倒せれば良かったんだろうね。わたしはつまるところ、天の神とそいつを抑える役目って事かな」
うん。それならば俄然やる気も湧いてくる。
わたしはたったの2日でおぼつかなくなった足取りで、寝かされていたベッドを降り、琴音から強奪した倶利伽羅剣に手を触れた。
「こいつで一突きでもして、一矢報いたかったなあ……」
今のわたしでは、この武器に手を触れるのが限界だ。持ち合わせていた腕っぷしは、琴音からこの武器を奪い去る時に全て使ってしまったみたいだった。
「明日、か」
自分の命日が予め決められていると言うのは何とも不思議な感覚だ。数ヶ月前まで、漠然とまだ生きられると思っていた頃が懐かしい。
わたしはベッドには戻れず、その場で崩れ落ちた。最後に一度だけ泣いておこう。そう思って流した涙の温度を、わたしは感じられなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
歯が立たなかったと言う事実だけを成果として持ち帰り、疲労困憊の中辿り着いた自室では、詩音がポツンとベッドの上で窓の外を見て座っていた。
「ただいま」
短い一言に詩音は肩を震わせ、ゆっくりとこちらを向いた。
「……おかえり」
詩音のその声は、消え入りそうなほど細かった。
私の体は海水と返り血で汚れ、服を着替えてもそれは拭いきれなかった。友奈を抱え上げ、荒れ狂う海から這い上がってきた名残は、見る者が絶望するには十分すぎる姿だっただろう。
詩音はベッドから降りると、たどたどしい足取りで私に近寄ってきた。そして、私の汚れきった手に、そっと自分の小さな手を重ねる。
「……勝てなかったの?」
その問いに、私は言葉を詰まらせた。
あんなに大見得を切って、詩音に「お姉ちゃんと呼んで」なんて約束までさせておいて、持ち帰ったのは完膚なきまでの敗北だ。友奈は意識を失い、若葉たちの刃は通じず、希望が人柱になる道しか残されていないという残酷な現実。
「……ごめん。……弱かったよ、私は」
自嘲気味に呟いた私の言葉を、詩音は首を振って打ち消した。
「生きてる」
「え……?」
「お姉ちゃん、生きて帰ってきた。約束、守ったよ」
詩音は涙を溜めた目で私を見上げ、精一杯の力を込めて私の手を握りしめた。
そうだ。勝てなかった。何も守れなかったかもしれない。けれど、詩音にとっては、私がこの扉を開けて「ただいま」と言ったこと自体が、唯一の救いだったのだ。
私は、震える手で詩音を抱きしめた。
温かい。潮の匂いと鉄の匂いに塗れた私を、詩音は嫌がりもせずに受け入れてくれる。
「次は勝つよ。だから詩音も、応援してほしいな」
「うん。お姉ちゃんは次絶対に勝つ。生きて帰ってきたから、保証する」
詩音の言葉ならば信用しても良いかもしれない。この子、昨日会ったばかりです。
「詩音。お腹減ったよね。ご飯行こっか」
「朝から何も食べてない」
「心配して?可愛いところあんじゃん」
「琴姉より私可愛い」
「私だって左目さえなければ」
「ないよ?」
これ以上の会話は不毛だ。左眼の件さえなければのつもりだったのに、詩音は私の目をそもそも無いと切り捨てた。酷い言いようだ。
けれど、何だか今の私にとって絶望を塗りつぶし、日常をくれるのは詩音だけな気がした。
詩音の手を握りながら、私は自分の身が血濡れてる事を無視して食堂に向かう。
(………どうすれば勝てる)
友奈の酒呑童子は巨大バーテックスを一部とはいえ損壊を与えた。ならば、上位の精霊の力を用いれば、何とか対抗策は練れるというわけだ。
それと同時に怖さもある。私は毘沙門天で人格と記憶を一時的に失った。友奈も全身を血に濡らす事になってしまった。
(若葉ちゃんや千景さん。杏ちゃんにその覚悟があるのかな)
あればそれだけで何とかなる。でも、今頃は精霊の使用によって少しだけ精神的には参っているところだろう。この話を持ちかけるのはまた後日にする事にした。
再出発。と言うにはあまりにもほろ苦いが、誰も欠けていない。その事を今は喜ぼうと思う。
明日のこともある。私は、詩音の手を一層強く握ったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
千景は壁の外から戻ると、友奈の運ばれた病院へと付き添っていった。謹慎の処分を与えられたはずの千景が大社の管轄する大病院に現れたことは一つの混乱の種となったが、運ばれた友奈の状態を見てそれどころではなくなったようだった。
緊急治療室に運ばれていく姿はあまりにも痛々しく、治すことの出来ない千景はその場で立ち尽くすことしか出来なかった。
そこに駆けつけてきたのはひなただった。若葉も杏も病院には来ていたようで、琴音だけは病院に行くことを拒んで先に丸亀城へと戻ったのだと言う。
ひなたも友奈の運ばれた緊急治療室を前に、佇む。そして千景を気遣う言葉を投げかけた。
「千景さん。大丈夫です。友奈さんは強いですから」
「そう、ね。高嶋さんは……強いから」
「聞き方が悪いとは思いますが承知の上で聞きます。心の方は大丈夫ですか?」
「そっちは……大丈夫よ…。これまでの戦いで…精霊を使った回数は…少ないから……」
千景はたったの数回で飲み込まれそうになっていた自分が少しだけ恥ずかしいと感じていた。琴音は大阪からの積み重ねがあったし、誰よりも真っ先に切り札である精霊を使って仲間を救った。琴音に比べて、千景が自分を見失い始めるのは少々早すぎたのである。
千景の答えを聞いて、ひなたは苦笑いを浮かべた。千景にはひなたが何故そのような表情を浮かべるのか。その意味が伝わらなかった。
ひなたは気を取り直して、千景に真っ直ぐ向き直る。そして、友奈の身を案じながらも、千景に優しく微笑んだ。
「戦えない私は皆さんの帰りを待つしかありません。千景さん。今回もよく帰ってきてくれました」
「上里さん……」
「生きてさえいれば、まだどうとでもなります」
その言葉に、千景には別の人物がよぎる。その人は今、何を考えて生きてるのか千景にはわからない。秋山でもなく、東郷でもない。一つ下の可愛げのない後輩は、今や別の存在のように思えて仕方がなかった。けれど、その変化に不快感はない。
千景は小さく息を吐くと、ようやく緊急治療室に釘付けになっていた視線をようやくひなたへと向けた。
「…楽観的ね」
「ふふっ。私がどこかの誰かに教えたことですからね」
「それも、そうね……。そういえば、謹慎の件…今にして思えば私は…ここにいていいのかしら」
千景もテレビなどの情報はあまり目にしたり、しないようにしていた。しかし、周りの反応を見るにまだ自分の謹慎が解けていない事は察せる。
不安に次ぐ不安。千景を襲う負の連鎖は未だに収拾の兆しを見せはしない。そんな千景に、ひなたは力強く笑いかけた。
「千景さんは私と居れば大丈夫です。私だって、巫女として勇者を守れるんですから」
千景はその一言にどれだけの安心感を覚えただろう。元々、友奈以外を信じなかった千景は希望と出会った事で心を僅かに開き、そこを開いたのが琴音を始めとした勇者の仲間達だ。自分のそんな変化も、不思議ではあったが不快感はなかった。
だからこうして、千景は素直に口に出せるようになったのだ。
「ありがとう。上里さん」
千景のお礼の言葉に、ひなたはまた一層明るく。そして誇らしげに胸を張ったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
若葉と杏は千景と友奈より、数分遅れで病院に到着した。若葉は最初、検査に行く事を渋り、友奈の下へと駆け出しそうになっていたのを、ひなたと杏が無理矢理止めたのである。
今は2人ともレントゲンで骨に異常がないかを検査し終わったところで、丸亀城へと戻って来ていた。千景とひなたは友奈の手術が終わるまでは病院に居るとの事で、残ると言い張っていたのだが無理矢理帰らされたのだった。
丸亀城に着き、若葉と杏は着替えだけ済ませると、いつの間にか憩いの場と化していた食堂へと足は勝手に進んでいた。
「怪我が打撲程度で済んだのは助かった」
「私も、少しの低温やけどですみました」
2人で廊下を歩きながら自らの状態についての簡単な情報交換を行う。
「私達、怪我をしたのに良かったと言えるのはもしかして変なのかもしれないな」
そう言って、若葉は杏に肩をすくめて見せた。そんな若葉に、杏は相変わらずの強さを見出す。それがこのたった一瞬だけは虚勢であると言うことも。
「負けましたね。完膚なきまでに」
杏があえて振った戦いの結果を改めて目の当たりにし、若葉は肩を落とした。
「……勝てると思ってた。5人いて、余力がある状態での戦いだ。だと言うのに、この様とは……」
「大社も私達も敵の全容を把握できてませんでしたから、仕方ありません。それに前日にあの騒ぎです。落ち着いて戦えた言われる方が無理な話でした」
「だが、攻撃がほとんど通用しなかったのは事実だ。対策の練りようはあるのか?」
杏は若葉の縋るような問いに対する答えに窮した。
戦略も戦術も通用しない敵とはそもそも戦闘にはなり得ないのだ。戦場という舞台において、公平に力のバランスが振り分けられることは無い。だが、平等に損壊を与えられるという条件がない限り、それは戦闘とは言わない。虐殺と言うのだ。
「………ごめんなさい。私は今、それを明言できません」
杏は短い言葉と首を横に振ることでしか、若葉に自分の意見を伝える事は出来なかった。
若葉も杏が万能でない事を知っている。そこを補うのが仲間の役目だとも思っている。若葉は杏を安心させるように優しく肩を叩いた。
「杏が謝ることではない」
「……ありがとうございます」
杏は悔しさを滲ませながらも、次へと繋がる失敗だったと自らを納得させる。沈痛な面持ちだった2人には、気づけば徐々に力が戻りつつあった。
若葉は食堂を目前に立ち止まると瀬戸大橋に目を向けた。杏もつられてそちら側に目を向ける。
「私たちが負けてしまった以上、ひとまずは明日だ」
その先にいるであろう希望に若葉は目を伏せた。
「まだ私達は希望さんに生かせてもらえてます。次に必ず勝つために、出来ることをしましょう」
杏の力強い言葉に、若葉は頷く。止まっていた歩みを再び繰り返し、目的地に辿り着く。日常の象徴となりつつある食堂は若葉達を優しく包み込んだのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その夜、私は若葉の勧めで香川に伝わる龍神の伝承を調べる事にした。戦いが終わり、詩音にご飯を食べさせていたところ、若葉と杏も丸亀城へと戻ってきた。
一緒にご飯を食べる中で、私にも毘沙門天に近い力が再び必要だろうと言う話になった。昨夜の話が冗談だと思っていたのだが、杏が意気揚々と話に乗っかり、首根っこを引っ掴まれて図書館へと連行されたのだった。
その前に返り血だけは何とかしろと若葉にかなり真面目に説教もされた。説教もほどほどに、若葉の話を聞くところによると、上位の精霊を切り札として使用するには、素となる精霊の事を詳しく知り、内に宿して扱えるくらいには心技体を鍛える必要があるのだとか。
そして今はその言葉を信じ、詩音を寝かしつけ、借りて来た資料に目を通しているところである。
「難しいな。いくら何でも漢文とかくずし文字は読めないぞ」
しかしながら、目にする資料は文字が意味不明で読むことすらままならない。
私は諦めて、現代語で解説されているものに目を通す。
「田村神社の奥殿深淵には龍が棲み、覗いたものは絶命するとされて、開かれたことがない。古来、讃岐は雨が少なく、古代から溜池が作られてきたが、当社付近は香東川の伏流水が多い地域で、農耕に欠かせない湧き水への信仰が、祭祀につながったと考えられている……。おお。確かにこれなら聞いたことがある」
ここまで詳しくは知らなかったが、お父さんが何度か話してくれたような記憶もある。
「けど、覗いたら絶命するって……。私、命いくつあっても足りないのでは」
酒呑童子並の恐ろしさをこの龍とやらは持っているように思えてならない。毘沙門天も大概だが、それに近しいものすら感じる。
力を借り受けることが出来て、戦いの中で使えたとしてもその回数は指で数えられるならば上々であろう。
(でも、今日わかっただろ私……。そのくらいの力を使わないと、天の神には勝てない)
ペンを握る右手の力は僅かに強くなる。
「やるしかない。希望の想いを無駄にしないために」
私は必死に資料にくらいついた。もしかしたら、明日のことを考えて気を紛らわせているのかもしれないなんて思う。
夜はどんどんと更けていく。ようやく私が目を閉じたのは、日が昇る1時間前だった。
起きたのはそのたった3時間後。希望の儀式が始まる2時間前。
「……やりますか。伊賀越え」
私は口の中でボソリと呟くと、まだ眠る詩音に置き手紙だけ残す。それから静かに身支度を整え、希紡を持って瀬戸大橋記念公園へと向かったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
5月中旬。遂にその日が来た。
わたしはいつものように運ばれて来た朝食に口をつける。口をつけるだけ。もはや天の神の呪いによって、飲み込むことが出来ないまでに身体は衰弱していた。
「………こんな姿…見せたく、ないなあ……」
鏡に映る自分はかつての面影など見ることも出来ない。唯一と言っていい所は顔だけだ。
また半日経っただけで、体の機能はかなり停止した。どれだけ残されているかを知るには、そんなに時間はかからないだろう。
味のしない朝食を少しだけ無理に飲み込み、それからはベッドの上で身なりを整える。
最低限、最期を見届けられるに相応しい及第点まで身なりを整えたが、到底、神への捧げ物としては及第点にすらならない。思わず鼻で笑って自分自信を哀れだと嘲笑を浮かべると、わたしは1人の青年神官に最期への一歩を踏み出すように告げられた。
「吾妻様。時間です」
「わかりました。あ、そうだ。箕輪さん。いいですか?」
わたしは迎えに来た箕輪と言う名の神官を手招きすると、彼に仲間達への手紙を託した。きっと、ここに隠していても処分されてしまいそうな気がしたのだ。わたしの人生の最期で最も運が良かったのは、迎えに来たのが琴音も信頼を置いていた神官である箕輪だったことに違いない。
「お願いします。その手紙、頑張って書いたから……渡して、欲しくて…」
箕輪は無言で頷くと、手紙を懐にしまう。そして、わたしには触れずに扉の奥を指し示す。
「お身体が苦しいとは思いますが、皆様がお待ちです。この部屋の外までは、お一人で」
「わかり、ました……」
箕輪の指示に従いわたしは、1人扉の向こう側を目指す。最期の力を振り絞って掴んだ倶利伽羅剣だけは必ず離さないという意地すらあった。
倶利伽羅剣を杖のようにして、ゆっくりとした足取りで前だけを見て進む。
(1人…1人か……)
琴音の前や、ひなたの前では強がってみたりもしたが、やはり1人は寂しい。しかも、このままでは扉にたどり着けるかも怪しいくらいだ。
誰か1人。最期の時、ほんのひと時さえ支えてくれる人が居ればなんて願ってはいけないことを願った。
わたしが半分ほど進んだ時のこと。なんだかやけに外が騒がしくなり始めた。聞こえてくる内容は物騒で、その声もとても聞き覚えのあるものだった。
(あははっ。最後の最後で、本当に……来てくれるんだ……)
わたしを華々しき最期へと導く大切な友人。友人にこんな事を頼むとはわたしも人の心がない。
僅かに光が差し込んでいた扉が乱暴な大きな音を立てて、勢いよく開かれた。わたしはそこに映る影を見て、ホッと一安心してしまった。
(琴音……。また無茶しちゃって……)
昨日の戦いのショックはまだ引かないだろうに、死にゆくわたしのためだけに無理をした。それは何とも甘美な響きを纏っている。
わたしは嬉しくなって、彼女の下へとゆっくりと。されど着実に歩みを進めた。
残り、10歩。
ここまでどうでしたか?少しは楽しんでいただけているでしょうか。
どこかで幕間も挟んで、カットした所もやりたいですね笑笑
いつも通り、読んでくださるだけで嬉しいのですが、良ければ感想や評価を聞かせてくださると嬉しいです!
それではまた次回!すぐにお会いしましょう!