少女は星を追いかける   作:まんじゅう卍

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第36話 継がれた旋律

 手紙を全て読み終えた。結論から言おう。私は負けた。意味のない意地は本当に意味がなかった。今や目の前の手紙よりも紙屑同然となっている。

 

「本当にさあ……。ずるいよね」

 

 ひなたが言った通りだった。私の相棒であり、親友であった彼女を私は忘れられない。

 

「これで、やっとみんなが言ってた事が理解できたよ」

 

 してやられたことが悔しく、私は悔し紛れに手紙を優しく折り畳み、机の奥へと大事にしまう。私はそれからすぐに部屋を出た。部屋を出て、走りながら箕輪に連絡を取る。

 すると彼は何故か、まだ先程のカフェに居ると言う。私が戻ってくる事をわかっていたような立ち振る舞いに、私は走りながら思わず声を上げて笑ってしまったのだった。

 

 駆け込んだ例のカフェでは、箕輪は同じ席に、本を片手に座り続けていた。彼は私の顔を見るなりニヤリと笑う。ここ最近の箕輪は、以前ほどの丁寧さは見受けられなかった。

 

「こうなるとわかってたんですか?」

 

 額を伝う汗を、服の袖で乱暴に拭いながら私は箕輪の対面に腰掛けた。

 

「わかってなければここには居続けないよ」

 

 目の前のしたり顔は、汗だくになった私には殴りたくなるくらいに憎たらしく見えた。

 店内のクーラーの風は、汗で濡れる私をこれでもかと冷やした。一応私も女であるので、匂いなどは気にするわけですよ。制汗シートが欲しいと思ったのは大阪の夏以来だ。思い出すだけでもあれは酷かった。あそこまで衛生管理が終わった空間もそうなかったと思われる。

 私が嫌な記憶に顔を顰めている間に、箕輪は隣の鞄を漁っていた。

 

「これを取りに来たんだろう」

 

 そう言って彼が私に差し出したのは『フルート〜初心者変〜』という市販の楽譜件入門書であった。

 希望はいつの間にこんなものを入手したのだろうか。私は少なくとも、これを買っている姿を目にしたことはなかった。

 

「今日の僕のお役目はこれでお終いだ」

 

 彼は一息つくと、荷物をまとめ出した。彼は私に手紙を渡し、尚且つ読んだ上で私がここに戻って来ることを前提とした日程を立てていたらしかった。

 

「私が来なかったらどうしてたんですか」

 

「臆病者だと笑ってあげたんじゃないかな」

 

「笑えなくて残念でしたね」

 

「まったくだ」

 

 彼は口の端を僅かに緩めた後、荷物を持ってカフェを後にした。

 

 箕輪から受け取った一冊のノート。

 そこには、希望の少し丸っこい字で、フルートの基礎から彼女なりのコツまでが細かく記されていた。指使いの図解の端っこに「ここは気合!」なんていう、彼女らしい適当なアドバイスが書き込まれているのを見て、私は不覚にも少しだけ笑ってしまった。

 カフェからの帰り道。雨上がりの澄んだ空気の中、私はそのノートを胸に抱き、希望が描いてくれた私の「未来予想図」を反芻していた。

 恋をして、振られて、大号泣して。大社で適当に働いて、みんなと笑って。

 そんな、ありふれていて、眩しいほどに贅沢な未来。

 

(……そんな未来、本当に来るのかな)

 

 ノートの重みが、今は心地よかった。これがあれば、彼女が隣にいなくても、私は彼女の音に近づける。忘れないでいられる。

 そう思った、その時だった。

 空気が、震えた。

 物理的な振動ではない。背筋を逆撫でするような、あの不吉な、嫌悪感に満ちた神域の軋み。

 直後、静まり返っていた街に、スマホから樹海化を告げる緊急信号が鳴り響いた。

 

「嘘、でしょ……」

 

 足が止まる。

 見上げた空、瀬戸大橋の彼方――神樹様の結界が、激しく明滅していた。まさしく、樹海化の前兆だ。

 停戦? 講和? そんな甘い言葉を、嘲笑うかのような圧倒的な暴力の気配。

 雲を裂いて現れたのは、禍々しい「星」の輝きだった。

 希望があれだけのものを捧げて、あの子が命を賭して繋いだ「束の間の平和」は、わずか1ヶ月で、あまりにも容易く踏みにじられた。

 胸を満たしていた暖かさは、急速に温度を失い、別の激情が私を支配した。

 

「ふざけるな……。こんなっ!!こんな事を!!!ふざけるなあああああああ!!!!」

 

 私が天へと向けた絶叫が迫り来る樹海化の波と同化する。叫びは消えるどころか、樹海の端から端まで轟いた。

 空を埋め尽くすバーテックスの群れを前に、私は希紡を構えながら全力で地を蹴った。

 

「お前らの価値なんか!!」

 

 限界まで引き絞られた弦は、私の怒りを乗せて鈍い金属音を響かせた。

 放たれた一矢は、樹海化の余波を切り裂き、先行するバーテックスの核を正確に貫く。しかし、爆散する敵の向こう側には、絶望的な数。空を埋め尽くす異形の群れが、嘲笑うようにうごめいていた。

 

「お前らの価値なんか!! 希望が遺した1秒にすら満たないんだよ!!」

 

 私は再び矢をつがえる。しかし、空を埋め尽くすほどのバーテックスは次の攻撃に時間がかかる事を見抜いていた。

 

「っ!!」

 

 眼前には10体のバーテックスが嬉々として迫ってきていた。怒りの余り、視界も思考もまともな働きをせず、私は回避行動が遅れる。

 慌てて飛び退ったが、間に合わない。鋭利なノコギリのような歯は私の腕を噛みちぎろうとした。その時、4つの閃光が駆け抜け、星々を打ち砕いた。

 

「琴音!!無事か!?」

 

 若葉が衣装を翻しながら、滑り込むようにして私とバーテックスの間に割り込んだ。

 私はそんな若葉の肩を掴むと、行き場のない怒りをぶつけてしまった。

 

「いずれ来ることは予想してた。けれど、早すぎる!これじゃあ希望は何のために――」

 

 怒りに任せた私の発言を止めたのは球子だった。私は、まだ出撃できない球子の登場に目を丸くする。

 

「その先はノンノンだぞっ!琴音っ!」

 

「タマちゃん。もう大丈夫なの?」

 

 勇者の服に見に纏う球子であったが、まだ戻ってきて良い状態ではなかったはずだ。球子は嘘か誠か、既に勇者システムは返却されていたと言い、空に浮かぶバーテックスを睨みつける。

 

「大丈夫なわけあるかっ。でもな、タマだって怒るんだよ。今は怒りで痛みなんてほとんどないっ」

 

「大丈夫なのそれ……」

 

 自分より怒髪天が抜けてる人を見ると、逆にこっちが冷静になってしまう。

 

「……皆、同じ想いよ…。私も、許せない……」

 

 千景の武器である大鎌を握る手は、怒りで震えていた。

 杏も、何も言うことはしなかったが、千景の隣で強い眼差しを私と若葉に向けている。それは私達の反撃への最初の合図だった。

 若葉は生太刀を抜刀すると、バーテックスへとその切先を向けた。

 

「奴らを絶対に許すな!勇者の名にかけて、希望の栄誉を穢したことを後悔させてやれ!」

 

 若葉の咆哮と共に反撃が始まった。

 友奈は参戦できず、前線は手薄になるかと思われた。しかし、その心配は杞憂だった。

 千景の鎌が虚空を薙ぎ、死の結界を展開してバーテックスの群れを足止めする。その隙間に球子が痛みに顔を歪めながらも、施刃盤を投げ込む。撃ち漏らしたバーテックスは杏のクロスボウから放たれる矢が撃破していった。友奈の枠を埋めようとする勇者達の連携と、希望の死を踏み躙ったバーテックスへの怒りが友奈の不在を見事に埋めていたのである。

 そして最前線では若葉は文字通り「嵐」となってバーテックスを粉砕していた。

 

「乃木さん……いつの間に切り札を…」

 

 義経の力を纏った若葉は目の前に迫る数100のバーテックスに対し、完全なる優位性を持って戦っている。若葉は八艘飛びの応用で、己を軸に嵐を巻き起こしたのだ。

 切り札である精霊をなるべく使わないようにしよう。と言うのが私達の最近の方針であった事を踏まえると、何の躊躇いもなしに切り札を使った若葉は相当な怒りを覚えているのではないか。

 

「1番怒ってるの、若葉なんじゃないか?」

 

 先程まで怒り心頭。怒髪天をぶち抜く勢いだった球子も、若葉の苛烈な攻撃を目の当たりにして、変な冷静さを取り戻していた。

 その後も勇者達による攻撃はバーテックスを一切寄せ付けず、戦いは優位に進んだ。となると始まるのは――。

 

「うええ、進化が始まったぞっ!」

 

 通常個体のバーテックス達は一箇所に集まり、進化体を形成し始めた。若葉も突撃し、進化体の形成を阻もうとするが限界が来たのか、一度離脱してしまった。

 遂に形成されたその進化体は、私の構える弓の弦と同じようなものを口の部位に備えていた。進化体は想像通り、光を弦に集中させ、巨大な光の矢を編み出す。その矢が放たれる前に、若葉に代わって杏が指示を出した。

 

「タマッチ先輩は盾の用意!千景さんはタマッチ先輩の補佐を!琴音さん!撃てますか!?」

 

「準備万端だよ!」

 

 私は既に切り札である真田幸村の力を矢に全て込めていた。

 こんな使い方だって出来るんだぞと、私はバーテックスにほくそ笑んだ。

 

(駆け抜けろ!目指すはアイツの首!ただ一つ!!)

 

 私が放った矢は、紅蓮の炎を纏い、樹海の空気を一変させた。

 放たれた一撃は、進化体が放とうとしていた光の矢を正面から喰らい尽くし、爆音と共に異形の巨体を飲み込んでいく。光と炎が激突し、周囲の樹木をなぎ倒すほどの衝撃波が吹き荒れた。

 

「……っ、外さない!!」

 

 私は即座に二の矢をつがえる。真田の赤備えを思わせる熾烈な殺気が、私の右腕を、そして瞳を焦がすように熱くさせた。進化体が炎の中から再生しようとうごめくが、生み出された弱点の位置は私の目にはっきりと焼き付いている。

 

「行け!!」

 

 二射目。放たれた矢は進化体の口腔を抉り、その奥にある核を粉々に粉砕した。

 断末魔さえ上げられず、形を保つことのできなくなった巨大な異形は光の塵となって霧散していく。その姿を見送っていると、若葉が隣に着地した。

 

「……やられたな」

 

 若葉が衣装についた汚れを払いながら呟いたその短い一言は、私達に与えられた平穏が崩れ去った合図だった。

 この日を境に、私達の戦いは苛烈さを増すこととなるーーーー。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 停戦が破られる事は、大社は予想済みだった。しかし、ここまで早く破られるとは予想をしていなかったようである。

 大社は千景の謹慎を解き、秘匿すべき事実となった今回の一件を外に漏らされないように詩音への制限は更に厳しくなった。

 私達はと言えば、翌日もバーテックスの攻撃にさらされていた。翌日も、その翌日も。

 次々と鳴り響く樹海化の警報が、私たちの日常を塗りつぶしていく。

 千景の謹慎が解かれたのは、慈悲でも何でもなかった。ただ単に「戦力が足りない」という大社の身勝手な台帳計算の結果に過ぎない。

 別に樹海化中は誰も見ていない。千景が謹慎中だろうと戦っていた事は大社は知っていただろう。だが、形として謹慎を解いた方が見栄えが良かったのだ。

 

 戦場では、昨日と同じような、けれど昨日より少しだけ強いバーテックスが、昨日と同じような、けれど昨日より少しだけ疲弊した私たちを待ち構えている。

 

「琴音! 右から来るぞっ!」

 

 球子の叫びに、私は反射的に希紡を引く。視界には既にバーテックスは捉えていた。

 

「わかってる!千景さんカバーお願い!」

 

「……任せて」

 

 千景の振るった大鎌は私を囲もうとしていた別の数体のバーテックスを切り裂く。私は撃ち漏らしたバーテックスに矢を放った。強く引かれた弦から放たれた矢は、直線上にいたバーテックスを貫いた。

 戦いから離れていた期間も長く、不安視されていた連携は、確かに完成されつつあった。友奈が未だ戻ってこれないなりに、工夫して戦う事で以前よりも洗練されてすらいた。しかし、私達は希望がいた頃よりもずっと、効率的に、機械的に、異形を殺すシステムとして最適化されていく。

 

(これじゃあ、希望は何のために……)

 

 私と最後に言葉を交わした時、彼女は口にした。これでしばらくは四国も安泰だ。私もようやく人様の力になる時が来たと。短い命が大勢の人の命を救うなら、私は喜んで行くと。私達のために、彼女は長い時間を稼ぐためにその命を捧げたのだ。

 その結末がこれか?これが彼女の人生を賭けた大勝負の結末だと言うのか?そんなの理不尽だと思わないだろうか?

 

「琴音!集中しろ!」

 

 若葉の叫び声で私は我に帰る。目の前には一体のバーテックスが口を開けて私を飲み込もうとしている。

 私は矢だけを手に取ると、希紡を引かずにそのまま投げつけた。神樹様の力を借りた勇者の手から放たれた矢は初速150キロを超えていた。その矢は風を切り裂きながら僅か数メートルに迫るバーテックスの眉間らしき部分を撃ち抜く。

 倒されたバーテックスは光の粒子となり、その向こう側からは生太刀を振るう直前の若葉が凄まじい勢いで迫っていた。

 若葉も慌てて生太刀を地面に突き刺し、ブレーキ代わりにするが、勢いは殺しきれずに私の胸へと飛び込んできた。

 

「ぐはあっ!!」

 

 情けない私の悲鳴とも、何とも形容し難い声が響く。倒れはしなかったが、そこらのバーテックスの攻撃よりも痛かった。

 

「琴音が悪いんだからな」

 

「いや、本当にごもっともです」

 

 私は苦笑いを浮かべて若葉から手を離す。

 

「私だって同じ事を考える。だが、ここは戦場だ。気をつけろ」

 

 若葉は私に厳しい言葉をかけると、再び混戦状態となっている前線へと向かっていった。

 私も一度自分の頬を強く手のひらで叩く。それだけで、気分は入れ替わり、再び希紡を手にし弦を引いた。

 

 この日の戦いは進化体こそ現れなかったが、私達の身体に付き続ける軽い傷は蓄積されていき、痛みを伴い始めている。

 まだ私達も頭数があるために切り札となる精霊を使ったのは私だけと少ない。だが、この先。これ以上に攻めてくるバーテックスが増え、進化体も増加するとなると甘い事は本当に言えなくなってくる。

 丸亀城に戻り、治療を受ける勇者達の面持ちはどこか重たい。

 皆、心のどこかで覚悟は決めていた。

 この先、安寧の日々は戻らないと。

 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 バーテックスとの戦いが再開してから1週間弱の時が流れている。

 

「眠れない……」

 

 私は夜中に目を覚ました。バーテックスの侵攻が増加し、夜中に来ることもあった。そのために警戒心からか、眠りは浅くなってしまっているのだ。

 隣からは戦いとは無縁な詩音の安らかな寝息が聞こえてくる。

 

(あなたは気楽なものでよろしいですこと)

 

 寝苦しかったのか、詩音は薄手の掛け布団を足で蹴っ飛ばし、床に落としていた。私は起き上がり、それを拾うと優しく詩音に掛け直す。

 すると詩音はやはり暑いのか、すぐに剥いでしまった。何と言う堂々巡り。優しさなどそこには必要なかったのである。

 

(最近、詩音とも遊べてないし……気も使わせてはいるんだよね)

 

 詩音も馬鹿ではない。突然、樹海化に飲み込まれ私達が御役目に行き、気づけば消えていることには慣れたらしかった。しかし、日に日に増える私達の傷を見て、戦いが激化してきた事は察したようだ。

 昨日は慣れない手つきで、痣の出来た私の足に湿布を貼ってくれたりもしている。それしか出来ないからと笑う詩音の頭を、優しく撫でてやる事しか私は出来なかった。

 

(7月に行く海だけは、詩音も行けるように頼んでおこうかな)

 

 幽閉生活と化している詩音であるが、遂には私達の付き添いが無ければ外にすら出れなくなってしまった。

 ひなたも大社に何度過度すぎると訴えてくれてはいるのだが、返ってくる結果は決まりきっていた。

 

「なんだかなあ……」

 

 急速に動き出した歯車は、その勢いのあまり、噛み合わないどころか外れかけているように思えてならない。

 結局、再び横になっても目が冴えて仕方がない私は希望の残してくれた楽譜とフルートを手に取ると、丸亀城の中庭へと出た。

 ベンチに座り、楽譜を広げる。頭上の街灯が印字された音符の羅列と希望の字を浮き上がらせた。

 

「よし」

 

 私はフルートを口に添える。今では見様見真似ではない。ちゃんと、解説どうりに私はフルートを奏でる。

 誰もいない静まり返った丸亀市に、透き通った音色がゆっくりと流れ込んでいく。

 まだ拙い音色ながら、『きらきら星』を奏で終わると凄い達成感が私を包んだ。

 

「おおっ。練習の成果って出るもんだね」

 

 まだしっかりとした方法で吹き始めてから1週間。希望の解説頼りでここまで吹けるようになったのだから、私には才能があるかもしれないと妙な自信がつき始めていた。

 

「希望を超える日だってそう遠くないぞ」

 

 思わず笑みが溢れる。ちなみに、希望が小学生の全国のコンクール的な部で金賞を取っていた事は後から知った。つまり、最初から彼女自身が才能の塊だったわけで、私は勝負の土俵にすら立っていなかった事を、この時の私はまだ知らない。

 もう一回、別の曲を弾いてみよう。そう思った時、誰かが草の根を踏み締める音が聞こえた。警備員かな?と目を凝らすと、暗闇からは徐々にその姿が明るみになる。

 

「若葉ちゃん。どうしたの?こんな真夜中に」

 

「そう言う琴音こそ、こんな真夜中にフルートなんて吹いてどうした。もしかして……」

 

「「寝れないんでしょ(のか)?」」

 

 私と若葉の声がシンクロし、それが面白くて私達は同時に吹き出した。

 目尻に浮かんできた涙を指で払う。それから私は、若葉に隣に座るように促した。若葉は「失礼」と友達に言うにはかしこまり過ぎた事を口にしてから隣に腰掛けた。それを見届けてから、私は話を再開した。

 

「寝れなかったから、私はここでフルート吹いてたの。ここなら、寮の方に音は聞こえないでしょ?」

 

「そうだな。私も眠れなくてな。夜風にあたろうと外に出てみたら、綺麗な音色が聞こえてきてな。つい釣られてここまで来たというわけだ」

 

 若葉はそう言って穏やかに笑うと空を仰ぎ、月明かりにその凛とした横顔を晒した。昼間の戦場で見せる修羅の面影はない。けれど、その瞳には消し去ることのできない疲労の色が、澱のように溜まっている。

 連戦に次ぐ連戦による疲労。募る不安。リーダーとして背負うべきものが多い彼女は、私以上に気を揉んでいる事だろう。

 

「ひなたちゃん居ないしね。いつ戻って来れるんだろ」

 

 ひなたは大社と巫女の施設を行ったり来たりしているみたいで、丸亀城に姿を見せる回数は減っていた。千景や詩音の話を切り出しやすくなっていたのはこう言った背景もあった。寧ろ、その事もあって忙しいのかもしれない。

 心の拠り所となっていたひなたの姿を見られていないのも、若葉の疲労度を増加させる原因にもなっていることだろう。

 

「ひなたは、私達のために色々と奔走してくれている。感謝しないとな」

 

 若葉は弱音は吐かなかった。まだ心にゆとりがあるからか、それともリーダーとして私を心配させないようにしているのかどちらかだった。

 私はそれを判断したくて、少しだけ鎌をかけてみた。

 

「あのですね〜。私も一応、若葉ちゃんの幼馴染なんですよ。親友でもあるわけですよ」

 

「ん?そうだな」

 

 若葉はさも当然だと言った様子で頷く。これは前者かな?と判断をしようとしたが、あともう一押ししてみる事にした。次は結構わかりやすく攻めてみる。

 

「頼りないかもしれないけど、弱音は私にだって言ってくれても良いんだよ?」

 

 私が顔を覗き込むように言うと、若葉の眉はぴくりと動いた。それから観念したかのように項垂れると、ぽつりぽつりと夜空に向かって呟いた。

 

「そうだな。……不安なんだ。私はリーダーとして皆を守り、引っ張っていかねばならない。だが、連日の襲撃で連日の襲撃で、私たちの摩耗が激しすぎる。希望が命懸けで作ってくれた時間は、こんなにも脆いものだったのかと……。自問自答を繰り返しては、寝台の中で天井を睨むことしかできないんだ」

 

 若葉が吐き出した言葉は、夜の静寂に溶けていくにはあまりに重く、湿っていた。リーダーとしての鎧を脱ぎ捨てた彼女の肩は、心なしかいつもより小さく見える。

 

「……若葉ちゃん」

 

「すまない。幼馴染の特権に甘えすぎたな。今の言葉は忘れてくれ。明日にはまた、私は皆の先頭に立たねばならない」

 

 若葉は慌てて表情を固め、立ち上がろうとした。その仕草が、強がって布団を蹴っ飛ばす詩音の姿と重なって、私は思わず彼女の制服の袖を掴んだ。

 

「ダメだよ。忘れないし、行かせない。まだ『きらきら星』しか吹けない私の演奏、最後まで聴いてからじゃないと」

 

 強引に引き止める私に、若葉は驚いたように目を見開いた。私は彼女を再びベンチに座らせると、楽譜をめくり、希望の走り書きが一番多いページを開くために何度もページを捲る。

 探しながら、私は必死に言葉を紡いだ。

 

「私は若葉ちゃんの不器用なところが好きだよ。不器用だからこそ、一つ一つのことに必死になれる。それが強さだと思うんだ。……でもね、必死になりすぎて壊れちゃうのは、あの子も望んでないと思うんだよ」

 

 私が言い終わると同時にページを見つけ、若葉に再び目をやると、彼女は何度目かの驚きの表情を見せていた。

 

「驚いた。希望と同じ事を言うんだな」

 

「え、希望も言ってたんだ」

 

「残してくれた手紙に書いてあった」

 

 若葉は手紙の内容を今一度噛み締めたのか、小さく「そうだな。皆に力を借りろと言ってくれたしな」と呟いた。 

 私はそれを耳にし、フルートを構え直す。

 若葉が守ろうとしているものは、四国だけじゃない。私たち勇者全員の、そして詩音のような子供たちの未来だ。けれど、その重圧で彼女自身が潰れてしまったら、誰が彼女を救うというのか。

 

「聴いて。希望が『ここは気合!』って書いたところ、一発で決めてみせるから」

 

 私は息を吸い込み、再び音を紡ぎ出す。

 先程よりもずっと、相手に届くことを意識した音色。若葉の心の深いところに溜まった澱を、少しずつ洗い流していくような、静かで、けれど確かな熱を帯びた旋律を必死に奏でる。

 一度も演奏したことのない曲。初めて見る楽譜。その場凌ぎの演奏。それでも、誰かの為に奏でると言うのはここまで上達を早めるものなのだろうか。この曲は、初めてながらミスなく完走した。

 演奏を終えたとき、若葉は長い、長い溜息をついた。それは、張り詰めていた糸が少しだけ緩んだような、安らかな吐息だった。

 

「……完敗だな。琴音、お前の言う通りだ。私は……少し、急ぎすぎていたのかもしれない」

 

 若葉の瞳に、わずかながら輝きが戻る。彼女は私の肩にそっと頭を預けてきた。

 

「少しだけ、こうさせてくれ。……ひなたが帰ってくるまで、私の隣にいてくれるか」

 

「当たり前でしょ。でも、ひなたちゃんの代わりかあ……」

 

「……すまない。言い方が悪かった」

 

「良いよ。許してあげる。……あ、でも肩を貸すのは有料だよ? 7月の海、詩音も連れて行けるように、大社を一緒に説得してもらうからね」

 

「ふっ……。高い報酬だが、受けて立とう」

 

 夜風が吹き抜け、丸亀城の緑がざわめく。

 止まらない歯車、見えない未来、増えていく傷跡。

 それでも、今この瞬間の静寂を分かち合える相手がいることが、私にとっても、若葉にとっても何よりの救いだったと思う。

 

「……琴音。もう一曲、頼めるか」

 

「いいよ。今度はもっと、眠くなるような曲を選んであげる」

 

 私は再びフルートに指をかける。

 

(ごめんね。私、きらきら星しかまだ吹けないんだ)

 

 先程の奇跡はもう2度と起こらないと言う確信があった。私は心の中で若葉に謝りながら、フルートに命を宿した。

 希望、見てる? あんたの相棒、結構いい仕事してるでしょ。

 夜明けまではまだ、もう少し時間がある。




今回はどうでしたでしょうか?
ここからは戦闘描写も頑張れればな〜なんて思ってます!
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それではまた次回お会いしましょう!
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