1922年 2月
大日本帝国
「そうか、加藤は軍縮条約に署名したか」
霞が関にある海軍省で、2人の将官がそう話していた。
1人は海軍の英雄とも言える、東郷平八郎大将であり、もう1人は現軍令部長である山下源太郎大将であった。
「これで八八艦隊計画は白紙化されるか・・・」
「しかし閣下、八八艦隊は我が国の国力を遥かに超えるものでありました。ここは我慢し、後の時代に任せるしかないと思います」
「山下、おいもそれは分かっている。だが艦隊派が黙っていないだろうな」
「実は閣下、かねてより考えていた事があるのですが、聞いて頂いても宜しいでしょうか」
それから暫く2人は今後の事を話し合った。
そして時は流れ、1930年 4月補助艦艇保有量を決めるロンドン海軍軍縮条約に大日本帝国は調印した。
「財部は臆したか!?」
海軍省や軍令部の艦隊派は、軍縮会議全権を担い条約署名を行った財部彪に対する批判の声が渦巻いていた。
「海軍は何時からこんな好戦的な連中の集まりになったのだ」
軍令部長である谷口尚真大将は、部長室でそう嘆いていた。
現在部長室には、谷口だけでなく次長である永野修身と百武源吾の2人が同席していた。
「部長それだけではありません、未確定ですが艦隊派の連中はこれを機に条約派を海軍内から一掃しようとしていると思われます」
永野の発言に、百武も追従した。
「奴らは、財部大臣だけでなく、山梨閣下、堀悌吉軍務局長をも海軍から追い出すつもりです。無論その中には部長も含まれていると思われます」
「私が追い出されるのはまだ我慢できる。しかし堀や山梨といった秀才な連中が居なくなれば、海軍の暴走を止めれる人物が居なくなるの困る・・・・・・仕方ない私のクビ1つで彼等が海軍に残れるのであれば儲けものだ」
「部長?一体何をするおつもりですか!?」
谷口の言葉に、永野は詰め寄った。
「伏見宮博恭王に掛け合う。艦隊派の支持を表明される前に条約派の海軍残留を嘆願する」
「しかし・・・・・・」
「彼等には今後の海軍を担ってもらわねばならん。後を頼んだ」
谷口はそう言うと部長室を後にした。
そして1933年に俗に言う大角人事にて、山梨勝之進海軍大将、谷口尚真海軍大将の予備役編入が決まり、堀悌吉海軍中将は海軍省軍務局長の任を解かれ横須賀鎮守府司令長官を命じられたのであった。
1934年 3月
海軍省 軍令部
「総長、横鎮の堀中将から具申書が提出されました」
軍令部総長を務める伏見宮博恭王の元に、次官である加藤隆義中将が訪ねていた。
「堀が?何だろうな。まぁ良い、目を通しておこう」
伏見宮はそう言うと、具申書に目をやった。
その具申書には、今後の日本周辺での海上護衛に関する物であり、文書の最後には新たな組織として海上護衛総隊設立を求める物であった。
「これはよく考えられたものだな。確か堀は世界大戦で英国海軍の観戦武官として派遣されていたな・・・加藤、堀本人から直接話を聞きたいから、その旨を連絡してくれ。日時は貴様に任せる」
「はっ、かしこまりました」
加藤はそう言うと、総長室から退出した。
「海上護衛か・・・・・・確かに今まで考えた事もなかったが、今後の事を考えると必要だな。谷口が堀を海軍に残そうとしたのも頷ける」
その後伏見宮は堀と海上護衛に関する話し合いを行った結果、1936年には堀悌吉を司令長官に置いた海上護衛総隊の設立が行われた。
設立当初こそ旧式巡洋艦や二等駆逐艦によって編成された海上護衛総隊も、1941年 12月頃には戦艦改造空母四隻有する組織になっていた。