血戦!大東亜戦争   作:親衛突撃兵

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第2話

1939(昭和14)年 5月

アメリカ合衆国 ワシントンDC

ホワイトハウスに集められた閣僚達の間には重苦しい空気が流れていた。

そして現在ホワイトハウスの主であるヘンリー・A・ウォレス大統領は更に深刻そうな表情を見せていた。

この時期本来なら、フランクリン・Dルーズベルトが大統領を務めていたが、1ヶ月前に彼が持病である心臓病により急死してしまったのであった。

そのため、副大統領を務めていたウォレスが大統領を務める事になっていた。

そんな彼等に重苦しい空気が漂っていたのは、前任者であるルーズベルトが行った対中武器輸出政策が原因であった。

この政策の結果、現在の日米関係は最悪と言っても過言ではない状態であった。

 

 

南北中国政府による大陸紛争が始まったのは、1931年からである。

蒋介石と対外政策で対立して袂を分かった汪兆銘が南京において叛乱を起こし、これに華南軍閥の残党が合流すると瞬く間に、長江から南側から蒋介石の版図から切り崩された。

これを受け、当時日本政府の政権を担っていた若槻礼次郎は、中立であるべきだとする陸海軍の反対を押し切り、蒋介石が属する北部中国政府に対する支援を宣言したのであった。

これと同時に英仏は、汪兆銘の南部中国政府に対してあらゆる支援を行うと発表したのであった。

この結果、若槻礼次郎は政権を投げ出し、政友会所属で随一の中国通と言われた犬養 毅に事後を託した。

この選択は、後世史観で見ると最悪の結果を産んだ。

孫文や蒋介石と個人的な友誼を持っていた犬養は、英仏、そして南部中国政府を承認したアメリカとの対立を恐れる軍部の猛反対を押し切り北部政府への支援を拡大した。

前の欧州大戦の記憶がまだ鮮明に残っていた日本国民は、政友会政権に対して、選挙で三行半を突き付けると、民政党を選び、元海軍大将の山梨勝之進政権を誕生した。

タイミング良く国際社会に復帰したソ連による仲介で、1933年に南北中国政府の間で停戦が成立した。

南北に分断された中国は1937年に再び戦火に包まれるが、その間に南北政府は軍備拡大に狂奔していた。

蒋介石率いる北京政府はソ連とドイツから武器を買い漁り、汪兆銘はイギリスとフランスから航空機と戦車を購入した。

世界大恐慌に喘ぐ欧州諸国は、喜んで武器を売った。

その間、日本の山梨政権は不干渉政策を貫き、南北中国が再び戦火を交えた時も即時停戦を訴え続けた。

山梨はアメリカにも同調を求めたが、既にこの頃、ルーズベルトは南部中国支持を鮮明にしていた。

合衆国政府はドイツの軍備拡大に対抗せざるを得なくなった英仏が南部中国への軍事援助を絞り始めたのを確認すると、自国の余剰生産力を満たし、雇用を生む海外市場を欲していたルーズベルトは対中武器輸出を解禁した。

アメリカの武器輸出が英仏と違う点は、南部中国へ売却する武器の中に艦艇が含まれていたことだった。

実際に売却されたのは数隻の旧式駆逐艦と小型巡洋艦だったが、これがどれ程日本を刺激したかは想像にかたくはない。

この一件により、日本人の反米感情は一気に沸騰し、あくまで対外協調と対中不干渉を唱えていた山梨政権は選挙で敗れ、反米英を唱えていた近衛文麿を担ぐ政友会が政権を握った。

この時の日本の有権者は、まさか1年後に近衛首相が中国内戦へ軍事介入するとは露ほども思っていなかった。

その後は、坂道を転がる勢いで日米関係は悪化の一途を辿り、今日に至る。

 

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