南極狼獣   作:たくわん

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プロローグβ 象皮種族と一人の戦士について

 

 

 妖狼種族が住む地に隣接する地の一つ。

 白亜の地には、"象皮種族"を名乗る獣人が住んでいた。

 象の身体特徴に似る、分厚い皮膚と大柄な体躯。

 寒冷に強く力に優れる特徴は、大抵の地で腐らない。

 商売、鍛治、そして近接戦闘に高い適性を持つ彼らもまた、この国に住む優等種族の一角と言えるだろう。

 そんな象皮種族の首脳陣は今、長の家で苦い顔を並べていた。

 

「村落全体の状況はどうだ」

 

「もってあと一週間」

 

 上座に座る長の言葉に、下座に並ぶ一人が答える。

 両者の顔には『言いたくない』という気持ちが隠されずにあったが、それでも必要なことを確認する責任感が胸の内にあった。

 

「一帯への強烈な冷気の流入から三日。

 可能な限りの魔道具と焚き付けで暖を取っていますが、消費と収集の収支が極端に前者に偏っております。

 死亡者を出さずに住むギリギリの日数がこの一週間となります。

 その他、村外の環境の悪化により食糧等の獲得にも難が出始めており、また長期的には商売や生育環境への被害も深刻です。

 なによりこれは冷気がこれ以上強化されないことが前提であり、その場合は」

 

「もうよい。あとは聞くまでもない。

 議会はどうだ」

 

「遺憾ながら、動きが鈍いですな」

 

 一種族の長、自律の土地を得た者達でも、この地においては国と議会に帰属する。

 妖精郷とも称されるこの国、レジェンダリアは多種族からなる議会制。

 日頃は不干渉に近い各種族も国家単位の重要案件では手を貸し合う。例えば他国からの侵略に対しての強さは大陸でもよく知られるところである。

 当然、強大なモンスターの対応も議会の職務の一つであるが。

 

「『特定氏族の崇める神獣が縄張りを出ていない時、何人も手を出してはならない』。

 『崇めている氏族の進言、又は議会での4/5の賛成があれば討伐の許可が出る。しかし可能な限り氏族の多数の意志を尊重すべし』。

 数少ない成文法の一つです。これを盾に出されては、話を進めることもままなりませぬ」

 

「妖狼族が村で死亡していることは観測により明らかになっているでしょう!」

 

「『()()()()()()()()()()()()()()』、というのがあちらの主張です」

 

「家の中の死体が点呼できるか!?」「舐めおって……」「我らがどれだけこの国の益になってきたと……!」

 

「よせ。我らとて、文句を言えた義理ではない」

 

 怒りで紛糾する者達を見て、長も怒りながらも、抑えるように口を開いた。

 

「あの条文を変更しよう、という動きはあった。

 だが神獣を持つ種族の意志は固く、我らがそれに賛同することで利益を得ていたのも事実。

 ……都合のいい話にかこつけて、他種族の勢力を削るのに加担したのも一度や二度ではない。

 ()()吸血氏族のようにな」

 

 なおも言いつのろうとしていた者達が、その名前を聞いて複雑な顔で口を閉じた。

 吸血氏族。

 顕性となりやすい種族変換職業【吸血鬼】系統を持ち、大領地を持ち、長い寿命を持ち。

 『妖精郷の夜を担う』とも称された、そして百数十年前に事故により大きく勢力を失った氏族。

 彼らが領地を失い、窮地に陥った時、助ける者はいなかった。

 象皮種族も浅からぬ関係にあったが、最低限の支援しか行っていない。

 それは象皮種族を含め、誰もが残虐で非道で冷淡だったからではない。

 ()()()()()()()()()()()と思うだけの理由がある。

 

 限りある領土に住み、自らの種族に誇りを持ち、種族の繁栄を第一に考えるのがレジェンダリアの民の特徴だ。

 故にかつての吸血氏族は強欲に勢力を伸ばしていたし、順調に行けば数百年後には妖精郷のほとんどを支配していただろう。

 それはつまり、他種族がその分割を食っていたということである。

 この国には寿命が100年を超える長命種も多い。

 エルフ。妖精。吸血鬼。象皮種族とて他獣人に比べれば長生きな方だ。

 だからこそ、目先ではなく、長い時が過ぎた後のことも考えてしまう。

 百年後。千年後。ここで吸血氏族の勢力を削らなければ己が種族に未来がないと、誰もが考えた。

 だから、吸血氏族は救われなかった。

 

「己が種族のために他氏族を切り捨てるたびに、我らは他氏族を見捨てる大義名分を手に入れてしまった。

 あの時の『ここで勢力を削がなければ自種族が危うい』という危機感は、容易に『ここで勢力を削げば自種族のためになる』という安易な期待に色を変えた。

 ……その結果が、このざまだ」

 

 誰も、我らを助けてはくれない。

 

 誰もが、悔しそうに顔を落とすしかなかった。

 盾にする言い訳がある以上、しばらくは討伐しないだろう。

 半月か、ひと月か、それぐらい経ってようやく討伐を始めるはずだ。

 それが『有力氏族が滅びるのを待って』か『最上位氏族に危険が及ぶから』かは定かではない。

 

 場の皆の顔を順に流れた長の目が、近くにいた男の目を捉えた。

 一人、悔念を抱えながらも確かな意志を携えた瞳。

 大柄な体躯、ふくよかな肉体からゆったりとした印象を受ける象皮種族の中で、その男は引き締まった肉体と精悍な顔立ちをしている。

 座る位置もかなり上座に近い。

 それが戦士筆頭、"戦象"の通り名を持つ種族最強戦士であることを知らぬ者はこの地に居ない。

 

「"戦象"よ。仮に……我が種族が総出で挑んだとして、勝率はどれほどか」

 

0()()

 

 聞かれることが予めわかっていたように、その絶望的な確率を男は滑らかに答えた。

 男の顔には何の感情もなく、それがむしろ強い感情を押し殺していることを長に伝える。

 

「それは……()()()()()()()()()()()()からか?」

 

「あの神狼のことは知っている。戦闘を見たこともある。挑んだ者の情報も集めた。

 かつてでさえ、仮に全盛期の私が10人いて、最も理想的な形で奇襲をかけられたとして、或いは砂の粒ほどの勝率があるかというところだったが、今の奴はそれ以上に対多数戦に向いている、という見立てだ。

 長よ。貴方の見立て通りだ。我らが命を捨てることで変わる可能性は、残念ながらない」

 

「そうか……お前もそう見るか」

 

 歯を食いしばる両者の絶望的な会話に、周囲の者は悲嘆の声を上げる。

 

「そんな!?

 そ、そうだ! 野の強者に声をかければ!」

 

「攻撃を受けているとも言える我らだけであれば正当防衛とも主張できようが、他の者についてはその範囲を逸脱することになる。

 違法行為を唆すような依頼は広めることもままならぬ。

 届いたとして、依頼を受けてくれる者も少なかろう。

 期待できるほどの戦力には届き得ぬ」

 

 超級職を捨てた後でも、その経験と技巧により種族一の強者として知られる己の弟の言葉を聞いて、長は静かに絶望を深めた。

 毛の先程の勝機があるなら、そこに全てを賭けてもよかった。

 だが……この状況には、小数点の彼方にさえ勝算がない。

 

 このひとときに何度となく眺めた場の面々の顔を、改めて見る。

 酷い顔だ。同時に縋るような顔でもある。

 長が、なんらかの劇的な解決策を出してくれることを願っている。

 全てがうまくいくような理想的な策……或いは、被害を前提とした果断なる策。

 どちらも、出せるのは長である自分しかいない。

 思えば、それを出すことを躊躇った故の、覚悟を決めるための時間だった。

 だから、告げる。

 

「里を捨てる。それしかあるまい」

 

 長の言葉に、場の全員が驚愕した。

 わかり切っていた結論であった。それでも、驚いてしまった。

 それを言い切れなかったからこそ、彼らはここまで無為に時間を使っていたのだから。

 

「し……しかし!ここを捨てて、どこに行くのですか!」

 

「この国にこの人数を受け入れる場所などない。散り散りになる」

 

「まさか民を投げ出すおつもりか!?」

 

「そんなわけがあるか! 連絡は密に取り合う。働き手はある程度まとまり、稼ぎを民全体に流す。既に行先はある程度選定済みだ。ルベッツォ」

 

「……長のおっしゃる通り、準備はしておりました。全員分とまではいきませんでしたが」

 

「お前はこの短い間にやれる限りのことをしてくれた。あとは動きながら決めていく。

 プルシキ、皆に荷物を纏めるよう指示を。ジャガディは護衛役の準備を済ませろ」

 

「長!お考え直しを!」

 

「くどい!」

 

 決断の責任を負うものとして、長は現実から目を背けなかった。

 この苛烈なる地で長く群れを率いてきた者だからこその心胆であり、逆を言えばこの場の全てが彼ほどの心胆を持つわけではない。

 受け入れられぬ者達を取りまとめんとする長を見て、"戦象"ナヴァヤーカは嘆息する。

 長に対してでも、現実を受け入れぬ者に対してでもない。

 

(一族最強の戦士と称えられておいて、このざまか)

 

 長の助けになれるようなことを何一つ出来ていない。

 こんな時、皆を説得させるような弁舌を振るうこともできない。

 鍛えた技も磨いた力も何の役にも立たなくて。

 世界の変化を悟り、来訪者(<マスター>)に力を託したことさえ、果たして意味があったのだろうか。

 

(いや、あいつは……ツァガーン(我が弟子)はまだ強くなる。

 きっとこの先も、何事かを―――)

 

『あ、服のにいちゃ―――』

 

「……うん?」

 

 種族的に聴力が高い象皮種族の耳でもいっとう優れたナヴァヤーカの耳に、何かが聞こえた気がした。

 具体的には、生中な象皮種族では聞こえないようになっている分厚い壁の一つ向こうで、不詳の弟子を呼ぶ声が、途中で途切れる音などが。

 

(……いやいや、まさかまさか)

 

 あのやかましい弟子が子供に呼ばれるまで音を立てぬなどあり得ない。

 ここらにこっそり忍び込んで、同じようにこっそり近づいて盗み聞きしようとした子供に指摘されている、なんてことがあるだろうか。

 あったとして、その意味はなんだろうか。

 

「……あいつまさか」

 

 

 

「"戦象"殿、ひとまず我らは……"戦象"殿?」

 

 振り向いた者の視界の端には、薄く開いた扉が残る。

 気配を絶ち、音も立てぬ歩法。

 誰一人として気付かせぬまま、ナヴァヤーカはその場から姿を消していた。

 

 

 

 

 

「―――んな吹雪の中でよく出歩けたなお前」

 

「皆外出る時は防寒装備使い回してんだけど、さらに冷え込む夕方は外出なくなって余るんだよ。

 そこで特によさげなのをちょちょっと借りてきたってわけ」

 

「ああ~~、こんな土地なら当然あるか。でもバレるだろそれ」

 

「どうせ大人の誰かが使ってると思って気にしないって」

 

 扉を出た先の一本道を進み、曲がり道の角の先に少年と青年の姿が見えた。

 象頭の愉快そうに笑う少年と、呆れたように頭を掻く人頭の青年。

 

 こんな外環境でも好奇心のままに動いた象皮種族の少年の名をレントといい。

 こんなところまで忍び込んでも大人を呼ばれないほどに象皮種族に受け入れられている青年の名を、ツァガーンといった。

 

(近づくまで聞こえない音声遮断……くれてやった魔道具か)

 

 気配を隠匿しながらナヴァヤーカは盗み聞く。

 正面から問いただしてもよかったが、この方が本心を聞きやすい。

 師匠相手に気取った真似をする男なのだ、不肖の弟子は。

 

「なあにいちゃん。この寒さが隣の神獣のせいってマジなのか?」

 

「そうだな、それがどうかしたか?」

 

「にいちゃんのその口が軽いところ、好きだぜ。

 じゃあ……俺達がこれからどうなるか、わかるか?」

 

(……!)

 

「ほら……皆、不安みたいでさ」

 

 気軽に聞くふうを装った口調に震えを見とって、ナヴァヤーカは己の鈍感さに舌打ちしたくなった。

 不安なのだ、誰も彼も。

 こんな環境でも好奇心のために動いた? 馬鹿を言え。

 こんな環境で防寒着を盗んでまで忍び込む理由など、周囲の人間の恐怖を気にして、安心させる材料を探していたこと以外にあり得ない。

 

 すぐにでも肩を抱いて、『お前達は死なない』と言ってやりたくなって通路に出ようとしたナヴァヤーカの足が、地につけられる前に止まった。

 毛皮のコートしか見えない、後ろ姿のツァガーンが、彼より先に動いていたから。

 

「お前、これからどうなるかわかるやつがいると思ってんのか。

 なんだなんだ、未来視の知り合いでもいんのか?」

 

「ちゃ、茶化すなよ! 真面目に聞いてんだって」

 

「馬鹿らしいっつってんだよ、そんなことは」

 

 笑いながら、青年は少年の頭をわしわしとかき回す。

 軽い空気を装っていた少年と違い、青年には芯からの余裕さがあった。

 不安感を共有している象皮種族の者とは根本的に纏う空気感が違う。

 他人事としての軽さでもなく、当事者としての落ち着き。

 己の力に対する信頼がそうさせるのか。

 とうの昔に子供じみた万能感を捨てたナヴァヤーカにはもうわからない。

 

「不安を解消するために動いたのはえらいけどな、俺と問答したって意味ねえよ。

 なんとかなるならお前が言わなくてもそのうち不安は消えてなくなるし、なんとかならねえなら聞いても無駄だ。

 どうせならもっと意味あることをしろっての」

 

「意味あることってなんだよ!」

 

()()()()()

 

 長身の青年の顔は今、少年にだけ見えている。

 だから愉快そうに響く声と楽しそうな笑顔の中で、楽しさの色が一欠片もない、自分を真っ直ぐ見つめる瞳を見れたのも少年だけだ。

 

「お前が頼んで、動くはずのなかった誰かが動いたら、それはお前の成果だろ?

 そーゆーのが『意味のあること』ってやつだぜ」

 

「……にいちゃんで"凍神様"に勝てんのかよ。

 めちゃくちゃ強いって聞いたぜ。昔力試しに挑んだ超級職も……マスターも負けたんだって」

 

「ん、あ~~、そうか。そういやお前()に友達がい……るんだったか」

 

「うるせえ、いいだろそんなこと。あいつももう友達じゃねえよ」

 

「そー言うなよ。崇めてた神が迷惑かけてきたって、他に何があったって、友人は友人だ。

 お前さえそう思えばな」

 

 ツァガーンのその言葉にはありったけの思いやりが込められていた。

 特に、妖狼族が全滅したことを知らないだろう少年に、そのことを隠し、知った後でも意味のある言葉をかけたあたりに。

 少年はその言葉の背景に気付かなかったが、それでもツァガーンが自分を思って言ってくれていることだけは伝わっている。

 本気の想いをぶつけられて顔を赤くした少年は、照れ隠しのように話を変える。

 

「……うるせえ、いいだろ今はそんなこと。勝てんのかよ」

 

「勝つさ」

 

 その言葉だけは、全てが真剣に発されていた。

 だから当然、背後のナヴァヤーカにまで届いた。

 

「へっ、ほんとはお前がなんて言おうと関係なく、あれをぶっ殺そうと思ってたんだ。

 手頃な位置にいる神話級、なかなかないからな。

 こんな形になって、お前らにゃあ不幸だったろうけど、俺にとっては得でもあんのさ」

 

「良いこと言ってるようで最悪な言い方になってる気がするし、それ勝てなかったら大恥だよ」

 

「恥が怖くてデカいことが言えるかっての!」

 

 目の前の頭を更にこねくり回し、抵抗する少年ともみ合ってふざけ合う。

 少しだけ楽しんで、ツァガーンは少年を来た道に向け背を押した。

 

「おらおら、これ以上冷え込む前にとっとと帰って寝るんだな!」

 

「はいはい、お互いバレないことを祈ってるよ」

 

 立ち去っていく後ろ姿を見つめて、ツァガーンは笑った。

 

 

 少年が静音結界の外に出て、角を曲がったあたりで、後ろから足音がする。

 隠していた気配を露わにした己の師匠を背後に置いて、ツァガーンは振り向かない。

 

「ツァガーン。……戦うのは止めろ」

 

 その言葉に対しても、なんの反応もなかった。

 

「お前ではあの神獣に勝てない。根本的に、力の格が違う。

 お前は強くなっている。おそらく俺と会わぬ間も強くなっていたのだろう。

 だがお前の過去の成長量と時間を鑑みれば、勝てるほど強くなっていないのは自明だ」

 

 ツァガーンは反応しない。

 そんな弟子の姿を見て、ナヴァヤーカはなおも言い募る。

 

「戦う理由はいくらでもあるだろうが、それでも言ってやる。

 無駄だ。己の生をドブに捨てるに等しい。

 もしお前が我に少しでも恩を感じているならその命、いつかのために温存してくれ」

 

 ツァガーンは反応しない。

 己の師に方針を全否定され、強さを否定してもなお、揺らぎすらしない。

 軽いくせにここぞという時だけは頑固なやつだと、ナヴァヤーカは嘆息する。

 

 そんな背後を肩越しに振り返り、ツァガーンは少しだけ言葉を残すことに決めた。

 

「これは独り言として喋るけど」

 

「は?」

 

「俺は里の人間と、特に上層部とは話す気がない。その方がきっと良い。

 俺はただ、特典武具とかを得るために、UBMに挑むだけさ。

 よくある話だろ? 武芸者が法を犯してUBMに挑むなんてのは」

 

「そういうことを勝手に決めるなと何度言えばわかるんだお前は!」

 

 師のまあまあ本気の怒りに対しても、『不利益になるから話さない』という大義名分を出したツァガーンはしらっと無視する。

 理由がなければ師への敬意を何時も忘れないが、理由さえあれば途端に礼儀に手を抜く。

 そういう極端なオンオフをつけるところが、基本的に欠点となる男であった。

 なんとか怒りを抑え込んで、ナヴァヤーカは理性的な説得に励む。

 そうやって理性で自他を抑えるところで、基本的に割を食う男であった。

 

「お前が……お前が戦う意味はない。

 長は避難を決めた。しばらくは窮屈な暮らしをすることになるが、いずれ【妖精女王】が討伐なさる。

 あの方はこの国で最強だ。そうすればここに戻って来ることもできる」

 

()()()()()()()()()()()()な、女王が討伐する頃には」

 

「……!」

 

 青年は下を向いて、呟くように言葉を吐く。

 

「あの神獣は()()()()()()()()()()()

 土地を地の底まで冷やし、エネルギーを奪い取り、空気に根付かせ、凍結させる。

 今ならまだ数年と経たずに戻るだろうけど、ひと月も放置したら100年かけても戻るかどうか。

 吸血氏族の<常夜の地>も昔はずっと夜だったらしいけど、今は100年超えても戻る予兆もない。

 多分この地もそうなる。だから避難せずに粘ってたんだろうに。

 それぐらいのことは俺でも分かる」

 

 二度と同じ故郷には戻らない。

 だから感情的にも拒絶する人々がいて、なおも理性を尽くして諦めた男達がいた。

 故に、ツァガーンは殺すと決めた。

 言葉の裏から透けて見えるその覚悟を今、互いに思い知っている。

 

 それでも、ナヴァヤーカの天秤は傾かない。

 弟子を戦わせる意味はない。その確信は絶対の域にあった。

 

「だとしても、お前では絶対に勝てない。不死の肉体を頼みにしていたとしても無駄だ。

 神獣は挑むだけでも大罪。即座に国際指名手配が飛ぶ。

 負けて死んだならお前に次はない」

 

 三日で虚空から蘇るマスターであっても、所属国から指名手配を受けた状態で死ねば、終わりの地たる"監獄"に飛ばされることになる。

 負傷を積み重ねることで勝つという戦法は使いようがない。

 そもそもそんな小さいスケールの発想で勝ち得る相手でもないが。

 

 脇の甘い弟子を低く見ている、ということはない。

 ナヴァヤーカが見るに、国家決闘ランキングの最上位に住むその男は、既に全盛期の自分数人分。

 マスターの持つエンブリオ(固有能力発現体)という力は、戦闘技術で及ばずとも、所謂戦闘力では数倍に至らせるほど強大だ。

 だが神獣と戦う前提であれば、10人分にも満たない力は誤差に過ぎない。

 彼がかつて見た神獣に勝つならば、いっそ100人分は欲しかった。

 

「それとも『進化』でもしたのか」

 

 その言葉に、ツァガーンの眉がぴくりと動く。

 

 エンブリオは第一から第七までの形態を持ち、六度の進化を遂げる。

 三度目の進化である第四形態で大きく跳ね、第六形態で一定の完成を見ることが常。

 ツァガーンのエンブリオは既に第六に到達していたが、過去には進化のたびに力を強める姿を師として見てきた。

 

 そして定かならぬ条件を満たした者だけが、第六をも遥かに超える第七に至るという。

 完全数たる6を超え、神聖数たる7に到達したエンブリオは<超級エンブリオ>と称される。

 一つ下の100倍の力を持つとも噂されるこの進化を遂げているならば話は違う。

 少なくとも勝算があることは認めざるを得ないなと考えると同時、まずないとも見切っていた。

 己の弟子は、その手の"特別"を得たら師に自慢しに来るタイプの軽さがある男だからだ。

 

 『ない』ことを見切っている師の細目に、ツァガーンは笑うしかなかった。

 見事に心根を読み切られているのが半分。

 それほど自分をよく知っている師匠をたまげさせられる未来を見て笑っているのがもう半分。

 ニヤニヤと笑って、ツァガーンは悠々と語る。

 

「男子三日あわざれば刮目して見よ……だっけ?

 誰かが言ってた言葉だけど、まさにこの通り。

 俺は第六のままだけど……前師匠と会った時より、1()0()0()()()()

 

 うさんくせぇ……と師匠はドヤっている弟子を見て素直に思った。

 こいつの調子乗っている時の言葉は話半分で聞くぐらいでちょうどいいのだ。

 

 同時に、何か明確な成長があったこともわかる。

 どの程度信じるべきか。顔に出さず悩む師匠の顔を見ず、ツァガーンは歩き出した。

 

 ナヴァヤーカは止めようとして、迷い、突き出された腕が中途半端に空を切る。

 悩ませることが目的ならば、ツァガーンの作戦は成功したと言える。

 

 それ以上のものが欲しかったから、弟子は師にもう一言だけ残して、姿を消した。

 

 

「それに……師匠は知ってるだろうけどさ。

 『この世界に絶対はない』と、俺はそう信じてる。

 だから『絶対に勝てない』とか『絶対に勝つ』とか、聞くほど()()()()()()()()()()し、今回だってそうしてやるのさ」

 

 だから、己の勝利を信じてくれと。

 

 

 

 

 

 かっこよく残して去る方はよくとも、残される方ははいそうですかと受け入れにくいものだ。

 彼の師、ナヴァヤーカはそれをよくよく痛感し、大きな頭を抱えていた。

 

「クソ、あの弟子は毎度毎度頼んでないことばかり……!」

 

 師の名が広まるほど偉大な武芸者になれば嬉しい、と聞けばなる前から師の名を出しまくるようになり(名を広めろと言いたいわけじゃない)。

 家具にこだわりがあると聞けば高名な家具職人に短期弟子入りしてオリジナルの家具を作り(そこそこ出来は良かったが全体の調和とかもあるんだから意見も聞かず勝手に作るな。部屋の模様替えが必要になった)。

 久々に他流の拳法家と戦いたいなと言えば急に100人の拳士を集めてきて全員との連戦を強いられた(ものには限度があるだろう!)。

 

(今回のはどれだ、修行中に『お前はいずれ神にも勝てる拳士になれ』と言ったやつか。

 超級職を与えた際に『気が向いた時にでも里に力を貸してくれ』と言ったのがまずかったか?)

 

 悪い人間ではないのだが、はた迷惑な人間ではある。

 意の読み取り方が下手というか、自分の意を前提に読み取ろうとする我の強い奴というか。

 

 もっとも。

 

(今回は100%俺達のため。その手段も、結論も、何も間違っちゃいない)

 

 相打ってでも今神獣を殺せるのならば、100年の献身にも勝る利益がある。

 里を失うということはそれだけ辛く、里が守られるということはそれだけ重い。

 集団は居住地がなければ過ごしていけない。

 大規模であればあるほどに。権勢が強ければ強いほどに。

 自分達を守るために戦ってくれようとしている男を、どうして否定できるだろう。

 だとしても、ナヴァヤーカだけは否定したかった。

 

「お前にはお前の生があるだろう……!」

 

 もう聞こえないほど遠くに行っているだろう弟子に向けて、ナヴァヤーカの口から言葉がこぼれる。

 本来ならば己の手で行わなければならないことを、恩を着せたとはいえ種族と無関係の弟子に、死んでも蘇るとはいえ二度と監獄から出られなくなる前提で、無駄死になる可能性が高いとわかって、行わせる。

 それだけは絶対にやらせたくなかった。

 

 楽しんで決闘に打ち込み、念願の最上位に足がかかっているのを知っている。

 美味しいものを食べ、素晴らしい風景を見て、色々な人と交流する。そんな日常を楽しんでいたのを知っている。

 過去を尊び、今を楽しみ、未来に向けて足を進めていた弟子の姿を、ずっと見てきた。

 ナヴァヤーカはずっと里の皆を家族のように慈しんできたが。

 愛弟子だって、家族のように大切に思っていたのだ。

 家族のために別の家族に犠牲になってほしいとは思えない。

 

 それも、止められなかった自分には言えた義理ではないのかもしれない。

 だとすれば、せめて。

 歯を食いしばって、拳を握りしめて、躊躇いを振り切って、叫ぶ。

 

「これだけの大言を吐いたんだ、死ぬんじゃないぞ!

 生きて、勝ち取って帰ってこい!!」

 

 叫ぶ。

 聞こえなくても、その背中を押せるように。

 祈る。

 神無き世界で、精霊の王の加護が、幸運が、僅かでも弟子の勝利に繋がることを。

 

 弟子の放言を信じることはできない。

 前々から、デカいことを言って、成功も失敗もする男だった。

 運命に愛されているわけでもなく、嫌われているわけでもなく。

 勝って笑うことも、負けて泣くことも、等しくあるような、どこにでもいる男だった。

 そんなどこにでもいる男が、道半ばにして神に勝つ。

 儚い夢物語とわかっていても、それを信じる以外、できることはなかった。

 

 

 極寒の地に陽はまだ遠く。

 現地人(ティアン)ができることはそう多くなく。

 来訪者(マスター)が勝つことを祈るしかない。

 今の時代、どこにでもある光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数時間経って、現在。

 冷気の影響がまだ強くない近隣の街にて、ツァガーンは店から出た。

 

「よし、こんなもんだな」

 

『これで一文なしか。少し思い切りすぎではないか?』

 

 一息つくツァガーンの脳に、直接言葉が送られてくる。

 驚く様子もなく、男は手の中で宝石のような結晶を弄びながら脳内で言葉を返した。

 

『相手は神話級、二度あるかもわからない決戦だ。

 あと一つジェムがあれば、あと一つ防具があれば。そんなこと考えて終わりたくないね』

 

『確かにな。いい心がけだ』

 

『ついでに言えば余ったら売っ払えば当座の資金ぐらいにはなる。

 監獄じゃ外の通貨も使えないらしいし、そこまでリスクしかない選択ってわけでもないさ』

 

 なにげないツァガーンの言葉に、脳内に響く声は慮るような響きを宿した。

 

『やはり、負けると思うか』

 

「勝負に絶対はない。俺が絶対に負けるってこともないし、絶対に勝つってこともない。

 相手は師匠が万に一つも勝てないと言ってた神獣だ。舐めてかかれる相手じゃないな」

 

『ならば、だ!』

 

 ツァガーンが纏う外套が、ほどけるように光の粉となり舞う。

 瞬きほどの間を開けて、光粉は男の前で一人の少女の姿を取った。

 

 獅子の耳、獅子の瞳、獅子の鬣のような髪の毛、獅子の尾。

 手足こそ人間でも、明らかに純人ならざるその身は<エンブリオ>の化身。

 メイデン(女性体)混じりのエンブリオだと、マスターであればわかるだろう。

 

「戦いを避ける、という手もあるのではないか。お前の師が言ってくれたように」

 

 心配を前面に出す少女を見て、ツァガーンは堂々と鼻で笑った。

 周囲の人間にそれなりに敬意を払うツァガーンは、だからこそ自分の半身に礼儀を持たない。

 

「くっだらねえ。他人を心配するなら兎も角、自分を心配して言うのは三流の発言だろ。

 いつからお前のモチーフはオズの魔法使い(臆病なライオン)になったんだ?」

 

「冗談を言っている場合か!

 今回はこれまでの戦いとは訳が違う、それはお前も認めたところだろう!」

 

「だから逃げろって? 馬鹿を言うなよ」

 

 ツァガーンの辛辣な言葉を受けても、その少女は心配の姿勢を崩さない。

 心配の言葉を聞いても、ツァガーンは全く意に介さない。

 そんな姿を、似た者同士の主従と呼んだ者もいた。

 

「勝算がないから挑まないのはしょうがない。勝算もなく突っ込んでいいのは何も背負ってない時だけだ。

 でも()()()()()()()()()()()()()()()

 そんなこと、お前も俺ならよくわかってるだろ」

 

「恥のために死ぬのか」

 

「生き恥のために生きる気はねえよ」

 

 エンブリオとは主の意志を実現するためにある、というところが両者が共有する前提だった。

 故に主従どちらも意志が固ければ、常に主が意見を通す。

 今回もそうなるだろうと思っていても、少女はそう簡単には肯定したくない。

 

「ここで戦えば二度とお前が好きな決闘ができなくなる!

 あれは国家所属者だけの競技だ。

 せめて生き延びれば、他国と交渉して国際指名手配を抜け、その国でだけは行えるだろうが、死ねばお前は問答無用で監獄行きだ」

 

「まー、そうだな。残念だ。残念なだけだ。そんなこともあるさ」

 

「それでいいわけがないだろう! 決闘はお前にとっても私にとっても!」

 

 

「みなまでゆーなって」

 

 

 緩い口調とは裏腹に、その言葉には、それまでと一線を画す強さがあった。

 少女が黙っているのを尻目に、一瞬だけ感慨にふけり、次の一瞬で全てを振り切る。

 

(『変化し続けなければならない』)

 

 多くのものを捨て去るとしても。

 何かを手に入れるために変わることを躊躇わない。

 迷うより拙速であろうと道を選び、悔やむよりも更に前に進むことを選ぶ。

 ずっとツァガーンはそうやってきて、今回もそうすると決めていた。

 

「この世界がゲーム(遊戯盤)だとしても……俺の師匠とその一族を、故郷なき男たちなんかにさせない。

 そのために戦うことを、俺が恐れることはない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……だからお前は、ああもう!」

 

 エンブリオには自我がある。

 好悪があり、善悪があり、執着がある。

 マスターを最優先にしながらも、その最優先の形はそれぞれ違い、主の指示に背くこともある。

 主から生まれた存在であっても、主そのものではないというのが、一般的な認識だった。

 

 ツァガーンは己のエンブリオのことを、己以外だと考えたことはない。

 何を言われても。何をされても。己の意のままに動く武器として扱ってきた。

 己の魂の刃であり、意志示す鎧であり、我を示す衣服であると。

 

 だから少女も、なんと言おうと、己の主の信頼を裏切れたことはない。

 

「いいだろう、戦ってやる……戦ってやるさ!

 ただし勝ったら余ったアイテム全部売った金で私になんでも買え!

 真に無一文になって、しばらくは私のへそくりに頼るヒモにしてやるからな!」

 

「俺がそれで無一文になったらお前も無一文だぞ」

 

「は?……は!?お前私のアイテムボックスから金抜いたな!?」

 

「お前の金は俺の金だろ。普段はともかく俺の持ち金全部使うのにお前の残すかよ」

 

「私の金なんだけど!?」

 

「安心しろ、売却金でしばらく乗り切って、適当に依頼と討伐で稼いで取り戻していくからよ。

 俺とお前で半分ずつ分けてもお前のへそくりぐらいの額、そんなにかからんだろ」

 

「私の金を勝手に使ったことへの謝罪は!?」

 

「ないけど……」

 

「―――!―――――――!―――!」

 

 ……まあ主の方は、従僕の人格や人としての権利をそんなに気にしていなかったが。

 

 

 (一方的に)言い争いながら、一匹と一人は街の外へと向かう。

 いずれその姿は一つに重なり、一対の獣となった。

 遠き氷原に向け、ぐんぐんと加速していく。

 その進む道に迷いはない。

 望む未来を掴むために、乾いた風吹く荒野を往く。

 

 

 "怪獣装者"、"人面獣身"。

 レジェンダリア決闘ランキング二位。

 【象王(キング・オブ・シンボライズ)】ツァガーン。

 並びにTYPE:メイデンwithカリキュレーター・ガーディアン、【襲套雌神(しゅうとうめすがみ) ナラシンハ】。

 

 

 一対の獣が地を発った。

 

 目指すは神話の討滅、<神殺し>。

 

 

 

 

 

 これはどこにでもいる一人の男が、神と戦い、監獄に落ちるまでの物語だ。

 

 

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