夢魔さんは眠りたい   作:子守家守

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デュラハンの首はいずこ(3)

 ソウマが通報してから、五分としないうちに警察が現場に駆け付けた。

 すぐさま現場に規制線が張られ、室内の状況が保存される。ソウマとマヤも部屋から追い出された。最初にやって来た所轄の警察官に促されて、そのままマンションの一階へと連れ下ろされる。

 

 階段を降りたところで、エントランスのドアから数人の人だかりが見えた。マンションの敷地の一歩外からスマートフォンのカメラをこちらに向けている。野次馬のようだ。パトカーが停まっているのを見つけて寄って来たのだろう。

 ああいう連中がこれからもっと増えるかもしれない。思わずうんざりしたため息を漏らしてしまう。隣を歩くマヤも野次馬のカメラに気づいたのか辟易とした表情を浮かべていた。

 

 警察は今なお続々と集まりつつあるようだった。マンションのエントランスと三階の現場を繋ぐ経路は、入れ代わり立ち代わりに多くの人間がせわしなく行き来している。

 その混雑を邪魔しないように、ソウマとマヤは警察官に付き添われて一階の階段から少し離れたところの廊下へと連れてこられた。

 

「それで、君たちはどうしてあの部屋に? 住んでる人の友達かなにか?」

 

 制服姿の警察官がメモを構えながら二人に尋ねる。

 マヤがちらりとソウマの顔を見上げてきた。それに頷きを返し、ソウマが代表して口を開く。

 

「いえ、そういうわけではありません。ここに来たのは仕事です。アルバイトの」

「アルバイト? おいまさか、それって闇バイトとか、そういう……」

 

 ソウマの返答を聞いて、警察官の表情と口調が剣呑なものになった。

 勘違いだ。けれど、そう思われるのも仕方ないか。なにしろ首なし死体が出てきたのだ。明らかに普通の事件ではない。組織犯罪の可能性くらい疑われて当然だろう。ソウマは否定の意を籠めて首を横に振ってから言葉を続ける。

 

「犯罪とか、非合法なバイトじゃありません。僕たちの雇い主は都内の探偵社です。そこから調査業務を任されて、このマンションにやって来たんです」

「探偵だって? アルバイトで、探偵?」

「ええ、そうです。詳しい仕事の内容までは、守秘義務があるので言えませんが」

 

 警察官の目がエイリアンを見るような視線になった。ソウマは困り顔で肩を竦めるしかない。

 たとえアルバイトでも職務上知りえた秘密を他人に漏らすことは許されない。そういう法律があるし、雇用契約にも明記されている。依頼主やその依頼内容も守るべき秘密に該当するから、正式な令状があるならともかく、相手が警察というだけでペラペラと口を滑らせてしまうのはNGだ。

 

「もちろん、警察の捜査に協力は惜しみませんよ。今ここでは言えないというだけです。もう雇い主には状況を説明してありますから、今ごろは依頼人から情報開示の許可を取れるよう交渉をしているはずです。申し訳ありませんけど、僕らの仕事について喋れるのはその許可が下りてからですね」

 

 そう言ってソウマは自分のスマートフォンを指差して、やることはやっているのだと警察官にアピールした。

 マヤが首なし死体を発見したあと、警察への通報と並行してソウマはランカに一報を入れている。電話に出た彼女はすぐに依頼人と連絡を取ると言っていた。おそらく、情報開示の同意はすぐに取れるだろう。行方不明の息子を探すというだけの依頼なのだ。疚しいことはなにもないはず。

 

 実のところソウマもこの依頼の依頼人について詳しく知っているわけではない。アルバイトを探していたマヤをランカに紹介した際に、「せっかくだから、ついでに二人で調査してきて欲しい場所があるのだけど」と彼女からいきなり任された仕事なのだ。依頼の概要や調査するマンションの情報などはすぐにランカから送られてきたが、依頼人と直接会ったわけではない。

 

 ランカは探偵であり、吸血鬼だ。それも、混血ではなく純血の。

 だから彼女は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。彼女が建物の外に出られるのは夜の間だけだ。

 そのため、ランカは日中の現場調査を任せられるビジネス・パートナを何人か抱えている。ソウマもそのひとりだ。扱いはアルバイトだが、彼女の仕事は過去にも何度か手伝っているし、こういった厄介事に巻き込まれるのも初めてではなかった。

 

「……それなら、どんなことであれば今ここで答えられるわけで?」

「たとえば、あの部屋に入ったときの様子とかであればいくらでも。だけど、うーん、特になにか目立つものがあったわけでもないんですよね。マヤちゃんはどうだった?」

「え? あ、うん、そうだったかも」

 

 ソウマが話を振るとマヤが曖昧に頷いた。少しぼんやりしている様子だった。

 彼女が額に指を当てながら目をつむる。現場の状況を頭の中でリプレイしているようだった。しばらく経ってから目を開けた彼女は、警察官に申し訳なさそうな視線を向けた。

 

「うん……、誰かが部屋の中にいたとか、見慣れないモノが置いてあったとか、そういうのはなかったと思います。カーテンが閉まっていて薄暗かったのと、部屋の空気が澱んでるような感じだったのは、印象に残ってます」

「僕も彼女も部屋の中の物には手を触れていません。浴室に繋がるドアを開けたくらいです。だから、僕らが見た部屋の様子は、警察の人たちが今見ている状態と大差ないかと」

 

 マヤに続けてソウマがそう補足した。

 制服の警察官は額に皺を寄せて難しい表情を作っていた。役に立ちそうにない証言だな、とでも思われているのかも。あるいは、単純にこちらのことを疑っているのか。

 

「いいでしょう。ひとまずその証言を現場と共有してきます。申し訳ありませんが、しばらくここで待機していてください。しばらくしたらまた別の者が聞き取りに来ると思います」

 

 結局、警察官の男は盛大にため息を吐いて、ソウマたちに背中を向けた。肩越しにこちらを一瞥してから、現場に向かう階段へと歩いていった。

 廊下に残されたソウマはマヤと顔を見合わせた。彼女の眉が斜めに垂れていることに気づく。表情の変化に乏しいように見えて、実は微小単位で感情を表現しているのが彼女の常である。

 

「マヤちゃん、大丈夫?」

「えっと、なにが」

「呼吸が苦しいとか、頭が痛いとか……。つまり、()()()()()()を見て、気分が悪くなってないかな、って」

「ん……、たぶん、平気。びっくりしたのは確かだけど」

「本当に? なんなら先に帰れるように警察に掛け合ってみるけど」

「ううん、ちょっとぼんやりしてるけど、昔のことを思い出してるだけだから。心配しないで」

「昔のこと?」

「昔というか、勇者ちゃんのこと。剣と魔法のファンタジーって、現地人目線だとけっこうスプラッタだから。思い出して、だんだん慣らしてるところ」

 

 マヤが平手をひゅっと横に振る。ソウマはその手のひらに鋭い刃を幻視した。もしかしたら、今の一閃でどこぞのゴブリンあたりが首を飛ばしたのかもしれない。

 なるほど、慣らしているというのはそういうことか。彼女の前世、赤毛の勇者なら首のない死体も見慣れていたに違いない。その記憶と感性に今の自分をアジャストしているのだろう。

 

「そういうソウマさんは? なんだか平然としてるけど、どうして?」

「僕もそこそこ慣れてるからね。現実じゃなくて夢の中で、だけど」

 

 他人と夢を共有していれば、ときには悪夢の世界に飛び込んでしまうこともある。死体、幽霊、悪魔に怪物……、そういった恐怖を煽る存在は、ソウマにとって見慣れたものだ。

 もちろん、現実で首なし死体を見るだなんて、今回が初めてのことだ。しかし、死体を目撃したとき、ソウマは自分でも驚くほどに落ち着いていた。ショッキングな光景を目にしても叫び声ひとつあげず、即座に警察に連絡を入れられたくらいだ。

 なぜだろう。現実の死体よりも夢の死体のほうが怖いものに思える。ひょっとすると、現実では死体がいきなり起き上がって襲い掛かってくることがないとわかっているからだろうか。

 

 数分ほど時間が経った。太陽が傾いてオレンジ色の光をマンションに投射している。

 階段のところに警察官がひとりずっと立っていた。現着する同僚たちを上階の現場に案内しつつ、思い出したようにソウマとマヤのほうに視線を飛ばしてくる。見張り役といったところだろう。あまりウロウロしないほうがよさそうだ。

 

「お風呂場のあの男の人、私たちが探そうとしてた人だったのかな……」

 

 呟いたマヤが顔を上に向ける。ソウマもその視線を追いかけた。クリーム色の廊下の天井で蛍光灯が生真面目に光を放っている。三階の現場を覗き見るには透視の能力でも必要そうだ。

 

「そうかもね。あるいは、逆のケースかもしれないけれど」

「逆?」

「あの部屋で誰かを殺しちゃったから、元の住人が姿を隠したってパターン」

「ああ……、そっか、そういう可能性もあるんだ」

 

 視線を正面に戻したマヤが小さく首を傾けた。

 

「でも、あれが誰の死体なのかって、警察が調べればすぐにわかることだよね?」

「それはそう。たとえ顔がなくたって身元を特定する手段は他にもあるだろうし」

「うん。だとしたら、そういう事情を秘密にするために首を切った、ってわけじゃないのかな」

 

 彼女の言葉にソウマは頷きを返す。

 首なし死体といえば生存者と死人の入れ替えトリックがミステリィの定番だが、現代社会、それも警察の捜査が即座に及ぶ文明の圏内でそれを実現するのは不可能に近いだろう。

 

 では、なぜあの死体は首を落とされていたのか。ソウマは現場の状態を思い出す。風呂場は床も壁も白色で、どこにも血液が付着している様子はなかった。死体そのものも頸部の断面以外の肌は真っ白だったほどだ。

 当たり前だが、首を切ったら血が噴き出る。それは生きているときでも死んだあとでも変わらない。変わるのは流れ出る血の量と勢いくらいだ。

 つまり、あの風呂場で首を切ってあとから綺麗に掃除したのか、それとも別の場所で首を切って血が止まってから部屋に運び入れたのか、その二択。どちらも相当骨が折れる工程になるだろう。

 

 理由もなく、その場の思い付きでできることではない。

 いや、たとえ理由があったとしても、やろうとは思わないのが普通だ。

 

 それでも、あの死体は首を切られていて、切られた頭は現場には落ちていなかった。

 それが観測できる現実。

 証拠の隠滅。深い怨恨。狂的な偏愛。宗教的な儀式。あるいは、無邪気な興味。

 いくつかの仮定がソウマの脳裏をよぎり、そのいずれもが像を成さずに霧散していった。

 

 ふとエントランスのほうから人の声が聞こえてきた。また警察が到着したらしい。

 風除室を抜けて五人入ってくる。全員がスーツ姿だった。刑事だ。その中にひとつ見知った顔があった。短い黒髪の女性刑事。平均よりも高めの身長で、切れ長の目元が印象的な人物だ。年齢は確か二十代後半か三十代の前半くらいだったはず。

 目が合った。彼女もこちらに気づいたようだ。ソウマが軽く手を挙げて挨拶すると、女刑事はババ抜きでハズレを引いたかのように露骨に顔を顰めた。現場に向かう一団から離れてこちらに早足で駆け寄ってくる。

 

「こんばんは、ナナミさん」

「ソウマくん? ちょっと、どうして君がここにいるわけ」

 

 単刀直入にそう聞かれる。

 棘のある口調だった。険しい視線がソウマとマヤとを交互に行ったり来たりしている。

 

「僕たちが第一発見者なんです」

「じゃあなに、被害者とは知り合いなの?」

「いえ、部屋に入ったのはバイトの都合で……」

「バイトですって!?」

 

 ナナミ刑事が般若のように眉を吊り上げた。

 マヤが半歩下がってさりげなくソウマを盾にする。

 

「そのバイトって、どのバイト? 寝かしつけ屋? それとも、ホテルスタッフの関係?」

「ええと、ナナミさんには申し訳ないんですけど、探偵のバイトです」

「……最悪だわ」

 

 舌打ちが聞こえた。続けて苛立たし気に靴先で床を叩く音。

 女刑事は数秒だけ目を強くつむってから、大きく息を吐き出した。セルフコントロール、しかし、焼け石に水。目を開いた彼女は、相変わらずの鋭い目つきでソウマの背後のマヤを睨みつける。

 

「そっちの子は?」

「同じバイトの同僚です。今日が初仕事だったんですけど……」

「そりゃ災難だったわね。捜査一課のナナミよ。よろしく」

「……ヤマノです、よろしくお願いします」

 

 背中のほうから固い声が聞こえてくる。どちらも「よろしく」っていう声色じゃないな、とソウマは思わず苦笑してしまった。それを見咎めて、ナナミ刑事がぎろりと彼を睨みつける。

 

「……、まぁいいわ。しばらくここで待っててちょうだい。現場で状況を確認したらまた戻って来るから」

 

 そう言ってナナミが踵を返した。彼女は苛立ちを隠さない足取りで階段を上っていった。

 その後ろ姿が階段の向こうに消えてから、ソウマの服の袖が引っ張られる。振り返ると細い指で袖の端っこを摘まんだマヤの姿があった。

 

「知り合い?」

「うん。うちのホテルの事情も知ってる刑事さん」

「なんだか怒ってたみたいだけど……」

「うーん、あれは怒っているというより、ちょっと天敵の気配を感じてイラついちゃったというか。普段はもっと落ち着いているし、話の分かる良い人なんだけど」

 

 ソウマが困ったように肩を竦めると、マヤが不思議そうに小さく眉を動かした。

 

「天敵って?」

「ランカさんのこと。水と油、犬猿の仲なんだよね、あの二人は」

 

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 

 現場で同僚の刑事たちと状況の確認を済ませた七海(ななみ)は、意識してゆっくりと階段を降りていた。

 さすがに気持ちは落ち着いていた。あんな死体を見れば頭も冷える。今はもう刑事としての自分にフォーカスできていた。

 

 先ほどの自分の言動には反省するしかない。あの場にいたのがソウマだけならまだよかった。お互いに面識があるし、ナナミが()()()との接触を嫌っていることも知られているのだから。

 だけど、ヤマノと名乗ったあの女の子にまで険のある対応をしてしまったのはいただけない。初対面の相手にいったいなにをやっているのやら。沸騰しやすい自分の性格がほとほといやになってしまう。

 

「お待たせ。二人とも所持品の検査は終わってるわよね? だったら今日はもう帰っていいわ。送っていくから車に乗ってちょうだい」

 

 努めて柔らかい声色を使いながら、廊下で待機していたソウマとヤマノに呼びかけた。

 二人をエントランスに先導しながら、改めてヤマノの容姿を観察する。小柄で可愛らしい女の子だ。髪は黒のショート。顔のつくりはクール寄り、というか、表情の動きに乏しい印象。それがデフォルトなのか、それとも緊張しているからなのかはわからない。

 

「送ってくれるって、家までですか?」

「……ひとまず、君たちの職場までね」

 

 野次馬とマスコミの視線を避けつつ、三人は車に乗り込んだ。白黒のパトカーではなくセダン型の捜査車両だ。若者二人には後部座席に座ってもらい、ナナミが運転席でハンドルを握る。

 ヘッドライトを点灯させる。太陽はもう落ちていた。軽快なエンジンの振動を引き連れて、マンションの駐車場から夜の街に滑り出した。

 

 フェアリィ・クレイドルへのルートは頭の中にあった。ナビを使う必要もない。

 運転中、ナナミは後部座席の二人に簡単な事情聴取を行った。ルームミラーを時折覗きながら、死体発見時の状況を中心に証言を聞き出していく。

 意外だったのが、ヤマノの受け答えが比較的しっかりしたものだったことだ。顔にも声にも動揺が表れていない。ショッキングな光景を目撃したというのに、非常に落ち着いている印象だ。そういう性格なのだろうか。

 

 結論から言えば、二人から目新しい証言を得ることはできなかった。聞き出せたのは現場で同僚たちと共有した情報をなぞるような証言ばかり。それでも、第一発見者の供述を再確認できたという点では有用だろう。そのついでに、微妙な空気になりがちなドライブ中の時間を上手く潰すことができたのだから、ナナミ的には上々といったところ。

 

「さて、着いたわね。それじゃ行くわよ」

 

 十数分後、目的地のホテルの敷地に車を停めたナナミは、後部座席にそう声を掛けた。

「仕方ないな」という表情でソウマが車を降りる。それに続いたヤマノが「行くって、どこへ?」と小声で言うのが聞こえた。

 大きな深呼吸をしてからナナミも運転席から外に出る。ローマのコロッセオに踏み込む気分だった。連想したのは、逃げ場のない決闘場に向かう剣闘士。

 

 二人を連れてホテルに入る。ナナミの姿に気づいたらしいフロントのスタッフが驚いたように目を丸くしている。それを横目に見ながら、ナナミはエントランスを横断して奥の廊下へと歩いていく。勝手知ったる他人の根城、というやつだ。

 特に声を掛けられることもなく、三人は廊下の奥のエレベータホールに到着した。一階で停止していたエレベータに乗り込んで、地下二階のスイッチを押す。

 扉が閉まって、一瞬の浮遊感。会話はなかった。ただ、ヤマノがちらちらとこちらの様子を窺っているのを感じた。やっぱりファーストコンタクトが失敗だったか。

 

 地下二階で降りて廊下の奥へ。最奥のドアには『B221b』のプレート。

 相変わらずふざけたジョークだ。最低限の礼儀としてノックをすると、部屋の中から声。腹を決めて、ナナミはドアを開いた。

 

「あら……。ナナミ刑事? これはまた、お久しぶりですね」

「ええ、叶うことならもう二度と会いたくないと思っていたところですけれど」

「まぁ、そんな寂しいことを言わないでください。こちらにいらっしゃるのなら、私はいつでも歓迎しますのに」

 

 部屋の中にいた黒髪の女が楚々と微笑む。艶やかな長髪の美貌の女だ。服装はカジュアルだがどことなく品があった。ひょっとしなくても見た目はナナミより若く見えそうなほど。実際はあちらのほうが五倍以上歳を食っているというのに。これだから顔を合わせるのは嫌なのだ。

 

「単刀直入に用件をお伝えします。更科(さらしな)勇人(はやと)の部屋を調べるように依頼したのが誰なのか。その依頼人の情報を提供してください」

「いきなりですね。そう慌てず、まずはコーヒーでもいかが?」

「ソウマくんから連絡は貰ってあったのでしょう? あなたのことです、もう依頼人に事の次第を説明して、いつでも情報を開示できるよう準備してあるのでは」

「本当にせっかちな人」

 

 ナナミとランカは探偵事務所の接客テーブルを挟んで向かい合う。

 相手のペースに付き合っても碌なことにならないのはわかっていた。さっさと目的を伝えたナナミは、口を横に結んで無言で相手の回答を催促する。

 一方的に要求を突き付けられたランカが拗ねたように口を窄めていた。まるで年端も行かない少女のようで、それが似合っているのが逆に腹が立つ。

 

「まぁいいでしょう。情報提供の準備ができているというのはナナミ刑事の言う通りですから」

「ご協力感謝いたします」

「でも、その前に……。ソウマくんにマヤちゃん、今日のお仕事はここまでで結構よ。私はナナミ刑事と話があるから、二人は先に帰ってちょうだい」

 

 その言葉を聞いて、部屋の扉の辺りで所在なさげに立っていた二人が顔を見合わせる。

 

「あれ、でも、日報は?」ソウマが疑問を口にした。

「明日でいいわ。マヤちゃんも講義のない時間にまた来てちょうだい。業務報告にもフォーマットがあるのだけれど、最初だからまずは私と一緒に書き方を覚えましょうね」

 

 上品な口調でそう言うと、女吸血鬼は優雅に微笑んだ。

 若者二人がもう一度顔を見合わせる。それから二人は、「わかりました、また明日」と頭を下げて部屋から出ていった。

 事務所のドアが閉まる寸前、ソウマの心配そうな視線がナナミに飛んできた。余計なお世話だ、という意思を籠めて、ナナミはドアと壁の細い隙間を軽く睨んでやった。

 

「コーヒーはいらないのよね。それでは、お仕事の話をしましょうか」

「はい、お願いします」

「慇懃な言葉遣いは不要よ。むしろ、あなたにそんな口調をされると気持ち悪いくらいだわ」

「……あ、そう。悪かったわね、気持ち悪くて」

 

 互いに言葉遣いがぞんざいになった。化けの皮が剥がれた感じ。ラウンド・ワン、ファイッとどこからか聞こえた気がした。

 

「さて、私の情報を話す前に、まずはあなたの知っていることから聞かせてもらいましょうか」

「はぁ? なに言ってるの、あなた」

「警察の捜査状況を教えてください、と言っているの。どうせあなたはこっちの情報を聞いたらそのまま帰っちゃうのでしょう? だから先に聞いておかないと」

「あのねぇ、そんな簡単に捜査のことを漏らすわけがないじゃない。交換条件のつもりなのかもしれないけど、馬鹿にしないで欲しいわね」

 

 刺々しい口調も隠さずに、ナナミはそう言って鼻を鳴らした。

 一方、対面のランカは嫣然とした笑みを崩さない。見た目相応、実年齢不相応に可愛らしく小首を傾げている。

 

「あら、名探偵の意見を聞いておいて損はないと思うわよ」

「誰が名探偵よ。百歩譲っても、元・名探偵でしょ」

「それに、あなたが教えてくれなくても、別の伝手から捜査状況を知ることくらい簡単なんだから。変に意地を張ってなにも聞けずに帰るよりは、ちょびっと融通を効かせて成果を持ち帰った方がいいんじゃないの?」

「……つくづく厭味な奴だわ」

 

 ランカの言っていることはハッタリではない。非常に腹立たしいことに、この女吸血鬼は警察の上層部に奇妙なコネクションを持っているのだ。ナナミの頭を飛び越して捜査の情報を入手するくらいわけのないことなのだろう。

 落ち着け。自分にそう言い聞かせて、ナナミは細く静かに息を吐いた。

 

「言っておくけど、まだ大したことはわかっていないわよ」

「それで結構。そうね、死体の身元はもうわかったのかしら?」

「断定はできないわ。でも、死体の指紋と現場の部屋に付着している主要な指紋とが一致したわ。部屋主かどうかはともかく、あの部屋で長く生活していたのはほぼ間違いないだろう、っていうのが現在の見解」

「へぇ、なるほど」

「その見解を確定させるためにも、部屋の借主、更科勇人に繋がる情報が必要なんだけど?」

 

 皮肉を込めた口調でそう言ってみたものの、ランカは特に気にした様子もなかった。図太いやつだ。きっと神経が編み込みの鋼線でできているに違いない。

 

「マンションに防犯カメラは?」

「エントランスにひとつ。でも、そこを通らなくても廊下の手すりを乗り越えれば簡単に建物の中には入れるわね。録画内容のチェックを急いでいるけれど、今のところ怪しい場面は見つかっていないわ」

「現場の鍵はどうかしら?」

「部屋からは見つかっていない。おそらく犯人が持ち去ったんでしょうね。ソウマくんたちが部屋に来たとき、ドアには鍵が掛かってたって話だから。ああそうだ、彼の持っていた合鍵の出所もちゃんと教えなさいよ」

「現時点での容疑者」

「強いて言えば第一発見者の二人。といっても、まだ他の候補が誰も挙がってないってだけだけれど」

 

 他にもいくつか細々としたことを聞いたところで、ランカは「ふむ」と黙り込んだ。

 賭けてもいいが、それっぽいポーズを取っているだけだ。ナナミの話した情報は、いずれも事件解決に直接繋がるようなものではない。おそらく、ピンと来る情報はなかったけど、ひとまず分かった風の雰囲気を作っておこう、という魂胆だろう。目の前の自称名探偵はそういう女なのだ。

 

「ありがとう、大変参考になりました」ランカが作り物の表情で微笑んだ。

「どういたしまして」とナナミは棒読みで返す。

 

「さて、それでは約束通り私も情報を伝えなくてはいけませんね。今回の依頼、クライアントは更科勇人さんのご両親です。依頼内容は連絡が取れなくなった息子の捜索。ご想像の通り、このことについては警察に伝えて構わないと許可を取ってあります」

「ま、そうでしょうね。真っ当な依頼だわ。それだけならわざわざ隠す理由もない」

「クライアントの連絡先もお渡しします。遺体の身元確認もこれで進むのではないかしら」

 

 ランカから一枚のメモ用紙を手渡された。依頼人の名前と住所、電話番号が記されている。記されている住所は東北の某県のものだった。あそこの県警に知り合いはいたかな、と咄嗟に記憶をサーチする。

 

「更科勇人さんに捜索願が出ていることは警察も把握しているのかしら」

「ええ、部屋の借主の名前で引っ掛かったから。でも、今のところ有力情報はなにもなし」

「そう……。クライアントには辛い報告をしなくてはならないかもね」

 

 ランカがしんみりとした声を出す。その点についてだけは、ナナミも同感だった。子供の死を親に伝えるときは、いつだって胸が締め付けられる気持ちになってしまう。

 ナナミは接客用のソファから立ち上がった。お互いに欲しい情報は交換した。話はもうおしまいだ。これ以上、ランカのテリトリーに長居する必要はない。

 

「そういえば……」

 

 事務所から立ち去ろうとしたナナミの背中に、ランカの声が飛んでくる。

 足を止める気にもなれず、肩越しに視線だけで振り返った。

 

「ナナミ刑事の息子さんはお元気かしら?」

「……あ?」

 

 不意打ちの問いかけだった。

 無意識にドスの効いた声が出てしまう。

 止めるつもりのなかった足が止まる。部屋のドアはもう半分ほど開いてしまっている。だというのに、そのまま立ち去るには吸血鬼の言葉の引力が強すぎた。

 

「だって、()()()の血を引いている子でしょう? 一度でいいから会ってみたいと思って」

「ふざけんな。誰があの子とお前を会わせるか」

「あら、残念」

 

 口調を取り繕う余裕もなく吐き捨てる。根が張ったように重たい足を無理やり動かして、薄暗い廊下へと強引に体を押し出した。探偵事務所の照明の眩しさが蜘蛛の巣のように背中にまとわりついてくる。それがひどく鬱陶しい。

 三歩数えた。室内の明かりももう届かない。薄闇の中に立っているのに、むしろ身体は軽くなった気がする。息を吸って、吐く。鼓動のペースは標準。手のひらの汗だけが気持ち悪い。

 微かに軋む音を立てながら、探偵事務所のドアが勝手に閉まっていく。室内から漏れ出る光が細くなっていく。

 

 息を止めて、ナナミは振り向いた。部屋の中でランカが悠然と微笑みを浮かべていた。

 挑発だったのか、からかわれたのか、それともまさか本気で言われたのか。

 なんであろうと、ムカつくことには変わりない。

 

「安心して。夜の街でひとりぼっちにでもしない限り、私が勝手にあなたの息子と会ったりはできないのだから。ナナミさんはたったそれだけのことに気を付けていればいいのよ」

 

 ドアが閉まる。優しそうな女の顔が瞳孔に焼き付いた。

 薄暗い廊下で頭を振り、厭味な吸血鬼の記憶を小学生の息子の顔で上書きする。

 

 壁を蹴りつけそうになったが、どうにか踏みとどまる。

 最後まで相手に手を出さなかった自分を褒めてやりたかった。

 

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 

 フェアリィ・クレイドルの支配人であり、スタッフからボスと呼ばれている男。

 彼の前職は警察官であり、捜査一課に所属する刑事だったのだという。

 そう、ナナミ刑事の現在の所属と同じ、警視庁の捜査一課だ。

 

 彼が何故、刑事としてのキャリアを捨ててホテルの支配人に転身したのか。

 その理由となったのが、地下二階の女吸血鬼、ランカその人である……、というのがホテルスタッフの間ではもっぱらの通説だった。

 

 ボスが明言したわけではない。彼自身は、ホテル経営に携わるようになった理由について、『現代社会における理性ある怪物や混血者たちの働き場所を作るため』と一貫して語っている。

 しかし、その『理性ある怪物』の最初の一人がランカなのではないか、と考えているスタッフはかなり多い。はっきりとした証拠があるわけではないが、ボスの支配人就任とランカが地下に住み着くようになったのとがほとんど同じタイミングだったというのは事実のようだ。複数の古参スタッフがそう証言している。

 

 だからだろう、ナナミ刑事とランカ探偵の不仲の原因にはボスの存在が絡んでいるのでは、という噂がフェアリィ・クレイドルではまことしやかに囁かれている。

 男一人と女二人の三角関係(トライアングラ)だ。歳の差がありすぎるのでは、という意見に対しては「むしろそれがいいんじゃない」と返って来るのがお約束。

 

 人間でも怪物でも混血でも、この手の噂話を好むタイプがどこにでも一定数存在するのが、どうもこの世界の法則のようだ。

 

 

 

 

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