夢魔さんは眠りたい   作:子守家守

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デュラハンの首はいずこ(6)

 マヤはカトゥという男の話をあまり聞いていなかった。

 きっと波長が合わなかったのだろう。彼女のアンテナは指向性が強い方なので、たまにこういうエラーが発生してしまう。そのせいでぼんやりしている子に見られてしまうこともしばしばだ。

 今、マヤの感覚器(センサ)は目の前の男よりもむしろ周囲の環境に向いていた。喫茶店の客入りは六割ほど。店内にはゆったりとしたテンポの音楽がささやかな音量で流れている。テーブルとテーブルの間には衝立があって、他の客の話し声はほとんど届いてきていない。

 

(全部で五人。お店の中に二人と、外に三人かな)

 

 人間の感覚器はパッシヴだ。たとえば、なにかを見るということは、対象にぶつかった光の反射を受け取っているだけのこと。別に自分の目から観測用のビームを発射しているわけではない。だから、『視線を感じる』なんて感覚は本来ありえないものだということは、現代教育を受けたマヤも十分に承知している。

 

 それでも彼女はこうして、誰かが自分たちに意識を向けてきているのを、肌で感じることができている。それがどういう理屈によるものなのか、マヤ自身も正確には理解できてはいない。たぶん、視界の隅に映った小さな動きとか、微かな音の連なりとか、あるいは空気の揺らめきみたいな、言語化もできないような僅かな情報を寄せ集めてそう判断しているのだろう。

 勇者の直感、もとい、勇者ちゃんの直感とでもいうべきか……。こういう芸当が体に染みついているのも、『彼女』の存在がただの妄想ではなかったことの証明なのかもしれない。

 

「ソバーコの魅力? そうですねぇ、普段は女の子女の子してるのに、いざってときはけっこう男らしいところとか。おかげでコラボ相手とてぇてぇ感じになることも多いし、ゲームしててもピンチにスーパープレイが飛び出したりするんで、見ていて飽きないんすよね」

 

 同じテーブルでは、トイレから戻ったカトゥがソウマとVtuberの四方山話を続けている。

 五人の監視者の意識はこのテーブルに集まっているように思える。マヤか、ソウマか、それともカトゥか……。誰のことをメインで見張っているのかまではさすがにわからない。

 ただ、向けられている視線の質、意識の肌触りとしては、監視者という言葉がやはりフィットする。襲撃者とか捕食者と形容されるような鋭利な害意はあまり感じられない。それは逆に言えば、相手の目的がはっきりとはわからないということでもあった。

 

「あ、すんません、そろそろいいっすか? このあと用事もあるんで……」

「ええ、もちろん。ありがとうございました、お会いできて良かったです」

「いやぁ、あんま大したことは言えなかったですけど」

「とても参考になりました。こちら、電話で約束した情報料になります」

「なんか悪いっすねぇ」

 

 どうやらいつの間にか会合にキリがついたらしい。ソウマがテーブルに茶封筒を置き、カトゥが頭を掻きながらそれを受け取った。もともとランカが報酬を出すと約束して、カトゥをここに呼びつけたのだ。

 席を立つ間際、カトゥがマヤの顔をほんの一瞬だけ不思議そうに見つめてきた。そういえば彼の前ではほとんど喋らなかったな、と思う。この子はなにをしに来ていたんだろう、くらいは思われてしまったかもしれない。一応、小さく頭を下げておく。これで偶然居合わせた幽霊だと勘違いされることもないだろう、たぶん。

 

 いそいそと喫茶店から退店するカトゥを、ソウマが自然な笑顔を浮かべて見送った。誰かに見張られている、とは伝えてあるはずなのに、それを知った素振りを微塵も見せていない。そういうところに、彼の場慣れしている感が垣間見える。

 

「マヤちゃん、どんな感じ?」

 

 喫茶店の入り口に視線を固定しながら、ソウマが冷静な口調で囁いた。

 マヤは喫茶店の窓ガラスから見えない位置で手のひらを広げ、それから指を三本折って残りの二本を入り口の方向に向けた。つまり、五人の内の二人がカトゥを追っていき、残りの三人がまだこちらに意識を向けているということ。

 カトゥの姿が消えても、監視者たちがこちらに接触してくる気配はない。二手に別れたということは、カトゥのこともこのまま見張り続けるつもりなのだろうか。それとも、実は監視者のグループはカトゥの仲間で、カトゥを追った二人は単にこれから彼と合流するだけなのか……。

 

「ソウマさん、これからどうするの?」

「とりあえず店を出ようか」

 

 二人は会計を済ませて外に出た。ソウマがレジで支払いをしたので、マヤが少し先に屋外に出る形になる。背後の彼が合流するまでの短い時間で周囲をサーチする。もちろん、不用意に監視者がいるであろう方向に視線を飛ばすようなヘマはしない。座り続けでこわばった身体をストレッチしながら、意識を拡散するイメージで漠然とした情報を全身の感覚で受け取っていく。

 

「お待たせ。歩きながら話そうか」

「うん、わかった」

 

 二人並んで歩道を歩く。向かっているのは駅の方角。自然とソウマが車道側を歩いていた。やっぱり女性慣れしてるな、とマヤは思う。チャラついてるという意味ではないけれど。

 横に並ぶと身長の差を意識してしまう。彼の顔を見ようとするとどうしても見上げる形になってしまう。たまに子供扱いされてるような気がするのが、ちょっとだけ不満。

 

 ソウマが彼女のほうに顔を向けた。微笑ましいものを見るような視線が頭一つ高いところから降ってくる。マヤはほんの僅かに頬を膨らませて、思い切って彼の腕に抱き着いた。

 体を密着させて、絡めた腕を軽く引っ張る。彼の体幹が斜めに傾いて、高いところにあった頭がちょうど良い位置に降りてきた。近づいてきた耳元に唇を寄せて、彼女は囁く。

 

「まだお店の中にいるのが一人。それから、道路を挟んだ歩道にも一人。それと最後の一人は……、高いところからこっちを見てる感じ」

「高いところっていうと」

「たぶん、屋上かな。喫茶店が見える建物の」

 

 今の状況、監視している人たちからはどう見えているだろうか。カップルがいちゃついてるように見えるだけ? それとも、歳の近い兄妹のじゃれ合いとか? いずれにせよ、それで気を抜いてくれるのなら儲けもの。

 

「気配を殺しきれてないし、プロじゃないと思う」

「プロって、なんのプロなわけ?」

「斥候とか、暗殺者とか……」

「日本にはアマチュアすらほとんどいなさそうな職業(ジョブ)だなぁ」

 

 夜影に潜む脅威を思い浮かべながらマヤが言うと、ソウマが片眉を傾けて微笑んだ。

 

「なんにせよ、どういう目的なのか、ちょっと話は聞いておきたいね」

「どの人から?」

「チーム内の立場が高い人がいいな。こういうとき、指示出し役が配置されるのは」

「見通しのいい高所が相場」

 

 互いに小さく頷き、二人は腕を組んだまま歩道から折れた。雑居ビルの合間にある狭い路地に入る。薄暗い湿った空間だ。空調の室外機やら青いポリバケツやらが雑然と置かれている。壁面には複数のパイプや屋上の雨樋に繋がる竪樋が走っている。

 路地の奥に数歩入ったところで道路向こうの見張りの視線が壁に遮られたのを感じた。マヤは絡めていた腕をほどいて、ソウマを振り返り、軽く手を振る。

 

「先に行くね」

「うん、気を付けて」

 

 地面を蹴った。アスファルトの路地を助走してから、室外機に足を掛けて斜めに跳ぶ。

 勢いよく風を切って、対面のビルの壁へ。モルタルの剥がれかけた外壁に飛びつき、足裏のグリップで逆方向に再度ジャンプ。三角跳びの要領で高さを稼ぐ。

 路地の横幅は二メートルほど。マヤの脚力なら余裕を持って往復できる。二階の高さで、すりガラスの小窓の縁に着地した。トイレだろうか。ちょうどいい足場になったので、利用してさらに大きく跳躍する。

 三階。錆の浮いた竪樋が正面に見えた。へし折ってしまわないように気を使いながら、接続金具につま先をランディング。膝を曲げてバネをためつつ、上方を観察する。

 今いる雑居ビルは四階建て。その上に屋上とペントハウス。灰色の外壁で切り取られた空の端に、緑色のフェンスが覗いている。

 竪樋の足場を蹴った。薄い金属がへしゃげる嫌な音。それを置き去りにして、四階の窓に組み付く。指と腕の力で身体を持ち上げて、窓枠の小さなスペースに足と体を押し込む。今度のガラスは透明だった。部屋の中は会議室のようだ。幸いにも、今は無人。ほっと息を吐く。

 一呼吸置いて、窓の縁からジャンプ。空中で猫のように体を捻る。屋上にある転落防止フェンスの金網に指を掛けた。それを支点にして、雑居ビルの外壁蹴りとばし、ムーンソルトで一気に屋上へ。

 

「ほっ、と」

 

 視界がぐるりと一回転。緑のフェンスを乗り越えて、ペントハウスの陰へと転がり込む。

 コンクリートの固さを足裏に感じながら立ち上がる。素早く左右を確認。屋上に人の気配はない。それを確かめてから、さっき乗り越えたばかりのフェンスに駆け寄った。

 マヤの身長より三十センチほど高いフェンス。その頂点に一足で跳ね上がる。両手両足で上部の平たい部分を掴み、蛙のようにバックジャンプ。

 後方宙返りでペントハウスの屋根の上に着地する。屋根は砂と泥で汚れ切っていた。あまり掃除はされていない雰囲気。マヤは姿勢を低くしながら、ペントハウスの分だけ高くなった視点で辺りを見渡す。

 

「いた。あの人」

 

 道路を挟んだ先の雑居ビルの屋上だ。金髪の若い男で、服装はラフなスタイル。スマートフォンを耳に当てている。もう片方の手には双眼鏡。今はそれを覗いていないけれど、視線自体は現在進行形で眼下の歩道に向けられている。

 ビルに入っている会社の従業員が休憩しているだけ、ではないだろう。マヤのことにはまだ気づいていないようだ。この好機を逃したくない。

 マヤは金髪の男に意識をフォーカスする。ターゲットと自分との位置関係を頭の中で計算する。二人が立っているのはそれぞれ別の雑居ビル。両者の距離と風の強さを考えて、彼女は自身にゴーサインを出した。

 

 伏せに近い低姿勢から、クラウチングスタートの体勢へ。

 足元に積もっていた砂を軽く退ける。

 片足の膝を曲げる。

 腿に力を入れる。

 息を吸う。

 止める。

 静止。

 

 駆け出した。

 スタートダッシュでペントハウスの屋根から飛び降りる。

 着地した屋上を足を止めずに走り抜ける。

 

 助走して、加速。

 踏み切って、跳躍。

 

 投石器みたいに空中に飛び出す。

 落下防止のフェンスを跳び越えた。

 全身で風を切る。放物線の軌跡。速度、角度、ともに許容範囲。

 眼下には車が行き交う道路。両側二車線。問題なく、射程距離の内。

 スカートじゃなくてよかった。不意にそう思えて、微かに頬が緩む。

 

 道路の半ばを越えたところで、ようやく男がこちらに気づいた。

 スマートフォンを当てたまま、目を見開き、口をぽかんと開けて、硬直。

 驚いている、というより、自分の見たものが信じられない様子。

 

 加速度を感じながら、斜めに落ちていく。

 放たれた弓矢のように、鋭い角度で屋上にタッチダウン。

 瞬間、足元で経年したコンクリの表面が砕ける感触。

 気にせず、落下の衝撃を膝のスプリングで前方への推力に変換。

 ジャンプからの流れを止めずに走り出す。

 前傾の低い姿勢。肉食獣のようなスプリント。

 

 金髪の男は、動かない。

 やや上体をのけぞらせているが、それだけ。両足は根を張ったかのように止まったままだ。

 背を向けて逃げるでもなければ、突進するマヤを迎撃しようとする気配もない。

 やっぱり、素人だ。

 そう思ったときにはすでに、マヤは両手が男に届く距離まで踏み込んでいた。

 

「ていっ」

「え、ちょ、のわっ!?」

 

 右足で急ブレーキ。スピードを左足に乗せて、コンパスのように地面を掃う。

 男の踵を引っ掛けて、斜め上へと蹴り抜いて、掬い上げる。

 あっさりと男の全身が宙に浮いた。

 バランスを崩した身体が、空中で風車のように回りながら、横倒しの状態になる。

 高度五十センチといったところ。

 そのタイミングで、マヤは彼の身体に組み付いた。

 肩を掴み、相手をうつ伏せの姿勢にしながら、軽くジャンプして背中に乗る。

 

 一瞬、浮遊感。

 一拍置いて、落下感。

 

 マヤに両手の動きを封じられ、立ち上がれないよう体重を掛けられた状態で、男がビルの屋上に墜落する。潰れた呻き声が下から聞こえた。彼の身体を介して落下の衝撃を受け止めると、マヤは素早く男の両腕を後ろ手に捻り上げた。

 

 これで、確保完了だ。

 怪我なし、傷なし、反撃なし。ちょっと拍子抜けなほどだった。

 

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 

 非常階段を使ってソウマが屋上に到着したときには、すでにマヤが監視者を制圧していた。

 うつ伏せの状態で彼女に拘束されている男が、ソウマの開けた扉の音に反応して頭を持ち上げる。金髪の若い男だった。派手な色合いのブルゾンにダメージジーンズ、耳には銀色のピアスが揺れている。やや小さめの瞳は険しく傾いている。

 当然、見知らぬ顔である。しかし、想定とはちょっと違った風体だった。なんというか、チンピラっぽい雰囲気だ。複数人からなる監視者というマヤの説明を聞いて、もうちょっとエージェントっぽい相手を想像していたのだけど。

 

「ごめんごめん、遅くなっちゃったかな」

「ううん。そんなに待ってないから、平気」

 

 ソウマは軽く手を挙げて二人に近づいていく。

 マヤの足元の金髪男が、親の仇を見るかのようにまなじりを吊り上げた。

 

「テメェがこいつの飼い主か! くそっ、さっさと離しやが、ぐぉっ!?」

「あんまり暴れないでね」

 

 体を持ち上げて食って掛かろうとした男を、マヤが地面に押し伏せた。屋上に溜まっていた乾いた砂が舞い上がって、金髪男の顔に降りかかる。それが口に入ったのか、男は言葉を続けられずに大きなくしゃみを放つ。背中に掛けられた体重と合わせてずいぶんと息苦しそうだ。ちょっぴり同情する。

 

「その体勢を続けるのも大変でしょ? 別に、こっちも手荒な真似をしたいわけじゃないんだ。聞きたいことを聞けたらすぐにでも解放するから、さくっと質問に答えてもらえるかな」

「どの、口が……けほっ」

 

 金髪男は咳き込みながらもソウマを睨む。声を出せるだけの元気はあるようだ。大いに結構。

 ソウマは彼の顔の目の前でゆっくりと屈んでみせた。どこぞのスパイ映画の尋問シーンみたいな構図だ。まるでこっちが悪役だな、と小さく苦笑する。

 

「単刀直入に聞くけど、君たちは、どうして僕らのことを見張ってたのかな?」

「……」

「君自身の判断で行動しているわけじゃなさそうだよね。誰の命令で動いてるの?」

「けっ、なに聞かれたって答えることはねえよ」

 

 金髪男がソウマから視線を逸らしながら悪態をついた。

 その瞬間、マヤが彼の襟首をぐいと引っ張った。きゅっと気道が締まった感じ。

「ぐぇっ!」と金髪男が潰れた蛙みたいな声で呻いた。

 

「マヤちゃん、ステイ、ステイ」

「あ、うん。ごめんなさい、つい……」

「げほっ……な、なにが、つい、だっ!」

 

 涙目になった金髪男が抗議の視線を飛ばしてきた。可哀そうだが、スルーの一択。

 しかしそれにしても、こういう場面になるとマヤはけっこうバイオレンスだ。普段はそうでもないけれど、非日常なシチュエーションではかなり手が早い。おそらくは前世の影響だとは思うのだけれど、あまりにそれが彼女に馴染んでいて、ちょっと天然っぽく見えてしまう。

 

「質問を続けよう。そうだな、君の名前は? まだ若そうだけど、歳はいくつだい」

「も、黙秘だ、黙秘!」

「うーん、困ったな、できれば自発的に答えてくれると嬉しいんだけどね。逆に聞くけど、どんなことなら君でも答えられそう?」

「だから! 答えることなんてなにもねえって!」

 

 さて、どうしたものか。マヤの下で唾を飛ばす金髪男を眺めながら考える。

 心変わりを誘発するのは難しいだろう。彼を説得するための材料が足りていない。たとえば、警察に突き出すと言って脅したとしても、監視なんかしていなかったととぼけられてしまえばそこまでだ。今の彼はそこまで考えが回っていないようだけど、少しでも頭が冷えればそのくらいの腹芸はすぐに思いつくはず。

 もちろん、暴力を用いて喋らせるのもNG。普通に犯罪だ。傷が残りでもしたら後で面倒なことになりかねない。大丈夫だとは思うが、マヤが先走らないように気を配っておく必要があるかも。

 

「となると……、うーん、ここは持ち物検査かな」

 

 そう呟いて、マヤとアイコンタクト。彼女の瞳が少し離れた場所の床に向かう。

 視線を追うと、ひび割れたコンクリタイルの上に、砂に汚れたスマートフォンが転がっていた。見覚えのない外観なのでマヤのものではない。おそらく金髪男が取り落としたものだろう。

 組み伏せられたままの金髪男から一旦離れて、砂だらけの端末を拾い上げる。背後から抗議の高い声が聞こえたが、気にせずホームボタンを押下した。

 

 真っ暗だった画面が起動状態に切り替わる。ギターを持った男が天高く吼えている壁紙だった。知らないアーティストだが、ロックバンドかなにかだろうか。

 当然ながら、画面をタップしてみてもロックが掛かっていた。数字四桁、もしくは指紋認証。ソウマは端末を持ったまま背後の金髪男に振り返る。

 

「これ、ロックの解除ナンバーは」

「ざ、ざけんなっ、言うわけねえだろ!」

 

 しかし、金髪男が叫ぶと同時に、彼のスマートフォンが着信音を鳴らした。

 画面を見ると、『D』の一文字。発信者の名前だ。アドレス帳にそう登録してあるのだろう。

 端末は手のひらの中でコールを続けている。ソウマはその画面を金髪男に示した。

 

「お友だち?」

「……っ、そ、そうだよ」

 

 金髪男が唇を嚙んで視線を明後日に向ける。なんともわかりやすい反応だことで。

 ソウマは迷うことなく端末のスピーカをオンにしてから通話ボタンをタップした。

 

「もしもし」

『やあ、はじめまして』

 

 低く嗄れた、男の声だった。若くはない。歳月の重みを感じさせるトーンだ。しかし、発声自体は明瞭で、声質にも張りがある。老いているという印象を受けさせない、知的な声の調子だ。

 

「こちらこそ、はじめまして。一応聞きますけど、どちら様?」

『そこの彼に監視を命令した者、と言えば伝わるだろう。そちらの状況は私も把握している。余計な腹の探り合いは抜きでいこうじゃないか』

 

 端末を耳に当てながらマヤの顔を見た。眉を傾けた彼女が首を振る。どうやら通話相手は直接この場を見ているわけではないらしい。彼女の直感に引っ掛からないとなると、おそらくは機械的な観測か。もしかすると、金髪男がスマートフォンの他に交信用の道具をなにか持たされているのかもしれない。

 

『先に言っておくが、彼には君たちの会合の監視を指示しただけで、その目的までは伝えていない。君たちの知りたがるであろうことをなにも知らないのは本当だ。あまり無体な真似はしないでくれたまえ』

「代わりにあなたが質問に答えてくれるというのなら、ええ、もちろんそうしますとも」

 

 スピーカから聞こえる会話を耳にして、金髪男がかっくりとうなだれた。電話の向こうの『D』とやらに迷惑を掛けてしまった、と言わんばかりの仕草だった。なんとなく、金髪男と『D』の関係性の輪郭が見えそうな気がする。

 ソウマはうなだれた金髪男を横目に見ながら、端末から聞こえる声に耳を傾ける。

 

『そのためには、ひとつ確認しなくてはならない。君たちは、何者だ?』

「ただの探偵ですよ。隠すことでもない」

『探偵……。では、調査の対象は葵山傍子についてか?』

「確かに彼女のことも調べてはいましたけれど、それは本来の依頼の手掛かりを探してのことです。彼女の調査が主目的ではありません」

 

 こちらの発言を吟味するような小さな沈黙。

 通話口から聞こえてくる声は今のところ非常に冷静だ。声のトーンは落ち着いていて、感情の起伏は見えてこない。少なくとも、マヤに拘束されたまま不貞腐れている金髪男よりはやりにくそうな相手である。

 

『君の言うところの、本来の依頼とは、なんだ?』

「人を探しています。更科勇人という人物です」

『サラシナハヤトというは男は死亡した。そう報道されている。それでも、君は彼を探していると言うのか』

「おかしいですか?」

『いいや……』

 

 くぐもっと空気の音。顔の見えない男が、小さく笑った。

 思ったのとは違う反応。だからこそ、期待の目盛りがプラスに振れる。もしかして、変なところから『当たり』に繋がったか。

 

『そう……、なにもおかしくない。わかった、会って話をしよう。S駅の西改札で待っている』

「有意義な話ができるといいですね」

『ああ、私もそう願っているよ』

 

 通話が切れた。スマートフォンに吼え猛るロックバンドが帰ってくる。

 その画面をしばらく見つめてから、ソウマは相棒に目を向けた。金髪男に体重を掛けたままのマヤが、訝しそうな表情でソウマを見つめていた。

 

「今の短い話で、なんでそういうことになるの?」

「たぶん、なにか相手の琴線に触れるものがあったんだろうね」

「サラシナハヤトの名前が?」

「だとは思うけど」

 

 ソウマが肩を竦めると、マヤが半眼になる。はぐらかすような彼の態度を咎めているようにも見えた。

 だって、仕方ないじゃないか。電話の相手が本当はなにを考えているのかなんて、ソウマにだってわからないのだから。

 

「ひょっとして、ソウマさんにはこうなることがわかってたの?」

「いや、全然。見張られてたのに気づいたのはマヤちゃんだし……。まぐれ当たりだね」

 

 ソウマは困ったように口を斜めにする。

 頭の中ではもう別のことを考えていた。電話の男と更科勇人、それから葵山傍子がどういう形でリンクするのか。考えうるパターンをいくつか並べて、それが妥当か否かを検討していた。

 

 電話の男は、金髪男にソウマたちとカトゥの会合の監視を指示したと言っていた。ソウマが探偵(のアルバイト)だということも知らなかったし、ソウマたちを狙い撃って見張っていたわけではなさそうだ。

 だとすれば、もともとの監視対象はカトゥのほうだったということか。つまり、電話の男は葵山傍子の信奉者(ファナティック)を注視していた、と。

 そう考えると、電話の男は葵山傍子の関係者なのかもしれない。それこそ、カトゥの語っていた彼女の配信業を支えているスタッフのメンバとか? その二人の繋がりから、更科勇人へのリンクがさらに伸びているのかも……。

 

 もしそうなら、クリアファイルに着目したマヤの発想がクリティカルだったわけだ。さすが、とソウマは彼女に賞賛の眼差しを送る。着任一週間ちょっとのアルバイトとは思えないほどの名探偵ぶりだ。現場の記憶からあの着眼点に至るのは、勇者ちゃんの経験というよりも、マヤ自身の感性によるものだと思えるから、感嘆する気持ちもひとしおである。

 

「まぐれ当たりかぁ……。そこは、『推理したんだ』って言って、かっこつけてもいいところだったと思うなぁ」

 

 そんな彼の内心を知るはずもなく、曖昧な微笑みを浮かべたままのソウマを見つめて、マヤは残念そうなため息を吐いていた。

 

 

 

 

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