というのが一週間前の出来事である。
浮世離れした邂逅だったが、もちろん夢でも幻でもない。
ソウマの通報を受けて駆け付けた警察によって、ディリータを名乗る初老の紳士は地下の電算室から連行され、『葵山傍子を名乗る、更科勇人らしき存在』も公的機関に
一応、容疑者あるいは犯人としての逮捕というわけではないらしい。今のところは両者ともに重要参考人という扱いだという。それ以上の捜査状況の進展については聞こえてこない。ナナミ刑事とは顔を合わせる機会がなく、探偵であるランカも警察内部の詳しい情報は掴めていないらしい。
前代未聞(……本当に前例がないのか、正確にはわからないが……)の事件であり、捜査機関の内外に厳重な情報統制が敷かれているようだ。マスコミがこの件を報道する気配もない。
とはいえ、さすがに被害者である更科勇人の両親には事の真相が伝えられたらしい。明確にそうだと知らされたわけではない、が、連絡を取り合っていた依頼人の言動を見ていれば丸わかりだった、というのがランカの言である。
「荒れていたわね。それはもう盛大に」
上品に微笑みながら女探偵はそう語った。葬式まで挙げた実の息子が、本当は生きていて、けれども脳味噌しか残されていないだなんて聞かされたら、そりゃあ平静ではいられないだろう。
あるいは、葵山傍子の語った『旧家の因習』に絡んだ問題が彼らの感情を波立たせているのかも。それが息子に対する悲しみなのか、後悔なのか、それとも怒りなのかはわからないが。
「いずれにしても、結果としては更科勇人さん……いえ、葵山傍子さんの作戦勝ちかしら」
いくら感情的になろうとも更科勇人の親族がこの事件にこれ以上介入することはできないだろう、というのがランカの読みだった。
事件を捜査する警察は、期せずして『脳だけの人間を生存させる技術』と『意識だけの人間をネットワーク上で活動させる技術』の実物が確保したわけだが、どちらも警察の手には余る代物だ。おそらく、既により上位の公的組織が対応を協議する段階に入っているはず。
世間に公表はできない。この事件を適切に審判する法律は整備されていないし、葵山傍子のような存在に対する世論も醸成されていない。その一方で、この状況を生み出した技術を捨ておくこともできないだろう。そして当然、技術の核心を握っているであろうディリータとその成果物である葵山傍子を野放しにもできない。
となれば可能性と高いのは……、真相の隠蔽、両名の保護(あるいは拘束)と懐柔、協力関係の樹立、といったところか。ある種の超法規的措置だ。
警察以上の高位の公権力が一連の処理を仕切るのであれば、いかに歴史があろうとも地方の旧家が太刀打ちできるはずもないだろう。葵山傍子の目論見通りに。
「ああ、そうそう。依頼料はきちんと清算したから安心してちょうだい。アルバイト代もしっかり出すから楽しみにしていてね」
彼女の話を聞き腕を組んで唸っていたソウマに対して、ランカはそう締めくくった。
形はどうあれ、更科勇人の行方を追うという目的は達成された。だから、依頼は完了だ。
それを無邪気に喜ぶことはできないが、さりとて葵山傍子やディリータの行いを咎めたいわけでもない。
彼女たちの動機を自分の中で完全に消化できたのかと問われれば首を傾げざるを得ない。けれど、これ以上この事件の深いところが自分に関わってくることもおそらくない。そう考えれば、この
組んでいた腕をほどいて、溜め息をひとつ。ソウマはそう結論した。
………
……
…
「失礼。相席してもよろしいかな?」
だからこそ、見覚えのある老紳士が目の前に現れたのはまったくの不意打ちだった。
昼食時の洋食屋で、注文した日替わり定食を待っているときのことだった。ソウマの返事も待たずにテーブルの対面に腰掛けたディリータがちらりと背後を振り返る。その視線を追いかけると、屈強な体躯を黒スーツに押し込んだ男が二人。少し離れた位置のテーブルに腰を落ち着けた彼らは、明らかにディリータの様子を注視していた。
なるほど、監視付きというわけだ。ソウマと目が合った黒スーツの男が小さく会釈してくる。おそらく警察関係者だろう。重要参考人が警察の保護下から逃げ出した、という雰囲気ではない。だとすれば許可を取っての外出ということか。
「一週間ぶりか。私のことは覚えているかな」
「ええ、それはもちろん。こんな風に再会するとは思っていませんでしたが……」
「日本の警察は意外にも話がわかる。彼らの上部組織も含めて。
「その要望というのは、街に出て自由に出歩くこと?」
「いや、望んだのは、君との面会だ」
「……それならそうと事前に言ってくれればもうちょっとマシな場所で時間を作ったのに」
僅かに顔を顰めながらソウマは考えを巡らせる。
ディリータと顔を合わせたのは一週間前の一度きりだ。そのときの彼はソウマに対してさして興味を持っていなかったように思える。彼の関心は第一に葵山傍子のほうに向かっていた印象だ。
そんな彼が、警察に頼み込んでまで自分に会いに来ただって? 警察に確保されてからの一週間で、いったいどんな心境の変化があったのやら。
いや、心当たりはひとつだけある。
一週間前、ソウマと一緒に彼と顔を合わせたマヤが、あとになって語ったことだが……。
「それで、どうして僕に会いに?」
「警察で君のことを耳に挟んだ。それで興味を覚えて、話してみたくなった」
「僕が、人間以外の血を引いているから? あなたと同じように」
そうだ。あの日、番犬のように警戒の姿勢を崩さなかったマヤの目には、
ディリータという男が
「そう、その通り。話が早くて助かる」
首肯した老紳士の口元が小さく緩む。彼の彫像のような表情が動く瞬間を目撃したのは、それがはじめてのことだった。
「改めて、自己紹介をしておこう」
「ディリータさん、という名前は前にも聞きましたけど」
「近頃はそう名乗っている。昔はドリームイーターと呼ばれていた」
「……夢喰い?」
「社会で活動するには人間風の名前があるとなにかと便利だからな。ディリータというのも略称としてはちょうどいい感じだろう? 今ではそちらを使う機会のほうが多くなってしまったほどだ」
椅子に深く腰掛けたディリータが肩を竦める。一週間前とは打って変わって、この気安さはなんなのか。たぶん、同類として認定されている、ということなのだろうけれど。
「君のことは警察にいるときに耳にしてね。ちょうど私の取り扱いを協議する会議のことだったな。私が素性を明かしたときに、類似例のひとつとして君の名前が挙がったのだよ」
「まぁ、僕の身許が警察に把握されているのは知ってますけど……。本人の預かり知らないところでポロリと出ちゃうのは、ちょっと口が軽いんじゃないかなぁ」
「その会議には有識者枠ということで君たちのボスも同席していたが」
「ああ……そういうことですか」
眼帯を装着したダンディな笑顔が頭に浮かんだ。
あの人はあの人で色んなところに考えを回して行動しているから、いまいち文句を言いにくいんだよなぁ、とソウマ小さく息を吐く。
「私は、夢喰いの名の通り、夢を食べる。つまり、私の持つ衝動は食欲というわけだ」
「僕の場合は睡眠欲です。……って、そのくらいはもう知っているんでしょう?」
「どちらも生物にとって根源的な欲求だ。ゆえに我々は、人間が存在しなければ生きていけない生物といえる」
ディリータの言葉にソウマは頷いた。22年の人生で十分すぎるほど身に染みている事実だ。そしてそれは、ソウマだけの問題ではなく、フェアリィクレイドルに身を寄せている人外と混血たちが揃って認識している現実でもある。
夢を求める夢魔も、血を欲する吸血鬼も、危険な歌を聞かせたがるセイレーンやバンシーも、お相手となる人間がいなければ自分を保つことさえできないのだ。
「さて、そこで問題だ。君は、葵山傍子嬢は夢を見ると思うかね?」
葵山傍子。脳だけになった人間。身体を捨ててヴァーチャルに生きる存在。
彼女が夢を見るか、だって? 洋食屋の小さなテーブルに肘を乗せたディリータがソウマの顔を覗き込んでいる。紳士的で彫像のような彼の容貌に好奇心の色が滲み出ていた。そんなにこちらの答えが気になるのだろうか。
「うーん……そもそもの前提として、身体がなくても睡眠は必要ですよね」
「その通り。脳機能の休息、記憶の整理、そして定着。いずれも彼女が人格を保って
「そのうえで眠っている間に夢を見るのか、と」
深く考えるまでもなく、答えは『イエス』だ。
人間が眠っている間、脳の機能は完全に停止するわけではない。ディリータが語った通り、記憶を整理や定着といった作業が無意識のうちに行われている。そういった睡眠中の脳の働きの影響によって人間は夢を見る。
つまり、たとえ身体がなくとも、葵山傍子の脳がネットワーク上で活動を行い知識と経験を蓄積していくのであれば、睡眠中に夢を見るのも道理というものだ。
シンプルに考えればそれだけのこと。
しかし、ディリータが問いかけているのは、おそらくもう一歩踏み込んだポイントだ。
「問題は、その夢が僕らの生きる糧となりうる夢なのか、ということでしょう?」
顎に指を当てて目を細めたソウマがそう聞けば、ディリータが満足そうに頷いた。
一般的な医学の範疇で解釈すれば、結局のところ夢とは脳の内側で交わされる電気信号と化学物質のやり取りでしかない。では、夢魔や夢喰いと呼ばれる生物が、そういった物質的な反応から生きるためのエッセンスを頂戴しているのかというと、ちょっと違う。
精気とか、あるいは生命力と呼ばれることが多いだろうか。語る者によって表現は様々だが、とにかく『生きている人間』はそういった不思議なパワーを蓄えている、というのが人外・混血の界隈での通説である。
夢魔は脳の電気信号に反応して睡眠欲を満たしているのではないし、吸血鬼は血液中の栄養素で腹を満たしているわけではない。どちらの種族も、夢や血液を媒体として、人間の持つ精気を摂取しているわけだ。
そして、その不思議パワーがどこから生まれてくるのかは、実のところまだ判明していない。
頭か、心臓か、それとも肺や丹田か。精気の発生源については諸説ある。存在するのは確かなのだが、見ることも触れることもできないということもあり、正確な特定ができていないのが現状である。意思と肉体、つまり頭と身体が揃っているからこそそういうエネルギーが発生する、という見解だってあったりする。
だから、たとえ葵山傍子が『生きている人間』だとしても、脳だけになった彼女の見る夢が、五体満足の人間の見る夢とまったくの同種のものであるのかは、ソウマにもわからないことだった。
「まさか、それを確かめるために、あなたは葵山さんの計画に協力したんですか」
「順序が逆だな。私の計画が先にあって、それと目的が合致する相手として彼女……当時は彼だったな……が名乗りを挙げた、という形だ」
顔色一つ変えず、ディリータがさらりと言う。
一週間前のあの日、地下の電算室で聞いたのは葵山傍子の動機だけ。実行役に当たるディリータの真意は聞けずじまいだったが、まさか今になってそれを知ることになるとは。
「人体実験ですよね、それは」
「否定はしない。しかし、互いに利益があり、実行前に同意も交わしている。私個人としては彼女に対して筋を通したつもりだ」
「あまり詳しくないですけれど、絶対になにかしらの法に触れてますよ」
「それも織り込み済みのこと。予定通り、日本の公権力は司法取引を選択した。私の罪を留保することと引き換えに、彼らの保護下で研究を継続するという条件だ。実に理想的な展開といえる」
鷹揚な表情で顎髭を撫ぜるディリータの仕草がちくりと癇に障った。
悪意はないのだろう。実験を成功させる自信もあったに違いない。だが、一歩間違えば人死にが出てしまうような挑戦だったことも事実だ。少なくとも、葵山傍子にとっては文字通り人生を賭けた決断だったはず。それをこうも軽い態度で流されてしまっては、どうしたってもやもやとした感情を覚えてしまうというものだ。
「……それで、結果はどうなったんです? 彼女の夢は変化したのか……。ええ、問われても僕には想像もつきませんので」
椅子に背中を預け、ソウマは眉をひそめながら両手を挙げた。皮肉っぽい態度だったろうか。しかし、相対する老紳士はそれを気にした風もなく、白髭を撫ぜる指を止めて真っ直ぐにソウマの顔を見つめ返してきた。
「今のところは、彼女の夢は以前と変わらず、
「今のところは」
「そう、今のところは、だ」
「ここからは推測だが」とディリータは続ける。
「思うに、人間の夢が精気に満ちたものであるためには、『自分がいかに人間らしく生きているのか』という意識が重要なのではないか。旧い時代には、四肢を切り落とした人間で精気の
「割とよく聞く説ではありますね。それで、葵山さんの場合は?」
「彼女は元々、ネットワーク上に自身の新しい人格を構築していて、リアルとヴァーチャルで二重の生活を送っていた人間だ。それゆえなのか、物理的な肉体を失ったことに対するストレスが比較的に小さい。むしろ、電子ネットワークに軸足を置いた新しいライフスタイルに急速に適応していることが観測できる」
「わかるかね?」と白髪の夢喰いが薄っすらと口の端を吊り上げた。
「彼女は今まさに、新たな『人間らしい生活』を獲得している真っ只中というわけだ」
「……だから、彼女の夢には精気が満ちている?」
「もっとも、現状は単に身体を持っていた頃の『貯蓄』を放出しているだけなのかもしれないが。だからこそ、今のところは、と言わざるを得ないわけだな」
洋食屋のざわめきの中にあって、ディリータの声はやけにはっきりと聞こえてくる。声量そのものはそれほど大きくないのだが、喋り方に一本芯が通っている印象だ。
自身の研究を語るそれが自慢げな声色に聞こえるのもきっと気のせいではないだろう。
「その言い分だと、彼女の夢がどうなっていくのか、これからも観察を続けるつもりですか」
「そうするための環境は整えた。生命維持装置の改良や神経接続のバージョンアップも既に計画している。彼女の生活環境を整えつつ、研究と観測を続けることを日本政府も望んでいるからな」
「そうですか」
「なにか言いたそうだが?」
「……部外者がとやかく言っても仕方ないんでしょうけど、僕からひとつ言えるとしたら」
ソウマはゆっくりと言葉を選びながら、対面の夢喰いを真っ直ぐに見据えた。
「事前に合意があったとしても、彼の頭と身体を切り離したのは、あなた自身だ。だから、彼女のことを見捨てたり、途中で投げ出すようなことは、してはいけない。そう思います」
「君は人間に肩入れするタイプか。我々のような人外が好き勝手して人間に干渉するのが気に入らない性格のようだ」
「いけませんか?」
「いや。混血者にはそういう者も多いし、純血の人外にもその手のタイプは少なくはない。我々は生きるために人間と交わらなくてはいけない生き物だからな。人間贔屓になるのもおかしくはないだろう」
ディリータの指がテーブルを叩く。
「ふむ」と髭を撫ぜた彼が、不意に会話の風向きを変えた。
「君は数年前の感染症の流行は覚えているかな?」
「……? ええ、もちろん。世界的な流行でしたから。忘れるはずありませんよ」
ソウマが十代の頃に、何年にもわたって世界各国で猛威を振るったウイルス性の感染症のことだろう。各国政府と医療機関の尽力によりパンデミックと呼ばれるような状況はすでに脱しているが、感染源が根絶されたわけではないので、現在でもその病に感染してしまう人は少なくない。新規の感染者だけでなく、症状が治癒しない人や後遺症に苦しめられている人も数多くいる。その病は決して過去のことではないのだ。忘れろと言われても忘れられるものではない。
「衝撃的な事態だった。ここ数十年で人類の社会活動がどれほど広範なものになったのか、まさかあのような形で痛感させられることになるとは」
ディリータが渋い表情で呟く。
感染症の流行は世界中に様々な影響を及ぼした。ソウマも身をもってそれを理解している。外出自粛、
「しかし、人類はこの危機を乗り越えた。いや、適応したと言うべきか」
「原因を根絶できないならできないなりに対策を考えなくちゃいけませんから。そりゃ、最初は僕だって色んな変化に戸惑いましたけど。でもピークを過ぎた今は、どうにか新しい生活様式と折り合いをつけている人が多いんじゃないですか」
「そうだな、それは認めよう。この街の平穏な光景を見れば君のその認識も否定はできんよ」
「含みのある言い方ですね」
初老の夢喰いが一瞬、目を伏せた。
一呼吸おいてこちらを見据えた彼の青い瞳は、思いの外に真剣な色を帯びていた。
「人類は危機を乗り越えた。だが、私は同時にこうも思う。『人類は思ったよりも簡単に
……なんとコメントするべきか。
確かにパンデミックが本格化したときには終末論のようなものが盛んに騒ぎ立てられて記憶もある。しかし、そういった大衆を煽るような論調は感染のピークが過ぎるに従って下火になっていったものだ。『人類滅亡!』なんてフレーズは久しぶりに聞いた気がする。
もっとも、ディリータの語り口を鑑みるに、彼には別の視点があるのかもしれないが。
「たとえば、ウイルスの持つ毒性がもっと強かったらどうなったか。後遺症が残る可能性が今よりも高く、身体機能にダメージが残ることが多かったらどうだ。あるいは、毒性は弱くても感染力が強かった場合は? 人類は今以上に他者との現実での接触を避け、ネットワークを通じた社会活動をさらに強力に推し進めたのではないか」
「……その仮定だと、結果としてどちらの場合も
「社会の軸足がヴァーチャルとネットワークに置かれるわけだ。ある意味で典型的なSFの世界観ともいえる。そんな現実が到来したとき、自身の存在をリアルからヴァーチャルへとシフトさせるのは、私たちの想像以上に普遍的な選択となるのではないだろうか」
「それこそ葵山さんのように、ですか」
ソウマの合いの手を聞いて、ディリータが満足そうに頷いた。
「私は人類を信じている。もし新たな感染症や未知の脅威が世界を襲っても、人類はどうにか対処して、新しい生き方に適応するだろう。だが、新たな世界に生きる人類は今の人類とイコールなのか。人間はいつまで人間でいてくれるのか。私にはそれがわからない。いや、もっとはっきりと言ってしまえば……」
夢喰いの青い瞳がぐるりと周囲を見回す。
洋食屋に集った人間たちが思い思いに昼食を口に運んでいた。
「私は、私たちは、『新しい人間』の世界で、自分が飢えないかが心配になったのだ」
そう吐き出して、彼は大きな溜め息を零した。
「私たち? それは、あなたと誰を指してのことです?」
彼の発言を聞き咎めてソウマは額に皺を寄せる。
パンデミックの頃は、自分のことだけで手いっぱいだった。少なくとも、人類の行く末を本気で心配した記憶なんてどこにもない。どちらかといえば、ソーシャルディスタンスが推奨される中で、どうやってその日の睡眠を手に入れるかの方が重大な問題だった。それがソウマの現実だ。
「君のことを言っているわけではない。……君は、混血だね?」
「そうですけど」
「人の血のほうが濃いだろう」
「ええ、まぁ。それがなにか関係が?」
「おおまかな傾向として、人外として純血に近いほど、我々の寿命は長くなるものだ。逆に人間の血が一定以上の濃さになると、寿命そのものは人間とほぼ同じものになる。君の年齢は?」
「二十代とだけ」
「私はかれこれ三百年ほど生きているよ」
驚きはなかった。ランカという吸血鬼の存在を知っているのだからそれも当然のこと。
ただ、ランカと比べるとディリータは見るからに老齢の外見だ。若々しい外見を保っているランカがおかしいのか、それともディリータの容姿がことさら老けているだけなのか。その判断まではさすがにつかなかった。
「三百年生きたが、寿命が近いとは感じない。少なくとも私はあと数百年は生きるだろうな」
「それはまた、ずいぶんと長生きなことで」
「要は、寿命の長い者ほど人類の変化を気にしてしまうということだ。人間たちの世代交代を見届ける立場になるからな。人間の変化……あえてだが、進化と言ってもいい……の結果として自分たちの生存が脅かされてしまうというのは、『私たち』にとってただの杞憂ではないのだよ」
噛んで含めるような彼の言葉を耳にしてソウマは目を細めた。
「つまり、そういう心配を抱いたからあなたは葵山さんと今回の事件を起こしたわけだ。そして、同じような心配事を抱えているのはあなただけではない、と」
「ああ。私が知っているだけでも、4人ほど名前が浮かぶ。古い知人で、みな純血の人外だ」
「あなたとは協力関係にある?」
「いや。全員、種族が違う。『夢』を重要視していたのは私だけだ。他の者は別のものを媒体として人間から精気を得ている。葵山嬢の件は私の単独での行動だ」
「葵山さんの件"は"って言いましたよね、今」
言い回しを咎めて鋭い視線を送るソウマに、ディリータが鷹揚な頷きを返した。余裕ぶった態度が気に食わないが、それを胸に押し込んで話の先を促す。
「しばらく前に、彼らの内のひとりから計画を持ち掛けられた。その知人は私とは違ってかなりの資産家でな、その唸るほどの資金を用いて計画を練っていたらしいのだが」
「もう嫌な予感がしてきた……」
「どこぞの山か島を買い取って、そこに俗世から隔離された『人間のための環境』を作り上げる、というのが私の聞かされた計画だった。つまり、自身の生存のために都合のいい『今の人間』をどこかにストックしておく計画だな」
「……まるで観賞用の鳥籠ですね」
「スタンダロンな環境での養殖実験ともいえる」
人間に対して養殖って言葉を平気で使うんだよな、とソウマは心の中で呟く。それもある意味、純血の人外らしい思考なのだろう。癇に障ることには変わりないが。
「その計画、あなたは参加していないのですか?」
「協力を頼まれたが、断った」
「なぜ」
「変化を押しとどめることに意味はない。そんな隔離環境を用意しても、どうせそのうち人間は勝手に変化を始めるはず。人間とはそういう生き物だ。適応と進歩の足を止めることができない。その性質を持つからこそ、人間は地球上のあらゆる場所で繫栄するに至っているわけだが」
「それに」と続けながら、ディリータは小さく笑みを浮かべた。
「閉鎖環境で平坦な日常が続くと、夢が不味くなる。この感覚は、君にもわかるのでは?」
「別に僕は夢を食べてるわけではありませんよ」
「だが、他人の夢に触れて生きていることには変わりないだろう」
「……そうですね、現実に刺激があるほど夢の世界の起伏も大きくなるというのは認めます」
「話が合って嬉しいよ。生憎、夢を介して精気を得る知人は、ここ最近誰もいなかったからね」
つまり、昔はいたということか。その知人というのが、10年前の人物なのか、はたまた100年前の人物なのかはわからないが。
もしかしたら……その人物がソウマの祖先という可能性もある。もっとも、顔も知らない高祖父母の話をされても困るだけだけど。
「まさか、そういう夢に関するトークをするために、わざわざ僕に会いに来たんですか?」
「それもある。しばらくは日本に滞在することが確定している以上、種族的な特性について議論ができる相手と知己を得ておくことは、私の研究にとっても有意義なことだからな」
「正直、国家ぐるみで秘密裏に進めている研究とか、厄介事のにおいしかしないんですけど」
「関わりたくはないと?」
「いや……葵山さんの今後とか、気になることは気になりますし。僕の手に負える範囲のことなら、話を聞くくらいはやぶさかじゃありませんが」
「そこで葵山嬢の名前が出るのが、君という人間の一端だな」
ディリータがテーブルに名刺を置く。すらりと長く優雅な指は血色が良く、爪先は綺麗に切り揃えられていた。置かれた名刺は英字で印刷されていて、右下に電話番号らしき数字が手書きされていた。
「連絡先だ。もっとも、繋がるのは私を監視する公的機関の担当者にだが」
「どうも。一応、覚えておきます」
「いたずら電話はやめてくれたまえ」
「そんな馬鹿なことしませんって」
くつくつと含み笑いをしながらディリータが席を立った。右手の杖がかつんと床を叩く。黒服の護衛たちが離れた席で立ちあがるのも見えた。
握手のひとつでもするべきだろうか。礼儀として立ち上がったソウマを、ディリータの青い瞳が見つめていた。
「最後に。君に会おうと考えた理由が、もうひとつある」
「聞きましょう」
「例の計画を立てた知人だが、一度断ったというのにしつこく勧誘を続けてきてな。それに辟易したこともあって私は日本に渡って来たわけだ」
「ああ、その計画って、海外でのことでしたか」
「こうして政府の保護下にも入ったわけだから、私に対する干渉も止むだろうとは思うのだが……。どうもその知人が、最近になって日本に入国してきたらしい」
「うへぇ」と思わずソウマの口から呻きが漏れた。
「なにかの間違いだったりは」
「政府からの情報提供だ。確度は高い」
「どうも嫌な感じがするなぁ」
「まだ私にこだわっているのか、それとも他に目的があるのか。詳しい事情は不明だ」
「そのことを僕に伝える意図は?」
会話の途中だが、すでに護衛の黒服がディリータの左右を固めていた。屈強な男に挟まれていてなお、夢喰いの老紳士には独特の存在感がある。護衛対象の研究者? いや、どちらかといえばマフィアのドンみたいな雰囲気だ。
「言っただろう? パンデミックを経験した多くの人外が、人間との関わり方について新たな形を模索する段階に入っている。私の知人はその一例に過ぎない」
「つまり?」
「これから先、
「……忠告、ね。それで結局、あなたは僕になにを望んでいるんですか」
「私には私の研究がある。余計な些事に時間を取られるのは望むところではない。さりとて、こちらは日本に保護されている立場だ。厄介事への対処を要求されれば断ることも難しい」
夢喰いが笑う。
実に人間らしい悪辣な微笑みだった。
「そういうときに、良心に従って事態の解決に動いてくれる知人がいるというのは、なかなかに都合がいい話だとは思わないか?」