夢魔さんは眠りたい   作:子守家守

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勇者ちゃんは眠れない(2)

 そして、夢魔は彼女の夢に触れる。

 

 瞬間、目の前が白に塗り潰された。

 吹雪が吼え猛る。風が悲鳴をあげる。

 黒塗りの厚い雲が太陽を覆いつくす。

 

 ここはどこだ?

 

 外界から隔絶した天嶮の果て。

 剥き出しの岩肌に囲まれた僅かな土地。

 建物はひとつ。

 煉瓦造りの館。赤い屋根は常に雪に隠されている。

 二重窓の向こうに揺らめく灯りが見えた。暖炉の炎だ。

 

 彼女は、ここで生まれた。

 彼女とは、誰だ?

 

 祖父と祖母、父と母、そして彼女と兄弟たち。

 この地にいるのはそれですべて。

 孤立したコミュニティ。

 家族ひとつで完結した世界。

 彼女は、ここで生まれて、ここで生きてきた。

 

 言葉を覚える前から、魔法の呪文を子守歌に、

 物心がつくよりも早く、剣を握らされて、

 吹雪に耐え、獣を狩り、知恵を身に着け、

 ただひたすらに、

 強く、

 強く、

 どこまでも強くなれるようにと、そう願われて、生きてきた。

 

 強くなることが、生きるということだった。

 

 だから、祖父も祖母も、父も母も、生きてはいない。

 彼らはもう強くならない。成長しない。止まった存在でしかない。

 誰も生きてはいない。

 ただ死んでいないというだけ。

 彼女と兄弟たちだけが、生きている。

 

 その兄弟たちも、やがては強くなることを諦めた。

 兄も、弟も置き去りにして、

 彼女だけが、生き続けた。

 生きても死んでもいない家族に囲まれて、

 彼女だけが、生きていた。

 

 旅立ちは15歳の誕生日。

 

 長い長い旅の始まり。

 途切れることない吹雪を掻き分けて、彼女は生まれて初めて山を下りた。

 遥かな天嶮を背後に、12の昼夜を越えて、人の世界に辿り着いた。

 

 北域の辺境。人類の生存領域の端っこ。雪に染まった小さな街。

 山の上よりよっぽど温かくて、恐ろしい獣も現れない、平和な場所。

 彼女はそこで初めて、家族以外の人間を目にすることができた。

 

 けれど……。

 

 彼女の出会った誰も彼もが、生きていなかった。

 死んでいないだけで、生きてはいなかった。

 強くなることを、成長することを諦めて、足踏みを続ける人の群れが、そこにいた。

 

 落胆よりも納得。

 わかっていたとも。

 どうせそんなものさ。

 

 目指すべき場所はわかっている。

 辿るべき道も理解している。

 なにより、まだ強くなれると知っている。

 彼女は、まだ生きている。

 だから、足を止める理由なんてどこにもない。

 

 彼女だけのひとり旅。

 悪意の蔓延る街道を歩き、

 弱者を飲み込む密林を走り、

 黄砂の吹きすさぶ砂漠を抜け、

 波濤の荒れ狂う海を越えて、

 

 一日を生き抜き、

 一週を耐え抜き、

 一か月を跨いで、

 一年を幾度も踏み越え、

 時を忘れるほどに歩き続けて、

 

 やがて、終着点。

 

 旅の終わりに、彼女は、ようやく生きている存在に出会うことができた。

 南の果ての打ち捨てられた古城。

 異形たちが王にかしずく魔の巣窟。

 破れた壁と砕けた床に彩られた玉座の間。

 錆銀の玉座はくすんだ古い血に汚れている。

 

 そこに座すのは、魔王の名を冠する者。

 彼女と同じ、まだ生きている存在。

 

 一目見た瞬間に、互いにそれを理解した。

 言葉はない。

 必要ない。

 二人が同時に動く。

 剣を抜き放ち、斬りかかる。

 有象無象の魔の者たちなど、既に互いの思考の外。

 斬り結ぶ剣閃が、風を裂き、空間を制し、近づく者を微塵に切り刻む。

 

 玉座の間は一瞬で鮮血に染まった。

 居合わせた魔の者たちが断末魔を奏でる。

 弾け飛んだ臓物のほの暗い香りが周囲を満たす。

 破れた壁からは月の光。

 薄明りの中、鋼のぶつかる火花が、ちかちかと。

 

 必殺の意思を籠めた縦斬りが、分厚い魔王の刃に受け止められる。

 返しの一撃は、さらに速く、重い。

 相手の刃が滑る。横薙ぎ。その腹を下から突き上げて軌道を逸らす。

 もう一度。

 放った突きは今までよりも速い。しかし、半歩の足捌きで躱される。

 空気が悲鳴をあげる。びりびりと肌が震える。

 

 ダンスだ。

 踊るように、交互に技を繰り出す。

 剣を振るい、魔法を唱えて、

 斬って、燃やして、殴って、穿って、砕いて、

 そのたびに、彼女も魔王も、強くなる。

 どこまでも、強くなる。

 生きているのだと、実感する。

 

 恋にも似た甘い気持ち。

 憎悪にも似た暗い気持ち。

 彼女は生まれて初めて、他人と本当の意味で言葉を交わした気がした。

 

 ずっとこうしていたい。

 ずっとこうしていたかった。

 一合ごとに剣速が上がり、一呼吸ごとに魔法の威力が上がる。

 生きている。生きている。生きている!

 叫びたい。笑いたい。涙を流して喜びたい。

 世界そのものが歪むような、致死の絶技が飛び交う極限の戦場で、

 彼女は確かに、そう思ったのだ。

 

 そして、それでも、

 終わりの瞬間は訪れる。

 

 均衡が崩れたのではない。

 ただ単純に、二人が同時に、絶対に相手を殺せる一撃を繰り出した。

 たったそれだけのこと。

 それだけのことで、永遠に続くとも思えたダンスは終わりを迎えた。

 

 彼女の剣が、

 魔王の剣が、

 彼女の胸を貫き、

 魔王の胸を貫いた。

 

 血が飛ぶ。赤。自分のではない。相手のもの。背中から。勢いよく。やがてゆっくりと。

 流れる。落ちる。滴る。小さな音。さらさらと。熱さと冷たさが一緒にやってくる。

 限界を超えて駆動していた身体が軋んで止まった。

 全身からあっという間に力が抜けていく。

 それでも二人は剣は離さずに。

 もたれるように、

 抱き合うように、

 重なり合って、地面に倒れた。

 

 二人の血が混じって床に広がる。

 呼吸の音が小さくなる。

 鼓動が弱まる。

 命が尽きる。

 

 ああ、なんて……。

 生きているときに死ねるのだから、

 これがきっと、一番美しい終わり方。

 

 暗闇が迫る。

 彼女の旅が終わる。

 

 一部始終を見ていた夢魔は、夢の終わりを感じ取った。

 鮮やかで、くっきりとした情景が、涙のように滲んでいく。

 けれど……、

 これは本当に夢だったのだろうか。

 世界の輪郭が掠れていく中で、不意にそんな疑問が首をもたげた。

 夢の主の覚醒は近い。

 そのことを認識しつつ、夢魔は目をつむって現実の方向に意識を傾ける。

 

 その瞬間、夢魔の胸を刃が貫いた。

 

 象に踏まれたような衝撃。

 全身がばらばらになりそうな痛み。

 意識が夢の世界に引き戻される。

 目を見開いた。

 

 眼前には、血濡れた彼女の顔。

 

 笑ってはいない。怒ってもいない。

 氷のように冷めた透明な表情。

 胸に突き刺さった剣が捩じられる。

 心臓と肺を巻き込んで、肉と臓器がミキサーされる。

 激痛。喉からせり上がる気持ち悪さ。痺れ。眩暈。

 

 意識が再び遠のく。

 期せずして、夢から離脱していく。

 なにもかもがあやふやになって、夢魔も彼女も曖昧になっていく。

 深海から水面に浮上するように、

 破裂するような負荷を代償にして、現実へと帰っていく。

 

 最後に聞こえたのは、耳元からの囁き。

 夢の奥に取り残される彼女の遺言。

 

 

 

「お前、人間じゃないな」

 

 

 

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