「ふ、ふふ……、なるほど、とてもユニークなお話ね」
珍しい。
「あぁ、駄目ね……ふふ……、笑っちゃいそう……」
「ええと、ランカさん。そもそもその『S〇Xしないと出られない部屋』というのは?」
「……あら、ソウマくんはご存じない感じかしら」
「ご存じないというか、そのまんまの意味なんだろうとは思いますけれど、固有名詞としては聞き覚えがありませんね」
というか、これ、口に出すのは普通に恥ずかしいな……。
ちらりと横目でマヤの様子を窺いながら、ソウマは無意識に頬を掻いてしまう。
地下の探偵事務所を訪れたマヤが口にした『S〇Xしないと出られない部屋』というワード。それを聞いた瞬間、ソウマは飲んでいた紅茶を噴き出しそうになった。
いきなり何を言い出しているんだ、この娘は! と、危ういところで爆発を防ぎ切ったソウマがゴホゴホと咳き込めば、涼しい顔の彼女が可愛らしく小首を傾げる様子が目に入ってくる。
話を聞くに、同じ大学の男子学生がその言葉を叫んだのをマヤは耳にしたらしい。白昼堂々、教室のド真ん中での出来事だったとか。なにを寝惚けたことを、と言いたくなるが、その男子学生は寝惚けていたわけでも酔っ払っていたわけでもない様子。はたから見ても、シラフかつ大真面目に彼は自論を語っていたとのことだった。
その際に男子学生は『オカルト』やら『都市伝説』といった言葉も口にしていたようで、偶然それを聞いていたマヤもその点が気になってしまったらしい。
「ひょっとして、ソウマさんかランカさんの知り合いの仕業だったりします?」なんて前振りから『S〇Xしないと出られない部屋』なんて言葉が飛び出し来た日には、そりゃあソウマでなくたって動揺するというものだ。
「そうね、どこから説明するべきかしら。いわゆる、『〇〇しないと出られない部屋』という定型はね、創作活動における一種の
「モチーフ?」
「つまり、特定の条件を満たさないと脱出できない部屋があって、そこに閉じ込められた人たちはどんな行動をするのか、という創作上のお題みたいなものね。特殊な状況におけるキャラクターの行動を想像する思考実験の側面もあるかしら」
「はぁ……。それで、よりにもよって、『S〇Xしないと……』ですか」
「非日常で刺激的な条件でしょう? そのくらい突飛な方が創作作品として面白くなりやすいのでしょうね。あとは、そう、エッチな話の導入に便利だったりする都合かしら」
「エッチな話て」
おどけた口調で微笑むランカに、ついついソウマは胡乱な視線を向けてしまう。
「都市伝説ではないのですか?」と素直な顔のマヤが首を傾げる。
「都市伝説どころかネットロアでもないわね。ミームではあるかもしれないけれど、実在を前提に語られるものではないわ。あくまでも創作上の仮想の存在として扱われるものよ」
「じゃあ、現実には存在しない?」
「基本的には。でも、極論を言えば外部からロックの掛かる部屋を準備すれば似たようなシチュエーションは作れるわけだから……。もしかしたらどこかの好事家が『実現』していてもおかしくはないかしら」
「わかりやすい装飾として、部屋の目立つところに『S〇Xしないと出られない部屋』なんて看板を置いておいたりしてね」とランカが愉快そうに言い添える。
それはそれで悪趣味では、とソウマは眉を顰めた。というか、現実でやったら監禁罪だろうに。
ともあれ、その『〇〇しないと……』という定型文がどこぞの界隈に存在するということはわかった。しかし、ランカの解説を聞いてもソウマとしてはいまいちピンとこないというか……。
「さて、それを踏まえて、
「どうもこうも、その学生がデタラメを言っているだけでは?」
可能性でいえばそれが最も高いだろう。目立ちたがりの男子学生が突飛なことを言い出すなんて、どこの大学でも日常茶飯事だ。奇妙な事件に本当に遭遇するよりも、そちらのほうがずっとあり得る話だと思う。
とはいえ、それ以外の可能性だって当然ゼロではない。たとえば、サキュバス(……純血でも混血でも……)ならこの手の方法で精気を得ようとすることもあるのかもしれない。もっとも、ソウマの知人にサキュバスは今のところいないので、完全に想像上の話ではあるが。
「確かにその可能性もあるわね。でも、素人の嘘なら調べればすぐに真偽がわかるでしょう?」
「え、調べるんですか、この話を」
意外にも深掘りしてくるランカに驚く。話を持ってきたマヤでさえ、ちょっと話を振ってみたくらいの雰囲気で、そこまで深くは考えていない様子だというのに。なにかランカの琴線に触れるものでもあったのだろうか。
……いや、そういえば、この女吸血鬼はインターネット老人会を自称していたこともあった。ひょっとして、実は彼女はネット上の創作ミームが大好物だったりするのかも……?
「ソウマくん、なにか失礼な想像をしていないかしら?」
「いや、わざわざ調べるような話なのかなぁ、って思っただけですけど」
「私は調べないわよ。誰かの依頼というわけでもないし、他に仕事もありますから」
「はい? だったらどうして……」とソウマは思わず訝しげに問うてしまう。
「むしろ、どうしてソウマくんは気にならないのかしら?」
「どうして、って……。聞いた感じ、もし真実だったとしても、わざわざ調査して介入するような案件でもないのでは。なんなら警察に情報を伝えて、あっちに任せちゃってもよさそうですし」
「さっきまで話していた、『隔離環境』の問題を踏まえても、そう言える?」
ランカのその言葉に、一瞬、ソウマの思考が混線した。
閉鎖共同体における世代交代の問題のことか。閉じた世界の中で、遺伝子の袋小路を避けるにはどうすればいいのかという難題。今の話がその解決策になり得ると?
どうだろう……。数秒間の沈黙の中で考えてみたが、どうも素直には頷けない。
いくつかの条件はクリアできそうではある。内と外との接触を最小限に抑えることや、出会ったばかりの男女に子作りを意識させるといった点では、確かに有用そうではあるが……。
というか、『S〇Xしないと出られない』だなんて、直球にもほどがあるんじゃないか?
「いや、やっぱり判断がつきませんって。情報不足ですよ。だって、その学生がどんな体験をしたのか、そのディテールもわかっていないじゃないですか」
「それならなおのこと、その不足している情報を知るためにも、この件を調べてみる価値はあるのじゃないかしら」
疑念の滲んだソウマの声にもなんのその、吸血鬼は優雅に微笑みながら紅茶を嗜んでいる。
まるで柳に風。もう少しなにかを言い募ろうと口を半開きにして、けれども結局、言葉が見つからずにお手上げポーズ。
「ええと、そんな悩むような話題だった?」とマヤが不思議そうに首を傾げていた。
………
……
…
結局、ソウマとマヤの二人で件の男子学生を調べることになった。
ソウマとしては『隔離環境』の話を踏まえた『念のため』の調査であり、一応は理由あっての行動のつもりである。
しかし、マヤにはこの件に積極的に関わる理由はなかったはず。だというのに、彼女はソウマが男子学生のことを調べると聞き「じゃあ私も」と即決したのだった。
調査場所が彼女の通う大学ということもあり、協力してもらえるのはありがたいのだが、頼りすぎるのも悪いかな、と思ってしまう。無報酬の調査なのだからなおさらだ。
もちろん、彼女には彼女の考えがあるのだろう。自身が通う大学の風紀を守るためだとか、単純に男子学生の体験に対して好奇心を覚えているだとか……。
その複合的な理由の中には、ソウマに対する好意(……友情とか、仲間意識に由来するものを含めて……)もあるのかもしれない。自然とそう考えてしまうくらいには、ソウマも彼女に対して意識している自覚があった。
「ソウマくん」
「……? はい、なんですか」
部屋を辞する直前、ランカに呼び止められた。事務所の書類整理のバイトを終えたマヤは先に帰っている。男子学生の調査は明日からの予定なので、今日はこの場で解散の流れだった。
ドアノブを離して振り向き、所長席の前まで戻る。机に肘をついた女探偵が目を細める。
「時系列を整理しましょうか」
「突然ですね。例の学生のことですか?」
「いいえ、『隔離環境』について。ドリームイーター曰く、この計画が動き出したのは、あの感染症のパンデミックを契機にしてのことだった、と。そこは間違いないわよね」
「僕が聞いた限りでは、そうなりますね。その『古い知人』というのが、もっと前から水面下で計画を進めていた可能性もゼロではないのでしょうけれど」
「もしそうだとしても、パンデミックの前と後とで計画に修正が入っていることでしょうね。世界中を巻き込んだ大騒動だったのだから、それを無視して計画を進め続けることはできないはずよ」
「そう仮定するなら、
顎に指を当てたソウマがそう推測すると、ランカは満足そうに頷いた。
「だとすれば『隔離環境』は世代交代の時期には至っていない。そう予測できるわよね。構成員もそんなに歳を取ってはいないわ。もっと言ってしまえば、共同体はまだ準備段階で、本格的な運用が始まっていない可能性だってあるでしょう」
「言われてみれば、確かに。……あれ、だったら『例の部屋』が本当にこの件に絡んでいたとしても、今の段階で実行する意義は薄いのでは?」
「私もそう思う。それでも敢えて実行した意味があるとすれば、予行演習とか実証実験として、本当に必要となるタイミングの前に運用してみた、といったところでしょうね」
「そんなレアケースが『隔離環境』の情報を持つソウマくんのところに転がりこんでくるだなんて、いったいどんな確率なのかしら」と、女吸血鬼が愉快そうに笑みを作る。
「……偶然ではない、と?」
「いいえ、偶然だと思うわ。ソウマくんのことはまだ相手に知られていないでしょうし」
「あの、話の方向がわからないんですけど」
誰かが意図して情報を流してきたわけではない、というのは頷ける。件の『古い知人』が現時点で意識しているのはディリータくらいだろう。そこからソウマ、さらにはマヤと繋いでいくにはさすがにラインが細すぎる。当然、今回の件に偶然以上の意味を見い出すのは難しいのではないか。
「偶然は偶然でしかなく、そこに誰かの意思は存在しない。だけど、ときとして
「引き寄せられる?」
「運命論者を気取るつもりはないのだけれど……。人によってはそういう星の巡りのようなものがあると思うの。理論も証拠もない、あくまで私の経験則によるものだけどね」
「ひょっとして、マヤちゃんのことを指して言ってます、それ?」
ランカの言葉にソウマは探るように目を細めた。
マヤの
……もっとも、勘の鋭い者や腕に覚えのある者であれば、彼女と相対したときになにか感じるものがあるようだが。ランカもまた、そういう線からマヤが普通の女子大生とは一味違った人間だと気づいているのかもしれない。
「これは私の個人的な見解だけど……。私たちのような異種族も不思議な事件に出会う可能性は高い傾向にあるわ。ほとんどの場合、私たちの体質に起因する形でね」
たとえば、ランカのような吸血鬼であれば、血にまつわる事件。
あるいは、ソウマのような夢魔であれば、夢にまつわる事件、といった具合に。
「私たちに宿る体質と欲求が、私たちを自然にそれぞれの専門分野へと導く。その結果として、普通の人類では遭遇しないような事件に巻き込まれることがある。そういう仕組みね」
「……でも、今回の件は違うと」
「そう、マヤさんが男子学生の叫びを聞き、私たちがそれを伝え聞いたという一連の流れは偶然の産物でしかないわ。夢も血も、私たちの体質もなんら関係がない」
それを正真正銘の偶然と片づけることもできるだろう。
ただ、目の前で微笑む女吸血鬼はどうやら別の意見を持っているようだ。
「たまにいるのよ。純粋な人間なのに、特定の事件に高頻度で遭遇するような人が。たとえば、このホテルの支配人である『あの人』もそう。警察官だったころから、どういうわけか異種族絡みの事件に関わることが多くてね。結果として警察を辞めてこっちの仕事に落ち着くことになったのだけれど。本人曰く『望まなくても事件が向こうからやってきた』そうよ」
「それが『偶然』を引き寄せるということですか」
「なんとなくだけれど、マヤさんからも似たにおいがするのよね。体質的には普通の人間なのだけど、精神というか
正解、とソウマは心の中で呟く。
マヤの魂が前世から影響を受けているのであれば、彼女が特殊な事件を引き付けるという話はさもありなんといったところ。勇者という称号の持ち主ともなれば、その生涯には語られるべき
もちろん、ランカの自説が見当はずれの可能性だってあるわけだが……。
その可能性に縋るのは、楽観が過ぎる気がしてしまう。長命種の語る経験則には、聞き流せないだけの重みがあるものだ。
「ソウマくんのその顔、心当たりがありそうね」
「さぁ、どうでしょうね。僕からはなんとも言えませんよ」
「そういう風に義理と口が堅いところは好きよ」
「バイト探偵に向いてるからですよね」
「そこで皮肉らずに素直に受け取ってくれたら満点なのに」
「それで、結局、その推測を僕に聞かせた意図は?」
「年長者からのちょっとした助言。お節介のようなものかしらね」
その問いに優艶たる純血の吸血鬼は愁いを帯びた微笑みを浮かべた。
絵になりそうな美しさだった。あまりにも美術品じみていて近寄りがたく感じるほどに。この人は本当に今も生きているのだろうか、と疑ってしまう。
聖母のように微笑む吸血鬼が、預言者のようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「もし、ソウマくんがマヤさんのことを大切に思っているのなら、彼女のことを上手くフォローしてあげた方がいいわ。今回の件だけでなく、彼女が他にも