夢魔さんは眠りたい   作:子守家守

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自由恋愛式マヨヒガ(5)

 漫画喫茶は、未知の世界と同義である。

 

 ……と、言うのはさすがにオーバーか。けれど、田舎生まれの田舎育ち、前世の記憶もファンタジィ異世界なマヤにとって、その施設の名がどうにも縁遠いものだったのも事実だった。

 言うまでもなく、地元の農村にそんなハイソな場所は存在せず、最寄りの店舗は村から三つの境界を跨いだ県庁所在地。自動車を使っても片道一時間の道のりだ。免許も持てない未成年の学生が気軽に行ける距離ではない。

 

 まったく興味がなかった、といえば嘘になるが、わざわざ車を持っている大人に運転を頼んでまで行ってみようとは思わなかった、というのがマヤにとって正直なところ。

 ……ちなみにバスや電車で行こうとするともっと面倒で、行きも帰りも一時間に一本の運行予定と睨めっこする羽目になる。駅や停留所までの距離も微妙に遠かったりと、公共交通機関で遠出をするのには結構な気合と覚悟が必要、というのがマヤの地元での常識である。

 

「だから、これが初体験」

 

 ふんす、と気合を入れて店内に入った。梅雨の湿った空気が遠ざかる。

 ガラスの引き戸を抜けた先には、無人のカウンターとタッチパネル式の端末。カラフルな案内プレートが右に左に三つか四つ。綺麗に磨かれたタイル床。正面にもう一枚ガラス戸があって、ロビーから先に進むにはそこを通らないといけないようだ。どうもそちらは電子錠でロックされている様子。空気はシンと静まり返っていて、店員の姿はどこにもない。

 

「……」

 

 最初の一歩で足が止まった。意気込んだ気持ちがしなしなと萎んでいく。

 いったいぜんたい、まずはなにをすればいいのやら。店員もいなければ説明もなし。いや、説明が書かれていると思わしきプレートはあるのだけれど、似たような色使いのものがいくつも置かれているから、どれから読み始めればいいのか判断に困ってしまう。

 

 記憶の彼方の勇者ちゃんが憤慨する。

 そうやって自分たちの決めたルールがさも常識みたいに振舞っちゃってさ。都会のお店ってばいつもそう。田舎の人間に優しくないんだから!

 

(……そこはさすがに、亜竜の生首を腰に引っ提げてレストランに入った勇者ちゃんにも問題があるような?)と、フラッシュバックした前世の記憶に思わず小首を傾けてしまうマヤである。

 

「他の支店も入ったことない? なら、会員登録からだね」

 

 足を止めて思考を迷走させたマヤの横をすり抜けて、ソウマがあっさりとカウンターに置かれた呼び鈴を鳴らした。実に手慣れた感じ。これが都会の人間のスタンダードなのか。

 カウンターの奥から現れた店員はウェイター風の制服。さっぱりとした身なりの男で顔は若い。アルバイトだろうか。どことなく眠そうで、覇気の無い雰囲気だった。

 

「会員登録ですね。こちらの申請用紙に記入と、身分証明書の提示をお願いします」

 

 紋切り型のセリフと一緒にボールペンを渡される。申請用紙はほとんど名前と住所を書くだけのフォーマットだったが、最後のあたりに個人情報の取り扱いについての項目があった。過去の事件の経験もあって、さすがにそこだけは細かく目を通してしまう。

 ふと視線を感じて顔を上げれば、店員の男の貼り付けたような無表情。「さっさと書いてくれ」と無言で催促されている気分。ちょっぴりムッとしてしまう。きっと、大抵の『お客様』はこの手の確認事項はさらっと流してサインするものなのだろう。

 

「身分証明書って、こういうときは学生証? マイナンバーカード?」

「どっちでもいいと思うよ」とソウマがカウンターの広告を観察しながら言う。

「そうだ、そのうち免許も取らないとだ」ペンを動かしつつ、マヤは呟いた。

「ああ、そうだね。自分の車を持たないにしても、取っておくとなにかと便利だよ」

「運転の仕方とかコツって、ソウマさんは教えてくれる?」

「え? いや、大学の生協に教習所の案内があるだろうし、夏休みに合宿とかで取ることが多いんじゃないかな。僕もそんな感じだったし……」

 

「うん。それはそれとして、ソウマさんも教えてくれる?」

 ペンを止めて、上目遣いで彼を見つめた。

 

「……教習所が終わって、免許を取ったあとにね。実戦練習なら、まぁ、付き合うよ」

「うん、ありがとう」

「基本的なことはプロにちゃんと教わらないと」

「そうだよね。乗り物といっても騎馬とは違うものね」

「騎馬……?」ソウマが口を斜めにして繰り返した。

 

「はい、ではこちらが会員証になります。入店にはあちらの端末をご利用ください」

 

 マヤが申請書を提出すると、いつの間にか能面のような顔になっていた店員がカードを交付してくれた。「ご利用方法の説明をいたしましょうか」と平坦な声色。ソウマがやんわりと不要と告げると、彼は疲れた様子でカウンターの奥へと引っ込んでいった。

 

「なんだか不用心。店員さんが見てなくていいのかな」

「基本がセルフだからね」端末のリーダに会員証を読ませながらソウマが言う。

「でも確かに、こっそり好みの男の人を探すのには都合が良さそうかも」

「そこだけ聞くと誤解されそうだなぁ」

 

 端末のタッチパネルを二人で並んで覗き込む。簡素な店内図にいくつもの番号が振ってある。どうやらその数字が個室や席を示しているようだ。利用者はその数字を選んで該当のスペースをレンタルするというシステムらしい。

 利用料金は3時間でおおよそ1,000円。映画館で怪獣映画を見れば2時間で2,000円くらいかかることを考えると、コスト面では割とお手軽……なのだろうか?

 

「さて、とりあえず適当な席を選んで店の中に……」

「あ、ペアシート。二人で座れる席もあるんだって、ソウマさん」

「……じゃあ、そこにしようか」

 

 肩を竦めたソウマがタッチパネルを操作すると、カードキーが取り出し口から排出された。それを使ってロビー奥のガラス戸のロックを解除し先へと進む。

 手狭な印象のロビーとは打って変わって、奥行きのある広い部屋が待っていた。ぎっしりと漫画が詰め込まれた本棚が六列も並んでいて、それでもなお空間に余裕がある。

 漫画『喫茶』という名前だが、一般的な喫茶店よりもよっぽど広い。本棚の数と相まって、まるでちょっとした図書館のようだ。空調は効いているが、微かに紙の香りも漂っている。

 

「わぁ……。すごい、感動したかも」

「どこにでもあるチェーン店だよ」隣でソウマが苦笑する。

「どこにでもはないけど」と田舎の農村からやってきたマヤが口を尖らせる。「でも、こういうお店がチェーン展開してるっていうところも、びっくりポイント」

「それが可能なくらいは利益が出るってことだろうね」

「娯楽のために漫画だけをこんなに集めるなんて、勇者ちゃんが知ったら気絶しちゃいそう」

 

 本は貴重品で、図書館は学術研究機関。ファンタジィな前世ではそれが常識。そもそも書物といえば実用書がほとんどで、読者を楽しませるために書かれた本なんて、一握りの人間しか手に入れることができない宝物だったはず。勇者ちゃんだってそんなものを読めた記憶はない。

 それを考えると、現代日本のこの光景とはギャップがすごい。だいたいにおいて、挿絵の入った書物をこうも大量に生産しているという事実がとんでもない。

 紙の大量生産に、原稿の正確な複製と印刷。それらを束ねる製本のノウハウと、さらには全国を繋ぐ流通システム。一軒の漫画喫茶を成立させるために用いられた技術の数々を想像すると、それだけでめまいがしてしまいそうだった。

 

「これが、人類の叡智」ほぅ、とマヤは思わず溜め息。

「その叡智を娯楽に全振りした結果の商売だけどね、これは」

「むしろそこがすごいところじゃない?」

 

 娯楽と商売から生まれたサービス業。その発想と実現のための執念に、学術研究を基点とした図書館とは方向性の違った尊敬の念を覚えてしまう。

 もちろん、図書館は図書館でまた別の趣きがあると思うけれど。

 

 漫画の背表紙が並ぶ本棚を横目に見ながら、建物の奥の方へ。店内の案内図によると、左手の廊下に個室のスペースがあるようだ。不思議なもので、歩いているだけでも気持ちが浮ついてくる。

 人間の想像力が生み出した世界が、数えきれないほどそこに存在している。星のように静かに収められているけれど、手を伸ばせばすぐにその輝きを覗き込むことができる。ここはそういう場所なのだ。まだ一冊の本も手に取っていないのに、、マヤは自分がわくわくしていることを認識する。

 

 ……いやいや、でも、それはそれとして。

 忘れてはいけない。マヤたちは別に漫画を読むためにここへ来たわけじゃないのだ。

 ここを訪れたのは、あくまでササジマの奇妙な体験の手掛かりを探すのが目的で……。

 

「ええと、マヤちゃん? 一応は調査ってことになってるけど、そんなにシリアスにならなくてもいいからね。誰かの依頼があったわけでもないし、事件性が確定しているわけでもないんだから」

「……私、そんなにそわそわしてるように見える?」

「普段よりは」ソウマが表情を緩めた。「ほんのちょっとだけど、そんな雰囲気」

 

 微笑ましいものを見るような目だった。

 不覚である。マヤはそっぽを向いて頬を膨らませる。

 

 ペアシートの席は、小さな空間にロングソファが置かれた部屋だった。薄いとはいえきちんと四方が壁で遮られているし、部屋のドアにはカード式の電子錠が備わっている。ソファの正面には大型のモニタ。どうやらテレビや映画を見ることもできるらしい。

 肝心のロングソファは、黒い合成革のしっかりとした作りで、そのサイズたるや絶妙だった。余裕を持って二人並んで座れるようでいて、ちょっと腰を動かせば肩が触れ合うような塩梅である。部屋そのものが手狭なので、この触れるか触れないかの距離に二人が収まる可能性が非常に高そうだ。部屋の間取りとソファの選定を行った人間のこだわりが垣間見えた。グッジョブ。良い仕事。

 

「じゃあ、ひとまず自由行動で」ソウマが淡々と言った。

「え?」マヤはぴょこんと耳を動かす。

「それぞれ店内の様子をひと通り観察して来よう。で、ここに帰ってくる」

「それって、一緒に回るのでもいいんじゃない?」

「いや、僕のほうで調べておきたいところがあって……。言っちゃえば、男子トイレなんだけど。あそこならどの個室を選んだ男でも来店中に立ち寄る可能性があるから、男性を狙ってなにかを仕掛けるならちょうどいい場所かなって」

 

 そうやってちゃんと理由を説明されるとイヤとは言えないマヤ。さすがに男子トイレにまでついていこうとは思わない。「むぅ」と小さく唸るも、結局は「わかった」と頷くわけである。

 そんな彼女の態度をどう捉えたのか、ソウマはひらひらと手を振って、

 

「安心しなよ、別にひとりで出歩いたからって、取って食われるような場所じゃないから」

「そんな心配してないけど……」

 

 言葉を切り、少し迷って、おずおずと尋ねる。

 

「なにか、気を付けるべきマナーがあったりする?」

「常識的な範囲で普通に過ごせば、なにも問題はないよ」

「ソウマさんからすればそうかもだけど、ほら、都会のローカルルールみたいなのがあるとか」

「なにそれ」

 

 矛盾した造語にソウマが吹き出した。

 顎に指を当てて少し考える仕草をしてから、彼は面白そうにマヤへと尋ね返す。

 

「うーん、そうだな、『東京の人なら』とか『都会の人なら』っていう表現はよく聞くけどさ。そもそもなんで都会ってこんなに人がいるんだと思う?」

「それは……、人が集まる施設がいろいろとあったり、街とか商業が栄えているから」

「そうそう。そういう理由があって、地方から人が集まってきた結果が都会の賑わいなわけ」

「つまり?」

「都会の人っていうのは、実はだいたい、田舎者」

 

 それは屁理屈では? と思わず首を捻るマヤだった。

 

 ソウマといったん分かれたマヤは、ペアシートの個室から本棚のある大部屋に戻ってきた。木目調の床に白い壁、柔らかい照明。さりげなく置かれている緑の観葉植物はイミテーション。内装は全体的にこざっぱりとした印象である。

 視界に入る客の数は三人ほど。本棚の陰にまだいるかもしれないが、それでも数人だろう。ただ、入店のときのタッチパネルでは利用中となっていたブース番号が目立っていたから、個室にこもっている人はもっと多いのかもしれない。

 

 壁のように並び立つ漫画の背表紙を前にしながら、マヤは足を止めて考える。

 もしこの店が『捕食者』の『狩場』だとしたら、彼女はどこで『獲物』を見定めるだろうか。

 

 個室のブースからは難しいと思う。それぞれの席に仕切りがあるし、本棚がある部屋とは廊下を挟んでいるから、大部屋の利用客を直接は見ることができないはず。

 相手の顔や身嗜み、漫画選びの趣味を観察したいなら、やっぱり自分も本棚のある場所を基点に行動する形になるだろうか。そう考えて、マヤはその場から周囲を見回してみる。

 

 読みたい漫画を探している風を装えば、本棚のあたりをうろうろしていてもそうそう怪しまれることはないと思う。だからといって、お眼鏡にかなう男子が現れるまでずっとそうしているのはどうだろう。どこかに腰を落ち着けられる場所はないものか。

 大部屋の隅の壁沿いに、オープンタイプのブースがあった。仕切りのない長テーブルに丸椅子が一定のスペースで並んでいる。近づいてみると、ブース番号の数字がどこにも割り振られていないことがわかる。壁ありの個室とは違い、端末で利用設定をせずとも誰でも座れる場所のようだ。

 

「うん、ここかな……」

 

 ブースの端の丸椅子に座ってみた。首を少し捻れば本棚の周辺を視界に収めることができる。立ちっぱなしよりはよっぽどいいだろう。それこそ本棚から漫画を借りてきて、座って読みながらじっくりと好みの人物を待つことだってできるわけだし。

 

 問題は、もしそうだとしても、この場になにか手掛かりは残っているのかということ。

 

 今、マヤの他にオープンブースに座っているのはひとりだけ。イヤホンを着けた男子が黙々と漫画を読み続けている。物語に集中しているようでマヤのほうに視線を向けることもない。性別も当てはまらないし、ササジマの件とは特に関係のない一般客だろう。

 長テーブルの上をざっと眺めてみたが、気になるものは見当たらない。ならば下のほうはどうかと、靴を履き直すフリをしながらテーブルの下を覗き込んでみたが、そちらも空振り。床に目立ったゴミやホコリも見えないことから、おそらく定期的な清掃が行われている様子。こびりついた靴跡の黒ずみが残っている程度で、落とし物や監視装置のようなものは当然見当たらない。

 

 マヤは改めて『彼女』の行動を想像してみる。

 

 この場所に座った彼女は「これは」と思える男性が現れるのを待ち構える。ある程度の長期戦は想定しているだろう。この店の料金設定なら長居するにしてもコストはたかが知れている。ドリンクバーで飲み物を調達したり、待ち時間に読む漫画をテーブルに山積みにしていたかもしれない。姿を隠す必要もなく、漫画喫茶の利用客として堂々としていればいい。

 そしてようやく、彼女のお眼鏡にかなう男(……想定として、ササジマの姿をしている……)が現れる。その容姿や漫画を選ぶ様子を観察して、「この人ならば」と頷いた彼女は……。

 

「そこから、どうする」

 

 目的はササジマを例の部屋に連れ込むこと。

 たとえば、声を掛けるとか? いや、そもそもササジマは部屋の中で出会った女性を初対面と認識したのだから、部屋の外での接触はなかったのかも。声掛け役の共犯者がいた可能性はあるかもしれないが、それにしたって漫画喫茶でいきなり見ず知らずの人間に話しかけられでもしたら、ササジマだって相応に警戒しそうなものだ。

 

 となると、ターゲットに目星を付けたあとにするべきことは、まず彼の指定した個室を特定することではないか。漫画を選び終わったササジマが自分のブースに戻る。そのあとを尾けていくくらいなら誰かに怪しまれるということもないはず。はたから見れば彼女自身も自分の個室へ戻っていくように見えるだけだろう。

 そうやって彼の居場所を特定したあと、じっくりと次の行動に移ればいい。

 

「でも、それならこの席に特別な痕跡とかは残ってないのかも」

 

 なにしろ、この場での彼女の行動は普通に漫画を読みながらその時を待つだけなのだから。

 あまりにも長時間この場で網を張っていたようなら、もしかしたら店舗の従業員が記憶に留めているかもしれないが……。正直、期待は薄そうだ。基本の利用料金が3時間パックになっているあたり、何時間も居座る利用客というのも別に珍しいことでもなさそうだから。

 

 ひとまずそこで思考はどん詰まり。

 そのあと、ひと通り店舗の中を歩き回ってみたが、新たにピンと来るものもなく、マヤは小さくため息をこぼした。ここ数日なにかおかしなことがなかったか、いっそ店員に聞き込みでもするべきだろうか。そんなことも考えたが、一般大学生のマヤにはそうするための口実も浮かばない。

 

「お手上げかなぁ」

 

 本棚の大部屋まで戻ってきて、大きく伸びをしながら独り言ちる。だいたいにおいて、この店が本当に『狩場』なのかも、ササジマの出会った女性が本当に『捕食者』なのかも、確実なことはなにも言えないのだ。ああだこうだと考えてみてはいるが、それらが全部空振りの可能性だって当然ある。

 ソウマであれば「調査なんてだいたいがそんなものだよ」とか軽く言うのだろうけれど。そもそも頭脳労働よりも肉体労働、もっといえば武力行使が得意技なマヤである。ぐるぐると出口のない問題を考えていると、そのうち頭が疲労感に包まれてぼんやりしてしまう。

 

 前世の経験も役に立たない。

 勇者ちゃんはマヤをも上回る猪突ガールなのだ。

 

 結局、30分もしないうちにマヤはペアシートの部屋に戻ってきた。

 ソウマの姿はまだない。店内でも行き会わなかったが、まだどこかを調べているのだろうか。ロングソファにどさりと腰を下ろしたマヤは、ぐりぐりと頭の横を指で揉み解す。

 

「やぁ、ただいま」

「ん、おかえり」

 

 数分ほど遅れてソウマが戻って来る。その頃にはもう、マヤはソファに沈み込んで完全にリラックスした状態になっていた。どう考えても小さな個室なのに、妙に居心地がいい。そういう効果を狙って内装を設計しているのだろうか。気を抜いたらそのうちストンと眠ってしまうかもしれない。

 

「漫画?」ソウマが腰を下ろしながら言う。「けっこう借りてきたね」

「うん、せっかくだから」とページを捲りながらマヤは応える。

 

 モニターの脇に置いたプラスチックの手提げかごにも、マヤが選んできた漫画がストックされている。いろいろと目移りしてしまい、それぞれ違うタイトルの一巻が六冊も入っている。ちょっと読んで肌が合わなければ戻して来ようと思ったのだけれど、全部に目を通す時間は果たしてあるだろうか。

 

「なんか、探偵ものばっかりだね」

「そういう気分」

 

 ソウマの体重分だけソファが沈み込んで、マヤの身体がちょっぴり傾く。ちらりと紙面から顔を上げて、想定よりも近距離にあった彼の顔を見つめる。

 

「ソウマさんも読む?」

「いや」手提げかごを覗き込んでソウマは首を振った。「どれも読んだことがあるな」

「探偵漫画が好きなの?」

「どうだろう。読んだときは、僕も『そういう気分』だったから」

「……ひょっとして、探偵のアルバイトを始めたあとのこと?」

「そうだね。もう何年も前だけど」

 

 微笑みながらソウマが頷く。まぁ確かに、アルバイト経験者が自分の関わっている職業の物語を読んでみたくなるのは、探偵に限らずともありそうなことだ。

 ソファに腰を落ち着けたソウマがポケットからスマートフォンを取り出した。画面をタッチしてなにやら操作を続けている。他人のスマホを盗み見るのはマナー違反だとわかっているけれど、この距離だと画面が見えてしまうのも不可抗力。

 

「写真?」

「うん。さっきそこで撮ってきた」

 

 覗きを気にするでもなく、ソウマがスマホの画面をマヤに向けて傾ける。

 肩を寄せ合って、二人でひとつの画面を覗いている格好になった。

 

「なんだろう、文字かな。読めないけど」

 

 濃い茶色の背景に、黒の筆字らしきものが薄っすらと書かれている。

 文字数は多くない。たぶん、三文字か四文字くらい。たぶんなのは、ミミズがのたくったような文字のせいで、文字と文字との正確な切れ目がよくわからないから。

 もしかしたら、文字ではなくてひとつながりの記号なのかもしれない。

 

「一人用の個室の扉に書かれていたんだ。書かれていたのが隅のあたりだし、壁紙の木目に紛れていて、注意して探さないと見逃しちゃいそうな感じだった」

「そんなに大きくないよね。ただの落書きじゃないの?」

「わからない。僕にも読めないから」

 

 ソウマが困ったように片目を斜めにした。

 

「今から詳しそうな人に送ってみるところ」

「それって?」

「ランカさん。そもそも焚きつけてきたのもあの人だしね。ちょっと働いてもらおう」

 

 そう言って画像を送信してから、ソウマはソファの端に置いておいた漫画を手に取った。彼が選んで持ってきた一冊のようだ。見覚えのないタイトルで、表紙の絵柄はすらりと端正。

「しばらくは返信待ちだね」と彼も漫画のページを開く。

 

「その漫画、どんなお話?」

「小説のコミカライズ。原作は読んだことがあるんだけど、どう漫画化されたのか気になって」

「ジャンルは」

「……推理小説。探偵もの」

「そういう気分だった?」

「そういう気分だったね」

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