自身の領域に起こった変化に『彼女』はすぐに気が付いた。
外界とは位相をずらした場所に存在する、『例の部屋』に人の気配が現れたのだ。
予定外ではあるが、予想外ではない。入り口として指定した扉の場所を考えれば、いずれ迷い人が現れるであろうことは当然に予想できていた。遅かれ早かれ、というやつだ。
彼女は横たえていた身体を気だるげに起こすと、胡坐をかき、瞼を閉じて、意識を『部屋』に飛ばす。透過する鳥になって天井から俯瞰するかの如く、この場から離れた場所にある『部屋』の内部を掌握する。その間、五秒と掛かっていない。
「ふむ?」と彼女は無意識に声を漏らした。
部屋の中に人の姿があったのは予想通り。しかし、それが男と女の二人組とは思わなかった。
迷い込んでくるとしたら、個室の様子を見に来た従業員あたりではないかと考えていたのだが。
透視した男と女はどちらも私服。制服を着ているであろう従業員とは明らかに別種の迷い人。
彼女は瞑目したまま考える。さて、どう対応したものか。
迷い込んだのが男だったら、彼女自身が『部屋』に出向くことも考えていた。
迷い込んだのが女だったら、密かに鍵を開けてそのまま出ていってもらうつもりだった。
では、両方の性別が一度に迷い込んだときは……?
「図らずとも舞台に役者が揃ったと。であれば、座して見るのも一興か」
閉じ込められた二人組の絶妙な空気感を透視して、彼女の内に悪戯心が湧きあがった。
もとより男女の営みを想定して作り出した部屋なのだ。彼らがどういった偶然で迷い込んだのかはわからないが、あの大仰な看板を見れば『部屋』の
さすればあとは二人の感情次第。
睦み合うならそれも良し。若々しい
肌を重ねることを拒むのであれば……、まぁ、干からびる前に鍵を開けてやろうか。
下手に死人や重病人を出して、騒ぎを大きくすることは彼女の本意ではない。
静かに、密やかに、慎ましやかに。そもそもがそういう意図を持って設えられた舞台なのだ。
理想でいえば、部屋を訪れた誰も彼もが、その経験を一夜の幻と思ってくれるのが都合良い。
だからこそ、女房役として彼女自身も舞台に上がる形を基本としているわけだが……。
今回のような事態も『テストケース』の一環とすれば、成り行きを見守って損はあるまい。
そういう理屈が立つのであれば、『あの者』とてよもや文句は無いだろう。
「うむ、そうじゃそうじゃ。そうと決まれば、茶請けのひとつでも準備しようかの」
迷い人への対応方針を決めた彼女は、瞑っていた目を開いて立ち上がった。
透視が途切れて『部屋』の様子がわからなくなる。しかし、直前の男女の雰囲気を鑑みるに、いざ本番となるにはもう少し時間が掛かることだろう。それまでにちょっとした鑑賞環境を整えてしまう腹積もりだった。
出歯亀根性?
否、これは領域の主として迷い人を見守るという、義務であり、特権である。
「ふふん、せっかくじゃ、秘蔵の玉露と煎餅を……」
などと浮ついた気分で、彼女は畳部屋の戸棚に歩み寄る。
その直後、彼方で花火のような音が轟き、彼女の領域が悲鳴をあげた。
………
……
…
ずん、とお腹に響く低い音。
扉を蹴りつけた右足を通して、びりびりと衝撃の余波が伝わってくる。
「……うん、だいたいわかった」
マヤは小さくそう呟いて、頷きをひとつ。
左の軸足を微調整。右の腿を持ち上げ、スタンバイ。
片足立ちで鋼材の扉を見据える。必要なのは適度なパワーとちょっとしたコツ。普通にやったら蹴破れないような扉でも、構造上弱点となる場所は必ずある。そこさえ把握できたなら、あとは打ち込みの角度を工夫して、与えた衝撃のベクトルがそこに集中するようにするだけだ。
狙いを定める。
右腿のテンションを意識する。
イメージは引き絞られた弓の弦。
長く息を吐き、短く吸って、止める。
四肢に力が満ちる。
ぴりぴりと空気が張り詰める。
「ふっ」
短い吐息とともに、右足を矢の如く扉に叩きつけた。
鋭い風切り音。僅かな間もなく、金属質の轟音が響く。
返ってくる衝撃はさっきよりも小さい。マヤの身体から撃ち出された力の流れは、扉の分厚い鋼材を突き抜けて、その陰に隠れた蝶番を穿ち貫いている。
ぎちり、と金属の歪む音。
押しても引いてもびくともしなかった金属扉が僅かに傾き、壁との接合部に細い隙間を作る。
「いまいち」
予想よりも変化が小さい。打ち込みの計算をちょっと間違えたかも。
とはいえ、その程度は誤差も誤差。
伸ばした右足をもう一度引き寄せて、再び前蹴りの構えを取る。
工事現場の鉄球クレーンみたいなものだ。
軸となる左足は支柱のように。
力を伝える体幹はしなやかに。
そして、破壊を齎す右足は、重く、鋭く、正確に。
「ていっ!」
許容値を超えた衝撃が蝶番を再び襲う。金具がひしゃげ、固着具が弾け飛んだ。
絶叫のような金属音が轟く。
支えを失くした扉が、水平方向に勢いよく吹き飛んでいく。
扉はスピンして、バウンドして、角を豪快に床にぶつけて、最後には床にばたりと倒れた。
「……よし」
蹴破った扉が静止するのを確認してから、マヤは息を吐きながら右足を下ろした。目の前にはさっきまで扉が塞いでいた空間がぽっかりと口を開けている。どうやら『部屋の外』はちゃんと存在しているようだ。その点についてはひと安心といったところ。
「お待たせ、ソウマさん。これで外に出られるみたいだよ」
「……すごいな、試しにやってみてとは言ったものの、本当になんとかしちゃうとは」
マヤが部屋の中を振り返ると、目を丸くしたソウマが驚きを滲ませながらそう言った。
結局のところ、マヤもソウマも見られて喜ぶような性癖は持ち合わせていなかったわけで。
誰かに覗かれているかもしれない状況で、互いの肌を曝け出すだなんて、避けられるのなら避けるに越したことはないと同意したからこその強行策である。
「頑張ったから」とマヤは胸を張る。「でも、そこまで驚くようなことかな」
「いやいや……。正直、こんなにあっさり突破できるとは思ってなかったよ。確か、夢で見た勇者ちゃんだって鍵付きの扉を開けるときは正攻法がほとんどじゃなかった? こういういかにも頑丈そうな扉を蹴破るところは見た記憶がないけれど」
「それはそうだよ。だって、あっちの世界の扉っていえば、怪物に破られないように作るのが基本なんだから。あくまで人間の腕力を基準に作られてた、そこの扉とは前提から違うもの」
「普通はその想定で十分のはずなんだけどなぁ……。可哀そうに、相手が悪かったか」
破壊された扉の残骸を眺めながら、ソウマが合掌のポーズを取った。
ちなみに彼の言う『勇者ちゃん式正攻法』というのは、鍵を保管している宝箱を探してこじ開けるか、鍵を守っている怪物を叩き斬って強奪するかの二択のことである。……本当に正攻法と言っていいのかな、それ。
「それで、このあとはどうするの? 扉から出たら元の場所に戻れるのかな」
「うーん、実のところ、僕は元いた場所がどこなのか、はっきりと思い出すことができていないんだけど……。扉のあったとこから見えてる景色は、どうも馴染みのない感じがするんだよね」
「うん、私もそんな感じがする。となると、部屋の外は別の場所に繋がってるのかな」
「あるいは、元の場所に戻るには、壊しちゃった扉そのものが重要だったのかも」
ソウマのその呟きを聞いて、不意に断片的な記憶が頭に浮かんできた。木目調の扉の片隅に解読不能な紋様が描かれていた映像記憶だ。断言はできないが、その紋様こそが空間を繋ぐ目印だったというイメージがある。
もしかしたら、蹴破った扉にはその対となる紋様があったのかもしれない。それならササジマがあの扉を通って『部屋』から脱出したと証言していたことにも筋が通る。
「……扉は壊しちゃったけど、紋様の方はまだ機能するかな」
「どうだろう。もし扉の開閉が起動条件になっているなら、建付けから直す必要があるかも」
さすがにそれは、ちゃんとした工具がないと無理だろう。
この世界に存在する大体のものは、壊すことよりも直すことが難しい。そんなありきたりの格言が頭に浮かぶ。
ご説ごもっとも。だけど、一度は壊してみないと始まらない話もあるでしょう?
「でもまぁ、どうせなら戻る前に調べられるところは調べておきたいと思ってたところだし、すぐに戻れないにしても、それならそれで……」
「あ。ソウマさん、待って」
ソウマが壊れた扉の跡から部屋の外を覗こうと首を出す。その瞬間、マヤはその襟を掴んで、彼を室内に引き戻した。「うぐ」とソウマが呻き声を漏らす。
直後、寸前まで彼の頭があった位置を茶褐色の大きな物体が高速で掠めて落ちていった。物体はそのまま地面にぶつかって重たい音を立てる。部屋の外の床にめり込んで、その場にクレーターができる。
「ハンマー?」マヤは呟く。「ううん、ちょっと違う感じ」
「けほ……。なにがどうなって……」
咳き込むソウマの襟を掴んだまま、マヤは室外の凶器に目を凝らす。
床を穿った茶褐色の物体は、しばらく静止したあと、ずるずるとクレーターから這い出してきた。室内からの照明がその輪郭を照らす。それは、茶色い植物の集合体だった。人間の腕ほどの太さの樹の根が複雑に絡み合って球形になっている。
「うわ、過激な歓迎だなぁ」とソウマが顔を顰める。
ぱきぱきと乾いた音が続いている。樹皮が擦れて剥離しているようだ。球形を作っていた根っこの群れは、いまやその絡まりをほどいて、床を這いながらいずこかへと戻っていこうとしている。
「私が追いかけてみる。ソウマさんはここで待っていて」
「わかった……。けど、気を付けて。なにかあったらすぐに呼んで欲しい」
「うん、大丈夫だと思うけど、手を借りたいときは大声出すから」
ちらりとポケットのスマホを見るも、表示は圏外。
連絡手段は原始的な方法に頼るほかなさそうだ。
マヤは部屋から飛び出した。
壊れた扉の先は、板張りの廊下。和風の建築様式で時代劇の武家屋敷みたいなイメージ。
廊下は左右に続いているが、樹の根の群れは左の方向に戻ろうとしている。
迷わず左の廊下に駆け出した。天井にも壁にも照明は備え付けられていないが、不思議と暗さを感じない。光源があるわけではないが、空間そのものが視界を保証しているような感覚だった。
蠢く樹の根は、まるでイソギンチャクの触手のようで、生物的に揺らめきながら移動している。
廊下の左右には閉め切られた襖が続いている。どの襖にも白と紺で山の柄が描かれている。まったく同じ柄がどこまでも続いているせいか、遠近感が狂いそうな感じがする。襖の向こうの空間は無音で、なにがあるのかは開けてみなければ窺い知れない。
廊下の奥の方で影が閃いた。
瞬間、床を蹴って横に飛ぶ。襖を破って隣の空間へ。
畳敷きの和室だった。微かにイ草の香り。
さっきまでいた廊下に、濁り色の洪水が殺到した。
捩じり、絡まり、壁となった樹の根の群れ。
まるで暴走する樹木の列車。廊下を線路に見立てて一直線に障害物を薙ぎ倒していく。
建物を構築する木材がけたたましく破断する音が響く。
マヤは前方に向かって畳部屋を駆ける。
すぐ隣の廊下からは断続的な破砕音。いくつもの襖が破かれて、蠢く樹皮が顔を覗かせる。
視られているな、という感覚。
産毛のように細い根毛たちがマヤの動きをトレースしている。
「でも、やってくることはわかりやすい」
廊下から樹塊の鞭が飛び出す。
腕ほどの太さの根が三つ編みになっている。
強靭でしなやかなフルスイング。
低い。
狙われたのは膝。
笛のような風切り音。弧を描く軌跡。速度ゆえに霞む先端。
しかし、魔王の剣と比べれば、あまりに単調。
マヤは畳を蹴った。
前進の勢いはそのままに、斜めに跳躍。
浮き上がった身体の足元を樹塊の薙ぎ払いがすり抜けていく。
全身で風を切って、鋭く着地。
背後で鞭が柱に激突する音を聞きながら、滑るように前進を再開。
屋敷が揺れた。
畳を突き破り、天井を抉じ開けて、四方から歪な樹木が現れる。
のたうつ樹木がマヤを打ち据えんと一斉に迫る。
その光景に、彼女は子竜の尻尾を連想した。
デタラメで、感情的な、種族としての出力に頼っただけの稚拙な攻撃。
そう、まるで癇癪を起こした子どもみたい。
「焦ってる、というか、怯えているのかな」
背後からの一閃を振り向きもせずに躱す。
真横からの一突きを速度の緩急だけですり抜ける。
正面に立ちはだかる編み込みの枝壁を、僅かな隙間を見つけて潜り抜ける。
マヤは止まらない。この程度では止められるはずもない。
部屋を駆け抜ける。
床の下から振動。畳がめくれ上がった巨大な樹木が壁となる。
寸前で鋭角にステップ。
破れた襖から廊下に戻る。
廊下の最奥が見えた。両開きの鉄扉が待ち構えている。
息を止める。
集中。
眼前の板張りの床が膨らむ。
床下から障害物が突き出る前兆。
それが弾けるより早く、ギアを上げて駆け抜ける。
視界が狭まる。
音が遠ざかる。
加速した視界が左右の景色を引き伸ばす。
殺到した樹木の腕は、すべて背後に突き刺さった。
轟音。舞い散る木片。
相手は速度のギャップに対応できていない。
慌てて追いすがる樹塊たちを置き去りに、マヤは鉄扉の奥へと飛び込んだ。
………
……
…
「ええい、かくなる上は逃げも隠れもせん! 煮るなり焼くなり好きにするがよいわ!」
ソウマの眼前に座るその女は、堂々と腕を組んでどっかりと床に胡坐を組んでいた。
仁王立ちならぬ仁王座りとでも言うべきか。ただし、よくよく見れば身体が小さく震えていて、虚勢を張っているのも丸わかりだったが。
「えっと、屋敷の奥に辿り着いたらこの人がいてね。顔を合わせたあとは特に抵抗もされなかったから、とりあえずここまで連れてきたんだけど……」
「うん、それはわかった」マヤの言葉にソウマは頷く。「一応聞いておくけど、手を出したりはしていないんだよね?」
「もちろん。普通にお願いして、普通に歩いて来てもらっただけだよ」
困り顔で頬を掻くソウマに、マヤは当然とばかりに大きく頷いた。
ソウマとマヤと、連れて来られた女。今、三人が集まっているのは『S〇Xしないと出られない部屋』だった。(……正確には『S〇Xしないと出られないはずだった部屋』だろうか……)
ソウマを置いて部屋を飛び出したマヤは、十分もしないうちに部屋に帰ってきた。
彼女が出ていってから最初の数分は、部屋の外からとんでもない轟音が響き続けていて、そのうちそれがぴたりと止んだものだから、ひとり部屋に残されたソウマとしては気が気でなかった。
マヤの身体能力と勇者ちゃんの経験は信頼しているが、それでも心配なものは心配なのである。
もっとも、終わってみればマヤはまったくの無傷。けろりとした顔で『捕食者』と思しき女性を連れ帰ってきた彼女の姿を見て、ソウマはほっと胸を撫でおろしたものだ。
「あの状況でついて来いと言われて、断れる者などおらんて……。井の中の蛙が蛇に睨まれたようなものなのじゃ」
「それって、誰が蛇?」女のぼやきにマヤが無表情で首を傾げた。
「なんでもない、言葉の綾じゃ!」
床に座ったまま女が大袈裟に竦みあがった。別にマヤは圧を掛けたわけでもなく、デフォルトの表情で単純に疑問を口にしただけなのだが……。さすがに初対面では、その辺りの微妙な差異を見分けられないのも無理ないか。
さて、ともかく問題はこの女性のことである。
このままでは話が進まないので、彼女を宥めてどうにか対話の形に持っていく。
女性は、日本人らしい容貌で、金髪のロングヘア。実年齢は不明だが、ひとまず見た目は若々しい。二十代前半くらいというのがしっくりくる。ササジマの語っていた容姿とも一致している。
証言との相違点といえば、まずは言葉遣い。古風というか、ずいぶんと時代がかった言い回しだ。今時、こんな口調は高齢の老人でも珍しいだろう。服装もちょっと変わっていて、幾何学模様をあしらったカジュアルな着物を纏っている。これまた一般的な『ギャル』の装いとは言い難い。
そして、最後に頭の上。
そこにぴょこんと飛び出ているのは、ひょっとしなくても狐の耳だろうか。
「ふぅん。やっぱり、人間じゃない感じ?」とマヤが尋ねる。
「うむ。その通りじゃ。……一応聞いておくが、お主もそうじゃよな?」
「え? なんのこと?」
「いや、じゃから、お主も人間ではないんじゃよな、って……」
「私は人間だけど?」
「……は?」
金髪の女が呆けた顔で目を丸くした。
その気持ちは、まぁ、わからないでもないか。
「まぁまぁ。そこはひとまず置いておいて。あなたには聞かせてもらいたいことがあるんだけど」
「ぐぬ……、わかった。わしに答えられることななんでも答えよう。じゃから……」
「答えたら、殺さないでくれって?」マヤが淡々と言う。
「いきなり物騒なことを言うでない! ……いや、まぁ、煮るなり焼くなりとは言ったものの、わしとて若い身空で儚くはなりたくないのは確かじゃが……」
「たとえばの話なのに、そんなに怯えなくても」
「本当に殺したりするわけないでしょ」とマヤは口を尖らせているのだが、どうもあまり信じてもらえていない様子。つい先ほど彼女に追い詰められたのが、強烈な経験となって女の頭に焼き付いてしまっているようだ。
しかし、それも仕方のないことなのかもしれない。前世のこととはいえ、命のやり取りが日常の世界で死線を潜り抜けてきた戦士だなんて、現代日本ではそうそうお目にかかれないタイプだろう。その経験値を十全に生かせる身体能力を持ったマヤに追いかけられたりしたら、そりゃあ生きた心地もしなかったに違いない。
「でもさ、実はそっちもけっこう殺意が高かったよね?」ソウマがジト目で女を見る。
「そこを突かれると痛いのじゃが……。いや、最初はな、扉を破られてびっくりしただけなんじゃよ。お主らが部屋から出ていきそうだったから、咄嗟に手が出てしまって……」
「それが最初にソウマさんを狙ったハンマーね。うん、確かに殺気もなにも籠ってなかったけど、そういうことだったんだ」
女の説明にマヤが納得したように頷いた。
もっとも、殺気がどうのと言われても、ソウマにはいまいち理解できないのだが。
「そのあとは? ここからでもすごい音が聞こえてきてたけど」
「……正直、なりふり構わずじゃった。手加減とか考える余裕もなかったわ」
「どうして?」
「こ、こやつがおっかなかったからに決まっておろうが……っ!」
そのときの心境を思い出したのか、女は涙目になってマヤを指差す。
「なにをどうやっても止まらないで近寄って来るし、ホラー映画かなにかかと思ったのじゃぞ!」と力説するも、当のマヤはきょとんとした表情。本人としては、相手が仕掛けてきた妨害に対処しただけで、特に怖がらせるようなことはしていないつもりなのかもしれない。とんだ天然さんだ。
「うん、まぁその点は同情するけどね。さて、それはさておき、なにから聞かせてもらおうかな。とりあえず、そちらの名前は?」
「……今さらじゃが、なんでお主が仕切っておるんじゃ?」と不満げな女。
「なにか問題がある?」すかさずマヤの援護射撃。
「別に僕じゃなくて彼女から直に聞いてもらうのでもいいけど」ソウマもしれっと言ってみる。
「ぐぬぬ……。わかったわかった、余計な口出しじゃったわ」
床に座る金髪の女が、大きくため息をついて両手を挙げた。
縮こまってびくついていたときよりは緊張がほぐれている様子だった。このくらいのほうが話を聞くにしてもやりやすいだろう。マヤの武力がある種の威圧になっている点は変わりないのだし、素直に嘘偽りのない情報を吐き出してくれれば御の字というものだ。
「わしの名は、シヅノ。ヤマガミ・シズノじゃ」
そう言って彼女は「よっこらせ」と胡坐の体勢から立ち上がる。
頭から突き出た大きな耳の後ろあたりをガシガシと掻いた彼女は、眼前のソウマとマヤに向けて、やけっぱちとも取れる笑みを浮かべてみせた。
「見ての通り、妖狐の血筋。ド田舎からノコノコと街に出てきた、しがないおのぼりさんじゃよ」