夢魔さんは眠りたい   作:子守家守

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勇者ちゃんは眠れない(3)

 そもそも大した期待はしていなかった。

 生きているなら眠らなければならないし、眠ったのなら夢からは逃げられない。

 ましてやその夢が、()の記憶に深く結びついたものならば。

 

 私の心を占めていたのは、半分の諦めと、四分の一の小さな期待。

 残りの四分の一は親身になってくれたクリニックの先生への義理立てだった。

 

 1か月の間、ずっと見続けている夢。

 その内容は目を覚ました後でもはっきりと頭に焼き付いている。

 記憶として知っているのではなく、体験として覚えている。

 

 夢の中の私ではない私が、

 産まれて、生きて、死ぬまでのすべてを。

 触れて、聞いて、感じて、思ったことのすべてを。

 両親の厳しさも、剣を握った感覚も、魔法を唱えた興奮も、

 他人の命を奪った瞬間の暗い達成感も、自分の命を失う瞬間の喪失感も、なにもかも。

 

 ――私ではない私は、勇者だった。

 

 悪夢だとは思わない。

 夢に見る前から、私は記憶としてそれを知っていた。

 ただ、それを体験するようになっただけ。

 

 だけど……。

 私ではない私が死んだ瞬間、私はいつも目を覚ましてしまう。

 眠り続けることができない。

 眠りなおすこともできない。

 ベッドの上に座り込んで、暗い部屋の中、じっと朝を待ってしまう。

 

 子どものころから続いた厳しい鍛錬。

 遠い父祖から引き継いだその血に流れる宿命。

 長く苦しい旅路。荒野を歩く足の感覚。初めて見た海と潮風の香り。

 剣を振るい、魔法を唱え、血に濡れて、傷を負って、それでも生き延びて……。

 

 最後の瞬間、

 私の剣が魔王を貫いて、同時に、魔王の剣も私を突き刺して、

 湧き上がる喜びと、耐え難い痛みを全身に感じながら、

 命と旅が、一緒に終わる。

 

 目を覚ました私は、泣いたり、震えたり、怒ったり、ときどき笑ったりしながら、

 勇者の夢を、勇者の記憶を、勇者の生と死を、何度も繰り返し思い出す。

 そうしているうちに、滑車みたいな太陽が昇って、いつの間にか気怠い朝がやって来ている。

 

 それが、この一か月の私のルーティーン。

 

 だから、そう、私は大した期待はしていなかった。

 クリニックの先生に紹介された、不眠を治す天才だとかいうひと。

 ソウマと名乗って、歓楽街のホテルで待ち受けていた、ショートポニーの男。

 案内されたベッドは想像以上にふかふかだったけれど、彼の手法はむしろ古典的で。

 たとえ眠れたとしても、また同じ夢を見て、朝になる前に目を覚ましてしまうのだろう、と。

 私はそう思っていた。

 

「おやすみなさい、ヤマノ様」

 

 目を閉じる。

 近くから彼の声が聞こえてくる。

 男の人に眠っているところを見られるなんて、初めてのシチュエーションでは?

 いまさらになってそんなことを思いつく。

 

 瞼の裏の暗闇を見ていると、彼に手首を掴まれた。

 割れ物を扱うような柔らかな手つきで、手首の細いところを温かく包み込まれる。

 脈を取ると言ってたけれど、そんな気配もなく。

 ただずっと、そのままで……。

 

 …………。

 あれ?

 本当に、そのまま時間が過ぎていく。

 ベッドの脇の彼は何も言わないし、何もしない。

 シックなホテルの部屋は海のような静けさ。

 聞こえてくる呼吸と心音が波のよう。

 見えるのは瞼の裏の黒。

 真っ暗で、たまに瞬いて、ときどき揺らめく、海の底。

 手首を包む彼の指にいやらしさは感じられない。

 ただそこにあるのを感じるだけ。

 なぜか、小舟のよすがを連想した。

 

 どうしたのだろう。

 まさか、ずっと、このまま?

 だって、彼がしたのは、部屋に案内して、手首を握っただけ。

 たったそれだけで眠れないのが治るはずもないのに、まさかそんな。

 

 不信の気持ちがじわりと広がる。

 ベッドの温かさと気持ち良さに反して、頭がだんだんと冴えてくる。

 海の底から浮上する感覚。

 波間から顔を出すように空気を求めて、思わずあくびが漏れていた。

 それを恥ずかしいと思うだけの頭の余裕もできている。

 

「んっ!」

 

 前触れもなく、目を開く。

 瞼の裏の真っ暗な海が消え去って、客室の白い光が目に入る。

 横倒しになった視界には、変わらず彼の澄ました顔。

 縦と横、二方向からの光がそれをほんのりと照らしている。

 

 ……?

 光が、二方向から?

 

「おはよう、ヤマノさん」

「おはよう?」

 

 疑問形の挨拶とセットで上体を起こす。

 天井からは照明の光。ベッドの上で真っ直ぐになった視線を横に向ければ、窓際のカーテンの向こうから眩い日射し。

 

 夜は、もう明けていた。

 夢は、まったく見なかった。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

「おはよう、ヤマノさん」

「おはよう?」

 

 そう言ってソウマは狐に抓まれたような顔で目をしばたかせるヤマノの手首を離した。

 身体を起こした彼女はカーテンを透かして窓の向こうの朝日を眺めている。ソウマからは横顔しか見えないが、寝ぼけと驚きの入り混じった表情がヤマノの顔には浮かんでいた。

 たっぷり30秒は窓の外を見ていただろうか、ぱちくりと瞬きをした彼女が振り返る。パジャマ姿でベッドの上にぺたんと座った彼女は、傍らに立つソウマを見上げて目を丸くしている。

 

「気分はどうですか?」

「……すごく、すっきりした感じ。びっくりするくらい頭がはっきりしてる」

「それは良かった。よく眠れたみたいですね」

「うん、そうみたい。眠ってたのもわからないくらい眠ってた」

 

 客室備え付けの小さな冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してヤマノに手渡す。彼女は白い喉をこくこくと動いて水を飲み始めた。斜めになった顔が朝日に照らされる。唇のかさつきはまだ残っているが、瞳の充血はほとんど治まっていた。頬の血色も良い。なにより、声と動作に張りがある。

 

「ありがとう。お水って、こんなに美味しいんだね」

「しっかり眠れて、喉も渇いてたんでしょう。きっと朝御飯もいつもより美味しいですよ」

「それは楽しみかも」

 

 水を飲み終えたヤマノがボトルの口を締めて一息つく。

 次の瞬間、鋭い加速度がソウマを引き寄せた。襟元を支点にして前のめりに身体が引き倒される。ジェットコースターみたいにぐるりとスピンする視界。ベッドの上に投げ出されて、仰向けの視界に天井が映る。

 意識の隙間を狩り取られたかのように、気づけばソウマはヤマノに馬乗りにされていた。お腹の上に小さなお尻の軽い体重。彼女の華奢な手で肩を抑えられる感覚。背中に感じるベッドのスプリングがやけに軋んだような気がする。

 

「あなたは、人間なの?」

 

 絶妙な力加減でソウマの自由をロックしながら、ヤマノが身体の上から尋ねてくる。焦点の合った緑の瞳にじっと見つめられる。その虹彩に不思議な燐光が見える気がした。

 ソウマが自分の状況を認識するのに十秒は掛かった。ぱちくりと目を動かして、それからヤマノにのしかかられた身体がまるで動かせないことを理解してから、彼は困ったように彼女と視線を合わせて口を開いた。

 

「僕が調べた限りでは、少なくとも、血筋の16分の15は人間だよ」

「……。……えっと、曾祖父?」

「高祖父だね。正確には高祖父母より上のどこかで()()()()らしいんだ」

「あなたの家族も、こういうことができるの?」

「いや、こんな体質になったのは僕だけだよ。親戚にも同じような人はいない。多分、これは、ご先祖様から引き継いだ時限爆弾みたいな感じなんじゃないかな」

「つまり、運が悪かったということ?」

「不運の一言で片づけるほど、悪いことばかりじゃなかったけどね」

 

「そう……」と呟いて、ヤマノが腕の力を緩めた。ソウマが肩に感じていた圧迫感が薄くなる。しかし、彼女は相変わらず彼のお腹の上に馬乗りになったままだ。パジャマ姿の女の子にのしかかられているだなんて、まぁまぁ妖しいシチュエーションだよな、とソウマはぼんやり思考する。

 

「ヤマノさんは、僕にそういう血が流れてるとか、わかっちゃう人?」

「どうだろう。目に意識を集中してみればなんとなく違和感を感じるかも、っていうだけ。はっきりとした確信は持てない。でも……」

「でも?」

「腕を握っただけで他人を眠らせちゃうのは、あんまり人間っぽくないと思う」

「それは、うん、ぐうの音もでない指摘だ」

 

 ベッドに寝転がったままお手上げポーズ。さらりとしたソウマの態度にヤマノが呆れたように目を細めた。別に彼女にしたって、お尻の下の男が人間の範疇から多少はみ出していても、それだけでどうこうしようというつもりもないのだが。

 微妙な沈黙。曖昧な空気。ヤマノの視線が室内をさまよい、ふとベッドの頭に置かれたデジタル時計に吸い寄せられた。時刻の表示は、8時40分。それを見た瞬間、たっぷり眠って明瞭になった彼女の思考に稲妻が走る。

 

「そうだ。今日、午前から授業を取ってるんだった」

「ぐぇっ」

「あ、ごめん」

 

 パジャマ姿のヤマノが座った状態から飛び跳ねて、そのままベッドの横に着地する。お腹を発射台にされたソウマが潰れた声で呻いた。続くヤマノの謝罪に、彼はひらひらと手を振って気にしないでとアピール。

 ほぅと一息ついた彼女は大きく伸びをして、それからキョロキョロと部屋の様子を再確認、昨晩着替えをしまったクローゼットにトコトコと近づいていく。壁際の取っ手に指を掛けた彼女はそこでひとまずぴたりと静止。くるりと振り返り、彼女に遅れてベッドから這うように降りてきたソウマをじっと見つめた。

 

「あの、着替えようと思うんだけど……」

「ああうん、わかった、僕は外に出ているから。ごゆっくりどうぞ」

「ごゆっくりしてたら遅刻しちゃうかな」

 

 真面目な顔でとぼけたことを言うヤマノを残して、ソウマは客室をあとにした。部屋を出たら扉を閉めて、廊下の壁に背を預けて肩の力を抜く。

 ふと全身の気怠さに気づく。眼鏡を外して眉間を揉んだ。もちろん、ヤマノにお腹をジャンプ台にされたのが響いているわけではない。倦怠感の原因は、眠っている間に溜まった疲労のせいだ。

 

 昨晩、ヤマノは夢を見なかった。彼女自身はそう思っているはず。

 それは、彼女の夢が彼女の意識に届かないようにソウマが堰き止めていたから。

 形としてはヤマノの代わりにソウマが彼女の夢を見たことになる。

 その夢の残滓が澱のように彼の内側に堆積している。

 

「よくもまぁ、こんなヘヴィな夢を抱えてひと月も耐えられたものだね」

 

 感嘆と称賛、それから呆れの入り混じった呟きが彼の口から漏れた。

 夢の中で刺された胸を無意識に撫でてしまう。

 客室の扉が遠慮がちに開いたのは、それから少したってからだった。

 

「着替え終わったよ」

「うん、お疲れ様。忘れ物はないかな」

「大丈夫」

「授業は間に合いそう?」

「この街の駅からは大学に行ったことはないけど、たぶん平気」

 

 昨晩と同じアーミィジャケットを羽織ったヤマノがほんの少し表情に不安を滲ませる。

 

「送ってあげようか?」

「送り狼?」

「そうそう、女の子に甘い言葉を囁いて、最後にはホテルに連れ込んじゃうわけ」

「Uターンだね」

 

 ソウマがおどけてそう言うと、くすりとヤマノが笑った。

 ホテルの廊下は白い光で照らされている。突き当りの窓が朝日を取り込んで眩く輝いていた。横向きの日差しにヤマノは包まれている。着替えついでに顔も洗ったのだろう、昨晩とは打って変わって顔色も良く、幼いながらも涼やかな顔立ちが光に映えている。黒のショートへアも艶を取り戻していて天使の輪さえ浮かんで見えていた。

 

 階段を降りて、二人並んでホテルから出る。夜中の喧騒で疲れ果てたかのように、朝方の歓楽街はしんみりとした静けさが漂っている。降り注ぐ日差しにヤマノが眩しそうに手をかざしていた。

 

「これ、渡しておくよ。眠れないようなら、また連絡して」

「……うん、ありがと」

 

 別れ際、ソウマは彼女に名刺を手渡した。書かれているのはホテルの電話番号。一見さんには公開されていない予約用の番号だ。立場上、ソウマはホテルのバイトスタッフで、彼の提供する()()もホテルのサービスの一環ということになっている。

 

「それじゃ、行くね。ばいばい、ソウマさん」

「ご利用ありがとうございました、ヤマノ様。またのお越しをお待ちしております」

「なんで最後になってまた敬語?」

「様式美というやつですから」

 

「変なの」と笑みを浮かべ、ヤマノは駅へ向かう通りに去っていく。

 しばらく歩いた後にくるりと振り返った彼女の表情は、今日の天気のように晴れやかだった。

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 東京は人間が多すぎる。ヤマノはいつもそう思ってしまう。

 満員電車に揉みくちゃにされ、噛んだ後のガムみたいに駅のホームへと吐き出された彼女は地下鉄の低い天井を仰ぎ見て露骨に顔をしかめた。快眠の余韻もそこそこに、気分はすでに下り坂。

 こんな一極集中、不効率の極みではないか。こんな風に前にも横にも自由に動けないほどの人を集めて、こんな逃げ場のない地下の空間に押し込めるだなんて……。まったく、もし街に巨大怪獣が現れでもしたらどうしてくれるというのだ。

 

 巨大怪獣? ふと頭をよぎった単語に、ヤマノは我がことながら驚いた。

 そうだ、怪獣だ。彼女は昔から怪獣が好きだった。それこそ東京に進学したら、最初の休日に都会の大きな映画館で最新の怪獣映画を見ようと考えていたくらいには。

 だというのに、なんたることか、この1か月でそんなささやかな希望すら彼女はすっかり忘れ去ってしまっていたのだ。言うまでもなく、上京直後から続いていた睡眠不足が原因なのだが、怪獣の"か"の字も映画の"え"の字さえ昨日までの自分の頭には浮かばなかったという事実に、今さらながら戦慄してしまう。

 

 そんなに参ってたんだ、と再確認。寝ぼけまなこで過ごしたひと月が無性に惜しくなる。

 けれど、過ぎた時間は戻ってこない。大事なのはこれからの時間を大切にすること。

 

 映画を見よう。怪獣映画がいい。とにかく派手で、はちゃめちゃで、スカッとする話が見たい。

 ヤマノは同じアクション映画でも、等身大のヒーローが活躍するものは昔から苦手だった。主人公の行動に自分を重ね合わせて、私なら――私の中の勇者なら――もっと上手くやるのに、なんて考えてしまうからだ。

 

 小学生の頃、銀河戦争に登場する秩序の騎士を見て興奮してしまい、うっかり近所の家の屋根を跳び回ってしまったことがある。5m以上離れた家の間を好き放題ジャンプし続けたのだ。しかも、家から持ち出した傘を光剣に見立てて空中で決めポーズを取りながら。

 当然ながら、ご近所さんに目撃されてしばらく噂になってしまったし、家族にもこっぴどく雷を落とされてしまった。生身の人間が活躍するアクション映画になんとなく苦手意識があるのは、その日のことをヤマノが今も覚えているからという面もある。

 

 その点、怪獣映画はいい。

 主役のスケールが大きすぎて、自分に重ねようと変に意識してしまうことがない。生物学に喧嘩を売った巨大な生き物が、人間の理解を越えた尺度で暴れ回る。その恐怖と爽快感を()()()()()()鑑賞できる。これを極上の娯楽と言わずなんと言えようか。

 映画に没入している間、ヤマノは勇者の記憶もなにもない、ひとりの一般人(エキストラ)になれる。怪獣の猛威に逃げ惑いながら、その圧倒的な存在感を瓦礫の街から仰ぎ見ることしかできない、無力で小さなただの人間に。

 

 でも、ファンタジィから遠く離れたこの現代日本では、そのほうがきっと生きやすい。

 映画が終わって、ほぅと息を吐いたとき、じんわりそう感じるのがヤマノは嫌いではなかった。

 

 大学には講義の時間に余裕を持って到着できた。

 きっと電車のタイミングが良かったのだろう。上京したばかりの頃は、5分に1本のペースは過剰なのではないかと思っていたけれど、せわしない駅の雰囲気にも今ではすっかり慣れてしまった。逆に、もし故郷と同じように1時間に1本のペースで運行していたら、混雑がもっとひどくなってしまうと気づいてゾッとしてしまう始末。鉄道会社の勤勉さには頭が下がる思いである。

 

 時間があったので講義棟のピロティで掲示物を確認することにした。

 ヤマノの他にも数人の学生がたむろしている。その中に見知った顔がひとつ。相手も気づいたのか、手を振ってヤマノに駆け寄ってくる。

 その友人はヤマノの前で立ち止まると、彼女の顔をマジマジと覗き込み、それからにやりと快活な笑みを浮かべた。

 

「よっ、おはようさん」

「おはよう、けーちゃん」

「見違えたぜ、今日は顔色良いじゃんか」

 

 けーちゃんと呼ばれた女性は、そう言って同い年の友人の肩を軽く叩いた。彼女の声は安堵と喜色に彩られている。ポジティブな感情をストレートにぶつけられて、ヤマノはちょっとこそばゆかった。

 

「うん、昨日はよく眠れたから」

「そうかそうか。いやぁ、良かったわ。これで私も枕を高くして眠れるってもんよ」

「心配かけちゃったね」

「なんの、せっかく東京で会えた同郷かつミラーな友達だかんね。相方がゾンビみたいな顔になったとくりゃあちょいと世話を焼くくらいなんともないさ」

「相方?」

 

 ヤマノは首を傾げた。

 

「それに、同郷って言っても県が同じだけで、お互い地元はだいぶ離れてると思うけど」

「そんな冷たいこと言わないどいてよ。君も私も、"力合わせるウン百万"の一員じゃんか」

「そのフレーズ、久しぶりに聞いたなぁ」

「ウソでしょ? こんなの正月になったら毎年いやになるほど聞くはずじゃん」

 

 ヤマノとけーちゃんは連れ立って講義棟の教室に入った。一般教養の語学単位で、必修の英語クラスだ。同じクラスに割り振られた同郷人ということで、上京したての二人が知り合ったのもこの講義でのことだった。

 

「そんで、なにがきっかけで復活したわけよ。1週間くらい前にどこぞのクリニックで薬をもらったって言ってたけど、それがやぁっと効いてきたってこと?」

「ううん、薬は全然効かなかったかな」

「ほいじゃあ何がどうして、たった一日でそんなお肌つやつやになるまで快復したんよ? ん?」

 

 けーちゃんは金髪を頭の上でお団子にした美少女で、気軽な性格が親しみやすいからか、入学からひと月ですでに多くの友人を作っている。どちらかといえば無口で物静かなヤマノと彼女が仲良くなったのは、実のところ、入学早々に睡眠不足でグロッキーになったヤマノを見かねて、けーちゃんが世話焼き根性を爆発させたからに他ならない。

 これは、怪我の功名というべきものなのだろうか。

 経緯は何であれ、しばらく付き合ってからは同郷の気安さもあってか、お互いに気の置けない友人を得られたとヤマノもけーちゃんも嬉しく思っているのだが。

 

「きっかけ、っていうと……、うーん、昨日の夜にね」

「うんうん」

「初めて入ったホテルで」

「うん?」

「初めて会った男の人に」

「……んん?」

「同じ部屋で寝かせてもらったからかな」

「ちょちょい! 待て待て待て!」

 

 なんでもないようにヤマノが言う。

 けーちゃんは頬を沸騰させた。

 

「おまっ、なんて生々しい話をいきなりぶっこんでくるのよ!」

「聞いてきたのはけーちゃんだけど」

「そうだけど! てか、んな話するならちょっとは恥じらいなさいって!」

「別に恥ずかしくは……」

 

 言いかけて、ふとヤマノは思い当たる。

 ひとりで眠れないから誰かに眠るところを見てもらうって、実はけっこう恥ずかしいのでは?

 こう、お化けが怖くて眠れない子供がパパやママと一緒に寝てもらうみたいで。

 

「……ちょっとは恥ずかしいかも?」

「ちょっと、って。いやいや、うーん、人は見た目によらないというかなんというか……」

 

 呆れたようにそう言うけーちゃんは、なぜだか顔が赤い気がする。

 そんな彼女の様子を見て、ヤマノは不思議そうに首を傾げた。

 

「あー、ヤマノさんや、ここはひとつ、親愛なる友として忠告させてもらいますがね」

「けーちゃん? 変な口調になってるよ」

「黙って聞く! いいかしら。私も君もね、東京に出てきたばかりの田舎者なのよ。そこんとこ、君ってばちゃんとわかってる?」

「そうだね。それがどうかしたの」

「危ないことはしなさんな、ってこと。上京したての純朴ガールが夜の街で悪いオトコに捕まってひどい目に遭うだなんて、東京じゃあ山道で鹿と事故るよりもありふれた話なんだからね!」

「たとえがローカルすぎるよ……」

 

 ヤマノは小さく眉を傾けた。どうやら友人は自分のことを心配してくれているようだ。その気持ちは嬉しい。けれど、なにやら互いの認識が噛み合っていない気がする。

 

「あのね、けーちゃん、昨日会った男の人はね、そういう危ない人じゃないから」

「かぁーっ! 言うに事欠いてそのセリフ! 危ない男にハマった女はみんなそう言うねん!」

「本当に変な人じゃないんだよ。会ってみたのも、クリニックの先生の紹介があったからだし」

「その先生もやばい先生じゃんか! なんだよ、患者に男を紹介する医者って!」

 

 天に向かって吼えながら、けーちゃんは頭を抱えるジェスチャー。

 その勢いに、ヤマノはちょっと引いた。

 

「……でだ。その男って、どんな男だったの?」

「どんなって言われても。不眠を治す天才、って紹介されて、実際そうだったね、って感じ」

「ほほぅ。それはあれか、安眠リフレだとか添い寝屋とかそういう類なわけか」

「りふれ? 添い寝してもらったかは、どうなんだろ? 私のほうが先に寝ちゃったし……」

「おい。初対面の男の前で、先に眠っちゃったってか?」

「うん。おかげでぐっすり」

「やっぱ危機感が足りてないよ、あんた。大丈夫か、本当に変なことされてないか?」

 

 そう聞かれたので、ヤマノはぺたぺたと自分の身体を触ってみた。

 特に違和感はない。傷らしきものはどこにもないし、どこも痛くない。ステイタスはオールグリーン。そもそも、眠っている間におかしなことをされようものなら、ヤマノの身体は自動的に反撃を繰り出しているはず。ソウマのもたらした睡眠がどんなに深いものであれ、眠っただけで勇者(の記憶を持つ身体)が無防備になると思ったら大間違いだ。

 

「うん、平気。もし悪意を持った相手だったら、何かされる前にぶっ飛ばしてやってるし」

「お、おう。なんだかわからんがすごい自信だな。君、実は格闘技でもやってんの?」

「そんなところ」

「初耳だわ。へぇー、そんな細っこい腕でねぇ」

 

 けーちゃんがヤマノの腕を掴む。振り払おうと思えばいつでも振り払えるのだが、しばらくなすがままにされておく。けーちゃんってこういうじゃれ合いが好きだよね、とヤマノはぼんやり考える。

 

「まーなんだな、今度そいつのとこに行くときは、私も連れてってよ」

「どうして?」

「そいつが危なそうな男だったら、あんたの首根っこ引っこ抜いて一緒に逃げたげるわ」

「おお、かっこいい」

「だろぅ? てなわけで、そんときは案内よろしくな」

「え、いやだけど」

 

 ヤマノがあっさり断ると、けーちゃんは梯子を踏み外したみたいにがくりと肩を揺らした。

 

「おい」

「だって、二人で行くような場所じゃないし。そもそももう一度行くかどうかもわからないし」

「本当かぁ? こっそりひっそり通い詰めるつもりじゃないんかぁ?」

「もう……、そんなに心配しなくても平気だよ」

 

 複雑そうに顔をしかめるけーちゃんに向けて、ヤマノは自然な気持ちで微笑んだ。

 その笑顔にけーちゃんが毒気を抜かれた顔になる。この1か月、彼女が手を尽くしても見ることができなかった、ヤマノの柔らかい表情。それを見せられてしまうと、これ以上追及するのも無粋に思えてしまう。

 

「それよりけーちゃん。二人で出掛けるなら映画を見に行かない?」

「お、そっちからお誘いとは珍しい、ってか初めてだな。映画ね。うむ、まぁそっちのほうが健全か。よっしゃ、いいぜ、付き合っちゃる。なにか見たいタイトルとかあるんか?」

「うん。『Sin怪獣大決戦・日本最後の日』っていう映画なんだけど」

「…………。ごめん、ちょっとめまいがしてきたわ」

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