夢魔さんは眠りたい   作:子守家守

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誰が彼女を起こすのか(10)

「――私は、お前の、『復活させる者(reviver)』だよ、コンチクショーめ!」

 

 けーちゃんが叫んだ。

 それは、力ある言葉だった。

 

「What?」

 

 直後、金髪の大男が素っ頓狂な声を上げた。引き金に掛かった人差し指が痙攣したかのようにぴくりと震える。マヤたちを射竦めていた視線が外れて、耳に装着したデバイスに意識が向かう。

 それと同時に、マヤは視界の端のほうでドローンが銃口を地面に向けたのを捉えた。プロペラの角度と速度が変わって、ゆっくりと床へと降下を始めている。ちりちりと肌を刺していた危険な気配が霧散するのを感じ取る。

 

 イヴが目覚めた。

 けーちゃんが彼女を叩き起こしたのだ。

 

 マヤは素早く身体を沈めた。膝を曲げ、獣のように低い姿勢を取る。

 頭はテーブルよりも低い。手の届くところに、テーブルの金属製の脚がある。それを右手で掴んで、片手で持ち上げる。会議用の長テーブルがマヤの腕で垂直に立ち上がった。

 けーちゃんの叫びから2秒も経ってはいない。犯人は信じられないと言わんばかりの表情で、意識を自身の耳元に向いている。テーブルを振り上げたマヤの周囲で悲鳴が上がった。その声に気付いて犯人の目が再びマヤのところに戻ってくる。だけど、頭の中の交通渋滞のせいで、大男の反応はワンテンポ遅れている。

 

 目が合うよりも早く、マヤは振り上げた長テーブルをぶん投げた。

 15kgの不格好な砲弾が真っ直ぐ犯人へと飛んでいく。

 犯人が驚愕の表情を浮かべて、咄嗟に銃を構えた。

 木製の天板と金属の脚が縦回転しながら男に迫る。

 

 その後を追って、全力疾走(スプリント)

 急加速に視界が狭まる。

 前方への突進。

 磨かれたタイル床がやや滑りやすいか。

 親指の付け根に力を籠めて、続けざまに床を蹴る。

 

 頭上で発砲音。反射的に湧き上がる人質の悲鳴。

 しかし、当然、拳銃でテーブルを撃ち落とすことはできない。

 マヤの強肩に対しては明らかに威力不足だ。

 天板を貫通した弾丸が上のほうへ逸れるのが見えた。

 運が良い。流れ弾のリスクは低いと判断する。

 

 射撃の反動に身を任せたかのように、男が横倒しに身を投げた。

 したたかに腰を打って倒れた彼の上を、猛スピードでテーブルが飛び越していく。

 風圧で男の金髪が逆立つ。見えたのは激昂の表情。計画が狂ったのが気に入らないのか。

 

 テーブルがホワイトボードに激突する。つんざくような衝突音が轟いた。

 マヤは床を蹴った。すでに男は射程圏内だ。倒れた衝撃で拳銃は明後日の方向を向いている。

 鋭く跳躍。弾丸のように加速。彼我の距離を瞬きの間にゼロにする。

 風を切る。空調の効いた冷たい空気が肌を叩く。男が驚愕に目を見開いた。

 

 両手で男の肩を掴んだ。

 突進の勢いは残っている。

 掴んだ肩を支点にブレーキング。

 男の背中が床に押し付けられる。

 静止した目標に、振り子のように下半身が落ちていく。

 折りたたんだ膝は高速のスレッジハンマー。

 鋭角の蹴撃が、男の腹にめり込んだ。

 

「かっ」と男の口から音が漏れた。顎を突き出して、喉を大きく開いている。

 腹に膝を当てたまま、倒れた男に乗って会議室の床を滑っていく。背中の摩擦で僅かに速度が落ちたが、それでも停止する前に壁まで到達してしまった。止まり切らなかった分のスピードで男の頭部ががつんと壁に衝突する。

 その鈍い音を聞きながら、マヤは無表情で男の肩を外して、男の手からこぼれた拳銃を手の届かないところに追い払った。肩関節の外れるグロテスクな音に併せて男が苦悶の叫びをあげる。

 

「捕まえた」

 

 呟きは喧騒に掻き消えた。会議室はひっくり返したような騒ぎになっている。男が拳銃を発砲したからだ。特に後方の席ほど騒ぎがひどいように思える。銃声だけが聞こえて、実際になにが起こったのか見えづらいからだろう。逆に、前方寄りのテーブルに座っていた人質は、飛来したテーブルとテイクダウンされた犯人を目の当たりにして呆然と立ちすくんでいる者が多かった。

 振り返ると、8機のドローンはすでに床へと着陸していた。もちろん爆弾も爆発していない。それを確認して、マヤは安堵の息を吐いた。

 

 後方のドアで電子ロックの外れる音がした。外開きのドアが開け放たれ、混乱した人質が雪崩を打って会議室から脱出していく。それでも、脇目も振らずに飛び出していったのは全体の3分の1程度だろう。残りはむしろ金髪の犯人とそれを抑え込むマヤのことに注目しているようだった。

 

「突入! 突入!」

「わっ、びっくりした」

 

 脱出する人質の流れがいったん途切れると、入れ替わりに警察らしき人員が突入してきた。ヘルメットを被った重武装のチームだ。最前列の隊員はセラミックの盾を構えている。迫力のある掛け声が轟いて、思わず目をぱちくりさせてしまった。

 

「いや、びっくりて。なんだよ、そのすっとぼけたリアクションは」

 

 おそるおそる近くに来ていたけーちゃんが頬を引き攣らせながら言った。

 

「あんたのほうがよっぽどびっくりだよ。いったいどこの特撮ヒーローだってんだ」

「えっと、でも、特殊部隊?を見たのは初めてだし、びっくりしちゃったのは事実だから……」

 

 マヤが困ったように眉を斜めにすると、けーちゃんは無理やり笑おうとして失敗したような不思議な表情を作った。

 

 突入した警察が足早に近づいてくる。

 妙に静かだと思ったら、足の下の犯人はいつの間にか気絶したようだった。

 

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 

 居心地の良い応接室が警察の事情聴取に提供されていた。現場となった総合ビルの2階の部屋だ。

 マヤとけーちゃんは来客用のソファに並んで座っていた。対面にはナナミ刑事が腰掛けている。少し疲れた表情だったが、もしかするとマヤ自身も似たような感じかもしれない。なんとか危地は切り抜けられたとはいえ、さすがに少なからぬ疲労を感じていた。

 

「ていうかさ、今さらだけど、私らめっちゃ危ない橋を渡ったんじゃないか?」

「本当に今さらだね」

 

 ぐったりとしたけーちゃんがぽつりと呟いた。もしナナミ刑事がいなかったら、すぐにでもテーブルに突っ伏しそうな雰囲気だった。

 たぶん、この場でもっとも消耗しているのはけーちゃんだろう。この3人の中では色んな意味で彼女がもっとも一般人だ。

 けれど同時に、イヴを目覚めさせるコードを見つけ出したのも、ほかならぬ彼女であった。彼女抜きで事情聴取を進めることはどうしてもできなかった。

 

「さすがにパニクってたからなぁ。我ながら無謀なことをしたもんだぜ」

「でも、けーちゃんの判断のおかげでみんな助かったんだから。私からも、ありがとね」

「クライマックスはマヤに持ってかれたけどな。いやぁ、腕っぷしには自信があるって話は前にも聞いたけど、想像してたレベルを軽く超えてたよ、ほんと」

 

 疲労の滲んだ笑顔を浮かべたけーちゃんがマヤの脇を肘で小突いた。ちょっとくすぐったい。

 対面のナナミ刑事がそんな二人の様子を安堵の表情で見つめている。彼女はじゃれ合いの合間を見つけると、小さく咳払いして注意を引いた。

 

「ヤマノさん、コイケさん。まずはお礼を言わせてください。お二人のおかげで人質は無事に解放され、犯人の逮捕に至ることができました。御協力に感謝します」

「……ど、どういたしまして? うわ、こういうとき、なんて言えばいいんだろ」

 

 けーちゃんが照れたように頬を掻く。

 彼女の初心な反応に微笑みながら、ナナミ刑事は再び口を開いた。

 

「申し訳ありませんが、もう少しだけ事情聴取にお付き合いください。……コイケさん、例の単語についてお聞かせ願います。『reviver』というのが人工知能を目覚めさせるためのコードだったのですね? あなたはどうやってその答えに辿り着いたのですか?」

 

 ナナミにそう尋ねられたけーちゃんは「あー……」と曖昧な表情で頭を掻いた。

 

「どこから話したらいいのかな……。えっと、私、バイトの面接でミウラ先生に初めて会ったとき、あの人に『キーホルダ』って言われたんですよ」

「キーホルダ?」

「そのときは私の髪の色とか服装がチャラチャラしてるって意味で言われたと思ったんですけど、変な言い回しだなってずっと頭に残ってて。それで、刑事さんが送ってくれたメッセージを見たとき、ピンと来ちゃったんですよね」

 

 ピコン、と彼女が人差し指を立てた。

 

「あのメッセージの中に、マヤの名前に鍵のマークが付いてた、ってあったじゃないですか。私がキーホルダって言われたのもそれと同じじゃないか、って」

鍵を持ってる人(キーホルダ)ってこと?」マヤが疑問形で尋ねた。

「そうそう、それそれ。当然だけど、そのときは先生もヒントを出してるつもりなんかなくて、思い付きがたまたま口から出たってだけだと思うんだけどね」

 

 ナナミが訝し気に眉を傾けた。けーちゃんの話の意味を図りかねているようだった。

 

「そのとき、ミウラ先生は私の履歴書を見てたんですよ。で、私の名前が目に入ったから、つい言っちゃったんじゃないかな。うん、重要なのは名前なんですよ。私の名前とマヤの名前。そこに共通しているものが、(キーワード)のヒントなんです」

 

 フフンとけーちゃんが得意げに笑う。その説明を聞いて「あっ」とマヤは声を上げた。

 彼女とマヤの名前の共通点。それを思い出した瞬間、マヤにもコードへと至る筋道が見えた。

 

「もうひとつ切っ掛けがあるとしたら」マヤの反応に頷きつつ、けーちゃんは話を続ける。「ミウラ先生の名前ですね。私、先生の名前の読み方を知らなかったんですよ。漢字でどう書くのかは、研究室のネームプレートを見て知ってたんですけど、カイって発音は先生からも聞いてなかったんで」

 

 そう言って、彼女は人差し指で空中に漢字を書いた。

 三浦(ミウラ)(カイ)という三文字の名前だ。

 

「正しいのは音読みなんですよね。でも、私は訓読みだと勘違いしてて」

「訓読みっていうと、ミウラ・ウミってこと?」と、ナナミが聞き返した。

「はい、その通りです。たぶんミウラ先生も、自分の名前がそういう読み方もできるってわかってたから、アメリカにいるときにミラーって名乗ってたんじゃないかなぁ」

「……ごめんなさい、わからないわ。もういっそストレートに答えを言ってもらえないかしら」

 

 ナナミ刑事がこめかみを抑えて頭を振った。

 けーちゃんはキョトンと目を瞬かせて、それから「うーん」と腕を組んで唸り、最終的に右手の指を三本立てた。「それじゃあ、この三つの名前を比べてみてください」と『けーちゃん』こと『小池・景子』は噛んで含めるようにゆっくりと言った。

 

「ミウラウミ、ヤマノマヤ。それから、私、コイケケイコ。ほら、共通点があるでしょう?」

 

「……ああ、もしかして、そういうこと?」ナナミが目を見開いた。「そうか。だから、(ミラー)なのか」

「そうなんです。全員、回文なんです。頭から読んでもお尻から読んでも同じ名前」

 

「なるほどね」と感心したようにナナミ刑事が呟いた。

 そういえば、けーちゃんから似たようなことを言われたことがあったな、とマヤは思い出す。確か『同郷でミラーな友達』とかなんとか……。初対面のときにもそんな感じで彼女から声を掛けられたんだっけか。

 

「それでですよ、刑事さん。そう考えると、eve(イヴ)って名前も意味深じゃないですか」

「英語だけど、また鏡写しの名前ね」

「こういうところに、ミウラ先生のマイルールがあるみたいな感じがしません?」

「まぁ、変なこだわりを持ってそうには思えるかしら」

 

 結局のところ、これは単なる言葉遊びだ。きっとミウラも自分用のジョークとして仕込んだのだろう。イヴという人工知能の生みの親としてのちょっとした遊び心のつもりだったのかもしれない。けれどそれが、実は秘密のキーワードの隠れ蓑を兼ねていたというわけだ。

 

「だけど、よくそこから『reviver』なんて単語に辿り着いたわね。『墓の下』みたいな死者を連想させるヒントがあったのは確かだけれど、『復活させる者』だなんて、普通そんな単語すぐには思いつかないんじゃないかしら」

「え? あ、いや、それは……」

 

 ナナミから不思議そうに尋ねられて、けーちゃんはふと視線を逸らした。居心地の悪そうな表情で、しきりにマヤに目配せをしてくる。

 どこかばつの悪そうな彼女の様子に、マヤはキョトンと首を傾げた。『reviver』という言葉も同じルールによるものだ。前からでも後ろからでも同じように読める。『死の如き眠り』からイヴを目覚めさせるのに、確かに相応しい(suitable)者と言えるだろう。

 だけど、日常的に使う言葉ではないのも確かだ。ナナミの言う通り、パッと思いつく単語とは思えない。けーちゃんがあの短時間でどうやって閃いたのか、確かにマヤも疑問に思っているところだった。

 

「そこはほら、若気の至りと言いますか……。な、マヤ。あんたならわかるっしょ?」

「え、なにが?」

「つまりさ、私らみたいな名前を持ってたら、一回はネットで検索とかしてみるわけじゃん? 英語を習い始めた中学のときとか、そんくらいの年齢(トシ)にさ、『英語 回文』みたいなワードでググってみて、イイ感じの()()()を探しちゃったり……」

「……なんの話?」

「ああ、もう! 喋ってるだけでむず痒いったらありゃしない! 妄想だよ、妄想! マヤにだって身に覚えがあるだろ? 自作の設定ノートとか作っちゃうようなイタイ思い出が!」

 

「ううん、全然思い当たらないけど」

「……嘘だろ。ここで梯子を外されるとか、そんなのアリ?」

 

 名状しがたい表情でけーちゃんが愕然と言った。彼女の言う『若気の至り』が何を指しているのか、本当にわからずマヤは首を傾げるばかりだ。

 一方で、対面に座るナナミにはけーちゃんの慟哭がきちんと伝わっているらしい。頭を抱えて天井を仰ぐけーちゃんを妙に生温かい視線で見つめている。

 

「そうね、人によってはそういう時期もあるわよね」と気遣うようにナナミは声を掛ける。

「……はい、まぁ、そういうわけで。あんな単語、すっかり忘れたと思ってたんだけどなぁ。結果としては思い出せてよかったんですけど、ホッとしたら余計なことまで一緒に思い出しちゃって……もうホント、うわぁ、って感じなんですよ……」

 

 げっそりとした口調でそう言って、けーちゃんはソファの背もたらに身体を預けた。両手を挙げてお手上げポーズ。恨めし気な瞳が横目でマヤを見たが、どう反応したものかよくわからなかった。

 

「でも、そうか。ミウラ・カイも同じような妄想をしたことがあるのかも」

「ですよね、私もそう思いました。だって、カッコいいですもん、『復活者(reviver)』って二つ名。まぁ、その思い付きを重要なプログラムに仕込むのは、『やってんなぁ』って感じですけど」

 

 ナナミの言葉にけーちゃんが「うんうん」と頷いた。正直、マヤはちょっとついていけない。

 たぶん、中二病とか黒歴史と言われるような話をしているのだとは思う。だけど、マヤはあまりそういう妄想に浸った記憶がなかった。

 ……というか、中学の頃といえば、勇者ちゃんのことで頭がいっぱいだった時期だ。異世界の存在とか前世の記憶といったものも、マヤにとっては妄想ではなかったのだ。

 だからなのか、目の前で羞恥に悶えるけーちゃんの姿は、ちょっと不思議なものに思えてしまう。別に、カッコいい二つ名を考えることくらい、恥ずかしくもなんともないのでは? だって前世の異世界では、ご立派なご貴族様が雁首揃えて、大真面目に称号やら二つ名の授与を議論するのが常だったのだから。

 

「うん、私はカッコいいと思うよ、『復活者(reviver)ケイコ』」

「おいやめろ。真顔で言うなって!」

 

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 

「どうやら動機は本当に金銭目的だったらしい」

 

 ディリータは地下技研の自身の研究室で呟いた。室内には彼以外に人の姿はないが、研究用のテーブルに薄型のモニタが置かれていて、その画面に青い髪の少女が映っている。投影された電子空間で、ゲーミングチェアに腰掛けたソバコが首を傾げた。

 

「お金が目的なら、その人、なんでディー先生を呼び出そうとしたンすか?」

「当然ながら、それにはバックグラウンドはある」

 

 人差し指で机をタップしながらディリータは自身のPCに目を向けた。ディスプレイには部外秘とラベルされたファイルが展開している。そこには警察が行った立てこもり犯に対する事情聴取の一部始終がまとめられていた。

 

「犯人――本名、マシュー・スミスは、ミラー率いる人工知能の研究チームに所属していたが、チームの解散後には経済的な苦境に陥っていたらしい。現在確認できているだけでも多額のローンと借金があり、違法な業態の融資にも手を出していたことがわかっている」

「金目当ての犯罪を起こす素地はあったと。でも、なんでそんな状況に?」

「ミウラのチームが稼働していた期間、彼は開発の成功報酬を見込んで、リスクの高い投資にかなりの資金を注ぎ込んでいた。その中には真っ当な企業だけでなく、詐欺投資(investment fraud)に類するものもあったという話だ」

 

 そう言ってディリータは肩を竦める。「あちゃー」とソバコが顔を顰めた。

 

「真っ当な投資先も例のパンデミックでかなりの損失を計上してしまったらしい。そこで頭を冷やして手を引けばよかったのだが、マシューは負けを取り戻そうと躍起になってしまったようでな。金を借りてまで追加の資金を投入したが、結果は散々。その果てに多額の借金苦に陥ってしまったというわけだ」

「うーん、聞いてて胃が痛くなるっすねぇ……」

「聴取によると、それでもマシューは状況を楽観していたらしい。というのも、人工知能(イヴ)の開発が成功した暁には、クライアントから多額の報酬が支払われることが約束されていたからだ。その報酬を元手にすれば、少なくとも借金の返済には追いつくと見込んでいたと彼は証言しているようだ」

 

 PCの文字を追いつつ、ディリータは僅かに表情を動かした。

 

「ある意味、彼はチームリーダーであるミウラの才気をもっとも信じていた人物ともいえる。ミウラがいれば開発の成功は確実だ、と……。それがまさか、そのミウラの判断で開発が一時的に中断されるような事態になるとは、当時の彼は欠片も考えていなかったらしい」

「それが原因で借金生活かぁ。ひょっとしなくても、ミウラさんに裏切られたと思っちゃったんすかね。今回の事件でコロシにまで至っちゃってるし……」

「実際、事情聴取の中でマシューもそういった表現をしているようだな」

「尊敬してた相手を殺したいほど恨むようになっちゃうかぁ。なんだか極端な反転アンチみたいっすねー」

 

 モニタの中で青髪の少女が渋い顔を作っている。相変わらず変わった言い回しをする教え子だ。

 

「さて、斯くして苦しい生活を送る羽目になったマシューだが、今年になって転機が訪れる。彼はチームが解体された後も、極秘かつ単独で、休眠状態となった人工知能(イヴ)のプログラム解析を続けていた。ある種の執念だな。自身の得るはずだった栄光であり、同時に失墜の元凶ともいえる()()を、どんな手段を使ってでも我が物にしたかったらしい」

「先生、言い方がアヤシイっす。そこだけ聞くとヤバいストーカーみたいっすよ」

「それは君の捉え方の問題だな」

 

 ディリータはソバコの戯言を切って捨てた。

 

「知っての通り、やがて彼はイヴの知能回路を迂回して、機能的な部分だけを借用する手段に辿り着いた。しかし、そのときすでに彼の生活環境は限界に近いものとなっていた。開発した迂回プログラムを現金化しようにも、買い手を募るためのツテもない状態だ」

「まぁ使い方次第でそこら中の電子機器の制御を奪い取れるようなヤバいプログラムっすからね。フツーの方法じゃ売り買いできないのも当然っすよ」

「手詰まりとなったマシューだったが、しかし、彼に対して一通のメッセージが届く。それは、見知らぬ人物から届けられた、件の迂回プログラムを是非とも買い取りたいという申し出だった」

「……いや、さすがに怪しすぎでは?」

 

 ソバコが眉をひくつかせて当惑の表情を作る。

 ディリータも同感である。だが、経済的な窮地にあったマシューにとって、それはまさしく救いの糸だった。

 

「無論、彼も怪しみはしたが、結局はその申し出を受けることを選択した。提示された報酬額が彼の借金を清算してなお余りあるものだったというのが決め手だったという話だ」

「うわぁ、余計に怪しいんすけど……」

「契約に際して、マシューは相手からいくつかの条件を突き付けられた。彼のプログラムの実効性を証明させるための要求だ。つまり、イヴの機能を実際に借用して、いくつかの仕事(ビズ)をこなすよう指示があったわけだな」

 

「それが、今回の事件ってことっスか」ソバコが額に皺を寄せる。「『いくつかの』っていうのは、具体的には?」

 

「最初に指示されたのは、特定のコンピュータに侵入してデータを奪い取ることだった。侵入先には複数のコンピュータが指定されたのだが、その中には私の古い研究環境も含まれていた」

「それって、日本の政府が(デコイ)にしておいたっていう、例の地下室っすか?」

「そう、君の古巣でもあった、あそこだ。侵入の難度としては小手調べといったところで、情報の抜き取り自体は問題なくクリアすることができた」

 

 ……もっとも、自身の侵入が日本政府にモニタされていたことには気づけなかったようだが。

 ディリータはマシューのその詰めの甘さについつい口元を歪めてしまう。

 

「次に指示されたのが(キャンサー)の奪取。研究施設への侵入については取引相手の手引きがあったという話だ」

 

 当然ながら、マシューは指示されるまでキャンサーの存在など知らなかったと証言している。他国で開発中の軍事兵器の情報をリークされて、しかもその奪取計画までお膳立てされていたわけだ。さすがにこれには彼も度肝を抜かれたという。

 

「ビビっちゃいました?」とソバコが目のサイズを変えながら聞く。

「いや、むしろ気を大きくしたらしい。取引相手が有力者であればあるほど、バックアップが太いものになるうえ、報酬にも期待が持てるから、というのが彼の理屈だ」

「……なんていうか、そういうところだぞ、って言いたくなるっすね……」

 

「結局、彼は取引相手の指示に従い、研究施設に自身も潜入して、警備員を殺害することになってしまう。キャンサーの奪取には成功したが、ますます深みに嵌まってしまった格好だな」

「うーん、泥沼。明らかにいいように使われちゃってるなぁ」

「本人はむしろ成功体験を重ねているように感じていたらしいがね」

 

 ディリータはため息をついて、冷めかけのコーヒーを口に運んだ。深みのある苦味が舌に踊る。

 良い豆を使ってる。お国柄というべきか、こういった嗜好品の質が充実しているのも地下技研の良いところだ。

 

「それで、お次は人質取っての立てこもりっすか? しかも、ディー先生との会談とかいう要求を掲げて。私たちと探偵さんの推測だと、イヴの()()についてなにか探ろうとしているんじゃないか、って話だったっすけど……」

「その点について、ひとつ考えを改めなければならないことがある。確かにあの要求は、イヴに関する情報を私から得ようとして発せられたものだった。それは事実だ。マシューもそう証言している。キャンサーの確保と並んで、イヴの持つ機能的側面を十全に発揮するために必要なことだと、そう説得されたらしい」

 

「あれ?」ソバコが首を傾げた。「説得された? ってことは、発案者はマシューじゃない?」

 

 降ってきた疑問を口にしたソバコに、ディリータは満足げに頷いた。

 マシューの証言を信じるのなら、すべての仕事(ビズ)は取引相手がマシューに課したものであり、彼から言い出したものではないということになる。つまり、彼の取引相手は、キャンサーのことだけでなく、ディリータがイヴの開発に僅かではあるが関わっていたことも、はじめから知っていたというわけだ。

 

「でも、そっか。自分からメッセージを送って取引を持ち掛けたくらいなんだから、その取引相手はもともとイヴのことを調べていた可能性が高いってことっすよね。たぶん、先生のこともその過程で把握できていて……」

 

 モニタ内のソバコが目を細めて思案の顔を作っている。プリセットの表情ではない。彼女の感情がヴァーチャル・モデルをリアルタイムで動かしている。そのほとんどは無意識によるものだろう。生身の人間が意識せずとも表情を動かせるのと同じことである。

 ただし、普通の人間は電子モデルと直結した神経を持っていないし、モデルの表情筋は任意にパラメータ設定されたものだ。感情と表情の変化を同期するには()()が必要になる。

 それはつまり、彼女の生体脳と電子プログラムとの間に新たなニューロンのリンクを形成するということだ。今やソバコの表情の動きは人間とほとんど同じものとなっている。ということは、彼女は自身の脳の働きを()()()()()に最適化することを見事に成し遂げているというわけである。

 

 では、こういった普通の人間とは違う脳の使い方を覚えた彼女から見える世界は、果たして生身の人間と同じものなのだろうか。ディリータはまだその答えを持っていない。この疑問点もまた、彼の研究テーマのひとつだった。

 

「……うーん? なんかちょっと引っ掛かるっすね。だって、それなら先生のことを知ってて、そのうえであの地下室のコンピュータに手を出したってことでしょう? 人工知能(イヴ)のことで関りはあったのも確かなんでしょうけど、むしろ先生のことをピンポイントで探ってる感じがしないっすか」

 

「妥当な推測だな」ディリータはソバコの意見を肯定する。「マシューの取引相手は立てこもり事件の手引きも行ったことがわかっている。現場への侵入経路として、異空間を介した跳躍を用いたということもな。つまり、以前ソウマくんが関わったという、異界の管理者と同系統の能力の持ち主が今回の事件に関わっていたというわけだ」

 

 一呼吸おいて、ディリータは取り調べでマシューが喋ったという名前を口にした。

 

「マシューの取引相手は、自身を代理人(エージェント)と称していたそうだ」

 

 その名前を聞いて、ソバコが口笛を吹いた。合成された高い音がスピーカから出力される。彼女もシズノという妖狐の起こした事件については概要を知っているはずだった。その報告の中で同名の存在が語られていたことも記憶に新しいだろう。

 

「それってやっぱり、ディー先生の『古い知人』の関係っすか」

「かもしれない」

「もしそうなら、バッチリ執着されてるっすねー。『隔離環境での人間の保存』でしたっけ。先生がそれの協力を断ったのが、今も尾を引いてるっぽいのかな」

 

 ディリータは冷めきったコーヒーを啜って肩を竦めた。

 ソバコが好奇心に瞳を輝かせる。彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべて軽い口調で言った。

 

「知人って言いますけど、本当にただの知り合いなンすか?」

「少なくとも私はそう認識しているが」

「ひょっとして、先生の熱狂的なファンだったりとか」

 

 残念ながら、あまり笑えない冗談だった。

 

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