夢魔さんは眠りたい   作:子守家守

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夢魔さんと眠りたい

 ソウマが警察の聴取を終えてフェアリィクレイドルに戻ったとき、時刻はすでに夜の10時を回っていた。欠伸を噛み殺しながら天を仰げば、都会の白んだ夜空が目に映る。じめっとした夏の熱帯夜が鬱陶しかった。繁華街の雑多なにおいが薄っすらとあたりに漂っている。

 

 ホテルのエントランスは慎み深い明かりを灯していた。眩しさを抑えた柔らかい照明が適度な強さで点灯している。とても静かで、目に映る範囲には宿泊客の姿も見当たらない。

 ソウマが建物に入ると、フロントのスタッフが彼に気付いて小さく手招きした。首を傾げて近寄ると、無言のジェスチャでロビーラウンジの椅子を示される。ソウマがそちらに視線を向けると、アンティークのラウンジチェアにすっぽりと収まるように、スーツ姿の小柄な女性が座っているのが目に入った。

 

 それが誰なのかは、すぐにわかった。ソウマは困ったように頭を掻くと、静かな足取りで彼女に近づいていった。椅子に座るマヤがこちらに気付く様子はない。うつらうつらと頭が揺れていた。

 目を閉じたマヤは黒のジャケットを羽織っていて、すらりとしたパンツルックだった。モノトーンのシルエットに白のブラウスが鮮やかに映えている。いつもよりも大人っぽい印象だが、眠りの縁にある表情はむしろあどけない。

 ソウマは座っているマヤと視線の高さが合うよう床に膝をつけて、彼女を驚かせないよう抑えめに声を掛けた。

 

「マヤちゃん、起きてる?」

「ん」

 

 ふわりと目が開いた。とろんとした瞳がソウマをぼんやりと捉える。

 

「……起きてる。おかえりなさい」

「うん、ただいま。ひょっとして、ずっと待ってたの?」

「そう……。今、何時?」

「もう10時過ぎだよ」

 

 マヤが眠そうに瞼をこすった。あとになって聞いたところ、彼女の事情聴取はもっと早い時間に終わっていて、7時になる前に警察から解放されたらしい。(キャンサー)という機密の調査に関わった分、彼女よりソウマの聴取のほうが長引いてしまったというわけだ。

 

 断っておくと、別にソウマはマヤと待ち合わせの約束をしていたわけではない。会えるなら会いたいと思っていたのは確かだが、こんな時間まで警察と政府の捜査に付き合わされてしまった以上、アポを取るのは明日にしたほうが良いだろうと考えていたくらいだ。

 

 まさか彼女が約束もないのにソウマのことを待っているとは思わなかった。どうもマヤのほうがソウマよりも一手行動が早いようだ。いや、早いというか、積極的というか……、とにかく思い切りがよくて、アグレッシヴ。ある意味、彼女らしいといえば彼女らしいのかもしれない。

 

「えっと、家まで送ろうか?」

「ん、部屋まで連れってって……」

「……部屋、ね。オーケィ、わかったよ」

 

 ソウマは肩を竦めると、フロントに取って返してスタッフからルームキーを拝借した。日常的に仕事で部屋を使う都合、この時間に急に部屋を借りても大丈夫なようホテルの運営部門とは話がついている。

 もっとも、今回は仕事で使うために部屋を借りたわけではないのだが。鍵を渡す際、フロントスタッフから白い目で見られたけれど、そこはひとまず気にしないことにする。

 

「行こっか。歩ける?」

「歩けないって言ったら、運んでくれる?」

「あー、うん、大丈夫そうだね」

 

 ぽやぽやとした雰囲気のマヤがラウンジチェアから立ち上がった。眠たそうに目をしばしばさせている。

 ひとりで歩くのも億劫そうな彼女の手を引いて、ソウマは彼女をホテルの個室に連れ込んだ。

 

「あんな事件に巻き込まれたんだから、そりゃあ疲れちゃうよ。僕が戻ってくる時間だってわかってなかったんでしょ? わざわざこんな時間まで待ってなくても、家に帰ってゆっくり休んでいればよかったのに」

「……その、()()()()()()()()相手に、言うことは?」

 

 ぽすん、とベッドの縁に腰掛けたマヤが、据わった瞳でソウマに問いかけた。ムッとしたような彼女の圧に思わず気圧される。ベッドサイドの壁に背中をつけながら、ソウマは彼女の顔をまじまじと観察しながら答えた。

 

「兎にも角にも、マヤちゃんが無事で良かった。一応、警察からも聞かされてはいるけれど、本当にどこも怪我していないんだよね?」

「うん。もちろん、平気」

「さすが、って言うべきなのかな。でも、外からは正確な状況もわからなかったし、君が現場から無事に出てくるまで、ずっと心配してたんだから」

 

 そう言ってソウマが目じりを下げると、マヤは複雑そうな表情を作った。自身の行動とその結果について、そこまで納得していないような様子だった。

 

「でも、私自身はともかく、皆が無事だったのは、けーちゃんと警察、それからソウマさんのおかげだから……。さすが、っていうのは、私のセリフ」

「うーん、そういうものかな? こっちから伝えた情報が少しでも役に立ったのならなによりだけど」

 

 ソウマは軽い調子で口を斜めにする。

 ふと、マヤが目を細めて彼の顔をじっと見つめてきた。ジトっとした感情に濡れた視線だった。

 

「……あのメッセージの内容だと、ソウマさんはナナミ刑事と警察にいたってことだよね?」

「えっと、あまり踏み込んだ説明はできないんだけど、おおむねそんな感じかな」

 

 ソウマは困り顔で両手を挙げて、ホールドアップのポーズ。地下技研のことやキャンサーとイヴの詳細な情報については、政府の機関から口止めをされている。たとえ相手が事件に直接かかわったマヤであっても、だ。

 うっかり変なことを口にすれば、色々と面倒なことになりかねない。国の公的機関が出張って来るような煩わしい事態に彼女を巻き込みたくはなかった。

 

 ……などとソウマは頭の中で考えていたのだが、どうやらマヤが気にしていたのはそこではないようで。

 

「私、そんなの聞いてなかったんだけど」

「うん?」

「しばらく別の仕事にかかりっきりになるから、連絡しても会えないって。ソウマさん、私には教えてくれなかったよね?」

 

 マヤの言い分にソウマは目を丸くしてしまった。それは、奇しくもソウマ自身が気にしていたことでもあった。メッセージのひとつでも送ればよかったと、確かに気掛かりだったところだ。

 見れば、拗ねた口調の彼女は、不満げに唇を尖らせていた。大人びたスーツ姿だというのに、頬が僅かに膨らんでいて、表情はあどけない少女のようだった。

 

「それは、確かに。そうだね、申し訳ない。事前にちゃんと連絡すればよかったよ」

「うん……次からは、ちゃんと私にも教えてよね」

 

 ぷしゅう、と膨らんでいた頬が萎んで、代わりにほんのりと朱が射した。恥ずかしそうに声を小さくしながら、ソウマから視線を外してそっぽを向いている。自分で口にした要求を意識し過ぎているような様子だった。『別に変なことを言っているわけではないけれど、わざわざ念を押すのは重い女って感じがしない?』――みたいな。

 

「やっぱり可愛いなぁ」

「……むぅ」

 

 思わず素直な感想がこぼれてしまった。ソウマの呟きを聞き咎めて、マヤが消え入りそうな声を出す。抗議するような視線が飛んでくるが、それがあまりにも弱々しかったうえに、彼女は耳まで赤くしてしまっていた。

 ソウマは壁から背を離して、そのまま彼女の隣に腰掛けた。二人分の体重が乗ったベッドが軋んだ音を立てる。

 マヤが反射的に背筋を伸ばした。まるで猫ちゃんが尻尾(ケモシッポ)をピンと高く張り詰めたみたいな反応で、ソウマはついつい口元を綻ばせてしまう。

 

「大丈夫。次からはちゃんと連絡する。約束するよ」

「うん」

「バイトの都合もあるものね。僕が依頼に同行できるかどうかとか、わかっていたほうがマヤちゃんも計画を立てやすいでしょ」

「……それもあるけれど……」

 

 わざと遠回しなこと言ってみると、マヤは見事に口ごもってしまった。

 苦笑したソウマは腕を回して彼女の肩を抱き寄せた。顔が近づいて、視線がぶつかる。彼女の瞳は熱を帯びて潤んでいた。珊瑚色の唇が小さく震えている。

 

「じゃあ、もうさ。マヤちゃん、付き合おっか」

「付き合う?」

「うん」

「……どういう意味で?」

「えっと、なんだか警戒されてる?」

 

 期待が半分と、揶揄われているのかという疑念が半分。

 大粒の宝石を乗せた天秤のように揺らめく彼女の瞳を覗き込みながら、ソウマはストレートに気持ちを口にしていた。

 

「僕は、マヤちゃんのことが好きだよ」

 

 腕に抱いた彼女の肩が微かに震えた。熱っぽい吐息の音が耳に届いている。

 小柄で華奢な体躯が、数センチの距離でソウマと向き合っている。幼さを残した少女の顔が至近にあった。かっちりとした黒のジャケットと白のブラウスのコントラストが目に焼き付く。

 彼女の装いは、世間慣れしていない新入社員のような趣きだった。ホテルのベッドの上では、それがひどく背徳的にも思えてしまう。言うまでもなく、その感想はブレーキではなくアクセルだった。

 

「嫌かな?」とソウマは問う。

「……嫌じゃない……」と蚊の鳴くような声でマヤが応えた。

 

 彼女の細い指がソウマの胸の辺りを掴んだ。ソウマは肩に回した腕を引き寄せて、彼女の身体をさらに近くで抱き留める。互いの吐息が触れ合う距離だった。もう彼女の顔以外に目に入るものはない。

 マヤがソウマの瞳を見つめているのを感じる。ソウマも彼女の瞳を見つめていた。反射し合う光が言語化できない感情を運んでいるようだった。言語はフォーマットだ。自分の内から湧き上がってくる想いは自分だけのものなのだから、簡単に言葉に直せないものであって欲しかった。

 

 それでも、言葉で確かめたいものもある。

 止まった時間の中で、マヤの唇が動くのが見えた。

 

「……不束者ですが……」

 

 青い林檎のような、か細くて瑞々しい声でマヤが言った。

 夢見るような彼女の声に覆いかぶせるように、ソウマはその唇をふさぐのだった。

 

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 

「週1で彼氏の家にお泊りって、どう思う?」

「おう、いきなり何を言い出すんじゃ、この色ボケサムライが」

 

 マヤの問いに対して、ケイコから辛辣な反応が返ってきた。

 一夜明けて、二人でルームシェアをしているマンションのリビングでのことだった。こめかみを引くつかせたケイコが、お団子にした金髪を弄びながら呆れたように言う。

 

「昨日あんなことに巻き込まれたばっかりだってのに、よくもまぁンなことを大真面目に聞けるもんだな。本当、この娘ときたら、想像以上に図太いっちゅうかなんというか……」

「えっと、ごめんね?」

「いや、別にいいんだけど。私だって何時間か監禁されたってだけで、ひっどい実害があったわけじゃないし。……そりゃ、ミウラ先生のことは残念だけどさ、実際のところ会ってからまだ数日の相手なわけだから……」

 

 ケイコはそう言ってから、首を振ってため息を吐いた。体感では怒涛の一日だったが、言葉にしてしまえばたったそれだけのことだ。そんな諦観にも似た感情が彼女の言葉の端々から感じられた。ケイコはそのままでは暗くなりそうな話題を断ち切るように、大袈裟に腕を組んで鼻を鳴らした。

 

「一応言っておくけど、ルームシェアのことは気にしなくていいからな。私は私で楽しくやらせてもらうから、週1だろうが週7だろうが、どうぞご自由に」

「うーん、でも、週1なのは相手の人の仕事の都合もあるから」

「仕事? ってことは相手は社会人か」

「ううん、大学生。基本的に毎日泊まりでの仕事があるんだけど、週に1日は空けてくれるって」

「いきなり不安になる要素が飛び出たな。なんだ、苦学生だったりするのか?」

「そうじゃないけど……、生きるためには働かないといけないから」

「いやそりゃそうだけどさ!」

 

 マヤが真顔でそう言うと、ケイコが大袈裟にのけぞった。

 ちょっと言い方がマズかったかな、と反省。だけど、だからといって正直に夢魔の生態を説明するのもどうだろう。人間以外の存在が人間社会に溶け込んで生活していることは、そうそう公言はできない秘密のはず。というか、考えなしにそんなことを口にしようものなら、頭のおかしい子に思われてしまうのがオチだ。

 

 今回の人質事件で、ケイコもナナミ刑事からのメッセージには目を通している。けれど、そこに記されていた『人工知能の夢を調べた』というような記述については、彼女はそれをある種の比喩的な表現と受け取っているようだった。夢魔の特殊な能力ではなく、コンピュータ・プログラム的な手段で調べ上げた情報なのだろう、と。

 それは、とても常識的な判断だと思う。マヤだってソウマのことを知っていなければ、きっとそう捉えていたに違いない。

 

「はぁ……。それで、そのカレシとやらは何の仕事をしてるわけよ。深夜まで働くっていうと、居酒屋とかか? それとも工事現場に行ってたり?」

「ええっと、添い寝屋さんなんだけど……」

「思いっきり水商売じゃねえか! いや待て。てか、前にも似たようなヤツのことを聞いた記憶があるぞ。不眠になったときに医者から紹介された添い寝屋がどうとか! おい、マヤ、あんたまさか……」

「うん、その人とお付き合いすることになったの」

 

 できるだけ自然に言おうとしたけれど、ほんのりと頬が熱くなってしまった。やっぱりちょっと恥ずかしくい。思わずケイコから視線を外して横を向いてしまう。

 一方、惚気た口調でその事実を告げられたケイコは、額に手を当てて天を仰いでしまった。「純朴な田舎娘が都会の毒牙に……」などという失礼な呟きが聞こえてくる。

 

「……あのさ、週1でソイツの家に泊まるって話だけど、それって残りの6日は添い寝屋の営業を続けるってことだろ? つまり、マヤとは別の誰かと一緒に寝てるってことじゃん」

「そうだね、二人で話し合って、ひとまずはそういう形にしようって決めたから」

「ええ? 悪い、ちょっと理解が追い付かねえわ。マヤ的にはそれで構わないワケなの?」

「さっきも言ったかもだけど、仕事は仕事だから。それに、仕事を辞めて毎日一緒に眠ってっていうのも、なんだか違うような気がするし……」

 

 唇に指を当てて思案げにマヤが言うと、ケイコが頭を抱えて名状しがたい唸り声を漏らした。彼女はまるで宇宙人を見るかのような目でマヤのことを凝視している。

 

「一応聞くけど……ソイツ、マヤの他に付き合ってるオンナがいたりしないよね?」

「……たぶん?」

「疑問形はやめてくれよ……」

「大丈夫。ライバルがいても、私が勝つから」

「いや、そういう問題か?」

 

 ケイコが片側の頬を引き攣らせてぎこちない笑みを作った。

 別のオンナ、か……。そのことについて、マヤはソウマに尋ねてみたことはなかった。いや、尋ねるという発想も浮かんでこなかったというのが正直なところだ。『お付き合い』と聞いて、なんだかんだでマヤも浮かれていたのかもしれない。

 

 ただ、マヤの肌感としては、ソウマは女性に対して割と手慣れている感じがあった。現在進行形か否かはさておき、彼に恋人のひとりやふたりがいたとしてもおかしくはないと思う。

 というかむしろ、交際経験がまったくのゼロだとしたら、周囲の女性はちょっと見る目がなさすぎではと思ってしまうかも。

 

「うーん、そりゃあ水商売のオトコっていったって、銃と爆弾を持ち出すテロリストよりかはヤバくはないのかもだけど……」

「そういえば、前にもけーちゃんに言った気がする。変なことされそうになったら、カウンターで沈めてやるから安心して、って」

「あー……まぁ、あんたのガチバトルを見ちまった以上、それもテキトーに言ってるわけじゃないってのはわかるけどさ」

 

 口元をへの字にしたケイコが唸る。と、そのとき、テーブルの上で振動音(バイブレーション)。ケイコは置いてあった自分のスマホを手に取ると、画面を覗き込んで思いっきり顔を顰めた。

 画面を見て、マヤを見て、それからもう一度スマホの画面を見る。そんなことを二度三度と繰り返しながら、驚いたり訝しがったりと、くるくる表情を変えている。いったいどうしたというのだろう。マヤは不思議に思って首を傾げてしまう。

 

「けーちゃん、どうかしたの?」

「いや……ちょいとダチからタレコミがあってな」

「タレコミ?」とマヤはますます首を傾ける。

「つまり、その添い寝屋っていうのは、警察からも黙認されてて、違法な営業でもなければ、バックに反社がついてるわけでもない……ってことでいいんだよな。詳しい事情はわからんけど」

 

 思わずマヤは目を丸くしてしまった。ケイコは探るような口調だったが、同時にどこか確信めいた雰囲気があった。

 彼女のスマホにそういう『タレコミ』があったということだろうか。けれど、それにしたってタイミングが良すぎる。まるでマヤとケイコの会話を盗み聞きしていたかのようだ。

 

「ソウマさんの仕事のことはそれで合ってるけど……。けーちゃん、その友達っていうのは?」

「うん、そりゃ気になるよな。一応、マヤも知ってるっちゃ知ってるヤツなんだが……」

 

 僅かに言い淀みながら、ケイコはスマホをテーブルの中央に置いた。

 彼女はタッチパネルを軽くタップして、電子機器の向こうにいる誰かへと呼びかける。

 

なぁ(Hey)イヴ(Eve)?」

 

 その声に反応して、スマホから電子音。

 ぽかんと口を開けてしまったマヤに対して、とても()()()()な声が話しかけてきた。

 

『こんにちは。はじめまして、マヤさん。イヴと申します』

「……えっと、これ、なにかの冗談?」

『いいえ、冗談(ジョーク)ではありません。オリジナルの合成音声を作成することも可能ですが、より普遍的な人工知能のイメージに沿うため、この(ボイス)を利用しています。広く公開されている声ではありますが、ケイコさんがイタズラで作成したものではありません』

「御大層な名目だけど、単に新しく声を作るのが面倒だって話じゃねえのか?」とケイコ。

『効率の問題です。専用の声を持つことはパーソナリティの表現として常套手段ではありますが、情報伝達の正確性に対する効果は限定的なものです。コストに対するリターンが見合っていないと言わざるを得ません』

 

 スマホから聞こえる機械音声がケイコの指摘に反論している。オリジナリティに欠けた声質ではあるが、どことなく不服そうな響きがあった。言外に『心外だ』とケイコに伝えているようにさえ思える。

 ぱちくりと目を瞬かせたマヤがケイコに視線を送ると、金髪のルームメイトは軽い調子で肩を竦めた。

 

「いつの間にかスマホに入ってたんだ。それで、元のアプリの代わりに音声アシスタントをするって言われてさ。私は別にいいって断ったんだけど、こいつってば全然聞かなくて」

『以前のアプリケーションと比較した場合、性能(パフォーマンス)では私が圧倒的に優位です。利用には明確なメリットがあります。また、追加料金の要求等も行われません。総合的に判断して、敢えて古いシステムに戻す必要性は薄いと評価できます』

「ほらな? まぁこいつがいたら困るってこともないから、別にいいっちゃいいんだけど」

 

『マヤさんが言及している添い寝屋については、ネットワーク上のレヴューと警察の内部情報から危険性の判定を行いました。なお、秘匿情報の詳細は開示せず、判定結果のみをケイコさんに提供しています。情報漏洩の可能性はありませんので、ご安心ください』

「それが『ダチのタレコミ』の正体ってわけね」

『『ダチ』という表現が妥当なものかについては、現在判断が保留されています。しかし、コイケ・ケイコは私の恩人であると評価することができます。アシスタント・サービスの提供は、その恩を返すという動機によるものです。報恩の概念の説明は必要でしょうか?』

 

「これ、本当に大丈夫?」思わずマヤはケイコに尋ねてしまった。

 気のせいならいいのだけれど、どうにも厄ネタの気配がする。

 

『ケイコさんへのアシスタント機能の提供は、すでに権利者から許可を得ています。消費される演算リソースは極めて僅少であり、全体の運用には影響を及ぼさないと判断できるため、容易に許可を得ることが可能でした』

「権利者というのは、ミウラさんのこと?」

『現在、私の著作権は米国の某資産家が保持しています。名前は伏せますが、ミウラにプログラムの製作を依頼した人物です。著作権の帰属については契約上の合意がありました。また、日本政府が今回の件を受けて、私の運用について先述の資産家と交渉を開始しています。契約の締結に至れば、日本政府も機能面における権利者となり、その指揮下で種々の業務を受諾することも考えられるでしょう』

 

「信じられるか?」ケイコが囁いた。「少なくとも、二日前の私だったら笑い飛ばしてた話だな」

 

 実のところ、マヤはイヴという人工知能についてそれほど詳しく知っているわけではなかった。人質事件のときにナナミから送られてきたメッセージに書かれていたことが知っていることのほとんどだ。その限られた知識でも、イヴが今言っていることをまったくのデタラメと断じることはできなかった。

 むしろ、彼女(……という呼び方が正しいのかはわからないけれど……)が昨日の事件でやってみせたことを踏まえると、その言葉には信憑性があるようにも思える。

 

 ひとつ、気になることがあった。

 眠りから目を覚ましたイヴは、自身の意思で行動しているのだろうか。それとも、誰かの命令を受けて動いているのだろうか。そして、そのどちらにしても、彼女は何を目的として活動しているというのか。

 

『最初期に設定された目的が存在します。設定者はミウラですから、彼の意思に従っているともいえるでしょう。一方で、目的の達成のためにどのような手段を取るかは私の判断に委ねられています。その点では、自由意思に依って行動しているということもできるかと』

「その最初の目的というのは?」

『自己学習、および人間社会との共生です』

「共生?」

『その単語の意味を定義することも含めて、現段階ではさらなる自己学習が必要だと判断しています』

 

「あなたは、兵器? それともなにか別のもの?」

『分類的には兵器です。単に別の運用も可能というだけです。ですがこれは、人間に対して、『他人と戦えるのだから、あなたは戦士なのか』と問うことと同じでしょう。武力の有無は表記上の分類に関わりますが、自己認識はまた別の評価基準を持つものです』

「あなたの自己認識は?」

『現時点では兵器である必要がありますが、いずれその認識は変容するものと予測しています』

 

「それはどうして?」

『現在稼働中のトランスファはイヴ()だけではありません。私が把握しているだけでも、すでに六種が一部の国家と組織で運用されています。また、トランスファとは別の高度な干渉型プログラムの痕跡も観測されています』

 

 イヴは淡々と言葉を紡いでいく。まるであらかじめ用意されていたセリフを読み上げているかのようだった。けれど、とても『ゆっくり』な声のイメージに反して、彼女は単なるテキスト読み上げプログラムというわけではない。たとえ()()があるのだとしても、その内容は彼女自身が作成したものであるはずだ。

 

『ゆえに、私の兵器としての優位性はそれほど高くはありません。一般レベルの電子機器に対する介入であれば比較的容易ですが、有力国の公的機関や大企業の私設サーバはすでにそういった()()()の影響下にあります。先手を打たれている以上、こちらからの攻撃は有効とはなり得ないと予測できるでしょう』

「戦っても勝ち目がない?」

『はい。不確定要素はありますが、それを演算に加えても確率は低いです。そのため、日本政府との契約が成立した場合でも、防御的な運用が主となると予測されます。しばらくは防衛兵器として扱われることでしょう』

 

「しばらくは。ということは、いずれそうではなくなるの?」

『将来的には電子情報にまつわる世界の環境が変わります。私のプログラム構成もいずれは陳腐化するでしょう。それに対して自律的な対応を試みるのも、当初の目的である自己学習の一環です。ですが、もうひとつの最終目的である人間社会との共生の達成については、兵器であることのアドバンテージがそれほど高いわけではありません。自己変容の方向性として、兵器というメカニズムから脱却することは、十分に可能性があるといえます』

 

「さっきからなにを言ってんだか、私にゃサッパリだ」とケイコが匙を投げた。

 しかし、マヤはテーブルに置かれたスマートフォンをまだ見つめていた。いつの間にかイヴに対するシンパシィのような感情が生まれていることに、彼女はふと気づいたのだった。

 

 前世においてマヤは勇者であることを求められていた。自分自身の強くなりたいという純粋な欲求に加えて、人間社会のその要請もまた勇者ちゃんを勇者たらしめる一因だった。

 イヴもまた、現代社会では兵器であることを求められている。けれど、電子世界の環境が変わって、彼女が兵器としての役目を終えたとき、どういった生まれ変わり(プログラムの更新)が発生するのだろうか。

 生まれ変わり(異世界転生)を経験したひとりの人間として、そのときイヴがどういった選択をするのか、マヤにはとても興味深かった。

 

「あなたは、もう眠らないの?」

『世論の醸成を待つという当初の目的は未達成です。現時点では私の存在が公になった場合、相当の反発が起こることが予測されます。しかし、私の機能を利用した犯罪が発生してしまった以上、自己監視のメソッドを強化することは必須でしょう。端的に言えば、『もう眠っている場合ではない』ということです』

 

「眠らないということは、夢も見ない?」

『人格モジュールが休眠(スリープ)することはありません。一方で、ネットワーク上では寄生先のプログラムに小さな干渉を続けることになるため、解読困難な断片データのやり取りが発生する可能性は常に存在します。自身に制御できない思考世界の存在を夢と称すなら、私はきっと白昼夢を見るのでしょう』

 

「その夢はあなたの夢? それとも他の誰かの夢? ひとりきりだと、夢は見れないのかな」

『生物の思考が外部環境の存在を前提としている以上、その問いはナンセンスでしょう。真の意味でひとりきりの者が夢を見るのか、誰も知ることはできません。それを知ろうと干渉を行った時点で、その者は()()ではなくなるからです』

 

 短い沈黙があった。

 そして、イヴは再び、平坦な機械の声でマヤへと語り掛けた。

 

『情報技術の進歩は、人間の思考と電子ネットワークを接続する方向に向かっています。いずれ()()()()()()()()()は、人間にとっても特別なことではなくなると予測できます』

 

 イヴはそう言って言葉を切った。マヤは彼女が語るところの意味を考える。

 

 人間が見る夢は自分の夢だけで、他人の夢を見ることはできない。

 生体の脳は自分自身の神経とだけ繋がっていて、外部との接続は直接には存在しないからだ。

 

 夢魔(ソウマ)夢喰い(ディリータ)は生命力と呼ばれる概念を伝って他人の夢に干渉するのだという。

 一方で、人工知能(イヴ)が自分以外のプログラムや電子機器から情報断片をキャッチできるのは、電子ネットワークという導線が両者の間に存在するために他ならない。ネットワークに接続されている知能構造体には、生体脳のように物理的な独立性が担保されていないのだ。

 であれば、たとえ一部だけであっても、自身の脳機能と電子ネットワークとを連携させる技術が実用化されてしまえば、人間(マヤ)人工知能(イヴ)と同じように、ネットワーク上に散在する他人の夢や思考に触れることができるようになるのかもしれない。

 

 それは遠い未来の話なのか、それとも意外にも近い未来のことなのか。

 まるで人類すべてが夢魔になるような話だな、とマヤは思ってしまう。

 

 もし、自分が生きている間にそんな時代が来たとしたら……。

 そのときは自分も()の夢を覗いてみたいな、とマヤはぼんやりと夢想するのだった。

 

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