夢魔さんは眠りたい   作:子守家守

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長命種たちのエピローグ

 笛吹き男(ハーメルン)と呼ばれる者がいる。

 伝承においてその名が示す通り、小動物を操る能力を持った人物だ。

 

 年齢、性別、人種、国籍、すべてが不明で、単独の個人を指しているのかもわからない。

 笛吹き()か、笛吹き()か、はたまた笛吹き()なのか……。その人物の正確な素性を知っている者がいるかさえ定かではなかった。

 

 日本ではおよそ100年前から、その名で呼ばれる人物の活動が確認されている。当時と今とで同一人物かは不明だが、小動物を操ることができる謎めいた人物が存在していたことは確かなようだ。

 意外なことに、笛吹き男(ハーメルン)が明確な犯罪行為を行ったという記録は残っていない。伝承のような児童誘拐などもってのほかで、むしろ当局になんらかの協力を行ったことで名前が残っているケースが多いようだ。もちろん、表沙汰になっていないところで法に反した活動をしている可能性も完全には否定できないが……。

 

 現代において笛吹き男(ハーメルン)の名前は、警察等政府機関の非公式の協力者として、ごく一部の識者にだけ知られている。

 ディリータがその名を知ったのは、マシューという男による立てこもり事件のときだった。協力要請を行ったのはナナミ刑事で、彼女(というか日本警察)は正体不明のこの人物に渡りをつける方法を知っているようだった。

 実際にどういった手順が取られたのかまでは把握できなかったが、要請を受けた笛吹き男(ハーメルン)は見事に依頼されたメッセージを事件現場に届けることに成功したらしい。この点において彼(あるいは彼女)の持つ能力を疑うべくもないだろう。

 

 もっとも、その立場としてはあくまで協力者というだけであり、政府組織のみに味方しているというわけではないようだが……。

 

 地下技研の自室の机にいつの間にか置かれていたメッセージカードを眺めながら、ディリータは彫像のような表情の眉を微かに動かした。

 

 

 

 

 ………

 ……

 …

 

 

 

 

 地下技研と地上との出入りは制限されていたが、禁止されているわけではなかった。

 それなりに面倒な手続きが必要なものの、定められた方法で申請を行えば、おおむね数日後には外出の許可が下りるのが常である。少なくともディリータの知る限り、外出申請が却下されたという話は聞いたことがなかった。

 

 外出時は最低二人の護衛がつく。一応、監視も兼ねているのだろう。大袈裟なことだ、とは思うが、別に不自由があるわけでもないので、ディリータとしては特に文句もない。護衛につくのはいつも同じ二人組で、今ではすっかり顔見知りになってしまった。

 

 その日、ディリータは護衛の男の運転で地上に出た。窓がスモークされたお馴染みの車両は、十分な遠回りをしてから目的地の付近で停車した。

 秋葉原の家電量販店の立体駐車場だった。コンクリに囲まれた空間だが、技研の地下駐車場と比べると空気が湿っている。気温も高い。季節はまだ真夏で、時間帯も日が高い時分である。

 

 店内には入らず、駐車場からそのまま外に出た。

 眩いばかりの日射しがディリータたちに照り付ける。ディリータは陽気なアロハシャツで、護衛の二人組も半袖の白シャツだった。平日の真昼間から出歩く風体としてはいささか目立っていたかもしれない。とはいえ、秋葉原に限っていえばそこまで特異な格好でもないだろう。せいぜい暇を持て余した外国人の観光客と思われるくらいだ。

 

 ディリータは沿線の個人店を覗いて歩いた。数歩遅れて護衛の男がついてきているが、特に会話を交わすでもなく、ひとり気の向くままにパーツショップを冷やかしていく。

 研究に必要な機材であれば、技研でも購入を申請できる。大抵の場合、カタログで型番を調べて、割り当てられた研究費の中からやりくりする形だ。当然のことながら、わざわざパーツショップの店先までやって来てジャンク品を吟味する必要などどこにもない。

 

 つまりこれは、純然たる趣味的な買い物であるということ。休暇を取っているので、もちろん勤務時間外である。こういった店で実用的なアイテムが見つかることはほとんどないのだが、ごくまれに物珍しい品物に出会えることもあり、地上の空気を吸うのと合わせて良い気分転換になっている。

 付き合わされる護衛の二人組にとっては退屈この上ないことかもしれないが、そこは職務の一環として納得してもらうしかない。

 

「失礼、少しトイレに寄って来るよ」

 

 数軒のショップを梯子したところで、ディリータは護衛の二人に声を掛けた。

 最寄りのコンビニに入って、奥まったところにある個室のドアを開ける。護衛の男たちは店内に残してきた形だ。

 薄っぺらいドアが外部からの視線を遮ったところで、ディリータはスマートフォンの時計を確認した。約束の時間にぴたり。満足げに頷きをひとつ、彼はトイレの個室から外に出る。

 

 ドアの先は天井の高い廊下だった。清潔感のある白いタイル床が照明を反射して艶めいている。どことなく高級ホテルを連想させる雰囲気である。つい先ほどまでいたはずのコンビニエンスストアの雑然とした風情とはまるで異なっている。

 

「今日の護衛は貧乏籤だな」

 

 ディリータは皮肉気に口元を歪めて廊下を歩きだす。特に案内は見当たらないが、分かれ道もないのだから道なりに進むだけだ。愛用の杖の音が静かな廊下に厳かに反響している。真夏のアキバ以上にアロハシャツが不似合いな空間だった。

 

 しばらく歩くと広い空間に出た。ゆったりとしたデザインのテーブルとチェアが並んだラウンジ風のロケーションだ。正面の壁がガラス張りになっていて、建物の外の様子が大写しになっている。抜けるような青い空が圧倒するようにガラスの向こうで輝いていた。

 

 約束の相手はラウンジでディリータを待っていた。

 

 薄青のクラシカルなドレスを纏った令嬢が、背後に付き人を従えてアンティークの椅子に腰掛けている。付き人の若い男はモノトーンの執事服。対して、その女主人は絹のように滑らかで長い髪が印象的だった。ディリータに視線を向ける仕草ひとつとっても洗練されていて、真珠のような気品を纏っている。

 

「やぁ、久しぶりだね、夢喰い(ドリームイーター)

「お招きありがとう、絹の娘(シルキー)。かれこれ何年ぶりになるかな」

 

 木目調のテーブルを挟んで彼女の対面に腰掛けた。眼前の彼女は記憶の中の姿からほとんどなにも変わっていない。百年を超えて生きる永遠の令嬢は薄絹のような儚い微笑みを湛えている。

 

「最後に会ったのは三年前の六月だね」

「そうか、もう三年も経つのか」

「いきなり姿を消すだなんてひどいじゃないか。あれからずっと君のことを探していたんだよ」

「それで、今回の騒動か?」

 

 右の眉を微かに動かしながら尋ねれると、シルキーは困り顔を作りながらも素直に頷いた。

 明け透けな彼女の態度にディリータは小さくため息を吐く。

 

「あまり褒められたやり方ではないな。人間の法を明確に犯しているうえに、人的にも物的にも小さくない被害が発生している。社会との衝突は避けられまい」

「言い訳になってしまうけれど、当初の予定では死傷者は出ないはずだったんだ。研究施設の警備員にせよ件の人工知能の開発者にせよ、殺害にまで及んでしまったのは現場の判断によるものだよ。ぼくの想像以上に、マシュー・スミスは感情面で不安定な状態にあったというわけだ」

「だが、計画の立案者は間違いなく君だろう。可能性が低くとも、予見することはできる事態だったはず。それを現場の責任で片づけてしまうのは美しくないな」

「それはそうだね。まったくもってその通りだとも」

 

 茶化すでも誤魔化すでもなく、絹の娘はただ寂しそうに目を伏せた。

 

「警察に自首するつもりは?」

「今はまだ。少なくとも、抱えている仕事を軌道に乗せてからじゃないと。色んな勢力の利害が絡んだ事業だからね。それがひと段落したら、日本の警察とも話し合いが必要だとは思っているよ」

「その仕事というのが、この場所のことなのか?」

 

 椅子に座ったまま、ディリータは周囲に首を巡らせた。

 

「ここが、君の作った隔離領域だと?」

「外ではそんな風に呼ばれているのかい? 呼び方はともかく、そうだよ。この場所は外界とは断絶した空間に存在している。人類存続のために、ぼくの設定した実験的な世界だ」

「想像よりもデザインが新しめだな。いつ頃の時代をモデルにしているんだ?」

「生活様式は現代のそれを踏襲しているよ。別に居住者に不便を掛けたいわけではないからね。過去の時代に遡った世界を構築することもひとつの案ではあったけれど、現代の人間を移住させる場合、無視できないレベルの違和感やストレスが予測されたから、結局こういう形に落ち着いたんだ」

 

 彼女の背後に控える付き人とは別の人物がティーカップを運んできた。ヴィクトリア調のメイド服を着た少女がディリータとシルキーに紅茶を注ぎ、優雅に一礼して去っていく。ずいぶんと堂に入った所作だった。

 シルキーは昔から執事やメイドを従えていた。ディリータと出会った頃からそうだった。もう百年以上も昔の話である。執事とメイドの顔触れに何度か入れ替わりがあったことは覚えているが、さきほどのメイドや背後の執事が三年前と同じ人物だったかどうかは、どうしても思い出せなかった。

 

「現代をモデルにした社会で、君の目的は達成されるものなのかな?」

「さて、どうだろうね。知っての通り、ぼくは人間が人間のまま世代を重ねていく社会を求めている。それは、現実世界の人類に種族的な変革の気配があるからだ。電子化と情報化の進展は、社会の在り方だけでなく、人間という種そのものにまで変化を及ぼすものだとぼくは考えている」

 

 シルキーは紅茶を口に運びつつ、微かに首を傾げた。

 

「けれど、その決定的な分岐点がどこにあるのか、正確なところぼくにもわからない。いや、この世界の誰にもわからないことだろう。なにしろまだ誰も経験したことのないことだからね。いずれにせよ、現代社会の人間であれば、まだぼくの知る人間というカテゴリの中に留まっているのは確かだ。であれば、わざわざ過去の世界を遡って再現しなくても、現状を維持するための世界を構築することができれば、実験の環境としては十分と言えるだろう?」

「つまり、現代をベースにして、それ以上の技術の発展を否定した世界か」

「仕事はあるし、娯楽もある。人間関係を基盤にした社会生活もある。特定の技術開発にストップを掛けてはいるけれど、今のところ目立った問題は発生していないね」

「進歩の否定も社会の選択のひとつではある。歴史的に見て、顕著な成功例は見いだせないが」

「物質的な豊かさは外の世界でもすでに頭打ちだよ。個人レベルでの貧富の格差はあるけれど、文明としてはひとつの到達点にあると言っていい」

 

 その点についてはディリータもおおむね同意するところではあった。飢えず、凍えず、怪我や病気に対して十分な治療体制が整えられている社会においては、一定以上の資産を有していれば大多数の人間が平均的な寿命まで生きることができる。肉体的な欲求――つまり、生存のための欲求――はテクノロジーと社会制度によってすでに保障されていると言っていい。

 

 であれば、今後の科学技術の方向性はどういったものになるのか。

 

 たとえば、宇宙開発は先端技術研究のひとつの目玉であるが、その成果が物的な豊かさに革新的な進歩をもたらす可能性はそれほど高くないように思える。希少資源の発見や惑星の緑化による人類の生存領域の拡大は、結局のところ現代的な『豊かさ』をより多数の人類が享受できるように推し進めることに他ならない。

 

 エネルギーは有限だ。それは人類が宇宙進出に成功しても本質的には変わらない。

 限られた資源で可能な限り多くの人間に恩恵を与えようとするならば、技術進歩は効率化と普遍化へと進んでいくのが自然な流れだ。エネルギーを馬鹿食いする空飛ぶ自動車よりは、再生可能なエネルギーで高効率な地上用の自動車の方が社会からは歓迎されるだろう。

 

 また、将来的に宇宙旅行がビジネス化したとしても、それが人類にとって新たな豊かさの象徴になるかといえば、ディリータとしては首を捻らざるを得ない。宇宙旅行も地球旅行も、実は大差がないのではないか。未開拓の宇宙空間を見に行くことと、地球上の未開発の自然を見に行くことは、動機としてはほとんど同じもののように思えてしまう。

 

 あるいは、ただ単に異国の風景を楽しみたいというのであれば、ヴァーチャルで再現するという方法もあるだろう。その再現の精度は今後飛躍的に向上していくはずだ。

 人間は思い込みの生き物であり、五感を錯覚させて騙すのはそう難しくない。少なくとも、宇宙旅行よりは容易に実現できる技術である。そのうえ、コストや安全性でも比較にならないほど優位にある。もしかしたら、宇宙旅行が一般化する頃には、すでにほとんどの人類が疑似的な宇宙生活を体験しているかもしれない。

 

 そんな風に考えてしまうのは、ディリータが単に無感動な性格だからかもしれない。

 しかしどちらかといえば、彼が関心を寄せているのは、科学技術の発展がもたらす物的なリソースの確保や人類の行動圏の拡大よりも、その過程で人間の精神にどういった変化が現れるのかという点だった。

 

 たとえば、長期の宇宙開拓に携わった人間の心にどんな変化が現れるのか。

 あるいは、電子空間に知性を接続した人間がどういった精神構造を獲得するのか。

 

 それらは物的な『豊かさ』とは別のベクトルで人類に変革をもたらすことになるだろう。

 

「ぼくが疑問なのはね、情報技術の発展は本当に人類にとっての発展なのかという点なんだ。情報ネットワークの世界的な拡大によって、確かにぼくらは旧世代よりも多くの情報を獲得できるようになっている。だけど、いったいどれだけの人間が真の意味でその恩恵に浴しているといえるのかな。知る必要のない情報、知りたくもない真実、捻じ曲げられたニュースに、扇動的な訴え……。今、ぼくらの周囲には、あまりにも無駄な情報が多すぎる」

 

 口元に運んだティーカップを戻しながら、シルキーはディリータの瞳を覗き込んだ。

 

「ひとりひとりの個人が処理できる情報の量と密度には、個体差と限界値があるというのがぼくの持論だ。行き過ぎた情報の氾濫は、大多数の人間にとっては潜在的な毒となり得る」

「同じ話を百年以上前にも聞いたな。確か、マスメディアという概念が生まれた頃だったか」

「そうだね、そのときもぼくは同じ懸念を持った。そして、残念なことに、人類は今なおマスコミュニケーションが抱える種々の歪みを解消するには至っていない。となれば、情報ネットワークを基盤とした社会の行く末にぼくが疑問を抱くのも当然の流れだろう?」

 

 皮肉げな口調でシルキーが口を斜めにする。

 ディリータは顎の白髭を撫ぜながら頷いた。

 

「だからこそ、人類の知性は今後、情報処理に特化する形で変容することになる。現時点では、私はそのように予測している」

「君が今研究している娘のように、人間の脳をネットワークに接続するするわけだ」

「あるいは、補佐的な人工知能と共生関係を構築することも考えられるな」

「そのためのデバイスを頭の中に埋め込んだり? ぞっとしない話だね」

 

 絹の娘(シルキー)は諦めたような長い溜め息を吐いた。

 

「確かに、その未来を否定することはできない。だけど問題なのは、そうやって変容した人間の精神が、ぼくらにとって『人間』であり続けるのかということさ」

「我々が生存するための生命力をその新しい精神が保持しているのかという疑問だな」

「そうさ。いいかい、夢喰い(ドリームイーター)。ぼくはその変容がある種のグロテスクなものになると考えている。本来の頭脳では扱いきれない情報量を無理やり頭の中で処理しようとするのだから、そこになにかしらの歪みが生まれるのはむしろ当然のことだよ。その歪みがぼくらのような人外にとって致命的なものになる可能性は十分にあり得る話なんだ」

 

「だから、君はこの領域で現代の人類を保存しようと考えている」

「その通り。この実験計画は、ぼくと協力者にとって、生存のための方策なんだ」

 

 楚々とした仕草で頷いて、シルキーは柔らかく微笑んだ。その表情にはなんら暗いところはない。彼女がこの事業に対して、後ろめたい感情を抱いているということはなさそうだった。

 それならそれでいいのではないか、とディリータは思う。彼女のやろうとしている社会実験は、彼自身の信条とは別方向に舵を切ったものではあるが、それがまったくの無意味なものだとは思えないのも事実だった。

 

「さて、以前も一度聞いたけれど、改めて尋ねさせて欲しい。夢喰い(ドリームイーター)、今からでもこちらの実験に加わってはくれないかな?」

「返答は前回と変わらない。私には私の研究がある。君の実験にも興味を惹かれるのは確かだが、私の中の優先順位を覆すほどではない。謹んで辞退させていただこう」

「そうか……。いや、君がなんて答えるかなんて、当然わかってはいたとも。けれども、聞かずにはいられなかった」

 

 対面に座る令嬢の表情が寂しげに歪んだ。ほんの小さな変化ではあったが、ディリータにはそれを見逃さないだけの付き合いの長さがあった。

 人外であっても、死ぬときは死ぬ。寿命の長さも種族によってまちまちだ。彼女ほど長い親交を保っている相手は、もう二、三人しか残っていない。

 

夢喰い(ドリームイーター)、君は、昔から人間の変化に対して寛容な立場だったね。けれどそれは、決して人間に近しい立ち位置にいるというわけではなかった。むしろ君の認識は、自身の種族と人間とを、明確に別の生物種として峻別しているものだ。だから、人間という種族の変化をどこか他人事のように観察することができる。そうだろう?」

「肯定しよう。しかし、そう問うということは、君の認識ではそうではないと」

「そうだね。ぼくは自分自身を人間の一種だと思っている。つまり、人類という種の外れ値みたいなものさ」

「その自己認識が導くものは?」

「うーん、人間に対してぼくなりの仲間意識を持っているってことかな。ここでいう人間というのは、純粋な人間だけでなく、ぼくを含めたすべての人外も指してのことだけど。たぶん、それがぼくにとっての人類愛(ヒューマニズム)なのだろうね」

 

 そう言って、シルキーは苦笑いを浮かべた。

 

「そういうわけだから、やっぱりこの実験も途中で投げ出すわけにはいかないんだ。けっこうな人数の()()が将来に不安を抱えていて、この場所が彼らの拠り所にもなっているわけだしね」

「君の世界は、この先どこに向かうことになる?」

「ひとまずは狭義としての環境領域(アーコロジー)を目指すことになるね。生産と消費を外部に依存しない形で確立したい。その点では、まだこの世界も発展の余地があると言えるかな」

 

「折を見て君にもフィードバックを送ろうか?」と絹の娘は衒いのない笑顔で告げた。

「お願いするよ」とディリータは即座にその提案に応じる。

 

「ふむ、なにかお返しが必要かな?」

「またいつか、一緒にお茶をしよう。それと、今度は勝手に行方をくらませないでくれたまえよ」

「善処しよう」

 

 ティーカップの紅茶は冷めきっていた。ディリータは杖を突いて椅子から立ち上がる。あまり長居をし過ぎるのも、外に残してきた護衛の男に悪いだろう。

 

「そうそう、お土産があるんだ」とシルキーが指を鳴らした。数秒もしないうちに、ラウンジスペースの奥の方から台車を押したメイドが姿を現す。無骨な黒の台車の上には、これまた無機質な銀色の機体が載せられていた。

 見間違えるはずもなく、それは六本脚の(キャンサー)だった。盗難された五機のうち、三機は人質事件の現場で回収されたから、台車に並んでいるのは残りの二機だ。

 

「盗んでおいて、もう用済みか」

「ハードウェアの構造についてはすでに解析させてもらったからね。コレから得られた知見は、外部からの電子的な干渉を防ぐために利用させてもらうつもりだよ」

 

 ディリータは自身が以前、キャンサーのことをキーピックに喩えたことを思い出した。この兵器の技術的な核心がコントロールを行う制御プログラム――つまり、イヴのような自律的な知能――にあるのは確かだが、その一方で、ハードの仕様を解析すれば想定されている侵入手段に当たりをつけることもできる、というわけだ。キーピックの形状を調べて、それが対応している鍵穴のタイプを特定するようなものである。侵入に対する防御的な措置を取るのであれば、それもまたひとつの手段といえる。

 

「すでに攻撃を受けているのか?」

「攻撃と呼べるほどのものではないけれど、探りを入れようとしている勢力は、それなりにね」

「ご苦労なことだ」

「まったくもって」

 

 メイドから台車を受け取り、ディリータはそれを押しながら来た道を戻り始めた。杖を突くことはできないが、台車そのものが歩行の支えになるので、さほど苦労は感じない。白いタイルの廊下には障害物になりそうなゴミひとつとて落ちていなかった。

 誰が掃除をしているのだろう、と想像する。彼女の従者だろうか。それとも、ロボット掃除機にでも任せているのだろうか。少なくとも、掃除ができなければ人間にあらず、みたいな極端な思想はこの領域にも存在しないと思うけれど。

 

「そういえば」ふとディリータは足を止めて振り返った。「君は何故、私を勧誘するのだね?」

 

 絹の娘(シルキー)はその問いに大きく目を見開いた。そこにはストレート過ぎるほどの驚きの感情が浮かんでいた。珍しい。彼女のそんな表情は、ここ数世紀は見ていないかもしれない。

 

「何故、か」彼女は二度、三度とまばたきをして、それから愉快そうに口元を崩した。

 

夢喰い(ドリームイーター)、君は自身を人間とは別の種族と認識しているのだろう? となれば当然、自分以外の人外についても、まったくの別種族と捉えているわけだ」

「ああ、その通りだ」

「では、君にとってぼくとの関係はどんなものになるんだい?」

「種族的なシンパシィを感じたことはない。しかし、君という個人については、古くからの知人だと認識している」

「ただ古いだけの知り合い?」

「適切な言葉が見当たらない。友人という表現も考えたが、それよりはいささか複雑な関係性があると思っている」

「それは……、いや、ありがとう。それが聞けただけでも、今日君と会えて良かったと思えるよ」

 

 くすくすと口元を隠しながら絹の娘は笑みを零した。

 それから、「どうして君のことをしつこく勧誘するのか、だったかな」と永遠の令嬢は少女のように瑞々しい感情に溢れた声で応えた。

 

「それはね、君、ぼくが昔から君の熱烈なファンだからだよ」

 

 どこかで聞いた言い回しだった。偶然にしては出来過ぎている。

 つまり、同じセリフを吐いた二人は、ディリータの知らないところで繋がりがあるということ。

 今まで考えもしなかった関係性に、ディリータは思わず微笑んでしまった。なるほど、アオイヤマ・ソバコは通常時はオープンなネットワーク環境で生活している。外部からコンタクトを取ることも確かに可能なのだ。

 

 実に結構な話ではないか。

 目指すべきところが違う者同士であっても、常日頃から互いに反目し合うこともないだろう。保守的な年寄りと革新的な若者との交流から生まれる友情だってある。そして当然、プライベートな友人関係をいちいちディリータに知らせる必要なんてどこにもない。聞かされたとしても、所詮は他愛ない世間話といったところだ。

 

 しかし、そう、それなりにインパクトはあった。

 やはり、自分が知らなかったことを知るというのは、こんな些細なことであっても刺激になる。

 

 気付けばずいぶんと長く生きたものだが、これから先も、この現実にはまだまだ楽しめることが多そうだった。

 

 

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