東京は人が多すぎる。ソウマはよくそう思う。
しかしその人の多さが、彼のような混じり者を受け入れる土壌になっていることも事実だった。人が多ければ多いほど、異物であってもその中に埋没できる。あるいは、そこに住む人間の数が多いほど、彼のような人ならざる欲求の持ち主が後腐れなくマッチングできる人間も多くなる。
冷たいようで、意外と懐が深い。ソウマはそんなイメージをこの街に抱いている。多分それは、都市の持つ一面にしか過ぎないのだろうけれど。
きっと今より人が少ないころは、日本のどこだろうと、人間ではない存在がもっと目立ってしまっていたことだろう。だから、妖怪だとか化け物の話は、時代をさかのぼるほど多くなるのではないか。科学の発展と文明の明かりこそが非科学的な迷信と幻想を消し去ったと言うけれど、実のところ、人口の増加と周囲への無関心がそういった幻想の存在を隠し通せるほどに大きく成長しただけなのではないだろうか。
少なくとも、夢魔のような人型の幻想は今も存在しているし、科学の光に正体を照らされることもなく現代文明の中で生きている。それは確かな事実なのだから。
カモミロのクリニックを辞した後、ソウマはバイト先のホテルに連絡を入れた。
今夜の予約枠を設定するためだ。ホテルのフロントに部屋を準備してもらい、会員専用のSNSに出勤予定をアップロードする。現代社会に生きる夢魔は、夜のお相手を探すのにもテクノロジーにどっぷりである。
手持ちの端末がぶるりと振動。更新完了。受付開始。
予約の枠はひとつだけ。ソウマが相手にできるのは一晩に一人だからこれは当然。メニューは夜から朝までのぐっすりコースのみ。拘束時間が長いので、実は料金も割高だったり。
端末をポケットに戻す。告知後すぐに枠が埋まることはほとんどない。そもそも顧客の母数がそれほど多くないし、客側のスケジュールや財布の都合もある。
それでも、ソウマがバイトとしてホテルのサービス担当に名を連ねてはや4年。その4年で予約がまったく入らなかった日は数えるほどしかないのだから、大都会における睡眠の需要は推して知るべしだ。
実のところ、料金設定については葛藤があった。
金を取ると決めたのはバイト先のボスなのだが、ソウマにとって誰かを眠らせることは自分が生きるために必須の事情であり、このアルバイトもむしろ自分が助けてもらっている側なのではないかという意識があったからだ。
例えるなら、相手に食事を奢ってもらっているのに、何故かお金までもらってしまっているような後ろめたさ。このサービスを始めたての頃にはそんな罪悪感があった。
そのことに気が咎めて、一晩の眠りを提供した後に、とある客にこの料金についてどう思っているのか尋ねたことがある。ソウマの体質のことを知っている客だった。その人はソウマの質問にぽかんと口を丸くした後、豪快に笑いながらこう言うのだ。
「君にご飯を奢ってるって意識はないよ。敢えて言うなら、手料理を作ってもらって一緒に食べてる気分かな?」と。
目から鱗だった。
奢る奢られるではなくて、一緒に食事を楽しむ。確かにソウマも客も一緒に眠っているのだから、睡眠を食事に例えるならそれが正確かもしれない。
……だが、ちょっと待って欲しい。
二人が一緒に食事を食べて、その片方が料理店ではなくお相手と斡旋業者にお金を払うって。
それっていわゆる、デートクラブ? それともパパ活? ひょっとしてレンタル彼氏?
若かりし日のソウマはそれらのインモラルな響きに煩悶したりもしたのだが、今にして思えばなんとも青い考えだ。そういった水商売にしろソウマの仕事にしろ、利用者のニーズとサービス料の設定が釣り合っているのであれば、ひとつの商売として十分成り立っているといえるだろう。後ろめたく思ったり恥ずかしがる必要なんてどこにもない。
もちろん、悪意を持って相手を騙したり法に触れてしまうビジネスでなければ、だが。
開き直ったというわけではないが、利用者がじわじわと増えるごとにソウマは自分の仕事に需要があることを理解して、ああだこうだと思い悩むことは少なくなった。
ただ、それでもやはり、睡眠という行為を客と共有しつつ自分だけが報酬を得るという構造について考えさせられることはある。
対価を払ってもらうだから、相手にはその分の利益を提供したい。取引はイーヴンな関係であるべきだ。お金を払ってくれたゲストに「損をした」と思わせたくない。それが自分の仕事に対して責任を負うということではないか、と。彼がオプションと称して客の要望に応えるのも、そういう思いがあってこそ。
ポケットの中のスマートフォンが振動した。
通知を確認する。予約の申請が入っていた。見知った名前だ。2か月に1度くらいのペースで利用してくれる常連さん。30代前半の女性で、某有名企業の本社勤め。エリートコースを疾走中の、未来の幹部候補。ハードワーカーで徹夜が多く仕事のプレッシャーを抱えがち。
記憶しているプロフィールをざっと思い起こす。それから予約の詳細をチェック。予約フォームの一言コメント欄に記入があった。
『赤ちゃんになってソウマママに甘やかしてほしいです。ばぶぅ』
時刻を確認。午後3時。間違いなく勤務時間中。職場でこの文を打ったのか。
同僚への鉄面皮を維持しながらデスクの下でスマホを操るクライアントを想像して軽く眩暈。
予約の受付手続きをして、溜め息をひとつ。くらくらする気持ちを心の棚に押し込んで、ついでに素敵なメッセージを運んでくれたスマートフォンも雑な手つきでポケットに押し込んだ。
「……これも仕事だぞ、と」
年下の男なのにママ? などいう疑問を抱いたのも今は昔。求められている
これもひとつの現代社会の闇、もとい、現代社会の生み出した
………
……
…
ヤマノからホテルに連絡があったのはその翌日のことだった。
案の定、昨晩はいつもと同じ夢を見てしまい眠れぬ夜を過ごしたらしい。
「どうすればいいと思う?」
一昨日と同じホテルのラウンジで待ち合わせた彼女は、ソウマが姿を現すとテーブルから身を乗りだして食い気味にそう言ってきた。
先日と同じグリーンのジャケット姿。目元に薄っすらと隈のあるくたびれた雰囲気。さすがに一昨日ほどのどんより曇り模様ではないが、一晩分の熟睡で感情のメリハリが復活したからか、彼女から伝わってくる焦燥はむしろ強くなっている気がする。
「一回ちゃんと眠っちゃえば気持ちがリセットされて次の日も普通に眠れるかも、って思ったけど、甘い考えだった。結局、昨日も同じパターン。同じ夢を見て、夜中に目が覚めちゃって、朝までそのまま。おかげで今日は……ふぁぅ……ダメね、全然調子が出なかったわ」
生あくびを嚙み殺したヤマノが肩を落とす。
ソウマはテーブルを挟んで彼女の対面に腰を下ろした。真正面から向かい合うと彼女の疲れた表情がよく見えた。曇った緑の瞳が不安げに揺れている。
「うん、確かにソウマさんに頼めばまた眠れるかもしれない。でも、その次の日にはまた眠れなくなるかもって。だけど、毎日ここに通うのは無理。絶対にお金が足りない。だからどうにかして、ひとりでも眠れるように状況を改善したいんだけど……」
言葉を切ったヤマノは、焦点のぼやけがちな瞳に力を入れて、ぐっとソウマの顔を見つめた。
対面の彼はその視線を受け止めて、「どうぞ続きを」と彼女に先を促す。
「だけど、うーん、これってソウマさんに相談してもいいのかな。目の前の相手を眠らせるならともかく、その人の眠れない原因まで取り除くって、お仕事の範囲外だったりしない?」
ヤマノは後ろめたそうに目を伏せながら、ソウマの顔色をそっと窺っている。
「でも、実際のところ、一番頼れそうなのはソウマさんだし……。私の見てる夢って、ほら、結構なファンタジィだから。ソウマさんみたいな人間から外れたヒトのほうが解決策に近い場所にいる気がするの」
「それは、ヤマノさんの直感?」
「私と、夢の中の
「それはまた頼りになりそうなことで」
「うん。あ、そうだ。前のときは聞きそびれたけど、ソウマさんには何の血が混じってるの?」
「おっと、話が飛んだね」
ぴこんと伏せていた目を持ち上げたヤマノの仕草に、ソウマは思わず苦笑する。
小柄な少女のシルエットと相まって、なんとも小動物的な印象だった。
「僕のご先祖様は、夢魔だよ」
「むま?」
「夢の魔物と書いて夢魔。聞いてことない?」
「うーん……?」
どうやらヤマノにはピンと来なかった様子。
彼女はごそごそとジャケットからスマートフォンを取り出して、ささっと画面をなぞっていく。どうやら聞いた単語を検索に掛けたらしい。
数秒の沈黙。直後、彼女は椅子を引いてテーブルから大袈裟に後退した。
「インキュバス?」
「ナイトメアね。ああもう、なんだってそっちが上位になって表示されちゃうかな」
頬を朱に染めて睨んでくるヤマノに、ソウマはひらひらと手を振って彼女の懸念を訂正した。
だいたい某オンライン百科事典の記事のせいである。いや、翻訳の都合とか知名度の問題があるから、一概に記事の内容が悪いというわけではないのだけど……。
「ふ、ふーん……。ナイトメアね、ナイトメア」
「夢を操り、悪夢を見せる
「……馬?」
赤くなった顔をパタパタと仰いでいたヤマノが、ふとソウマの後頭部に視線を固定した。
そこにはゆらゆらと小さく揺れる黒髪のショートポニー。彼女の視線を肯定するように、ソウマはその付け根を摘まんでみせた。
「それって
「うん、まぁ、ちょっとした自己表現というか。淫魔扱いされないためのささやかな抵抗」
「本物の尻尾なの?」
「いや、ただの髪型」
「あ、そう……。ちょっとがっかり」
ヤマノはぎこちなく微笑んで、椅子を再びテーブルに近づけた。
ソウマは両手でお手上げポーズ。もちろん山の字のジェスチャーではない。
「こほん。それで、夢魔の混血のソウマさん。私の相談を受けてくれますか?」
「もちろんですとも、お客様。貴女様が明日からも安心して眠れるよう、誠心誠意協力致します」
「……いいの?」
あまりにあっさりとした承諾にヤマノが目を丸くする。無茶を言っている自覚はあった。きっと彼の仕事の管轄外の依頼だろうと。本当に、と思わず視線で尋ねてしまう。
テーブルの向こうの夢魔、ソウマは慇懃な台詞とセットで胡散臭い笑顔を浮かべていた。彼女の疑問に対する彼の答えは、結局のところこれだ。
「ま、それもオプションサービスの一環だから」