夢魔さんは眠りたい   作:子守家守

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勇者ちゃんは眠れない(6)

 寒々しい景色が眼前に広がっている。

 足元には白い雪、頭上には紺色に近い濃い青空。

 まるで雲の上にいるみたい。そう連想するのは、雲の上の風景を知っているから。

 飛行機の窓から見た光景を覚えているのだろう。雲を越えても神様の世界があるわけがない。

 つまり、その程度に現代的な感性ということ。

 

 真っ白な雪の中に、真っ赤な姿がひとつ。

 花のように鮮やかで、炎のように激しいシルエット。

 

 赤髪の少女が身の丈よりも長い剣を振っている。

 縦に一閃、横に一薙ぎ、ぐるりと弧を描いて、真っ直ぐ正眼。

 もっと鋭く。もっと速く。もっと強く。

 少女は踊るようにそれを繰り返す。

 雪の銀色と剣の鈍色とが、高く輝く日の光にきらきらと反射する。

 生き生きと。飽きず、倦まず、立ち止まらず。

 剣を振る幼い少女は太陽のように笑っている。

 

 彼女の夢の始まりは、いつもこのシーンからだ。

 

「夢?」

 

 ヤマノは不思議に思う。

 今、自分はこの光景が夢だと理解している。けれど、いつもは違う。赤髪の少女が現れるこの夢を見るとき、ヤマノは少女と一体化していて、彼女の体験を現実として受け止めていたはず。こんな風に少女と同じ目線に立ちながら、それと同時にヤマノ自身の意識を持つことなんて今までできなかったのに。

 

 カチリ、と思考が嵌まった気がした。

 眠りに入る直前の光景が頭に浮かぶ。ホテル、個室、ベッド、それから夢魔の男。

 

「ソウマさん?」

「ここにいるよ」

 

 ヤマノの声は音にならなかったが、返事はどこからともなく返ってきた。返事といっても彼の声が聞こえたわけではない。聞こえているのは少女の剣の鋭い風音だけ。

 夢魔の姿は見えないし、彼の声も聞こえない。だけどコミュニケ―ションは成立している。テレパシーかなにかだろうか。いや、ここは夢の中なのだから、別に声がなくても意思疎通くらいできるのかも。

 

「なんだっけ。ええと、そう、手掛かりを探すんだったね」

 

 ヤマノがそう呟くと、無色透明なソウマが頷く気配があった。

 彼女がこの夢を見るようになってしまった原因。その手掛かりが夢の中にあるかもしれない。絶対になにかが見つかるという確証は無いが、どうせ眠ったら夢を見てしまうのだから、ついでに調査してみても損はないだろう。

 ソウマのその提案を受け入れたからこそ、ヤマノは今、意識を保ったまま自分の夢を体験しているのだ。

 

「うーん、なんだか変な感じ」

 

 赤髪の少女の五感は今もヤマノとリンクしている。握った剣の重さ、空気を斬り裂く手応え、膝まで積もった雪の冷たさ、熱を帯びた頬に吹き付ける冷えた風。少女のうきうきとした感情さえも自分のものとして伝わってきている。

 しかし同時に、ヤマノはそれらの情報を客観的に観察もしている。夢の少女と自分とで意識と感覚が二重になっているような感覚だ。ちょっとくすぐったいかも。

 

 少女は飽きることなく楽し気に剣を振り続けている。

 高かった太陽はすでに傾いて、山の峰に降り積もった雪を赤く染めていた。

 いつの間にこんなに時間が経っていたのだろう?

 

「ひょっとして早送りした?」

「僕は何もしていない。というか、できないよ」

「夢なのに?」

「夢だけど、あの子の記憶だ。時間の流れは彼女の体感する時間の速さ次第だね」

 

 楽しい時間はあっという間、ということだろうか。

 夕暮れが過ぎ去って夜が来る。太陽が山に隠れて、代わりに黄色い月が昇っても、少女は夢中になって剣を振っていた。その楽しさがヤマノにも伝わってくる。剣を一振りするだけで、直すべきところが十も二十も浮かんでくるのだ。次の一振りで疑問をひとつ解消できても、尽きることなく新たな課題がやってくる。ああ、素敵だ、なんて楽しいのだろう。

 

「ヤマノさんにとって、あの子の存在はどういうもの?」

 

 夢魔の問いが聞こえてくる。

 気が付けばヤマノの視点は家の中に入っていた。銀嶺の高峰に建つ少女の生家だ。暖炉の燃えるダイニングで家族揃ってテーブルについている。赤髪の少女が今日一日の剣の稽古について、身振り手振りを交えながら一生懸命に家族へ伝えていた。

 

「あの子は、勇者ちゃん。多分、私の前世」

「多分なんだ?」

 

 聞こえてきたソウマの声には意外そうな響き。

 多分ってなんだ、とヤマノも思うけれど、多分としか言いようがないのがホントのところ。

 

「うん、確かに勇者ちゃんの記憶は小さい頃から持ってたよ。赤ちゃんのときから持っていたっておかしくないくらい私の頭の中に馴染んでる」

 

 ヤマノの持っている自分自身の記憶は普通の人とほとんど同じ。赤ん坊の頃のことはなにも覚えていないし、幼稚園くらいの記憶はおぼろげに残っているだけ。小学校の思い出だって断片的だ。

 それでも、勇者の記憶が自分にずっと寄り添っていたことは感覚で理解している。頭で覚えていなくても、幼いときから変わらず頭の中にあったと体が覚えている。

 

「でも、その記憶が前世なのかって聞かれると、すぐには頷けないかな。だって、記憶の中の勇者ちゃんに『私はあなたの前世です』なんて言われたわけじゃないから」

 

 当たり前だよね、とヤマノは口を斜めにする。

 赤髪の少女――勇者の人生の記憶は、彼女が死んだ瞬間に終わりを迎えている。

 きれいさっぱりにシャットダウン。死んだ後の記憶なんて存在しない。意識の消失を死と捉えるならそれが当然。死んだ後に神様に会ったとか、転生の瞬間を認識していたとか、そういうスペシャルなシーンは記憶になかった。

 そんな記憶は元々無いのか、それともヤマノが認識できないだけなのか、そこのところは正確にはわからないけれど。

 

「そもそも、前世の定義って? 死んだ人の記憶を持っていれば、それが自分の前世になるのかな。けどそれだと、自分と全然関係ない人の記憶が何かの拍子に頭に入っちゃったときとかはどうなるんだろう?」

 

 食事を終えた勇者がベッドに入る。全身に稽古の余韻が残っていることを感じながら、ヤマノは声にならない声で虚空に呟いた。

 少女が目を閉じる。世界が真っ暗になる。

 夢魔の姿はどこにもない。ねえ、ちゃんと聞いてる?

 

「それとも、記憶がどうこうじゃなくて、同じ魂を持っているかとか? だけど、魂ってなに? 目に見えないものが同じかどうかなんて、どうやったらわかるのかな」

 

 頭の奥から湧き上がってくる言葉がつらつらと流れてきた。

 いつもよりも口数が多くなっていると自覚する。夢の中だから唇が重さを忘れたのかも。現実の頭の中にプールされていた疑問の水溜まりが、ウォータスライダーみたいに滑り出てくる。

 とめどない疑問符の連打に、どこからともなく苦笑の気配が響いてきた。

 

「その辺りは僕も門外漢。魂の正体ともなると、うーん、調べる方法もパッとは思いつかないな」

「誰か知ってる人はいないのかな」

「どうだろう。夢魔よりももっと命や魂に近い種族なら、なにか明確な見識を持ってるのかもしれないけれど……」

 

 夢の世界で夜が明ける。

 勇者の目覚めは明瞭だ。日の光が窓から射して、目を開いた瞬間にはもう意識が完全に覚醒している。うだうだと布団の中で温かさを惜しむこともなく、さっとベッドから飛び出すのだ。

 

「前世かどうかはさておき、彼女の記憶から影響は受けてる?」

「それなりに……、かな。だって考えてみて。どんな記憶を持っても、それを四六時中思い出し続けるわけじゃないよね。人間って、目の前の"今"に手一杯なのが普通なんだと思う。自分の記憶だって、思い出すのは必要なときか余裕のあるときだけでしょ?」

 

 自分の中にあるとわかっていても、意識しなければ思い出すことはない。

 ヤマノの知っている記憶とはそういうものだ。ふとした瞬間にフラッシュバックすることはあるけれど、普段は意識の陰に隠れていて、頼まなければ出てきてくれない寡黙な同居人。

 

「それに、子どもの頃って世界の解像度が足りないの。彼女の記憶を思い出しても、その意味と内容を正確には理解できない、って言えば伝わるかな」

 

 少女の前には朝食のテーブル。薄切りにした燻製肉は山の獣から取ったもの。館の裏手で家族が血抜きをしているシーンが少女の思考に浮かぶ。

 グロテスクな赤い塊、生臭いにおいと粘ついた生温かい空気。今はまだ幼い赤髪の勇者だけど、その光景の意味はしっかりと理解している。だというのに、ヤマノがその現場の意味を正しく理解したのは、小学校に上がって2、3年が経ってから。それまでは漠然とした恐ろしさを感じていただけだった。

 

「例えば、10歳にもならないときに大人向けのドラマを見たって、『なんだかよくわからない話』で終わっちゃうよね。それと同じ。子どもの頭だと勇者ちゃんの人生を全部理解することはできなかったの」

 

 知識の違い、あるいは常識の違いとでもいうのだろうか。

 ヤマノと勇者、現代日本とファンタジィ世界とでは、生き方や考え方の土台がまるで違っているのだ。いくら記憶があるといっても、別の世界を生きた他人の人生を完全に理解することは大人にだって難しいだろう。知識も情緒も未成熟な子どもであればなおのことだ。

 

「成長して大きくなるのと一緒に、私の理解も勇者ちゃんの視点に追いついていったんだけど……、その頃には『私』がそれなりに確立してたから。勇者ちゃんの生き方に感じ入ることはあったけれど、それまでの自分をいっぺんに塗り替えるようなことはなかったな」

 

 朝食を終えた勇者が館から飛び出していく。

 玄関を開けると吹き込んでくる刺すような雪山の冷気。それさえも心地良く感じながら、彼女は今日も剣の稽古に励む。強くなりたい。もっともっと、誰よりも。

 他には何も要らないから……。

 彼女のその意思と感性が、ヤマノにとって誰よりも近くにあるはずなのに、星を隔てるほど遠くにも感じてしまう。

 

「ヤマノさんには勇者の生き方が馴染まなかったわけだ」

「というか、小さなころに触れた日本のお話が強い……のかも。私だって幼稚園に入る前からブレッドマンとかノラねこンの絵本を見てた記憶があるもの。理解の難しい記憶よりも、そっちのほうがよっぽど影響が大きかったと思う」

 

 悪いことをしてはいけません。友達と仲良くしよう。困っている人は助けてあげて――。

 日本に生まれたヤマノは、そういう"普通"にとても自然な形で触れてきた。子ども向けに作られた、優しくて、柔らかくて、カラフルな物語に。幼稚園に行けば同じ物語を知っている友達がいたし、そこでは他人と仲良く一緒に過ごすのが当たり前だった。

 ヤマノが生きる現実での"常識"は、そういう生き方が根っこにある。だから、勇者の記憶、生き方、その強さに憧れることはあっても、同じようになりたいとは思えないのだ。

 

 ヤマノは思う。

 死後の来世でも生前と同じ人格を持ちたいなら、きっと記憶を継ぐだけではダメなのだ。

 大事なのはむしろ、記憶よりも思考。死ぬ前と地続きになる意識の継承こそが、"自分"を保ったまま命の断絶を越えるための鍵になるのではないか、と。

 

 夢の世界の時間は進み続ける。

 ある日、勇者は父親と剣の試合をすることになった。館の前庭での立ち合いだ。

 互いに剣を構え、挨拶として静かに刃を交わす。

 

 一度目の試合では、勇者は完膚なきまでに父に叩き伏せられた。

 父は勇者の剣の師でもある。

 二度目の試合は別の日に。勇者は父の剣の速さに食らい付いた。

 父は勇者を筋が良いと賞賛した。

 三度目の試合で勇者は父を超えた。彼女の剣の激しさは嵐にも勝る。

 父は黙って勇者の頭を撫でた。

 

 そして、四度目。

 勇者は父に再び勝利した。三度目の試合よりも完璧に。

 彼女は自分が強くなっていることを確信する。

 そして同時に、父が三度目の試合から何も変わっていないことを理解した。

 

 彼女が父への興味を失ったのはそのときから。

 死んでないけど、生きてもいない人。そういうカテゴリのジャンクボックスに父という存在を放り込んだのも、その日から。

 

「こういうところが共感できないの」

 

 勇者として醒めた目を父親に向けながら、ヤマノは意識だけのため息を吐く。

 勇者という少女は、とにかく価値観が極端なのだ。外界との接触を断たれたコミュニティで、強さというひとつの価値観だけを育てたからなのかもしれない。同じ家でずっと一緒に過ごしてきた父親だろうと、こうもあっさり自分の人生から切り捨てることができる。そういう思い切りの良さがヤマノには怖いものに思えてしまう。

 

 勇者はどこまでも強くなった。

 不要なものをどんどん切り捨てながら。

 

 やがて彼女は山を下りる。

 館に残した家族には未練もなにもない。

 

 彼女の年齢は15歳くらいだろうか。

 勇者の血筋の悲願、南の果ての魔王に挑むという、長い長い旅路。

 山から下りた彼女を待っていたのは、雪に埋もれた代り映えしない館での日々とはまるで違う、色とりどりの情景だった。

 果てしない緑の平原。昼間でも闇に沈んだ森林地帯。荒涼とした砂漠地帯。はるか遠くに聳える赤茶けた山々に、どこまでも続く青い海原。

 凄まじいスケールの自然が放つ迫力に、さしもの勇者も目を瞠ることがたくさんあった。勇者と同じ視点を持つヤマノもその雄大さに圧倒されてしまう。

 

 とてもリアルで、まるで現実。

 そう、これは夢だけど現実にあったこと。

 だって、これは勇者の記憶なのだから。

 ふとヤマノは疑問に思う。

 

「現実と夢ってなにが違うの?」

「再現性と連続性の有無だね」

 

 ソウマが即座に答えた。

 勇者とヤマノはそよ風の吹く草原を歩いている。足取りは軽く、気分は爽快。

 見えない夢魔もこの心地良さを感じているのだろうか。

 

「再現性は、法則(ルール)への信頼性と言い換えてもいい。物理とか化学とか……、現実世界で適用される法則はそう簡単には変わることがない。多くの人がそう信じている。同じようなアクションを起こせば、同じような結果が起きると信じることができる。それが現実の再現性」

 

 夢魔の言葉が途切れる。なんとなく反応を窺っているような気配があった。

 彼の言葉を反芻しながら、ヤマノは頷く。体が無いのだから頷いた気になるだけだけど。

 

「ほとんどの夢の世界では、再現性が現実よりも弱い。同じ入力から全く別の出力が現れるなんてザラにある話だ。だから、地に足がつかない。そういうところに違和感を覚えると、自分が夢の中にいるって意識できたりもするんだよね」

 

 夢魔の語りともヤマノの意識とも無関係に、勇者は草原を進み続けている。

 ふと彼女が足元の小石を拾い上げた。アンダースローでその石を遠くに投げる。描かれた放物線は彼女の想像通り。そのまま離れた場所に小石が落ちると、落下点に屯していた野犬たちが驚いて蜘蛛の巣を散らすように離れていく。

 その光景を見届けてから、ヤマノは夢魔に問いかけた。

 

「でも、この夢はきちんと法則を守ってる。勇者ちゃんの生きた世界の法則を」

「そうだね。だから、この夢を現実と峻別しているのは連続性のほう」

 

 草原の日が落ちる。

 今日は野宿だ。勇者はテキパキと野営の準備を済ませて、木の幹を背に眠りに就いた。

 ヤマノの視界も真っ暗になる。ただ、この暗闇は長くは続かない。ワープしたかのようにすぐに朝になるからだ。

 この夢は勇者の記憶。さしもの勇者も眠っている間のことまでは記憶に残していないということだろう。記憶がないのだからヤマノの体感時間もスキップする。

 

「ヤマノさんはこの夢を見る前、ホテルのベッドで眠りに就いた。今は現実から意識を切り離しているけれど、朝になって目を覚ませば昨日の続きから人生を進めることができる。それが連続性」

 

 朝になって勇者が目を覚ます。

 野営の後片付けをして、旅の続きを歩き始める。

 昨日の勇者と今日の勇者は同じ人間だ。ソウマが言っているのはそういうことだろうか。

 ヤマノにとっては夢でも、彼女にとってはこれが現実。 

 

「夢は基本的に一夜限りのものだからね。今日見る夢が昨日の続きとは限らない。そこが現実と違う。連続性の保証されていない夢を、現実と同一視するのは難しい。多くの場合拒否反応が出る。つまり、生きているのなら、自分の人生は過去と未来にきちんと繋がっていて欲しい、っていう価値観がある」

 

「あるいは、本能といってもいいのかも」とソウマが呟いた。

 ヤマノは遠くの山並みを見つめながら想像する。もしも眠って起きるたびに自分の人生が別のものに切り替わってしまうとしたら。

 確かに怖いかもしれない。自分の立っている舞台がいきなり消えてしまう恐ろしさだ。足元で奈落が開く光景を連想する。それを本能的な恐怖と呼ぶのは、あながち間違いではないのかも。

 

「なら、夢と現実で同じところは?」

「どっちも頭の中の幻想」

 

 ヤマノの問いにソウマはすぐに答えた。

 レスポンスが早い。普段からこんなことを考えているのかな。

 

「あるがままの現実、って言葉が結構な欺瞞だよね。目で見たものも耳で聞いたものも、頭の中で処理されたヴィジョンだ。あるがままの現実をあるがままに認識するなんて、土台不可能な話だと思わない?」

 

 どこか愉快そうな口調で夢魔がそう言ってくる。

 なにが面白いのかヤマノにはいまいちわからない。現実を幻想の一言に凝縮してしまうのは、なんだかとても悪魔的だ。詐欺師っぽいと言ってもいいかもしれない。

 

「うーん、いかにも夢魔が言いそうなセリフだよね」

 

 ヤマノがそう返すと、夢のどこかで彼が笑った気がした。

 

「そうそう。確かに僕は夢魔だから、普通の人より夢と現実が近いのかも」

「ひょっとして、かっこつけてる?」

「かっこいいと思う?」

「ううん、別に……」

 

 なんだろう、かっこつけてる云々ではなく、単純にテンションが高いだけ?

 夢魔ってそういう種族なのかな、とヤマノは想像する。

 現実よりも夢の中で元気になる。ありそうな話だ。だけど、そう言い切れるほどヤマノは現実でのソウマを知っているわけではない。会ったときは営業モードだったけれど、素だとこんな感じなのかも。

 

 二人がうだうだと胡乱な話を交わしているうちに、勇者の旅は終わりに近づいていた。

 彼女は南の果ての魔王の居城に辿り着き、玉座の間でその主と対峙する。

 両者は言葉を交わすこともなく、静かに剣を抜き放って殺し合いを開始した。

 

「う……」

 

 一合目の打ち合いからヤマノの思考が熱を持つ。

 頭が痛い。過負荷の掛かったCPUみたいにガリガリと意識のリソースが削れていくのを感じる。

 勇者と魔王の決闘は、世界最高峰の戦力のぶつかり合いだった。

 異次元の速さで刃が激突し、地獄のように魔法が飛び交う。その目まぐるしさがヤマノの意識を振り回す。まるでジェットコースター。壁や天井さえも足場にして飛び回る視界が、ぐるぐると彼女の三半規管をかき混ぜてくる。

 

 吐きそうだ。だけど、吐くための身体もない。

 記憶の中の勇者は魔王の速さと強さに対応している。相手の剣の軌道も魔法の軌跡もはっきりと把握している。その超絶的な感覚との乖離もツライ。

 

「あと少しだから。ヤマノさん、頑張って」

 

 ミキサーに放り込まれたような意識に夢魔の涼しい声が聞こえてくる。

 他人事だと思って! とヤマノは咄嗟に叫びたくなるが、実際には声を出す余裕もなかった。

 暴風のような五感に弄ばれながら、勇者の戦いを最後まで見守ることしかできない。

 

 そして、ぞわりと、心臓が潰されるような悪寒。

 

 いや、悪寒などではなく、本当に心臓が潰された感覚。

 勇者の剣が魔王を貫くと同時に、魔王の剣が勇者の胸を貫く。

 皮膚が裂け、肉が断たれ、血管が千切れて、心臓が破裂する。

 自分の中の大切ななにかがずるりと零れ落ちる感触。

 痛み。息苦しさ。熱い。喪失。寒い。暗い。霞む。痺れる。消える。

 

 死ぬ。

 そう、これが死だ。

 

「こっちだ」

 

 声。

 誰の?

 腕を掴まれる。

 引っ張られる。

 引っこ抜かれた。

 なにから?

 私から。

 勇者から、私を。

 遠のく。

 離れる。

 死から。

 息。

 吸う。

 吐く。

 心臓が動く。

 体も無いのに、

 生きている。

 

「っ、はぁ、は……」

 

 肺が痛い。喉が苦しい。その感覚がはっきりとわかる。

 ヤマノの視界には、魔王と抱き合うように倒れ伏す勇者の姿。それを見て、勇者と同期していたはずの自分の視覚を取り戻していることに気づく。

 ぺたぺたと自分の身体を触って確かめる。グリーンのジャケットを羽織った現代日本の恰好だ。もちろん胸に風穴など空いていない。冷や汗が流れていた。手の甲で額を拭って、大きく息を吐く。

 

「大丈夫?」

 

 子どもをあやすように優しく背中を撫ぜられる。ヤマノが横を向くと、ソウマの顔が近くにあった。心配そうな表情だった。眼鏡の向こうで額に皺を寄せている。

 

「いつもは、()()で、目が覚めるから……」

 

 どうにか呼吸を整えながら、ヤマノは喘ぐようにそう言った。

 少し離れたところに倒れている赤髪の女へと視線を向ける。彼女が死ねば記憶が終わる。ヤマノの夢も終わる。だから目が覚める。それがいつものパターン。

 その法則が捻じ曲げられている。疑うまでもなく、ソウマの仕業だろう。

 

「ここは、まだ夢の中?」

「うん。だけど、勇者の記憶からは抜け出している。記憶の終点には到達したからね」

「なら、あの勇者ちゃんは」

 

 罅だらけの石の床に倒れる赤髪の女。命を落とした勇者の血濡れた顔。夢の中ではいつも勇者と同じ視点だったから、彼女のそんな顔を見るのは初めてだった。ああでも、魔王の瞳に映った、生き生きと笑いながら剣を振るう顔だけは覚えているかも。

 彼女の表情に死の苦しみの色はない。むしろどこか安堵した顔のようにも見えた。

 

「これが私の夢なら、あの勇者ちゃんは私のイメージ?」

「かもね。ちょっと強引に覚醒(おはよう)から遠ざけたから、あんまり正確なことは言えないけど」

 

 ソウマはそう言うけれど、勇者の死に顔はヤマノのイメージと乖離しないものだった。

 きっと彼女は満足して逝ったのだろう。妄想ではなく、確信に近いものがある。子どもの頃から彼女の記憶を覗いてきたヤマノのイメージなのだから、当たらずとも遠からずのはず。

 

「……うん。ちょっと落ち着いた」

 

 そう言って背筋を伸ばす。背中を撫ぜていたソウマの手のひらが離れていった。

 両足にしっかり力を入れて立つ。勇者と魔王の亡骸をしっかりと目に焼き付けて、それから隣に立つ夢魔へと目を向けた。彼のほうが頭一つ背が高い。ちょっと見上げるような恰好。

 

「だけど、手掛かりになりそうなことは思いつかないな」

 

 当初の目的を思い出してヤマノは左右に首を振った。

 いつもより客観的な意識を持てていたのは確かだけど、夢の内容そのものは記憶の通りだ。ヤマノの心に刻まれた勇者の人生。その追体験をする長い夢。

 夢と記憶に齟齬はない。どうして記憶を夢にまで見るようになったのか、その手掛かりはどこにも見当たらなかった。その事実に思い至って、ヤマノは気落ちしてしまう。

 これでは結局、不眠の根本的な解決には近づけていないのではないか。

 

「いや、むしろ手掛かりがあるとしたら、これから――」

 

 ソウマの声が不意に途切れた。夢魔の表情が不自然なところで硬直する。

 ヤマノの顔に温かい液体の感触。触れると少し粘ついて、指先を赤い色に染める。

 彼女は見上げていた視線を下に動かす。ソウマの顔、首ときて、ホテルスタッフの制服を着た上半身。

 その真ん中から、鈍色の刃が突き出ていた。

 長く鋭い、剣の切っ先。血に塗れたそれが妖しく輝いている。

 夢魔の背後に人影があった。

 赤い髪の女。血濡れの顔。透明な表情。

 死人の唇が動く。

 

「おい、人外。お前、また殺されに来たのか。そっちの女は新顔だが……、ああ、なるほどな」

 

 ソウマの胸から剣が引き抜かれる。支えを失った夢魔の身体が地面に崩れた。

 女の全身が視界に入る。鮮血で真っ赤に染まった、誰よりも完成された剣士の姿。

 勇者――、ヤマノの前世が、値踏みするように彼女を見つめていた。

 

「よお、こうして直に会って話すのは初めてだな、私の来世ちゃん」

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