狼剣乱舞 作:おはぎ美味しい
薄暗い。それが、目を開けた景狼の最初に覚えた感想だった。
次いでその聴覚が捉えるのは、何か小さな音。
(何かを、削っている……?)
「今代は、お前さんのようじゃの」
「ッ!」
突然掛けられた声に、景狼の肩が跳ねた。
よくよく見れば、そこは寂びれたお堂のような場所であり手入れのされていない床にはこれでもかと木彫りの仏が大量に置かれていた。
その仏の顔は、アルカイックスマイルと呼ばれるものではなく、怒っている様な、悲しんでいる様な、少なくとも穏やかな微笑とは程遠い物ばかりだ。
そして、この場の中央辺りに、小さな火が灯っている。
その火の前に誰かが景狼へと丸めた背を向けて、何かを掘っていた。
「火に頼り過ぎるなよ。それは、決して人の手に在って良い物じゃない」
「何を……」
「忘れるなよ。お前さんの身に着けた技術は、殺しの技。そして殺しとは、手段であって目的ではない。努々、忘れぬようにな」
言いたい事を言い切ったのか、しわがれた声の老人はそれっきり黙ってしまうと再び何かの作業を再開してしまう。
意味深な事を言う老人にもっと詳しい事を聞こうと、景狼は一歩踏み出して、
「ッ!?」
その足は、まるで奈落へと踏み出したかのように木目を掴むことなく体ごと落ちていくのだった。
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「――――ッ!!…………?」
跳ね起きた景狼は荒く息を吐きながら、周囲を見渡した。
質素だが、決して貧しくはないシンプルな内装。
夏侯惇の手合わせの一件から、疲労の溜まった景狼は一夜の宿を借りる事になった。
着の身着のままで横になっていた寝台に身を起こして胡坐をかき、窓から外を見れば薄暗い。星明りも見える事から夜分だろう。
「夢、か……?」
本当に?呟きに、己の内側から問いが飛ぶ。
あまりにもリアリティに過ぎる夢だった。それこそ、白昼夢どころではない。現実だと言われればそのまま頷けそうなほど。
無意識のうちに、胸元を握っていた。
漠然とした不安が、頭を過る。
夢の中の老人は、殺しは手段であると言っていた。そして手段とは目的を成すための行動でしかない。
「何のために人を殺すのか…………」
葦名景狼に大望はない。そもそもとして、この国の、この世界の人間ではないのだから極論国が亡ぼうともどうでも良い立場なのだから。
彼が刀を握ったのも、偏にそうしなければ自分が死んでいたからに他ならない。
自分が死なない為に相手を殺す。理由の一つとしては良いだろう。
だが、目的とするには弱すぎる。
人は心の弱い生き物だ。どれだけ肝に銘じても、それでも心の揺らぎは何処かに現れる。
そして、その揺らぎを景狼の胸の内に宿った埋め火は逃す事はないだろう。
悶々と考えこんでいれば、悪い事ばかりが頭を過る。そうなると自然と気分も塞ぎ込んでいくというもの。
かといって歩き回る訳にもいかない。
どうしたものかと頭を掻いて、不意に景狼は部屋の出入り口へと目を向けた。
人の気配がするのだ。寝台の傍らに立て掛けられた刀を手繰り寄せて左手に握り、僅かに鯉口を切る。
「……何か、用事だろうか?」
「――――失礼する」
声を掛ければ、返ってきたのはくぐもった怜悧な声。
入ってきたのは、夏侯淵だった。
「気が付いたようで何よりだ」
「……世話になったみたいだな」
刀を鞘へと納め直して肩に立て掛ける景狼に対して、夏侯淵は寝台の側に椅子を持ってくるとそこに座った。
「姉者の件もあり、様子を見に来たところだったんだ」
「気にする事でもないだろう?」
「そうもいかない。孟徳様は、他よりも優れた才覚の持ち主ではあるが、だからこそ自身のお考えを周りに話さない嫌いがある」
「…………誤解を受けやすい、と?一つ聞きたいんだが、そこまでこの陣営は人材に苦慮しているのか?」
「現状のままならば、十分だろうな」
「それは…………随分と野心の強い事だ」
曖昧な笑みを浮かべた夏侯淵に、景狼は頭を掻く。
「この国の内情は、星……趙雲から説明を受けている。男は弱く、女が強く賢い。だからこそ、曹孟徳殿は、夏侯妙才の報告を受けても半信半疑だった。違うか?」
「いや、その通りだ。流浪の武人として名の売れた趙子龍と同格程度の使い手で、尚且つ男。そんな報告を受けて、真に受けるものはこの中華にそう多くはないだろう」
「そこで、夏侯元譲と俺の手合わせに通じる訳だ。彼女なら、並大抵のことでは傷一つ負わない。そして、仮に俺が周りに危害を加えようとしても押さえ込む事が出来る」
「ああ。そして、酷な事だがもしもお前があの場で姉者の手に掛かれば、内々で処理されていただろうな」
「趙雲はどうする気だったんだ?」
「趙子龍も素晴らしい使い手だが、私と姉者が居れば抑える事はそう難しくはない。後は、孟徳様がどうとでもなさった事だろう」
「はぁ…………お偉いさんというのは、よくもまあそこまで頭が回るな」
「嫌になったか?」
「ならない方がおかしいだろう?まあ、彼女がそうだからこそ大それたことをやってのけるというものかな」
ため息を吐いた景狼は、そのまま天井を見上げた。
曹操の先の狙いは、有能な手駒を得ようとする点。そして、同時に自陣営の抜本的な改革も見え隠れしていた。
かなり強引であったのは、ソレが危急の問題となりかねないと前々から考えていたからだ。
この漢という国の権力を握っているのは皇帝、ではなくその周りの政治家たちだ。十常侍と呼ばれる宦官の集団など特に顕著だろう。
そう、如何に女尊男卑がはびこる世界であろうとも、権力中枢には男性がのさばっているのだ。
賄賂で成り上がっただけ、と軽視するものも多いがその献上するための賄賂を集めるというのもまた、一つの才能と言える。
才無き者に財は集まらず。そして、女尊男卑に染まった思考を持つ者は、この賄賂で成り上がった者に足を掬われる。
この点を、曹操は憂いた。そんな折に、夏侯淵から武将に匹敵する力量の男が現れた、という報告が上がってきた。
彼女自身半信半疑ではあった。だが同時に、好機でもあると感じていた。
だからこそ、自身の陣営で
夏侯惇の猪突猛進振りと、その武威は陣営内でも知らない者は居ない。それこそ、仲の悪い猫耳軍師もその辺りは認めている程度には。
結果としては、申し分ないだろう。少なくとも、葦名景狼という男の武威は示された。曹操の目的はそれで八割方果たされた。
そこに、
夏侯淵は薄い笑みを口元に湛える。
「お前も、孟徳様の下に着くか?」
「まさか。ここまでやられて尻尾を振るのは、変態の所業だろ。朝にでも、ここを発つさ」
「そうか。孟徳様も留めはしないだろうな」
そう言って、彼女は椅子から立ち上がる。
「何か作らせよう。それを趙子龍に任せて持ってこさせる」
「生憎と、毒への耐性は無いぞ?」
「フッ、期待には沿えんさ。料理に一家言を持つ者が居るのでな」
見蕩れる様な笑みと共に、去って行った背中を見送って景狼は刀を脇に避けると、寝台へと転がった。
考えるのは、曹操の事――――ではなく、これからの事。
「やりたい事、やるべき事………まずは、ソレを見つける事から始めるとしようか」
この世界にやってきた意味と、そしてやらなければならない事。
これらを見つける事を一先ずの目標として、景狼は目を閉じるのだった。