狼剣乱舞 作:おはぎ美味しい
北の要衝、幽州。北方異民族に対する防壁であり、同時に攻勢拠点でもある土地だ。
決して豊かとはいえないものの、その一方で戦場が近い土地でもあるからか兵は精強。特に騎馬が強かった。
「私は、幽州の公孫伯珪殿の下へと向かう道すがらでしてな。如何でしょう?景狼殿もそれ程の腕前ならば、取り立ててもらえるのでは?」
「うーん………まあ、考えておくとしよう」
幽州へと向かう街道の道すがら、趙雲は改めて隣を歩く青年へと目を向ける。
灰色の混じりの黒髪に橙色の羽織。その下に着るのは、趙雲も見た事のない衣類であり、足元なども同じく。
何より、
(字も無い、と)
葦名景狼。姓と名のみで成立した氏名は、旅をしてきた趙雲としても聞き馴染みのない音を孕んでいた。
しかし彼女が気になるのは、もっと別の事だ。
「そういえば、景狼殿」
「うん?」
「貴殿は随分と、実戦慣れ
そう、趙雲が見咎めたのは正にそこ。
景狼の技量は相当なもの。それは、実際に相対したからこそ彼女もよく分かっている。
だからこそ、気になった。
景狼自身もその辺りは自覚しているらしく、頬を撫でる。
「それはそうだろう。何せ、俺の初実戦だったからな」
「成程……では、あの賊徒を逃がしたのもその為でしょうか?」
「それもある」
「それ
「趙雲が考えているように、俺は命を奪う事に少々の抵抗がある。かといって、不殺を貫き通せるほど強くもない。だが、彼らを見逃したのは単純に火の粉を払う以上の必要性を感じなかったからだ」
「その結果として、他の者が被害を被るかもしれませんぞ?」
「それこそ、俺の管轄じゃない。俺の手はそれほど広くも、大きくも、長くもないんだ。そういう大きな仕事はお偉いさんの仕事だ。何より、俺は
きっぱり、と景狼は言い切った。
必要ならば相手を殺す事も選択肢には入る。しかしだからといって全てを殺し尽くそう、等と考える男ではなかった。
話を聞いていた趙雲もまた、何やら思う所があったらしい。
彼女が引っ掛かったのは、最後の言葉。
(正義に酔う、か……)
正義という言葉ほど使い勝手が良く、同時に意味の難しい言葉は無いのではなかろうか。
会話が途切れ、鳥が空を飛ぶ。
もう暫くすれば、幽州だ。
@
この時代に成り上がろうと思うのなら、主な手段は二つ。
一つは、賄賂。売官制度などを利用して地位を買い、更にそこから金銭で成り上がっていく。
もう一つが、戦働き。戦乱の世の中であるからこそ、一騎当千の強者というのは一種の綺羅星の様に輝いていた。
「では、私の麾下に入るつもりはない、という事か?」
「如何に名を得ている私といえども、唐突に身内に組み込めるものではありますまい。であるのなら、食客の一人として抱え、様子を見るべき、と申しているのですよ」
(こいつは、本当にクソ度胸だな)
自身の斜め前で行われるやり取りを眺めながら、景狼は寄りそうになる眉を押さえつつどうしてこうなったのかを改めて思い返していた。
幽州へと辿り着いた景狼は、正直な所そこで趙雲とは別れるつもりだった。というか、彼は何処かに仕官するつもりはなかったのだ。
しかし、何処に行くのか、と言われれば答えに窮する。そもそも行く当ても、路銀の入手する宛も無いのだから。
そこを突かれて適当に流していれば、あれよあれよという間に趙雲の売込みの場に立ち会う事になってしまった。
そこから先のセリフだ。
猫の手も借りたい公孫瓚からすれば、趙雲のような流れの武芸者の手も借りたいというのが正直な所。ついでに、彼女自身お人好しというか周りを尊重し過ぎる嫌いがあり、その為か強くは見咎めなかった。
代わりに、趙雲から彼女の斜め後ろに控えた景狼へと目を向ける。
「お前も、趙雲と同じ扱いを求めるのか?」
「うん?俺は――――」
「然様でありますな。何せ、景狼殿は私に劣らぬ武の持ち主でありますので」
「おい」
ジト目を向ける景狼だが、全身レバーの趙雲は涼しい顔を崩さない。
一方で、公孫瓚は珍しい者でも見たかのように目をぱちくりと瞬かせていた。
「ほう、男の身で……」
この国において、上位層は大抵女性だ。そしてそれは、文武どちらにおいても。
だからだろうか上層部に食い込む男というのは、賄賂で成り上がっている場合も多かった。無論、貯えた知識や、鍛えた武で成り上がる者も居るが、それはやはり一握り。
公孫瓚は改めて、僅かにゲンナリした雰囲気を発する青年を見た。
「名前を、聞いても良いか?」
「葦名景狼。俺の故郷では、姓と名のみしかないんでな……いや、ないんです」
「そうか……なら、葦名。どうだ?気乗りはしないかもしれないが、そこの趙子龍と同じように私の下で食客をしてみないか?賃金は勿論払う」
「それは……」
「ハッキリ言って、今の幽州は素性が知れずとも実力のある者が必要な状況なんだ。後で実力を見る事にはなるが……それでも、常山の趙子龍が言う程の実力者ならば相応の待遇を約束しよう」
どうだろうか?、と問われ景狼は眉根を寄せた。
金が手に入るのは、願ってもみない事だ。しかし、だからといって縛り付けられるのは望む事じゃないのも確か。
という訳で、一応の予防策を張る。
「……ずっとは居られませんよ?俺としては、もっと見聞を広げたいので」
「ああ、それでも構わない」
「……」
遠回しに意思を伝えようとするが、人材不足である公孫瓚は逃がす気が無いらしい。
頭を掻いて、景狼は頷くしかなかった。
@
「……本当に、何がどうなってるのか」」
環首刀の手入れをしながら、自然と零れた溜息が部屋に響いた。
流れとはいえ、公孫瓚の下で働く事になったが一応の保険として一兵卒、もっと言うなら趙雲付きの見習い的な立ち位置に置かれる事になった。
今更だが、ここは中国の三国時代なんだろう。これに関しては趙雲の名前を聞いた時には分かった事。
問題は、俺が三国志に欠片も詳しくない点。精々が世界史で少し中国の時代に触れたのと、赤壁の戦いをモデルにした映画を観たことがある程度。
もっとも、仮に知識があったとしても、趙雲や公孫瓚が女性の時点でどれだけその知識が役に立つのか分かったモノじゃないが。
何よりもっと他にも、問題がある。
「人を殺す……」
持ち上げた環首刀は、趙雲曰く粗悪品。それでも、人一人を殺すぐらいは可能な代物だ。
俺はこれから、人を殺す。
趙雲は言った、何故あの賊を殺さなかったのか。つまり、それだけこの世界は誰もが死に近いって事だ。自分が敵と判断すれば、一切の躊躇をしないという事だ。
そして、軍に身を置く俺も誰かの敵になる。その時、相手はこっちを殺す気で向かってくるはずだ。
殺さなきゃ、殺される。でも、ソレを言い訳にはしたくないな。
そこでふと、昔修行のまねごとを始めた時に見た一文を思い出した。
「――――“迷えば、敗れる”」
今の俺が戦場に出ても、直ぐに死ぬ。何故なら、迷っているから。
なら、今ここで腹を括ろう。
どれだけ苦しんでも、それでも立って歩く。その覚悟を胸に刻むべきだ
「とくれば……」
徐に、俺は環首刀の刀身を左手で握る。
粗悪品でも、その切れ味は本物だ。刃を当てた掌に熱い痛みと共に、赤い雫が滴ってきた。
忘れるな、忘れるな。痛みと一緒に忘れるな。
俺はこれから、人殺しになるんだから。
「イテテ……」
刀身を放した手は、血が滴っている。でも、縫う程じゃないな。
部屋に用意されていた……医療パックか、コレ?とりあえず、そこから包帯を一つ失敬して巻いていく。
本当はガーゼなりを当てた方が良いんだが、まあ良い。そもそも怪我自体は慣れてる。
握って開いて確認すれば、少し痛むが支障無し。
「さて、と」
腹を括ったのなら、少し体を動かしに行こう。
そう決めて、血を拭った環首刀を鞘に納めて俺は部屋を抜け出した。
@
その光景を、公孫瓚が見つけたのは偶然だった。
溜まった仕事にどうにかこうにか区切りをつけて、自室へと向かう道すがらに、ふと中庭へと目を向けた時の事。
「うん……?」
月明かりに薄く照らされて誰かが立っていた。
よくよく目を凝らせば、ソレが昼間趙雲と共にやってきた青年である事が分かる。
何をしているのか興味が惹かれ、少し隠れるようにして近付けば彼は抜身の環首刀を右手に立っているではないか。
そこから始まったのは、演武とはまた違う、洗練された殺しの技たち。
同じく剣を使うからこそ、公孫瓚にその動きの熟達さというものをよく理解できた。
(成程……足りない膂力を補うために、全身を使っているのか……)
例えば薙ぎ払うような軌道で刀を振るい、その振るった反動を利用しつつ地面を蹴り跳躍、横回転し勢いをつけてもう一太刀を見舞う。
純粋な膂力のみならず、円軌道に因る遠心力と胴の捻り、更に跳躍の勢いの三つを組み合わせる事で一太刀目以上の威力を二撃目に加える事が出来た。
加えて、二撃目は斬撃でなくとも捻りを利用した後ろ廻し蹴りを叩き込む事も出来る。ついでに一撃目を防がれたとしてもその反動を利用した蹴りでその場を離脱する事も出来るだろう。
葦名景狼の身に着けた技は、剣術は主に二種類。忍びの技、そして侍の技。そこから、体術、武器術などにも派生する。
一撃離脱などを主にするのは、忍びの技。一方で、一撃必殺や連撃必殺を主とするのが、侍の技。
毛色は違うが、共通するのはいかに相手を死に至らしめるかを追求している点だろう。
問題があるとすれば、
「武器があっていない、のか?」
「そのようですな」
「ッ!?」
思わず口をついて出てきた言葉に返事が返ってきて、公孫瓚の肩が跳ねる。
慌てて振り向けば、ニヤリとした人を食った笑みを浮かべる愉快犯の姿が。
「い、いつの間に……」
「よろしくありませんなぁ?如何に城内といえども、刺客がどこから入り込んでいるかも分からないのですから。そのように気を抜いておられれば……バクリッ!いかれてしまうやもしれません」
クスクスと笑いながら、趙雲は改めて中庭へと目を向けた。
「景狼殿への褒美は、得物がよろしいでしょうな」
「褒美って……随分と買っているんだな?」
「無論。何せ、私に槍を振るわせぬ立ち回りの出来る方ですので。相手にもよりましょうが、少なくともそこらの雑兵に後れを取る実力ではありますまい。何より――――」
振るわれる刃が月光に閃く。
「今の彼は、随分と
武人としての血が沸き立つのか、趙雲の笑みは月光に照らされ肉食獣を思わせる。
思わず引きながら、公孫瓚は改めて青年へと目を向けた。
褒美の話はどうあれ、この国では争乱に事欠かない。
今の話題は、