狼剣乱舞 作:おはぎ美味しい
「――――では、この後は豫洲ではなく司隷へ向かうという事か」
「然様ですな。景狼殿曰く、それぞれの階級ある都市を見た上で都を見てみたい、と」
「それは…………随分と、
「ええ、変わり者です。
盃を片手に、夏侯淵は目を細める。
時は夜。死体の処理を行い、更に生き残っている賊の確認と一掃を終えれば日は沈み、月と星が夜の帳を彩る時分となっていた。
村の近くに留まる事になった夏侯淵は、これを機に気になる二人を口説き落とそうと考えた。
その手法の一つが、酒を用いて腹を割るというもの。だが、この方法は酒を飲まないと景狼には断られ、趙雲だけが釣れる事になった。
「彼を主として立てるつもりだろうか?」
「ふふふっ、いやいや……景狼殿は誰かの上に立ち、駆け抜ける様なお人ではありますまい。野心も無く、虚栄心も無い。だが、自分というものを確かに持つ、そんな彼だからこそ私も付いて行こうと思ったまでで」
そう言って、趙雲は盃に揺れる月を酒と一緒に飲み干した。
最初は、その境遇と実力、経験のちぐはぐさに興味をそそられた。そして言葉を交わし、時間を共にする事でその心を知る事が出来た。
主として盛り立てる様な相手ではない。景狼自身も望まないだろうし、余りに勝手が過ぎれば愛想を尽かされてしまうかもしれない。
趙雲としても、それは面白くない。耐えられない、とは言わないがそれでもしばらくの間茫然自失となるかもしれない。
一方で、そんな彼女の横顔を横目に見ていた夏侯淵は件の青年の顔を思い出していた。
厳めしい、というよりもどちらかというと穏やかな優しい顔立ちに近い。しかし、顔つきとその在り方は必ずしも一致しない。
特に目に留まったのが、その戦闘能力。
派手さはない。だが、その一挙手一投足には相手に対する一握の慈悲があるのだ。
必要以上に、相手を甚振る事はしない。殺すのなら、苦しめる事無く。
(姉者の荒々しく力強い剣技とはまた違う。純粋に、殺す事だけを突き詰めた技。華琳様は嫌うかもしれないが……私は、高く評価するぞ)
武人としての気質もあるが、同時に仕事人としての素養も併せ持つ夏侯淵としては主が求めずとも子飼いとして手元に欲しいと今は思っている。
それは、昼間の手際の良さなどを加味しての事。
怜悧な武将にロックオンされている事など知る由もない葦名景狼はというと、死体を処理した場所へとやってきていた。
「……」
後悔はない。瞼を閉じれば自身が命を奪ってきた者たちの顔を鮮明に思い出す事が出来た。
この場に居るのは決意を新たにする為と、それから少し気になる事があったから。
目を閉じて、息をひそめる。
ほんの僅かだが胸の奥にチリチリとした熱を感じたのだ。ただそれは、本当に僅か。それこそこうして一人となって意識的に視点を自身の内側へと向けなければ分からない程に。
最初にこの異変を感じ取ったのは、幽州に居た時。初めて、人を殺した時だった。
実際に病気になった訳でも、怪我をしている訳でも、毒虫に刺された訳でもない。
ただ、体の内側にほんの小さな火が灯っている様な、そんな感覚を覚えているだけ。
良くないものだと、本能的に景狼は察している。そして、その事を彼は今の所誰一人にも言った事はなかった。
感覚的な話である為表現方法が抽象的な言葉にしかならない、というのもある。だが、彼が恐れたのはまた別の事だった。
「…………火は、燃え移る、か」
この胸の奥の火が、誰かへと移ってしまう可能性。
確証はない。これは本能的な察知能力とも言うべき部分からの情報でしかないのだから。
だから、葦名景狼は
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騎馬で有名な幽州騎兵だが、だからといって他の州で騎馬が用いられない訳ではない。
寧ろ、涼州などは精強な騎馬隊を有しているとされている。
「落ちぬように、景狼殿…………随分と器用な乗り方ですな」
「仕方がないだろう?俺に馬術の技量はないんだから」
筋骨逞しい馬に跨り操る趙雲と、そんな彼女と背中合わせに馬上に胡坐をかいて座り込み、刀を左肩に立て掛ける景狼。
なぜこのような曲乗りをする事になったかといえば、景狼の言葉通り彼が馬術など身に着けていないから。だからこそ、幽州では徒歩で駆け回っていた。
彼らの周りには、夏侯淵率いる一軍が続いている。向かっているのは、陳留だ。
というのも、景狼と趙雲は故意でなくとも夏侯淵たちが討伐する筈だった賊を討ってしまっている。
賊の討伐もまた、その土地を任される官吏の仕事だ。討てるかどうかは別にして、そもそもの仕事の一つに治安維持も含まれているのだから。
そしてこの、仕事の一つである治安維持を一般市民がやってしまうのは本来宜しくない。
というのも、どれだけ傲慢な行いをしている官吏といえども、その財貨は民から吸い上げた税で賄う場合が多い。元々持ち合わせていたり、或いは自身の商売によって財を成す場合もあるが、大抵は賄賂と税の横領が多い。
上記の様な事をしない良い官吏も確かにいるのだが、彼らに共通するのは民の信任が必要であるという点。
悪徳を成す官吏は、時間経過で民の反発を喰らって落ちる。良い官吏も、民からの信認が無ければ人望無しとしてその地位から転げ落ちる事になるだろう。
要するに、官吏としては自分たち以外に民の縋れる対象があると困るのだ。
「…………」
「眠りたいのなら、私の背に体を預けても宜しいのですよ?」
「……いや、そういう訳じゃない」
「では、どうされました?」
「人生ってのは、思わぬ方向へと舵が切られていく、と思ってな」
「ですが、その方が退屈しないというもの。変化の一つもない人生など、退屈に過ぎるのではありませんか?」
「まあ、な」
趙雲の言うように、変化の無い平坦すぎる人生も面白みに欠ける事は確かだろう。
現に、景狼もこの世界に来てから存分に体得した技術を振るえているのだから。
「?」
不意に、景狼は胸の内に熱を覚える。
それは昨晩にも確認した感覚に近いもの。即ち、火の燃える様な熱だ。
(火の勢いが、増した?………何でだ?)
元々感覚的なものだった炎の勢いが増す。この事態に、しかし景狼は首を傾げる事しかできない。
とはいえ、直ちに実害がある訳でもなく、人というのはどちらかといえば目先に問題を優先する生き物だ。
「景狼、少し良いだろうか?」
「ん?なんだ?」
馬を寄せてきた夏侯淵が景狼へと声を掛け、彼の思考はそこで打ち切られる。
「いや、こちらが招いているとはいえお前には不快な思いをさせてしまうかもしれない、と思ってな」
「ほう?」
「私の主である曹操様は、男女問わず有能な人材を手元に置くお方だ。だが、その配下はそうではない。私は違うが、この国には女尊男卑の風潮がある。これは、国の成り立ちから根付いた考え方で、容易に払拭できるものではない」
「つまり、その曹操様の配下には居る、と?」
「そうなる」
「仕方のない話でもありますな。そもそも、官吏の要職に就いている者も女人が多く、武威においても同じく。それこそ、景狼殿の様に戦える者などほぼ居ない。私塾などでも優先して女児を育成する場所も珍しくありませんし」
「お国柄、という奴か……分かった、そういう事ならその前提で居るとしよう」
「すまんな……一応使いを先にやったが…………な」
その最後の一言に、夏侯淵の苦労が見え隠れする。
彼女はどちらかといえば曹操の様に性別による差別などはしない。有能ならばそれで良い、と考えるタイプだ。
大切なのは、役に立つかどうか。
覇王の根城はもう間もなくだ。